としきぴ堂

としきぴ堂

つきあいにくい憂鬱な人



当人が本来注意を向けるべきことがらや解決をはかるべきことがらからつねにそれたがる人がいます。多くは他人の話がまともに聞けないという特徴をあわせ持っていますね。
で、どうでもいいようなことに口出ししたり興味をもったり、批判的な意見を述べていたりします。以前に出入りしていた掲示板の管理人は、自分の機能不全の家庭や人間関係よりも、自然環境の保護に関心が深く、ゴルフをして環境を破壊する人たちを痛烈に批判していたりしました。この人は長い旅に出るとかで、サイトを閉鎖しました。

ここからは、あたしの推測ですが、世の中の不正や迷惑などをやり玉にあげて、批判している間は、自分の心の問題や現実の人間関係の問題から離れていられるのかなと思います。一種の逃避であると思うわけです。
一時的な待避措置として、逃避は自己防衛規制としての心の働きでもあるので、いちがいに悪いことではないのですが、困ったことに逃避の環境をブログというシステムが安易なものにしてしまっているような気がします。なにかについて批判をし賛同者がいたりアクセスが増えたりすれば、そこに安住してしまいかねません。肝心の治療が大幅に遅れたり、治ろうとする意志がそがれては、意味がありません。

天に唾するという言葉がありますね。批判をする前に、自らを省みる心のゆとりがあるかどうか。せめてそれくらいは、してほしいと思います。まあ、当人はこれを読むこともないですがw
ちなみに、あたしは自分の精神状態がかんばしくない時期には、あまりよそ様の掲示板へは行かないことにしています。掲示板へは、具合がよくなったらでいいと思っています。それなので、かなり気まぐれな印象を持たれることがあると思います。

どっちにしても、鬱の人とはつきあいにくいかもしれませんね。

実は、この文章を書きながら、オークションの終了とある方からのメールを待っていました。オークションの成果はさておき、メールがきたので、やはり不安な気持ちを書いたメールを出さないでよかったなと思いました。
あたしが無用に不安だったりするのは、脳内のなんとかいう神経伝達物質の不足が原因であったりします。現実に問題があるのではなくて、受け取り方に問題があります。
問題がないのに問題をこしらえるのも、ある種の憂鬱な人の特技ですね。現実につきものの不全をまったく認めないというような、独善的な感受性に陥りがちだったりします。もちろん当人は独善だとは思いもよりません。
このような独善を避けるために、あたしの場合、はておかしいなと思った時には、いったん黙っていたりします。そうすれば実際問題、なにも心配することはなかったという方が圧倒的に多いです。ただ黙って待っているのは、けっこう辛いものがありますが。
子供じゃないのだから、ちょっとぐらい待つ心のゆとりを持ちたいですね。


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