江戸東京ぶらり旅

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大政奉還

分かる江戸 (11) 大政奉還


 幕府の威信を回復しましょうと,老中の 安藤信正 。まずは朝廷と仲直りしましょうね,ということで孝明天皇の妹である 和宮 (かずのみや)を十四代将軍家茂(いえもち)の奥さんに迎えました。この嫁入りのときに彼女が江戸に入るとき,板橋の縁切りエノキを見せないように縁起をかついだりして大変だったのですが,この結婚がまたごたごたの原因になった。幕府に都合の良い政略結婚だ,と批判され,安藤信正は江戸城の坂下門外で水戸藩を飛び出した武士に襲われるという事件がありました。これで安藤信正も職を辞さなければならなくなった。



 とにかく尊皇攘夷,天皇のいる朝廷が絶対,鎖国政策続行という保守主義の人たちで固めた長州藩,無謀にも下関海峡を通る外国船を攻撃してイギリス,アメリカなど四カ国の軍艦に報復されたり,鹿児島湾でイギリス艦隊とやりあった薩摩藩はさんざんな目にあったりしました。つまり理想で物を考えるというのは無理よ,ということを思い知らされたのですね。ついに開国するしかない,でも幕府のやつらと一緒にやろうとは思わない,倒幕だ,という考えに変わっていったのです。

 そして同じ考えを持つ長州藩の木戸孝允,薩摩藩の西郷隆盛,大久保利通らが同盟を結んだのですね。力を合わせて幕府を倒そうね,と。

 1866年12月,孝明天皇急逝,明治天皇即位。幕府ではもともとこの人をと言われていた 一橋慶喜 が十五代将軍に。幕府の改革に取り組もうとしたのですが,薩長が手を組んで幕府を倒そうとしているぞ,という知らせ。それで「薩長はもともと尊皇攘夷だから,政権を朝廷へ返上すれば,我々は攻められる理由がなくなるのでは」と考えたのです。これが「 大政奉還 」ですね。それで朝廷もラッキーとばかり, 王政復古の大号令 。それで倒幕を主張していた彼らが権力を握ってしまったのです。戦わずして倒幕。江戸幕府はこれをもってフィナーレ。あっけなかったですね。

=慶喜の墓・谷中霊園内=
慶喜墓.JPG




 でも,旧幕府軍と新政府軍の武力対決,鳥羽・伏見の戦いから函館戦争までのこぜりあい, 戊辰戦争 が明治二年までありましたがね。歴史の流れはもう止まることはありませんでした。止めることもできません。

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