江戸東京ぶらり旅

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五百羅漢<目黒>

目黒にある二つの五百羅漢


 JR目黒駅で降りましょう。西口を出ると目の前の大きな交差点,ここを渡りましょう。右へ行けば 権之助坂 ,広い通りですが江戸の頃は左の急な 行人坂 しかありませんでした。この急な坂,荷物を運ぶのはとても大変。それで権之助さんは無断でゆるやかな坂を新たにつくったのですが,これがいけなかった,処分の対象になってしまったのですね。でも多くの人たちはこのおかげで楽になり,坂の名も彼の名前で呼ぶようになったのですね。

 それで修行僧(行人)がこのあたりに住んでいたことから付けられた名の行人坂を少し下った左手に,目黒雅叙園よりももっと手前ですが, 大円寺 というお寺があります。このお寺の門を入って左側奥に石造りの小さな仏様がたくさん並んでいますよ。これが五百羅漢と呼ばれるもの。

行人坂1.JPG


 大円寺からさらに行人坂を下って,目黒川に架かる 太鼓橋 を渡ります。そしてさらに同じ方角へどんどん進むと山手通りに達します。この広い通りをあちらへ渡って,左へ歩くとお寺とは思えぬ近代的な建物の 五百羅漢寺 が右手に見えてきます。ここには木彫りで人間ほどの大きさの五百羅漢がたくさんあるのでこう呼ばれるのですが,近所の人たちは「らかんさま」と親しみを込めて呼んでいます。

残念ですが,写真は掲載できません。お寺で本物をごらんください。


 ところでこの「羅漢」とはいったい何を意味しているのでしょうね。実は「究極の悟りを開いた人」,すなわち「尊敬や施しを受けるに相応しい聖者」,またまたすなわち「修行僧の中の最高ランクの人たち,つまり釈迦の高弟達」という意味なのですね。インドの古代サンスクリット語でこれらを表すアルハット(arhat)が中国で阿羅漢と訳され,これが羅漢と省略されたもの。鎌倉時代に禅宗と一緒に中国から入ってきた羅漢信仰,江戸時代中期には静かなブームになったのですね。なにしろ表情はさまざま,誰にでもある喜怒哀楽の表情が親しみやすく,とっつきやすく,見ているだけでほっとしますからね。

 大円寺の五百羅漢は524体あります。1772年2月のこと,放火によって大円寺本堂が焼け,さらにこれが江戸中に広がって2万人弱の死者や行方不明者が出ました。行人坂火事と呼ばれる江戸城のやぐらまで焼いた江戸三大大火の一つですが,五百羅漢像はその時の犠牲者を供養するために作られた物なのですね。この石仏は石工が50年という歳月をかけて作り上げたもの,東京都の有形文化財になっているそうですよ。

 また五百羅漢寺にはもとは536体の五百羅漢像がありましたが,現在は305体が羅漢堂と本堂の2箇所に分かれて保存されています。もともとは江東区の本所にあったのですが,度々洪水に見舞われてお寺は衰退,何度か移転したのち,明治時代に目黒の地へ引っ越し再建されたお寺なのですね。羅漢像は松雲禅師という人が15年間かけて彫り上げたもの。すごい根気ですね。胴の中心部で前後に二分,前部は一枚板,胴背部は三分してこれらを組み合わせて作る寄木技法。東京美術学校(東京芸大)の先生であり,現代彫刻の父と呼ばれる高村光雲は,本所に通ってこの羅漢像をお手本にして勉強したといいます。作られた当時は羅漢像に金箔が塗られていたようですが,今ではそれも剥がれ,苦難の時代を経て今にあることを印象づける様相を呈しています。


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