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競馬🏇の予想より楽しい来年11月に4年に一度のアメリカ大統領選挙が行われるがすでに8月末から主要候補のテレビ討論会などが始まり1年以上に渡る長き選挙戦が始まる。第二次世界大戦においてナチスドイツから荒れ地になったヨーロッパを救い太平洋戦線において皇国日本をボコボコにして焼け野原にして以来世界の王様とも言えるアメリカ大統領の地位を争う選挙とはいえ1年を超える選挙は長すぎるのではと思う日本人は私だけではないと思う。まだ「眠たい顔の強欲ジジイ」と「悪徳不動産屋」の戦いとするのは早いがいずれにせよ争点は…銃規制人工妊娠中絶の是非国民皆保険制度(Obama Care)の3点であろう。銃規制に関してはあれだけ殺人事件が起きているにもかかわらず大英帝国からの独立のころの「エゲレスが税金取りに来ただァ~」「オラ、もう払いたくねぇ」「鉄砲もってやっつけるだァ~」「ワシントンとこの息子につづけぇ」などという百姓一揆のような独立戦争時の民兵たちの活躍以来なので難しいそうである。「お父さん、桜の木を切ったのは私です」と正直なのかバカなのかわからない建国の父であるワシントン翁が元であるなら銃規制も難しいのであろう。わが日本では魂である刀を士族から取り上げる刀狩りなることをやっているのだが?妊娠中絶に関してもアメリカの国家の根本にあるキリスト教からくる「人間は神が造るものであるからして 人間の都合で中絶するのは良くない」のだそうだ。それなら避妊も許されないのでは?などというのはヒネクレモノ(京都弁でいうヘンコ)の屁理屈であろうか?国民皆保険制度に関しては世界で最も共産主義に近い自由主義国である日本に生まれ育った私としては何が悪いのか理解できない。Las Vegas で出会った黒舎弟Clarenceの祖母は彼女の生涯で医者にかかったことはなくコロナになっても病院に行くというアイデアさえ浮かばずに亡くなったそうだ。7年ほど前の選挙で面白がって悪徳不動産屋に投票したジジイがその後三か月で白内障の手術をうけ片目で500万両目で1000万円ほどの医療費の請求書を見てから仮定法過去完了のI shouldn’t have voted Trump.などといっても遅いのである。彼は片目のミニオンズになりたかったのであろう。私の予想する展開としては共和党勝利:国民皆保険(Obama Care) 遠のく。石油の値段が下がり戦争が終わる。世界的なインフレに歯止め。民主党勝利:Obama Care 推進ロシア、中国歓喜(環境保全のため石油やレアアースの 掘削を行わないため)バイデン家大儲けこれほど単純ではないが当たらずとも遠からずかなあ?何よりもSleepy Joeが民主党の悪徳不動産屋が共和党の候補者に選ばれるとは決まっていない。倅に大儲けさせている眠たい白髪眉毛のじいさんの汚職が表に出て来るやもしれぬしあきらめと口の悪い不動産屋では勝てないとConservativeは新しい候補者を立てるかもしれない。競馬の予想より楽しい。😜
2023.09.30
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タイ?雑記-2もう一つは大麻である。この国ではもともとハーブとして料理に使われてきたようだし、アメリカにもBuddha Thai又はThai Stickなどの銘柄で供給してきたが、最近合法化されたそうで、街のあらゆるところで売っている。この為観光客の数が増加したというがこの点でもLas Vegasと同じである。私としてはLady Boysと同じくらい全く興味はないが。おそらくご近所さんのPhilippineで死刑になってしまう大麻使用を外貨獲得の手段として考えているのであろう。Thai人独特のたくましさを感じる。20メートルに1件はあるマリファナショップさて私のバンコク滞在記となるのだが、始めの2-3日は様子を見てonlineのレッスンも機嫌よくこなし、さて、このまったりとした楽園をどう楽しむべェと思った矢先に身体に悪寒が。アメリカに連れて行った学生で延べ20-30人は付き添っているが、自分自身生まれて初めて外国で病院の世話になった。三年間かからなかったコロナだそうである。人間関係というのは一生変わらないものなのか高校時代に宿題、課題等で世話になった友人のHに50年ぶりに大変な面倒をかけることになってしまった。おそらく前世では、彼はナイチンゲールで私はイギリス人負傷兵士、前前世では彼は安宅関の弁慶、私は牛若丸 (体型は逆だが)その前は彼がインドにお経をとりに行った偉い坊さんで私は岩の下に閉じ込められた猿だったのであろう。陳謝、多謝、感謝。かくして私はHの切ってくれる南国フルーツの他は美しい女性たちも、もっと美しい女性のような人たちも、大麻も縁なくthe cleanest fat ass having come back from Thailandとなった。ワニの肉はフロリダでも食べたが鶏肉のよう左上の魚醤タイではナンプラーベトナムではニョクマム秋田ではしょっつる数々の串焼き。何の肉かは聞かなかった南国の果実メロンとドラゴンフルーツこの項終了
2023.08.31
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タイ?雑記-1Hangover (二日酔い)なる映画をご存じであろうか。バカな4人組がbachelor party(結婚前夜に独身最後の夜を祝うparty)をLas Vegasで行い、ご想像のとおりパトカーを盗んだり、ベッドをホテルの屋上から投げたり、マイク タイソンのペットの虎を盗んだりとWhat happened in Las Vegas stays in Las Vegas.を文字通りやってしまうcomedyなのだが、Las Vegas 好きの私にとってはお気に入り🧡の一つである。そのHangoverが かなりの興行収入を上げたらしく、Hangover2も作られた。その舞台がLas VegasからBangkok、Thailandに移して同じ顔ぶれが同じようなbachelor partyを行うのである。そうなるとLas Vegas 好きでHangoverのファンである私は「そいつは行かずばなるめェ」となり、ここバンコクに来ている。本当の理由は高校時代にいろいろと世話になった友人Hが、ちゃんとW大学を卒業して、ちゃんと業界二番目の大手広告代理店H堂に就職、その会社をちゃんと勤め上げる間にバンコクに4年ほど駐在したので連れて来てもらったのである。私の周りにはこのちゃんとした奴らが少ないのだが何故であろう❓さてこの世界三大Crazy Townsであるバンコクであるが (Las Vegas, Amsterdam, Bangkok, あくまで私の独断である)その名に恥じずCrazy。まずはその女性の美しさ。見ているだけでこちらの顔が赤くなるほどで、その上素晴らしい笑顔を惜しみなく見せてくれる。おまけにこの町はベトナム戦争中、米軍の保養地として発展しただけあって、歌舞伎町も顔負けのhospitalityを持つ女性たちであふれているのである。更にその美しい女性たちよりもっと美しいLady Boysなる方たちが街中にいて、危ない事極まりない。きれいな女性ともっときれいな女性のような人がいる街私なぞ、滞在期間中Hに「アレ女?アレは?」と聞いてばかりいた。日本のニューハーフのタレント、はるな愛譲がミスコンでグランプリをとったのは何年前であったろうか、とにかく暗いところで見るとわからない。これがSan Franciscoあたりだと足の大きさや骨格でわかるのだが、タイ人は華奢なのでわからない。ある学説では、男性の70%が潜在的なbisexualであると読んだが、日本の戦国武将を見てみると事実かもしれない。私としてはAre you gay?と聞かれるとI don’t know yet. 又はI don’t want to know yet. もしくはI am not done with women yet.と答えてきたし、教え子の男子学生にそう答えるよう指導してきた。齢六十にしてstraight、heterosexual又は、由緒正しいスケベジジイとやっとこさ断言できるようになったが、彼女たち/彼らを前にすると下手に酔っぱらうこともできない。続く
2023.08.28
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マシン? & ミシン?私が❓❔❓❔❓❔と思ったのは学生時代アルバイト先の魚屋で、お得意様の日系一世のおじいちゃんが「マイ ミシーンが壊れたきぃ、 しばらく来れんじゃった」と英語と広島弁の混ざった表現を聞いた時だった。アメリカに移民した日系人のなかでは広島県人が一番多く次いで福岡県、和歌山県と続くが、日系社会の共通語は中国地方のなまりと明治時代の標準語が混ざった言葉で、私にとってはメキシカンが話すスパニッシュなまりの英語より難解であった。「さみしくなりますキィー、 長生きしてツカァサイ」などとおっしゃる。マイ ミシーン ???my machine車かぁ!と解るのに約20秒を要した。それって日本語でマシンでしょ? ミシンは日本語では??? はて?sewing machine のことで日本語で「縫い合わせ機」なる言葉はなくミシンである。と整理するのに約32秒を要した。プラトン、ソクラテス、孔子などの哲学者ではなく、シェークスピアや森鷗外でもない私が三球・照代のように一晩眠れなくなったのは言うまでもない。広辞苑で調べるとミシン: 織物、紙、革などを縫い合わせる機械マシン: ①機械 ②(レース用の)オートバイや自動車とあり、どちらもmachineと英語表示がある。ミシンは、二百年にわたる日本の鎖国を、右手にピストルを持ちその玄関ドアを蹴け破るようにして「お友達になりましょ」と脅しにきた憎っくきペリー提督が、鞭の代わりに黒船、飴の代わりにミシンをと、徳川十三代将軍家定に献上したのが始まりで、それを使ったのがその奥方の篤姫であったそうだ。どうも私は鯨の話になると冷静さを欠いてしまう。ペリーの開国を迫ってきた理由が、捕鯨のために(鯨を殺して肉は捨てその油をとるために)補給基地がほしかった、と知る日本人は少ないがアメリカ人は皆無にちかい。この史実をグリーンピースやシーシェパードの野蛮人どもは知っているのだろうか?いや知っていたのだろうか?(捕鯨反対運動は現在では 金にならないのでやめてしまったようだ) アメリカの正義はいつも自分に都合がいい。私の第二の母国ではあるが。それにしても鯨の刺身は美味い。おそらく、ペリーはThis is a sewing MACHINE.といい、それを聞いた幕府の役人がその発音を聞き「ミシン」と書き留めたのであろう。一方で日本に紹介された自動車だが諸説紛々であり、どうやらアメリカかららしい。おそらく、This is an automobile. This is a MACHINE.といわれ、そのスペルを読み「ああ、マシンね!」となったのであろう。もう一つはアイアンとアイロンである。これも広辞苑で引くとアイアン:(鉄の意)ゴルフで用いる、頭部がやや扁平な金属製のクラブアイロン: 衣服のしわをのばし、形を整える器具とある。アイアンは1901年、神戸の六甲山に4ホールのゴルフ場がイギリス人により造られ、その時の女中または下男であろうキャディに、Give me 4 iron.というと、「ホー? ああ、四ね! 四の木じゃなくて鉄の方ね。 はいよ、ホーアイアン 」となったと想像しよう。これに対してアイロンはスペルを読むときに「I アイ、RON ロン アイロンね!」あくまで私の想像だが、当たらずとも遠からずであろう。この項終了
2023.08.01
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難民の友へのレクイエム2ラファエロとの夕日の中での奇妙な酒盛りは、私の勉強の許す限り続き、いつしか冬になっていて、酒盛りもダイニングのピクニックテーブルに移り、飲み物も冷たいビールから安物のwhiskeyにかわっていた。安物のバーボンは、次の日の頭痛さえ我慢すればビールより安価で酔えて、いつまでたっても最低賃金で働く非合法労働者の貧乏留学生である私と、アメリカ在住の資格さえはっきりしない難民のラファエロにとってありがたかった。ただし、私は大学の合間に週に20時間ほどしか働けないのに、ラファエロは週にフルの40時間稼いでいるので、海老の日の彼は30尾、私は彼にほどこされる3・4尾であった。彼は私の倍の収入があったのだ。それでも「コノヤロ、もう三匹よこせよ!」などとは決して思わなかった。ラファエロが教えてくれたサバイバル技術のなかにSafeway Divingというのがあった。後に知ったのだが、全国的にはDumpster Divingと言うそうで、Californiaでは一番大きなチェーン店のSafeway Divingと言っていた。何のことはない、大型スーパーマーケットの裏にある、人が住めるほどのゴミ箱に飛び込み、賞味期限の切れた食品をバックパックや服の間に詰め込み上ってくるのである。これは(誇りを捨て)運が良ければ、かなりの上物の食料が手に入り、ラファエロとの酒盛りのピクニックテーブルを賑わせた。もう一つ(誇りを捨てれば)ありがたかったのは、Re-Rolled Cigaretteである。Californiaというのは不思議な国で、紙巻き器やタバコ用の紙はコンビニで売っているのだが、タバコは置いていない。Marijuanaのジョイント用においてあるのだが(何しろ警察官も吸うのである)、私はその安価な紙をあがない、大学のカフェテリアの灰皿で集めてきた煙草の吸殻をほどき、巻いて吸うのである。「一生こんなことはやってないだろうし、 何事も経験」と自分を納得させて吸っていたが、色んなたばこの味がして旨かった。この二つの話は、苦労話ではなく自慢話として一生語っていくつもりである。できればあの生活には戻りたくないが。ラファエロに、日本に行くのにパスポートが必要だと教えてから数週間後、家に戻ると階下の大家さん一家が何やら深刻な顔で話し合っている。この大家さん一家も複雑で、「ジェイク」というドイツ移民の老人と「孫娘」、その孫娘がどこかでこしらえてきた黒人とのハーフの「5歳児」、その孫娘を新たにコマしたラファエロと同国の「難民仲間」の「4人家族」である。2階にラファエロがいないので胸騒ぎがしてジェイクにたずねると、ラファエロが家の前の道路で車に飛び込んで自殺したとのこと。前の晩にウイスキーをしこたま吞んでいたが、私もしたたか酔っていたので、いつものことと思っていたが、彼は朝仕事に行かずもっと飲み、ありったけのクサを吸い、大盤振る舞いのコケインまでキメて天国へと旅立ったそうである。車は時速100キロを超えていたので、痛さも感じずに即死したのであろう。私のショックは大きく、行先も無いのにその家を飛び出て数日は車の中で寝た。後で聞けば、件の同国人がグリーンカードを手に入れたそうで、自分は国籍さえも持たずに先行きの見えない人生に絶望したのであろう。「なんで俺に 相談してくれなかったんだ?」などと言うほど安い関係ではなかった。どうしようもない状況だったのだろう。冥福を祈るしかない。家族の話をする時にシスターと言っていたが、あれは孤児院の修道女のことだったのかと、後にブルースブラザーズを見てわかったが泣けてきた。その後、大学を卒業した私は母との約束を律儀に守り、帰りたくない日本に帰り、母校の専門学校で教鞭を執り、学生たちを連れて大学の街に帰るようになった。その研修旅行で大学の寮に泊まるのだが、毎晩忙しいのと酔っぱらうのとでベッドに横になると一秒で眠りに落ちるのだが、悲しいことに霊感が強い。毎晩、足元に誰かが来るのである。何故かラファエロであることが分かり、不思議なことに怖くない。“Hey Buddy, I am mighty tired. Why don’t you come back in the morning?”などと幽霊相手にバカなことを言ってしまっていた。朝になると怖くなり、町の無縁仏の墓に6packのビールを供えに行くと来なくなる。死んだらあいつにも会えるのかなぁと思う63歳である。この項終了6/27/2023 10:07
2023.06.28
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難民の友へのレクイエム1久しぶり彼の夢を見た。その男の名はラファエロといった。彼と出会ったのは1985年頃、私はカリフォルニアの貧乏留学生で「宿無し」であった。それまで2年間一緒に暮らしていたルームメイトは、体重130㎏、FMラジオのDJ、バイセクシュアル(知らなかったが)。このルームメイトに告白され、こめかみから斜めに殴り倒し、アパートを飛び出していた。貞操を守るためとはいえ、寝床の定まらない生活は辛く、やっとのことで探し当てたのが、街からかなり離れた果樹園の中に立つ農家の建物。今風にいうと二世帯住宅であったのであろう、二階が日本でいう2LDKのアパート形式でkitchenとdining room, bathroomをシェアする新しいルームメイトが彼であった。夏の3~4ヶ月は平均気温が40℃を超える地方でエアコンのない部屋。夜は金髪の美女ではなくコーラの大瓶を冷やして抱いて寝るという生活になった。さてこのエルサルバドル出身のラファエロ君、私が起きるとすでにシャワーを浴びながらピンクフロイドを聞いて“we don’t need no education, ウー!” などと唸っている。毎朝便意と闘いながら彼のシャワーが終わるのを祈るように待っていたものだから、いまだにピンクフロイドを聞くとトイレに駆け込む条件反射がとれない。ラファエロ君は、私と同じくbeer drinkerでピンクフロイドを愛するpot head。言語は彼の拙い英語と私の怪しいスペイン語を駆使して、きれいな夕日と広い墓地が見えるガレージの屋上で飲んだり、石になったりしていた。当時25歳と同い年であったことと、社会の底辺にいたことから非常に仲が良かったが、初めのころの彼との会話は難しく、visaの話でHow did you come to the States?と聞くと、On footと答えるし、How long have you been here?と聞くと、2,4years と答える。よくよく話してみると、彼はエルサルバドルの内戦から逃げてきて難民でキャンプに2年間いたらしい。家族はsisterがいると言うが、どうやら孤児らしく修道院のシスターのことらしい。アメリカまで歩いて来る途中、グアテマラを通るときに空腹のために行き倒れになるところを、グアテマラのおばさんが助けてくれたとのこと。「行き倒れ」とか「野垂れ死に」という言葉は日本の時代劇に出てくる言葉だと思っていたが、生まれて初めてそれを経験した人間にあったし、その言葉をテレビからではなく、初めて自分の頭の中で思った。なにしろ、拙い英語と怪しいスペイン語の会話である。この内戦というのをWikipediaで調べてみると、1969年のホンジュラスとのサッカーワールドカップの判定を背景にしたサッカー戦争以降、国内で右翼左翼を問わずゲリラ戦が始まったという、われわれ日本人には理解しがたい、いかにも中南米というものらしい。村と村が我田引水のために始まったFootballの原型が想像される。(どうも彼との会話を書くと言語のせいで「らしい」が多い)非常に気のいい男で、一週間に一度の給料日にはエビを何十尾も買ってきて塩ゆでにして、私に三つくらいくれた。貧乏な留学生時代には、たくさんの人たちにお世話になったが、このエビが一番美味しく、食べ終わった後に、まだいっぱい残っているその赤い甲殻類を、彼が一人で食べるのを見ながら「コノヤロ もっと寄こせよ」などとは決して思わなかった。ある日、ラファエロが「New Londonに行こう」と、連夜の勉強で疲れて寝ている私を起こしに来た。抱いている、ぬるくなったコーラの大瓶で殴ってやろうとしたが思いとどまり、“What? Que paso? なんだバカヤロ”と三か国語で尋ねると、「南に10マイルほどいったところで KUSAが安く買えるから運転してくれ」とのこと。まったく、全然、少しも興味がないが、これも何かの経験と、当時はやりのリーボックのハイカットスニーカーを履き、出かけることに。果樹園の中を10分ほど走ると畑の真ん中に100軒ほどの集落にたどり着く。町の名前はNew Londonだが、住民は一人として英語をしゃべらず。一軒の家を訪れ、中に案内されると、いきなり夫婦の寝室へと招かれる。おばちゃんがクロゼットから風呂敷包み(?)を出してきて、開けると中に1辺50㎝四方のアサクサノリを厚くしたような束が10枚ほど出てきた。ラファエロが ‟Deme Una Onza、Porfabol” と妙に丁寧に注文すると、おばちゃんは束をバリバリっとやぶき、やおらプラスチックの袋に詰め、天秤のハカリにぶら下げて見せてくれる。驚いたことに1オンスピッタリ。それに「日本の立ち飲み屋の コップ酒の受け皿にこぼしてくれる」ような、オマケを入れてくれて取引成立。値段は住んでいる町のretail price の50%。利益率100%の「drug dealer になれる」とも、その上の「distributerにだってなれる」などとはコレッポッチも思わなかった。この頃のアメリカのドラッグ市場では、コロンビアの麻薬組織のトップが、日本の西武グループの堤義明氏に次ぐ世界の長者番付に載るほどであった。このNew Londonは、現在幅を利かせているメキシコのカルテルの中継地点だったのではなかったかと思う。事実、私が帰国後直ぐに警察の手入れが入り、SWAT Teamとヘリコプターが出張り、小さな集落からコカインの精製工場が三軒出てきたとのことだ。あの太った気のいいメキシカンのおばちゃんは、刑務所に入れられたのだろうか? それとも強制送還で国に返されたのであろうか? どちらにしても、手に入れた財産はすべて失ったかと考えると、気の毒に思う。現在のアメリカは大麻がほとんどの州で合法化されているので、カルテルなどは私の知らない新しいドラッグの開発、販売にしのぎを削っているのであろう。どうやら不動産、麻薬の売買、それに売春はどこの国でもお金になるらしい。(命と懲役の危険は避けられないが)ラファエロの肌だが、中南米人にしてもかなり黒い方で、その容姿はMichael Jacksonにそっくりで、ハロウィンの時に赤のジャンプスーツを着たらMichael本人と見間違えられるほどであった。どこかのそっくりさん大会に出たら優勝間違いなかったであろう。本人も意識していたらしく、ある時いつものように夕方ガレージの上で墓地に沈む夕日を見ながらビールを飲んでいると「俺が日本に行ったら Michel Jacksonのそっくりさんで 稼げるかなあ?」と訊いてきた。私も調子に乗って「もちろんだよ。 大金持ちになれるよ。 メキシコ湾のエビじゃなくて 日本のものスゲエ美味いロブスター 喰い放題だぜ! 俺がマネージャーやってやるよ。」と答え、二人でしばしハシャイデいたが、ふと彼が難民であることを思い出し「ラファエロ、 パスポートがないと 日本には入国できないよ。」と厳しい現実を伝えなければならなかった。辺りはかなり暗くなっており、何百もの墓石たちもラファエロの顔同様に、ちびまる子ちゃんの友蔵のようなスダレがかかっていた。彼は自分を取り巻く不自由や理不尽を、また一つ噛み締めていたのであろう。近年、アメリカのヘンテコな選挙制度のおかげで、間違って大統領になってしまった大金持ちの不動産屋のオヤジが、難民の侵入を防ぐためにメキシコとの国境に壁をつくるのつくらないのと騒いでいたが、ラファエロはあのアメリカへと向かう行列の人々と同じように、40年近くも前にエルサルバドル→グアテマラ→メキシコと歩いてきたのだった。パスポートはおろか国籍も、孤児院で育ったらしいので下手をすると籍そのものが無かったのかもしれない。この項続く6/27/2023 10:00
2023.06.27
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Liberal と Conservativeアメリカ人の友人とJack Daniel をしこたま呑んだ。年収2000万円を超えるエリートサラリーマンであった彼は当然のことながらRepublican(共和党支持者)でありConservative(保守)である。アメリカの二大政党の一方はDemocratic(民主党)でありLiberal(進歩)とおおざっぱに考えていい。その彼が現在、世界中に悪影響を及ぼしているロシアのウクライナへの侵略戦争の終わらせ方を教えてくれた。それはアメリカが朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争で行ってきたIPA(International Police Action)という名の軍事介入ではなく、ウクライナへの軍事協力でもない。自国での石油をもっと掘って現在、高値の原油の値段を下げればロシアの資金源を止め、すなわち兵糧攻めとなり、プーチンは戦争から手を引かざるをえなくなるという極めて簡単で平和的な方法である。箇条書きにしよう。1. 世界有数の石油埋蔵国のアメリカが 自国で石油を掘り世界市場に供給する。2. 石油の値段が下がる。3. ロシアの資金源が下がり、軍事資金に行き詰まる。4. プーチンが諦める。こう書くと、「なぜ自国の石油を掘らないの?」となるのだが、ここでDemocraticの大統領Sleepy Joe ことバイデン大統領登場。Liberalの掲げる環境問題が石油の掘削を止めて石油の値段を上げているのである。言い方が少々短絡的だがマッチポンプである。同じ図式が携帯電話の電池の元であるレアアースにも当てはまり、日本の近所の国の軍事資金を助けている。話の流れでは地球の環境問題が世界平和を脅かしている。うーん、政治は難しい。ただ政治の話をしていると、自分が世界の指導者になったようで気持ちがいい。政治評論家の気持ちが少し分かるが、気をつけないと彼らの仲間入りをしてしまいそうである。死んだ親父の遺言で、それだけは避けなければならない。政治に手を染めるくらいなら、博打と女で身を持ち崩したほうがいくらかましである。ほんの一握りの偉い政治家や政治評論家はいるのだが、私がそのうちの一人になる自信はない。逆にその他大勢のろくでなしの政治家になる素質は、生来のハッタリ、大風呂敷、大袈裟、法螺吹きなど多分にあると思う。クワバラクワバラ、カシコミカシコミ、ナンマイダー。Knock on Wood.私の飲み友達との会話に戻るが、トランプが再選していればロシアの侵略はおきていないそうである。悪いのはトランプの口であり、または品性の無さであり、トランプの政治は悪くないのだそうだ。彼の口の悪さは、彼の成功したNew Yorkの不動産業界に蔓延るNew York Jewからきているそうである。バイデンに投票した人たちのほとんどはバイデンを選んだのではなく、トランプが嫌いだったのである。となるとトランプを大統領候補にたてた共和党の失敗である。かの英国が生んだJohn Bullの典型のようなチャーチルが 二十歳の時に Liberalでないのなら情熱が足りないが、 年を取ってConservativeでないものは 思慮が足りないと言ったそうだが、どちらも行き過ぎは極右、極左や原理主義のように行き過ぎはよろしくないのであろう。ただ、このRepublican vs Democratic, Conservative vs Liberal という考え方はアメリカという国を見るときに、私の好きなCivilization(文明)vs Culture(文化)と共に理解しやすい光をあててくれる。この項終了。4/30/2023 17:00
2023.05.01
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アラスカ奇談3それでもアラスカ州のセワードという港に上陸する前には、初めての外地入港の儀式ということで-40℃の中、真っ裸にOchinChinに藁を正月のしめ縄のように飾り、高校生以来の宴会芸であったYoka Chin Chinを踊ると、船中の人間が甲板に出てきて祝ってくれただけでなく、終了後寒さで真っ赤になった身体を、船長が流してくれた。かなり誇らしく、船乗りの仲間入りができたようで嬉しかった。人はしばらくの間、-40℃ということについて私の話を聞かなければならない。昔なにかのCMで「氷ったバナナで釘が打てる」とあったが噓ではない。寒いのを通り越して痛い。外で立小便ををすると、おしっこが凍った地面からOchiochinまで放物線状に凍るために、後ずさりしながら用を足さなければならない。これは噓である。酔っ払って自室の丸窓からゲロを吐こうとすると、海面が近くなっている。船が沈みかけているのではないかと心配していると、マストのワイアーロープが凍って直径40センチを超えているし、甲板にも厚い氷が張っていて船の喫水線が上がってきているのである。甲板長に大丈夫なのかと尋ねると少しも慌てずに「少し南に降りて氷を割るか」とのたまう。船中の人間が長靴の上から荒縄を縛り付け滑り止めにして、カケヤや大ハンマーで氷を割り海中へと捨てるのである。「通訳!落っこちたら3秒で終わりだぞ」と脅されながらも、ここで少しでも役に立たないと本当に海に放り投げられると思い、死ぬ気で手伝った。二度ほど凍った甲板の上で転び、2-3メートルスライドした時は覚悟を決めた。陸(船乗りはこれをオカという)に上がるとその寒さはより厳しく感じ、セワードの港から街まで歩いたが、行きは追い風で凍った地面を風に寄っかかり歩かなくてよかったが、帰りは向かい風で行きの5倍ほどの時間がかかった。気がつくと眉毛が真っ白に凍っているし、何やら尻がチクチクとかゆいと思うとケツ毛が凍っているのである。監督官と共にアンカレッジというアラスカ州で一番大きな都市に、セスナに乗って行った。領事館に挨拶するという名目だが、ただの観光である。ここでの緑色の公用パスポートの威力は絶大で、バーからレストラン、果てはストリップまで、すべて日本国外務省領事館のツケである。このアンカレッジには二泊したが、一泊は現地の領事館員と水産関係の駐在員との麻雀に付き合わされたが、ここでも早稲田、高田馬場できたえた腕でかなりの額のお小遣いをいただいた。のちの留学時代にも役に立った、高校時代の修行のたまものである。この家でご馳走になったカリブーとムースの肉は、驚くほどに美味かった。この街を歩いていると(あまりに寒く、人はほとんど歩いていないが)街角で、朝の10時に低く顔を出し昼2時には沈んでしまう太陽☀で、日光浴をしているおじいさんに出会う。しばしの睨み合いの間、どこかで会った顔と思いきや、私が3歳のときに死んだ父方の祖父とそっくりそのままの顔である。昔付き合った彼女にそっくりのナバホインディアンの娘にあったこともあるが、やはりイヌイット(エスキモーといった方が通りがいいが差別用語だそうだ)やインディアンは、氷河期にアリューシャン列島を渡ってきた紛うことない モンゴロイド(黄色人種)なのだ。お日様が一日4時間しか出ていない冬に、夏は白夜になるアラスカ州は、全米でレイプ率が一番だそうで、ビル内のトイレの入り口にはすべてデジタルのロックがついていた。やはり一日がハッキリしないと人間は狂うものらしい。かなり最近まで、近親 相姦を避けるための“女房貸し”の風習があったのも、何か関係があるのかと考えこんでしまった。やはり船中で一月以上女性を見ていない、22歳の健康なスケベである。アラスカ上陸を終えて再びベーリング海での監督業務に戻るが、相変わらず通訳官としての仕事はなく、飲んだくれの日々である。船の連中は鮮魚に飢えてきており、‘操業’と称して船尾より釣り糸をたらしオヒョウという、平目のお化けのような魚を狙うものの、ベーリング海の流れは速く糸が流されてしまい坊主の毎日。そこで通訳に特殊任務発令。ベーリング海ではThe Most Deadly Job(最も危険な仕事)と呼ばれる、タラバカニ漁を行っているアメリカの命知らずの漁師たちがいる。彼らの船と無線で連絡を取り、日本が世界に誇るスコッチウイスキー、サントリーオールドとタラバ蟹を、海上で物々交換するというくわだてである。あまり英語力は高くはないが交渉力は自慢できる通訳官は、持ち前の人懐っこさを駆使して商談?成立。大揺れに揺れるベーリング海上での密輸物々交換を行い、見事大成功。その晩は降ってわいたカニパーティーとなった。見て見ぬふりを強要された農林水産省の役人である監督官も、タラバの刺身、みそ汁などに舌鼓、娯楽の少ない船中全員でのバカ騒ぎとなった。子供の頃より、あらゆるバカ騒ぎを楽しんでしまう私は、高校時代からの伝統のマンボ節なぞ披露し大うけであった。三月中旬、すべての業務を終えた第二十七興南丸は、ベーリング海を後に南下。予定の函館入港と思いきや、予定より一日速くついたようで、函館沖でその夜景を海から眺めてオアズケをくらった犬のように、美しき日本女性なぞ思い描き錨泊。船の連中と最後の宴を楽しむ。上陸後、再び揺れない地面に戸惑いながら、一等航海士が買ってくれたイカの刺身で昼酒。甲板長の「通訳!女 買いに行くぞ‼」オッペさんの「塩釜まで娘に会いに行こう!」の誘いをありがたくもお断りして、飛行機で一人羽田へと向かう。自宅に帰り、手にした百万円を両親に見せ、死んだ父方の祖父母の仏壇にお供え。生きている母方の祖父母に見せるために京都に帰り、おばあちゃんに泣かれ、おじいちゃんに「頼むからもう行かんといてくれ。 アメリカでもどこでも行ってかめへんし。」と百万円をせしめ、留学の初期費用を手にした。我ながらひどい孫である。この項終了。4/30/2023 10:00
2023.04.30
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アラスカ奇談2航海中に何か面白いものがあると、ワッチの航海士や甲板員の人たちが「おい、通訳!」と声をかけてくれて(初めのうちは通訳さんだったのが、 いつの間にか通訳と呼び捨てになっていた)ナガスクジラの夫婦、ラッコのハーレム、オーロラなど陸の上では見れないものをたくさん見ることができた。人はここで私がオーロラの美しさなどを語ると思われるだろうが、一番感心したのはラッコの雄で、何匹もの雌を連れているのはもちろん、ウニやアワビなどを尿酸値の心配なく食べていることが羨ましく、来世ではラッコに生まれてくることを誓った。シャチは怖いけれど。第二十七興南丸は日水の捕鯨船団のキャッチャーボートであるが、おりからのジャパンバッシングにより商業捕鯨ができなくなったマルハ、ニッスイ、極洋の三社の捕鯨部門を水産庁の音頭で『共同捕鯨』という会社を作り、調査捕鯨とともに、余った船舶を政府の監督船などに使うようになったものである。捕鯨についてはかなり言いたいことがある私ではあるが、ここでは感情が出すぎてしまいそうなので取るに足らない理由だけ書こう。私は小中学校の給食で鯨のかりん揚げが大好物だったし、年に一度南氷洋から叔父が持ち帰る鯨の尾肉の刺身(その霜降りの肉は融点が高く 舌の上でマグロのトロのように 溶けるのである)に舌鼓を打ったものだった。クジラベーコンも好きだし、おでん種ではコロまたはサエズリが牛すじと同じくらい好きだ。我ら日本の食文化は破壊された。祝 IWC脱退 & 商業捕鯨再開。気を落ち着けて、そんな訳で第二十七興南丸は甲板員、機関員、通信員、賄い方(実は食べ物を握っているので船長より偉い)と、銛がないので必要のなくなった砲手(テッポウさんと呼ばれ キャッチャーボートでは船長より偉い)の部屋に水産庁の監督官、鯨を探さないので用無しになった鯨探長の部屋に通訳官の私という、18名の鯨取りと2名の役立たずの20名が乗っていた。茨城の那珂湊出身の一等機関士(彼をファッセンジャーと呼んだ、 おそらくファーストエンジニアの略、 もちろん本人は知らないが)なんぞは、ガキの私が個室にいるのがムカつくらしく、たまに私に「鯨探長は毎日風呂に入るのか?」と聞いてきた。きっと鯨探長の立場は、普段から弱いのだろうなぁと思った。船酔いの話に戻るが、私が全くもって平気だった分、水産庁のお役人は二週間ほど食事が摂れず、部屋から一歩も出てこなかった。咸臨丸でサンフランシスコに行った時の勝海舟もかくや…と思うほど、やつれて気の毒なほどであった。もう一人ナンバンと呼ばれるセカンドエンジニアも、普段は大きな母船に乗っているとのことで、やはりやられていた。私に対する敬意は「馬鹿かお前は」という悪意に変わり、一部乗組員の中に漂っていたようだ。この項続く。4/23/2023 10:00
2023.04.23
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アラスカ奇談1フロリダの友人から便りがあった。夫婦でアラスカにオーロラを見に行くそうだ。アメリカの最南端のフロリダから、最北端のアラスカで真冬にオーロラとは。彼女はアメリカ人には稀な細身の女性で、フロリダでも温度が20℃を下回ると震えているような女である。大丈夫かいな?と心配していたのと同時に、その便りが私を1983年の冬へと引き戻してくれた。1983年1月、当時22歳、東京英語専門学校2年生の私は3月に卒業を控えているのに、何故か本来ならクジラを捕るためのキャッチャーボートに乗って、横須賀の田浦を出港し、東京湾を出た犬吠埼沖あたりで、船酔いの恐怖と戦っていた。農林水産省水産庁遠洋課の依頼で、ベーリング海のタラ漁をしている日本船の監督船の通訳官として、主な仕事はアメリカの沿岸警備隊との通訳であった。こう書くといかにも立派な仕事に聞こえるが、当時中央区にある唯一の英語専門学校であるTESに、全く英語のできない水産庁の役人が、船にもう一人乗せる余裕があるのでとりあえず通訳を…ということで依頼してきたところ、当時血気盛ん、何でもやってみたいという、英検2級の二次試験で試験官に悪態をついて落っことされた程度の英語力の私が、手を挙げたというわけである。それにしてもギャラは二ヶ月ちょっとで100万円ちかく。用意されたパスポートは緑色の「公用」と書かれた、外交官が持つようなものであった。横須賀の田浦から出港にあたり、母は自分の舎弟を連れてくるわ、当時の彼女らしき女性は船室の整理を始めるわ、その女性について何かと知りたがる母を中学以来の友達が引き留めるわ、後に覚えたCHAOSとはこのことであろうという状態で、普段見送りの人などいない船の連中に冷やかされながら、大きな汽笛をならし、おまけに紙テープを見送りの人々に投げ、兎にも角にも我が第二十七興南丸はベーリング海に向けて船出となった。やはり一番心配なのは船酔いであり、周りから散々脅されていた私は文頭にあるように、その恐怖と戦っていた。船が東京湾を出て左に犬吠埼の灯台が見えてきたころには、外海である太平洋の揺れを感じて怪しくなってきた。10日は食事ができぬといわれていたが、ふと「そんじゃあ、10日も呑めねえじゃねえか」と思い、免税で買った缶ビールを二本ほど空けた時には「矢でも鉄砲でも持ってきやがれ‼」となってしまい、結局のところ船酔いはなし、機嫌よく毎日飲んだくれの航海となった。一等航海士が初めのうちは「通訳さん、船に強いねえ」と誉めてくれていたが、私が可愛げもなく平気でいるのと、あまりにも呑むので「通訳は呑兵衛で 三半規管がおかしくなっているから 船酔いしないんだ」と憎々しげに言われるようになってしまった。それでも、船長に「歴代で一番船になじんだ通訳官」と言われたように、乗組員の皆様に可愛がっていただいた。中でもオッペさん(通信士、operatorの略であろうが本人も知らなかった)には、娘婿にならないかと迫られてお断りするのに苦労した。船での生活は快適そのもので、朝遅くに起きだしオッペさんと船倉で体操、そのまま船尾の機関室にアイサツして、一番上の操舵室でボースン(甲板長)にかじ取りなど教わり、昼食。海水の風呂で温まり、デッキに出て体についた水滴が-40℃の中でピシピシと凍っていくのを楽しみ、再度入浴。湯上りのビールを飲み始め、船の皆さんと飲めるように6時間ほど飲み、酔った勢いで、操舵室で仙台の民謡「さんさ時雨」のレッスンを二等航海士から受け、自室の丸窓から顔を出してゲロを吐く。あまりの快適さにもう半年ほど乗っていようかと思うものの、件のオッペさんに「トスィ。陸に上がれなくなるぞ!」と言われなるほどとあきらめる。この二年ほど前に高校の相棒と、浅草山谷日雇い労働者体験合宿をしたときに、やはり帰れなくなることを心配して断念したことを思い出す。船のワッチ(交代勤務時間)は0:00-4:00、4:00-8:00、8:00-12:00と一日二回、4時間ずつとなっていて、私が夜7:00に飲み始め夜中の1:00まで吞んでいると、船中の全員と飲むことができるのである。おかげで船が揺れているのか、自分が揺れているのかわからなくなり船酔いどこ吹く風となる。それでも一人で飲む時間もでき、食堂の長いテーブルにウイスキーのグラスをおいて揺れで流れていくグラスを少しも慌てず、揺り返しで戻ってくるそれを余裕の片手で捕まえて、グビリと一口飲んでいると「俺って船乗りだぜ」と思うものの調子に乗って酔っ払い、自室の丸窓からベーリング海のタラ、タラバガニ、オヒョウなどにコマセをまくことになる。船は北海道のはるか北のカムチャッカ半島からアラスカまで連なるアリューシャン列島のさらなる北のベーリング海を舞台に、監督船としての警備をするのだが、実際に私の航海の二ヶ月の間に一度だけ日本の船がアメリカの沿岸警備隊に違法操業で捕まったものの、我が第二十七興南丸からは三日ほどの距離で現場まで行くことはかなわず、無線で日本船と水産庁の監督官が話し、通訳官の私はやはり無線で沿岸警備隊と罰金額などの確認を取っただけであった。“Aha, Over.” “Aha, Over.” “That’s right. Over” “OK. I am out.”二か月間の通訳官の仕事のすべてである。これで衣食住つきで100万円とは、私の今までの人生で最も効率の良いGigであった。この項続く。4/16/2023 10:00
2023.04.16
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9.College Town 10/28 (Fri)この5日間、Vegasのホテルを泊まり歩くが、やはりこの年でキッチンのないホテル暮らしは健康にも体重にもよくない。帰ったら主治医の先生とパーソナルトレーナーに怒られそうだ。週末はどのホテルも高い。週中なら$30-50で泊まれるホテルも$300以上する。あれこれ悩んだ末に、コペルニクス的転回で、「そうだ。Hometownに帰ろう!」となり、学生時代にお世話になったおじちゃんやおばちゃんに、挨拶または線香を手向けに、一路California州のFresnoとReedleyに約600km、6時間のドライブとなった。途中、事故渋滞にあったり事故渋滞の原因になりそうだったりで、結局のところ7時間半かかった。まずはリードレーの入り口にある、学生時代に一番長く住んだShoe Box(靴箱)に立ち寄る。この小屋の敷地は、元はガソリンスタンドで母屋に大家さん一家が住み、スタンドボーイズの休息所に使われていた小屋をリフォームしてアパートにしたものであり、現在は大家さんの末娘が美容院を営んでいる。当時月に$150という、タダのような値段で住ませてもらっていた。母屋の裏にはKidoとRustyというセントバーナードの犬がいて、よく酒盛りをして三人(正しくは二匹と一人)で犬小屋で寝込み、大家さんの奥さんを驚かせたものだった。その晩はアルバイト先の魚屋のオーナーの家に泊めてもらい、貧乏学生時代と同じようにご馳走になり、いかに貧乏だったかを思い出した。この家の奥さんから、昔のルームメイトだったCarlが病気で入院していることを聞き、見舞いに行く。当時体重130キロのデブが相も変わらずのデブで、何の病気だか聞くのは忘れたが太りすぎであろう。こいつはBisexualで、昔告白されたので、コメカミから斜めに殴って関係を切って以来だが、いざ死ぬとなると涙が出た。病院を後にして学生時代の舎弟であるBrianの家に行く。Mexicanの嫁を娶り現在は保育所を経営しているが、昔は自動車のメカニックで車のオイル交換をしていたが今はオムツを替えているそうだ。もう少したったら私のオムツも替えてもらうように頼んでおいた。その晩はピカドンおばちゃんの家に泊まる。この日系人の家族にはおよそ全員に世話になった。おばちゃんはアメリカ生まれの帰米二世。(当時の日系一世たちは、 自分の子供をアメリカで教育を受けさせることを嫌い、 日本の親戚の家に預けて教育を受けさせた)広島で被爆してアメリカに戻り、日系人部隊442連隊帰りのおじちゃんと結婚。三男一女を設けた。私はこの家の四男末っ子といっていいいほど、三人のお兄ちゃんとお姉ちゃんに可愛がられて、おじちゃんとはマブダチと言っていいほど仲が良かった。彼とは年が親父よりも離れていたが、Renoなどに二人で博打をしに出かけたり、家で何もせずにテレビを見ているだけで落ち着けた。彼との会話で忘れられないのが「へえ、おじちゃんは“死に部隊”に (442連隊は全アメリカ陸軍の中で最も死亡率が高かった) いたんだ。 何か武勇伝を聞かせてよ。」「違うんだよ。 死ぬのを覚悟で従軍したら、船の中で戦争が終わったんだ。 イタリア女はよかったぞ!」私のマブダチである。今でもその猪首のというかほとんど首のない肩の上に直接乗った、人を幸せにする笑顔は鮮明に瞼に焼き付いている。“Toshi, Italian women were great!” 死んだらまず初めに会いたい一人である。このカリフォルニアのCollege Townはまさに第二の故郷で私の青春が詰まっている。何もないのがいいんだよなぁ。たまには帰るようにしよう。アメリカ西海岸雑記Part3に続く4/2/2023 10:00
2023.04.02
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8.詐欺にあった‼ 10/23 (Sun)Yudaiが、日本の大学生のくせに生意気にも「授業がある」と言って先に帰った。今日から10日ほど借りてあるコンドミニアムで一人の読書三昧、アメリカの食材で料理三昧、飽きたらカジノのQuality Timeである。15:00 チェックインの時間なのでもらっている住所まで行ってみると、アパート風の建物が並んだ正面に事務所風の建物があった。いい感じのコンドミニアムだなと入っていくと、怪訝な表情のおねえちゃんが“How can I help you?” と。“I am staying here for ten days. I would like to check in, please”と私。おねえちゃんが困った表情でいると、もう一人おばちゃんが出てきて“Ernest, right?” と言う。私が “Yes. Owner’s name is Ernest all right.”おばちゃん いわく、そのコンドミニアムではバケーションレントは禁止で、Ernestはとっくに追い出されているとのこと。“I came all the way from Tokyo. What the F… am I supposed to do?” と声を少しだけ荒げると、若いほうのおねえちゃんが“Would you like to have a bottle of water?” と。諦めた。早速、Ervの家に戻り、Vrboというエージェントに電話。さすがにアメリカ人。謝りもせずに、全額返金と二日分のホテル代は出すが、それ以上は知らないとおっしゃる。週の中はラスベガスのホテルに滞在しても、週末は金土と泊まると10万円近く取られるので無理。Erv & Auroraは天使なので、家にいてもいいと言ってくれるものの、彼らの好意を使い果たすのは嫌なので、遠慮することにした。いやあ、さすがアメリカ。何があるかわからない。まあ、太平洋上を240回は飛んでいるし、大概のことには驚かないが、大変なのは事実である。さてどうするか?(9へと続く)3/26/2023 10:00
2023.03.26
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Weed Marijuana Pot Hemp Cannabis そして 大麻あくまで人に聞いた話だが、カリフォルニア州、ネバダ州は大麻が合法だそうだ。ラスベガスの街でもお店が4-5キロに一軒はあるそうでまったくもって興味のない私には、目の前にあっても分からなかった。お店は酒屋さんよりもきれいで安全だそうで、入り口でIDを見せると、それぞれのお客さんに案内の店員が親切な応対をしてくれ、目的(導眠剤代の代わりのIndicaや元気がでるSativaなど)にあった種類を教えてくれるそうだが、私は全く興味がない。アメリカでは初めにコロラド州で合法になり、そのため土地の値段はあがり、雇用は増え、フロリダに別荘を持つ富裕層がコロラド、ネバダ、カリフォルニアに移転してきている。私の知り合いでも、二家族がフロリダを出てコロラド、ネバダに住んでいる。一人はdinnerでワインに$1000-使う78歳の金持ちじいちゃん。もう一人はその20%のtipが手に入るワインのソムリエである。全米のほとんどの州でmedically legal(医療用)で医者の処方箋をもらえば合法に使用できるし、半数近くの州でrecreationally legal(嗜好目的)で合法になってきている。フロリダ州(FL)がmedically legalなのに対しコロラド州(CO),カリフォルニア州(CA),ネバダ州(NV)がmedically legal & recreationally legalちなみに日本はオレンジ色(ものすげー非合法)である日本の大麻禁止法は戦後GHQが持ち込んだ法律で、当時の日本人は「なに? 麻って着るもんじゃなくって吸うもんなのかい?」だったそうだ。よく煙草より害がないと、知ったかぶりの人がのたまうが、比べる対象を間違えていて、塩より、チョコレートより、農薬漬けの野菜より害がないそうだ。今度試してみようとは全く思わないが。 そういえば、フロリダの老人ホームで大麻クラブがあって、じいちゃんばあちゃんが集まって、水パイプでポコポコやっていたのを見たことがある。おそらく、日本は合法化される51番目の州になるのであろう。どうでもよいが。最近タイでも、観光客獲得のためか、はたまたご近所のフィリピンに対する当てつけか、合法化されたようである。日本、欧米のスケベジジイたちは、こぞってタイに行くことになるであろう。大麻を使用しただけで死刑にした、どこかの大統領は、この事実だけでも、法改正を行うのではないだろうか?ちなみに、お店では吸引用の草はもちろん、グミ、チョコレート、ケーキ、クッキー、果ては炭酸飲料にまで形を変えていて、万人が無理なく楽しめるようになっているそうだが私には全然関係ない。合法化すれば、日本人の肝臓の病は減るのではないか?「今日は飲まずに家に帰って嫁さんとIPPATSU!」となり、少子化対策にもなるのではないか?導眠剤や鎮痛剤に頼っている人の健康にはより害が少ないのではないか?私は全く、全然、ちっとも、小指の先ほども興味はないが。この項終了3/19/2023 10:00
2023.03.19
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7.バカ師弟 Las Vegas Crazy Nights10/21 (Fri)~23 (Sun)Erv & AuroraとのGrand Circle Tourを終えて舎弟にVegas Weekendを味わわせてやりたいという親心から大枚をはたいてDowntown Las Vegas に二泊。連夜の暴飲暴食博打三昧となるあまりのバカらしさに詳細は避けるが楽しかったしYudaiも楽しんだようだ。22日の26:00ベッドで目覚めると横でYudaiが「戦イスンデ日ハ暮レテ」の風情というか不様に気絶している。間違いなくケツの毛まで抜かれたようだ。30年ほど前にポケットに25セント硬貨一枚残しGreyhoundに乗りFresnoまで7時間何も食べられず水だけを飲みやっとこさ辿り着いたバスターミナルから友達のJuan Carlosに電話して迎えに来てもらった学生時代の1ページを思い出す。ZamaamiroとKawaisouが入り混じり歳のせいかkawaisouが勝ったのとここで親分としての恩を売っておけばこいつは一生奴隷にできると思い彼の帰国の前に一勝負と頭を蹴飛ばし叩き起こす。空港に行く途中にあえてStripから少し離れたところにあるHooters Casino & Hotelにオッパイねえちゃんの見学と殴り込みを兼ねCrapsで大勝負。SEven, Yoh Eleven, Hard way, High & Lowなどの荒業をキメあっという間に大勝利。オッパイねえちゃんの谷間に$20札をねじ込み勝ち逃げを決めた。「発つデブ後を濁さず」である。Yudaiに$50ほどの小遣いを切り一生の奴隷契約を結ぶ。そして、走馬灯の如く蘇る過去…日本の地元で酒を飲んだ後に実家に親孝行のつもりで帰ったが深夜にもかかわらず起きているオフクロがお茶を入れてくれ何やら紙の束をめくり「これ私の年金」と言いながら数えている。何のパフォーマンスかと思いきや学生時代の仕送りの証明書の束である。「わかったよ。なにがほしいんだよ?」と私。「ベガスに行きたいねん!」と母。以下ダイアログのレッスン風に、私: 行ったらええやん。 どうせ俺が出すんやろ?母: せや(そうや)私: 誰と行くんや? お母さん、英語、ようしゃべらへんやんか。母: お前が連れて行くんや。私: 俺、仕事があるやん。母: ゴールデンウィークに行くんや。私: ゴールデンウィークて、俺、彼女と……母: お前のは子作りと違うて、 遊ばれてるだけじゃ。私: 俺は遊んでほしいのんじゃ。母: 嗚呼、この50万、しんどかったわ~私: わかった。 もうええわ。と親子漫才であった。実際に何度もカリフォルニアネバダまたはフロリダの旅をたかられた。現地で車を運転していると横で「オマエ、 やっぱりアメリカに居たほうが 良かったんちゃうか?」とぬかす。自分の母親を殺すわけにもいかずアメリカに姥捨て山もないので我慢したが殺意だけはわいた。Yudaiよ覚悟しろよ。(続く)3/12/2023 10:00
2023.03.12
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6.日本人がいた! 10/18 (Tue):地球温暖化のせいか、アメリカ国内ではミシシッピ川と並び有名なコロラド川も水が少ない。この川が長い年月をかけてグランドキャニオンをつくり、ラスベガスに生活用水とフーバーダムをつかっての電力を供給していたのだが水不足。道路わきの芝生も人工芝が使ってあり、庭の植木にも水をあげてよい日も週に三日と、いくら砂漠の中の街とはいえ情けない。ミシシッピ川では洪水が起きているようで、サウジアラビアに水を運べるなら、ミシシッピ川から西まで持ってきてしまおうという計画があるそうである。この日に行ったナンチャラというダムも水位が低く底が見えそうで心細い。日本でダムを作るときに沈んだ村があるが、故郷の村が湖底に出てきて里帰りなどという話は面白いが恐ろしい。この日はHorseshoe Bendにも行った。Grand Circle のスタンプラリーのようで、ヒネクレモノまたはヘンコの私は、そろそろツーリストでいることに違和感を感じ機嫌が斜めになってきた。ここで日本人観光客の女の子たちを発見。得意のJAL Pack(日系人を装って日本人観光客をナンパすること)かと思ったが、相棒がアメリカ人でなくYudaiであることと、自分の年齢を思い出し思いとどまる。仕方がないのでYudaiに単騎特攻を命じたところ、駿河台農学校の4年生の卒業旅行だということを聞き出しただけで電話番号はおろか、ベガスでの宿泊先も聞いてこなかったので、後でヤキをいれた。「ナンパするなら最低でも郵便番号くらい聞いてこい! 笑ってもらえたらチャンスが出てくるだろうが!」母校 早稲田実業のありがたい教えである。それにしてもこのドル高の中に日本人観光客を見るとは「コロナもそろそろ終わりかな?」と思った。アメリカではCOVID 19なぞ人々の会話はおろか、数字稼ぎのテレビのニュースの話題にも使われない。ベガスのカジノの中では、ディーラーとウェイトレスはマスク😷をしているが、客は一割以下である。思うにアメリカ人は感染されないために日本人は感染させないためにマスクをするのであろう、というのは噓で、日本人は人の目を気にしてマスクをしているのだろう。かく言う、私自身がそうである。いったいマスコミはいつまでコロナを引っ張るのであろう。我が家では「おかえりなさい」の代わりに「手、洗って!石鹼で‼」が挨拶になって久しい。5回目のワクチン打ってもらいに行ってこようっと。さてこのHorseshoe Bendその名のとおりに馬の蹄鉄のように川が巨岩に沿って曲がっている。Meijiのおねえちゃんは別として、一度は見るべきGrand Circle の一つである。しかしながら眺めているのは5分くらいで充分で、やはりMeijiのおねえちゃん、またはNavajoの一昔前の素朴な美しさを持つ日本人(完全絶滅種)のようなおねえちゃんと、お話しをしていたかった。彼女たちの多くは、日本の沖縄の若者たちのように自分たちのNative Languageを失いつつあり、私が話をした2-3人の若い女性は皆、英語しか話さないと言っていた。かなり寂しいし残念なことである。私の教え子たちには、言語は言語を殺すこと、琉球語、アイヌ語のように日本語に殺されてしまった、または殺されかけている言語があること、それが文化の破壊につながりかねないこと、戦争中日本が朝鮮半島の人々に日本語を強要していて、日本が戦争に負けなければあの美しいハングル語は殺されていたかもしれないこと、それに反してBritainのWales地方のWellisz またはCanadaのQuebec州のFrenchなどのようにしっかりと自分たちの言語を守ろうとしているところがあることなどを語ってきた。(背景はさまざまであるが)Navajo語と言えば、太平洋戦争中にアメリカ軍の暗号として使われていて、それに対して日本軍は薩摩弁を使っていた。いかに薩摩が江戸時代には二重鎖国と言われ、幕府の隠密が薩摩飛脚と呼ばれ誰も帰ってこなかったほど、九州人にとっても理解するのが難しかったとは言え、推測することができる人はいたはずである。ましてや日系二世の暗号解読部隊には、日系人移民の出身県別の割合から考えても福岡出身者は大勢いたであろう。「フトカ オヒトガ クル」という暗号にもなっていない電信文を解読され、あの山本五十六元帥が視察のため乗っていた一式陸攻が、アメリカのLockheed P-38に撃墜され戦死したことは有名である。山本元帥が生きていれば、あの馬鹿げた特攻隊や「一億玉砕」などという考えは出なかったであろう。坂本龍馬と同じく、生きていれば日本の歴史が悪いほうに進むことを止めたであろう二人にうちの一人である。私の妄想は、Navajoのおねえちゃんから龍馬暗殺まで進んでしまうのである。たまさかに何代も前のブロントサウルスだったころを思い出し、草原の向こうにもっと美味い葉っぱがあるのにティラノサウルスに喰われるのが怖くて、こちら側の葉っぱで我慢していたということが浮かんでくる。Navajo語の話に戻るが、Nicolas Cageの出ている映画に“WindTalkers”というまさにNavajoの暗号通信兵の映画がある。言語を学ぶ人には是非とも見てほしい作品である。日本の映画会社も“よかにせどんの暗号”なる映画を作っては如何かと? 幕末の話なら面白そうだが、太平洋戦争中ではまだ傷口が乾いてはおらず、悪い冗談にしかならないか?お許し願いたい。鹿児島出身で、私が人生の師匠の一人と仰ぐ、高校の担任の先生に久々にブン殴られそうである。親分、ご勘弁を。この点でも日米には違いがあると思う。アメリカ映画には自浄作用があり、ベトナム戦争でも湾岸戦争でも反省すべきことはドンドン映画にしてしまうが、それに対して、わが日本の映画会社はおとなしい。私の好きな戦争批判の映画に「私は貝になりたい」(オリジナルは、かのフランキー堺主演、最近ではスマップの中居くんがリ2008年にリメイクしている。どちらも秀作だと思う。)があるが、それとて戦争に対する直接の批判ではなく一人の戦犯の冤罪がテーマである。やはり日本では天皇陛下が国の象徴であり、先の戦争批判をすると天皇批判につながるので慎重になっているのかもしれない。戦争の傷跡が癒えるのに100年かかるというが、ご近所の国が何度も金と謝罪を求めたり、体制側が自分たちへの批判をかわすために、日本批判をしなくなるまであと20-30年はかかるのであろう。おきまりの観光コースを歩くとヒネクレテしまい、名所とはなんの関係もないことへと妄想、思考が飛んでしまうToshiyaである。観光客とみられるのが嫌で、電話にカメラが付くまで写真を撮らなかった偏屈ものである。(続く)2/4/2023 18:00
2023.02.04
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Culture vs Civilization私の座右の銘に「アメリカ素描」という題名の司馬遼太郎著書がある。高校時代の友人が、私がアメリカから帰ったばかりのころ「俺はよくわからないけど、お前なら理解できるだろう」と、くれた文庫本が始まりで、学生たちに与えては買い直し、今ある本は何冊目であろうか、まさにいつでも机の上またはベッドの枕元にある。与謝野鉄幹の歌の文句に友を選ばば書を読みて 六分の侠気 四分の熱とあるが、彼は選んだりしていないが「友」なのであろう。彼がこれを読んだらケッと手鼻でもかむだろうが。ちなみに「手鼻をかむ」ことを英語では Indian Blow というそうだ。まあそんな仲である。さてこの「アメリカ素描」であるが、著者の司馬遼太郎氏が西海岸、東海岸にそれぞれ一回ずつ出向いただけで、私の知っていること、学んだことを見事に解説してくれている。その後の授業で、毎年アメリカを説明するのに使ってきたのがCulture(文化)と Civilization(文明)の違いである。以下は私の理解であるが「文化」とは 納豆「文明」とは 海老天である。❓❔❓❔❓❔とハテナマークが聞こえてきそうだが…「文化」とは、ある特定の人々が、特定の地域の中で慣れ親しんできたもので、その人々にはなくてはならない、必要不可欠なもの。つまり水戸の人にとっての納豆のようなものであり、同時に上方の人にとっては「けったいな腐れ豆」である。それに対して「文明」とは、人である限りほとんどの人が気に入り、親しむ事の出来るもの、普遍性の高いもの。つまり海老天である。(私はユダヤ教の人にとって、エビやカニのような甲殻類が禁忌だと、最近まで知らなかった)他に例を挙げれば、江戸の祭り衣装に欠かせない「股引」が文化。 「Levi’s の501」が文明…と思ってもらえれば解りやすいであろう。神田明神や三社祭の神輿をJeansを穿いて担いだら、江戸っ子たちにボコられるだろうし股引を穿いて、銀座のみゆき通りを歩くのに勇気がいる。それに対して、Jeansは祭りの時以外はたいていの場所で、気楽にしかも小粋に誰でも穿くことができる。日本文化であった寿司又は鮨が、名前をSUSHIに変えてアメリカで文明になったし朝鮮独自の文化であったはずのキムチが、Kimchiとなり多くのスーパーで売っているのが文明化である。つまり、特定の国または地域に生まれて根付いた文化が、移民国家または多民族国家のアメリカに溶け込んだ時に文明に昇華するのである。一方で納豆のように臭いが強く、見た目も微妙なものは文明にはなりにくい。江戸の祭り装束の褌や股引を穿いて、ニューヨークの5番街を歩けば100メートル以内にお巡りさんにマグナムで撃たれるか、騎馬警察の蹄の餌食になるであろう。ここに書いたことは、国際化が進む現代の東京でもいえることで、新大久保の街に行ってみれば感じることができる。この項終了。(続く)1/1/2023 15:00
2023.01.01
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I wish you a very happy new year.よいお年をお迎えください。24 vs 12年の瀬に、漢字を教えてくれた中国人に感謝。上の数字の話である。何のことはない字数の話である。漢字の持つ情報量のおかげで日本語は英語に比べて半分ですむ。漢字の書き取りが苦手でアメリカに逃げ出した私であるが、その美しさと便利さを「歳のせい」ばかりではなく感じる。日本人もこのA happy new year!という言葉を使うが「あけましておめでとう」よりもI wish you a merry Christmas and a happy new year!「よいお年を」の意味で年末にいうことのほうが多いようだ。なぜだろう?と考えてみたら何のことはないアメリカではお正月は元日が祝日でクリスマスからの余韻が終わる日なのに対して、日本では三が日どころか七草粥まで、七日も正月気分なるものを味わっている。その間、子供に会ってお年玉を強奪されぬように、家の中にヤドカリのように閉じこもっているのは楽ではない。そして「謹賀新年」を翻訳してもA happy new yearなのである。話を元に戻すが、この情報量の違いは、日本の小説の文庫本と、英訳のペーパーバックを比べるとよくわかる。手元に夏目漱石の三部作の一つである「こころ」があるが、昔、英文を読む練習のためにペーパーバックを手に入れた。日本語の文庫本と比べて、その大きさと厚さの違いにはあきれるほどだ。つくづく漢字を作った中国人と、それを持ち帰ったであろう遣隋使だか遣唐使に感謝である。(受験の時には呪ったものだが)漱石の翻訳本は、その美しい日本語を見事に美しい英語に訳してありお勧めである。原本を読んでからだと、スラスラと頭に入ってくるので、翻訳をせずに英文を読むトレーニングになる。そのKOKOROのなかにSensei という表現が出てくる。もちろん日本語の「先生」のことだが、英語では訳せない単語の一つだ。teacherではない。masterも違う。trainerではなんのことだかわからなくなってしまうし、professor、instructorも当てはまらない。私自身にも中学、高校の先生を含めて、人生の師匠とよべる「先生」が何人かいるが、英語で表現できる単語を知らない。例えば、高校時代の恩師を、アメリカ人の誰かに紹介するのにmy high school teacherでは、全く足りない。my high school teacher who I still respect では、こそばゆいしwho punched me more than 200 timesでは、とんでもない暴力教師になってしまうしwho I still go out drinking withでも意味は通じない。my high school teacher who I owe a lotって、恩は口では表せないほどあるが、金は借りていない。彼は、私にとって「先生」であり「親分」なのである。他にも海苔はsea weed では足りないし、弁当もlunch box とは違う。rice cakeが餅って、どの外国人が分かるんだって?結局のところ、関係代名詞や過去分詞を使って説明するしかないが、かなり長くなる。専門学校で教えているときに、ビッグコミックオリジナルの「深夜食堂」を、翻訳の授業に使った。コの字カウンターの飲み屋の話で、登場人物の会話が(私にとって)日常会話であり、自然と食べ物の話が出てくる。その時に、副詞-過去分詞、名詞という形が便利であった。deeply-fried shrimpslightly-broiled dried squiddeeply-fried chicken with tartar sauce on it. today’s highly-recommended dishなどである。他にもwell-educated person 高学歴者newly-married couple 新婚さんhelplessly-drunk English teacher ベロベロの英語教師sexually-harassing words unbelievably-boring lesson などと現在分詞も使える。能/受 動態に気を付けて使ってほしい。やはり翻訳には限界があり、結局のところBilingual なだけでなく、Biculturalでなければならないというお話である。この項終了(続く)12/31/2022 15:30
2022.12.31
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5.Grand Canyon is it.10/17 (Mon):MotelのComplementary Continental Breakfastをいただく。英語で書くとタイソウだが、訳すと「無料簡易朝食」Toast, Serial, Bagel, Milk, Orange Juice, Coffeeなどの(アメリカ人にとって)軽い物のほかに、最近ではScrambled Eggs やBacon, Sausageなどの死んだ豚がつくところが多い。私は長年にわたり、このContinental Breakfast のcontinental が一体どこが「大陸」なのに「軽い」の意味合いで使われるのかと疑問に思っていたので「知識の玉手箱、真実を見つけるのは難しいが、人に物知りだと思わせることのできる、いんたーねっと」で調べると、Continentalはヨーロッパ大陸からきているので、そうなると対義語はAmerican Breakfastになる。目から鱗とはこのことで、あのAmerican Breakfast を毎日食べていると、床に落としたボールペンが拾えなくなったり、スーパーで電動カートに乗るようになるのである。この朝も一人のおばちゃんが、ベーコンを13枚、Sausage Linksを12本、Scrambled Eggを山ほど積み上げて食べていたが、座っている椅子は、その偉大なるお尻と背中に食い込んで見えなかった。Grand Canyonへは何回も行っているが、今回はじめてNorth Rimからその偉大なる自然の芸術を眺める。今までSouth Rim に連れて行った人たちに、詫びを入れねばならぬほど素晴らしかった。その美しさと偉大さは、私のつたない文章などで表せないので書かないが、椅子が見えなくなるほどのおばちゃんと同じくらいThis is AMERICA であった。Ervが何を間違ったかSouth RimにHotelを予約しており、車で4時間ほどかかるので、口では優しく、心でののしりながらキャンセルしてもらい、次の町Page, Arizonaへとむかう。谷の向こう側まで車で4時間というのもAmericaの広大さを物語る材料であろう。おばちゃんのお尻と共に。HotelのHouse Keeper と用心棒を務めるという元警官と、部屋の流しの「詰まり」のことで揉め、Hotel内の良さげなMexican Restaurantでの夕食を一人だけ食べそこねる。私はプチ権力を使いたがるバカポリはこの世で7番目くらいに嫌いで、ましてや元警官だということを使えると思っている田舎者には、恐れ入る躾も教育も受けておらず、たかだか流しの「詰まり」で、managerを呼ばせ、ex-copという言葉を使ったことに対する理由を求め、要するに駄々をこねたのである。結果は元警官だという田舎者にI should not have mentioned that.と言わせて収まった。要するに揉めたかったのである。溜飲は下がったが腹も減った。YudaiにTaco Bellのうーばーいーつを依頼。どちらもMexicanという方もいらっしゃるかとは思うが、叙々苑の焼肉とマックのバリューセットくらいの違いがあるのだ。(続く)12/31/2022 15:30
2022.12.31
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最上級/比較級この最上級/比較級に関しては、以前より書こうと思っていた。日本語ではあまり思いつかない、または英語ではまったく違った表現を使うのでいくつか紹介する。まずは翻訳形式であんな人とは絶対に結婚したくない。I never want to marry that person.おそらくこうなるであろう。ところがHe is the last person that I want to marry. とthe last ~ を使う。もっと大げさに言うとHe is the last person in the world that I want to marry. 直訳すると彼は、私が結婚したい地球上最後の人です。世の女性たちにとって、結婚したくない男にはデブ、チビ、馬鹿、ケチ、短足、ハゲ、ブサイク、貧乏、無配慮、不愛想、博打狂い、お喋り、ビビンチョ、噓つき、いらんこと言い、かつら、ビビリ、イチビリ、ゴンタグレ、うんこ漏らし等々私の貧しい語彙ではとても表せないほどあり、自分に当てはめてみれば、軽くハネ満、1万2千点は いってしまうが、そのすべての中で、世界中で一番、うんこ漏らしよりも結婚したくない最後の人となる。まことに強い表現である。そんなこと絶対するなよ。It’s the last thing for you to do.あいつだけは絶対に信用してはだめだ。He is the last person that you should trust.…などと使う。smartは日本語では「瘦せた、垢抜けた」と意味で使うが、英語では「頭がいい」である。※ この「頭がいい」または「馬鹿」にはたくさんの表現があって、それだけでこの項が終わってしまうので、のちの機会に回そう。あの子はあまり頭がよくない。She is not very smart.She is stupid.…が素直な英訳だがShe is not the smartest person in the world.直訳すると彼女は、世界で一番頭がいいわけではない。 →すげえ馬鹿である※ 京都弁の「お茶漬け食べはりますか?=早うお帰りやっしゃ」くらい回りくどいが、かなりきつい。または…She is as smart as a table.物をもって立っていられるが、テーブルのようにじっとしていられないでどこかに行ってしまうので使い物にならない。She is as dumb as a post. ポストのように口を開けているだけこの手の「いてもいなくてもどちらでもいいが、やはりいないほうがいい」という人が周りに一人や二人いるであろう。いない!という人は、天使のような優しい心の持ち主か、テーブルかポスト本人であろう。さて比較級でもうひとレッスン。The ~er, the ~er. The more ~, the more~. 早ければ早いほどよい。The earlier, the better. このまま覚えても使える場面は多々あるがThe ~er S V, the ~er S V. と主語と動詞を付けられようにしたい。The earlier you go, the better seat you will get (at the concert).The harder you study, the better grade you receive (in the test). The older you get, the better woman you hook (on the street). …と願う 62-year-old dirty old manである。この項終了。Vol.11に続く12/23/2022 10:00
2022.12.23
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4.I am from Oklahoma. 10/16 (Sun): Aurora, Erv, Yudai, Toshiya という、平均年齢を出すのも馬鹿らしいヘンテコ4人組でGrand Circleに小旅行に出かける。Breakfast はArizonaに入る前のMesquiteという町のcasinoでbuffet. Sunday Brunchなので少々割高だが私が払う。食べ放題は、根っからの貧乏性で大喰らいの私には、糖尿病、高血圧、高血脂性、高尿酸値、高校素行不良のすべてに良くない。帰って医者に怒られたらYudaiのせいにしよう。女房に怒られたら愛猫🐱にあたろう。Arizonaの一辺をかすりUta州のZion国立公園へ。いつ来ても綺麗で雄大な自然に抱かれる。ここはYosemiteと同じように谷の下から岩山を見上げる。Ervの(実は私の)体力を考えた滝へのtrecking courseを選択。ここで今回最大の笑い話が発生。私が機嫌よく歩いていると、前から来た70歳前後のおばちゃんが私に素敵な笑顔で “Are you from Oklahoma?” といきなり、それこそout of no whereで聞いてきた。“Ah What? Am I from Oklahoma? No. I am from North Korea.” と答えた。おばちゃんは私が怒っていると思ったらしく“OK, I’ll tell you where I am from. Netherland.”Ervは後ろで腹を抱えているし“Do you want to see my neck? Yes, I had a little whiskey last night, but I am definitely not a Red Neck.”と首を見せたら、おばちゃんはオランダ人なのでRed Neck*の意味も分からず、首をすくめて行ってしまった。残されたのは腹を抱えたIdahoジジイと訳の分からない半分タイ人、これもアメリカに来て5-6年のフィリピンババア、それと恐らく歴史上はじめてOkie(オクラホマ人への侮蔑表現、田舎者の意味)に間違えられた日本人62歳である。その後またしばらく歩いていくと石で設えたベンチがあり、Idahoジジイが座ったので、Tokyoジジイも座ろうとしたら、Idahoジジイがふざけて“American Only”と言いTokyoジジイが“I am from Oklahoma”と座ると、それを聞いていたどこかのおばちゃんが、“Well done”と私の肩を叩き、褒めてくれた。おばちゃんはRed Neck がアジア人に意地悪をしたと思い、それにjokeで答えたアジア人を褒めてくれたのである。*red neck: ウイスキーの呑み過ぎと農作業から首が赤くなっている田舎者の蔑称。red は閉鎖的という形容詞にも使われる。That part of the state is red. The people don’t like any outsiders. その晩はKanab, Uta という町のComfort Inn泊。Yudaiのアイデアで、鮭の罐詰と日本から持って行った粉のホンだしと青ネギで混ぜご飯を作り、saladをホテルの部屋でしつらえて、Idaho人とフィリピン人にふるまってやると、老人夫婦は日本の英知と工夫に恐れ入っていた。(続く)12/11/2022 00:16
2022.12.11
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3.Vegasは山に囲まれた盆地だった10/15 (Sat): 早朝よりAuroraの古馬の調教(Ervの強制散歩)に付き合う。Summer time のため暗いうちにuphillを歩き出す。立ち止まり振り返るように言われ首を向けるとLas Vegas 全体の光がみえる絶景。10分後に明るくなってきたのでまた振り返ると今度はピンクの朝焼け。年寄りに付き合うのも、冥土に行く以外は悪くないと思った。新しく入れた人口の膝が痛そうなので、あとでトレッキング用の杖を買ってやったら喜んでいた。「おかげで背中がまっすぐになって歩ける」と毎日使っているようだ。私のことを『ただのいじめっ子』だと思っている奴がいるようだが、いつか豚🐷に食われるであろう。Ervは、Idahoのイモ農場出身で、もしかするとカルビーか湖池屋で、彼の実家が作ったイモのポテトチップスを食べていたかと思っても、歴史など感じないが、彼の作るCountry FryとOver Easy のbreakfastは絶品で、さすがに「Idahoの農場出身は違うな」と、三大哲学者の話より聖人君子の話より感心させられる。彼の作るJack Daniel & Ginger Aleと同じくらい美味い。Ervは79歳。知り合ってから5-6年だが、人生で気の合う友達とはいくつになっても、年が離れていても出会うものだとつくづく思う。が、死なれると苦しい思いをする奴が増えたと思ってしまうのは、やはり62歳という年齢のせいか?クッソー!今のうちにみんなといっぱい遊ぶぞ!昼はカリフォルニア米、Marshall’sなどの Shopping.夕方からZoom のレッスンを行い、その後は私がDead Cowと呼ぶデッカイステーキをご馳走になる。美味い。金持ちが焼いてくれるステーキは旨い。美味しい。戦争に負けるはずだと思うくらい美味しい。JD&Gingerが進む。明日も二日酔いだろう。Yudaiが悪い。(続く)12/07/2022 10:00
2022.12.07
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2.奈良漬10/14 (Fri): 起床と共に奈良漬になっているわが身を呪う。横で平気で寝ているYudaiをもっと呪う。ブードゥー教の呪いの言葉も出ないまま China Town の Pho Kim LongにPho を食べに向かう。ここに来るたびに思うのだが、先のベトナム戦争で負けた奴らがボートピープルとなり、アメリカで成功して金持ちになっているのに対して、勝った奴らの子供たちは、日本で土木作業員の研修生または留学生として出稼ぎに来ている。私が生まれてから起きた歴史がこのような結果を迎えていると思うと、我ながら結構長い間生きてきたのだと感じる。Phoに別皿でついてくる、私は箸が触れただけでその箸を変えなければならないほど辛い、緑色の唐辛子を平気で食べている母親がタイ人のYudaiをまた呪う。それにしてもアメリカのインフレはすさまじいもので、数年前に$10.00程度でたべれたPhoがチップを含めて$20.00程になっていた。現在のドル高もあるが、一杯¥3,000-である。戦争を始めたプーチン日本のゼロ金利この国では何十年ぶりかに暗殺された元首相すだれの法政大学出身の前首相開成から東大を落ちて早稲田を出た現首相前の大統領の不動産屋眠たい顔のジョー武器生産者並びに商人…呪う奴らが多すぎて諦めた。かわいそうだが、すべて目の前のYudaiに当たった。Aurora & Erv の家に向かう。前回も書いたがSarasota, FloridaにHomestayに学生を連れて行っていたときのHost Family の二人だ。Ervは私に「医者が飲むなというのなら医者を取り替えればいいんだ」と教えてくれた歴史上、ソクラテス、孔子とならぶ3大哲学者のひとりである。相変わらず人の好い素晴らしいカップルで、Yudaiもずいぶんと可愛がってもらった。夜中に私が日本とのレッスンを終えた後、二人で盗み酒をしても怒らない大人(中国語の聖人君子の意味だと、高校時代に私より少しだけ成績の良かった友人がおしえてくれた)である。(続く)11/29/2022 10:00
2022.11.29
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Toshiya Zoom塾 開講何人かの卒業生から「先生、授業料がちょっと…」という声が上がっているのと「やる気がある生徒なら数名でも集中してくれるな」という二つの理由から少数 (4~6名) でのレッスンを開講します。「英語から遠ざかってるから……」という人にも補習プログラムも考えています。1月~3月の間に90 min × 10 lessons で¥45,000- (about¥15,000/month, less than¥4,500/lesson)TOEICの一回分のTestが終わらなければ12回まで延長 (料金は発生せず)文法別練習問題の訓練(Home Workにして授業中に解答・解説と質問形式に)火曜コース (1/10~) 19:30-21:00木曜コース (1/12~) 19:30-21:00の2コース開講予定人数が許す限り振り替え可能(火曜日のコースに登録している人が今週だけ木曜日に振り替える等)Well, it is difficult for me to express what I really want to say in Japanese as I can’t write TEME, KONOYARO, BAKAYARO. What I really mean is that I want to see more of you and help and teach more of you. I would be really happy if you would be able to have a better life using English that I teach, which is only thing I can do for you. I am looking forward to hearing from you and your participation in my lesson just like a while ago. Toshiya11/23/2022 17:00
2022.11.23
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6月の鬼の霍乱のために延期されていたLas Vegas Tripを決行1.初日鯨飲10/13 (Thu):羽田発15:45 UA876,San Francisco 経由, UA385, Las Vegas 同日12:28着。到着後、Hertz Rent A Car にてFord のSUVを手に入れ、そのまま Credit Card 取得のためBank of Americaに直行。出発の三日ほど前にappointmentをとっていたが15:00に7分遅れで到着。家を出てから22時間経っているのに7分遅れとは、我ながら上出来とこの旅行の幸先のよさを感じるが、とんでもないとわかるのは、神ならぬ身の知るところではない。Bank of America の係は、Mr. Chenという台湾出身の一世。国にいればこんなことにはならなかったろうに…というくらいの130kgデブ。(日本に来て体重が5割増しの150kgを超えて、床に落としたボールペンを拾えなくなったアメリカ人もいるが)デブだが仕事のできる奴で、ボールペンを床に落とさなかったこともあり、すんなりとCredit Cardを作ってくれた。今回の旅には、33年間勤めた専門学校の最後の卒業生で、一番若い舎弟の一人であるYudaiという現在大学4年生を伴っており、面倒を見てやったり、もらったり、金を使ってやったり、当たり散らせてもらったりと、40歳の年齢の違いを感じさせない相棒と初めの10日ほど一緒であった。私は、例によって、中学の同級生だろうが、40歳年下の舎弟であろうが、20歳年上のアメリカ人であろうが、救急搬送された病院の若僧医者であろうが、差別することなく付き合うのでYudaiも楽しんだことと思う。その後なぜかTargetで、長年愛用のHanes から最近、宗旨替えをしたGood Fellowというマフィアの別称のようなブランドのTシャツ(cotton が厚く吸湿性の高い優れものである。南北戦争前の綿農場で働いていた奴隷のことを考えさせられる)を買い、その後これもなぜかTaco Bell で食事。Downtownの知る人ぞ知る“Back to the Future 2”でBiff のCasinoになっていたPlaza Hotel にCheck in。YudaiにVegasの洗礼を受けさせるために、二人whiskeyを鯨飲したような気がするが記憶が飛んでいる。Yudaiは23歳。私がアメリカに留学した年であり、その冬はアリューシャン列島北のベーリング海の海上でクジラのキャッチャーボートで一日中吞んでいて、船酔いで吐かなかったが、飲みすぎて二回ほど-40°Cの海に吐いた年齢である。当時の私と同じくらい飲むYudaiといると、62歳の老人は死を覚悟しなければならない。(続く)11/22/2022 10:00
2022.11.22
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DESERVE 「よくやった」と「ざまあみろ」to deserve: 英和辞書には1.~を受けるに足る2.~されるだけの価値がある3.~する価値があるとあり、例文も載っているのだが、なんだかすっきりしない。私も be worth~とどう違うのだろうと思っていた。話は少しずれるが、単語や表現、文法もアメリカの留学時代に覚えたものには、その覚えた瞬間の場所、人、状況もすべて40年たった今も覚えている。このto deserveもその代表的なものである。A: I finally finished the paper and got ‘A’ for it. B: You deserve it. I know you were working really hard on it. この場合は「よくやった」であり、A: Tom got gonorrhea.*淋病B: He deserves it. He goes to G Street a lot and buys whores there.*娼婦 And he is an asshole. この場合は間違いなく「ざまあみろ」である。ちなみにG Streetとは私が住んでいたFresno, CAの南に位置するghettoでありdrug dealing, prostitution, murderなど何でもありの地域であり、いたって健康的かつ清潔なToshiyaなどは 側も通らなかった。決してmarijuanaなど仕入れに行ったりしていない。Fresnoはこの地域のDrug にかかわるBlack on Blackの殺人事件数のせいで、殺人率が全米1位になったこともある。deserve~ は、後ろが名詞 またはto不定詞でありThe movie deserves Academy Award.The movie deserves to win Academy Award. となる。be worth~ は 後ろが名詞または動名詞でありThe movie is worth ¥1,800.The movie is worth watching at the theater and paying ¥1,800. ふたつの違いを説明するよりも、次の例文を読んでもらったほうが理解が早いと思う。I believe I desrve higher pay at the company working that hard. But the president gave me a banana as a bonus yesterday, which is worth nothing but a bad joke. It’s not worth working for the company. I think I should quit and find a better job. I deserve to work at a better place and to make more money. いかがであろう。まずは「よくやった」と「ざまあみろ」を使ってみてほしい。Vol.10に続く07/20/2022 13:00
2022.07.20
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西海岸雑記part 2になるはずだった「鬼の霍乱」雑記この項を書いているのは6/24(土)早朝。予定では、本日アメリカ西海岸に三ヶ月ぶりにIsland Feverの治療に向かうはずだったが、先週の土曜日に起きた事件のために中止となった。その日 高校時代の学習助っ人、おもに宿題、課題担当の友人H氏と、数年前に他界したS氏の墓参りに行ってきた。S氏は、日本で一番偏差値が高いと思われる高校で、校門をくぐると先生や用務員まで含め一番偏差値が低いと思われる体育教師であった。故人の名誉のため補足しておかなければならないが、S氏の偏差値の話は20代後半または30代前半までの話で、彼は後に茨城県の某国立大学で修士号を取得している。人の学習能力など棺桶に入るまでわからないものである。もしかすると奴もバカにつける薬を見つけたのかもしれない。H氏と墓参りで故人に悪態をついた後に、門前仲町の(接客は塩辛いが)名店の魚三酒場にて軽く飲酒。近所の殺人事件神社に参拝。H氏に宮司姉弟の刃傷殺人の話などを話しながらお参りしたせいで罰が当たったのか、はたまた被害者の霊を連れ帰ってしまったのか、帰宅後、背中に猛烈な痛みが走り、家人に背中をモムなり、ケルなり、刺すなりしてくれるように叫ぶものの、入浴中の彼女には実際の叫びも、心の叫びも聞こえず。死力を振り絞り自力で救急車を呼ぶ。🚑若い頃のキッタハッタの加害者、被害者、目撃者の経験を除けば三回目の救急搬送とあいなった。三田の病院に搬送され、血圧を測る60/40とほとんど死人。血液検査の結果、腎臓の数値が悪く透析をすることになったが、なんの説明もされず首にカテーテルなるものを入れられることに。おそらく意識が混濁していたのであろう、何事かを英語で叫び「この人、日本人じゃないんですか?あなた日本語分かりますか?」と失礼な医者に聞かれるものの、東北弁訛りの看護婦さんになだめられ手術開始。どうやら新米の医者の練習台にされたらしくモノスゲエ痛い。「アレ?」「そうじゃない!」「こうかな?」「そう、そこ!」などの会話が聞こえてくる。あまりの痛さに「お願いです。やめてください」と女子高生の乙女のように哀願するも、ソクラテスの悪妻クサンティッペの様な女医の声で「だいじょうぶ。もうすぐ終わるから」と無視。何とか終了。ソクラテスの言う「良妻をもらえば幸福になれるし、悪妻をもらえば哲学者になれる」と病室に搬送される時に考えていた…と同時に、やはり乙女のように身体を丸めシクシクと泣いていた。きっと私の背中は華奢な女子高生のように見えていただろう。その後もカテーテルが折れるなどの事故があり、止血にやってきたのは、おそらくあの「日本人ですか?」の小僧医者。敵討ちのような悪意のこもった圧迫指圧を受ける。運動部などでの鉄拳制裁の際、強くしてやろうと愛あるものと、殴ること自体を楽しんでいるものの違いは殴られる方は敏感に感じるもので、あの小僧は明らかに後者で、終わったときに「ヤイ、下手くそ!てめえ 間違っても俺と道端で会わねえほうがいいぞ!」と優しくソフトに教育者らしく諭しておいた。何にしろ、これがアメリカで起きていたと思うと経済的なことも考えて恐ろしくなり、家人に「(墓参りに行った)Sさんが知らせてくれたのよ」と言われて「ケッ!Sにそんな気の利いたことができるかよ!」と思ったもののお礼参りに行かねばなるまい。墓は豊洲よりずっとお洒落な街、赤羽なので立ち飲み屋にも寄らねばなるまい。まだ、Sと実際に再会したくはない。ベガスの28歳黒舎弟、78歳白人飲兵衛ジジイには謝罪メールを打ち、近々に仕切り直すことを約束した。今回の事件で、死ぬ前にやるべきことはやっておかねばと思い知り、少なくともLVを含めた西海岸に30回、Sarasota、Floridaを含めた東海岸に20回、ついでに北米大陸一周を最低1回はしなければと心に誓う。New Orleans のBourbon StreetでJazzを聴きながら、ゲロを吐くまで吞むことも忘れてはいけない。できるなら黒人のアル中のジジイと友達になって、ブタ箱で目覚めることがないくらいまで呑んでみたい。(1970年代の映画 “Easy Rider”のJack Nicolsonを想像してほしい)しかしながら、そんなことをしたらSと再会となってしまうであろう。あまり行きたくないところに、歯医者と痔の医者と冥土が挙げられるが、あの世には会いたいやつらが何人かいるものの、まだまだ先のことにしたい。4泊の入院後、2日目には授業再開。 何事もなかったように教えているが、酒はまだ吞んでない。I am so proud of myself for that, but I miss it a lot. この表題の次回がないことを願う。07/04/2022 13:00
2022.07.04
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Mayflower号でPilgrim Fathersが落とした should今回もBritish EnglishとAmerican Englishの違いを書こうと思うが、テストを作る側にとってはありがたい、テストを受ける側にとってはどうでもいいがTOEICで5点得をする話をしよう。TOEICの授業では「要求、提案を表すthat節の動詞は原型になる」という題名で話してきた。英語の文法書ではSubjunctiveと現わされ、何のことだかサッパリわからないが、辞書で引いてみると「仮定[叙想]方動詞」とある。これは早稲田実業学校55人中55番で卒業したToshiyaにはわからない。世界史で、唯一覚えている名前のインノケンテウス3世くらいわからない。考えてみれば、高校時代の授業で覚えているのは、古文のラ変動詞のあり、おり、はべり、いまそかり や、化学のスイヘイリーベイベーボクノフネくらいであり、それらが何なのかもよくわからない。どうやら化学のモルはタラコでも明太子でもないらしい。そんなToshiyaがAmericaで見つけたバカを治す軟膏をたっぷりつけて、学生たちに説明してきたのが次のとおりである。TOEIC 990点中の5点を失いたくない方と、5点でも拾っておきたい方以外は、次回の話を楽しみにここで端末を閉じるか、Prime Videoで「深夜食堂」か「孤独のグルメ」をみたほうがよろしい。要求、提案を表すthat節の動詞は原型になるdemand, insist, propose, recommend, suggest これらの動詞はすべて「~を要求する、または~を提案する」である。その後ろに名詞節(that Subject Verb)のVerbは原型になるということである。Iinsisted that he have dinner with us. (that の後の主語が三単現であってもなくても 原型のhaveになる)という、今までにまじめに英文法を勉強してきた諸君にとっては、戦争に負けた後、日本に上陸してきた占領軍のGHQ のように、ガムやチョコレートをまいてくれるものの、おそれおおくも天皇陛下を皇居より第一生命ビルへ呼び出すほど無茶な文法である。The politician demands that the present law be changed soon. What do you suggest he do ?となる。これは受動態にしても同じでIt is insisted that he have dinner with us. It is demanded that the present law be changed soon. となり、そうなると前記の動詞だけでなくIt is necessary that he leave very soon. とimportant / essential / imperative などの形容詞にも、要求、提案の意味において、かかわってくる。TOEIC Part 5 の問題にすればSince David hurt Muggy’s feeling, I strongly recommended that he( )her. A) apologizes B) apologized C) apologizing D) apologize D)が正解になる。「he なんだから apologizesと sをつけろよ!」と言っても戦争に負けたし、Levi’s の501 やNikeを履いているし、Rock’n Roll と叫ぶジジイはいるし、Mickeyちゃんは好きなんだから仕方がないのである。さて、ここでBritish Englishの 登場である。かのKing‘s English だかQueen’s English では、原型動詞の前にshouldをつけるのである。つまりI insist that he should have dinner with us.The politician demands that the present law should be changed soon.It is necessary that he should talk about weather when he goes to pick up his girlfriend at her parents’ house. と、納まりがいい。なぜ、このような違いが出て来てしまったのであろうか?思うに、表題にあるようにPilgrim Fathers がMayflower で大西洋を渡るときに嵐に会い、大事なshouldを落っことしてしまったのではないだろうか?または「テヤンデェ。 俺っちたちはProtestant (反抗者)だぜい! 奴らと同じ言葉が喋れるケエ!」この文章をアメリカ人が読まないことを願いつつ Vol.9に続く06/12/2022 15:00
2022.06.12
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今回は野球選手の素晴らしい英語の回答を紹介する。一つ目は私の高校時代、商業科3年B組55人中、53番、54番、55番のクリーンアップトリオを争った元中日ドラゴンズの3番打者KY氏。英語の授業中、普段は授業進行の妨げになるためほとんど指名のない我々だったが、その日は担当の武闘派M先生も、これならいけるだろうとK氏に「Un-fortunateの反対はなんだ?」とのK氏にとってはかなりの無茶ぶり。「あの、自分、野球部で、その英語は、えーっとつまり」などと窮鳥入る懐もなく、お決まりの頭をかく以外になかったところ、前席のH氏より「UNとればいいんだよ!UNとればァ!!」の天使の声。その大天使ガブリエルのバリトンの声(天使の声がバリトンかソプラノかは知らぬが)を聞いたK氏はなんと「アントレ、アントレ、アントレバー」と、高校球児らしく大きな声での回答。周りの同レベルの輩が気が付いて転ぶのに3秒、クラスの全員が椅子から転げ落ちるのに5秒とかからなかった。今でも早実の伝説として残る実話である。Toshiyaは、今でもたまに甲子園でK氏とアルプススタンドで会うが、以下が二人の会話。K: Toshiya!元気か?お前、アメリカ行って英語ペラペラなんだって?T: おおK. お前何やってるんだよ?K: 俺、バッティングコーチT: お前、バッティングコーチって何やるんだよ?K: そらぁお前、相手チームのピッチャーの分析とかな。T: お前,ブンセキって漢字で書けるのかよ?K: そらぁダメだ。Toshiyaは?T: もちろん俺も書けない。阪神甲子園球場アルプススタンドでのオジサン二人の会話である。もう一つ、これは最近聞いた話だが、Toshiyaの高校のO先輩と相並ぶプロ野球界スーパースターN氏の話である。N氏が大学生だった時に、やはり卒業するのは難しく、かと言って大学のヒーローを退学にもできず、困った英語の先生が「N、過去形にしてみろ」と“I live in Tokyo.” と黒板に書いたところ、N氏は“I live in EDO.”とお答えになったそうだ。Let’s study English so that you can be a super star.Vol.8に続く05/14/2022 11:00
2022.06.01
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British EnglishとAmerican English前回TOEICにおける英語の訛りについて話したが、今回はBritish EnglishとAmerican Englishについての一考察を語りたい。現在、世界に広まっているのは断然American Englishであるが、何故か?答えは簡単、お金である。外国人がその国の言葉を勉強する理由は、その言葉の後ろにあるお金のためである…とは言い過ぎだが「当たらずとも遠からず」であろう。俺は金持ちになりたい。よおし、アフリカに行ってスワヒリ語をペラペラになってマサイ相手に大儲けをしてやろう。…という輩がいたら一献傾けてみたい。🍶もちろん留学生の中には純粋にその国の文化、歴史等を学びに行く人もいるのであろう。しかし、彼らには自国にしっかりとした経済的基盤がある人が多いだろう。または、同居しなければなければならない親、継がなければならない家業、先祖の供養、親戚との付き合い、夏祭りかつぐ町内神輿、飼っている/または飼われている犬・猫・男・女、盃事、血判状などのシガラミはないのであろう。つまり1.稼がなくてもよい2.縛られるものがないという、二大自由を持つ、非常に恵まれた人間なのではないかと思う。かく言う私も、母親が占い師に見てもらったところ「南の島のトンガにでも行けば、王様になって帰ってくる」…と言われて悩んだが、トンガのふくよかな女性が好みから外れていたこととは別に、アメリカに行って英語を身に着ければ将来の飯のタネになるだろうと思い母に一つ、野菜を食べます。二つ、帰ってきます。三つ、一人で帰ってきます。という三つの誓いを立てさせられ、カリフォルニア州に渡ったのである。(首輪はついていたが、それに気が付ない程度は自由であった)さて「後ろにあるお金」と述べた手前、ネットで国民総生産にあたるGDPなるものを調べてみた。単位はUS$1Trillion 💰(という理解しがたい数字であるが、並んだ数字だけを比べられたい)1位 アメリカ 22.75位 イギリス 3.19位 カナダ 1.912位 オーストラリア 1.649位 ニュージーランド 0.2これをTOEICのListening のspeakerに置き換えるとアメリカ/カナダ(North American English)24.6に対してイギリス/オーストラリア(British English)5.7実に4.3対1 になる。ついでに人口も比べてみよう。(単位:億人)3位 アメリカ 3.521位 イギリス 0.6938位 カナダ 0.38 54位 オーストラリア 0.26アメリカ/カナダ 3.88億人イギリス/オーストラリア 0.95億人とやはり4倍近い違いがでる。なぜ、TOEICを運営する偉い人は、アメリカ弁の原稿を、北米英語のカナダを含めて、イギリス、オーストラリアを1/4ずつに読ませたのであろう。私が考えるに、Working Holidayの影響ではなかろうかと思う。…ワーホリに行った日本の若者たちが、その訛りまで身につけて帰ってきているとは思えないが。 「また、Toshiyaのワーホリの悪口が始まった」と思う卒業生がいるかもしれないが、私は決してWorking Holidayに反対しているのではなく、英語力を含めてしっかりと準備をして行かないと現地人(native speakers)の社会に入るのは難しいと言っているのである。実際に私が教えた卒業生で20~30人がワーホリに行ったが、実際にWORKINGして英語を身につけてきたのは、4人ほどしか知らない。ここでガラリと切り口を変えて、オランダの話をしよう。日本人の中で、蘭語、蘭学、蘭医と現代のオランダを即座に結び付ける人はそれほど多くはいないと思う。だが、江戸時代の二百十余年続いた鎖国の期間、西洋文明の中で当時の徳川幕府との貿易を許された国である。主な理由はオランダ人の徹底したビジネス哲学であろう。貿易から得る巨大な利益のみを目的として、そこに政治、宗教などを一切持ち込まないという姿勢を、鎖国前から明白にしていたと思われる。長崎の出島という針の穴から入ってくる西洋文明の光を、必死になって学ぼうとした当時の蘭学者には敬意を表するが、ここでは本題から離れてしまうので省く。さて、このオランダ人、現代においてヨーロッパの真ん中に位置しながらBritish Englishではなく、きれいなAmerican Englishを話すのである。私の知り合いのアメリカ人に、‟Those Dutch people speak pretty good American English.” というと, 帰ってきた答えが ‟Yeah. Better than Brits do.”という、思わず吹き出してしまうものであった。なぜオランダ人がAmerican Englishを?という答えはすでに述べたつもりである。徹底したビジネス哲学を持つ彼らにとって、英語はビジネスの道具であり、その後ろにあるお金はAmerican Englishの方が絶対的に多いのである。彼らは家ではオランダ語を話し、ビジネス上では身に着けているものを普段着からスーツに着替えるように言語まで米語に変えるのである。流石に大麻を世界でもいち早く合法化したり、AIDSの蔓延防止のために麻薬常用者たちに個人使用の注射針を配布したりした国である。ちなみに「割り勘」のことを英語でDutch Account, ‟We just go Dutch (Account).”などという。我ながら感心するところが、人とズレているとは思うが。Vol.7に続く05/06/2022 10:00
2022.06.01
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TOEICにおける英語の方言まずはTOEICの誕生とその変遷について書いてみよう。戦後、Dodgeという、なんだか小学生のボールのぶつけっこのような名前の、アメリカの銀行家のおじさんがGHQの経済顧問として作ったDodge’s Line(ドッジライン)という財政金融引き締め政策の中にあった $1.00=¥360- という為替固定相場制が1970年代後半に廃止され、変動相場制になり、日本が世界経済の中に出ていく時代を鑑み、日本人の英語力の向上を目的に作られた英語の試験(物差し)がTOEIC(Test Of English for International Communication)である。私の反社会的少年時代に終止符を打った、初めての渡米がその直後で1978年、$1.00=¥180- くらいだったと思う。その際にテストの作成を、ETS(Education Testing Society)というTOEFLやアメリカのセンター試験のようなSATなどの試験を作っている団体に依頼して、現在に至っている。当時大変な力を持っていた英検は文部省の後ろ盾があったので、経済産業省から手を回してもらったという政治的、大人の事情もあったようである。第1回TOEICは1979年12月、札幌、東京、名古屋、福岡の5都市で開かれ、受験者数は3,000人だったそうである。因みに現在は年間150万人を超えている。その後2006年5月に初めて、2016年5月に2回目の問題形式の変更があった。当時のうわさでは、まだ男尊女卑の強かった韓国の秀才女子大生たちが、就職のためにその卓越した文法力を駆使して高得点を獲得し、TOEICの英語力の物差しとしての価値を脅かしたからだと、まことしやかに囁かれた…が、囁いていたのは小伝馬町の十思公園で飲む缶ビールの肴にしていた、ToshiyaとW氏だけだったかもしれない。確かに、その当時までTOEICは英検のように過去問題集や教本などは発売せずに、「英語力の物差し」としての姿勢を崩していなかったように思えるのだが。むしろ、研究されるのを否定していたようにも感じた。現在のように、公式問題集を売ってお金を儲けようとはしていなかった。さて、ここからが今回の本題の英語の方言の話である。2006年の初めての問題形式の変更のときに何処だかの語学音痴の偉い英語の先生が言ったのであろうが「英語を話す国はアメリカだけではない!」ので、カナダもイギリスもオーストラリアの英語にも対応するために、リスニングの録音をアメリカ人、カナダ人、イギリス人、オーストラリア人と1/4ずつにしてしまったのである。一見(原稿も変えればだが)素晴らしいアイデアに思えるが、原稿はアメリカ英語そのままなので、ある程度いろいろな英語に触れてきた人にとって笑えない喜劇になってしまった。仮にアメリカ、カナダの北米英語を関西弁、イギリス英語を東京弁としよう。「あんさん、何してはりますのん?」という関西弁を、東京人が東京弁のアクセントで、東北人が東北弁で読んでいると思ってほしい。これは笑える、可笑しい、面白い、楽しい、つまり聞くに耐えない。これを東京人が「あなた、何をなさっているのですか?」に、東北人が「あんだ、なぬすてんだぁ?」にすれば自然だろうが、ETSにはBritish English, Aussie Englishのエキスパートはいないのであろう。子どもの頃、仙台の父方の祖母と京都の母方の祖母が、おたがいの言葉を全く理解できなかったことを思い出すが、世界は小さくなったものである。実際のTOEICの試験にRicaldo Lopezという名前の人物が登場する。おそらく脚本の作者はMexicanのイメージで書いたのだろうが、きっと録音の順番のせいであろう、Richard ではなくRicardoがAussie なまりの英語を話すのである。わたしにはオーストラリアでRicardoが“Hola, Amigo. How are they hanging?”それに対してJoseが“Como mangos, esse.”と言っているとは思えない。TOEICの運営をなっさている先生方にお願いしたい。TOEFLのように関西弁でいくか、Britishには東京弁を、Aussieには東北弁の台本を書いてやってください。「Ah, Shindo!」「Ah, Tsukareta!」「Koegodoya, Manzu!」「I am very tired.」 Vol.6に続く04/25/2022 13:00
2022.06.01
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brush-up:(忘れかけている知識・技能の)復習brush up (on) : to quickly practice and improve your skills or knowledgeex. I need to brush up on my English. 今回のLas Vegas 滞在において一番良かったことは、Shared House に間違って予約を入れ、下宿人の立場でありながら、そこの家のオーナーであるClarence(推定体重150kg~180kg, African American, ex football player, 本人はWide Receiverと言っていたが、どう見てもFront Lineのデブ)を舎弟にして、彼と大学時代のroommateのように過ごした時間であろう。冷静に考えれば、コロナ禍の2年間、授業はonlineで学校にはあまり行かず、18才以来の日本滞在最長期間を更新し、本州という島に閉じ込められ、豊洲という川の真ん中にある洲で生活してきたのである。つまり、英語を話していなかったのである。TESの学生たちにゴールデンウイークの後に「お前ら英語がゼロに戻ってるだろう。俺も短いスパンで言えば月曜の朝は口の回り具合が悪いし、夏休みの後などの長い間英語を話さないとおかしくなる。逆にアメリカから帰ってくると英語の口がよく動くようになる。」と話していたが、今回はまるまる2年間である。確かに英語は教えていたが、話していないのである。または、卒業していく学生たちには「お前らこれから英語から遠ざかって、2年間勉強してきた英語にホコリがかぶったり、錆びついたりするだろうけど、また勉強を始めれば、そのホコリやサビはすぐにとれるぞ。」と言ってきた。私は生来の噓つきで、千に三つしか本当のことを言わないが、これはその三つに入ると実感した。180kg、黒舎弟のClarenceを相手にバカ話をしていると、薄皮がはがれるように、垢がこそげ落ちるように、自分の英語がBrush up されていくのを感じることができた。何しろこの黒舎弟、私の話が面白くてしょうがないらしく、何を話してもウケてくれるし、うなずき、ツッコミ、質問と、漫才で言えば、上質のツッコミであり、天性のおしゃべりで噓つきの私はボケ。英語のM1グランプリを獲得できそうである。かくして私の英語は2週間足らずで、ヒンが悪いがテンポの良い、大学時代のような英語を取り戻したようである。やはり、私はアメリカに行っていないといけないらしい。現在、個人レッスンで教えている中にも卒業して10年、15年という生徒さんがいるが、時間が溜めたホコリなりサビが毎週取れていくのを見るのは、スゲエうれしい。(もちろん本人たちの努力なしにはありえないが)Would you like to come back and brush up on your English?Vol. 5に続く04/02/2022 16:00
2022.06.01
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現在完了:その2前回、現在完了の完了の話をしたが、あまり上品ではないが、スゲエ分かりやすかったと思う。このままだと私が冗談のためにこの稿を書いていると思われそうなので、残りの経験と継続についても話しておきたい。経験:(したことがある) という訳であっているが、やはり…現在完了=過去+現在 …は成り立つ。I have been to Disney land. 「ディズニーランドに行ったことがある」となるがこの後ろにso far / in my life. と、(今までに) という意味が含まれている。次の二つの文を比べてほしい。(A) I have been to Disneyland twice this year.(B) I went to Disneyland last year.(A)は、this yearと終っていない今年の話。 → 現在を含む(B)は、last year と終わっている去年の話。 → 現在を含まないつまり「私は去年ディズニーランドに行ったことがある」という日本語は、〈ことがある〉という表現を含むが、〈去年〉という終わった時があるので、現在完了は使えないので過去形で表現する。Have you met Ms. Ikeda today? → todayはまだ終わっていないDid you meet Ms. Ikeda yesterday? → yesterday は終わっていると考えてほしい。日本語で「私は14年駒込に住んだことがある」という表現があるが、英語で…I have lived in Komagome for 14 years.は間違いである。なぜなら現在は住んでいないのだから、現在完了の継続は成り立たないので I lived in Komagome for 14 years. と過去形でいうのが正しい。現在完了形を使うなら… I have lived in Toyosu for 15 years.I have been living in Toyosu for 15 years. という 現在完了の継続を使わなければならない。つまりI have lived in Toyosu for 15 years. = I started to live in Toyosu 15 years ago. + I still live there. になる。日本語に訳すと「私は15年前に豊洲に住みだして今も住んでいる」という意味で、現在を含まなければならない。継続:上記で説明したとおり〈現在も含まれている〉ということを常に意識してほしい。I lived in California for 5 years. → 今は住んでいないI have lived in Tokyo for more than 30 years. → 今も住んでいるI have been living in Tokyo for more than 30 years.と現在完了進行形を使うことは理解できるであろうが、このhave been doingは継続でのみ使うと習ったが、ウソである。完了/結果のhave been doing:ウソを教えられて高校/大学受験に受かったり落ちたりしてきている日本人には、理解するのが難しいが、次の例文を見てほしい。The road is wet. It has been raining.(今は降っていないが) 直前まで降っていて、(結果として) 道が濡れている…となる。もう一つA: You are out of breath. What is the matter?B: Nothing. I have been running. (今は走っていないが) 直前まで走っていた。このように完了/結果として使うことが多い。マジメに教えすぎていて気持ちが悪くなってきた。最後にもう一つ例文を…A: The bathroom smells terrible. B: Sorry, I have been taking shit there. But I was doing something right. It is the place for that purpose. 再び食事中の方には失礼Vol.4に続く03/13/2022 15:00
2022.06.01
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現在完了形:現在完了形というと過去形との違いが難しいが、日本語にはない時制で、私が日本で習った英語 (今思うと受験の試験問題を作るための翻訳英語) では完了 (すでにしてしまった)経験 (したことがある)継続 (ずうっと今もしている)と概ね三つの訳し方を習った。これは決して間違いではないが、かなり苦しい。ここでは現在完了=過去+現在という発想から考えてみよう。I have eaten breakfast. = I ate breakfast. + I am not hungry now.ということであって「朝ごはん食べて、今おなかは減ってない」と現在の状態を含めて言う時に使うとよい。(I ate breakfast.でもよいのだが、今のことは言っていない)これに対してI ate breakfast /this morning /yesterday /two days ago.と過去形は「いつ食べたのか」をいう時に使うとわかりやすい。さてここからが “Toshiyaを治したバカにつける英語の薬” である。題名があまりに長いので『俊治英薬』“shunchieiyaku”とでも呼ぼうか。何やら江戸時代に越中の薬売りが担いでいそうだがshitはご存知のようにfour-letter wordの「kuso」という名詞であるのと同時に「kusoをする」という動詞でもあり、学校では教えないがshit - shat - shutと不規則動詞である。私が愛してやまない美しき日本語の「Unkoを漏らす」は英語では“to shit in my pants” となってしまうのである。それでは次の美しい英文を比べてほしい。(A) I shat in my pants /last night /yesterday /last Sunday.(B) I have shut in my pants.例文(A)は現在のことには触れていないのに対して…例文(B)は現在パンツの中にそれ💩があるわけで、人々は鼻をつまんでその場から逃げなければならない。食事中の方には申し訳ないが、これが過去形と現在完了形の違いである。Vol.3に続く03/12/2022 15:00
2022.06.01
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March 8 (Tue):6日の日曜日はAurora & Ervの家でDead Cow (steakのことです🐮) BBQ Party.Auroraの息子夫婦と孫娘(5歳)、総員6名でLunch.孫娘のVictoria は、初めて見る日本人のToshiyaに興味はあるもののシャイらしく、子供たらしの自信をいたく傷けられるが、復讐を誓い帰国までには必ず手なずける。Ervの焼いてくれたT-bone steakはさすがに旨く「金持ちの食うものは違うなあ」と思ってしまう。おそらくBlack Angusの日本でいうA5のbeef なのであろう。Vegasは意外に寒く、かえりにTargetに寄りsweatの上下を購う。嫁のcredit card を使ってしまったが、翌日Tory Burchの靴$241.10を買ったので怒られないであろう。7日の月曜日は午後から舎弟のClarenceを連れてベトナムのPhoを食べ、モ-ルでTory Burchで靴を買い、Rioのカジノで Clarence にCrapsを伝授する。3時間ほどのexcursionであったがClarenceは大喜び。黄黒コンビはどこに行っても目立ち、特にTory Burchの気取ったお姉ちゃんが驚きを隠そうとしているのが面白かった。例によって店に入るとすぐに微笑みながら靴の写真を見せ、サイズを言い“You know what?I want to get the f-k out of this store as soon as possible.So find the shoes and get rid of the box because I ain’t flying back to Tokyo with the stupid box in my suitcase.”(ain't は am not, do not, have not などあらゆる否定を表す無教養、品の無い英語表現)と宣うと、店員は理解してスムースに仕事をこなしてくれたが、Clarenceはその150kg の体を折り曲げひっくり返りそうになりながら笑いをこらえていた。Toshiyaがそのデカイ尻を蹴っ飛ばしてやると何とか無事に店を出てくることができたが、Tory Burchの店の中でClarence と店員の姉ちゃんと三人で靴を持って写真を撮ってくるべきだった。Rio Suite のカジノでClarenceとCraps のテーブルで大騒ぎ。結局$40.00ほど勝ち、その後Big Wheelで一回勝負だけ$10.00を50倍のJokerに賭けたが一つの枠の差で$500.00逃す。帰りの車の中でClarenceは大騒ぎ。Damn, Shit, Almostを繰り返し叫んでいた。また尻を蹴ってやろうかと思ったが車の中なのでそれもできず、代わりに腕にキンカンをくれてやったが腕が太すぎて全く効かなかった。この28歳の黒人男性は、俺が帰るとき泣くのではないかと思うと今から怖ろしい。Greg といい、Glenna, Ervといいどうやら俺は大男に好かれるようである。(Glennaは女だった)夜は再び、Davidとその千葉出身日本人美人妻Mihokoと、食べ放題のSUSHIを食べに行く。🍣あえてSUSHIと英語で表記するが、SUSHIはあきらかに日本の寿司または鮨とは違う食べ物で、巻物を巻いてから天ぷらやフライのように揚げてあったり、握りの上にハラピーニョ🌶が乗っていたりと、ときに危険な食べ物になるが大変旨い。千葉県出身日本人美人妻のMihokoが写真を撮ってくれたので見てほしい。それにしても寿司と鮨は何が違うのであろう? 以前、豊洲の自宅内のプールで知り合ったおじさんから「アンタァ、(おじさんは生粋の江戸っ子である) 英語の先生なら解るだろうがdonutとdoughnut はどう違うんだい?」と聞かれたが「寿司と鮨みたいなもんですよ」と一休さんの禅問答のように答えておいたが、当たらずといえどもとも遠からず…であろう。どこかの英語の先生のように「それはBritishと American Englishの違いよね!タカハシ先生に訊いといて!」よりはマシかと思う。動けないほどお腹いっぱい食べたつもりが、まわりのアメリカ人を見ていると我々三人の倍は食べているようで、今度は体重150kgのClarenceを連れてきてリベンジしようかと思う。奴なら俺の分まで食って、元を取ってくれるであろう。帰りにカジノに寄るが、満腹で博打は勝てるはずはなくボコられる。03/12/2022 02:38
2022.06.01
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まずは、このタイトルの説明からしなければならないかと思う。私の好きな作家の司馬遼太郎の『龍馬がゆく』の中の坂本龍馬が江戸に剣術留学をしていたとき、一時帰国で土佐に帰ると、「子供の時に寝小便たれで泣き虫だった龍馬が、江戸の千葉道場で塾頭になってかえってきた」と噂がたち、大勢の親が子供を連れて龍馬を訪ねてくるという事象が起きた。龍馬が辟易して「あいつら俺が江戸でバカにつける薬を見つけたと思うちょる」と言うシーンがある。高校時代、英語が出来ず赤点を取っていたToshiyaが、英語の先生をしていると知った同級生をはじめとする知り合いは、土佐の連中と同じことを思ったらしく、自分の子供を東京英語に送ってくるわ、高校の先生が出来の悪い後輩を送ってくるわ、はたまた中学の先生は少年院帰りの不良を「Toshiya, 説教してやってくれ」と自宅に連れて来るわ…という始末になった。まさに「Toshiyaはアメリカでバカにつける薬を見つけた」のである。自分自身、うなずける部分はない…とは言い切れないのでこのタイトルにした。決して読者をバカにしているわけではない。さて、Vol.1は名詞の単数形、複数形の話をしよう。アーモンドアイという馬を、競馬をしない人でも聞いたことがあると思うが…念のためアーモンドアイ(Almond Eye):牝馬三冠(桜花賞、オークス、秋華賞)制覇天皇賞(秋)連覇ジャパンカップ2回制覇ドバイターフヴィクトリアマイル…のG1 9勝獲得賞金19億円超の名牝中の名牝である。名前の由来は「アーモンドの形の目をした美人」だそうで確かに美人(美馬?)である。人でもアーモンド形の目をした美人は多く、Toshiyaもよく地下鉄の中で恋に落ちる。ちなみにこの名牝馬、シルクレーシングという一口馬主の馬で一口6万円。配当を試算すると250万円以上になる。古くはNTTの民営化のときの株券より上ではないだろうか。さて、このAlmond Eye何かお気付きであろうか?そう、単数形で片目👁なのである。国内のG1 レースならまだしも、ジャパンカップという外国からの参加がある国際レース、または世界中の名馬が集まるドバイワールドカップでも勝っているのである。ドバイや香港などのNon Native English Countries ならまだしも、イギリス、アメリカ、オーストラリア、アイルランドなどのNative English Speaking Countriesの競馬ファン、関係者たちに「片目の美牝馬が走っている」と思われてしまう…なんて考えるのは、ひねくれたToshiyaの杞憂であってほしいが…日本の誇る名牝が、森の石松やエイハブ船長のような眼帯をした一つ目小娘では困る。断じて Almond EyeS なのである。I hope the above story? is useful and informative for you. なわけないか?Vol.2に続く03/09/2022 02:31
2022.06.01
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日本時間の15:45 3/6アメリカ西海岸時間の22:45 3/5Las Vegas にいるToshiyaは、何故か、JRAの皐月賞トライアルの「ディープインパクト記念弥生賞」の勝負。🏇驚異の種馬サンデイサイレンスを父に持ち、その良血を受けつぎ、このレースの冠名になるほどの名馬、名種牡馬になったディープインパクトが競馬ファンに惜しまれながら、関係者にはその莫大な種付け料をもう稼げないと思われながら昇天。走った牡馬はいろんな女とデキていいなあ…と思う男どもがいると思うが、一日に何発もやらされて皆、早逝するのだよ今年の当歳馬が最後の子供たちになる。弥生賞にはディープ産駒は一頭だけ出走と聞き10番アスクビクターモアから三連単 10番→7番→総流し三連複 7番/10番―総流しを購入。結果はみごとに10→7→6と入り(写真はそのゴールの瞬間)三連単¥25,180-三連複¥4,990-の大当たり❗税務署関係者の手前でいくら買ったかは秘すが、¥100ずつ買っても¥1800-の元手が¥30,170-になったはず。💴「ガハハハッ、皆の者、吾輩についてきなさい❗」とクッパ大王のように威張ってみた。今日は勢いに乗ってStripのNew York-New York辺りで大勝負と行くかなァ❗❗「この調子でいけば、日本に帰らなくもだいじょうぶかなあ? 」嬉しくて嫁に自慢(報告)すると、あっという間にTORY BURCHの靴をたかられた。Vol.2に続く03/08/2022 02:05
2022.06.01
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ラスベガスについて4日。初日はフロリダの友達のErv(78歳)とJack Danielを鯨飲。良い友達といると年齢に全く関係なく只々楽しい。朝食はいささかしんどかったがErvおじさんはすこぶる元気。100歳まで生きそうで、そうすると俺は84歳。こりゃ俺のほうが先だなと思ってしまう。Jack Daniel とErvAurora, Erv と日曜のDead Cow BBQ Lunchを約束して、予約しているCondoへ向かう。Condoで一人暮らしを楽しむつもりが、なんとShared Houseという言わば間借りの下宿人になった。オーナーは28歳の白黒カップル。白い彼女は幾分シャイだが、黒いほうの彼氏(Clarence)は完全舎弟化に成功。何でもしてくれて、どこにでもついてきたがるので連れて行くと、黄色のBudda Head と黒のBrotherのコンビは、私自身も見た記憶がないほどなので、目立つし振り返られる。自分としては「どこかの親分と弾除けの用心棒」 のつもりだが恐らく「変なデブ黄色と大デブ黒」がいいとこだろうと思う。白いプラスチックの袋を持っているのが新しいアメリカ舎弟のClarence昨夜はついてきたがるClarenceを振り切り、DowntownのFour Queens というカジノで、東京英語の元先生のDavidとその日本人美人妻Mihokoと再会。ここ数年ベガスに来るたびに遊んでもらっている。写真にはDavidの顔と、恥ずかしがるMihokoの手だけが写っている。昨日初めてのZoom Lesson in LV を2人ほどしたが、何の問題もなく教えることができた。「これは帰らなくてもいいかな」などと不届きな考えも浮かんだが、帰る場所があってこその旅。寅ちゃんにはおいちゃんとおばちゃん、さくらが待っているように、愛妻と愛猫が待つ豊洲のアパートに帰るまで思い切り楽しみ、ちょっと英語を教えて過ごすことを心に固く誓う61歳不良初老であった。Friday night in downtown Las VegasVol.3に続く2022/03/06 14:53
2022.06.01
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人のいない、店の空いてない成田を飛び立ち、同級生の娘のattend するJAL系列LCC(low cost carrier)のZIPAIR なる航空会社でLAに到着。同級生の娘だけでなく、ほかのCAもみな可愛らしくて親切で、普段乗るアメリカ系の航空会社に比べてhospitality あふれる対応に感激。フライトはがら空きで真ん中3席を独占し爆睡。飛行機中に響くイビキ💤、寝言(English or Japanese?)、寝屁の三重奏を、他の乗客とクルーに楽しんでもらいました。LA到着後、レンタカーを借りてIntetstate 210を東に、Interstate 15を北に、LVまで4時間のroad trip61歳が10時間のフライトのあとに運転は少々きつく、途中一時間ほどのnap休憩をとったので6時間かけてたどり着きました。一晩目はフロリダで学生のホストファミリーをしていてくれた、ErvとAuroraの家に泊めてもらい、78歳で「医者が酒飲むなって言うのなら医者を替えればいいんだ。」というErvとかなりのJack Daniel をいただき、日米ジジイ クダまき大会。人間、歳をとってからもホントの友達はできるもので、非常に楽しい一夜を過ごしました。2年間のコロナ疲れが、ゆっくりはがれていくようです。なにしろ一晩目は予定通り泥酔。Vol.2に続く03/04/2022 00:11
2022.06.01
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01/13/2022 14:11
2022.06.01
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