江戸東京ぶらり旅

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大砲のある寺<高島平>

高島平と大砲


 地下鉄三田線に「 高島平 」という駅があります。これは江戸末期に活躍した 高島秋帆 (しゅうはん)さんの名に由来します。秋帆さんは長崎に来ているオランダ人から砲術を学んだりしていましたが,そんなとき英国と清朝中国の間で アヘン戦争 が起こりました。

松月院高島秋帆大砲2.JPG


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 当時,英国には中国からお茶が輸入されていました。ところが英国から中国へ輸出できるものは何もなかったので,英国はインド産のアヘンを中国に輸出することにしたのです。麻薬の輸出ですから現在のどこかの国のようですね。でも英国本土からの輸出は禁じられていましたから,悪知恵を使った。ここはインドだ。インドから麻薬を輸出すれば問題ない,と。そしてインドには英国の工業製品を売りました。インドにはアヘンで儲けたお金がありましたからね。この儲けたお金で英国は中国茶を買う,という三角関係で貿易をしたのですね。ずる賢いですね。

 ところが中国では中毒患者が激増。中国の通貨は海外へ流出,財政を圧迫しそのため税金も高くせざるを得ない。苦しむのは末端の農民。それで中国はアヘン輸入を禁じたのですが,こんどは密輸入,役人の不正。儲けようとする人は他人の苦しみなど関係ない。

 それで中国はアヘン撲滅へと本格的に乗り出すのです。英国商館封鎖,英国商船の持ち込んだアヘンの焼却,英国商人へのマカオ退去命令等・・・。ところが英国人水夫達が酒に酔って中国人に暴行。致死事件に発展し,マカオに移った英国人は食糧供給を絶たれたのです。状況がエスカレートしているところに英国軍艦が到着,中国軍艦や砲台を攻撃したのですね。

 さらに,こんなばかげたことに英国議会は戦費の支出を決定,軍艦16隻,武装船など32隻からなる派遣軍が中国へ。そんなこんなで1842年, 南京条約 締結, 中国は香港を奪われ ,上海,広州などの5港を貿易港として開かされ,さらに英軍遠征費用やアヘンの損失代金などの支払いが約束されるなど,さんざんな結果。これがアヘン戦争,香港は最近まで英国領でしたね。

長くなりましたね。つまり資本主義を標榜する強国はどんな手でも使って,自国の利益のために市場の拡大を狙っている。私的な利益を追求していると国を失ってしまうぞ。上海から長崎までは三日間の航海,中国と同じ事が日本でも起こりかねない・・・ 高島秋帆 さんはこんな危機意識を持ったのですね。それで彼は西洋式の砲術の大切さを訴え,これに幕府が目をつけたのです。 高島平 (徳丸ヶ原)での実演は評判になりました。ところが,ジェラシー,エンビー・・・あいつは長崎貿易でズルしていると嘘の内部告発。全くばかな連中,濡れ衣,国よりも個人のねたみ感情が優先されたのですね。秋帆さんは十数年も獄中生活,ペリーが来航してから赦され幕府に雇われたのですね。幕府はドロナワ,台場を急遽作ったのですが,途中で工事は中止,米国との間に条約が結ばれたのですね。勿論米国には最高に都合の良い条約です。他の国と何かを約束したら,自動的に米国にも適用される,なんていう条約です。

郷土資料館前.JPG


 東武東上線下赤塚駅か地下鉄三田線西高島平駅で降り,両駅の中間あたりなのですが,分からないときは「東京大仏」はどちらですか? と聞くと良いのですが,その東隣の「 松月院 」というお寺には秋帆さんの調練を記念した「 火技中興洋兵開祖 」の中央に大砲が立つ碑が建っています(写真上)。また,近くの板橋区立郷土資料館にも,正面玄関の前に大砲が置かれています(写真中)。彼の墓は松月院にはなく,文京区の大円寺にあります(写真下)。刻まれた字も大火や震災で読めないほど傷のついたお墓です。

大円寺:高島秋帆の墓1.JPG




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