江戸東京ぶらり旅

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享保の改革

分かる江戸 (6) 江戸の危機(享保の改革)


 貨幣が流通することでインフレ,物価高になってしまった綱吉の時代。六代将軍の家宣,七代家継,ここでも側用人が活躍しました。その名は 間部詮房 (まなべ・あきふさ)です。それに侍講の 新井白石 ,将軍に学問を教える学者ですね。綱吉の作った法律「生類哀れみの令」を廃止,そして悪貨を良貨に改鋳してインフレから脱却する,つまりデフレ政策を実行したのです。


 すると,幕府に入ってくる税金(年貢)は減少しますね,鉱山の収入も海外貿易での収益もなく,だって貿易らしい貿易は鎖国をしていたから,できなかったのですからね。旗本や御家人などの公務員に支払う年俸(米)にも事欠くようになってしまったのです。困りましね。


 幕府はこの事態を放置できない,それで改革だ,となったのです。八代将軍 吉宗 のときでした。吉宗は赤字財政を克服しようとしたのです。「 上米令 (あげまいれい)」という法律を作って,各地の大名から一定の率で米を献上させ,つまり当時は米がお金の代わり,実質は税金として取り上げるのと同じ効果ですが,とにかく米を出させたのですね。



 でも,このやり方だけではいつまでたっても赤字体質はなおらない。米を放出する大名だって不満がつのる。だから根本的な対策をたてなければならないのです。それで新田開発を奨励したのです。米をもっと作って各藩の財政を立て直してくださいよ,ってなわけです。

 それから,江戸の社会問題への対処です。これを放置すると犯罪は増えて,この解決にますますお金がかかることになる。世の中は乱れ,やがては大きな社会問題に発展して幕府への非難の嵐。政権交代だってあるかも知れない。こんな不安にかられますね。それで小石川に 養生所 (病院ですがね)をつくって,貧しい人たちにも医療を施そうとしたのですね。今は東京大学付属の植物園になっていますが,当時の井戸が残っていますよ。青木昆陽がさつまいもの試験栽培をしたところでもありますね。つつじの綺麗な季節に訪れるといいですよ。ここで活躍した医者をモデルにした山本周五郎の「赤ひげ」,テレビドラマにもなりましたね。



 さらに防火対策。江戸は火事か多かったからね。 町火消しの制度 をつくって,火事が起きたら組織として対応,初期消火に努めようというわけです。「あ組」とか「い組」とかいうやつですね。「ひ組」や「へ組」はさすがに語呂が悪いのでありませんでしたが。火事になりにくい土蔵造や瓦葺きの屋根もオススメ,となりましたね。

 それに庶民の楽しみの場だって与えなければならない。レクリエーションの場だって平和を醸し出すためには必要。それで北区の飛鳥山や隅田川の両岸に桜を植えましょう,ということになりました。今でも桜の季節には滝廉太郎の「花」の碑のある隅田川公園に大勢の人が押しかけますね。飛鳥山には王子製紙の原点,紙博物館などがありますよ。

 もう一つは物価の安定。インフレだったりデフレだったり,どちらも困ります。消費生活が向上すると米とちょっとしたおかずだけの食事から,それ以外の物の需要が増しますね。醤油とか味噌とか野菜とかあれこれですが。そうするとその価格が上がって,米は相対的に安くなる。公務員は米が給料でしたから,これをお金に換えて色々な物を買っていた。だから米の価値が下がると,結局給料が下がったということになる。これでは武士たちは生活苦になりますよ。だから,米の値段を上げること,逆にそれ以外の物の価格を下げることが重要な課題になったのですよ。

 主に米についての改革をおこなったので,吉宗は「 米将軍 」と呼ばれていますね。


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