江戸東京ぶらり旅

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怪談の舞台<紀伊国坂>


小泉八雲作「むじな」の舞台



 地下鉄赤坂見附で降りましょう。虎屋本店の方へ向かう道路(青山通り)を進みます。緩やかな上り坂です。ついでですから,虎屋に寄って,高級羊羹を手に入れるのもいいですね。そこからちょうど向こう側に「豊川稲荷」が見えます。稲荷の左側の森は,赤坂御用地です。この森の中に迎賓館もあります。もとは紀州藩の上屋敷があったところです。

 さて,お買物が済んだら虎屋の手前の交差点を,豊川稲荷側へ渡りましょう。春ならお稲荷さんの桜も綺麗ですよ。御用地の入口の前に警官がいます。「ご苦労さま」と挨拶して,豊川稲荷との間の坂を進みましょう。やがて右手にお堀,お堀の向こうにホテル・ニューオータニや上智大学が見えてきます。高速道路がちょっと邪魔ですがね。お堀は勿論江戸城の外堀跡でここは「弁慶堀」(弁慶小左衛門さんが堀の掘削を担当した)と呼ばれています。あなたが今登っているこの坂が「紀伊国坂」です。もちろん紀伊藩の屋敷があったからこう命名されたのですがね。(写真)

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 日本昔話でも有名な, 小泉八雲 (パトリック・ラフカディオ・ハーン)の「むじな」のお話には,この坂が登場します。

 『東京の,赤坂への道に 紀伊国坂 という坂道がある・・・これは紀伊の国の坂という意味である。何故それが紀伊の国の坂と呼ばれているのか,それは私の知らない事である。この坂の一方の側には昔からの深い極わめて広い濠があって,それに添って高い緑の堤が高く立ち,その上が庭地になっている・・・道の他の側には皇居の長い宏大な塀が長くつづいている。街灯,人力車の時代以前にあっては,その辺は夜暗くなると非常に寂しかった。ためにおそく通る徒歩者は,日没後にひとりでこの紀伊国坂を登るよりは,むしろ何里もまわり道をしたものである。これは皆,その辺をよく歩いた貉(むじな)のためである。
 貉を見た最後の人は,約30年前に死んだ京橋方面の年とった商人であった。当人の語った話というのはこうである・・・

 この商人がある晩おそく紀伊国坂を急いで登って行くと,ただひとり,濠の縁にかがんで,ひどく泣いている女を見かけた。身を投げるのではないかと心配して,商人は足をとめ,自分の力に及ぶだけの助け,あるいは慰めを与えようとした。女はきゃしゃで上品な人らしく,みなりも綺麗であったし,それから髪は良家の若い娘のそれのように結ばれていた。
 『お女中』
と商人は女に近寄って声をかけた。
 『お女中,そんなにお泣きなさるな! 何がお困りなのか,私に仰しゃい。その上でお助けをす
る道があれば,喜んでお助け申しましょう』
 しかし女は泣き続けていた。その長い一方の袖で商人に顔を隠して。『お女中』と出来る限りやさしく商人は再び言った。
(後略,http://www.aozora.gr.jp/cards/000258/files/42928_15332.html の訳を私なりに少し変えました。もとの全訳はこのページお開きください。)
 ご存じかも知れませんが,女性は目も,口も,鼻もないのっぺらぼうの顔を見せるのですね。そして度肝を抜かれた商人,走りに走って逃げたのですか・・・。「日本昔話」にありますので是非お子様に読んで聞かせてください。

 この坂は紀国坂,紀之国坂,紀ノ国坂と表記することもあります。写真では「紀伊国坂」になっています。別名は赤坂,茜坂(あかねざか)で,そのためにこの一帯は赤坂と呼ばれるようにもなったのですね。紀伊国坂交差点から右に入ると,食い違い見附跡,大久保利通のテロ現場,紀尾井坂に続きます。

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