江戸東京ぶらり旅

江戸東京ぶらり旅

江戸の寺子屋

江戸の指南所(寺子屋)


 本当は京都・大坂で呼ばれていた言い方ですが「寺子屋」。寺子が勉強する所という意味で,だから「寺小屋」,つまりお寺の小屋,「寺小屋」じゃないのですよ。江戸では「●●屋」という名称は商売をしている感じを受けるので「 指南所 」と呼んでいます。7,8歳から3~5年間子供達の通うお勉強の場ですね。お勉強と言っても実際の生活に直結した,すぐに役立つ内容のお勉強,「読み,書き,そろばん」が主体。ひらがな,数字,地名,名字,手紙の書き方,礼儀作法などなどで,中には茶道や華道,国学,漢字などレベルの高い内容を教える指南所もありましたよ。


 今盛んに議論されている道徳ですが,中国の儒教をもとにした教科書もあって,ああしなさい,こうしなさいと,道徳の基礎を教えたのです。例えば,親孝行をしなさいとか,間違ったことをしてはいけません,といった内容でごく当たり前の内容ですがね。


 当時は義務教育ではないのに女子の就学率も高くて,男女合わせて7~8割の子供達が指南所で学びました。子供達の生活は,朝の8時頃から2時くらいまで指南所でのお勉強です。子供の事情も一人一人違いますから,商人の子供はそろばんを,などというように個性の尊重というかそれぞれが必要とした教科書が使われたのですね。文字は草書と呼ばれる崩し字から勉強したのです。現代では楷書というしっかりしたパソコン文字を最初にならい,ぐちゃぐちゃ,にょろにょろに見える草書は習いませんが,昔は逆だったのですね。


 先生は教養と時間のある人たち,お坊さんとか浪人とか未亡人とかで,女の先生も意外と多かったようですね。大人も,子供のお勉強が終了した後に,指南所に行けましたから,女師匠に近づく魂胆の大人もいたはずです。なんとか親しくなって,そのあと・・・なんていう下心。


 それで授業料ですが,自分の家が八百屋なら大根やニンジンを持って行くとか,家が大工ならお師匠さんの家の雨漏りをなおしてあげるとか,のんきなものでした。だから先生も生活,つまりお金目当てではないので,真剣に教えたいという熱意のある人たちがたくさんいました。子供達も指南所でのお勉強を楽しみにしていましたね。 

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