江戸東京ぶらり旅

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江戸の奉公人

企業の番頭さんの地位


 10歳で「小僧」としてお店に奉公,「手代」を経てようやく「番頭」にまで昇進。ここまで来るのに10年以上,長い人では20年近くもかかってしまう。しかも誰もが昇進できるわけではないとくる。エリートの中のエリートがなれるといった感じですね。

 番頭になれば,絹物の羽織を着られるし,所帯を持って自分の家に住める。だから酒も煙草もOKで,芝居見物も自由にできるといった手代の身分と随分違います。年俸が4両程度だったのが,持ち家に住め,家族を養えるためにはそれなりの給料がないとやっていけないのだから,手代とははるかに高額な給料が支払われたはずですね。

 店の最高責任者はもちろんご主人さまですが,でも実際は番頭さんがあれこれ指図し,采配を振るって,人事権もありました。こいつは見込がないと思ったら,リストラするなんていやな仕事も番頭の仕事です。社長は判子を押すだけなのは今も昔も同じ,人事部長が人事を決定といった感じですね。要するに,番頭はこの店で長年奉公し,たたき上げてきた生え抜きなのですから,他の企業からスカウトしたわけではない。店の事細かなことを全部知り尽くしている人材ですね。だから番頭に任せても安心,というわけなのです。逆に言うと,番頭は自分の店に不満があってもここに居続けるしかない。他の企業だって他の会社の番頭が優秀だからといって引き抜くことなどしないし,再就職を希望してもうっかりOKなど出せないのです。このルールを守らないと店の信用にもかかわるのですね。せっかく我が社で育てた番頭を引き抜かれた,それじゃ我が社もおなじようにやろう,などとなると企業倫理はめちゃめちゃになる,と考えたのです。そして「転石にコケは生えない」を悪い意味で捉えてたのですね。

 番頭の仕事を終えると退職金が出ます。もちろん会社の業績によって50両~200両と差があったようです。これを元手に起業することも可能,私なら仕事から身を退いて海外でロングステイといきたいところですが,当時は鎖国政策でこんなことはできなかった。それで趣味の盆栽とか道楽三昧でもとなる。これだけお金があれば何でもできますね。

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江戸のビジネスマンの昇進


 「 小僧 」という身分の期間を過ごし,無事「 手代 」に昇進した,大人と見られる奉公人は,ここでようやくお給料が貰えるようになります。当時は「 給金 」と言って,年に4両ほどでした。大人と見なされるのですから,女はどうかわかりませんが,酒も煙草も誰からも文句を言われません。芝居見物にだって行けるようなります。小僧の身分とだいぶ違いますね。



 手代は小僧と外見で区別できるようにもなります。「 中剃り 」と言って,いままで生やしていた頭の中央部の毛を剃るのです。足袋がはけるようになるというのも大きな違いですね。

 それで,手代として5年か6年勤めると長期休暇が貰えます。ビッグバカンス,本当のゴールデンウイークですね。今ならヨーロッパにでも行こうか,それとも太平洋の島々にでもとなるのですが,なにせ40日から60日ほどの長期休暇,故郷の遠い手代ならば悠々,楽々帰れますね。のんびりと骨休めをして,さてお店に戻りましょうかと準備しているところへ,お店から手紙が届きます。「これからも宜しくね」か「今までご苦労さんでした」で天と地の違い。後者は帰ってこなくていいよ,という意味。リストラですから退職金を貰って,さようなら,なのです。あっけないですね。手代ほどに歳をとっていれば,再就職なんてもう無理。フリーターとしてやっていくしかないのでしょうか。


 こんなハラハラ,ドキドキの10年~20年を無事過ぎた手代は,やっと念願の「 番頭 」になるというわけです。ここまでに「小僧 → 手代 → 番頭」と昇進の節目節目でふるいにかけられ,脱落していく人がいるのですから,江戸時代は意外と激しい競争社会だったのですね。小僧のうち番頭まで昇進できたのは20人に一人か二人程度。10倍から20倍の競争率だったのです。


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日本酒度
【日本酒度】
日本酒の甘口、辛口をみる目安となります。「マイナス」の度合いが高いほど甘口となり「プラス」の度合いが高いほど辛口という事になりますが、酸度等が加わると味わいも変化します。お酒を買う時の参考に。


大旦那の仕事


 江戸時代で有名な豪商は,博多の嶋井宗室,大坂を「天下の台所」に育て上げた淀屋,全国に「小京都」を作った近江商人,海運による物流革命の立役者河村瑞賢,両替商金融で経済を動かした鴻池宗利や三井高利など。これらの大会社の社長は「 大旦那 」と呼ばれるのです。大店(おおたな)とは大企業のことですから,大旦那は今で言えばトヨタの社長とか,NECの社長とかですかね。ただ江戸時代は株式会社ではなくて,だいたいは世襲ですから,個人経営の大企業と考えるといいですね。実業家である大旦那が引退したら,普通はその息子である若旦那が昇格。この若旦那が吉原で身を崩すような馬鹿なら,お店を任せるわけにはいかないから,奉公人のトップである番頭に社運をかけることになる。当然このバカな若旦那は家を追い出されるということになりますね。


 だから,大旦那の中の大旦那,豪商といえども若旦那からのたたきあげ,何が良くて何が悪いかを心得ているのです。一晩で大金を使うような派手な大旦那(豪商)だっていたにはいたでしょうが,誰もがやっていたわけではないのです。自分の道楽に大金を使うよりも地域あっての会社という考え方が一般的で,地域の中に根ざし尊敬される会社,大旦那としての地位を確立することに専念したのですよ。

 それで豪商の日常生活は実に質素,食事だって白米のご飯としょっぱい漬け物か佃煮,おかずなんてたまにしかつきません。奉公人を養い,地域に気に入られるためには無駄な経費は節減しなければならない。隗より始めよ,というわけで家族そろって質素な生活をこころがけたのですね。あの三井家だって,派手な葬式は厳禁,息子になどに葬式をまかせたのでは見栄を張って金がかかりすぎる。自分の葬式にかける金は最小限でいい,というわけで,遺言ではなく大旦那である自分が生きている内に葬儀屋とかけ合って自分の葬式の段取りを決めてしまった,というのです。すごいですね。

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若旦那と与太郎


 奉公人である「小僧」「手代」「番頭」が一生懸命働いている中,のんびりと彼らを眺めているのが「 若旦那 」。でも,ただ暇に任せて眺めているのではありません。店をどのように経営していくのか,どのように適材を適所に配置すべきか,店をより大きく発展させるにはどのような戦略をたてたらいいのか,他の企業の経営者とどうおつきあいしたら良いのか,などなどで頭の中がいっぱいです。といっても,次のステップである「大旦那」とは比較にならない気楽さ,今は大旦那になるための修行の身というわけで,経営のノーハウを学ぶ段階。

 若旦那の格好はこんな風です。まずは「本多髷」で流行を見せつけ,やせ形色白,背筋はぴんとして欲しいのですが猫背気味。つまり日常は力仕事などしないので,筋肉りゅうりゅう,もりもりではなくてひ弱な感じ。お金だって持ったことはない,全部お供の小僧に持たせ,細身の脇差しだってただのファッションです。おぼっちゃまの苦労知らずといった風采なのですね。だから大旦那である父親は厳しくしつけようとするのです。

 それで若旦那な実に頼りない道楽好きの馬鹿息子といった感じですが,これが違う。今もふれたように小さい頃から親から離されて厳しくしつけられるのです。十分精神的に鍛えられ一丁前になったころ,親はお店に戻し,ここがお前のお店だよ,となる。だから,若旦那としてちやほやされても決して浮き浮きしてはいられない。そして,たまには親から将来見込のある息子かどうかをチェックされる。例えば,お金をたんまり渡されて,これで遊んで来なさい,とね。チェックポイントは金を有効に使い切るということ。たくさん余したのでは,こいつは金の使い方が下手でけちだとなるし,予算をオーバーした使い方をすれば,こんな丼勘定をするやつに経営など任せておけない,となる。身内だからとて厳しく評価,査定しなければせっかく築きあげた経営の基盤が崩れてしまう。

 このチェックは厳しいですね。一億円を一日で使い切るなんていう課題を与えられたらどうしましょう。ギャンブルなどして間違って儲けてしまうと,これもいけない。女にやってしまうなんて,それこそ金の価値がわからない馬鹿者,お金を有効に使うというのは,今の時代だって難しいですね。

 され,若旦那が本当に道楽好きの馬鹿息子になってしまえば,親だって店の繁栄のためには見捨てるのです。生え抜きの番頭に,あいつに代わって大旦那をお願いしますね,ということになるのです。この馬鹿息子はお店になどおいておけないので,家を出され,不要の太郎さん,すなわち「 与太郎 」となるのですね。 

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