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最近は薄い手帳にその日の出来事がわかるキーワードを書くようにしています。記録を残すことが今までできなかったのですが、これからは心がけようと決心したのであります。12月の末から今までなんとか続きました。明日からもがんばろうっと。やはり記録は大切ですね。☆テーマの締め切りを今月の9日と決めていたので、さっきまでいろいろ考えていた。だいたい考えたので、それに沿って書いておこうと思う。1000文字のエッセイを30本書く。毎日一本書けば、一ヶ月で終わるけど、とりあえず一週間で一本書くのが目標。では、また。
2005.01.07
今日はいろいろある人に質問をしていたのだけれど、人に対して質問をする力が私には足らないことを思い知らされたような気がします。インタビューをするというのは、自分の力を試されるんです。私には質問力が足らない!今からでも質問力がつくでしょうか?経験が不足しているというのもありますが、相手に聞きたいことを的確な言葉にして提示することが大変難しいことがよくわかりました。いかに普段から思考することが欠けているかということでもあるんですよ!女同士のおしゃべりだと、共感するだけで終わります。おしゃべりではない会話を私はしてきただろうか?もともと話しが下手なのに、言葉で相手の真意を引き出すのはなんて難しいんだろう。つくづく自分の能力の低さを感じているのでした。
2005.01.06
知り合ってからずっと訪問してきた日記がなくなっていた。ハイテンションになっていたから、急にやめたくなったのかな?ネットの世界ってそういう部分もあるから仕方がありません。みんなそれぞれ自由意志で参加してるから。突然消える人って割と多い。また復活する人もいれば、永遠にさようならの人もいる。私が98年から続いている友だちは、ほとんど家が近所の人たち。やはり人間関係は活字だけじゃだめなんだよね。私は人と会う現実世界のほうが好き。☆同僚と話をしていて、彼から出てきた言葉がなんともかっこ良かった。一見地味で大人しい人なのだけれど、ときどきドキッとさせてくれる。今日の言葉はこれ。「プロですからね」仕事をするからには責任を持ってきちんとやり遂げるという強い意志を感じて、しばし感動。私はすぐに感動しちゃうのです。
2005.01.05
書き手とすれば、読み手のキモチが常に気になるものです。「何を書いたら皆様のお役に立てますか?」と四十歳からの仕事術さんが書いているので、私が読みたいことを書いてきました。書きながら私も思いました。「私、小冊子を発行すると決めたけど、何を書いたら良いんだろう?」面白い本、役に立つ本、涙を流してしまうほど感動する本、何度も読み返したくなる本、ヒントを与える本。そんな本しか出版する価値はないのではないかと思うんです。以前、友だちに「本を書いて出版してみたら?」と言われたことがあります。そのときの私は「本にするような価値がある文章を書く自信がないの」と答えました。出版する価値がある文章かどうか。大量の紙とインクを消費する価値があるかかどうか。そういうことを冷静に考えると、インターネットの隅っこでこうして言葉を綴っていれば誰の迷惑もかけることもないし、紙という資源を浪費することもないわけです。だけど、夢を実現させたいという気持ちがある。何を書いたら手に取ってもらえるか?読み返してもらえるような文章を書けるか?これって個人のリサーチとかアンケートでわかるもの?世の中にはものすごい数の出版物が流通しています。自分が書きたいと思うものを書いている人の本はたぶん一握りでしょう。ほとんどの作家は編集者や出版社と相談し、どんなものを書くかという企画を立てて執筆しているはずです。今年、私は小冊子を作ると決めました。私はどんな文章を書けば良いでしょう?当分テーマの選択に悩みそうです。というか、ずっと悩んでいるんですよね。自分の好きな本や映画をテーマに書く。魂を視点に入れて書く。コミュニケーションにまつわることを書く。身辺雑記をエッセイにする。今まで書いてきたblogを改めて書き直す。などなど。考えだすと色々出てくるのですが、自分の気持ちが読んでくれそうな人たちとの気持ちとかけ離れてしまっては面白いものはできないしね?とりあえず、書けないことを書き出して、書けることも書き出してみようとノートを広げている夜です。
2005.01.04
私の初夢。ピアニストのチケットが手に入り、サロンコンサートのような会場へ出かけたら、ピアニストが観客が6人しかいないといじけてた。私は彼女に「私はチケットが手に入ってついてると思ってる。私は実に運が良いと思う」とはっきり言った。その「きっぱり」感に自分で感動して目が覚めた。そういう夢でした。☆昨日は実家で妹夫婦らと食事をとりました。そのときの話題の1つ、オリンピックで金メダルと取った野口みずき選手の靴のことです。「金メダルをとったとき、野口選手が靴にキスをしたの覚えてる?」と妹のつれあい。「覚えてるよ」「あの靴底に使われているゴムは、会社の製品なんだ!」「へーーそうなんだ」「靴メーカーからキスしている写真が送られてきてね、ここのゴムの部分は御社の製品ですと書いてあった」そのあとは、靴製造にまつわる研究の話などが続きました。1人の選手をサポートするために、たくさんの人たちがいろんな智恵や研究成果を出し合って製品化しているんですね。私の知らない世界でした。私も1つ話題を提供。「女子レスリングで金メダルをとった吉田さおり選手のお父さん、うちの職場の同僚の仲人さんなんだよ。だから彼、アテネへ応援に行ったんだよ」と、こちらはまったくのプライベートのお話。しかし家族には受けました。「へーーそうなんだ」今朝、義母は久しぶりに介護センターへ出かけて行きました。お迎えに来てくれたセンターの職員さんに私は声を掛けられました。「〇〇にお勤めの鹿化川さんですか?」「はい、そうです」「☆☆は私の義理の母なんです。その節はお世話になりました」「へーーそうなんですか。こちらこそ宜しくお願いします」☆☆さんは、先月亡くなられた同僚なんです。ご縁がある方に今度は私の義母がお世話になることとなり、繋がりの不思議を感じました。今年は頑張って形のあるものを作るつもりです。そのためには自分自身納得のいく文章を書かなければいけません。がんばります!スワンズ(SWANS) 【即納OK】e-nox α(金メダリスト野口みずき使用モデルサングラス)
2005.01.03
市内の映画館でトム・ハンクス主演「ターミナル」を観て来ました。あの空港がセットとは凄いなあと感心しましたよ。内容も良いですね。今夜は短いですが、この辺で。
2005.01.02
「30歳からの成長戦略」山本真司著 PHP研究所刊を読んで本日「30歳からの成長戦略」を読み終えました。前著「40歳からの仕事術」を読んでいたので、作品としてはきっと良いものだろうと、友人にプレゼントするためにamazonで数冊買い求めてあります。しかし、実際に読んで見なければ内容はわかりません。本当に良いものかどうかは自分で確かめる必要はあります。面白いかどうかというのは、個人的な趣味嗜好もありますが、あまり酷い作品であれば人に勧めるのを断念することも必要だと思っています。はたして、読んでみてどうだったか?ビジネススキルとか、MBAとか、ロジカルシンキングとかと無縁の世界に住んでいる私にも大変良く分かる内容でした。とても良かったと思います。友だちにも安心してプレゼントできます。値段的に1300円でこれだけ内容が抱負な本はお買い得感もあります。最近やたら空白や字が大きい本が多いので、たまに損した気分になることがありましたが、これは違います。前回の本では経済用語が多く素人では意味がわからないと作者にお伝えしましたら、今回はきちんと日本語の単語がカッコがきでつけてもらってありました。 例)インベストメント(投資理論)そのあたりの心配りも素人が読む時に親切です。内容的に特に印象的に残ったのは、「欲」の部分を正直に書いているところです。人間だれにも欲がある。それを隠して良い人だと思われたいものです。しかし、著者はそれを隠していない。自分自身が通ってきた道として、悪いと思う部分もきちんとわかりやすく描いています。男性は論理的な思考を得意としています。そこに幅を持たせるための技法も隠すことなく紹介しているのは素晴らしいですね。ということで簡単ですが、今年一番初めに読んで良かった価値のある本となりました!☆☆☆新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願いします。明るい日差しの元旦です。年賀状も先ほど届きました。新しい気持ちで向かえる新年。大切な一日にしたいと思います。今年はblogをより良く活用して前に進みたいと思います。具体的なことは手元の手帳に!
2005.01.01
おせち料理は、れんこん、ごぼう、しいたけ、こんにゃくの煮付け、なますを本日は作りました。あと明日のすき焼きの用意をしておしまいにします。掃除もそれほど綺麗には出来なかったけど。まあ、完璧主義ではないのでそれでよし。年賀状も出し終えたしね。今年良かったことは、市立博物館の全ての特別展へ足を運んだことです。それまでも出来るだけ行くようにしていましたが、今年はパーフェクトです。久しぶりに子どもと一緒に行く機会を持てました。幸せでした。四十歳からの仕事術さんとご縁があり、新刊「30歳からの成功戦術」のあとがきに名前を記載していただきました。PHPというちゃんとした出版社から出ている本に名前を載せていただけるなんて、びっくりでした。良い思い出になります。仕事場で製作しているホームページにアクセス解析を設置したところ、アクセスが思ったよりも多いことがわかり喜んでいます。対外的に見てもらいたいホームページなので、成果が上がっているということが数字でわかったのは励みになりました。この三点に共通していることが私にはあります。それは人と人との出会いがあったからこそ実現できたことなのです。胸の中には感謝の気持ちが一杯です。楽天日記で知り合った皆様にも大変お世話になりました。どうぞ良いお年をお迎えください。
2004.12.31
今年は落ち着かない気持ちの1年でした。理由の1つはアルツハイマーになってしまった家族の存在があります。食べ物を異常に求めるために、冷蔵庫に鍵を取り付けたり、ガスを止めることをしなくなったので、電磁調理器をガス台の代わりに取り付けました。あっという間に症状が重くなり、鍵をあける智恵さえなくなってしまいました。介護保険についても少し知識を得ることが出来、週三回のデーサービスの利用を始めました。人間というのは突然変化を始めるということを目の前で見ることが出来ました。それが良いことか悪いことかは、人間万事塞翁が馬。今はどうとも言えません。家族のことを色々相談していた人がこの世を去ることとなり、寂しい気持ちになりました。思い出すと、胸が痛いです。闘病生活を送っていた同僚も苦しみから開放されて逝きました。もう会うことはできませんが、ご家族の方とお会いすることが出来て嬉しかったです。お互いに悲しみを共有することが一瞬でしたが出来ました。人って喜びも悲しみも誰かと気持ちを共有する瞬間、胸が熱くなるものですね。1人ではないということを感じるひととき。短くても永遠のひととき。そう思いませんか?☆あと二日でお正月です。現在、おせち料理や元旦の準備をしています。いつもの年ならお餅つきをしている日なのですが、家族が病気のため今年は取りやめました。作り終えたのは「田つくり」と「栗きんとん」、「たけのこの煮付け」です。あと、こんにゃく、れんこん、ごぼうなどを煮付ける予定です。夜のニュースで紀宮様のご婚約発表記者会見を見てました。お二人ともお似合いですね。あんな風に落ち着いて話ができるだけで尊敬してしまいます。これから紀宮様は内親王という立場を離れて、一般庶民の生活に入られるわけですが、どんな風に感じられるでしょうか?財布を持ってスーパーとか行くのかな?
2004.12.30
年末、やっと仕事に行かなくても良い日になった。いろいろ掃除したいところは山ほどあるのだ。家の中もパソコンの中も冷蔵庫の中も!今日は一日掃除に飽きたらネットであれこれ更新予定です!午前中、銀行へ行ってきました。それとドラッグストアでブルーベリーの瓶詰めを。定価3000円ぐらいするのが、1000円以下でいつも売っているのですが、これって本当の値段はいくらなんだろう?今から友だちのところと実家へ届け物に行きます。届いたばかりの「30歳からの成長戦略」をプレゼントしにね!友だち家にいるかなあ?友だちはパチンコ行って留守でした。残念~♪伯父夫婦の所にもご挨拶に寄りました。伯父は80歳になるんです。私の年を言うと「もうそんな年か!」と驚きます。お互い様でしょ!今年もあと少しで終わりです。今年も色々ありました。素敵な出会いがありました。とっても幸せでした。年々素晴らしい人たちとの出会いを重ねているような気持ちです。来年は家と仕事場との往復だけじゃないこともしたいなあ。そう願っています。楽天日記を書いていて良かったこと。1年以上毎日続けることが出来たので、自分が飽きっぽいと思っていたのが単なる思い込みであったとわかったことですね。新しく前に書いたものをさっぱりと消して、アクセスが今までの倍になりました。(それまでが少なすぎた?)アクセスが多いページとはいえないけれど、多くしようと思えばどうすれば良いのかというコツもわかります。実際には多くしようと思っていないので、たぶん来年も今のアクセスを横ばい状態だと思います。フリーページを活用していないので、来年はそちらに力を入れることにします。書評なども書いてみようかな?
2004.12.29
「30歳からの成長戦略」がネット書店から届きました。そっと後ろのページから開いてみました。作者の書いたあとがきの文章の中に大勢の方の名前に混じって私の名があります。私、感激しております!PHPから出版された本物の本のあとがきに私の名前があるなんてと、田舎者ですからそれだけで舞い上がっております。何しろ「はじめて」の経験です!たぶん文化的な環境にあったり、自らが作家として名乗っておられる方でしたら普通のことなのでしょうが、私には特別なこと。自分の存在を認めていただいた素敵な気持ちを味わうことが出来て、感謝感激です。この本は友だちのために数冊買い求めてあるので、これからボチボチ彼等に連絡をとってプレゼントする予定です。お年玉になるかお歳暮になるかは、ご縁のある月日次第となります。さて、今日は親戚の葬儀に参列してきました。故人は地域社会で人の役に立つお仕事を地道にこなして来られた方でした。突然の死を悲しむ人で葬儀場は一杯となり、ご人徳が忍ばれました。私は彼のことをとても信頼していたので、ぜひ一緒に仕事がしたいと私の仕事場である業務に携わる人を探していたときに是非にと紹介し、この秋まで同僚として働いてきました。実に誠実に勤務していただきました。検査入院するから迷惑を掛けてはいけないからと、この秋に退職されたばかりの訃報です。悲しくて悲しくて、葬儀では泣いていました。彼と一緒に仕事がしたい。そう願い、短い期間でしたが、実際に同僚として働くことが出来た私は幸せだったと思います。人生はいつか終わりが来ます。そのときその人がどんな仕事をしてきたのかが、問われるような気がします。仕事とは、人のために動くことだそうです。地域社会のために働いてきた故人のように、私も彼のように誠実に仕事を務めて一生を終えたいと思いました。40歳からの仕事術( 著者: 山本真司 | 出版社: 新潮社 )
2004.12.28
先日、同僚が亡くなった週に私がレンタルビデオで借りてきた映画は「死ぬまでにしたい10のこと」でした。23歳の若い女性が癌の告知を受けてから、やりたいと思うことを一つずつ実現させる内容でした。死を受け止めて生きていく姿と彼女を支える医師が印象的でした。同僚は病に倒れてなお、希望を失わずに生きたいという姿勢をときどき葉書に託してくれました。私は彼女からの葉書を受け取るたびに、自分自身の生き方を見つめる機会を持っていました。今週私がレンタルしてきた「阿弥陀堂だより」は長野を舞台にした四季の映像が美しい映画です。都会から田舎へ越してきた医師夫婦と地元の人たちとのふれあいや、死生観などを描いています。映画の中に不死の病をわずらいながらも、自分の意志で入院もせずに自宅で大勢の人たちに見守られて死んでいく男性が出てきました。ちょうどその場面を見ることになった日、親戚の男性が亡くなったことを知ったのです。誠実な方でした。私は普段なるべく明るい映画をみています。私は自分の身近にいる人の死とたまたま見ることとなった映画の登場人物が癌で命を終えることに、何か意味があるような気がしました。そのときどうしてもみたいと思った「死」を描いた映画と現実とが重なっているのです。これもシンクロニシティなのでしょう。私に命の大切さを学ぶようにというメッセージなのかもしれません。人は誰でも死ぬために生きているようなものです。死から逃れることはできません。だからこそ、私はより良く生きることはより良く死ぬことに繋がるのではないかと思っています。人の寿命というのは、不思議なものです。身体の丈夫な人が長生きかといえば、そうではありません。スポーツマンは身体を鍛えてはいますが、短命で終わる人もいます。身体が弱く病気を持っている人のほうが長生きするときもあります。人の寿命はわかりませんね。わからないからこそ、命を大切にしたいものです。自分の命も自分の周囲にいる人たちの命も大切にしたいと思います。
2004.12.27
明後日、親戚の葬儀があります。真面目で誠実な方でした。何かあったら頼りにしたいと思っていた方でした。だから、とても寂しい気持ちです。ご家族の方を会うと、すぐ泣きそうになってしまいました。私泣き虫です。号泣しそうになります。いろんな書物を読んで、知識としては「死」は魂が身体という入れ物を脱ぎ捨てて、天へ還っていくことだと知っています。だけど,悲しいです。これは感情ですね。悲しみという感情を押し殺すことは人間として良くありません。喜怒哀楽を味わうためにこの世に生まれてきているのです。ちょっと今夜の日記は短いですがこのへんで。
2004.12.26
昨日、帰りがけに同僚から鎌倉名物のお土産を手渡されました。「半月」というお菓子でした。上品なうさぎの柄の包装です。プレゼントしてくれたのは、職場でも全国レベルの仕事をしている男性です。受け取った瞬間、私は本当に嬉しかったです。私の仕事を認めてもらえたのだと実感したからです。今の仕事場は公的機関です。私の職種は臨時扱いの事務員で、勤務時間はフルタイムですが、あくまでもアルバイト待遇。社会保険には加入していますが、福利厚生などはありません。職場の親睦会に入れてもらっているぐらいですね。仕事は専門性のない単純な事務。窓口での受け付けや電話応対、庶務的なことや、ある団体の会計です。楽といえば、楽な仕事ですね。責任もそれほどないし、さぼろうと思えば何もしなくても済んでしまうかもしれません。仕事というのは、人のために動くこと。自分が今何をしたら良いのか、自分で考えて動く。それが生き方全般に繋がっている。そう考えています。色々転職を重ねて今の仕事場にめぐり合えたのも、それぞれの場所で誠意を持って働いてきたからだと思っています。私は欲張りな人間なのかもしれません。事務員としての仕事だけでは物足りなくて、職場で働く大勢の人たちと関わりあう仕事がしたいと願いました。そこで私は、自分が会計をしている団体のホームページを立ち上げることを考えたのです。実はホームページを作ると決めたものの、作ったフォルダの中にそれぞれindex.htmlというファイルをいれることも知りませんでした。自分でホームページを作ってはいたものの、フロントページエクスプレスという無料ソフトでの作成で、FTPソフトの利用もちんぷんかんぷん、フォルダに分けてページを作るという知識もなかったのです。また、ホームページビルダーをインストールしたものの、使い方がわかりませんから、画像の貼り付けやリンクの貼り方も同僚に教えてもらいました。右往左往しながらの作業です。まったくの初心者同然ですから、最初は団体の規約などのテキストだけのページからスタートしました。その後、大勢の同僚たちがそれぞれの分野で活躍している部門についてのコーナーを作ることを決め、協力を求めました。そこからが楽しく大変な毎日が始まったのです。何しろ実績がない人間が突然フロッピーを片手に「原稿をお願いします」とやってくるわけです。「この人、いったい何を考えているの?」「何ができるんだ?」ホームページの原稿を依頼される側に立てば、年齢は重ねていても入ったばかりの事務員、それもアルバイトに仕事を頼まれるのは、実に迷惑な話です。それにどんなホームページを作ろうとしているのかも、まだ何も出来ていないわけですからわかりません。手渡されたフロッピーが、そのまま机の中へ仕舞いこまれるケースがほとんどでした。せっかくアップした内容に外部からクレームが来たこともあります。本人は情報を公開しても良いと思っていても、外部からのクレームには対処しなくてはいけません。私は団体担当としてのメールアドレスを公開していないので、公式なホームページを運営している情報担当者宛にクレームは届きます。その人にはとても不愉快な思いをさせてしまったようです。ありがたいことに、気持ちよく協力してくれる人もいます。全国へ情報を発信する必要がある組織を運営している人たちです。その人の組織の情報を中心に私のホームページ作りは動き始めてと言っても良いでしょう。朝原稿を依頼したら、夕方HTML形式のファイルで原稿を作ってくれた同僚もいます。その人には色々困ったときには助けていただいています。尊敬している人とめぐり合えた気持ちです。なかなか原稿をいただけない人が何人もいて、「いただけるまで日参します」と半年過ぎた頃には宣言しました。私は彼等に嫌がられながらも、なんとか原稿をいただくことができました。クリスマス・イブのお菓子をプレゼントしてくれた同僚もその1人です。「そんなツマラナイもの作ってどうなる?」とまで言われました。しかし、最近は名誉挽回。がんばって写真つきのページを何枚も製作できるようになり、初めて「ありがとう」という言葉をいただいた時は、とても嬉しかったです。その同僚に認められるまで1年以上かかりました。たぶん、いいえ、だからこそ嬉しい気持ちなのです。仕事を認めてもらえるのは嬉しい。心からそう思っています。
2004.12.25
98年の秋にホームページを開設してからずっとインターネットで文章を書き綴っています。過去の文章は少しだけ、違うblogに残してありますが、あとは消してしまいました。来年はパソコンの画面の上だけではなく、紙の上にも文章を書いていくことにします。手帳とノートを広げてペンで書く。意識して自分の手で書く。まず年末から使い出した新しい手帳に、その日の簡単な記録を書き始めました。書いていてわかったことがあります。私の記憶の中に残る出来事は、ほんのわずかだということです。見事に忘れている。たとえば昨日食べた夕食も色々考えないと出てきません。単に記憶力が悪いだけではなく、意識的に生きていない証拠だと思うのです。パソコンで日記を書くときは、指が動くのに任せています。頭で色々考えて書いているわけではありません。自然に動く指先から生まれてくる言葉たちがあります。ところが手でペンを持つときは違います。自分の頭で何を書いたら良いのか選別し、考えて、思い出す。そういう思考作業が伴うのです。これは発見でした。私は脳の一部をパソコンを使うことで眠らせていたのかもしれないと。パソコンを使うためには新しい知識や工夫が必要でした。ペンで書く作業とは違いました。わけのわからないファンクションキーたちを使いこなすために、悪戦苦闘したものです。その苦労も何時の間にか忘れてしまいました。忘れることで楽になった作業は、無意識に指が動くという域に達するわけです。しかし、果たしてそれで良いのだろうか?書くことをもっと意識しなくてはいけないのではないだろうか?そんなことを考え始めています。だから、ペンを取る時間を大切にしたいと思います。.:*:・'゜.:*:.:*:・'。.: ★ *☆☆ * *☆☆☆ * *☆☆☆☆ * *☆☆A☆☆ * *☆ Merry ☆ * *☆☆☆☆☆☆☆ * *☆ Christmas! ☆ * *☆☆☆☆☆☆☆☆☆ * | | ~~~~~四十歳からの仕事術さんのキャンペーンに協力します!ここをクリックしてね!
2004.12.24
漠然とこんなことをしたいと思っていることも、具体的にこうしたいと願い、そして忘れると実現することが多いような気がしています。忘れるというよりも、神様に預けると言った方が良いのかも知れません。人事を尽くして天命を待つという言葉がありますが、精一杯努力して後は神様にお任せする。夢を実現させるために努力しつづけることは必要だけど、がむしゃらにするのではなく、心のどこかに神様の存在を忘れないようにしておく。折に触れて感謝し、心に平安を与えておく。これにつきるかなと。人に夢を語っておくことも大切ですね。この人はこんな夢を持っているのかということを周囲の人たちがわかってくれていれば、その夢に関する有益な情報を与えてくれるものなのです。語るときも静かに一対一で語るのが良いでしょう。なるべく静かに。大声ではなく、密やかな声で。心の中に染み込むのは大声ではなくて、小さなささやきだと思うのです。私は日記に自分自身の弱さも綴ります。傲慢な部分を持っていることを忘れないように、嫌な部分も綴ります。ときどき読み返しながら、こんな部分を気をつけようと考えます。それと同時に夢も綴ります。夢を忘れないように生きていくことが大切なので。夢は実現するためにある。夢は草かんむりがついてます。草は育つものですよね。もっと細かく分解して調べると、面白い語源があるかもしれません。そして夢を見ている人を応援するのも素敵なことだと思います。人が成功するためには、自分だけの力では不可能ですね。夢を実現させるために努力している人の応援をする。とても大切なことではないでしょうか。まず身近な人から。家族や友だち、同僚の夢を聞いたなら、さりげなく応援してあげる。応援できる回数が増えてきたら、きっと自分の夢にも近づいている。私はそんなことも感じています。応援するという生き方。黙って見守るという生き方。黙って応援しているよりも、一声掛けることをこれからは選んで生きたいと思います。来年の目標は、一声掛けて応援すること!心がけます。夢をつかみましょう!開運あやかり箱※2個お買い上げで送料・代引き手数料無料宝くじを入れるのに良いみたい!
2004.12.23
現実社会の中で生きている私は、大人しく地味な暮らしをしています。嫌なことがあってもたいてい我慢しているし、なるべく静かに目立たないような生活をしています。陽気に笑うことはあっても、機嫌の悪さを相手に感じさせることなく振舞うために努力しています。これは田舎の兼業農家の嫁という立場をずっと続けていることもあり、我慢強さを静かに育ててきました。表舞台で派手に振舞える人は素敵だなと思いつつ、陰で華のある人を支える仕事を得意にしています。もっともいつも落ち着いた人になりたいと願いつつも、おっちょこちょいでドジを踏むところも多いですね。しかし、書いている私は別ですね。自分で自分に言い聞かせている部分が大きいです。「私はとっても運が良いの」「私はなんてツイているの」「私は幸せそのものだわ」そんな言葉を選んで書き綴るようにしています。自分自身に言葉を聞かせているんです。思いっきり傲慢な言葉も書きます。「私って良い女になりつつあるかも?」「綺麗だと言ってもらえる人がいるのよ」「素晴らしい人とばかり知り合えるの」こんな言葉、数年前の私だったら絶対に綴ることはなかったような気がします。私にとって日記というのは、仮想の現実そのものでした。なりたい願望を書くことを大切にしていました。哀しみを描けば、悲劇のヒロインになったような気分を味わえます。出会った人とのエピソードを綴れば、恋物語も生まれます。バーチャルな世界を楽しむ。それは普段使ったことがない言葉を書くことでした。謙虚な言葉を綴るよりも、傲慢とも思えるような言葉を綴ってみる。そうすることで、自分自身の心に潜んでいる感情を言語化して、開放する効果が生まれます。言語化することは、心を開放する。それを最近実感するようになりました。心理療法の一つに箱庭療法があります。砂の上におもちゃを置いて、自分を表現します。カウンセラーが一緒にその作品を味わうことで、心が自然に癒されていく。そんな療法です。書くことも心理療法に似ています。自分の内面から出てくる言葉を書き綴る。それを誰かが読んでくれている。楽天だとログとしてそれが残ります。一緒に読んでくれているという気持ちが生まれます。そこで少しずつ心が開放されていく。自我の垂れ流し状態ではマズイのかもしれませんが、ある程度必要だと思います。最近面白いと参加しているのは、吉井ハルキさんのメルマガへの返信です。★コタエはアナタの中にある★吉井ハルキさんの楽天日記昨日のメルマガのテーマは 「これが最後ですか」今日私がその返事を書くとしたらこうです。「これが最後ですか」「今から新しく始めるためには、一つ終わらせましょうよ」昨日はちょっと違うことを書いたような気がします。一つの言葉から自分の中からどんな言葉が生まれてくるかを楽しんでいます。他の人たちも違う言葉を選んでいる。それが面白いんですよね。普段使うことがないような蓮っ葉な言葉がぽっと出てくることもあるのです。自分の中にこんな部分があるのかと驚きます。そこが現実の私とインターネットで書いている私との違いでしょう。無意識に出てくるものを表現していくのが書くことだから。現実は常に意識して行動していくことを求められる世界だから。今日、ちゃむさんのサイトから小冊子を購入しました。いやあ、こんな郵便物を受け取るのは初めてです。受け取った瞬間幸せな気持ち。こんな細かいところにまで気を配っているなんてと。それに字が綺麗なんですよね。四十歳からの仕事術さんの新刊キャンペーンにも参加しました。人の夢に参加するのも良いことですね。いつか私もなんて、これは夢です。
2004.12.22
昔、地元でミニコミ誌を発行するグループに所属していて、A4の紙に手書きで原稿を書き、一枚に付き1000円払ってました。ミニコミ誌は書店やスーパーで無料配布。タイトルは「あ!ん?鈴鹿」。3年ぐらいは書いたと思います。メンバーは小学校の教師が多かったかしら?詩人として活躍している人もいましたね。菰野で風の子塾をしている人もいますね。みなさんお元気かな?「あ!ん?鈴鹿」では、日常生活に関することや思ったこと、感じたことを手書きコピーで印刷し「読んでも良いよ」と言ってくれた友達には郵送料のみ負担してもらっていました。近くの病院で古い封筒をもらい冊子を送るのに使いました。リサイクル封筒です。私の「もの書き」の原点はここにあると言っても良いかもしれません。好きなことを自由に書く。読んでもらいたい人に読んでもらう。30冊ぐらいあちこちに配っていましたね。懐かしいです。来年は小冊子を発行し、普段インターネットにアクセスしていない人にも読んでもらおうと思っています。昔は新聞投稿をして掲載された記事をコピーして名刺代わりに使っていましたが、小冊子を名刺にしても良いかなとも考えています。自分自身を表現するために、言葉を印刷する。そのためにはどうしたら一番効率的に美しいものができるか。また、内容をどうしたら良いのか。いろいろ考えていきたいと思っています。両面コピーしてホッチキスで留めるだけでも小冊子は出来ます。それだと、お金もそれほど掛かりませんね。しかし手にとっても貰うときに、ページを開く瞬間のわくわくする気持ちは味わえません。美しいイメージを与えることは出来ません。どうしたら良いのか?身近に小冊子を発行している人もいるし、インターネット上でも小冊子を発行している人もいます。商売にしている人もいます。比較検討して、私らしいものを創造するためにどうしたら良いのか、考えて行こうと思います。もしも、良い案がありましたら教えて下さい。よろしくお願いします。
2004.12.21
「日々の幸せを与えしことを感謝します」と書いてある可愛い子猫の写真付きカードを机の前にはりました。幸せって、感謝することですよね。私は感謝をプレゼントの形に変えて、機会があれば物に託します。今日は畑の柚子を配りました。仕事場でご縁のある方たちへ手渡しました。私の手から同僚の手へと渡った柚子たちは、明日それぞれの家のお風呂の中で良い香りを満たすお仕事をするのです。幸せなバスタイムを演出するお仕事です。しっかり働いて欲しいな。クリスマスやバレンタインデーは、世間的にプレゼントをすることが認められている日だから私は好きです。特にクリスマスは可愛いカードがたくさん売っています。昨日は文具店で素敵なカードを何枚か買い求めて、メッセージを書いていました。普段あまり贈ることがない人にでも、クリスマスカードだったら受け取ってもらっても自然だと思うので、この機会に思い切ってメッセージを書くのです。今の職場にはたくさん素敵な人がいるので、とても嬉しいです。どの人にどのカードを贈ろうかと、考えているだけで幸せ。こっそりレターケースへ入れて贈る相手もいれば、手渡す人もいます。ちょっといたずらっぽい気分を味わえてドキドキしますよ。今日は忘年会の幹事さんのレターケースにキティちゃんのカードを入れておきました。お祈りがテーマのカードで、私がもらったら嬉しくて飛び上がって喜びそうな言葉がずらり。人によって感じることは違うので、どんな風に思ってもらえるかは不明です。ドキドキしたり、わくわくしたりする気持ちを味わえる。楽しいときめきを感じられる。これは私の個人的な感情なのですが、プレゼントを選ぶひとときが幸せなんです。お返しがくることは、ほとんどありません。だって、これは私が贈る人に対してのお返しだからです。お話してくれてありがとう。笑顔をありがとう。一緒に時間を過ごしてくれてありがとう。いっぱいいっぱいありがとう。そのお返しです。
2004.12.20
忘年会の景品だった胡蝶蘭が我が家へやってきました。3本立ての豪華な白い優雅な花です。忘年会の会場でくじ引きが始まるとき、景品が紹介されました。10種類の花が当日の景品だったのですが、胡蝶蘭の時だけ私は「胡蝶蘭が欲しい」と強く願いました。くじには外れましたが、結果的には私のもとへ来てくれたので、なんだか運というよりも念が強かったのかなと思います。もっとも残りものには福が有るという言葉が適当な状況だったのですが、これもツイてるわけですよね。今日は午後からクリスマスカードを書いていました。畑でちぎった柚子を添えて、お世話になった方たちへプレゼントする予定です。いつもでしたら、義母がご近所や自分の友だちに配っていました。もう彼女にはそんなことができるはずもありません。いつも義母が届けているであろう方たちへ用意してから、私の友だちのために袋詰です。柚子の香りは良いですね。瑞々しく清清しい。冬至は明後日です。プレゼントした先のお風呂で活躍してくれることでしょう。義母は今日は一日寝ていました。一日部屋中を徘徊する日もあれば、一日寝てばかりの日もあります。人間って明日はどうなるかわからない。義母を見ているとそう思います。誰も痴呆になりたいなんて思ってはいないでしょう。しかし、病から判断力、記憶力がどんどん衰え、日常生活に支障を来たし、とうとう介護保険のお世話になるまでになる。その日がいつくるかは想像できません。一日一日を大切にしなければいけないと、心から思います。家族に要介護者がいると、将来のことを心配したり、悩んだりすることもあります。だけど、悪いことを考えても仕方がないんですよね。陽気な暮らしをするためには、明るく前向きな気持ちを高めていくことが大切です。神様はその人が背負えるだけの荷物しか用意されていないはずですし、人生は修行です。楽しいことばかりでは、思いやりの心も育つことはありません。二人の子供たちも義母の身体を支えたり、薬を飲ませたりという作業を手伝ってくれています。優しく人と接することを実地訓練している毎日です。どんなことでも良いこともあれば、悪いところもある。病を得てしまった人との暮らしは、大変な部分も確かに有りますが、子供たちにとっては思いやりを学ぶ機会になっていることがわかります。私自身にしてもそうです。些細なことでは怒ることもありません。ほとんどのことは笑顔で済ませることができます。近所の人たちに「大変ねえ」と声を掛けていただくことが多いのですが、そんなときはサラリと「仕方ないですよ」とニッコリ笑うだけで済ませています。あれこれ説明しても始まりませんよね。受け入れるしかありませんから。だけど、自分の夢や楽しみは捨てませんよ!人生は楽しまないとね!
2004.12.19
職場の玄関で、ときどき大きな声で私を呼んでくれる男性が一人います。声の主のMさんは76歳。職場の近所に住んでおられ、毎朝周辺のゴミを拾い集めるというボランティア活動をされています。雨の日もカッパを着て作業をしている場面を見ました。片手にはゴミが一杯入ったビニル袋を持っていました。今の季節、周辺の道沿いには水仙の花が咲きそろっています。ちょっと前まではコスモスでした。アマリリスの時もあります。美しい景観を保つために、日々の花の手入れをする作業もされているのです。Mさんが玄関で私を呼ぶときは、決まって両手一杯に花束を抱えています。早春の頃は、薫り高い蝋梅でした。初夏の頃は見事なすかし百合や芍薬でした。秋に入り、今は色とりどりの菊の花。友禅に描かれた菊の花を思わせる様々な色合いが揃っています。私のために、Mさんは丹精こめて育てた花を持ってきてくれるのです。生き生きとした花たち。お花屋さんで売っている花とは違い、さっきまで畑で咲いていたのです。新鮮な香りに満ちています。私はこの1年、何度も両手に花束を受け取ると言う喜びを味わうことができました。今こうして思い出してみると、夢のよう。花束を贈られるなんて、仕事を退職するときぐらいしかなかったのですが、純粋なプレゼントです。しあわせでした。贈り主が地域のために静かに地道に活動されている方というのも幸せの一つです。高潔な魂を持つ人でなければ、黙って奉仕作業はできません。いつも作業着と長靴で現れる紳士からのプレゼント。こうして書きながら静かな感動を味わっています。どんな人からの贈り物か、どんな人から交際を求められるかで女としての値打ちが決まるとすれば、私はこの1年で随分出世したような気分です。四十歳からの仕事術さんのキャンペーンに協力します!ここをクリックしてね!
2004.12.18
市内で職場の忘年会に参加してきました。駅から約10分ほど歩くのですが、ずっと住んでいる街でもめったに歩くことがない場所なので、知らない街に来ているかのような錯覚に陥りました。それも一人旅。私は車に乗せていってあげようという申し出を全て断って、一人で歩いて行ったのです。銀行へ行く用事もありましたが、本当の理由は歩きたかったからなのです。1人で歩く道。女の一人歩きは物騒だと言われながらも、まだまだ地方都市は平和です。なかなか最近は見慣れない風景の中に身をおくことがないので、たった10分弱とはいえ普段歩くことがない道をお散歩してきました。楽しかったです。いつもと違う街路樹や何時の間にか立て替えられている建物たち。一つ一つを自分の目で確かめながら歩いていく。心が小さな感動を見つけていました。忘年会そのものは大人数での宴会なので、私はひっそりと女性たちだけのテーブルで食べることに励んでいました。賑やかな宴の席はあまり得意ではないのですが、お酌もすることもなく、ゆっくりと過ごせて良かったです。しかし、帰り道、それほど飲んだわけでもないのにちょっと酔っていました。自分で自分が面白いなと思いつつ歩く帰り道。帰りは一人ではありません。二人で歩く道も楽しい道でした。車中心の日常生活ですが、機会を作って歩くことは、自分の街を見直すきっかけになります。楽しいひとときになりますよ。
2004.12.17
自分にとって理想の人とめぐり合い、共に人生を歩む。若い女性にとってそれは、甘い夢そのものだと思います。私も若い頃は、自分の夢や希望を胸に一杯詰め込んでいました。そして自分にとって相応しい人とめぐり合ったようで、出会ってから20年過ぎても仲良く暮らしています。私の理想の男性は、仕事人間ではないことでした。仕事人間は絶対に嫌だったのです。趣味がある人としか結婚したくなかったのです。実のところ、他のことはどうでも良かったかも?もう一つ理由はあります。それは夫の顔が気に入ったからです。子供たちには「結婚相手にお父さんを選んだのは、顔が良かったからよ。お前たちもお父さんに似て、二枚目で良かったわね」と言っております。二人の息子は複雑な顔をしています。私は歯並びが悪いので、とりあえず歯並びが良い男と結婚する必要がありました。子供たちにこんなガタガタの歯を与えるなんて、可哀想ですから。歯並びの悪い私の父親の遺伝子をそのまま受け取ってしまった私。私の持っている遺伝子を消すぐらい強い男を選ばないといけない。結婚相手にはそういう男が必要でした。(こう書くと、まるで★馬を探すみたいですね(* ̄∇ ̄*)ノ)夫の歯並びは完璧でした。写真写りはかなり良いと思います。笑顔で歯を出して笑えるというのは素晴らしいことです。私は絶対に出来ません。美人になるためのマニュアル本を読むと、私は不合格です。綺麗に揃った白い歯が美人の条件ですし、たいていの本は矯正を勧めています。矯正なんて、私には出来ません。美しくなるために歯を6本も抜いて、矯正器具をつけるために100万以上のお金を払えるだけの経済力はありません。痛みに耐える自信もありません。だからその点は神様に与えられたものとして、諦めています。これこそ私に与えられた今生の試練なのです。ああ、人生は修行だ。。本当は、理想的な人生を送るためにはどうしたら良いかについて書くつもりだったのに、どうしてこんなことを書いているのだろう?さて、私は自分の理想とする人生を歩むためには、何を選び、何を捨てるかを考える必要がありました。自分で考えることは大切ですが、それを実現させるためには自分だけの力では叶うことはありません。目に見えない何かが必要なのです。夢を実現させる、理想とする生き方をする。そのためには、日頃から意識して自分を見つめることが大切だと思います。たとえば、友だちとの関係について考えてみます。友だちというのは、出会った瞬間に打ち溶け合って何時の間にか友だちになっている場合もあれば、こちらから働きかけて友だちとしてお付き合いが始まる場合もあります。私の場合、後者であるときは、一生懸命相手が何を求めているか、どうしたらこちらに関心を持ってもらえるか考えます。そして同時に自分自身が相手にとって友だちとして相応しいと感じてもらえるかどうか、客観的にも考えます。子供時代は時間がたっぷりありました。今は自分の持ち時間が少ないので、限られた時間をどのように使うか選ぶことが大切になっています。限られた時間を誰と過ごすか。楽しく過ごす相手として自分を選んでくれるかどうか?同じ時間なら楽しく過ごしたいと思います。それはどんな人でも同じでしょう。ご縁が繋がるかどうかは、自分の努力だけではどうにもならない部分もありますね。友だちになりたいといくら思っていても、すれ違いが続くときもあります。邪魔が入るときもあります。私は日頃から徳を積んでおくことが大切だと思います。陰徳を積む。そうすることによって、求めることが得られるのです。自分の努力と日頃の心がけで、運は開け、人間関係も繋がる。友だちになりたいと願う人とも繋がることが出来る。そんなことも考えています。風水・福シール【大】
2004.12.16
昨日「旅」という書を贈ってくれた方に、私の日記をコピーして(メールで保存してあるタイプ)机の上に置いてきました。受け取ったものについて、何を感じているか。知って欲しくて書いたものをそのままに。私が愚かな人間であることを、ほんの少しだけどさらしてしまっているので、今更良いカッコしてもはじまらない。実際呆れられている可能性は大です。いろいろ失敗もしてるし、喜怒哀楽も見せてしまってますので。人間って良いところもあれば、悪いところもあります。私も長所もあれば、欠点もあります。なるべく良い部分を伸ばして、悪いところを無くそうと努力してはいるものの、なかなか上手くいきません。だけど、だからこそ、人間なんだなと思います。失敗することで、同じ失敗をしないように用心深くもなる。いろんな感情を味わうことで、他人に対する思いやりも生まれてくる。もしも何ごともなく、全てにおいて順調な人生を歩んできたならば、私はこうして文章を書くこともないと思うのです。文章を書いてきたからこそ、多くの人たちと出会えました。仕事も得ることが出来ました。失敗も悪いことも、全て私には必要だったと思います。昨日、土曜日に亡くなった同僚のご家族の方が職場へご挨拶に来られました。私は夏頃から入院している同僚の気休めになればと、ときどき絵葉書を送っていました。お誕生日にはプレゼントを、今月はクリスマスカードを送りました。病院の窓から見えるのは空だけです。入院していると、社会から取り残されたような気持ちになりやすいと思います。自分がいなくても世の中は動いていく。自分の存在が世の中から離れていく。それがとても寂しくなるはずです。深い信仰心があるはずの僧侶でも、病に冒されて自殺したという例もありますので。私がもしも入院したとしたら、きっと寂しくて寂しくて仕方がないと思います。好きな人たちと会えない。忘れられてしまうから悲しい。ちょっと想像しただけでも胸が張り裂けそうです。ただでさえ、人付き合いが悪いからお見舞いに来てくれる人なんていないと思います。入院していた同僚へ葉書を書くことは、まるで自分自身へ書いているような気持ちでした。自分が入院しているような気持ちで書いていました。実は過去に私は老人ホームの入所者宛に手紙を書くというボランティアを三年ほど続けたことがあります。正しくは、三年しか続きませんでした。始めたのなら、もっと続けていけばよかったのに、返事をくれた方が亡くなってから、他の方へ書く気力がなくなってしまったのです。申し訳ないことをしたと思っています。自分の勝手で始めようと思い、紹介していただいたというのに、自分が飽きたから勝手に止めてしまう。そんなひどい人間でした。中途半端な善意は相手を傷つけ、自分も傷つける。過去に学びました。だから私は夏に入院した同僚に葉書を送ろうと決めたとき、絶対に誠実であろうと思いました。誠実でありたい。過去に失敗しているからこそ、そう思うのでした。絵葉書用フレーム
2004.12.15
日曜日は、おかげ横丁でお土産を買いました。誰かにあげるものは、あとに残らないものが良いと思っているので、食べるものがほとんどです。お酒が大好きな同僚のためには、コップ酒を選びました。事務室用には、ふわふわの「糸いん煎餅」を買いました。自宅用にはもちろん「赤福」です。「赤福」以外は軽いお土産のオンパレードです。月曜日、仕事場で隣の席の同僚に海藻のフリカケを差し上げました。彼女は健康的な食品が好きなのです。あとはのお土産は普段お世話になっている方、数人に。本当はもっと買って帰りたい気持ちですけれど、予算の都合がありますから、そんなに沢山買えません。限られた方だけにプレゼントです。今回は、地場産のものを扱っている店の二階に伊勢で梳いたという和紙、それも現代的なパソコンのインクジェット用紙も買って来ました。消耗品だし、軽いし、七色入りの和紙なんておしゃれでしょう?これをお土産に買ったとき、私の脳裏には図々しい計略が閃いたのです。「プレゼントしてもらおう!」日曜日は私のお誕生日でした。ネット以外では公表していないことなので、同僚たちは誰も私の誕生日を知りません。従って、職場では誰からも「おめでとう」とは言ってもらえるはずもなく、プレゼントなんて当然ありません。まさか自分から「昨日、私の誕生日だったから、何かプレゼントちょうだい!」なんて言えるわけがありません。そんなこと言ったら、馬鹿丸出しですよね。しかし、私は言ってしまいました。「あのね、これお土産。綺麗な和紙でしょう?それでね、一つお願いがあるの。昨日私のお誕生日だったの。何か一枚紙に書いて下さい」「自分の好きな本の名前とか、好きなホームページのアドレスとか、イラストでも良いからね」と、パソコンに詳しくいつも何かとお世話になっている同僚にさりげなく頼んだのでした。みなさんは決してこんな真似はしない方が良いかと思います。宿題付きのお土産なんて嫌がられる可能性大です。お土産を物々交換の材料にするなんて、馬鹿の局地。私は従って、かなりの馬鹿です。ひょっとしたら嫌われてしまったかも?というリスクも抱えてしまいました。あの時、あんなことをしなければ良かった。もう少し、我慢すれば良かった。後悔先に立たずという状況も想像できます。今、私はとっても幸せ状態です。部屋の壁には今日手渡された和紙を貼りました。和紙には「旅」という一文字。雅印もあります。手渡された瞬間、とっても感動してしまいました。仕事を終えて家にいるプレイベートな時間、私のために墨すり、筆を取ってくれたのですから。素敵な書。「旅」の字は、芭蕉の俳句のイメージだとか。 「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」芭蕉しばらく眺めて暮らします。和紙ならではの風雅な趣が楽しめる用紙です。インクジェットプリンタ用和紙(白)【年越し特集2...
2004.12.14
10年前というと、長男は小学2年生、次男は幼稚園です。私はまだ専業主婦四世代同居七人家族で、冬の間は「なばな」の出荷を手伝う兼業農家の主婦でした。毎日のようにオーブンからは美味しいお菓子の香りが漂っていました。地元の育児サークルのお手伝いもたまにあり、可愛い子供たちと遊んでいました。小さな子供たちが私が道を歩くと手を振ってくれた甘い記憶が残っています。地域の子ども会の役員をしていました。初めて導入されたドッチボール大会のために、審判講習会を受けたり、夏休みに流しそうめんの企画を考えたりしましたね。忙しかったけれど充実していました。反面、子どものPTA関係のお付き合いは苦手でした。毎日の幼稚園の送り迎えやそれに付随するお付き合いには入り込めず、1人の時間を過ごした記憶があります。人付き合いが苦手な親を持ってしまった次男は、仲良しの友だちの誕生会に呼んで貰えず、寂しい思いもさせました。親の付き合いの兼ね合いで誕生会に呼ばれるメンバーが決まっていたからです。「どうして僕は呼ばれないの?」と泣きべそをかいた次男でした。当時の免許証の写真の私は、とても暗くて老けた疲れた表情でした。その写真はもう残っていませんが、陰気な顔そのものです。よほど苦痛だったのだなあと、免許の更新のとき思いました。今のほうがずっと若い「表情」をしていると思います。10年前の私は、外の世界に出たくて仕方がありませんでした。小さな狭い世界よりも、もっと外の世界でいろんな人たちと触れ合いたい。そういう気持ちが強かったですね。それなりに頑張っていたと思います。だから今の自分がいる。今の仕事は当時の私がやりたいなあと思っていた仕事にとても近いのです。転職を重ねながら、理想に近づいてきた。そんな気持ちです。10年後の私は何をしているか?今の仕事は続けて行きたいという気持ちは強いです。内容は、若い人たちとのふれあいと社会的に意義のある仕事のサポートです。私は自分が前面に出て仕事をするよりも、誰かの仕事のお手伝い的な業務が合っているからです。バリバリ人の前に出て目立つ仕事よりも、組織の末端にいて、トップに立つ人たちのサポートをしていたい。トップ稼業もボランティアで経験し、私はサブが向いていると実感しています。現在の仕事が生業なら、副業として文章を書く仕事にも関わりたいと願っています。話をするのは苦手なので、こちらもあくまでも名前はペンネーム、顔も公表しません。派手に売れなくてもいいから、何時の間にか版を重ねているような本を書いてみたいです。内容の理想は、読むだけで心が洗われるような世界。明るいだけの文章では心は満足しないのです。暗く悲しい感情や沈んだ気持ちも必要です。心の中の光と影を描くことで、魂を輝かせるような文章を書きたい。これが理想です。防犯上のことも考えると、長者番付には載りたくないですね。現在の収入より10倍ぐらいの副業収入がコンスタントに入れば、社会に還元できる余裕も出来ます。そうしたら、地域でコンサートなどの文化的活動も安定して出来るようになります。私の夢の一つは、歩いていける距離で文化を楽しむことなのです。定期的に音楽を楽しみたい。1人芝居も見たい。お話会もしたい。ある程度の収入があれば、文化を提供する力をもてます。もちろん只で提供するつもりはありません。ある程度のお金を払っていただくことは大切です。文化を育てる意識を育てる第一歩は、1人1人が文化のためにお金を使うことだと思うからです。10年後は地域の人たちに文化を楽しんでもらう場を提供するサポーターになる。これが一番大きな目標かな。
2004.12.13
伊勢神宮のことを私はお伊勢さんと呼んでいます。近鉄特急に乗車し、伊勢市駅で下車。伊勢市駅から歩いて5分の外宮さんをお参りします。外宮さんの正式名称は「豊受大神宮」と言います。祭られているのは「豊受大御神」。お米を初め衣食住の恵みをお与え下さる産業の守護神です。外宮さんをお参りしてから、内宮行きのバスに乗ります。内宮で下車するとバス料金が410円。一つ手前の猿田彦神社前で下車すると280円。私は猿田彦神社で下車します。猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり万事最も善い方へ“おみちび き”になる大神で、古事記、日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土 に御啓行(みちひらき)になられた」と伝えられています。新車を買ったときに、猿田彦さんでご祈祷をあげる人は多いです。なお、三重県鈴鹿市にある椿神社が「猿田彦大本宮」です。今日は大安ということもあり、猿田彦さんは大賑わい。初宮参りの家族連れや新車のご祈祷の方がたくさん居られました。その後、おはらい町で伊勢うどんを食べました。 伊勢うどんは、おかげ横丁や伊勢うどんのお店で食べると400円です。私は穴場を知っているので、同じ伊勢うどんを200円で食べます。 そこは、おはらい町の入り口にある陶器店なのですよ。通常の値段の半額で、味も美味しいし、お店も良い感じなので気に入ってます。腹ごしらえが終わったところで、内宮さんである「皇大神宮」へ天照大御神様の下へと急ぎます。内宮さんは広いです。お参りするのに一時間はかかりますね。私の場合は、荒御霊をお祭りしてある別宮も参拝していますから、時間が掛かるのかもしれませんが、静かな別宮を詣でるのはとても素晴らしい空気を味わえるので好きです。五十鈴川で鯉に挨拶をしてからは、一般の人があまり通らない川沿いの道を通り、瀧原宮(たきはらのみや)を参拝してから正殿へ。天照大御神様へ1年間のご守護のお礼です。二拝拍手一拝をご存知ですか?二度礼をし、二度拍手を打ち、一度礼をします。お祈りには自分の望みは一切唱えません。ただ1年間のお礼をするだけです。伊勢さんはご利益を望む神社ではないと思っています。ご利益を望むのならば、眷属を祭ってあるお稲荷さんかな?今日は私の誕生日でした。子供たちが成長してから、1人で誕生日月には伊勢へお礼に参ることに決めています。なぜ伊勢なのかというと、やはり三重県に生まれ育ったものとして、お伊勢さんは身近な存在なのです。そしてもうひとつ。10年ほど前にある占い師さんに「あなたの前世は倭姫命のお付きの巫女だった」と言われたこともあるでしょう。倭姫命は伊勢の地に天照大御神様をお祭りすることを決めた方です。幼い頃よりお伊勢さんの持つ空気が好きで、お参りするたびに懐かしい気持ちにもなったこともあり、占いのことを信じることに決めた私です。心のふるさとへ帰る気持ちと言ったら良いでしょうか?私は身体が元気なうちは、1年に一度、お誕生日月に伊勢参りを続けたいと思っています。スピリチュアル・サンクチュアリ 江原啓之神紀行 ( 著者: 江原啓之 | 出版社: マガジンハウス )どんな神社があるか、自分にはどんな神社が合っているか、参考になる本です。カラー写真が綺麗ですよ。
2004.12.12
自分に似合うものを知ること、イメージに合うものを選ぶことがおしゃれの基本だと思う。しかし、なかなか自分自身わからないので、余計な洋服を買い込み、バラバラのワードローブを前に悩むことになる。洋服ダンスを整理して、本当に似合うものだけにしてしまいたい。そう思いつつも、バーゲンのシーズンになるとついつい「安いから」と買ってしまう。安物買いの私だが、おしゃれな人を見かけると嬉しくなる。自分には買えないような高価な洋服やアクセサリーを身につけて華やかに現れる人は、目の保養になる。手作りのビーズのアクセサリーを上手く使って、自分らしさを演出している若い女性も好きだ。キャリアを感じさせるスーツに身を包み、バック片手にさっそうと走り去る女性も良い。「ぼろは着てても、心は錦」という歌の一節があるが、似合う服を着てこそ、心も錦になるのではないかと思う。外見で人を判断してはいけないと言うけれど、その日着ていく洋服を選ぶのは、紛れもない自分自身だ。着る服なんてどうでもいいと私は思わない。一枚千円のTシャツを着る時でも、「自分が選ぶ」という気持ちが大切ではないだろうか。私のおしゃれの基本は、自分が楽しいことだ。お気に入りの洋服を着ているときは、自分自身も好きになれるような気がする。毎日、お気に入りの一枚を着て、自分を好きになりたい。そのためにはもっと似合う洋服を選びたい。 (2000.7.15)上の文章は書いた頃は30代です。昔と違い、今は、スカートを年に一枚は買うようにしています。当時はオールシーズン、スカートをはくことがなく過ごしていました。ちょっと太ってしまったこともあり、自分に似合うデザインのものが見つからなかったのです。今は相談しながらショッピングするお店を見つけたので,少しずつ洋服もシックなものを揃えています。といっても、数は少ないのですが。それからおしゃれに対する考え方も少々変わりました。40歳を過ぎたこともあり、おしゃれをするのは周囲への思いやりかもと。会った人に不愉快な気持ちを与えないのは最低限のマナーだけれど、良い印象をもっていただけるようにある程度努力するのも大切だと考えるようになりました。若い頃は若いだけで、華やかさと瑞々しさがあります。しかし年を重ねると、容姿の衰えが出てくるのは事実です。それをカバーするのは、装いでしょう。派手にごてごてと着飾ることは好きではありませんが、簡素な中にも美しさを感じさせるような雰囲気が必要でしょう。40歳を超えたなら、素材の良いものを吟味して装いの中に加えること。年齢をカバーできるのは、素材かもしれないと思うようになりました。経済的にあまり高価なものを買うことは出来ませんが、忘れないようにしたいと思っています。誕生日事典 ( 著者: ゲイリー・ゴールドシュナイダー / ユースト・エルファーズ | 出版社: 角...この誕生日事典は統計学的な色合いが強い上に、当たってるなあとにんまり笑ってしまう内容。値段は高いけど、高いだけの価値はあります。ちなみに明日は私の誕生日です。
2004.12.11
人生で一番楽しい瞬間は、誰にも分からない二人だけの言葉で、誰にも分からない二人だけの秘密や楽しみを、ともに語り合っている時である。ゲーテ 今日私のホームページに登場した格言リンクの文章です。読んだ瞬間胸がドキッとしました。確かにそうかもしれない。あの場所で共に過ごした時間、二人だけの語らい、二人だけの秘密ほど楽しかった時間はないかもしれないと。私はそういう時間を過ごすために、毎日一生懸命働いているのかもしれません。私にとって仕事場は人と人との出会いの場所です。受け付けで応対する一瞬は一期一会でもあります。また同僚たちと語り合う短いひとときも大切です。ダラダラした無駄話の中では生まれないであろう緊張感が好きです。仕事は緊張感の持つ美しさがなければいけません。そして、仕事があるからこそ、プライベートが充実すると考えています。たとえば、東京で久しぶりに会った友だちと一緒に歩いた上野公園でのこと。京都の繁華街を葛きりを食べたいという人と猛スピードで一緒に歩いた朝の時間。市立博物館で古い仏像を見ながら、輪廻について語り合った午後。黄金色の銀杏並木を歩いた秋の日のこと。素敵なプライベートな時間でした。私は人と人との関係は、対話だと思っています。魂が一番喜ぶのは、お互いが刺激を受ける対話。対話を重ねるとき、理解を深める関係が生まれると。人は誰でも自分のことを判って欲しいと願うものですね。自分のことを理解してもらうためには、自分の心をオープンにすることが必要です。心を開かないと、相手に自分のことをわかってもらえません。しかし、場所と人を選ばなければいけない。この人だったらと思える人を捜し当てたなら、誰にも会話を邪魔されない環境を作ってみましょう。そして心をノックしてみる。相手が応えてくれたなら、少しずつ自分の心を開いてみる。自分が心を開かなければ、相手は決して心を開いてはくれません。そういうものだと思います。待つことも人生には必要ですが、ここぞというときには、勇気を出すことも大切だと思います。こちらが勇気を出して心を開き、相手もそれに応えてくれるならば、二人の間には温かな場が生まれます。親密な関係が始まります。そのときこそ、ゲーテの言葉が理解できる瞬間ですね。グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち(期間限定) ◆20%OFF!<DVD> [DZ-1064]対話あればこそ、人は癒される。お互いを理解しあい、生きる希望をもてるようになる。そのことを伝えてくれる映画です。
2004.12.10
lincl-ideさんの日記に紹介されていた文章が心に響いてきたので、ご紹介したいと思います。■《人が集まる10箇条》(できるやんか!212ページより) 1、人は人に集まる 2、人は夢の見られる所に集まる 3、人は快適な所に集まる 4、人は満足が得られる所に集まる 5、人は為になるところに集まる 6、人は感動を求めて集まる 7、人は心を求めて集まる 8、人は自分の存在感を認めてくれる所に集まる 9、人は噂になっているところに集まる 10、人は良いものがあるところに集まる 『できるやんか!』人間って欠けているから伸びるんや 中井政嗣 著 潮出版社 価格1,300円 http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/0001655848/どの言葉もなるほどと思うものばかりです。その中で「人は夢の見られる所に集まる」、「人は感動を求めて集まる」について。人は夢を見たいと願っています。夢を見させてくれる対象には、お金を払います。映画、演劇、スポーツ観戦などは、自分でお金を払うことで、夢の世界に参加しているわけです。夢を見ている間は、現実の辛さから離れることが出来ます。夢のひとときを買います。所詮この世は娑婆であり、極楽ではありません。みんなそのことを知っています。知っているからこそ夢を託す存在を追い求める。夢を託された相手は、プレッシャーに打ち勝ち夢の世界で一生懸命生きることが求められます。たとえば、イチロー選手。彼は大リーグで記録を作りました。素晴らしい偉業を成し遂げたわけです。多くの人たちの期待を背負って、夢を実現させた。素晴らしいと思います。1人の人間が大きな記録に挑戦し、それを成し遂げた瞬間というのは、夢見ることの素晴らしさを共に味わえるひとときです。心と心が大きく動く。感動する。生きる喜びが生まれてくるんですよね。感動は希望を生みます。疲れた人の心に「あの人があんな素晴らしい記録を達成した。もう少し頑張ってみよう」という意欲を沸かせます。微笑みが生まれます。それが素晴らしいのです。夢みたことが実現する瞬間を味わう感動する心。その心が生きていく力になるのです。一人一人が夢を実現させるために努力をすること。夢が叶ったときに感動を分かち合うこと。私はとても大切なことだと思っています。毎日小さなことからでも感動できる感性を養うことも大切ですね。明日も夢を忘れずに生きていこうと思います。シービスケット プレミアム・エディションもしも今あなたが失意に沈んでいるのなら、この映画を御覧になることをお勧めします。挫折を経験した3人の男と一頭の競走馬の物語です。
2004.12.09
~魅力的になりたい~2000.6.1.~私はすぐ人を好きになる。あの人のあそこが好き、ここが好き。知り合う人の嫌いなところよりも、素敵なところを見つけることのほうが断然多い。男も女も年齢も関係ない。どちらかというと、見た目に派手な人ではなく、地味で静かだが、語りだすと熱くなる人が好きだ。河内弁で喋るAさんは、東大を卒業した専業農家だ。女たらしという言葉があるが、彼の場合は人たらし。素晴らしい話術は、人の心を捉えて離さない。私の住んでいる地区センターで、彼の講演会を開いたことがあるが大好評だった。京おんなのTさんは、蒼く澄んだ瞳をした美人だ。世界中に知り合いがいて、彼女の話を聞いているだけで国際人になったような気持ちを味わえる。彼女と祇園の夜を歩き回ったことは、私の一生の思い出になった。魅力的な人に出会うと、私もその人みたいになれたらいいなと思うし、もう一度会いたいと願う。しかし、私に魅力がなければ、彼らは再び会いたいとは思ってくれないかもしれない。彼らと付き合ってもらうためには努力しなくては、自分を高めたい、内面を磨きたい、センスを良くしたいと考えてしまう。「ふたつの人格の出会いは、二つの科学物質が接触するようなものである。もしそこに何らかの反応が起これば、両者は共に変容する」という心理学者のユングの言葉がある。私も少し変化して、いつか魅力的な人になれたら良いな。生き生きとした毎日を過ごして、がんばろうっと。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2000年の6月に書いた作品です。基本的に今の考え方と変わっていません。自分自身に魅力がなければ、魅力的な人との出会いはないし、尊敬できる人たちともお付き合いしてはもらえないと。だから、ずっと自分自身を向上しつづけていかなければいけないと。私にとって魅力的な人とは、前向きな心で生きている人たちなのです。そういう人と一緒に過ごす時間ほど幸せなひとときはありません。私も前向きな気持ちを決して忘れてはいけない。そう考えながら生きています。毎日少しでも良いから、憧れのあの人に近づきたい。そんな気持ちがあるからこそ、一日一日を大切に出来る。笑顔で生きることが出来ると思っています。中谷彰宏さんの本には前向きに生きるヒントがたくさんあるから好きです(*^O^*)ノ
2004.12.08
人はいつか必ずこの世からあの世へと、住まいを移します。あの世へいくことを死と呼びます。人はいつか死ぬためにこの世に生まれてくるわけで、生を深く味わうことがより良く死ぬために必要なだと思っています。普段はあまり自分が死ぬことについて考えることはありません。だけどときどき昔のことを思い出すと、生きていることに対して感謝します。生きるということは好奇心を持ち前向きな気持ちで日々を過ごすということ。だから常日頃アンテナをはり、いろんな情報を自分の中に取り入れるようにしています。だけど、私は静かな心になると自分の中にあった欲が昔に比べてどんどんなくなっていることを感じています。あれが欲しい。これが欲しい。そういうものを求める欲望が浮かんでくることがないのです。それは目の前に美しいものが並んでいないからだということはわかっています。デパートへいけば、素敵なものがずらりと並んでいます。もしも自由に何でもプレゼントしてあげようと言われたら、きっと山のように物を選ぶかもしれません。物ではなく、しておきたいことを考えてみてもおなじなのです。じっくり考えてみるとないのです。明日死んでしまったら、乱雑な部屋は残るので困りますが。私には死んで遣り残して困ることは、それぐらいしか思いつかない。二人の子供たちを残して死ぬことは悲しく辛いと思います。だけど15歳と17歳。随分しっかりとしています。こういう心境は、一緒に暮らす義母が痴呆になり、知性というものが失われてしまった状態になった夏以降に自覚するようになりました。人間は死ではなくても、死んでいるのと同じ状態になるときがある。それを目の前で見る暮らしの中で、欲を持つことの愚かさを実感したためです。義母が痴呆になったのは,糖尿病のためだと家族一同考えています。もともと、自分の欲望のコントロールができない人でした。そのために、食べ続け飲みつづけ状態が続きました。家族が心配しても無駄でした。どんどん知能も低下し、もとあった人格もなくなり、今では排泄も食事も自分の力では不可能です。短期間の間に壊れていきました。現在は要介護3という認定を受けています。そういう人と生活を共にしていると、絶望感と楽観主義が同居しているような感じです。家族一同、とても明るく仲良く暮らしています。以前にまして家族間での会話が増えて、子供たちとの関係も良いです。喧嘩をすることもありません。死というのは、生きていないこと。たとえ肉体は動いていても、精神活動がない人は死んでいるのと同じです。生きている意味がない。そんな風にとらえています。たぶん誤解を招く発言かもしれませんね。痴呆の人には生きている意味がないのか?と。重病人はどうなのか?植物状態の人はどうなのか?人は存在そのものに意味がある。これは昔からの私の考えです。そこにいるだけで、生きている意味がある。その反面、私は自分自身に関しては生き生きした精神を持っていなければ生きている意味がないと考えています。その上で私が死ぬ前にしておきたいことを考えても、特に何も思い浮かばないのです。毎日生き生き生きているつもりなのですが。自分でも不思議です。たぶん私の精神が今変わりつつあるのかもしれません。山のようにあった夢や実現させておきたいことを一つ一つ、叶えていきました。まだ実現していない夢はあります。しかし、心の中は空っぽに近い状態です。欲がどんどん薄れてきている。だから死ぬ前にしておきたいことが思い浮かばないのです。ひょっとしたら、私は絶望しているのかもしれませんね。絶望すると明るくなれるのでしょうか?毎日明るく笑顔で暮らしているのですけど。
2004.12.07
私は人の悪口をあまり言いません。その理由は、悪口を言えるほど、人と深く付き合っていないからだと思います。知らない人のことは、良くも悪くも言えないし、ましてや悪口を言おうとすれば、よほどお互いに深く踏み込まなければ言えないと思うのです。だけど好きな人のことは、たくさん話せます。この人のこんなところが素敵なの。こんなに素晴らしいところがあるの。ちょっと子どもっぽいところが可愛いの。横顔の表情がクールで良いのよね。なんて、次から次へと出てきます。好きな人のことだったら、たくさん話せます。これだけは自慢できるんですよ。なぜかというと、私は人を好きになるのが得意だからなんです。人を好きになるというのは、人の長所を見つけるのが得意ということでもあります。たとえば、昨日博物館でお会いした人物ソムリエさん。彼についてあれこれ書いても良いと許可を頂けたら、原稿用紙★枚分は書いてしまいますよ!何しろ彼と出会ってから●年も過ぎています。この前は一緒にカラオケ行ってしまったしね~。もしも彼に悪いところがあったとしましょう。私にはそんなことははっきり言ってどうでも良いんです。私と一緒にいるときは、良いところしか見るつもりはないし、人間完璧な性格を持っているわけではありません。長所と欠点は表と裏。陰と陽。どちらを自分が見つめるかが大切なのですから。そういえば美輪明宏さんは腹六分目のお付き合いを進めていましたね。私なんて、年に数回しか会う機会もないのですから、腹一分目のお付き合いかもしれませんね(*^O^*)ノさて、毎日会うことになる同僚との付き合い方こそ、腹六分ぐらいが適当でしょう。嫌でも毎日顔を合わすのだし、下手をしたら家族と過ごす時間よりも長い時間を一緒にいるわけです。これって、凄い関係ですよね?残業したら、べったり朝から夜まで、時には朝帰りしてしまう関係ですよ。だからこそ、相手のことを距離を置いてみることが大切な気がします。部屋が同じであれば、精神的には距離を置く。それぐらいで調度良いと思っています。お互いを思いやるからこそ、距離を取る。悪口を言わないようにするには、距離を取るのが一番です。遠くから見れば、蓮華畑もじゅうたんに見えるのですもの。☆ここからは違う話題☆四十歳からの仕事術さんの日記を読んでいると、売れっ子になっていく様子がリアルタイムでわかって面白いです。ネットの良いところは、これから有名人になるかもしれない人たちの成功していく過程を楽しめることかもしれませんね。私は有名人にはならなくても良いけど、こうして楽しめる企画を発信できたら嬉しいなあ。
2004.12.06
四日市市立博物館で「本居宣長展」をしていたので、行ってまいりました。本居宣長という人は、どういう人なのか?前日にネットで予習。私は古事記の研究家としてだけしか知らなかったからです。何しろ商業高校卒の学歴ですから、日本史の知識は中学までなんですよ。簿記とか珠算とか商法の勉強はしてましたけど。頭のどこを叩いても最初からないものは出てきませんよね。展示を見たり、勉強してわかったこと。★江戸へ奉公に出されるがクビになった。★江戸から戻ってからは家の中で地図を書いて過ごす「引き篭り」青年になる。★食べるために医者を志し、京都へ勉強へ行く。★頭は非常に優れていて、無事に医者になった。★最初の結婚は1年ももたず失敗。その後再婚した。★妻の名前を母親と同じ名前に改名させた。★30代で結婚して、70代で亡くなっているので、現代人とほとんど同じライフスタイルである。★賀茂真淵の下で通信教育で万葉集などの古典を学んだ。★始終学問上のことで喧嘩をしていた。★門下生は多い。★自己顕示欲はかなり強い。★絵もうまく自画像を残している。★生きてから死ぬまで、自分自身をプロデュ-スしていた。★お墓のデザインも自分で考えた。★非常に細かく記録を残した人だった。本居宣長という人は、完璧なおたく系の人物だという結論に達してました。たぶん私とはまったく違うタイプでしょう。世の中の進歩はおたくが動かしていると言ってもいいかもしれません。物事の詳細にこだわる集中力を持続させるエネルギーを持っている人というのは、若い時期には引き篭るのかもしれませんね。環境によって引き篭れない状況になり、外の世界とつながりを持たざるおえないから、仕事に打ち込むわけです。現代のように家に篭っていても大丈夫な環境だと、彼等のエネルギーは仕事に利用できないわけです。本居宣長も現代に生まれていたら、単なる引き篭り青年のまま人生を終えていたかもしれないと思いました。また私生活では離婚を経験している。理由は明らかにはされていません。夫婦間のことは他人にはわかりませんから。再婚した妻の名前を改名。よりにもよって母親の名前をそのまま付けていることを見ると、かなり横暴な香りが漂ってきませんでしょうか?嫁に姑の名前を付けるんですよ?いくら封建的な世の中だとはいえ、嫁としてはたまったものではないような気がします。昔だったら有り難いと喜んだのでしょうか?そのあたり妻の気持ちが展示にないので、残念ながらわかりませんでした。子どもの名前が変わっています。「飛騨」「壱岐」「美濃」「能登」という名前をつけているんです。宣長は地図を書くのが趣味だったのですが,趣味が高じてとうとう我が子の名前に地名をつかったわけです。松阪にいながら日本各地の地名を我が子につける。子供たちの気持ちも知りたいと思いました。当時はひょっとして地名を名前につけるのがブームだったかもしれませんが、このあたりも同時代の古文書を調べないとわからないことです。さて、本居宣長のライフワークは古事記でした。古事記は天照大神を中心にした思想で編纂されているということで、戦前の日本では軍国主義に利用されたようです。そのため戦後は本居宣長の思想を紹介されることが少なくなり、大きな業績を遺した人でありながら、詳しく教科書で取り上げられることもなかったようなのです。三重県人でありながら、本居宣長についての知識がないというのは、恥ずかしいことでしたが、歴史的な背景があったということで仕方がないのかもしれませんね。ともかく、引き篭りのおたく青年が日本を代表する国文学者になったという事実はもっと公にされても良いかと思います。宣長撰便箋本居宣長記念館
2004.12.05
背中に美しい翼をつけて、助けを求める人の下へ舞い降りる。困ったときは、何かアドバイスを与えてくれる。危険なときは守ってくれる。私の目には見えないけれど、きっとどこかで私を見守ってくれている。子どもの頃からずっと信じています。天使はときとして、人の姿で現れることもあります。道で困ったことに遭遇したとき、親切に助けてくた人の中に私は天使を見ます。仕事場で温かな心遣いを見せてくれた人の中にも天使を見ます。注意深く探せば、あちらこちらに天使がいるような気がするんですよ。だから毎夜、今日一日無事に過ごせたこと神様に感謝し、明日一日が無事であることを祈ってきました。神様と人とを繋いでいるのが天使のお仕事ですから、神様にお祈りするのが一番天使に喜ばれると思うのです。私の蔵書には「大地の天使たち」「天使のみつけかた」「天使の本」「天使に出会うための10章」「天使の癒し」と天使が表題につけられた本があります。他にも、内容や挿絵に天使が使われているものもあります。ツキの天使がやってくる秘密のレッスンという本もあります。この本にはちょっとした心がけで天使がやってくる秘密がたくさん書いてあり、とても楽しく読めます。天使に関する入門書として良いかもしれません。私は目に見えない天使を、せめて本の形にして身の回りにおいて置きたいと思っているような気がしています。私にとって大切なのは、自分が書きたいと思うことを書くということ。これも天使からのメッセージだと感じているのです。自分の頭の中で浮かんだアイデアの全てが自分自身が考えたことかどうかといえば、そうではないような気がするからです。天から預かった言葉として預言があるように、私の側にいる天使が囁いている言葉をパソコンで打っている。そういう時間を過ごすこともたまにですがあるのです。常に心を清らかな状態にしておかないと、天使ではなく悪魔の囁きに変わる恐れもありますけれどね。真・善・美。天使との時間に必要なのは、この三つ。忘れないように心がけたいと思いつつ、今夜もパソコンに向かっています。★天使と妖精のお店です★
2004.12.04
若い頃にロスタン著「シラノ・ド・ベルジュラック」を読みました。(映画「愛しのロクサーヌ」原作)そのとき、自分に自信が持てない男の愛情って哀しいなあと思いました。どんな場合でも自分自身が愛に満ちていないと、他人に対して示す愛が歪なものになってしまう。私はそんなことを最近感じています。さて、師弟愛、兄弟愛、人類愛、夫婦愛、恋愛など、愛がつく言葉にはいろいろありますね。そのどれもが、与える愛が基本。太陽のように無条件で与えるのが愛の基本。私はそう思います。しかし、人間は煩悩も手伝いますから、相手に対して何らかの反応があるほうが嬉しい。そういうものではないでしょうか。親子であれば、親から注がれた愛情を受けて生き生きとした表情で応える子どもたち。師弟であれば、師を追い越すまでの技術を磨きつづける弟子。夫婦であれば、互いを思いやり、慎ましく生活を共に暮らす夫と妻。私も相手に何らかの愛を与えたら、どうしても反応が見たいと願ってしまいます。ああ、見返りを求めない無償の愛の境地にはなかなかたどり着けそうもありません。だからこそ、他人から受けた愛情には応えたい。微笑みかけられたら、微笑みを。親切にしていただいたなら、私もお返しをしたい。そんなことを思った一日でした。それから、「愛溢れる成功者」という言葉を読んで良いなあと思いました。同じ成功するなら、愛があったほうがずっと良いですね!★★★「愛されてお金持ちになる魔法の言葉」を読んだ仲間発見した夜です!
2004.12.03
公務員ではないのに、公的機関で働くようになって、今の現場で四ヶ所目です。まだ独身時代の頃、銀行で働いていた私は「私には銀行員は向いていない。それよりも公的機関で働きたい」と思っていました。仕事をある程度覚えても、その気持ちは拭えませんでした。年齢を重ね、仕事を変わるうちに「ここで働きたい」という場所と出会い、実際に勤務できるようになりました。つくづく夢は実現するのだと感じています。さて、私の場合、話すことが苦手で、友だちには「文章を書くのが夢」なんて言ってないんです。ほとんどの友だちは、私がホームページを持ち、毎日「鹿化川ゆう」として「日記」を書いていることも知りません。知っているのはインターネット上の私を知っている人だけなんですよね。だからある意味気楽に「夢」を書き綴っていると言えるかもしれません。誰も「私」を知らないわけですから。夢を他人との会話の中に織り交ぜること。私はあまり上手くできそうもありません。こそっと夢についてネットで書いているのが似合っている。日常生活は地味に生きているので、何を考えているのかわからないような奴という印象を与えているかもしれません。そんな人間です。高校の頃、歌やダンスが好きで芸能界に入るのが夢だと語っていた人がいました。なんだかまぶしく感じましたね。大きな声で夢を語れる人って、華やかで素敵だと憧れました。それに比べたら私は、小さな声で日常について話すのが精一杯でした。今でもそうです。もうちょっと、華やかさがいるかもしれません。去年の冬の夜、忘年会の帰りの電車の中で一人の同僚と隣り合わせになりました。同僚は静かで大人しい雰囲気の人。少々酔っ払っていた私は彼に聞いてみました。「夢はなんですか?」はにかんだように微笑みながら彼は答えてくれました。「たくさんありすぎて・・・」私の中には静かな感動が広がりました。それから1年が過ぎ、仕事の合間のほんの短いひととき、「夢」をいくつか聞く機会があったのは、ラッキーでした。同じ仕事をしているわけではないので、なかなか話す機会もないのですが、それでも三回ぐらいはあったでしょうか。「夢」と言語化すること。言葉をいただいた私の心には、いつも感動が残りました。自分の夢ではなく、誰かの夢であっても、感動することが出来るということをこの年になって実感したのです。だから私は、言葉にはなかなか出来ないので、その代わりに文章で綴っていこうと思います。私の楽天日記のテーマ「ときめきのリズム」。弾むような軽やかさで夢を綴りたいです。↓は違う内容の記事です。。。★★★なっち盗作で紅白辞退 もう少し良いゴーストライターを使えばよかったのにね~ ……と気の毒に思う。所属事務所は何を考えていたのか。という津村巧さんの日記を読んで、私もそう思った。なっち本人がもしも書いたとしても、事務所としてはチェックする基本を怠っていたといえるのでは?公文書を発行するときは、何人かの目を通して発送しておりますよ。一般常識をきちんと教えるのも、所属事務所のお仕事。学問を修める時間を彼女は歌って稼いでいたわけなのだから。ちょっと彼女が気の毒だと思いました。
2004.12.02
夢という種をまき育てて花を咲かせること。大切なことだと思います。自分の周囲に夢を実現させた人がいれば、良い刺激になります。夢を実現させることは、自分のためだけではなく、身近な人たちにも必要なのだと思います。忙しい日常で夢みることは忘れがちになりやすいですね。夢を実現させた人の存在は、夢を思い出すきっかけを作りのお手伝いになるでしょう。私の夢の一つは、文章を書いて多くの人たちに読んでもらい、喜んでもらうこと。心温まる言葉を綴りたいと思っています。そのためにはどうしたらいいか。★毎日日記を綴る→実践中★数多くの本を読み勉強する→実践中★日本各地にある美しいものたちにふれる→市内の博物館で実践中現在はこのような形です。これからもう少し発展させていくつもりです。★毎週メルマガを発行する。★テーマを決めて本を読む★月に一度は県外へ足を伸ばし、美しいものを鑑賞する。メルマガを発行するには、アイデアはいりますがお金は要りません。テーマを決めて本を読もうと思えば、ある程度の資金がいります。県外へ出ると交通費だけで、私の小遣いがなくなり本も買えなくなります。どうすれば問題が解決されるでしょう?友だちから「有料メルマガを発行したら?」という提案がありました。実際に「有料メルマガ」を発行している友だちもいます。自分の書いた文章に対して自分で値段をつける。なんだか怖いような気がします。怖いという感情は、夢を実現させるために一歩踏み出すときに味わうものかもしれません。夢のために動くことは、ある意味「未知との遭遇」です。知らない世界だから怖い。自分の力がわからないから怖い。失敗するのが怖い。私にはこんなことできるはずがないと、心のどこかで思っているとき、「怖い」という感情が出てくるのかもしれないと。その感情を克服するには、初めて泳げた日のことを思い出す必要があるかもしれませんね。水が怖くて怖くて、顔を水につけるのさえ出来なかったあの日。思い切って水に潜ってみて、足を伸ばしてバタバタと動かしてみたら前に進んだ瞬間。「あっ、浮いた」「私が水の中で浮いている。泳いでいる!」感動しました。どんな夢でも最初の一歩を踏み出すときは、不安が側に寄り添っています。人間は動物ですから、不安な気持ちがなければ、種として生き残ってはいなかったでしょう。不安があるからこそ、用心深くなる。慎重になる。その繰り返しで進歩を遂げてきたかと。私はインターネット上で夢を見ようとしています。なんだか不安でドキドキしています。来年メルマガを発行しようとすれば、きちんと構想を練らなければいけません。慎重にものごとを考えて、準備をする必要があります。なんだか久しぶりに自分を追い込んでいるような気持ち。有料メルマガを発行することを決めても、どんなテーマで書いたら一番いいのか?これは企画力が必要ですね。地域でコンサートを何度か開くという企画は過去に成功させてきました。私にとっては貴重な成功体験です。いろいろ大変な気持ちも味わいましたが、無事に幕が下りたあとの爽快感は素晴らしいものでした。そのときのことを思い出すと、知り合いに気軽に声を掛けたことが成功に繋がっています。メルマガもたぶんそうなのでしょう。「私の有料メルマガを購読してください」と自分自身で売り込む?そんなことを私は出来るのでしょうか。実のところ、自信がありません。と、いまだに私の夢は種袋の中で躊躇しているような気もします。だけどこうして公表したのだから、がんばってみなくてはね。何もしなくてもあっというまに時は過ぎていきます。頑張って挑戦しても同じだけの早さで時は過ぎていきます。自分自身が何を選ぶかですね。有料メルマガを発行できたら、次は小冊子を作成する。これは私の名刺代わりにしたいと思っています。昔は投稿して新聞に掲載された記事をコピーして手帳にいれてありました。その記事を手渡して名刺代わりにしていた時期もあるのです。今度は綺麗に装丁したオリジナルな小冊子を持ちたいと思っています。これからどんな内容にするか、いろいろ考えて形にしたいです。夢を形にするために、今は種を準備しています。さて、どんな花を咲かせましょうか!どうぞ楽しみにしていてくださいね!
2004.12.01
私の本箱には浅見帆帆子さんの本が2冊あります。「あなたは絶対!運がいい」と「HOHOKOスタイル」です。「あなたは絶対!運がいい」には自分よりも上のレベルの人についての箇条書きがあります。・自分からみて尊敬できると思える人・この人ってすごい、と思える人・自分もこういうふうになりたい、と思える人・自分の理想の生活をしている人・自分の目標をかなえるのに力を貸してくれそうな人・一緒にいるといい気分になれる人・一緒にいるとやる気のわく人・なんだか一緒にいたいと思う人・会った後に穏やかな気分になる人・これからもずっと仲良くしたいと思う人ちょうど本を読んだ頃、仲良くしていただいている人たちを思い浮かべてみると、あてはまることばかりでした。みんな私よりもレベルが高い人なんだなあと。今日も仕事場で尊敬している人と言葉を交しながら、幸せな気持ちになっていました。レベルが高い人と一緒にいると、心が軽やかになりもう少しがんばろうという気持ちになるんです。浅見帆帆子さんの本を読むときの基本は、「素直な心」ですね。彼女は私よりもずっと若くて可愛い女性です。本の読んだ限りでは、育ちの良いお嬢様という雰囲気が一杯漂っている。「HOHOKOスタイル」を読むと素敵な暮らし方をされているようです。大学卒業後、これといった目的もなくロンドンへ留学できる生活環境にいる彼女。帰国してからは、ラブリーな花柄の世界、イギリス風のアンティークに囲まれていて、私が若い頃から憧れていたものたちで一杯でした。その暮らし方を妬ましく感じてしまえば、彼女の言葉が素直に心の中へは入ってこないでしょう。人の心にはレベルがあると書いてあるのは読めば、「生意気なことばかり書いてる」と反感を感じるかもしれませんね。人の考え方はそれぞれ違いますし、そのように感じられる時期というのもあります。さて、自分自身がどんな人といると居心地が良く感じられるかを素直に考えてみると、自分がどんな人なのかわかるのかもしれません。類は友を呼ぶという言葉が、たぶん誰でも本当だと知っているんです。居心地の良い相手=自分に相応しい相手=自分と同じレベル=類は友を呼ぶイコールで結んでみると、私はとても感謝の気持ちで一杯になるんです。仲良しの友だちの一人一人に、私を引き立ててくれた人たちに、ありがたい気持ちで一杯です。浅見帆帆子さんの本を読んでいると、私は周囲の人たちに感謝することが本当に大切だと感じられて、幸せな時間を過ごせるような気がします。私は、浅見帆帆子さんが結婚してどのような家庭を築いていくかを楽しみにしています。HOHOKOスタイルでみせてくれた甘い少女の夢の世界のようなインテリア。結婚して子どもが出来て暮らし方が変化していくうちに、どんどん人間的にも深みが出てくるでしょう。そのときに著作やインテリアも変化していくはずです。どのように成長し、成熟した女性になっていくのか。若くしてベストセラー作家になった彼女のこれからが、とても楽しみですね。ずっとレベルを上げつづけていけるのか、それとも時にはレベルダウンして停滞するときがあるときも正直に表現してくれるのか。人生は山アリ谷アリです。どんなことでもネタにしてしまうのが作家たるもの。10年後を期待しています。あなたは絶対!運がいい愛蔵版 ( 著者: 浅見帆帆子 | 出版社: グラフ社 )【楽天ブックス】Hohokoスタイル
2004.11.30
私はときどき自分が歩んできた道を書きたくなるときがあります。こんなことをしてきた。こんな体験をしてきた。こんな仕事をしてきた。読んだ人の受け取り方では、自慢話と取れる内容かもしれません。書くことの基本は恥を書くこと。自分の自慢を書くことはそのまま恥をさらすことです。エゴイズムや傲慢さや愚かさを思いっきり露呈することです。わかっていながら、つらつらと書く。それはどうしても書いてしまいたいという自分の中の欲求を抑えることが出来ないからです。心の中に浮かび上がるものを言語化したいからです。書いていると、心の中にその当時の状況が甦ります。不思議なことにどんどん自分自身が客観的になっていく。自分の至らない部分や遣り残していた部分はもちろんのこと、そのとき気が付かなかった周囲の状況も見えてくる。それが私にとって面白く、学びの一つにもなっています。だから繰り返し、つらつらと恥を書き綴っています。恥というのとは少し違いますが、心の声にしたがって体験した不思議な出来事を書いたエッセイをここで紹介します。随分前の作品で他のblogにもあげてあります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「一枚の絵」私がまだ独身の頃のお話です。私はその頃、絵本の原画展に行くことが好きでした。ある時一枚の絵を買いました。浜辺にかもめが一羽飛んでいる絵でした。砂色のくすんだ、一見寂しそうな風景なのですが、私はとても気に入ったのです。私は自分が買ったものは大切にします。人に簡単にあげないし、ましてや捨てるようなことはしません。大切にして、飽きるということがあまりなく、同じ絵でも毎日新しい発見をするのです。色合いやら、線の美しさや、自分をその世界におき、空想の世界で遊びます。私が買った一枚の絵。何箇月かたった頃、絵が私に言いました。「僕は旅に出たい。」絵が私に語りかけたような気がしました。この絵は私の部屋から出たがっている。しばらくして、私は当時利用していた、四日市勤労青少年ホームのバザーにその絵を出しました。当日、バザーの会場をのぞいた時にはもう絵はありませんでした。誰かが気に入ってくれたようで、そうそうに売れてしまったのです。それから、また数ヶ月が過ぎました。私はボランティアを通じて一人の男性とお付き合いを始めました。私は、ある日彼の家に遊びに行きました。二階の彼の部屋に上がらせてもらった時です。廊下に一枚の絵が貼ってありました。「いい絵だろう?バザーで買ったんだ。」彼が指差した一枚の絵は私の部屋にあった絵でした。居心地がよさそうでした。今もその絵は我が家の二階に貼ってあります。たぶん、ずっとそこにあると思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・読んで下さってありがとうございます。「一枚の絵」に対する反響は書いた当時から現在に至るまであります。絶対に信じられないという方もいれば、素敵な出会いですねといってくださる方まで。心の中に湧き上がるものを表現していくというのは、読み手に対して何らかの影響を与えていることもあります。自分の恥を書きながら、読み手の恥を刺激してしまうこともあるんです。そのことを98年から書いていて感じることが多くなりました。心の中に浮かび上がることを表現していく。恥を書き連ねていく。たぶんずっと続けていくことになるでしょう。明日も楽天日記を書きます。また読みに来てくださいね。リンクも自由にはっていただいて結構です(*^O^*)ノお礼にうかがいます。
2004.11.29
私が好んで読んでいた本は、精神世界系の本です。スピリチュアルと呼ばれていますが、霊的な世界を探求する本をたくさん読みました。丹波哲郎さんを初めとする、霊界を研究している本。前世療法、フィンドフォーンの植物に関する本、妖精についての本、イエスキリストの本、チャネリング、サイババ、シャーリー・マクレーンの本、宇宙人の本などなど。江原啓之さんの本もわかりやすくて良いですね。成功法則の本もたくさん持っています。ナポレオン・ヒル、マーフィー、スマイルズ、ナイチンゲール、カーネギーなど。自己啓発に関わる定番ともいえる本です。最近では、ジェームズ・アレンなどもあります。ユング心理学に関心があったので、河合隼雄さんや秋山さと子さんの著作も持っています。最近は斎藤一人さん、本田健さんやオグ・マンディーノの本も読みました。成功している人生を送っている人たちは、成功哲学系の本を読まないかもしれませんね。現実に次々と起こる事件や仕事に没頭しているわけですし、気分転換に読むとしたらきっと他の分野の本か、自分の仕事に関する本を読んでいるのだろうと思うのです。私が結婚についてとか、恋愛について書いてある本を読まないのと同じでしょう。実際に幸せな結婚生活をしていれば、そんな本を読む必要もないのです。成功している人たちは成功に関する本を読む必要はありません。スピリチュアルな本も同様です。常に神の存在を信じ、側にいることを知っているならば、疑問を持つことも無く本を開く必要もないはずなのです。よほど悪いことばかりが身辺に起きて、これはどうも変だと思わない限り、お祓いをしないのと同じでしょう。自分にないものを求める心がどんな本を読むかを決める。関心のある本を選ぶのは当然ですね。そして、「幸せな人」は「幸せになるための本」を読まないかもしれない。「成功している人」は「成功するための本」を読まないかもしれない。書店にずらりと並ぶ、ビジネス系成功するための本を眺めながらそんなことを考えました。私自身はというと、自分自身が「幸せであることを忘れないために」、幸せを感じるための本を読んでいます。日常生活に流されて、不平不満を言うような生き方をしたくない。心の中はいつも良い考えで満たしていたい。明るい心でいたい。そのために前向きな言葉を綴ってある本を開きます。最近ちょっと俗っぽいなと思いつつ、買ってしまったのが愛されてお金持ちになる魔法の言葉 あなたが変わる ( 著者: 佐藤富雄 | 出版社: 全日出版 )です。「まず最初になすべきは、(私は世界で一番いい女である)と自分に宣言することです。そして、あなたが世界で一番いい女である理由を、具体的な言葉で書き出していくことです」とありました。この本の凄いと思うことは、具体的な言葉がたくさん並んでいることなんです。発見することがたくさんありました。もっとも日頃自分自身が考えていることも数多く書いてありましたが、嬉しい言葉や納得する言葉、勇気をもらえる言葉が多いのです。毎日繰り返し唱えることで、私も世界一のいい女になれそうな気がしてきましたね。実は私は毎日繰り返して唱えている言葉があります。「お母さんは良い息子を二人も授かって本当に幸せだわ」「二人とも本当に男前になったわねえ」「こうして一緒にいられる時間が一番幸せよ」子供たちは耳にタコが出来るほど休日になると何度も聞かされていますね。一緒に歩いていてもすぐ言います。今日もインフルエンザの予防接種を受けさせるために近くの医院へ3人で歩いていきました。もちろん私は言いました。「大きくなった息子と一緒に歩けるなんて幸せだわ」私一日に何度も子どもたちの前で「幸せ」を連発しています。そうすることで子どもたちの心の中にも「幸せ」が満ちてくると思うからです。毎日の繰り返しが大切だと思っています。家庭の中が幸せであることが、人生を豊かにするかどうかを決める大切な要素です。日曜日の今日ももちろん繰り返していました。「お母さんは、お前達がいるから幸せよ!」
2004.11.28
月曜日に市内のカフェで久しぶりに仲間たちと語り合うひとときを持つことが出来ました。私にとって気楽に好きなことを安心して言える仲間たちです。安心できるのは、お付き合いが長いとか短いとかは関係ありません。ご近所に住んでいて挨拶をしていても、安心できる間柄になれるかというとそうではありませんね。ネットを通じて知り合い、長い人は5年以上お付き合いしており、年に二度は会っています。短い人は去年一度お会いしただけです。その人の人間性に惹かれているという点は共通しています。熊本栄司さん藤島昇さんさかさんのんさんりょうたママさん我金庫さん5人のメンバーはそれぞれの世界で存在感のある人たち。職業も暮らしてきた環境もバラバラです。我金庫さんなどは、南米に住んでいたこともあり、ポルトガル語を流暢に扱うことができます。もちろん英語もペラペラで、以前一緒に新幹線に乗っていた時英語圏の人に彼は質問されて、さらっとこたえていたのにはびっくりでした。5人の学歴も違います。藤島さんは東大出ていて、当日幹事の私は商業高校卒です。学歴コンプレックスが強い人間だったとしたら、幹事なんてできませんよね?私はそれぞれの違いが面白くて仕方がないのです。6人で楽しんだ会話の随所に違いが現れていました。面白かったのは「いつもだったら下ネタが多い」という人が、その夜は大真面目にNPO談義に花を咲かせたことです。集まるメンバーの顔ぶれで話題が違うのは当たり前ですが、それにしても真面目な話で大笑いしていました。経済論やメルマガのことなど、後から思い出してみるといったい何で笑ったのか覚えていないのですが、面白くて楽しかった記憶だけ残っています。ひょっとすると今度会うのは送別会になるかも?というメンバーですが、何度でも会って語り合いたい気持ちで一杯です。私は楽しい時を過ごす機会を得ると、神様にずっと「ありがとうございます」とお礼ばかり心の中で唱えています。今日の日をこうして迎えることが出来たこと。その人と出会えた奇跡。毎日健康で過ごせたこと。家族が仲良く暮らしているしあわせ。いろんなことを含めて神様に感謝しています。全てが整わなければ、こうして会い、語り合う時間は持てなかったことを知っているからです。素敵な人たちと出会うたびに、私の心の中は感謝の気持ちで満ちてきます。天国に感謝貯金というものがあり、カテゴリごとに分類されているとしたら、私の場合は「出会い」というカテゴリにたくさん貯金が貯まっているのです。会ってくださってありがとう。また会って下さいね(* ̄∇ ̄*)ノ
2004.11.27
メインサイトのYOUのホームページを開設して6年が過ぎ、アクセス数も15万を超えました。ありがたいことだと思っています。私が文章を書き始めたのは,ホームページを開設する10年以上前になります。当時は幼い子供たちを育てる専業主婦。最初の執筆活動の場は、育児雑誌で見つけて参加した育児サークルが発行する会報や回覧ノートが中心でした。テーマは「子育て」。主に同居している主婦の視点で書き綴っていました。会報で書くことに自信をつけた私は「四世代同居7人家族兼業農家の主婦」という視点で文章を書き綴り、新聞や雑誌への投稿を始めたのです。掲載回数を重ねると、農業新聞から執筆の依頼を受けることもありました。また、農協から購読している農業雑誌「家の光」や「地上」のモニターで小遣いを稼ぎました。「家の光」が応募していた作文にも入賞したことがあります。「家の光」は購読者も多いし、良心的な家庭雑誌だと思います。今でも我が家では愛読しています。一番新しい表紙は小林幸子さんの笑顔。彼女はサービス精神が旺盛な素晴らしい歌手ですね。さて、他には朝日新聞の「声」や女性欄の作文コーナー「ひととき」に投稿し、ありがたいことにほとんどの作品は掲載されました。掲載される前には、記者の方から本人確認のお電話をいただきました。もう10年以上前のことですから、当時の担当記者さんはそれぞれ転勤して配置も変わっていることでしょう。新聞や雑誌に投稿していた頃、農家に嫁いだ女性たちが何を考えているのかを知りたくて、独自にアンケートを作成し、市内の農業改良普及所さんや農業新聞の投稿を通じて知り合ったペンフレンドの協力も得て、「農家のお嫁さんアンケート」実施。結果をまとめて記事として発表しました。その頃、素人の主婦がする企画はあまりなかったようで、あちこちの新聞に写真付きで取り上げられました。きっと珍しかったのでしょう。その記事のお蔭で「ごはん101人」という時事通信社が発行するグラビア雑誌にも掲載されたことがあります。恥ずかしそうに笑っている私と二人の子供たち。懐かしい思い出が一冊のグラビア雑誌と共に残っています。地球百姓ネットワークという組織にも参加しました。組織として「百姓天国」という本を(財)富民協会から発行。第一巻は朝日新聞の書評にも取り上げられました。私はその本の第十集の編集長を務め、市内の農業関係者を中心に原稿を集めて編纂しました。特に力を入れたのは「農の生け花」の写真です。農産物を素材に生け花を作るという「農の生け花」の作品展を実際に見るために足を運んだものでした。その後はパートに出るようになり、少しずつ活字の世界から遠ざかってしまいます。実のところ、だんだん自分の中で「書きたい」という熱意が消えていったのでした。ネタもなくなって、私の中は空っぽの状態でした。自分の生活体験と一度だけのアンケート調査では、材料がなくなるのは目に見えています。働きながら、レンタルビデオを約200本見ました。本も一日一冊程度読みました。消耗してしまった自分の中身を埋めることに必死でした。自分の中から「書きたい」と思うテーマを探しながら、一生懸命にビデオと本で自分の脳細胞に情報をインプットする期間が続いたのです。それからしばらくして、働いたお金でパソコンを買い、インターネットに接続し、毎日「日記」を書き綴っています。新聞や雑誌に書いていた頃のように、文章を書いてお金をいただくことはなくなりました。取材を受けることも、取材をすることもなくなりました。カウンタが回ることで読んでくれる人が確かにいることを感じ、文字と文字との交流を深めた相手と実際に言葉を交わすオフ会への参加を楽しむ日々です。月曜日にインターネットの世界を通じて親交を深めてきた方たちとお会いしました。長い方で98年からのお付き合いです。彼等との語らいの中で、具体的に行動する時期が来ていることを感じました。そろそろ一段階アップしたい。そんな気持ちが強くなってきています。大勢の人たちと語り合ってきた中で、心の中で温めてきた夢ちが育ちつつあります。
2004.11.26
98年から毎日日記を書き綴り、ある程度書いては削除するのが私のあるパターンになっています。それはレンタルサーバーの仕様に飽きてくることもあれば、そのときの人間関係を清算してしまいたい気持ちで、人と人との関係は清算できなくても、せめて今まで書いてきた日記だけは消してしまおうと削除するときもあります。昨日、1年続いた楽天日記「赤毛のアンのように生きよう」を削除しました。300件以上あったログを消す瞬間というのは、やはり一瞬戸惑います。本当に価値のある文章かどうか?残しておいて良い文章かどうか?考えてみると、残しておいてもあまり価値がないような気持ちが強くて削除を決めました。もう一つ削除した理由があります。オフ会が終わったからです。オフ会が終わると消したくなるんですよね。今まで書いてきた言葉と言葉の交流からオフ会で会った人たちとのつながりが出来たわけです。つながりの中で私はしあわせの絶頂感を味わいます。お祭りですね。祭りの後また私は一人に戻ります。一人になって考えます。また新しく生き直さなければと。その一つの方法として、新しい画面に向かうという儀式を行う。ちょっと他の人たちからみたら変なことかもしれませんね。特に今回は社会的にも認められている教養のある人たち、6人に囲まれるという素晴らしい時間を過ごす事ができました。類は友を呼ぶと言いますが、もったいないような言葉だと思いました。そして、私の呼びかけに応じてくれた友だちと過ごした時間は最高に楽しくて、こうして楽しめる私自身が好きでした。これからどのように楽天を利用しながら日記を書いていくか。一つのモデルとして、「四十歳からの仕事術さん」を考えています。趣味で本を執筆しておられる彼。その執筆の歴史を読ませていただき、文章を書くことの厳しさを学ばせていただいています。彼のように学びながら書けたら良いなと思っています。私の書く文章が社会的に役立つようなものになれたら良いなと願います。そのためにはどうしたら良いか?私のスタイルを見つけることが大切かもしれませんね。友人からは有料メルマガを提案されています。真剣に私の文章を読んでくださる人が一人でも居られたら、その方のためにも良い言葉を綴る。今、考えています。
2004.11.25
オフ会が終わり、私の中で一区切りがついた気持ちなので、楽天とマイプロフィールの日記を思い切って全部削除しました。そして新しく楽天日記を「ときめきのリズム」という昔書いていたコラムのタイトルにしました。これで日記を削除するのは何回目でしょう!また新しい気持ちで書き綴ります。
2004.11.24
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