ある土曜日の朝に。


それでも今日、この青空と厚い雲が交互に現れる土曜日に
ふと必要なことがあって学校に行く途中、
ふっと頭が明晰に働くようになった。

駅からつながるショッピング街の中。
長い眠りから覚めたかのように。

ジーンという音がして、
それが遠のくと同時に頭のノイズも取り除かれ、
意識が自分のものになっていく。
耳と目が、そしてすべての感覚が
確実にその受信機能を高めていく。
それに合わせるかのように
頭のサイクルも徐々に早まっていくのを感じる。

久々の爽快感に、
ふっと何か読みたくなってニュースエージェンシーに立ち寄る。
何か簡単な雑誌でも・・・と思って棚を見ると、
そこにはゲイ雑誌が。
前からこの国でゲイ雑誌が普通の書店で
何の変哲もなく取り扱われているのは知っていたが、
こうして改めて見ていると、
ここでいかに私たちゲイが「普通に」認められているか、
自由に過ごす事ができているかを目の当たりにしているようで。
少し不思議な思いと、少しうれしい気持ちにもなって
二冊あったその雑誌を買い、学校へ向かう。

ショッピング街を出たその目の前に、
エスカレーターを出たその先に、
いつもは素通りするスターバックス。
なんだか急にここでコーヒーが飲みたくなった。
そうだ、ついでに買った雑誌にもざっと目を通してしまおう。
せっかく意識が完全にクリアなのだから。

一杯のカフェ・ラテ。
座り心地のいいソファ。
なんとなく興味を引いた雑誌。
土曜日の朝。
なんでもないような時間だけど、
急に調和が取れたような。
すべての歯車がかみ合って小さな幸せを生み出しているような。
不思議な充実感に満たされた、そんな時間。

買った雑誌は普通の内容だった。
何か過激なものを期待していたわけではない。
日本で売り出されているようなものとは趣を大きく異にする、
ニュースエージェンシーで置いても差し障りのないような内容たち。
ファッションであったりとか、
ちょっとした出来事のレポート、
映画やテレビ、生活について。
こうしたなんでもない時間にはうってつけの読み物だ。
時々コーヒーをすすりながら、ぱらぱらとページをめくる。

ここのスターバックスはオフィス街の中にありながら、
この土曜の朝はいつもと違う顔を見せる。
背広やYシャツを着たビジネスマンではなく、
短パンにTシャツのお父さんとお母さん。そして子供。
家族で過ごす朝をカフェで楽しむ・・・そんな生活。
まだいくつもの言葉を操れないような小さな子供が床で遊んでいる。
微笑ましくなる光景。
・・・ふとページをめくる自分の心に、何かが引っかかった。

「自分はこうした幸せな時間を作れない」

家族。
子供。
新しい命と新しい世代へと受け継ぐもの。
新しい責任とそこから生まれる新たな可能性。
そんな幸せのひとつの形。
ここでこうして雑誌をめくる私には、
こんなにも近いのに
こんなにも幸せなのに
今、目の前にある別の形の幸せには絶対に手が届かない。

ページをめくる手をふと止めて、
コーヒーを飲みながらその子供を見つめる。
愛らしい、本当に小さな命。
両親は隣の席の若者と談笑している。
時々若者は子供にちょっかいを出しながら
その幸せな空間に参加して楽しんでいる。

なぜだろう、自分がこの若者のようにこの空間に入り込めないのは。
時々子供と目が合い、微笑みかけるのが精一杯。
そして私に微笑み返すその子供の目は
本当に純真無垢で
私の心を優しく、暖かく溶かすと同時に
なぜか苦しい気分にさせるのだった。

どれくらいそこで過ごしたのだろう。
ふと自分にはしなければならない事があるのを思い出し、
半ば冷めかけたカフェ・ラテを流し込み、席を立つ。

床に座る子供をまたいでその集団のそばを通り過ぎたとき、
心の中に何かしら後ろめたいような
影のようなものがあったことは否定できない。

カフェに入る前は厚い雲から小雨がぱらついていた空模様も
今はきれいな青空。
秋のさほど強くない、
それでも十分に私の目を細め、しばたかせる程の太陽光が
ビルと木々の隙間から降り注ぐ。
いつも登る坂道。
雨がやんで湿っているだけのアスファルトに光が反射する。
いつもの坂道。
だが今日はなにやら様子が違う。
何だろう?
停まっている車が違うのだ。
数台のクラッシクカーが坂の上に連なって停まっている。
そしてその一台には白いリボンが。
ああ、結婚式を挙げているのだ。

オーストラリアで唯一認められた聖人、St, Maryの教会がここにある。
Museumも兼ねたその教会にはいつも人が訪れる。
だが、ここで挙式をしているのは初めてみた。
おめでとう、心の中でつぶやく。
自然に出てきた気持ちと言葉。
ちょうど式が終わって出てくるところみたいだから
ちょっと見てから行こうかな、と思いつつ、
同時にもたげるスターバックスの中で感じたあの思い。

何故だろう。
素直に喜ぶことができない。
素直に祝うことはできるのに。
同時に心の表面に滑る鋭い刃とその痛みを感じている自分がいる。

立ち止まりかけて、
ふと思い直して、
そしてそのまま足を大学へと向ける。

もうすぐ大学だ。
なんにせよ、今日中に課題を仕上げなければ。
校門をくぐり、図書室へ向かう。

図書室のある校舎に入る直前に
急に思い出されたあるインターネット記事。
バチカンが編纂した辞書の中で同性愛について
「いかなる社会的価値も無い」状態として描写した、というもの。
そして私の通う大学は、Australian Catholic Uni.

私のある友人はこうも言っていた。
「シドニー工科大(UTS)の学生は
Mardi GrasにUTSを名乗って参加できるけれど、
この大学ではそれはやっちゃ駄目なんだって。
ACUを名乗って参加した学生、反省文書かされたらしいよ。」

痛み、とは言わない。
が、それに似た強い衝撃が頭に走る。
いかなる社会的価値もない。
結婚・育児・家族・生物学的な再生産。
人としての価値の、確かに一部分。
この大学の属する、と言うか母体である組織の見解。
それは世界に最も強く、広く存在する信仰組織。
そこが否定する存在。
そして私は否定された存在であると言う事実。

そして今日の出来事たち。

いくつかの人権団体がバチカンに抗議している、とその記事は言っていた。
が、果たして今日の私は声高に彼らに反論できるだろうか?
目の当たりにした手の届かない幸せ。
それでも心のどこかで欲して止まない、そんな幸せ。
そしてそれを羨ましく思う自分の心。
自分のできない事を知って、隠すことのできない後ろめたさと暗い思い。

バチカンに否定された事が大きい意味を持つとは思わない。
少なくとも私にとっては。
ただ、私の中に生まれた思い。
常に抗い続ける現実と、理想と、私自身への存在に対する思い。
どうしても消せ得ぬ負い目。

複雑な、
そして私のもっとも深い部分に届く思いを胸に抱きながら
私は建物に入る。
この短い、わずか1時間足らずの間に起きた出来事と
私の中の変化を受け止めながら。
受け止めきれずに、こぼれ落としながら。

そして私の思いがまだ明晰なうちに
その思いをこうしてしたため、
ふと窓の外を見る。

ああ、また空が曇ってしまった。
この雲が晴れる日はいつか来るのだろうか。

そんな土曜日の朝。
もう昼近い、そんなひととき。
                             05, 04, 2003


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