江戸東京ぶらり旅

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浅草寺と伝法院<浅草>

宝蔵門 をくぐると,浅草寺本堂の境内です。煙もくもく,頭良くなれ,顔良くなれ・・・これで御利益のあった方は何人いるのでございましょう。
 この本堂は戦災を受け,昭和33年に再建されたものでございます。とは言え,都内最古のお寺。推古天皇の時代,隅田川の漁師であった桧前浜成(ひのくまのはまなり)と竹成(たけなり)兄弟の網にかかった5cm程度の純金の観音像を祭ったのが起こり,庶民の信仰を集めてきたのでございますね。川端龍子や堂本印象の 天井絵 はみごとですね。

浅草寺本堂.JPG本堂天井.JPG


 浅草寺境内には出店も多く,金平糖屋さんやらのしいか屋さんなど,見ているだけでも楽しくなります。ちなみにこののしイカ,スルメを焼いて,次にプレスにかけると,あら見事・・・こんなに長く,薄くなりました。ただし,足(ゲソ)は別料金。どうして? 納得いきませんね。

金平糖屋.JPGのしいか屋.JPG


 お参りしたら,また宝蔵門をくぐって,仲見世へ。すぐに右へ折れる道路, 伝法院通り がみつかります。今度はこの道を進んでみましょうか。ここにもたくさんのお店が並んでいて楽しいですよ。おなじみ江戸切り子のお店。結構値の張るものもありますが,そこは伝統,のっぴきならない技術だもん。それに佃煮屋さん。もんじゃ焼きで有名なあの月島の北,佃島の漁師が余った魚を保存食に変身させたのですね。

伝法院通り.JPG江戸切子.JPG佃煮屋.JPG


伝法院 は浅草寺の総本坊で,客殿,使者の間,茶室などがあります。大書院前の池和泉回遊式庭園は小堀遠州さんの作。土曜,日曜,行事日は非公開,団体さんも不可。問いあわせは浅草寺庶務部へ。電話03-3842-0181
 伝法院通用門の先にあるのが 鎮護堂 (ちんごどう),「お狸様」とも呼ばれます。この狸,伝法院の守護であり,火災や盗難除けに御利益があるそうです。

鎮護堂庭.JPG鎮護堂.JPG大黒屋前.JPG


 さて,飯とするか・・・でもこんなに行列では並ぶ気もしませんね。ガイドブック片手に大勢並んでいるのが天麩羅の大黒屋さん。裏通りにも探せば美味しいお店,隠れ家がが見つかるはずですね。それで私,十和田屋のお蕎麦か,浅草駅前にもどって写真のように「デンキ」といきますかね。

十和田蕎麦.JPGkamiya-bar-denki



浅草へ行こう(その1)へ




<浅草のお土産あれこれ>

雷おこし 浅草祭 外人向きものKIMONO・外印/F1069 日本の観光マウスパッド浅草寺Mouse padAsakusa-Senso Temple 浮世絵扇子・浮印/F1100 のれんNOREN・扉印/F1091 日本手ぬぐい 浅草 浅草寺/手ぬぐい800点以上 送料一律500円 のれんNOREN・扉印/F1092 飾りミニ傘 日本の観光マウスパッド浅草雷門Mouse padAsakusa-Kaminari Gate おせんべい・下町浅草の人気お土産 ザラメ【0603激安】 新サザエさん人形焼き(あんこ) ちょうちん 商売繁盛 伝統工芸 江戸切子剣菱魚子文様 酒器揃〈ルリ〉《税込み・送料無料!》 伝統工芸 江戸切子剣矢来重文様 酒杯〈ルリ・アカ〉 単品 ≪特上品≫本べっ甲・翡翠2ツ足かんざし 日傘 うず舞小 蛇の目 浮世絵



黙阿弥について

 「物事が振り出しに戻る」ことを「もとの黙阿弥」と言いますが,これは奈良の筒井順昭が病気で亡くなるとき,枕元に集まった一族や家臣に伝えたとされる遺言に由来するものなのです。

 筒井順昭はこう言い残したのでした。
 「私は人々を大切にしながら大和を治めてきたのだが,病気で志を成し遂げることができません。跡継ぎも幼くて,政敵も私たちを滅ぼそうとするでしょう。わが一族を守るために何かよい知恵はないだろうか。」

・・・(しーん)・・・

 「もし皆さんにアイデアがなければ,私に良い考えがあります。私が死んだ後は決して葬儀などはしないで,生きているのと同じように普段通りに暮らしてください。私の知り合いに盲目の黙阿弥という人がいます。この人は顔立ちや声,年齢が私に似ているので,彼に事情を話して,私の代わりになってもらってください。皆さんは私の身代わりの黙阿弥に,私にするように尽くしてください。そうしている間に息子も成長するでしょうから,そのときには私の後を継がせてください。そうすればお家安泰間違いなしです。」

 翌年井筒順昭は亡くなりました。黙阿弥もこの策略に理解を示し協力してくれました。敵方はその経緯も知らず,だから井筒家を攻めることもしませんでした。こうして着々と時間を稼ぎ,体制を整え準備万端。そこで順昭の死を公表しました。まんまと敵はだまされ,任務を果たした黙阿弥は多額の報酬を得て,「もとの黙阿弥」に戻ったのです。

 という,めでたしめでたしのお話です。

P3211396.JPG


 これとは直接の関係はありませんが,歌舞伎作者に「河竹黙阿弥」がいます。江戸の幕末から明治にかけて活躍した人ですが,天衣紛上野初花(通称河内山),新皿屋敷月雨暈(通称魚屋宗五郎)など生涯で360作品も書き,そのほとんどがこの浅草の地で書かれたといいます。早稲田大学演劇博物館ゆかりの坪内逍遙が「江戸演劇の大問屋」「明治の近松」「我国のシェークスピア」と高く評価した人物。浅草寺を訪れたとき,仲見世の脇道をちょっと右へ入ったところに碑が建っています(上の写真)ので立ち寄ってみましょう。

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