売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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2025.07.05
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カテゴリ: ファッション
7月8日は私にとって忘れられないメモリアルデーです。いまからちょうど40年前の1985年7月8日、CFD東京ファッションデザイナー協議会が正式に発足。日比谷プレスセンターで設立総会、記者会見、そして記念パーティーと続き、私には緊張した長ーい1日でした。

発端は同年3月初旬。東京に一時帰国したときパリコレに出かける直前の三宅一生さんに食事に誘われました。これが初めてのことです。数日後私も東京からパリに。当時私がニューヨーク通信員契約していた繊研新聞社ファッション担当記者織田晃さんがパリコレ招待状を手配してくれたのでパリコレ取材に。その会場だったチュイルリー公園特設テントでたまたま三宅さんと遭遇、その夜一杯お付き合いしました。



読売新聞社主催「東京プレタポルテコレクション」ポスター

このとき三宅さんから、翌月東京で読売新聞社主催ファッションイベントがあり、2週間にわたって多くのデザイナーがコレクション発表するので見るべきでは、とアドバイスされました。私の航空券は世界一周一方方向をまわると安いディスカウントチケット、これでは予定変更してパリから東京に飛べません。いったんニューヨークに戻り、「東京プレタポルテコレクション」を見るため東京に。

同イベント前夜祭、西新宿の広い空き地(現在東京都庁がある場所)に建てられた特設テントにお邪魔しました。前夜祭を抜け出してお向かいのセンチュリーハイアットホテル内の中華料理店に行くことになり、そこでコムデギャルソン川久保玲さん、山本耀司さんとそのパートナー林五一さん、三宅さんの五人で会食しました。この時点で私は川久保さん以外の方とはこれまでほとんど接点がありませんでした。

会話が進むうち、毎シーズン大手新聞社のイベント事業としてコレクション発表するのはいかがなものか、パリ、ミラノ、ニューヨークにはそれぞれファッションデザイナー組織があり、コレクションはその組織が運営管理している、東京もそろそろデザイナー組織がコレクションを自主開催すべきではないかという話になりました。話には大賛成、しかし自分が帰国してコレクション運営にあたるのはノーサンキュー、私はマーチャンダイジングのプロになりたくて渡米した人間ですから話に乗れません。

読売コレクション第1週のショーだけ取材し、ニューヨークコレクションの会期が接近していたので私は第2週のショーはパス、ニューヨークに戻りました。

ニューヨークに戻ると連日東京から電話、デザイナー組織の立ち上げとその運営を真剣に考えて欲しいと言われました。「本気なのかなあ」と半信半疑でしたが、最後にはとりあえず「わかりました」と伝え、5月ゴールデンウイーク明け帰国しました。ニューヨークに戻るつもりだったので航空券は往復チケット、そのまま東京に居続け片道チケットが無効になるなんて想像だにしていませんでした。

帰国して2週間後、主要デザイナー数人とのデザイナーとの会議が連日あり、メンバーは前述3デザイナーのほかニコル松田光弘さんと山本寛斎さんが加わりました。会の名称、組織体制、設立趣旨の策定とほかのデザイナーへの説明と会員勧誘、また読売コレクション関係者への説明など、私はこれまでやったことがない仕事に翻弄されました。

どうして急にデザイナー組織を作るのか。東京事情に明るくないニューヨークの人間がどうしてやるのか。前夜祭の夜一緒に会食した3人のデザイナーとの関係を疑われ「あんたは3人の犬か」という罵声も浴びました。「なんで業界紙の通信員に担当させるんだ」も「なんであんな若造に」という声も。正直言って「俺はやりたくてやってんじゃねーぞ」と言い返したくなる場面が何度もありました。



売られた喧嘩は買うタイプの私、ここで反発すると設立寸前まできたファッションデザイナー団体構想は流れてしまう、このときはグッと我慢して設立の日を迎えました。2か月後の7月8日、三宅一生さんが代表幹事、私が事務局長として運営責任者になることが設立総会で承認されました。

設立してもまだまだ矢はたくさん飛んできました。秋の第1回東京コレクション会場探し、都内の主たる大ホールは予約済で確保できず、特設テントを建てるしかありません。用地を貸してくれそうな組織にコンタクトするものの当方の借地料予算は微々たるもの、提示金額と開きがありすぎ「小僧の使いじゃあるまいし」と言われたことも。


低予算で建てた特設テント前で

メディア関係者の反発もすごかった。私が有力メディアの編集責任者クラスならまだ良かったのでしょうが、若いフリーランスゆえに陰でいろんな誹謗中傷がありました。何度もやってられないわと切れそうになりました。

デザイナーのショーをプロデュースする演出家の皆さんも私より年長者、個別に会場設計の要求を聞いたら収集付かないと思って全員会議に呼んでヒアリングしたら、「どういう思いでCFDを引き受けたのかまず説明して欲しい」。何人かには事前に説明してあったのにこの質問、「嫌になったらニューヨークに戻るつもりです」と返事したら、演出家会議は紛糾しました。

東京コレクションはCFDの自主運営、スポンサーなしが前提、社団法人でもない非営利の「みなし法人」、満足な予算はありません。大型テントや舞台美術、照明と音響関係の事業者とは慣れない値段交渉、どう電卓をたたいても提示された施工費を払えるはずありません。読売コレクションを支えた事業者は全て排除しましたが、幸いシミズ舞台工芸社と千葉県富里町のテント施工会社稲垣興業の協力を取り付け、建築申請まではどうにかこぎつけました。

次に、特設の大型テントの設置申請をする渋谷区役所建築課と保健所が難題、お役所体質なんて全く知らない私にはどのように根回しすれば良いのかノウハウもコネもありません。そこへパルコ増田通二社長が救いの手を差しのべてくれ、渋谷区役所とは密な関係があるパルコの担当者が背後で動いてくれ、どうにか300坪特設テントは代々木体育館空き地に設置できることになりました。


特設テントの仮設事務局にて

最後に一番やっかいなことはコレクションに参加するデザイナー企業のプレス担当者との日程交渉。プレス担当は教祖様のようなデザイナーの方を見て仕事します。世間一般の常識は通用せず、デザイナーの発言をそのまま返してくるメッセンジャー、私たちを困惑させました。「〇〇さんの後ろではショーしたくない」、「仏滅の日は嫌だ」、「日中のショーは気分が乗らないので夜にやりたい」、「トップバッターにしてくれないとショーをやらない」、「トリなんてやりたくない」。プレス担当から強い語調でガンガン言われ、こちらの説明はデザイナー本人には伝わらない。ショーのスケジュール調整はなかなか決められません。

やっとスケジュールがフィックスできると次は招待客リストで面倒なやり取りがありました。「〇〇さんなんて招待したくない」、時々紙面で鋭いコメントを書くマーケティング専門家や辛口ジャーナリストを排除したがるブランド側に、「いろんな声を聞くこともデザイナーにとってはプラスになると思いますが」と説得。しかしコレクション批判しない仲良しメディア関係者だけを集めたがるブランド側にはなかなか通じませんでした。

世間では某マーケティング専門家や辛口ジャーナリストと私を天敵のような関係と思い込んでる人は少なくないようですが、私自身ニューヨークコレクション取材できつい記事も書いてきましたから基本的に「取材希望者は受け入れましょうよ」というスタンス,自分は彼らの理解者のつもり(ご本人たちはそう思っていないでしょうが)でした。デザイナーの仲間うちで褒め合っているのではわざわざコレクションを開く意味がない、といまも思います。

いろんなところからいろんな矢が飛んできて途中何度もブチ切れそうになりましたが、CFD正式発足4か月後どうにか第1回東京コレクションは開幕。ショーが終わると、「開演時間が予定より遅すぎる」、「ステージの小道具が邪魔で服がよく見えないじゃないか」、「私の席が悪すぎる(先着順にご案内することを基本としていたので)」、「なんでこんな演出を許可してるんだ」と、血相変えて私に文句をおっしゃる方は少なくありませんでした。

文句あればご自分の媒体で書けばいい、これが私のスタンスですから批判の矢はやむことなく退任するまで飛んできました。


特設テント横で作業員に食事を作っていました






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Last updated  2025.07.06 17:11:36
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