江戸東京ぶらり旅

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演劇博物館<早稲田>


 地下鉄東西線の早稲田駅で降りましょう。いつでも,どんなときでも学生でいっぱい,サークルの数が万とある活気に満ちた大学です。卓球の愛ちゃんの入学が決まり,次は夏の高校野球,早稲田実業のハンカチ王子,祐ちゃんの番ですかね。以前タレントの○○さんが演技の実力もないのに推薦入試でパスし,中途退学したこともあるので,しっかりと勉強して欲しいですね。

 構内の左手には大隈重信の銅像が,その奥にシェイクスピア時代の16世紀イギリスの劇場「フォーチュン座」を模して造られた素敵な建物, 演劇博物館 があります。正式名称は「 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館 」,1928年に坪内逍遥(正確な表記は「逍遙」)さんの古稀(70歳)と,彼の翻訳である「シェークスピヤ全集」全40巻が完成したのを記念して,つくられたものなのです。演劇博物館には日本国内はもちろんのこと,世界各地の演劇・映像の貴重な資料数十万点が収集,保存,展示され,様々な分野の研究に役立てられているとのこと。建物の前面に掲げてあるラテン語“Totus Mundus Agit Histrionem”(全世界は劇場なり)は, シェイクスピア時代の劇場「グローブ座」に掲げてあった看板の句です。

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 演劇博物館の正面玄関前にある張り出しは舞台,左右の入口は楽屋口と桟敷席入口,1階の図書閲覧室は楽屋,舞台を囲むようにある両翼の建物は桟敷席,建物前の広場は一般席となります。演劇博物館の建物自体がひとつの劇場資料となっているのですね。

早稲田大学〈文化構想学部・文学部〉(2007) シェイクスピア新装版 図説江戸の演劇書



 それで坪内逍遥さんのことですが,26歳で評論「小説神髄」を発表,日本の近代文学の誕生に大きく貢献したとされます。小説のほかに戯曲も書き,演劇の近代化にも貢献。東京専門学校(後の早稲田大学)に日本で最初の文学科(現在の文学部)をつくり,島村抱月さんをはじめ作家,詩人,劇作家,評論家など数多くの人材を輩出しました。
 奥さんのセンさんは,東京帝国大学の近くにあった根津遊廓の娼妓・花紫で,学生であった逍遙さんが数年間通いつめて結婚した方です。子供はなく,お兄さんの三男を養子に向かえました。坪内ミキ子さんはこの養子とその奥さんの子供さんです。

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ザ・シェークスピア愛蔵版 坪内逍遥




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