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オキナワの中年
「全人教育」および小原氏に関するメモ
脳天気な日記の次で、気が引けるし、あまりにも根拠が弱い推測に過ぎないのだが、ここまでのまとめとして、現時点での感想を記しておく。
まず最初に前回のミスの訂正。年表に「問題の「琉球人め!」発言」を1955年の初夏としたが、これは54年の誤り。
お詫びして訂正いたします。
まずここ数日の調査で明らかになったことは、「この琉球人めッ」は小原氏の発言として、十分にあり得るということである。しかも「つい」ではなく、意識的に言った可能性が高いと思われる。
「小原園長」と言うと小さな学校の園長先生、といった印象を持つが、この時点で玉川大学は、既に設立されており、小原氏は幼稚園から大学までの相当な規模を持った学校法人の理事長であった。
この時期、玉川大学は通信教育部を設置した直後であり、工学部開設の準備過程に既に入っていたと思われる。そのような法人の理事長が、わざわざたった一人の寮生のために日が暮れるまで待つ、という事があり得るだろうか?『島唄』の記述を読んだ時の、第一感はそういうものであった。「寮長」か何かの間違えではないのか?しかしこの点についても、現時点ではあり得ると考えられる。
小原氏は「この琉球人めッ」というために日の暮れるまで金城の帰りを待っていた。というのは、一件些細な「風呂焚き当番のすっぽかし」は、沖縄の近代化を阻止する、重大な文化的特徴をはらんでいるからである。いわゆるテーゲー主義と、ウチナータイムである。
戦前本土への出稼ぎを余儀なくされたウチナーンチュ達の前に立ちふさがったのは、「言葉の壁」と「沖縄人はいいかげんである」という認識だった。現在では、「ウチナータイムは豊かな人間性のあらわれだ、スローライフだ」と褒める文化人などがいるが、時間も守れずに市場主義社会で生き抜けるわけがないのである。
小原氏とて毎日、風呂当番の監視をしていたと思えない。どのようにして金城がすっぽかした事を知ったのか不明であるが、金城に対する特別な指導として「この琉球人めッ」があったと思われるのである。これが指導方法として正しかったのかどうかについては、意見の分かれるところであろう。
一方このとき感じた金城の胸のうずきが、どのようなものであったのかは、さらに難しい問題である。この後沖縄に帰郷した時、「沖縄の若者の風紀の乱れ」に珍しく激怒した、というエピソードは、本件とほぼ直接的に関係していると思われるし、晩年のギャラを巡る発言や、海洋博のイベントでぶつかった沖縄の閉鎖性と関係も興味深い。
沖縄を愛すると言うことは、沖縄の全てを容認すると言うことではない。
(このシリーズ終わり)
「全人教育」および小原氏に関するメモ(3) 03月11日(木)
小原氏と沖縄との結びつきは、成城時代に「尚侯爵」を教えたことに始まる。年齢から推定して、21代当主尚昌(最後の琉球王尚泰の孫)だと思われるが、現時点では断定できない。
この縁で昭和二年に沖縄を訪れた。この時次のようなエピソードがある。
「私はウッカリ、とんでもない失敗をしてしまいました。「琉球」というと、軽蔑視した言葉だったそうです」(小原國芳「補遺」『日本新教育史 九州沖縄編』玉川大学出版部 81,2,21)
しかし小原氏は、自分には軽蔑する気持ちはない、と釈明し、「滞在中「りゅうきゅう」で通した」。昭和二年といえば、広津和郎の「さまよえる琉球人」の問題の翌年である。なぜ大きな騒ぎにならなかったのかは現時点では不明である。
一つには小原氏が、とてつもなく人を引きつける人物だったらしい、ということである。文章はこれほど有名な人のわりには稚拙な感じがするが、各種の資料を見る限り、講演のパフォーマンスは天才的だったようである。
玉川学園の顧客満足度は非常に高く、これほど卒業生に慕われる創立者も珍しい。彼のあだなは「おやじ」であり、ネットでいまもそのように呼ぶ卒業生もいる。また卒業生相互が「全人っこ」と呼び合うケースもある。
メモとはいえ、また話がずれ始めた。「メモ」といいつつ最近の私のペーパーは、このメモを大いに利用しているので、慎重にならねば・・・。
話を沖縄に戻すと、二度目の来沖は、昭和二七年、広島大学時代の後輩屋良朝苗(後の沖縄民政府主席)の招きによるものであった。これについては山田輝子『ウルトラマン昇天』 朝日新聞社 1992,8 にかなり詳しく紹介されている。実際七〇代で当時を知る人は、非常に感動したようである。
http://hpmboard3.nifty.com/cgi-bin/bbs_by_date.cgi?user_id=MLD08680
金城の母親もその一人であった。金城の玉川入学は二年後の二九年になる。このあたりを年表で整理しておくと、次の通り。
1952 昭27 サンフランシスコ講和条約
小原来沖
1953 昭28 映画「ひめゆりの塔」(東映)
1954 昭29 金城上京、玉川学園入学。映画「ゴジラ」(東宝)
アイゼンハワー一般教書「沖縄を無期限管理」
1955 昭30 由美子ちゃん事件(沖縄)
問題の「琉球人め!」発言はこの年の初夏。
1956 昭31 「もはや戦後ではない」(経済白書)
朝日新聞「米軍の『沖縄民政』を衝く」キャンペーン
金城、同級生らと、沖縄訪問。
小原氏の訪問が、沖縄が事実上本土と分断された、昭和二七年であるということの意義は大きい。「補遺」には具体的な講演内容は記されていないが、この来沖で感じたことの内容から推定すると、柱は三本ある。
一つは、「沖縄県民かく闘えり」の延長にある、沖縄県民への賞賛である。例えば「ひめゆり」をめぐる言説には両義性があり、一つはうら若い少女達が、国家のために献身的に働いた、という評価である。もう一方は戦争という、あってはならない悲惨な現実の被害者としての側面である。「ひめゆり」は三回映画化されているが、昭28年版においては前者の側面が強い。「ひめゆり」は当時の視聴者から言えば、あるいは自分であったかもしれない、けなげな乙女達、だったのである。そしてこれは非常に大事な事だが、この時点でなくなった少女達の、亡くなる時点での主観に近いと思われるのが、この側面である。彼女たちは、自分が無駄に死んでいくのだという認識は持たなかったであろう。
当時、小原氏の講演に参加した聴衆もまた、沖縄戦への参加協力を無駄で無意味になもの、とは思えなかったに違いない。沖縄戦での民間犠牲者が、侵略戦争の報いとしての、無駄な犬死にであったという観点が出現するのは、私の調査の範囲内では、復帰以後である。
小原氏の講演の、もう一つの柱は、必ず本土人達は、この戦争の犠牲に報いるために、最大限の努力をする、というものであったと思われる。実際、この時期においては本土でもそう物資が豊かであった訳ではないが、小原氏は7000冊を越える書物を、沖縄に送っている。また大ヒットした「ひめゆりの塔」の東映と交渉し、利潤の一部を沖縄に寄付させたのも、小原氏であった。
三本目の柱が、小原氏の進歩主義に基づく、沖縄自体の成長である。小原氏の教育理念は、弱いものは弱いままでいい、というものではなかった。沖縄は「優生学」的に、排除されてしまうような、先天的な弱者ではない。懸命に自助努力すべきである。紫藻さんはウルトラ掲示板の方で福沢諭吉を取り上げておられるが、小原氏の思想には、福沢との類縁性も多い。
沖縄県民はよく戦った。本土はその感謝のため、最大限の努力を払うであろう。しかし沖縄自体もまた、最大の努力をしなければならない。
この思想は一九五〇年代の、ウチナーンチュの、特に知識人達の心をとらえたであろう。
そしてこの観点から言って、許し難いのは、些細な問題ではあるが、金城の風呂当番すっぽかし事件であったと思われるのである。
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「全人教育」および小原氏に関するメモ(2) (2) 03月09日(火)
*「優生学」について、本当にホンのちょっぴり勉強しているが、非常に難しい。少なくとも大正から昭和初期においては「優生学」は輝かしい先進的な理念であった。「優生保護法」が日本で撤廃されたのはつい最近のことである。
この時期の小原氏の思想を現在の意識で糾弾するのは、誤りであろう。さらに小原氏の思想がその後どのように変遷したか、十分に追っていないため、相当な慎重さが必要だろう。
*問題を複雑化しているのは、「人間は進歩する(べきだ)」という立場は原理的に徹底すれば、必ず「優生学」的発想を含むのではないだろうか、ということである。うちの場合長男が誕生する時点で女房はまだ20代だったため、試験は受けなかったが、様々な先天的障害を事前に知りうる方法が次々に確立している。念のため受けておこうというのが人情ではないのか?
*「断種法」の場合、国家が個人に対して、遺伝子の持続を強制的に禁止するものであった。現在の人権意識では、この主張は容認されにくいだろう。しかしそれが個人的な選択の場合、それを禁止するのは、やがて難しくなるだろう。場合によっては、「健康はもちろんですが、音楽的才能と、数学的才能をトッピングしてください」という時代がくるのかもしれない。
**前世紀、何よりも批判されるべきものは、科学的根拠を全く持たない、階級差別であった。日本において典型的なのはいわゆる「部落差別」である。この差別には全く科学的合理性はない。
ペスタロッチはどのような家柄に生まれようと、適切な教育を施せば、その子は無限の可能性を持っている、というものである。この考え方は教育関係者にとっては、今なお高い支持を受けているが、いかなる教育を施そうと見込みのない先天的障害者については、様々な意見が存在する。
*ここで神と科学とが対立する。例えば、つい最近、人工授精についてのみだが、男女の産みわけはほぼ100%で技術的には可能であるということが明らかになった。やろうと思えば、自然着床の場合も可能なのだろうと思う。実は我が家の場合、100発100中で女の子なら、第三子出産という合意がある。しかしまあ現状でもそう深刻ではないため、神に挑戦するほどの意志は持たない。
が、世間には深刻な悩みを抱えている家庭も現に存在する。特に沖縄の場合、伝統的に男児の出産が非常に望まれる。女児ばかり連続して出産した女性には、一定の圧力がかかる場合もあるようである。現在のテクノロジーはこの問題を技術的には解決しうる水準に達している。ではどうするのか?
*今日の日記は大幅に本題からはずれてしまった。
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