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October 12, 2005
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カテゴリ: 日常生活
昨晩は、珍しく早く帰ってきて、気が抜けてしまったせいか、つい、寝込んでしまいました。

昨日の「予告編」どおり、今日は「日本銘菓事典」についてお話します。

この本には、全国各地の和菓子や洋菓子が1000点以上も掲載されています。今日も帰ってきてから、読んでいたのですが、名前の知っているお菓子がいくつも出てくる一方で、初耳の名前も多く、本当に買って得をした気分になりました。

私の好きな東京のお菓子で本に載っていたのは、「泉屋」のクッキー、「満願堂」の「芋きん」(芋きんつば)、「うさぎや」のどら焼き、新宿の「追分だんご」と「花園万頭」、「塩瀬総本家」の「志ほせ饅頭」、「大坂屋」の「秋色最中」、「虎屋」の「夜の梅」(羊羹)でした。

実家のある神奈川のお菓子では、小田原の「ういろう」と「甘露梅」、鎌倉の「権五郎力餅」、横浜・有明製菓の「ハーバー」、藤沢・豊島屋の「松露羊羹」が載っていました。

これらのうち、最も思い出があるのは、「泉屋」のクッキー、「大坂屋」の「秋色最中」、そして、有明製菓の「ハーバー」です。

「泉屋」のクッキーは、私が幼児の頃、実家と取引のあった大手銀行の外回りのおじさんが、よく私のために持ってきてくれたものです。

私は、そのおじさんのことを「クッキーのおじさん」と称していました。当時は、まだ金利規制があって、どこの銀行でも預金金利はすべて同一に規制されていた時代だったので、顧客は別にどこの銀行に預金しても同じだったわけです。そんな中、実家の近所に新しく別の銀行の支店ができたとき、私の両親は新しい銀行に預金を預け替えようとしたのですが、それを聞いた私が、「クッキーが来なくなる!」と泣いて反対したため、親も預金預け替えを断念しました。

「クッキーのおじさん」は、子供をしっかりと手なずけた効果があって、預金確保に成功したのでした。



やがて、私も小学生になり、バスを2本乗り継いで通学していたのですが、その中継点となる某駅の駅前に、有明製菓の支店があり、「ハーバー」を売っていました。午後、ちょうど、おなかのすく時間に学校から帰る途中、乗り継ぎ先のバスを待つ間、綺麗なお姉さんが売っている「ハーバー」を食べたくて仕方がありませんでした。。。

小学生の私は、大人から「何か食べたいものはあるか?」と聞かれるたびに、「有明のハーバー」と答えていました。

最近、「ハーバー」の名前の由来を知ったのですが、初代社長がハワイのパールハーバーに行ったとき、平和の願いを込めて、この菓子を作ることを思い立った、というものらしいです。

有明製菓は1999年に倒産し、しばらく「ハーバー」も食べられなくなっていたのですが、旧社員の方々が会社を再建し、また販売されるようになりました。

そして、中学生になった私は、今度は電車通学で、東京まで通うことになりました。学校への道の途中に大坂屋という菓子舗があり、そこで売っていたのが「秋色最中」です。

学校が始まる時間には、まだお店は閉まっていますが、午後、下校時刻になると、お店は開いていて、和服を着た女性や、品の良いおばあちゃまが、お使い物にするのでしょうか、よく来店されていました。

その後、高校は同じ系列の横浜の学校に進み、そこには大学の校舎もあったので、大学2年生まで通学し、大学3年生になって、再び中学の隣の校舎に戻ってきました。

結局、大坂屋で「秋色最中」を買ったのは、就職が決まり、母校の中学校の恩師に報告に行くときの、たった1回だけでした。母校では、私が、自分の就職が決まったので、「しゅうしょく最中」を手土産に持ってきたのではないかと思ったようですが、正しい呼び名は、「しゅうしき最中」です。

この店の開祖の娘が俳人の宝井箕角の弟子になり、「秋色女」(しゅうしきじょ)という俳号を用いたので、それに因んだものなのです。

社会人になった直後は、赤坂の虎屋によく羊羹を買いに行っていました。羊羹「夜の梅」を買い、店内の喫茶室でお茶を頂きながら、お菓子を食べるのが好きでした。

こうして買った羊羹は、実家への手土産になり、実家では、まず仏壇にお供えされてから、家族の口に入っていました。



毎年、初雪が降ると、必ず、母親は、小さなガラスの器に、雪を少し盛って、仏壇に供えていました。

子供の頃は、それが不思議でならず、よく理由を尋ねたのですが、母親は、ただ「昔からそうしてきたから」とだけ答えていました。

その後、祖母が亡くなる数日前、ちょうど真冬、病院の窓から外を見ていた私は、雪がちらつくのを眺めていました。

祖母は長く入院していましたが、べつに深刻に悪いわけではなく、いろいろと煩わしい親類の家にいるよりも、病院で仲良しのお年寄りたちと過ごす生活が好きでした。

ちらほら、と降る雪をみながら、私は祖母に、仏壇への初雪のお供えについて尋ねてみました。母親がちゃんと答えてくれないこともあわせて。



「昔、ずっと昔、うちのご先祖さんが、真夏に熱病で亡くなったんだよ。熱い、熱い、と、うわごとを言い続けてねぇ。残された家族は、もし今が冬だったら、雪を食べさせてあげられたのに、と言って、たいそう悲しんだのさ。それでね、せめてもの供養にと、初雪が降ったら、お仏壇にお供えしているんだよ。あんたのお母さんは、そういう迷信みたいなことは嫌いなひとだけど、その話が気に入ったんだろうねぇ、私がその話をしてから、毎年、言われなくても、初雪をお供えするようになったんだよ。そうかい、今も続けているんだね、感心感心・・・」

私と同じで、霊や魂など信じない母親は、その信条と矛盾するような「初雪のお供え」について、私に説明したくなかったのでしょうね。

その数日後、祖母は急に脳溢血で亡くなりました。

あのとき、祖母に尋ねなかったら、私がこの話を知ることはなかったでしょう。

昨年、実家に帰っていたとき、初雪が降りました。

そのときも、私は「初雪のお供え」について、母親に尋ねてみましたが、「理由は忘れてしまったねぇ」と言って、はぐらかされてしまいました。

私が一本気なのは、こういう母親の血を受け継いでいるからでしょうか。





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最終更新日  October 14, 2005 02:12:59 AM
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