群馬県山田郡大間々町高津戸城祉1



要害山城跡案内図(看板)

高津戸古城跡
形状   山城
郭跡 堀切 土居 腰郭
帯郭 空掘(壕)
虎口跡 井戸などがある
城跡面積 一七〇米×五三〇米 標高 二八四・三米

由来
承徳、康和(一七〇九~一一〇四)の今から八八五年前の頃、山田七郎吉之の子孫により構えられた仁田山地域の一砦として築かれたが山田筑後守則之は観応二年(一三五一)桐生国綱により滅ぼされる。
天正五年(一五七七)今から四百五年前父上総入道の仇を討つべく里見 随見勝政、平四郎勝安兄弟は越後から帰り、上杉謙信の援助によりこの廃墟を修復した。
しかし、天正六年由良国繁の将藤生紀伊守らによって滅ぼされ落城した。
天正一八年以降高津戸城も廃城になる。


一九八二年




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