ジェイムズ・ブラウン・ベスト・ヒッツの輸入盤(全世界で初めてCDが登場したのが1982年ですから、1986年当時のCDの価値の大きさは推して知るべし)。家に帰ってご自慢のコンポで再生、その冒頭がまた格好いいんですよ。ナレーション、紹介から始まって、“Doing It To Death”!!痺れましたね。結局、物心ついてからのR&Bの原風景はここに行き着くし、当時片足を突っ込み抱えていたジャズから一点、ソウルに向かったのもこの一枚がきっかけ。その後、JBをきわめず、すぐにモータウンサウンドへと傾倒していき、結局JBをじっくり聴くチャンスはその後あまりなかったのですが、私にとっては大事な人物です。 さらに、愛称は“テディベア”、フィラデルフィアサウンドの雄・オージェイズのメンバー、エディ・リヴァートの息子であり、自身も男性シンガー界の底上げに貢献して来た早熟の天才シンガーであった、ジェラルド・リヴァートも、昨年11月10日に亡くなりました。享年40歳か…。若すぎます。ちょっと格闘家の曙に似たお面相、親子や兄弟の絆を大切にし、先達を敬い(その筆頭、バリー・ホワイトも今は亡き人に)、派手なことは好まず(あ、LSGってユニットは派手でしたけど、メンバーでは一番地味だったかな)、素朴に、一途に、歌心に向かって行った男。正直、あの年齢であの巧さは特筆モノだったし、逆に、その後沢山の若手が鳴り物入りでデビューしても、ジェラルドの巧さとは比較にならなかったものです。ジェラルド自身は、そうしたイキのいい若者の活躍を横目に、段々と地味な、けれど本物のソウルの世界へと沈潜していきますが、やっぱり40歳でなくなったことを考えると、この人は生まれながらに老成していたのかな、と思いますね。何の式典だったかな、オージェイズの歌、それも父親エディのパートを取って、父の前で謳ってみせた時には、父は我が子の成長に涙したとか。あるいは、ジェラルド・リヴァートがジワジワと日本で評価されて来た時期、いくつか彼の記事を担当させていただいたこともありました。マーヴィン・ゲイのカバー・アルバムでの“Let's Get It On”は、流石だったなぁ。別企画でのBoyz2Menによるカバーとは雲泥の差だったもんなぁ。 とまぁ、どちらも純粋な死亡記事としては今更な話題なのですが、あまりに想い出の深いお二人だっただけに、なかなかそれについての思いを形にすることが出来ず今日まで至ってしまいました。R&Bへの愛のきっかけをくれたJB、男性シンガー専門の記事を書いていた頃、一つの“巧さの基準”として私のそばにいてくれたジェラルド。お二人のご冥福をお祈りします。(了)