売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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2025.07.27
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カテゴリ: 太田伸之


今年も7月初めに気温が高い都市のひとつと報じられ、先日は集中豪雨で街が川のように氾濫している映像が流れました。再開された NHK「ブラタモリ」では5週連続伊勢路の冒頭に伊勢神宮一ノ鳥居と名物焼き蛤のことが取り上げられ、故郷を離れて暮らす私たちには全国放送は嬉しい限りです。

江戸時代中期、伊勢神宮は全国各地にいわば営業マンを派遣、「一生に一度はお伊勢参りを」と呼びかけたとか。その効果もあって全国から伊勢神宮参拝者が増え、桑名港から伊勢神宮までの間は観光客で賑わいました。三重県と愛知県の間には揖斐川、長良川、木曽川と3つの一級河川があって旧東海道は名古屋と桑名の間に陸路はなく、お伊勢参りも参勤交代も舟で渡るしかありません。旅人はときどき悪天候で足止めを喰らい、舟が出るまで港に近い旅籠や居酒屋で一杯やったのでしょう。そこで酒の肴に供されたのが地元の蛤、「その手はくわなの焼き蛤」のフレーズが生まれました。

私の生家は桑名駅の次の益生駅が最寄駅、通った小学校は徒歩5分の市立益世小学校、40人クラスが4つ1学年160人ほどの生徒数でした。中学校は徒歩8分の市立光風中学校。でも益世小学校から桑名市中央部にあるこの中学校に進学したのはたった20人ほど、大半は益生駅の線路を渡った市立明正中学校に。益世小出身者はマイノリティー、私は全くのアウェイ感覚でした。


桑名市立益世小学校


桑名市立光風中学校

私には幼稚園からずっと仲良しの大親友がいます。カンちゃんこと葛山幹(かつらやま・かん)は小学校時代は我々より頭ひとつデカく、体型だけで言えばドラえもんの「ジャイアン」みたい。材木店経営の父上が有名俳人山口誓子と入魂、彼を含め葛山3兄弟の名前は山口さんが命名したそうです。

カンちゃんと私の家は徒歩5分のご近所でしたが、市の区分けで彼は明正中学校(マラソン瀬古利彦選手の出身校)に進学、私は大親友と離れ離れになりました。彼は明正中学で剣道部に所属しつつ遊びでサッカー練習、私は光風中学サッカー部に所属、放課後うちに来るときはサッカー話に夢中でした。

カンちゃんは四日市市にある私立海星高校に進んでサッカー部に入り、将来サッカーの先生になりたくて日本体育大学を選び、卒業後は愛知県の中学校体育の先生になって各中学のサッカー部で指導、定年までずっとサッカーの先生でした。教職退職後の現在も同年代の仲間と地元サッカーチームに所属し、東海地方の老年サッカー大会に出場しています。


最後列中央背の高い男児が葛山幹


私は桑名高校に進んでサッカー少年、高校はグランドが狭いことから部活動が認められず「サッカー同好会」だったので、練習試合で他校に勝って実力を示すべくサッカー練習に明け暮れました。最後には「桑名工業高校に負けないんだからサッカー部に格上げして欲しい」と校長先生に直談判、卒業後ようやく同好会はサッカー部に格上げされ後輩たちは公式戦に参加できるようになりました。

カンちゃんとは中学、高校、大学は別々、幼稚園と小学校のみ同窓生なんですが、いまも懇意に付き合い続け、帰省するたび毎回仲間数人と一緒に飲む、正真正銘竹馬の友です。



カンちゃん同様幼稚園、小学校時代からの仲間で桑名高校では共にサッカー少年だった中澤康哉(なかざわ・こうや)、いまもよく会食する竹馬の友です。彼はわが益世小の正門前が自宅、中学はカンちゃんと同じ明正中。高校で再会し、日本大学商学部に入学したので東京で交流が続きました。大学卒業後彼は桑名信用金庫に就職、気が付けばいつの間にか理事長に出世、しかも桑名商工会議所会頭ですから地元では名士です。

帰省するたびオフクロは言いました。信用金庫のカブで市中を走り回っている彼の姿を見かけると、「うちは二人も男の子がいながら東京に行ったまま帰ってこないので羨ましいわ」。このセリフは毎回グサッと刺さりました。遠く離れた大都会で子供がどれだけ活躍しようが子供は身近にいて欲しいんですね。我々兄弟は親不孝、その点、中澤は地元商工会議所会頭ですから親孝行です。

もう一人の学生時代の仲間が岩鶴正行(いわつる・まさゆき。彼が卒業した桑名市立城南小学校の校長先生は私の伯父(弟の希望を叶えるため名古屋の注文洋服店におやじを置いてきたことが祖父の逆鱗に触れ長男ながら跡目を継げなかった)でした。陸上競技の有力校桑名市立陽和中学時代は三重県大会ハードル優勝者。中学有望選手ながら二度とハードな練習はしたくないと高校では陸上部に入らず、私たちと一緒にサッカーをしてました。

浪人した岩鶴が1年遅れで中央大学入学するため上京、世田谷区梅が丘の広めのマンションを借りて私たちはシェアしました。が、これがいけませんでした。誰か訪ねてきたら「もう一人呼ぼうぜ」とすぐ4人で麻雀なんです。私は彼らに麻雀の手解きを受け、ひどいときは1週間7日間毎日徹夜麻雀、まるで雀荘の如きでした。

岩鶴は大学卒業後名古屋の大手繊維会社モリリンに就職、中国青島で現地駐在員も経験し、定年までずっと同じ会社でした。いまカンちゃんと一番頻繁に桑名で飲んでいるのが彼です。


桑名城の櫓の前で、右から葛山、岩鶴、私、中澤

雀荘と化した我々のマンション、ここによく呼びだした高校同級生が水貝浩(すがい・ひろし)、当時は早稲田ゼミに通う浪人生でした。一生懸命勉強して大学受験を目指す彼を、ときには下宿へ電話あるいは電報で呼び出し、勉学の妨げをしていました。後年親戚の老舗印刷所を継ぐため養子となり、長瀨浩(ながせ)となりました。

が、残念ながら今年長瀨は急逝、地元の仲間で最初にあの世に旅立ちました。高校時代細身のパンツを履きアイビーボーイだった彼は恐らく私たちの仲間で最も早くおしゃれに目覚めた少年。私はいまも長瀨印刷所で作ってもらった名刺を使用していますが、この先は彼の息子が注文を受けてくれるでしょう。来月、親の墓参りと共に仲間と一献のため帰省しますが、全員で長瀨のお墓詣りをしてから献杯となる予定です。

今年桑名高校同窓会サイトにOBインタビュー取材されました。このとき「後輩の現役高校生に何かメッセージを」と言われたので、「故郷を大切にしましょう」と申し上げました。

大学で上京、卒業後ニューヨークに移住、帰国して仕事も住まいも東京、桑名市で暮らしたのは高校卒業までの短い期間でしたが、ニューヨークから一時帰国する際も国内出張の帰り道も時間がとれるなら帰省してきました。名古屋駅から近鉄線に乗って長良川を通過すると一面田んぼの水郷地帯が現れますが、その光景を目にするたび「俺の生まれ故郷はここだ!」と叫びたくなります。ここの大地と水で育ったことを誇りに思い、生まれ故郷にたくさん仲間たちがいることに感謝しています。


揖斐川を過ぎると故郷の水郷地帯

現役の高校生、これから東へ西へ巣立っていくのでしょうが、皆さんにはずっと故郷と竹馬の友を大切にして欲しいですね。世の中わけわからない「ふるさと納税」が流行り、バカバカしいコマーシャルまで流れ、ふるさとでもない地域に納税する人は増えていますが、あんなものクソくらえ。納税するなら本当のふるさとの自治体、自分たちの心の奥底にある原風景をずっと大事にしたいですね。
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Last updated  2025.08.19 11:49:41
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