江戸東京ぶらり旅

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江戸幕府の足固め

分かる江戸 (2) 徳川家の支配戦略


 三代目には家がつぶれる,なんて言いますが,徳川家はまだまだずっと続いたのです。家康,秀忠,そして三代目が家光。彼は徳川家の全国支配を完璧なものにするために,参勤交代の仕組みをつくったのですよ。



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 大名は妻子を江戸に置いて,藩主は一年ごとに領国と江戸を往復するという制度なのですね。まあ,妻子は人質,自分が与えられた領地,現代なら「あなたには愛知県を与えましょうね。それであなたは愛知県知事に任命しますよ。でも家族は東京に住むこと。あなたは愛知と東京で一年おきに生活するように」ということです。

 「えっ,なんで?」と思うでしょうね。妻子が江戸に住まなければならない,つまり妻子を人質として残す,という作戦だったのです。愛知県に帰っている間に悪巧みの計画など練られたのでは徳川家にとっては困りますからね。それから東京と愛知を往復するための資金,もちろん自前ですからね。県の税収に応じて知事(大名,お殿様)のお供の数なども定められ,だから収入の多い県はたくさんのお金がかかるようになっている。知事はせっかく入ってきた税金を,この旅行のために使い果たしてしまう。徳川家を倒そうと思っても,この資金がない。徳川家はあまり過度なデモンストレーションをしなくてもいいのに,と注意したのですが,各藩の藩主(大名=お殿様=県知事)は見栄と外聞で生きている人たち,これにたくさんお金をかけましたね。

=参勤交代の逸品です=



 こうやって,家光は金をたくさん使わせて,いや,大名たちが勝手に見栄で使った部分も多いのですがね,大名の力を低下させるという作戦をとったのですよ。それから大名たちに江戸の土木工事などもやらせた。これも大名たちの負担です。「なんで,俺たちが負担するの」と不平不満。でもこんな不満を直接もらすこともできず。神田川だって仙台藩の伊達政宗がやらされたのですね。ちょっと気になる存在でもあったからね。かっこつけて,派手にやってる東北地方の大名でしたからね。これにゴマをすったのか,うまく取り入って,期待に応えたので家康は政宗が大好き,という面もあったのです。麻布十番の韓国大使館のある場所はもと伊達藩の屋敷跡なのですからね。


 徳川家は地方のお殿様と呼ばれている大名たちが自分たちに刃向かうことのないようにしただけでなく,天皇家(朝廷)の力も気になるので,こちらにもプレッシャーをかけたのですね。「 禁中並公家諸法度 」なんていう,まどろっこしくて長い名前の法律をつくって,彼らの行動を厳しく制限したのですよ。「天皇は国の象徴」なんていう現代の憲法のオリジンは,ここにあるのかもね。それに鎖国。海外渡航,海外からの帰国(当たり前の表現だね)を禁止して,外国かぶれになって,あれこれ主張する人間が出てくることを防いだのです。知らない方が幸せなのよ,ってなわけです。それで,オランダ商館も長崎の出島に強制的に移されたってわけです。

=鎖国ならこれしかないでしょ!=



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