売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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2025.09.16
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カテゴリ: ファッション
業態に関わらず多くの日本企業は5年以内で海外駐在所トップを帰国させます。現地の言葉をやっと覚えたかなと思ったら日本人トップが交代、現地採用の社員からは批判の声がよく上がります。が、イトキンは日本企業では珍しく海外駐在員を長く現地に留めて継続的に仕事させています。

​​台北出張のたびお世話になっている台湾イトキン代表者の多田良二さんもそうです。確か パリもニューヨークも現地駐在トップは勤務が長く、多田さんも30年以上台湾駐在のまま。駐在年数が長く、その人柄もあって多田さんは台湾ファッション業界に溶け込み、日台ファッション流通業界交流パイプ役として奔走してきました。


両端が多田ご夫妻

また、奥様は台湾の若手デザイナーの良き相談相手、東京コレクションに台湾から参加するセイヴソンらのサポートをなさっています。伊勢丹新宿でのポップアップも東京の展示会でも多田夫人のサポートがなければうまく回らなかったでしょう。


​故・熊谷登喜夫さん


靴のデザインでも存在感あったTOKIO


多田良二さんは大学卒業後当時イトキンが傘下におさめていたパリ在住デザイナー熊谷登喜夫さんに憧れイトキンに入社しました。しかし、1987年登喜夫さんは毎日ファッション大賞を受賞したのち急逝、多田さんは海外駐在の道を選びました。トキオクマガイはブランドとしてまだ存続していたので、多田さんはパリ駐在するものと思っていましたが、会社の辞令はどういうわけか台湾駐在でした。しかしもう駐在30年余、いまでは現地業界の顔役です。

登喜夫さんが亡くなったあと、イトキンは当時アシスタントデザイナーだった永澤陽一さんと松島正樹さんにそれぞれブランドを任せてトキオ事業を継続しました。指揮していたのはマネージャーの故・馬場浩さん(イントゥリーグの馬場和子デザイナーのご主人)でした。当時CFDを預かる私は、登喜夫さんのあとについて馬場さんとは何度も話し合いました。



その後永澤陽一さんがCFDオフィスを訪問、トキオから独立して自分自身のブランドを作ると告げられました。私はデビューするなら規模は小さくても良い、形態はファッションショーでなくても良い、メディア向けにプレゼンしてみてはと勧めました。そして田園都市線沿線のそう広くない美容室を借り、観客席25席程度、モデルはたった4人、素材は運動靴に使われるゴムのようなものでミニショーを開催したのです。

数日後たまたまバーニーズジャパン田代俊明社長(のちのグッチジャパン社長)らと会食したとき、野本洋子バイヤー(のちに伊勢丹研究所ディレクター)に「永澤陽一のデビューコレクション、規模は小さかったけど非常に面白かった。展示会に行ってみて」と話しました。

その数日後野本バイヤーとすれ違ったとき、彼女は興奮気味に「ナガサワ、良かったから全品番発注してきたよ」。永澤さんは運よくデビューコレクションからバーニーズジャパンで店頭展開されたのです。

デビューの翌年、永澤陽一さんは毎日ファッション大賞新人賞受賞に決定。これまで授賞式で新人賞受賞デザイナーは小さなプレゼンするのが恒例でしたが、デビューしてまだ間のない新人ゆえデビューサンプルは全部売却、手元には1点も残っていません。そこで毎日新聞社が支援して再度サンプル制作、どうにか授賞式に間に合わせました。

デビューで小さなプレゼン発表を勧め、バーニーズに助言したこともあってか、永澤さんはCFD議長を退任したあとも律儀に年末挨拶のためオフィスに来てくれました。CFD時代たくさんの若手デザイナーを陰で支えましたが、私が百貨店に移籍後わざわざ銀座のオフィスに年末挨拶に来てくれたのは永澤さんだけでしたね。









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Last updated  2025.09.16 17:12:16
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