江戸東京ぶらり旅

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時の鐘<上野公園>



大江戸時の鐘音歩記 江戸最初の時の鐘物語


 松尾芭蕉さんの句に,

 「 花の雲鐘は上野か浅草か

 というのがありますが,あちこち全部で九箇所ありましたね。その内の一つが上野の寛永寺の時の鐘,現在は「上野静養軒」へ通じる道の左側にひっそりとありますが,現在でも使われていますよ。お寺の鐘はお坊さんが撞くのですが,これは時刻を人々に知らせる大切な役割がありますから,「鐘撞(かねつき)番」というプロがこの役目を担っていましたね。この人たちの給料は町ごとに負担,間口一間について三文。だから間口が広い世帯は金持ちとみなされ,たくさん払いましたね。といっても蕎麦が一杯16文でしたから,安いものでしたよ。庶民は間口でカウントされましたが,大名は石高(年俸)で決められたそうですよ。

上野の山の時の鐘

上野時の鐘2.JPG


 ちなみに,朝日の出る時が「明け六つ」という時刻,6つ鐘を撞きましたが・・・聞き逃す人もいますよね。「あれっ,鐘いくつ鳴ったっけ?」 それで捨て鐘といって最初に3つ鳴らします。これで「これから時刻をしらせるぞ」と注意を向けさせたのです。「アテンション プリーズ」ってな要領です。この鐘をうっかり聞き逃すと大変なことになることもあるのですね。新宿御苑の四谷寄りに「四谷大木戸」がありました。他にもたくさんの木戸がありましたが,門限があって「暮れ六つ」(日没です)にはこの扉が閉められて家に帰れなくなるのですよ。木戸番と顔見知りだったりすれば,ちょっと怒られる程度で済むのでしょうが。夏至と冬至では昼間の長さがずいぶん違いますから,一時(いっとき)の時間や,明け六つから暮れ六つまでの時間は違います。だから一時単位でお金を支払うものは夏場に頼む方が有利,となるのですね。同じお金で長時間働いてもらえるからね。



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