江戸東京ぶらり旅

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柳沢吉保<六義園>

六義園と柳沢吉保さん



 JR駒込駅で降りましょう。目の前の 本郷通り を渡り南下すると,すぐに右手に煉瓦塀が現れます。門が角にあります。でもここは入口ではありません。やがて右折できる小道があり,少し進むと入口がありあます。ここが「 六義園 」です。春には大勢の人々が門から入ってすぐのところにあるしだれ桜を見に訪れます。

六義園9.JPG


 この庭園は五代将軍の 徳川綱吉 が側用人(将軍の側近,将軍の命令や将軍への上申を老中にとりつぐ役職)として仕えた 柳沢吉保 に与えたもので,吉保は7年かけて六義園を完成させました。と言うことは,吉保は綱吉から相当可愛がられたいたのですね。綱吉も吉保も同じ戌年生まれでしたからね。彼の最初の名は保明でしたが,やがて吉保に。「吉」は,綱吉の「吉」。「これ使ってもいいよ」と綱吉から許されてつけた名なのですね。川越藩主や甲府藩主にもなっているんですよ。

 吉保の側室の染子。もとはと言えば,綱吉のお妾さん。綱吉が吉保に「これ結構いい女だぞ。面倒見てやってけろ」と与えられた女だったのですね。与えてしまった女なのに,しばしば綱吉は吉保に「今晩,染子をよこしてくれ」と言いつけたのです。それで吉保,チャンスを狙え,染子を使って甲府の100万石を下されと願い出たのです。二度とこんなことがあってはたまらないと心配した幕閣は,将軍が大奥に泊まる際には,寝床をともにしたい好みの女以外に大奥の女性を2名,将軍の寝所に泊まらせてに寝ずの番をさせ,その夜に何が起こったのかをすべて報告させることにしたのです。この方法は江戸幕府が滅亡するまで続けられたとのこと。将軍もこれではちょっと気がかり,48手の内,アクロバットではなく,目立たないおきまりの手しか使えなかったでしょうね。

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 それでこの六義園,「 リクギエン 」と読みます。ちょっと回りくどい説明になりますが・・・「六義」とは,中国の古い漢詩の分類方法のこと。六義とは,詩の6つのタイプ,すなわち漢詩を内容によって6種類に分類したのですね。「賦」(ふ):感想をそのままのべたもの,「比」(ひ):例をとって感想を述べたもの,「興」(きょう):外物にふれて感想を述べたもの,「風」(ふう):民間で行われる歌謡,「雅」(が):朝廷でうたわれる雅正の詞藻(しそう),「頌」(しょう):宋廟頌徳の詞藻(しそう)の6タイプです。
 そして,「古今和歌集」で名の知れた紀貫之さん,これを真似したのか,和歌にも6種の様式があるとしました。そへ歌,かぞえ歌,いわひ歌・・・,すなわち和歌の世界での「六義」。吉保はこれを拝借,この庭園を「むくさのその」と呼ばせたのです。庭園の配置も和歌にあわせた趣,名勝にちなんだ名前を各所につけているのですね。
 吉保は綱吉の死後リタイア,六義園で生活,明治には岩崎弥太郎のセカンドハウスになり,後東京都に寄付されたのです。庶民でも見学できる時代,ラッキーですね。おじいさんが孫を連れて散歩,「ここに入ってみる? 何もないよ」 結局入らすに去ってしまいました。わびさびの世界,小さな子供の来るところじゃありません。


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