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鶴舞う形の・・・
「タイムマシン (下)」
大学1年の期末試験の日は朝からとても寒い日だった。
学校へ向かってクルマを走らせていた私は
狭い坂道でクルマとすれ違う為に左側に寄せた。
そしてすれ違った後に緩い坂道を加速する為にアクセルを吹かした瞬間
左後輪が道端の氷でスピンしてブロック塀に当たり
反動で反対側のブロック塀まで飛ばされてしまった。
その日に行われた必修科目の期末試験には失敗して
私は留年してしまった。
留年が決まった事をMに真っ先に伝えると
「バッカァ~!お父さんに怒られたでしょ?」
と心配してくれたが
実際は親父からは
「もう駄目なんか?」
と訊かれただけで、大騒ぎしたのは母親の方だけだった。
きっと『男は一気に来るショックには強いが、ジワジワ来るストレスには弱い』
『女は一気に来るショックには弱いが、ジワジワ来るストレスには強い』
と言う生理的な精神構造が働いたのだと思う。
男には到底9か月間もお腹の中で赤ちゃんを育てられない訳だ。
第十一章 人生で最初で最後の人身事故
Mが帰省する日に浦和のアパートまで迎えに行った事があった。
一度行って道は覚えていたつもりだったが『蕨の信号』で左折して
『太田窪の信号』を右折の訳がどうしても『太田窪の信号』が見つからない
ウロチョロ探し回って薄暗くなった頃、やっと『太田窪の信号』を見つけて
喜び勇んで対向車がすれ違った後を右折したら
対向車の後ろを走っていたカブを轢いてしまった。
「すみません、大丈夫ですか?」
と訊くと、カブのオジサンは
「俺は大丈夫だけどカブだけは直してくれ」
と言うのだが、見ると指から出血していた。
「指の皮が剥けています」
と言うと
「俺は肉屋だからこんなキズはなんでもねぇ!俺にも同い年くれえの倅がいて
倅が事故を起こしたと思えば騒いだりしたくねぇ」
と終始、男気と思いやりに溢れた事を言うオジサンで
私の人生で最初で最後の人身事故の相手の方は
今の世間では考えられないくらい優しい人だった。
私の人生で最初で最後の『人身事故』は『物損事故』に変わっていた。
第十二章 再会
浦和での事故の次の日にMのお母さんがうちに来てくれた。
「娘が迎えを頼んだばかりに事故になってしまって・・・」
と頻りに恐縮していたが、私はお母さんと7年ぶりに会って
『Mの30年後はこういう顔立ちで同じように優しそうなお母さんになっているんだろうな』
などど考えていた。
しかし、残念ながらその事故以降はMからの「迎えに来て」と言うリクエストは来なくなった。
両親から迎えを頼んだことを諫められて
迎えを頼むことを禁止されたのかも知れなかったが
私は人生の喜びの一つを失ってしまった。
第十三章 就職
「短大は短くて大変なのよ。入学したかと思えば次の年はもう就活なんだから」
とMが言っていたように私が大学の2年に進学した時は
Mは損保会社の県内の支店に就職していて社会人になっていた。
思えばこの頃から二人の間に目に見えないほどの小さな亀裂が
入り始めていたのかも知れなかった。
映画を観に行った帰り道
「どうして映画って1本で半額位にならないのかしら?」
「どうして?俺は今位の金額で2本観られた方がいいけどね」
お金はあるけど時間が無い社会人と、お金は無いけど時間はある大学生の
考え方と生活は徐々にズレを生じていた。
一緒に食事をした時に
「今日は私が払う」
とMが財布を出した事があった。
隣で見ていると長財布の中には1万円札がぎっしり詰まっていた。
当時の私はアルバイトで月に45,000円の収入があったが
その殆どは、クルマのガソリン代と整備・修理費で消えていた。
愚かな私は(なんかパトロンみたいだな)などと思っていた。
第十四章 男の影
「あのね、会社に意地悪な男の人が居るの」
Mが就職して2年位経った頃、会社の話と共に『意地悪な人』の話が
時々出てくるようになった。
その男の影は次第に大きくなっていきMと私を呑み込んでいった。
第十五章 23才の別れ
「どうしてそんな会社に就職したの?」
私が大学を卒業して地元の3流企業に就職した時に
Mから言われた言葉を今も覚えているが
その真意は間もなく身をもって知る事になった。
6月のある日
Mが泣きながら電話を掛けて来た。
「私、他に好きな人が出来てしまって分からなくなってしまったの。
私達1年位距離を置いてみたい」
Mの勤めている一流企業の『意地悪な人』を好きになってしまって
やっと三流企業に勤め始めた農家の長男との間で気持ちが揺れ動いている。
「私やっぱりお姑さんの居る所へはお嫁にいけない」
と言ったMの言葉が海馬に突き刺さっていた。
誰が考えたって祖父母と両親とお蚕さんと一緒に暮らす農家の跡取り息子よりも
三高の男性と一緒になった方が幸せになれる事は明らかだった。
『愛する人の幸せの為に自分の愛情は犠牲にして別れを決心する心優しい男』
私はその言葉を慰みにMを忘れようと決心した。
『あなたに「さようなら」って言えるのは今日だけ
明日になってまたあなたの暖かい手に触れたらきっと言えなくなってしまう
そんな気がして
私には鏡に映ったあなたの姿を見つけられずに
私の目の前にあった幸せにすがりついてしまった
私の誕生日に23本のローソクをたて
ひとつひとつがみんな君の人生だねって言って
19本目からは一緒に火をつけたのが昨日のことのように』
Mと別れてからはこの「22才の別れ」を聞くたびに
Mの事を思い出さずには居られなくなった。
第十六章 1年後の電話
『自殺の場合は生命保険の保険金が加入後1年以内は支払われない』
と言う事も知る事になったが
距離を置いて1年後、私の虚無感もどうにか治まって来て
Mに電話する余裕も出来ていた。
「もしもし、どうしてる?」
「本当に電話して来たんだぁ、ねえねえ結婚式出る?」
「出られる訳無いだろう!、結婚するんだ?」
「うん」
「幸せにね」
「うん」
電話を切ると
私の頭の中ではまた『22才の別れ』が流れていた。
第十七章 終活
2020年12月
入社以来の親友Yが膵臓がんで急逝してから5年
Yの晩年の生き方は私の人生観を大きく変えていた。
自分が居なくなっても残された家族が困らないように少しずつ進めていた終活。
『使わない銀行口座とクレジットカードの処分』
『インターネットやネットバンキングのIDとパスワードの備忘録』
『子供達が場所も知らない畑や田んぼの処分』
『昔、使っていた書籍や資料の処分』
すると本棚の奥から昔貰った手紙や日記帳が出て来た。
Mと別れてからMの姿を見かけたのは41年間で一度だけ
うだるような暑さの夏の日
スーパーへクルマを停めると店の出口から両手に大きな買い物袋を提げ
首をかしげて暑さと重さで死にそうな顔でMが歩いて来た。
そして歩いて行く方向を見ると
黄色いプリウスの脇に立った『フランシスコ・ザビエル』のような男性が
悠々と煙草を吹かしていた。
私は殺意に似た怒りを覚えた、がMにとっては、それも幸せの瞬間だったのか?
Mから貰った手紙を懐かしく思いながら読んでいるうちに
私は無性にMと会って話がしたくなった。
第十八章 二人だけの同窓会
手紙を読んでいるうちにどうしてもMと会って話をしたくなった私は
同窓会の開催を計画してMに招待状を出した。
招待状を出す時は
(45年前にMが私に手紙をくれた時もこんな気持ちだったのか?)
とドキドキしながらポストに投函した。
Mが同窓会に出席してくれる確率は80%くらいか?
或いは欠席の連絡が来るのか?
などと考えていた投函の2週間後に知らない携帯番号から着信があった。
「もしもし、〇〇です」
「うん」
「分かります?」
「うん、分るよ」
「今ね~、病院の駐車場で娘を待ってるとこなの、電話途中で切るかも知れないけど」
(変わっていなかった!)
自分の事を何でもざっくばらんに話してくれるところは昔と一緒だった。
「何なの?あの手紙?おかしいでしょ?!」
「そうかなぁ~?」
「おかしいでしょ?!」
(頭がおかしい、面白い、変だ)と、どれとも取れる口調で
「おかしいでしょ?!」
は、話の中に何度も出て来た。
結局、32分間話をしてメールアドレスを送る約束をして
電話を切った。
第十九章 驚愕の真実
メールアドレスを送った翌日にMからメールが来た。
私は大喜びでメールを開いたのだが
そこには心臓も凍り付くような驚愕の真実が書かれていた。
『もう40年以上も前の事だけど、あの頃の私は自分の思いだけを優先させて
はっきりと自分の気持ちを言わなかった「好きでなくなった、愛せなくなった」
と言うことを』
私は奈落の底に突き落とされた。
『愛する人の幸せの為に自分の愛情は犠牲にして別れを決心した心優しい男』
私はずっとそんな自分に心酔して自分を慰めていたのに
真実はただ単に『嫌われて捨てられていた』だけだったのだ。
『草原の輝きのディーン』は私の方だったのだ。
私の頭の中ではまた『22才の別れ』が流れだしていた。
第二十章 傘寿の同窓会
2036年4月3日(木)
私は公園のベンチの右端に目を瞑って座っていた。
春の暖かい日差しと風を花粉症予防のマスクを通して感じながら
頭の中ではサイモン&ガーファンクルの『Old Friends 』の曲が流れていた。
『Old friends,Old Friends,Sat on their park bench like bookends.』
人の気配に気が付いてふと右方向を見上げると
いつの間にか一人の老女が立っていた。
私と目が合った老女は
「おかしいでしょ?!」
と笑いながら言った。
― 完 ―
あとがき
『We all have our time-machines.
Those that takes us back are memories.
Those that carry us forward are dreams.』
映画「タイムマシン」の中で過去からタイムマシンでやって来た主人公に
未来人がタイムマシンを揶揄して冷ややかに言うセリフです。
図らずも今回私は、昔貰った手紙を読み『想い出』と言う
過去へ向かう『タイムマシン』に乗ってしまい
隠されていた過去の真実を知ってしまう事になってしまいました。
しかし、真実を知っても私の青春の想い出は変わることなく心の中で
輝き続けているのでした。
そして次に私は『夢』と言う『タイムマシン』に乗って
未来を覗いて見たのです。
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