江戸東京ぶらり旅

江戸東京ぶらり旅

元禄の頃

分かる江戸 (5) 元禄政治


 「 譜代大名 」とは,家康がまだ将軍などになる前,日本を東西に分けての紅白試合,関ヶ原の戦いで家康側についた大名,だから後に家康によって優遇されたのですね。彼らは徳川家に貸しがあると思っていたのか,どんどん江戸城内でも発言権が強くなっていった。俺たちがいたから徳川さんが政権をとれたのよ,ってなわけです。「大老」職とか「老中」職という政府の最高の職,地位につく者は,譜代大名から選ばれるのですから,当然ですよね。すると将軍は何のためにいるの,だたの飾りじゃん,となります。実権は将軍になくて,大老とか老中が幕府を動かしてしまう。これじゃいけない,と思ったのが,五代将軍の 綱吉 ですね。将軍の復権をテーマに頑張ったのですね。




 徳川幕府の初期は,幕府の体制固めのために武器(刀)を持つ公務員(武士)が活躍するのですが,「 番方 (ばんかた)」と呼ばれました。彼らの仕事は警備役ですがね。でもいつまでもこんなことやってられない。平和を維持するためには,つまり徳川家が安泰でいられるためには,徳川家や各地の藩の財政が安定していないといけない。税金(年貢)をスムーズに徴収したり,藩の収入が効率的に使われることが必要。だから警備も大事だけど,お金の使い方に詳しい公務員,「 役方 」が重視されるようになりました。

 それで綱吉はこの役方の仕事の整備をしたのですね。収入と支出,お金の使い方がちゃんとできているのかをチェックする会計監査の制度をつくったり,代官の綱紀粛正,つまり賄賂,リベートまみれになっていないかに目を光らせ,結果40名の内34名の代官を処分したりと,武士にこうした仕事をさせたのですね。

 また,みんなが商品を買えるように貨幣を改鋳,つまり鋳造しなおして質の悪い大量の貨幣を市場に放出したのです。貨幣そのものの価値は下がるけれど,みんなが買い物をできる。こうした政策を推進したのが綱吉の側用人, 柳沢吉保 です。老中よりも地位が低いはずなのに将軍のそばで用事を果たす役目だから,直に将軍とお話できる。良い立場にあったのですね。

 でも商品の数に対して,それを買える能力のある人が増えると,当然物価が上がりますね。1個1円だったものが1個100円になる。すると貨幣の価値が100分の1になってしまう。インフレですね。庶民は物価高で困りましたよ。

楽天のすべてのジャンルから探す・お買物なら   →  【こちらです】


「江戸東京情報館@話題の宝庫」のトップページに戻る



© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: