江戸東京ぶらり旅

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六本木ヒルズ



 回転ドアに挟まれて亡くなる可哀想な人がいたかと思いきや,やれライブドアが粉飾決算でやり玉に。これが終わらないうちに今度はライブドアと関係のあったらしい村上ファンドのお偉いさんが逮捕されたりと,次々と事故や事件がありましたね。

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 こんなところにビルを建てるからだ,という指摘は密かにあったのですが,これを無視してか,知らずにか建てられてしまったのです。というのも,もともとは江戸時代は毛利家の藩邸のあったところ。お寺さんも4つはあったのです。お寺ですから勿論お墓もあったのですね。だから,ここをつぶしてヒルズは建てられたことになるのです。

 しかも,元禄15年12月の雪の日,赤穂浪士たちによる吉良邸討ち入りの大事件のあと,47志の中の10人が毛利藩に預けられたのですよ。ということは,このあと全員が亡くなったのですから,この10人はこのヒルズのあったところで切腹したということです。

 いよいよ分かってきましたね。六本木ヒルズの下にはお墓の中で成仏仕切れないでいる江戸の人々の叫び,そして47志の10人の怨念が,ウロウロと彷徨っているというわけなのです。その影響でいまだにここでは望ましくない事件や事故が絶えない,といううわさ話なのですね。

 まあ,迷信といえば迷信。この科学の時代にこんな話,信じられないと主張するのはいいのですが,それでも,「やっぱりね」などという若いお方もいる。今度はどんな事故や事件がここで起きるのでしょうね。あのあたり,最近では子の刻を過ぎた頃には肝を潰すほどの妖怪が出没しているという噂ですぞ。それでなのか,ここから退却するITバブルで儲けた会社が続出とか。真相は如何に。

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 今日の麻布の七不思議は,いよいよ「 六本木 」の名の由来と落ち武者についてであります。

六本木心中


嘉納ひろし嘉納ひろし『六本木あたり』


 麻布と言えば六本木,今ではITバブルの落とし子たちの住む六本木ヒルズ森ビルは麻布を代表する建物。しかし事件や事故があって,ここにある会社は六本木からの脱出を望んでいる。それでも一旗あげたいと夢を見ている若者の中には,「やめたら」という忠告も聞かず故郷を捨て,六本木で柳の下のドジョウを見付けようと彷徨う人たちもいる。不思議な町ですな。

 ところで昔ここには5本の榎(えのき)の木が高くそびえ,東の品川沖からもよく見えたので,ランドマークとしての役割を果たし,漁師の道しるべにもなっていたそうだ。六本の木ではなくて,もともとは 五本の木 だったのだ。

 それはだな,平安末期のこと,源氏に追われた平家の落ち武者が6人,ここへ落ちのびてきたのだ。まだ未開拓の,樹木が生い茂るこのあたりまで来ると,とうとう力が尽きて,なぜか榎の幼木を墓標がわりに植えて切腹してしまったのだ。わざわざここまで来て切腹とは合点がいかないのだが,まあ成り行き上そうなってしまったのだ。

 ところが6人の中の一人は,ここで夢も希望も捨てたのでは今までの苦労は何だったのかと疑問に感じ,一本松までの行程をふらふらと彷徨したのだが,やはり彼もついに力尽き,先の5人のあとを追っうように自害したのだ。それでこのことを知った村人はこの武者を可哀想に思い,5本の榎に一本の松を加えて 六本の木 として弔ったそうだ。やがて,だからこのあたりを六本木と言うようになったそうなのだ。

 いや違う,かつてここに六本の古木の松があったから六本木と呼ぶようになったとか,この界隈に上杉,朽木,高木,青木,片桐,一柳の樹木にゆかりのある名字を持った大名屋敷があったために,六本木と呼ばれるようになった,という説もあるにはあるが。

 さて分かりましたかな。江戸時代からあったお寺,そしてお墓を潰して六本木ヒルズ森ビルを建てる以前にも,ここは落ち武者が切腹したところ。昔から何度も何かに祟られた場所なのですね。世の中,実力以上に背伸びするといいことありません。お金に目が眩んで突進するとやがてあなたも切腹することになりますぞ。


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