江戸東京ぶらり旅

江戸東京ぶらり旅

芭蕉と日光街道<北千住>

芭蕉も歩いたやっちゃ場<北千住>


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 南千住駅から「コツ通り商店街」へ。何これ? 江戸時代は小塚原刑場があったから「コヅ」,これが転じて「コツ」になったとか。でも,「オコツ(骨)」の「コツ」かと思ってしまいますね。だって刑場があったのですよ。やがて大通りに出ます。正面にはお寺が見えますね。ここを右方向に進むと「千住大橋」,江戸時代隅田川に架けられた最初の橋です。橋を渡るとここからが北千住,太い日光街道から右手に細い道が分かれます。これが旧街道。松尾芭蕉さんはきっと門前仲町の富岡八幡か永代寺(深川不動尊のある場所にあった)にお参りしてから,清澄通りの海辺橋のたもとにあった採茶庵(さいとあん)を,みちのくへ向けて船で旅立ったのです。芭蕉46歳の春でした。芭蕉さん,千住まで来るや,船を下りて歩き始めます。橋のたもとの大橋公園には「 奥の細道矢立初の碑 」が立っていますね。「行春や鳥啼き魚の目は泪」 魚の目にも涙だって? 「みなさん行ってきます,お元気で,さようなら」・・・芭蕉隠密説もあるくらいだから,これはフェイントかもね。弱々しい振りをして,実は剛健。

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 千住という地名は地下鉄の北千住駅からほど近い 赤門寺 にあるらしいのです。ここには千手観音が祀られており,この「千手」が「千住」に変化した,というものです。ところでこの観音さまも荒川で拾われたもの,これを祀ったというのですが,この手の話,多いですね。

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 旧街道沿いはやっちゃ場がありました。ようするに市場ですね。たくさんのお店が軒を並べ活気に満ちていました。高札場も勿論あったはずです。現在は昔の面影を復元しようと,あちこち工夫を凝らした苦労のあとがありますね。町おこし,どこも必死ですよ。



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