江戸東京ぶらり旅

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「新撰組」って何?

板橋駅・分かる新撰組


 埼京線の池袋駅の次, 板橋駅 で降りましょう。駅前には噴水がありますが,その向こうの小さな公園の中にお墓があります。これが新撰組隊長の 近藤勇 さんと 土方歳三 さんの墓です。徳川幕府の終末期,江戸の田舎者たちが一旗揚げようと思い立ったのでしょうね。
幕府に尽くせば出世できるかも知れない,今がチャンスだと。

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 1853年,アメリカのペリーが黒船でやってきましたね。「俺たちと仲良くやろうぜ」と。勿論ペリーは,日本の市場を開放させ,自由に貿易して稼ごうという魂胆ですよ・・・ 外交とはそういうもの。相手が弱いと分かれば,脅してでも自分の有利になるように相手をねじ伏せる。相手が強ければ平和にやりましょうと握手する。

 幕府のお偉いさんである 井伊直弼 (いい・なおすけ)さん,京都在住の天皇から許可を得ず,アメリカと和親条約を結びますね。これで幕府の鎖国政策はおしまい。長く続いた平和で安泰な,進歩も高望みもしない世の中がこれで終わりになりましたね。これに腹を立てた人たちがいました。「アメリカの言いなりになるな! そもそも天皇の承諾を得たのか?」 これが「 尊皇攘夷 」(そんのうじょうい)と呼ばれる運動,天皇を尊重し,外国勢力を排斥しようという考え方。貿易したほうが日本のためにも得策とは考えなかったのでしょうかね? 純粋と言えば純粋,でも世の中知らずの幼稚な連中だったのかも知れませんね。だいたい黒船で脅されればかないませんよ。緊迫した状況を知らない天皇が正しい判断できるわけないじゃないですか。

 井伊さんはクレームに逆ギレ,尊王攘夷派を弾圧したのです。これが「 安政の大獄 」でしたね。それで井伊さんはますます恨まれて,あの江戸城の桜田門の近くで暗殺されるのです。勢いづいた尊王攘夷派の人たちは,幕府になどまかせておけない,いっそ幕府を倒してしまえと,ますますテロへと走っていくようになったのですね。もちろん天皇を尊重するという思想だから,尊王攘夷の考えを持つ人々は,天皇のいる京都へ集結したのです。

 1863年,ペリーが来てから10年目のこと,将軍の徳川家茂さんが京都へ出かけることになりました。でも京都は過激な尊皇攘夷派がうようよ,危険がいっぱいでした。そとのき清河八郎さんという方が,「江戸でぶらぶらしている連中を集めて,将軍を護衛したらどう?」と提案。こうして集められ,結成されたのが「浪士隊」。それで,あれこれ面倒なことが起こるのですが,やがて京都の治安維持を目的とした組織が結成されます。これが「 新撰組 」。徳川幕府の私的な警察とでもいいましょうかね。



 新撰組の仕事は尊王攘夷派の監視と取締りですね。「 池田屋事件 」では敵の大物を数多く討ち取りました。でもこの新撰組の内部にだって問題はあったのです。外敵ばかりでなく内敵だってガンのようでやっかいですね。粛清,そして粛清。それに新撰組は天皇を敵視しているわけではない,ただ幕府のために尽くせば立身出世できると信じた。

 歴史は皮肉ですね。薩摩と長州が結託し倒幕を宣言,天皇も幕府支持から倒幕支持へと変化。新撰組の考えは少数派になりつつあったのです。そして火蓋は切られる。「 鳥羽伏見の戦い 」で幕府軍は破れ,新撰組は江戸へ撤退,ちりじりばらばらに。近藤さんは千葉県流山市で官軍に捕らえられ板橋で斬首,沖田さんは病死,土方さんは箱館で戦死。そして一連の「 戊辰戦争 」は終わったのです。幕府はこれで消滅,武士の時代から役人の時代に,時は江戸から明治に移ります。




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