江戸東京ぶらり旅

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鈴ヶ森刑場跡<品川>

品川水族館 の入口,この前の広い道路は第一京浜。ここからほんの少し,50m程度北に進むと道路は二手に分かれます。左手は同じく第一京浜,右手が細い道で 旧東海道 です。ちょうどこの分かれ道にあるのが「 鈴ヶ森刑場跡 」です。

 京都から東海道をえっちら,おっちら,江戸への入口が品川宿。その手前に徳川幕府は刑場を設置したのですね。なぜ? みせしめですよ。「江戸の町中でよからぬことをすると,このようになるよ」とデモンストレーション。8代将軍の吉宗さんのご落胤(らくいん)だと嘘をついて浪人を集めていた山伏の 天一坊 ,火事で焼け出されて避難したお寺で仲良くなったお寺の小坊主に再び会いたいと自ら放火した 八百屋お七 など,ここで処刑されたのですよ。磔(はりつけ),火あぶり,さらし首など色々な手段で処刑したのですがね・・・。あ~,こわ,こわ。

鈴ヶ森刑場全景.JPG


 では,北から江戸に入る人々に対する脅しはどこでやったのでしょう? 南千住にありますが, 小塚ッ原刑場 ですね。ここでは有名な杉田玄白さんたちが腑分けを見たのですよ。死罪になった人を解剖,洋書と見比べて,「本当だ」とびっくり。それでそれを翻訳して「解体新書」ができあがるという運びになるのですね。
 日本史で習ったことを思い出しながら歩くのも楽しいものですよ。

江戸四宿を歩く 東海道五拾三次 江戸・東京歴史物語


涙橋のこと

 品川から京浜急行線に乗り横浜へ向かう途中,立会川駅がありあます。近くに大井競馬場や「しながわ水族館」があるのでご存じの方も多いでしょう。< 地図で場所を見る

 駅の名前はこの駅のすぐ南を流れる立会川に由来します。駅を出て,立会川に出るとここにさもない小さな橋があります。立会川そのものも川幅が狭く,綺麗な川ではないのですが,この橋が浜川橋,江戸の時代は涙橋と呼ばれたのだそうです。

浜川橋説明.JPG


 この橋を南北に走る細い道は旧東海道。大木戸はもっと品川駅よりもさらに北にありましたから,ここはもうとっくに江戸市中ではありません。江戸からかなり離れた,品川宿にほど近い,東京湾はるかかなたに房総半島が望める,寂しいところといった感覚ですね。それでこの南にはなんと鈴ヶ森の刑場(品川区南大井2-5)があったのです。刑が確定した犯罪人は江戸市中を引き回しの上,裸馬に乗せられて護送,この街道を南に下り,そしてやがてこの浜川橋にきます。身内や友人・知人はここから先には行けません。ここでこっそりと罪を犯した家族を待ち受け,最後の別れを心の中で,かすかな視線で感じたのですね。目からは涙が溢れ,やがて橋を渡るともうすぐ刑場。それでこの橋は「涙橋」と呼ばれたのです。

鈴ヶ森刑場全景.JPG


 ここで処刑された有名人は,平井権八(同僚殺し及び辻斬りによる強盗殺人),天一坊(幕府乗っ取りを企て),八百屋お七(放火),白木屋お駒(夫殺し),丸橋忠弥(慶安の変)など,さらし首にして見せしめにすれば,治安維持にもデモンストレーション効果絶大,ということでしょうかね。


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