江戸東京ぶらり旅

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南北の天王祭<品川>

品川駅が品川区にはない,この不思議


   品川神社例大祭(北の天王祭): 2006年6月2日(金)~4(日)

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   荏原神社例大祭(南の天王祭): 2006年5月26日(金)~28(日)

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 日本橋を出発,東海道を京・大阪に向けて歩き始めます。京橋,新橋・・・芝,高輪・・・やがて石垣を築いた大木戸が見えてきます。人馬の出入りを厳しくチェックしていたところで,高札場も置かれ,あれしてだめよ,これしてだめよ,などの御触書が掲示してありました。右手は赤穂浪士の墓のある泉岳寺。勝海舟さんと西郷隆盛さんもこのあたりで江戸開城の相談をしました。ここを過ぎるともうすぐ品川駅,でもここは正真正銘の 港区なのです

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 さらに南下,御殿山ヒルズの手前にある 八ツ山橋 を渡って,線路を越え旧東海道へ。実はここまでが江戸市中,ここからが先が品川宿。「品川」という名は,北品川と南品川の間を東西に横切る目黒川の古い名であるという説があります。他に,この一帯が風光明眉で品の良い土地であるため,北にある高輪に対して「品ケ輪」と名づけた説や,領主が品川氏であったことからといった説まで諸説あります。今となってはどれが本当やら分かりませんが。

 品川宿には,他の宿場がそうであったように,飯盛女,すなわち遊女がおりました。ですから高級な吉原に行くよりは少し手頃な南国(品川宿のこと)で遊ぼうということになるのです。特に増上寺のお坊さんや武家屋敷のお侍さんには人気の場所,品川宿は北国(新吉原のこと)に次いでいい遊女がいると評判でした。明治になって鉄道が開通すると,こんな恐ろしいものが宿場を通るとお客がこなくなる,と住民は猛反対。それで鉄道は宿場を避けてずっと西側を走ることになりました。また駅は品川宿の北側,八ツ山橋よりも北にある,現在の場所に駅が作られたのですね。ここは品川区ではなく,港区です!

 上にも述べた通り,品川区を横切って西から東に流れる目黒川があります。これを境に北側が北品川,南側が南品川です。そして,この地を守っている神社は,北の鎮守は 品川神社 ,南の鎮守は 荏原神社 ,それぞれ「北の天王祭」「南の天王祭」が行われます。ところが河川工事の結果,目黒川は荏原神社の南側を流れるようにしたため,南の鎮守が北品川あるという「ビミョ~」なことになってしまったのですね。

 「北の天王祭」は全国から担ぎ手が集まっての千貫神輿渡御,急な石段を上り下りの激しさ。このあとかつて品川宿本陣(要するに公務員の宿泊所ですか)があった聖蹟公園で,のど自慢大会や「おいらん道中」(土曜日の午後7時頃)。江戸時代の花魁(トップスター)が,八ツ山橋から目黒川に架かる品川橋まで,高張りの提灯先頭に花魁の見習い「かむろ」を従えてゆっくりと歩くのです。旧東海道品川宿は人で埋まり身動きができない程の活気。

 「南の天王祭」は神輿を海にかつぎ入れて海中を練り歩く「かっぱ祭り」。南品川の漁師町の人達が海苔や魚の豊漁を祈願したお祭りで,最終日には御神輿を荏原神社前の目黒川から船でお台場へ,海岸で海につかりながらご神面を海へかえす勇壮な海中渡御が行われます。




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