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五十代 0
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ディーラーの担当営業マンが突然辞めてしまって2通の同じ「定年退職挨拶のハガキ」が本人では無い店長の筆跡で宛名書きされて届きました。他人の手で書かれた挨拶状が2通も同時に来るのは嫌な気分ですね。有給休暇を全て消化してから辞める事が出来れば丁度、最後に夏のボーナスが頂けるのだけど「そうは会社が卸さない」んだろうな・・・。
2017.06.02
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メーカーの品質とサポート体制やうちの会社の体質や体制は日々、私にストレスを感じさせるようになってきた。
2016.04.05
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うちの会社はディーラー関係だったが以前から統廃合を何度か繰り返していたメーカーがまたまた統廃合して新会社になってからは製品もサポート体制もお粗末になっていった。
2016.04.04
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KY課長の後釜で課長になったのはやはり委員長経験者の課長代理だったがこの人は人の話が聞けない思い込みの激しい人で私は密かに「こまったちゃん」と呼んでいた。
2016.04.03
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KY課長は「懲戒解雇」で理由は「業務上横領」だった。吸収合併した会社の社長は売掛金の回収に非情に厳しい人で店長とKY課長が同行で集金に行った時にKY課長が「自転車操業」を告白したようだ。
2016.04.02
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EH社長から次のHK社長に交代して間もなく我社はグループの企業に吸収合併される事になった。半年後には事務所も移転してKY所長は3課の課長になった。
2016.03.31
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数年後にEH社長が社長交代した時の送別会はKY所長が幹事を務めたが最後の挨拶で「EH社長とは子供の頃から親戚のような付き合いをしていた」と昔話を披露していた。私の想像は当たっていた。
2016.03.30
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メーカーの海外旅行キャンペーンが掛かった時にKY君は管理職でキャンペーンの対象では無かったが社長の特別な取り計らいで「ベトナム褒賞旅行」に招待されて行って来た。もう「何でもあり」と言う状況だった。
2016.03.29
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EH社長に代わってからは中途で入社してきたKY君は「主任」 → 「課長」 → 「所長」と昇進するのに数年しか掛からなかった。特にうちの会社では執行委員長経験後は管理職の椅子が用意されていた。
2016.03.28
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中途で入社してきたKY君は間もなく「主任」に昇格して組合の執行委員長になった。無口で大人しい性格だったのでとても驚いた。
2016.03.27
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グループ本社のEH常務が社長として移籍して来ると何故か中途入社のKY君の出世は目を見張るものがあった。
2016.03.26
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本社から社長として転籍して来たEH常務の口癖は「いずるを制する」だった。しかし、本人は会社の経費を私用に使う事が多々あった。
2016.03.25
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私が勤めていた会社は二三年で目まぐるしく社長が交代していたがTH社長の次に本社から社長として転籍して来たのはEH常務だった。
2016.03.24
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東名高速を走っていて感動する風景は「富士川SA」から見る富士山と「由比PA」から見る太平洋だった。
2015.06.26
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静岡辺りを走ると東名高速からも「茶畑」を見ることが出来た。茶畑の上に扇風機のような物が付いた柱が幾つもあったが霜避けの為に風を送っているのだと後で知った。
2015.06.25
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静岡へ納品に行ったときに「国道1号線」が走っている事を知った。東名高速が出来るまではこっちがメインだったんでしょうね。当時は「磐田市」が一番遠い納品先だった。
2015.06.24
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静岡の「磐田市」へ納品に行った事があったが当時は、今ほどサッカーに興味も無く「ジュビロ磐田」も知らなかったがガスタンクとかにサッカーボールの絵が描いてあったりして「サッカーの町」と言う感じがした。
2015.06.23
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静岡方面へも何軒か納品したが当時は、圏央道が開通していなかったので東名高速までは環八を走らなければならなかった地獄の様な渋滞を避けるために午前7時前には谷原を通過するようにしたがそれでも環八は地獄だった。
2015.06.22
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O所長と一緒に宮城県の古川に納品に行った帰りに石巻まで行って「海の幸」でも食べようと向かったが意外と遠く、寒冷前線も南下して来たので諦めて高速道に戻って撤収して来た。飲まず食わずで福島のSAまで来たら宮城県内は大雪でチェーン規制になっていた。
2015.06.21
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会津若松に納品に行った時に「高速を使わずに日光まで行く街道があるよ」と聞いたが4トントラックでは挑戦する気になれなかった。後で調べたら「会津西街道」だった。
2015.06.20
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「日光宇都宮道路」の入り口は「徳次郎」と言うインターチェンジだったが「とくじら」と読むんだという事は暫く後で知った。「日光宇都宮道路」は日光街道とほぼ平行に走っていて終点の「清滝」までは貸切状態の事も多く「TOLL GATE」は無人で籠に現金を投げ入れるものだった。
2015.06.19
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いつの頃からか東北方面の納車の帰りは高速道を宇都宮で下りて「日光宇都宮道路」を使うようになった。納車は殆ど平日だったので日光が渋滞している事も無く4トントラックにとっては道幅は少し狭い所もあったが大間々町までは殆ど下りばかりだったので走るのも楽だった。
2015.06.18
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東北自動車道を走っていて「蔵王山」が見えてくるとどうしても「かみのやま」に嫁いだ姉を思い出してしまった。30年以上昔、結婚式に出席するのに当時は福島西までしか東北自動車道は出来ていなかったので外国よりも遠く感じたものだ。実際、「山形弁」や「結婚式」や「TV放送が3局位」しか無かった事もカルチャーショックだった。
2015.06.16
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宮城県への納品は「仙台市」「亘理町」「富谷町」「古川」等へ行ったが何と言っても東北自動車道から遠い「亘理町」が一番時間が掛かった。この頃は、後に「亘理町」がこれほど話題になるとは思わなかった。
2015.06.15
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福島県は「喜多方ラーメン」が有名だったが4トントラックで納品に行った時に猪苗代湖SAで食べた「喜多方ラーメン」が私の「喜多方ラーメン」デビューだった。
2015.06.14
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福島会津若松まで何度か納品に行ったが東北自動車道から磐越道ジャンクションに入る頃にはスピード感覚が大分麻痺していてカーブでヒヤッとした事があった。また、磐越道はトンネルを抜ける度に気候が変わるのが分かった。
2015.06.13
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東北方面の納車は宮城県まであったので冬季は雪を心配したが太平洋側にある東北自動車道はあまり雪のを心配しなくても大丈夫だった。只、白河の辺りだけは時々降雪するようだった。
2015.06.12
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一度、東北自動車道を下りて国道4号線を走った事があったが国道4号線は東北自動車道とずっと平行して走っていて高速道が出来る前は随分渋滞した事だろうと思った。「いわき市」辺りをAMラジオを聞きながら走っているとラジオに雷の様な雑音が入って来るようになった。「原子力発電所」の影響かな?と漠然と思った。
2015.06.11
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会社の上司に「須賀川」へ納品に行くと報告したところ何度も「すがかわ」と言う人が居たがそう言えば「秋葉原」のことも「あきばはら」と言っている人が居たね~。
2015.06.10
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東北地方にも何軒か納品したが当時は、北関東自動車道が開通していなかったので佐野藤岡ICまで下道で行かなければならなかったが東北自動車道に乗ってしまえば渋滞する事は無く走りやすかったのであとはただ只管運転するだけだった。
2015.06.09
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茨城県の田舎を走っている時に不思議な光景を観た。真四角な畑の北西の角に民家が建っていて民家の北と西側は防風林で囲まれている。そんな家がまるでコピーしたかの様に並んでいたのだ。今でもあの光景は残っているのだろうか?
2015.06.08
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袋田の滝へは二回ほど納品の帰りに寄って見ましたが日本三大名瀑と言う割にはガッカリさせられていました。しかし、考えてみると袋田の滝は凍っている景観が有名で私が行ったのは二回とも冬では無かったので仕方がなかったのかも知れません。
2015.06.07
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茨城県に納品する日の午後3時に伊勢崎で試験を受けなければならない日があった。朝の5時に会社を出発して茨城に納品してから帰りは常磐道~首都高環状線~関越道を使って帰った。試験にはどうにか間に合ったが疲れと睡魔で試験どころでは無かった。
2015.06.06
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当時は、北関東自動車道が茨城県まで繋がっていなかったので茨城方面への納品は下道だけを使わなければならなかったので時間が掛かった。国道50号線は時間を考慮しないと大渋滞に巻き込まれた。
2015.06.05
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群馬県民としては当時は千葉県と言うと「九十九里浜」だった。「旭市」へ納品に行った帰りに九十九里浜まで足を伸ばした事があったが4トントラックでシーズンオフに行った九十九里浜は淋しかった。
2015.06.04
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千葉県の「八街市」へ納品を依頼された時勿論、「やちまたし」とは読めなかった。他にも「匝瑳市」や「酒々井」など千葉県の地名は変わったものが多いと感じた。
2015.06.03
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千葉県内の店舗へも何軒か納品したが千葉県の地名は変わったものが多いと感じた。渋滞の首都高速は苦痛だったが千葉県内を走るのは嫌いではなかった。
2015.06.02
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富士吉田への納品から会社に戻って過積載で捕まった事を報告すると「俺の名前は出さなかっただろうね?」と社長に訊かれた。過積載は運行管理責任者も処罰される事があるのでそれを心配したようだった。反則金だけは会社で負担して貰った。
2015.06.01
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八王子インターから下道を使ってようやく富士吉田市の店へ納品すると店長から製品の耐寒性の事を訊かれた。なんでも富士吉田市は北海道の旭川市と並んで日本で一番寒い土地なんだとの事だった。
2015.05.31
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八王子インターで一般道に下されて地図を頼りに走っていると峠の林の中に「相模湖」が見えてきた。高速道路よりも一般道の方が山道で狭かったが景色は楽しめた。
2015.05.30
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八王子インターで過積載の切符を切られて納品はどうなるのかと心配していたら警察の方から通行手形と地図を渡された。あとで聞いた話では八王子インターの台貫は有名でプロのドライバーは回避するとの事だった。道理で通行手形や下道の地図まで用意されている訳だ。
2015.05.29
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あちこちの県に納品に行った序に名所旧跡を巡ってくれば良かったのだろうが朝早く出発して納品を終えると何処かへ寄って来ようと言う気力は無くなって一刻も早く帰りたくなった。4トン車で知らない土地を走るのは気苦労も多かった。
2015.05.27
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4トンロングであちこちの県に納品に行ったので初めて走る道や高速道路は不安があったが道を覚えたり県ごとの特色や特徴を感じるのは楽しかった。
2015.05.26
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あちこちの県に納品に行くと「某ホームセンター」の新規店舗は殆どが郊外のバイパス沿いに大型の店舗を建設している事が多かった。まるでバイパスが建設される情報を前もって掴んでいるようだった。
2015.05.25
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年間契約が決まった「某ホームセンター」からの発注は殆どが新規店舗用だった。納品に行くと店舗を建設工事中の事も多く業者でごった返していて駐車場のアスファルトがまだ固まっていない事も多かった。
2015.05.24
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年間契約が決まると「某ホームセンター」との打ち合わせと納品だけで営業活動の殆どが占められてしまい他の顧客は疎かになってしまった。
2015.05.23
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「某ホームセンター」には既にライバル会社から納入実績があったが継続的なアプローチはしていなかった。当初、先方はリースと買取りで検討していたが私は買取りで5年毎に更新する見積もりを作って提案した。年間契約を取り付けたが全国規模での納品は大変な事になった。
2015.05.22
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当時の「某ホームセンター」は業界では2位争いをしている位の規模で全国展開で140店舗を目指していた。
2015.05.21
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グループ会社からTH常務が社長として移籍して来て暫く経った頃高崎に本社の在る「某ホームセンター」との大口の話をグループ会社の会長から持って来た。「東郷君、なんとしても契約を取ってくれ」と言われた言葉を覚えている。
2015.05.20
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当時、うちの会社は二三年で目まぐるしく社長が交代していたがKK社長の次はやはり本社からTH常務が社長として転籍して来た。
2015.05.19
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