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50年間のクルマの故障を回想してみたら新車で買ったワゴン車の故障が印象的でしたね。今のセレナは、中古車で購入ですが考えてみたら「然もありなん」という感じです。
2024.10.10
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「ノートE12」は、故障よりもリコールが多いクルマでした。故障と言うと「エアコンのエアーミックスアクチエーター」が壊れたくらいですが温度調節を一番低い所へ固定して「アクチエーター」の交換は、しないで済ませました。
2024.10.10
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群馬県に大雪が降った2014年は私は、ティーダに乗っていましたが突然、ヒーターが効かなくなって難儀したことがありました。原因は、エアコンの「レジスター」の故障でしたがティーダでは、良くある故障だったようです。
2024.10.09
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「ラルゴディーゼルターボ」を2台新車で乗った事がありましたが最初のラルゴは、夏の暑い日にアイドリング中にオーバーヒート。2台目のラルゴは、時々エンストを起こすようになってコンピューター診断でも原因が分からない故障でした。今、考えてみると日産はワゴン車のエンジン設計に難があったんじゃないでしょうか?
2024.10.09
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憧れのブルーバードP910ターボSが安く買えた時の事ですがエンジンの機嫌が悪く時々始動しない事がありました。ディーラーの友人に調べて貰ったら「イグナイター」に不具合があったらしくこの故障も解体車から「イグナイター」を調達してきて快調に乗れるようになりました。
2024.10.09
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私が最初に乗ったサニーGXクーペは4年間で7万キロ以上走りましたがクラッチ等の消耗品を除けば故障したのは「オルタネーター」だけでした。しかもその故障も私がファンベルトを張り過ぎてしまった為にベアリングが摩耗してしまったと言うもので私の未熟さが原因でした。解体屋さんで三千円で「オルタネーター」を買って来て交換したのが懐かしい思い出です。
2024.10.09
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私は、50年間で25台のクルマに乗りましたが今回のセレナのように故障の多いクルマは初めてです。購入してから2年半で3万キロ足らずの走行ですが「バッテリー」「EGRバルブ」「エアコンコンプレッサー」の交換です。その他にも何の前触れもなく点灯する警告灯の数々。固体的な外れだったのか?それともセレナの設計に無理があるのか?
2024.10.09
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医療ミスで思い出すのは昔、喘息の治療で循環器科内科を受診した時にレントゲン写真を見ながら医師が説明を始めたのですが写真の隅に別人の名前が書いてあったので「先生!それは私のレントゲン写真じゃないみたいです」と言ったらその医師は、無言でレントゲン写真を私の物と交換してしれっと説明を続けていました。プライドの高過ぎる医師も考え物ですね。
2024.05.19
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海が見えると必ず大騒ぎするのが群馬県民ですが群馬県から茨城の海まで約130Km、新潟の海まで約200Kmです。今では、どちらへ行くにも高速道路で楽になりましたが私達が若き頃は、高速道路が無かったので茨城へは国道50号線、新潟へは国道17号線を使って行きました。朝は、日が昇らないうちに出発しても連休(休日も少なかった)の国道は大渋滞でした。今でも私が「連休の海」と聞くと真っ先に思い浮かべるのは「国道の大渋滞」です。
2024.05.05
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ネットの「お悔やみ蘭」に高1の時の同級生が載っていました。同じクラスで帰りの電車の時間まで教室で「10円玉おはじき」をして暇つぶしをしたのを思い出します。何故かお互いの祖父同士が知り合いだったと言うのも奇遇でしたね。ご冥福をお祈りいたします。
2024.01.08
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会社を早期退職した頃に中一の時に交通事故で亡くなった同級生を思い出して55年前に墓参りした時の記憶を頼りにお墓を探してみましたが見つかりませんでした。代わりに別の同級生の家の大きなお墓が墓地入り口の正面に建っていてビックリしましたが近所に住んでいても宗派の違いなのか別の菩提寺になっていたんですね。でも、同級生のご先祖様には先見の明があったようです。
2023.10.30
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占いというものは、あまり信じないのですが私が新入社員のころに本社の総務課のパートさんで占いのよく当たるというオバさんが居て親友のHS君に誘われて手相を見てもらったことがありました。私は恋愛運と寿命について尋ねたのですが「寿命は、70代までは、大丈夫」と断言してくれたのですが「恋愛運」の方は、言葉を濁されてしまいました。きっとその後の私のドロドロした恋愛運が見えていたんでしょうね。そしてHS君の方はどうだったのか本人に訊いてみたら「結婚は出来ると言われたけど寿命の方は教えてくれなかった」と言っていたHS君ですが60歳になる前に旅立ってしまいました。もしかしたら、パートのオバさんは、本当に運勢を見る事が出来て悪い事については、口を濁していたのかも知れませんね。
2023.08.06
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TVドラマ「ハヤブサ消防団」を観て昔、地元の同級生が消防団員の勧誘に来た時の事を思い出しました。当時は、新兵は奴隷も同然、酒は飲めて当然みたいな風潮で私の考え方とは絶対に同調しないので固辞しましたが帰る時に同級生が「〇〇ビデオ持ってたら貸してくれ」と言うので貸してあげました。なんでも夜警の暇な時にみんなで鑑賞したんだそうです。酒を飲んで〇〇ビデオを観て間違いを起こさなければ良かったですね。
2023.07.20
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YouTubeを観ていたらシンガポールの「ハウパーヴィラ」と言う観光地が出てきてこの雰囲気は、まさか、と思ったらやはり昔の「タイガーバームガーデン」だったんですね。41年前にシンガポールへ招待旅行で行った時には「こんな所が観光名所なのか?!」と驚いて逆に印象に残った場所です。「万金油(タイガーバーム)」懐かしいですね。
2023.06.30
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大谷翔平が投球前に指を舐めるのを見て高校時代の部活を思い出しました。ラグビー部の練習が終わると1年生はボールを磨くのですが自分の唾をかけて磨くように言われたんです。今では公衆衛生上そんなことはしないのでしょうが楕円から大分、丸くなった古いラグビーボールを練習後、出ない唾でペッペッと磨いた日々を思い出してしました。
2023.05.14
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「おくやみ欄」に中学の時の同級生が載っていた。中学卒業以来、会った事は無かったが名前を聞くと中学の頃の思い出が蘇ってくる。中学で一番の長身で陸上部の長距離選手だったが部活で「大マラソンコース」と言う一番長いコースを走ると何故か、転んで途中退場する事が何度かあったね。それと「校内マラソン」で私と並走していたのに終わった時に「綱取が前に出たのが分からなかった」と言われた言葉が、今でも不思議なんです。合掌。
2023.03.04
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「止まったクルマの下に入り込んで来た」と言うニュースでもう一つ思い出したのがやはり、20年位前の話ですが会社の先輩の長男がワゴン車で走っていたら対向から来たバイクがカーブで転倒してしまいワゴン車の下に潜り込んでしまった事故です。運悪くライダーは亡くなってしまったのですがクルマの下に潜り込まれた先輩の長男の方にも心に傷が残ったんでしょうね。
2023.02.14
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「ボーイング747ジャンボ」が引退するそうです。「ボーイング747ジャンボ」と聞くとどうしても思い出してしまうのが30年余り前に行った「ロンドン・ローマ・パリ」旅行でパリからの帰国便が「ボーイング747ジャンボ」の2階席だった事です。「ボーイング747ジャンボ」の2階席に座ったのは生涯でこの一度きりになると思いますが2階席と言っても横6席の普通のエコノミークラスだったので2階への階段の上り下りが大変なだけでちょっとした優越感というメリットしか無かった事を思い出します。しかしこれも今からは、起こり得ない懐かしい想い出ですね。
2023.02.11
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「Winny」と言う映画が3月に公開されるらしい。「Winny」と言えば我家にADSLが繋がった頃に「WinMX」の後継として大変お世話になりました。あの頃は、若かったので「インターネットの世界って何でもありなんだな」なんて思っていましたが懐かしい想い出です。
2023.01.03
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今ではすっかり身近になった「不登校問題」ですが多分、私が小学生の時だったと思います。クラスに学校に来ない女の子が1人居て担任の女教師が「学校に来ないのはクラスメートに責任がある」と言って授業中にクラスの女の子全員で不登校の女の子の家まで迎えに行かせた事があったんです。今になって考えるとモラハラではブラックな先生でしたが責任転嫁のできる小賢しい先生でしたね。
2022.11.08
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今回の「コキア」観光旅行で泊まったホテルの隣のホテルは二十代の頃に泊まった記憶があるのですが何の目的で行ったのか?何をしたのか?全く記憶に無いのです。覚えているのは、駐車場が道路よりも低かった事と夕食の時にデザートのメロンを持って来たオジサンが皿からメロンを落とした事の二つだけなんです。それと誰と行ったかは、朧気ながら記憶にあるかな。
2022.11.07
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新聞チラシの求人広告を見ていたら昔、取引のあった会社の求人広告が載っていました。その会社の社長は、私よりも3歳年下なのですが商談の中で業界の色々な事を教えてくれる社長でした。中でも一番の思い出は「動けばいいから安い機器が欲しい」と言われて、ある中古の物流機器を納品したのですがこれが常に動かしていないと直ぐに不調になってしまう代物で納品しても数カ月で使えなくなってしまったのです。すると社長は怒るでも無く「動けばいいと言ったのは俺だから」と言って直ぐに数百万円する新品に代替してくれたのです。「器の大きい人」と言う言葉がありますが「器の大きい人」と言うのはこういう人の事を言うのだと人生で初めて感じた瞬間でした。
2022.09.05
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ニュースで「人たらし」と言う言葉が出ていましたが私が嘗て勤めていた会社にも居ましたね。四大卒で入社して来た「元ミス日本〇〇」と言う女性。長身で美人で、それでいて誰にでも気さくに話しかけるので男性社員からも女性社員からも大人気でした。勿論、社長にも気に入られて秘書課に配属。しかも本人が「キャンペーンガールをやりたいので退職する」と言った時は社長の特認で休職扱い。というように周りの人間が自然に魅了されてしまう女性でした。そんな天然の「人たらし」な彼女の人生の目標は「玉の輿」お付き合いする男性は全て「医学生」や「医師」で最後は、国立病院の医師と結婚して寿退社していきました。めでたしめでたしです。
2022.08.10
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長女の婿殿の両親が我家に挨拶に来た時にセカンドカーの「コペン」でやって来ました。「S660」や「コペン」の軽スポーツカーは私もバイクを降りた時に欲しかったのですが婿殿の両親が我家から帰る時に雨が降り出して来て結局、ルーフを出して帰って行ったのを見て「やはり、オープンカーには乗りたくないな」と再認識しました。
2022.08.07
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社会人になって3年目の春に市内で「交通安全パレード」があって会社からオープンカーを出して参加した事がありました。当時は、フルのオープンカーが無くて「フェアレディZのTバールーフ」を飾り付けて「ミス日本〇〇」を助手席に乗せてパレードしました。確かに「ミス日本〇〇」は美人だったのですが私にはTバールーフのガラストップの取り外しの面倒臭さと重さだけが印象に残ったパレードでした。
2022.08.06
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学生の頃、バイト先で「激走!5000キロ」と言う映画の話をしていたら近くで聞いていたプロドライバーさんから「オープンカーでは300Km/h出して走れない」と言われました。映画なので「ACコブラ427」も「フェラーリ デイトナ スパイダー」もオープンのまま激走していましたがその話を聞いてからオープンカーには、何となく拒否反応があります。
2022.08.05
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「ヘビ」のトラウマと言うともう一つ忘れられないのが私が小学校低学年の頃に田んぼで麦刈りか稲刈りを手伝っていた時に近所の田んぼのオジサンが「ヘビ」を捕まえたんです。するとどこかのオバサンが「〇〇さんは戦争に行って来たからヘビを食べるんだ」と言ったのですがその言葉を聞いたオジサンが「ヘビ」の皮を剥いてしまったんです。皮を剥かれて真っ白な身になった「ヘビ」の腹には白い卵が四つか五つ位付いていたのですが私の脳裏にはその「ヘビ」の白い身体と卵が写真の様に焼き付いていて「ヘビ」を見る度に「ヘビ」の無念さと怨念を感じてしまうんです。あの光景は死ぬまで私のトラウマですね。
2022.07.14
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「転職貧乏」と言うのがあると思いますが私の場合は「転籍貧乏」だったような気がします。流石に会社こそ替わりませんでしたが社内の人事異動で毎年のように異動があり昇給の時期には毎年新しい部署に居たんです。当然、考課査定は去る者には厳しくそうでなくても、上司から疎まれやすい私は転籍の度に査定が平均以下になっていました。その事実を知ったのは、5回目の異動で総務課の給与担当に配属になった時で今でも殆どの社員は給与業務は経理課で行っていると勘違いしていますが社員の給与支払い業務は、総務課が全て行っていたので全社員の人事・給与関係は、総務課で管理していたんです。役員の給与は、言うに及ばず全社員の給与処理を一任されると言うのは激務でしたね。(しかもこんな安月給の私に)
2022.06.30
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私が嘗て勤めていた部署に「不動産収入の有る社員」が二人居た。一人はゴルフ場に土地を貸していた社員でやがて親の地盤を継いで政界に進出して会社を辞めてしまった。もう一人は広大な土地を企業に貸していてブランド品を身に付けて高級外車に乗ったり家族で海外旅行を楽しんでいた。そして不思議な事に二人の社員に共通していたのは仕事に対する意欲と責任感が殆ど無い事だった。
2020.01.08
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「小人閑居して不善をなす」確か高校生の時に親友のN君から教わった言葉だが最近の私はこの言葉をヒシヒシと感じて来ている。但し、「閑居」と言うのは「暇にしていると」と言う意味では無くて「一人で居ると」と言う意味らしいので私の場合はちょっと違うのか・・・。
2018.03.27
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中学の時の同級生の親父さんの訃報があった。クルマの免許の取りたての頃に「バイオレットSSS-E」を運転させて貰ったり毎週のように土曜日の夜中に夜遊びの帰りに寄っては夜食をご馳走になりながら面白い話を聞かせて貰ったっけ。「沢山食べても遠慮して食べなくても『ご馳走様』は一度でいいんだから沢山食べろ」と毎回言われたことが懐かしい。合掌。
2018.03.10
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今月は親父の27回忌。そして私は親父の享年を越える事になる。自分と比べても仕方ないかもしれないが今の自分を顧みると、こんなにも未熟なうちに他界してしまったんだなぁと改めて驚く。
2017.08.04
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「袖すり合うも他生の縁」HS君との付き合いは私の人生の半分以上の期間だった。時には師として、時には兄弟のように相談相手になってもらい冗談を言い合っては行動を共にして人生を共有した。HS君、 沢山の想い出をありがとう。
2016.07.19
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26日に家族旅行で撮ったグアムの写真を持ってHS君の病室へ行くとHS君の容態は、寝ていると楽そうだったが目覚めると苦しそうで会話をするどころでは無かった。結局、HS君との会話は18日が最後になってしまった。今思うと、帰り際に「ありがとう」と言って握手してきたHS君は既に何かを悟っていたのかも知れなかったがそんな意識が無かった私は、いつものように「またね」と病室を後にしてしまった。
2016.07.18
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「いい人と歩けば祭り」久しぶりのHS君達との旅行は、まさにお祭りのように楽しかった。特にHS君が撮ってくれたビデオはDVDに焼いて一生の宝物になったが屋内の射撃場で撮影した時は射撃の音圧でマイクが壊れるんじゃないかと二人で真剣に心配した。気圧と言えば、「機内預けの荷物の中に缶ビールを入れると気圧で撥ねるよ」と冗談で言ったら、生真面目なHS君は本気で心配していた。最後にグアム空港の屋上でHS君と二人でネットにしがみついて「帰りたくないよ~」と言いながらふざけて写真を撮った。[後日談]私「本当に心配性だったね~」HS「文系だから信じちゃうんだよ~」
2016.07.17
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グアム社員旅行四日目と言うか帰国日だったが前日にレンタカーを満タンにしてしまったけれど返却前に「ギブソンズ」へ最後の買い物に行った。行きながらHS君がまた来る時の為に「ギブソンズ」までのコースをビデオ録画してくれたが再び一緒にグアムに行くと言う夢は叶わなかった。[後日談]私「ギブソンズはGPOに代わってしまったね~」HS「ロータリーの像はPale San Vitores」
2016.07.16
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三日目はレンタカーで島の北方面を廻った。「恋人岬」「パイナップル農園」「グアム平和慰霊公苑」「ガンビーチ」HS君が「HAWAII」と書いてあるTシャツを着ていたので私は「GUAM」と書いてあるTシャツを買って着てみた。[後日談]私「もしかして新婚旅行の時のTシャツかな?」HS「エへへへ・・・。」
2016.07.15
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HS君が亡くなって今日で四十九日。一度だけ夢に出て来たHS君は「とてもふっくらした顔でクルマの後部座席に座っていた」しかし、これは深層心理にあった昨年暮れのHS君の写真の画像と「高知 東生」の逮捕の時の映像とが合成されただけのものだと分かった。夕暮れ時に空を見上げると雲の合間にHS君がいるような気がする。
2016.07.14
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グアムに着いた翌日はレンタカーで島の南方面を廻った。「野外射撃場」「タロフォフォ滝公園」「イナラハン天然プール」「NASA」[後日談]私「やっぱりレンタカーは〇ヨタだったね~」HS「日本では、なかなか乗れないからね~」
2016.07.13
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社員旅行の時にHS君は「8ミリビデオカメラ」を持って行ってくれた。旅行中はレンタカーを借りて島巡りをしたが、はちまる会のOK君と相部屋のAFさん、何故かOY部長まで付いて来て小型のレンタカーは5人乗りになってしまった。その時の様子はHS君のお陰で今でもDVDで楽しむことが出来る。[後日談]私「俺も次に買う時は8ミリビデオにするよ~」HS「VHSのフルカセットじゃあ大きすぎるよ~」
2016.07.12
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私が本社に異動になって5年経った頃、会社の社員旅行先が初めて海外になった。総務課で旅行へ行く班別の日程と部屋割りを決めていたが私は総務課の特権でHS君と同じ日程で同じ部屋にして貰った。ロールスロイスのジェットエンジン私達の部屋からの眺望[後日談]私「5年に一度社員旅行は海外と言う訳だったのにね~」HS「一緒に行けたのはこの時だけだったね~」
2016.07.11
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お互いに本社勤務にはなったがHS君は3階で外勤私は1階のフロアで内勤だったので仕事中は殆ど顔を合わせなかったが朝晩は無線で他愛の無い事を話しながら通勤した。[後日談]私「あの頃は無線が趣味だったね~」HS「赤城山のレピーターを見つけてからは交信範囲が広がったね~」
2016.07.10
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私よりも7ヶ月遅く結婚したHS君が父親になったのは私のそれよりも2ヶ月遅いだけだった。私の長男とHS君の長女は同学年になった。[後日談]私「フライングしたんじゃないの~?」HS「フライングしてないよ、計算してみれば?」私「本当だ、ジャストだね」
2016.07.09
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HS君が結婚したのは私が元ストーカー女と結婚してから7ヶ月後だったがお互いに家庭を持つとHS君が我家にバイクで遊びに来ることはなくなった。ところが、HS君が結婚した1ヶ月後に私は部署は違うがHS君の勤務していた本社に異動になったので会社へ行けば、会うことが出来るようになった。[後日談]HS「栄転おめでとう!」私「本社は空気が悪そうだね」
2016.07.08
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ある日、家のチャイムが鳴ったので玄関の戸を開けるとHS君がひとりの女性と一緒に立っていた。そしてHS「俺の婚約者」と紹介したHS君の顔は自信に満ちた満面の笑みだった。挨拶だけで二人が帰ってしまうと思わず「可愛い~い」「可愛い~い」と、私と元ストーカー女は顔を見合わせてハモってしまった。HS君は粛々と婚活をしていたようだった。[後日談]私「結婚が決まってから紹介とはね~」HS「エヘへ・・・。」
2016.07.07
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ある日、HS君に誘われてダブルデートをした事があった。HS君のお相手は学校の先生で見かけと違わず本当に真面目な人だった。会話の中でお相手が琴をお弾きになると言うので私が「私も麻雀の時に良く三味線を弾くんですよ~」と言ったら「そうですか!三味線をお弾きになるんですか?」と真顔で言われたのでHS君と二人で大笑いしてしまった。[後日談]私「真面目すぎて冗談が通じないのもね~」HS「麻雀で三味線を弾くなんて知らないよ~」
2016.07.06
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ある日、私の親父が親父「この間は女の子がクルマに酔っちゃって話が弾まなかったらしいってY田(HS君)に言っておいてくれ」と、訳の分からない事を言って来た。HS君にその話をすると、仲人好きの私の親父に強要されて近所の女の子と見合いをしていたらしかった。私は一人蚊帳の外で何も聞かされていなかった。[後日談]私「結婚してたらご近所さんになってたね~」HS「あの時は婿入りに抵抗があったね~」
2016.07.05
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ある日、いつものようにやって来たHS君はHS「もう頭に来た!、もう我慢できない!」と、今まで見た事が無いくらい怒っていた。理由を訊くとインスタントラーメンの「マダムヤン」を買って台所に置いておいたら相部屋のHH君が無断で食べてしまったと言う事だった。兎にも角にも、この日からHS君は寮を出る為に「婚活」に真剣に励むようになった。[後日談]私「同居していると色々あるからね~」HS「マダムヤンを食べるのを本当に楽しみにしていたんだよ~」
2016.07.04
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折角、ストーカー女がバイクの免許を取ったのだからとHS君のVT250を借りて二台でツーリングをした事がありました。赤城神社の方から裏道を登って赤城山へ帰りは有料道路の方を只で下ってくると言うコースでしたがHS君のVT250のお陰で身長150cmのストーカー女は事故る事もコケる事も無く最初で最後の婚前ツーリングを楽しんだようでした。[後日談]私「初心者にVT250を貸して貰って悪かったね~」HS「RZの方じゃ乗れないだろうからね~」
2016.07.03
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ある日、会社の行事で行った「尾瀬ハイキングの写真」を見ていたHS君がHS「この子はいつもACTさんの傍に写っているね」と言い出しました。写真を見ると確かにいつも私達の後ろを歩いていたり休んでいる時も背後で一緒に休んでいるのが写り込んでいました。それ以来、私はこのストーカー女を会社で監視するようになりましたが容姿は兎も角、なかなか気が利いていて悪い子では無い事に気がつきました。そして、このストーカー女はやがてバイクの免許まで取って私に近づいてくるようになりました。[後日談]私「よく気がついたね~」HS「見れば直ぐ分かるじゃん~」
2016.07.02
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