江戸東京ぶらり旅

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二重橋<皇居>

皇居二重橋


 紀子さまに男子ご誕生で,宮内庁は大忙しでしょうね。これで王位継承問題はひとまず一段落,などという見方は子供の発想。どんなことであっても,喜ばしい事の裏には,喜ばしくない事をも含んでいるのですから,庶民としては一喜一憂せず冷静に見守るしありません。

 例えば,この男子のお嫁さんに将来なるお方は,やはり雅子さまと同じ立場になられるのですね。このような問題があるということを承知して,「はい,ではお嫁に参りましょう」と簡単に嫁がれる方は現実においでになるのか。これが第一の関門。そして,男子を生むことを周囲から暗に強いられる精神的苦痛。これが第二の関門。ここで見事男子誕生ならまことに結構,となるのでしょうか。これが第三の関門です。すなわち,子供100人に2人程度が何らかの発達上の課題を持つと言われていますね。最近の朝日新聞にも取り上げられていましたよ。身体的に弱い体質,高機能の知的障害,自閉症,ダウン症などの染色体異常など,確率からすると決してあり得ないことではありません。生きていれば健康な人であっても病気や事故死の危険があります。それで安全策を,と真剣に考える学者もいるほどです。やれ側室制度の復活だ,女帝でもいいことにしよう,継承可能な範囲を広げては・・・男女平等を標榜する日本国憲法とのからみもあって,皇室だけは特別,という考えを否定する方々もいて本当に複雑。皇室の方々もご自身のご意見をお述べになることもできず,時の指導者の言いなりになるしかないのですかね。ああでもない,こうでもないと自由に発言できるのは庶民だけ。がんばれ雅子さま,紀子さま!

 それで,皇居前広場から皇居の正門へ,この美しい橋は 二重橋 ですね? 私たちが渡れるのは新年と暮れの一般参賀のときだけですが,普段でもここで記念写真をとっている人が大勢います。でも二重橋って,何が二重なのでしょう。

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 多くの人は二つのアーチから成るこの「石橋」のことを二重橋と呼んでいるような気がします。ニュース番組でもそうですね。ところがこの石橋の奥にも橋が架かっています(写真下)。それで,この二つの橋を合わせて二重橋と呼んでいる人もいるようです。手前の橋は「 皇居正門石橋 」(俗に「めがね橋」とも),奥の橋は「 皇居正門鉄橋 」と呼ばれます。けれども,どちらの考えも間違いなのですね。正解は, 奥の橋が二重橋 なのです。えっ?と思われるでしょうね。

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 では,奥の橋がどうして二重橋と呼ばれたのでしょう。江戸時代のこと,この堀に橋を架けようとしたのですが,スパンがありすぎて橋を一気に渡せない。それで両側にある石垣を多少崩してその部分を平らにし,そこから比較的短い桁橋を架けたのです。その上に2階建てのつまり二重構造の橋を作ったのですね。強度確保のための細工ですが,それで「二重橋」。後に鉄の橋に架けかえられたので,現在は二重構造は見られませんが。

 現在はもう本来の意味が失われて,手前の二重アーチの石橋を「二重橋」と呼んでいますよね。名称は時代と共に変化するので,その変化を楽しむのもいいことかも知れません。

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