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五十代 0
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1. 麦花粉アレルギーによる健康被害2. 埃が飛んで来て洗濯物が干せない3. 埃が飛んで来て網戸に出来ない4. 麦の種が飛んで来て我家の土地に沢山生える5. 我家の防草シートがトラクターで破損6. ソーラーパネルに埃が堆積「環境政策課」は、当事者同士で話し合って解決しろと言うけれど話し合いにならないからトラブルになる。
2022.06.06
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何かを失った時に感じる喪失感。心にぽっかり穴が開いて毎日が虚しくて悲しみで無気力になってしまう気持ち。1. 20代の頃、相思相愛だと思っていた彼女に振られてしまった時2. 50代の頃、親友が不治の病で亡くなってしまった時3. そして今、「マロ」が行方不明になってしまった時
2021.03.14
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観たい映画がDVDでレンタル開始されたので貯めておいたゲオスで「GEOチャンス」をやってみたら7回やって当たりが0でした。「スクラッチくじ」になってから全然当たらなくなりましたが相変わらず、私の「くじ運」が悪すぎるのか?
2019.12.27
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葬式の次の日は前日の大雨が嘘のように青空になった。葬式の後片付けをしながらその「青空の清々しさ」が虚しかった。
2014.08.04
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新聞の「おくやみ欄」に載ったのが当日で台風に因る大雨だったにも拘らず葬式には大勢の人達が来てくれた。
2014.08.03
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その年の班長は裏の家の番だったが裏の家のオバさんには務まらないという事で次の人に代わって貰っていた。しかし、そのオバさんが葬式準備で忙しい最中「会葬御礼の苗字が旧字になっていない」と騒ぎ出した。旧字なんて普段使っていないので全く問題は無かったが只でさえ忙しい時に空騒ぎされて参った。
2014.08.02
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天気予報など全く気にせず葬儀屋さんに言われるままに葬儀の日程を組んだが葬式の当日は朝から台風で大雨だった。ビニールシートで雨除けを作ってくれたのは口だけ達者な「隣組の人達」ではなくて友人の「ST君」だった。
2014.08.01
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親父の遺体を見ていた義兄が「さっき親父さんが一瞬目を開けたような気がする」と言ったが実は私も親父が一瞬目をパチリと開けたような気がした。
2014.07.31
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親父の葬儀の時はてんやわんやで猫の手も借りたいようだった。親父に向かって「寝てないで手伝ってくれ」と心の中で何度も叫んだ。
2014.07.30
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葬儀は新聞社に連絡した次の日だったので。新聞に訃報が載ったのは葬儀の当日になってしまった。
2014.07.29
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やがて隣組がやって来て葬式の打ち合わせになったが翌日の釜を予約してある事を告げると「そういう事は隣組が決めるので勝手に決めてもらっては困る」と言われた。一生忘れられない言葉となった。
2014.07.28
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菩提寺の長男が葬儀屋だったので必然的に葬儀を頼むところは決まっていた。真夏だったので葬儀屋の提案で早めの釜を予約してもらったが今考えると葬儀屋の都合が優先していたのかも知れなかった。
2014.07.27
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先に家に帰ってやったことは寝室の片付けだった。病院から親父が搬送されて来た時に横になれるように母親の不在だった寝室を片付けて部屋を掃除した。
2014.07.26
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親父の息がまだあるのに母親が私に「先に家に帰って葬式が出来るように片付けておけ」と言うので私は親父の最期を看取ることも無く病院を後にした。
2014.07.25
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母親が入院中の親父に時々「東郷に何か言っておく事はないんかい?」と言っていたが親父からは終に一言も無かった。私には「最期だから」とは口が裂けても言えなかった。
2014.07.24
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川遊びの帰りに病院へ寄ると母親が駆け寄って来て親父が危篤だと告げた。病室へ行ってみると親父はまさに「虫の息」と言う感じで弱々しい呼吸をしていた。既に意識は無く手を握ってみると冷や汗をかいているような冷たさだった。
2014.07.23
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その年のお盆休みの最終日にうちの子供達と東京から裏の家に遊びに来ていた子供達を連れて神流川の上流の方へ遊びに行った。子供達は川に入って魚を捕ったり遊んだりして大喜びだったが帰りに病院へ寄ると大変な事になっていた。
2014.07.22
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母親が泊まり込んで世話をしながらの入院生活も1年も経つとそれが日常生活のようになってずっと続くように思えてきた。
2014.07.21
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手術後の小康状態の時に気分転換も兼ねて一時帰宅をした事があったが家と比べると空調も介護体制も整った病院の方が居心地が良かったらしく数日で病院へ戻ってしまった。
2014.07.20
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再手術の後の入院中は母親が泊まり込みで親父の身の回りの世話をした。会社が休みの日は私が母親と交代して病院で付き添ったが私には泊まり込む事は出来なかった。
2014.07.18
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再手術の後、担当医からは最善を尽くし癌を取り除いたと聞いていたが手術から1ヶ月も経たないうちに癌の再発と転移を告げられた。二度の手術後の親父はガリガリに痩せてしまった。
2014.07.17
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親友のNM君に親父の病気の相談をしている時に「クオリティ・オブ・ライフ」と言う事を教えて貰った。おそらくんNM君には親父の病状が分かっていて手術には反対だったのだろうがその頃の私には親父が死ぬという事が想像できなかった。
2014.07.16
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親友のNM君に再手術の事を相談すると外科医というものは自分の経験の為にも手術をしたがるものだと言う話だった。しかし、担当医からは再手術をしなければ助かる事は無いと言われ肝臓癌の摘出手術をお願いした。
2014.07.15
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医者からは肝臓の癌の切除手術をするかどうかの選択を迫られた。手術の成功の確率を訊いたが手術しなければ助かることは無いと言う回答しか無かった。私には親父が死ぬと言う事は想像できなかった。
2014.07.14
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S字結腸と膀胱の癌の切除手術をした後で医者からは癌が肝臓にまで転移していたと告げられた。それでも親父には癌告知はしなかった。
2014.07.13
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S字結腸と膀胱の癌の切除手術をしてオペ室から帰って来た親父の腹部には「ストーマ」が2つ付いていた。
2014.07.12
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緊急手術でS字結腸の腫瘍を取り除いたが腫瘍が既に膀胱まで浸潤していたということで膀胱も同時に切除した。しかし、親父には「癌」だったとは言えなかった。
2014.07.11
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便秘に堪えきれなくなって近所の病院へ行った親父は「癌」と診断され本人には内緒で病院から家族に連絡があった。紹介状を書いて貰って「市民病院」に即日入院した。
2014.07.10
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親父は「病院嫌い」と言うか「医者嫌い」と言うのか病院に行くことを憚った。知り合いの所で漢方薬を貰って飲んでいたようだったが食欲が無かったのはダイエットでは無くて便秘が原因だったようだ。
2014.07.09
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その頃から親父は家族と一緒に夕食を摂らなくなり横になっていることが多くなった。理由を訊くと「ダイエットしている」と言うことだった。
2014.07.08
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退院してきた祖母の髪は真っ白になっていて一気に老けた様に感じた。何故か山形に嫁いでいた姉が帰って来て祖母の面倒を買って出た。
2014.06.05
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歯が痛いと言って病院へ行った祖母が「顎の癌」と診断された。既に舌まで転移していると言う事で一ヶ月程入院した後で自宅に戻って療養する事になった。
2014.06.04
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7月4日からシステム障害で「日記の編集・削除」が出来ない為日記の更新が出来ません。
2012.07.10
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