江戸東京ぶらり旅

江戸東京ぶらり旅

江戸時代の三行半

こんな仕組みあればいいな


 江戸の女性はとても大切にされました。それでも人間社会ですから,浮気ぐせがあったり,酒癖の悪い,博打で懲りない夫などがいて,妻はとうとう 三行半 (みくだりはん)をもぎ取るということになります。妻は,「夫である私にすべて罪があります。よってどこへでも行って,誰とでも一緒になって構いません」という趣旨の文書を夫に三行と半分で(四行でも五行でも構わない)書いてもらうのです。庶民はこれさえあれば,自由の身,ほかに好きになった人と所帯を持つことだってできるのです。ちなみに,三行半は「たたきつける」ものではありません。妻が夫に書かせる離縁証明書なのです。

 ところがこれを書いてくれない。反省もしない。DVの嵐・・・,となると,関所やお代官のところへ離婚を願い出るしかありません。それでもだめなら,最後の手段が 縁切寺 へ駆け込むといいう世界でもまれなシステムが残されています。これは「 駆け込み寺 」とも「 駆け入り寺 」とも言われる男子禁制の尼寺です。幕府公認の縁切寺は神奈川県鎌倉の 東慶寺 (北鎌倉駅からすぐ)と群馬県の 満徳寺 の二つありました。江戸から,前者は13里(52km),後者は21里(84km)ありました。距離から考えても東慶寺は人気があったのですが,このお寺では髪を切る必要がなく,二年間ここにいれば自然に離婚成立。後者の満徳寺は剃髪して,三年間もいなければならなかったのです。やっぱり,江戸に住まいがあるなら,鎌倉を選択しますよね。

 それで,駄目夫が未練がましく妻のあとをつけてきて,実力で阻止しようとした場合はどうなるのでしょう。妻は門をめがけて草履か何か,何でもいいから身につけているものを投げます。ストライク,それが門に入れば妻はセーフ。お寺が妻を保護し,夫は門から入れません。中国の日本大使館のように,門内へ夫が入って妻を連れ戻すなんてこと(これも国際法上違反ですが)は絶対できないのです。夫が,「じっくり話し合いたいのですが」と言えば入れてもらえます。お寺はお互いの話を聞いた上でどうするかを決めます。夫が三行半を書くことになれば離婚成立,めでたしめでたし。夫がそれを拒否すれば,妻はそのままお寺に入り離婚成立までここで過ごすのですね。

男たちよ妻を殴って幸せですか? 鎌倉有情 泣いて笑って三くだり半 男どもへの三行半


 それなら私も,と安易に考えられてはお寺としても困ります。それでお寺に入るには医学部の入学時寄付金のような「冥加金」が必要となります。これにはランクがあって,30両も払えば最高のランク,待遇は最高です。お金の支払い能力のない人でもお寺には入れますが(だって女性の救済が目的なのですから),厳しい仕事が課せられます。辛くてお寺から逃げた場合は罰が与えられ,繰り返せばお寺から追い出されます。だからお寺に逃げ込むという最後の手段をとるにしても,相当の覚悟が必要ですね。こんな川柳までできました。松ヶ丘宝蔵には今も当時の離縁状がたくさん残っているそうですよ。

出雲にて結び鎌倉にてほどき松ヶ丘,経も三行半覚え

 この制度は明治時代に廃止されるまで約600年間受け継がれました。現在の法では命を守ってくれませんね。警察に訴えても,重大な事が起こらない限り動いてくれないのです。女性は泣き寝入り,DVでさんざんな目にあっても誰も助けてくれません。家庭内暴力,児童虐待,ストーカー殺人などなど,現代の駆け込み寺,本当は必要なのかも知れませんね。




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