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関西にお住まいの方は、関西空港へ行かれるときはどの交通機関を使われていますか? また、関西以外にお住まいの方はいかがですか? 大阪の中心部からムッチャ遠い場所に位置している関西空港、先日は神戸空港も開港して関西は伊丹もあわせて半径25km以内に3つの空港があるというよくわからない状況になっています。 ホンマ、どうなっとんねん! という話題ではなくて、今日は先日の関西空港への出張の際(飛行機に搭乗したのではなく関西空港へお仕事)に利用した交通機関のお話です。2回シリーズでお届けします。今日は関西空港への往路編です。 さて、関西空港へ行くには鉄道ではJRと南海があって、それぞれ快速(南海は急行)とあわせて特急も運転されています。また、リムジンバスも大阪市内や京都、神戸等々から運行されていますので、種類的には5種類の交通機関があることになります。京都や滋賀方面からだとJRの特急「はるか」が便利(お金に糸目をつけず、乗り換えをしたくないとして)だし、神戸方面からだと鉄道よりも乗り換えの無いリムジンバスが便利です。大阪府内からだとどこから乗るかによってJR、南海どちらにも分があります。 では、私はどの交通機関を利用しているかというと、JR沿線に住んでいるのですが南海を利用しています。理由は次のとおりです。 1.料金が安い 2.列車の遅れが少ない 3.着席できる可能性が高い 1.についてはJR不利ですね。料金値上げをせずにがんばっているのですが、やはり南海の方が安いです。運賃(普通乗車券)は南海が890円に対してJRは1030円と140円安いのですから。それに加えて、南海の特急「ラピート」の存在も見逃せません。運賃に特急料金500円を足せば、ゆったりとしたシートで関西空港へ行くことができます。 2.についてはJRの場合、列車ダイヤが過密な大阪環状線や私の実家のあるJR阪和線を通る関係でどうしても遅れ気味になりますので、急ぐときはとても気になります。 3.についてはJRの快速(正確には関空快速)と南海の急行(正確には空港急行)を比べてみると関空快速は5両編成、空港急行は6両編成(又は8両)であることから、これだけみても南海の方が着席できる可能性が高いことはおわかりいただけるかと思います。しかも、JRの場合は夕方以降は3両編成になってしまいます。 以上の理由から、私は往路は南海を使っています。復路も南海を使うこともありますね。 前置きが長くなりましたが、今回は南海の特急「ラピート」で関西空港へ行ってきました。ところで、私はこれまでも仕事で何度か関西空港を利用していますが、「ラピート」に乗車するのは初めてなんです。いつもは空港急行(”くうこうきゅうこう”って言いにくいね)なんですが、今日は時間的余裕がなかったこともあって利用しました。 「ラピート」の車両は、大きな楕円形の窓と鉄人28号のようなフロント形状が特徴で、色も濃い紫色という「一度見たら忘れられない」というか、「イメージデザインのままつくりました」というような感じです。車内の方は外観とは打って変わって落ち着いた感じで、前のシートとの間隔はとても広くて、私のような短足とっては「空間が広すぎて寂しい」くらいです。スーツケースが置けるようなスペースがあったり、飛行機の座席の上にあるような荷物入れ(ハットラック)もあっていい雰囲気でした。 新今宮から乗車しましたが、36分で関西空港へ到着しました。同じように乗車していた方たちはスーツケースや大きな荷物を持っていたので、海外旅行か国内旅行へ行かれるのでしょうね。こっちは関西空港近くで仕事でしたが、いい天気だったし仕事なんかやめて飛行機に乗ってどっかへ行きたかったですよー
2006年02月28日
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先日、サンバーの車検を通しました。94年式ですからもう12年目に突入なのですが、まだ8400kmを超えたところです。去年の今くらいに我が家へやってきましたがその時点ではわずか3300km。たった一年間で11年分以上の走行をしました。 故障らしい故障もせず、タイヤを新品にしただけでの車検となりましたが、気になるところはいくつかありました。 1.左側のヘッドライトのライトベゼルの留め金がはずれてしまって、ぐらぐら。 2.運転席ドアのへこみ(他車のドアがあたった?) 3.給油口付近の汚れ(こびりついていて少々では落ちない) 4.リアの窓周辺のサビ(浮き上がりぎみ) 5.バッテリー、大丈夫? 結構多いかも。 でも、おかげさまで4.を除いて解決しました。4.はとりあえずそのまま放置します。ひどくなったら考えます。お金かかるからね。 車検はこの車を買ったモータースさんにお願いしました。今までずっと面倒見てきているから、よくわかっているからね。室内もきれいに掃除してもらって、外観もきれいにWAXがけもしてもらってきれいになりました。 ところで、代車としてダイハツのミラを借りたのです。私はたばこを吸わないので「たばこ臭くない車」をお願いしてそれに近い車だったのですが、妻にとっては「芳香剤っぽい臭いが嫌だ」、子どもたちは「ぺったんこの車は嫌だ」とすこぶる評判が悪かったです。私は気にならなかったけどね。 まぁ確かに、デリカSWもサンバーも車高は普通の車よりも高いからね。ミラは低いわなー これだったら、次の車検の時は軽トラでも借りるかな。 サンバーが車検から戻ってきて子どもたちと一緒に買い物に行きましたが、「やっぱりこの車がいいよ」って言っていました。
2006年02月27日
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ほな、自分の息子の「カツノリ」はええんかい! 言ってることとやってること、ちがうやん! よぉわからんで、このオッサンのいうことは・・・。
2006年02月26日
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刑事ドラマ好きな私が「凶悪犯じゃないけど頭のキレる悪役」と思っているのが、この人、西田健さんなんです。2月25日付けのZAKZAKに特集記事が紹介されていたのですが、その写真をみてびっくり!西田健がハゲてる! はっきりいってショックでした。悪役といってもまずまずの二枚目で、「帰ってきたウルトラマン」では渋い役割をこなしていただけに、「マジっすか?」って感じでした。 西田健さんも70年代から80年代にかけての刑事ドラマでは以前紹介した八名信夫さん同様、『なくてはならない悪役』として「太陽にほえろ!」「特捜最前線」「西部警察」などで『頭のキレる悪役』としてレギュラー陣と相対していました。 特に、陰湿なジメジメとした役では天才的な役作りをされておられて、ホントにこんなヤツいたら絶対に許すか! と思えるような感じでした。 その後90年代に入ると、刑事ドラマでも『捜査本部長』とか偉い人の役割もこなすようになってきたのですが、個人的にはちょっと違うかなって思っていました。 特に、故いかりや長介さんのはまり役の一つであった「取調室」の本部長役をされていたとき、その本部長がムッチャ怪しく感じたのは私だけだったのでしょうか。(だって、そのときの周りの配役も他のドラマで怪しい役をされていた人もいたので) いい役も悪い役もこなされていた西田健さんも、もう61歳になられていて頭の方もすっかりとハゲてしまっています。かつての陰湿なジメジメとした頭のキレる悪役は厳しいかもしれないけど、その風貌を生かした別の役に期待したいです。 でも、またあの天才的な悪役、みて見たいなー
2006年02月26日
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JR西日本の京阪神部分のいわゆる「アーバンネットワーク」では、数年前からICカードを利用した「ICOCA(イコカ)」と呼ばれるカードも使えるようになっています。従来の磁気化券のようにパスケースから出して改札機に通さなくても改札機に「ピピッ!」って触れるだけで改札機を通過できるというものです。 私も以前持っていたのですが、たまたま初期ロット不良だったのか、『14回改札機を通して通過できたのはたったの2回』という散々たる結果だったので、従来の磁気化券に戻しました。 今年になってJR西日本が「J-WESTカード」というクレジットカードとともに、「SMART ICOCA」と呼ばれる新しいタイプのICOCAを登場させました。 今までのICOCAはカードに料金をチャージさせる(カードにお金を入れておく)ためには、チャージ機と呼ばれる機械に現金で入金していたのです。 「SMART ICOCA」は現金で入金しなくても専用のチャージ機に「SMART ICOCA」を差し込めばクレジットカードの方から引き落としされます。つまりは「キャッシュレス」ですね。 しかもうれしいことに、今月からは関西の私鉄の一部(阪急、京阪、大阪市交通局、北大阪急行、阪神)がICOCAと類似のシステムの「PiTaPa」と相互で利用できるようになりました。これは出張の多い私にとっては一枚のカードでJRも私鉄も乗ることが出来るので、これは便利と判断して一度は見切ったICOCAに戻すことにしました。ちょうど、私が理想と考えていたシステムに近いのでね。 まだ関西の私鉄では使える会社線は少ないのですが、いずれはほとんど全ての会社線で使えるようになるでしょうね。なんといっても、関西のほとんどの私鉄は「スルットかんさいネットワーク」によって、一枚のプリペイドカードでネットワーク内の会社線を利用することができるんですから。 また、ICOCAはJR東日本管内(東京、仙台、新潟)でも使えるので、東京へ出張へ行っても使えるのがうれしいですね。 ただね、申し込んだのが先月の末頃。カードが来たのが昨日なんですよ。時間かかりすぎ・・・。 しかも、クレジットカードとSMART ICOCAが別々に郵送されてきたんですよ。いっぺんに一つの封筒で入ってくると思ったし、不在者通知が二枚も入っているのに気がつかなかったために二回も郵便局へ行くはめになってしまいました。 その他にも、列車予約に使うための別途サービスの手続きもインターネットでしなければならないし、とっても面倒というか大変でした。 そんなこんなでばたばたしましたが、手続きもできたので後は「改札機を問題なく通過できること」でしょうか。 ちなみに、今回のSMART ICOCAを申し込んだので、粗品なのか写真のマグネットシートが同封されていました。子どもは「私はこっち」「僕はこっち」って指差していました。 まだあげないよ!
2006年02月25日
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先日出張で行った姫路市内のある駅からタクシーに乗るべく乗り場へいきました。普通、タクシーには運転手だけが乗務しているのですが、一番前に停まっていたタクシーの助手席にはもう一人座っていました。時々地方の駅のタクシーなんかで、よく運転手同士が客待ちの待ち時間にタクシーの中で雑談している光景を見かけますが、それなのかなって思ってしばらく乗車を見合わせていました。すると、助手席にいた人が運転手になにやら指示をしてドアを開けてくれました。「すみません。新しい運転手の実地研修を行っていますので、ご協力をお願いします」とのこと。すなわち、運転席に座っている運転手はまだ採用されたばかりの運転手で、助手席に座っている人はその人を指導する立場の「指導員」だったんですね。その指導員の方の話しでは、運輸局からの指導で新しい運転手は10日間の実地研修が義務付けられている(同一地域内で別のタクシー会社へ移籍した場合には短縮される例外もあるらしい)とのことで、その運転手は他の業種からの転職者なのか少し緊張していました。ちょうど、その駅の周辺は狭い道で見通しも悪いために、指導員の方が「この先の交差点は歩行者や自転車がでてくるから必ず一旦停止」など細かく指導されておられました。 広い道へでてから指導員の方と話しをすると、タクシー業界は以前のような同一地域同一料金の原則が規制緩和によって崩れたので競争が激しく、昔ならタクシー会社がお客さんを選んでいた(長距離客を優遇し、短距離客は敬遠)していたけど、今はお客さんがタクシーの行灯(タクシーの屋根に上がっているタクシー会社の名称の入った表示)を見て選ばれるケースが多いので、運転手に対して「タクシーとはサービス業である」ことを認識させることが重要な課題であると話してくれました。 また、このような新しい運転手に対する実地研修は当局からの指導にも拘わらず、他社は適当に済ませているケースが姫路では多いらしく、お客さんとのトラブルも多いのでそのような風評被害じゃないけど迷惑を被っているとのことでした。 今回乗車した運転手もしばらくしたら駅付けなどでお客さんを乗せて走るのでしょうけど、厳しいタクシー業界の中ですががんばってほしいなぁと思いました。
2006年02月24日
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昨日から兵庫県相生市と兵庫県姫路市へ出張してきました。遊びに行くんだったらおもしろいけど、仕事は辛いです。 そんなしんどい中でも、楽しみは「食べること」。今回の出張の中で食べた食事の中で写真を撮ることができたものを紹介します。 JR山陽本線姫路駅。大阪・神戸方面からの新快速や快速の多くはここ姫路を終点としている列車が多い(正確には姫路の2つ向こうで車庫のある網干行きが多い)ので、必然的に姫路から先の相生や岡山方面、播州赤穂方面へ行くにはここで乗換えとなります。 このJR姫路駅構内には駅そばがありまして、乗り換えの時間を利用して食べられる方が多くおられます。この駅そばがこの写真です。 写真のそばは「てんぷらそば」なんですがよくみてください。写真の映りとてんぷらが邪魔して麺がよくみえないかもしれませんが、麺の色がよくご存知の黒っぽい麺ではなく、中華そば(ラーメン)のような「黄色」をしています。これは、戦後すぐの冷蔵庫の無い時代に開発された際に、麺の保存性を高めるためにかん水が用いられたから(Wikipediaから引用)こんな色になっているとのことです。汁は関西風の薄い色ではなくやや濃い目ですが、例えば関東のような黒っぽい色ではありません。 このようなちょっと風変わりなそばは、姫路駅以外にも新潟県の直江津駅や燕三条駅にもあるそう(Wikipediaから引用)ですので、ひょっとしたらご存知かもしれませんね。 ところで、麺の色もさることながら「うどんの汁」で食べる「中華そば(ラーメン)」は違和感大なんですよ。どうも「黄色=中華そば」の食のイメージが強すぎてね。 この駅そばで思い出したのが、高校の時の学食のてんぷらそばです。あれも駅そばと全く同じだったなーってね。でも、生徒からの人気は今一つだったし、生徒からの要望もあって「和そば」といわれる黒いそばに変わってしまいました。 私も「和そば」支持派だったので変わったのはうれしかったけど、就職して2年目の1987年だったと思うのですが、姫路駅で風変わりなそばに再開した時はなぜか懐かしく感じました。 そんなことを思い出しながら、このそばを食べていました。やはり独特の味でした。聞くところによると、この姫路駅の駅そばは鉄道ファンのみならず愛好家がおられるとか。 もし、姫路へ行く機会があれば、ちょっと風変わりな駅そばを食べてみてください。「あぁ、こんな食べ物もあるんだなぁ」って思っていても、なぜかまた食べてみたくなるような不思議な味ですよ。
2006年02月23日
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いつも「あけやんの徒然日記」をご覧いただきまして、ありがとうございます。 今日は出張のために今夜の更新は行わない予定です。 明日がんばって更新いたします。 以上よろしくお願いします。
2006年02月22日
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今日は上の子どもの学習発表会がありました。平日だったのですけど、仕事を休んで行ってきました。 2年生全員で「頭にかきの木」を群読(各パートを一人又は二人で読んだり全員で読んだり。全て暗記でですよ)や合唱や合奏をしていました。それらの進行も2年生の生徒の代表がやっていたのですが、一番最後に生徒代表であいさつをするのは上の子どもでした。じゃんけんで勝ってすることになったそうで、一週間位前から練習していました。 あいさつの前の合唱は今一つ元気がなかったのは、このあいさつをしなければならなかったみたいでした。 センターに立って、『今日は 私たちの 学習発表会に・・・』ってよどみなくあいさつしていました。昨日まで練習していたときに気になったのが少し早口だったのですが、今日はちゃんとできていました。 ちなみに、私も小学2年生の時に2回ほど似たような経験があるんです。1回目は当時の担任の先生が急死した時の生徒代表として弔辞を読んだのと、2回目は地元の堺市民会館で2年生代表として「○○の誓い」だったかなー、そういうのを読んだことがあります。2回目は市民会館へ行っていきなりご指名でした・・・。 妻も同じような経験をしたことがあるということでした。つまり、親子そろってそういう大役を仰せつかったってわけです。 上の子どももいい経験ができたので、この先もこの調子でいろんなことにチャレンジしてほしいです。あれだけがんばってできたんだし、この経験が必ず生きるはずですから。
2006年02月21日
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ここ二週間ほど左の肩甲骨周辺が痛いのです。特に重い物を持ったわけではなく、別に変な寝方をしたわけではないのに・・・。 昨日、仕事の帰りに職場近くの鍼灸院でみてもらいました。なぜかとっても凝っていたそうです。キーボードを打ったりするときに姿勢が悪い場合にそのようなことを起こすみたいですけど、今までそれでやってたんだけどなぁー 慢性的な疲労なのか。 普段から肩こりしない人なので、こういう痛みは辛いです。痛み止めでも飲まないといけないかな・・・
2006年02月21日
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先日のブログで私のメガネを更新したことを紹介しました。更新して2週間が経過しましたが、この間にメガネを更新したことに気がついてくれたのはわずか3人・・・。自分の親でさえ気がついてくれなかったし・・・、なぜだ? さて、私のメガネには枠のところに「MADE IN SABAE」と書かれています。SABAEとは福井県鯖江市のことで、ここは国内のメガネ枠の約90%、世界の約20%を生産する産地なんです。1905年に寒村地帯の冬場の安定収入の道を開くために始まったメガネづくりは100年の歴史を誇っているそうです。(鯖江市のHPから引用) 最近では、他の産業と同じく海外生産の安いメガネ枠が輸入されてきて、中小零細企業が生産する同市のメガネ枠は厳しい環境にさらされています。 そのような状況ですが、品質・デザイン力の向上、新素材加工技術の開発等を通じて世界にメガネづくりをアピールする「MADE IN SABAE」というマークはPR度としては高いのではないでしょうか。 ところで、数年前に在籍した部署の仕事で鯖江市には何度も出張で行っているので、鯖江市には愛着もあります。今までかけていたメガネも前出のとおり国内シェアが約90%ですから、鯖江市で生産されたものかもしれませんね。 鯖江のことで思い出したのですが、当時出張で行っていた仕事での会議に出席されていたおじいさんのことです。市役所から委嘱された委員さんで当時御年73歳。定年前に始めたマラソンにはまって、フルマラソン完走8回を達成したって、雑談の中で話してくれました。肌つやもよくてとても73歳には見えませんでした。 会議での意見もしっかりと発言されるし、あんな感じに年をとれたらいいなぁって思えるようなすてきな方でした。
2006年02月20日
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今日は草野球チームガゼルスの今年のオープニングゲームでした。場所は西淀公園で、阪神姫島駅に近い球場でした。 人数は9人ギリギリで2人が少し遅れるとのことでしたが、9人ギリギリのうちの1人がインフルエンザで急遽欠席となってしまい、遅れると事前に連絡を受けていた2人を待っての試合開始となりました。でも、あと数分遅かったら不戦負け(定刻に人数が集まっていないから)になるところでした。 そんなこともあって今日もキャッチャーでした。試合相手はリーグでも強豪チーム、本当はこういうチームと対戦するときは私がキャッチャーでないほうがいいんだけどね。 試合の方は序盤から相手打線に打たれる苦しい展開。エースのH12さんの調子はまずまずなんだけど、やはり相手打線がよく打っているんですね。うまく落ちる球でひっかけさせてアウトカウントをかせぐんだけど、2アウトから打たれたりしていました。 味方打線は相手チームの堅い守備に阻まれてランナーは出るのにゲッツーくらったり・・・。 私の打つほうは三振とサードエラーでの出塁。2打数0安打でした。 結局14-0で負けました。ここまで打たれて負けたら仕方ないですね・・・。 ちなみに、以前怪我した左足ふくらはぎの肉離れしたところが痛くて、いつ再発するか冷や冷やでした・・・。
2006年02月19日
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今日は下の子どもが通う保育所の参観日でした。下の子ども、いつもは元気だそうですが、今日は緊張していたのかテンション低っ! みんな大きな声で返事をしたり、歌を歌ったりしているのに・・・。ホントにもう。 でも、後半のゲームではちょっとだけ元気になっていました。ゲームとは、お遊戯室の半分をついたてで仕切って、風船を投げ合うというものでした。面白かったのですが、けっこうハードでした。下の子どもはついたてのすぐ近くでバレーボールのように「ブロック!」していました。無駄な動きがないというか、いいポジションをとっていました。 ゲームは全部で三回したのですが、一回目は園児で、二回目は保護者で、三回目は園児と保護者で、という感じでした。二回目と三回目の保護者が参加するものには参加しました。どうもムキになってしまいますね。風船が目の前にくれば、どんどん向こう側へ放り投げる。三回目の時は後方支援で子どもたちにどんどん風船を供給していました。 ところで、子どもたちの動きを見ているとおもしろいですね。一個ずつ捕りに行く子ども、二個ずつ撮りに行く子ども、手に持てるだけ捕りに行ってぶちまけている子どもなど様々でおもしろかったです。 4歳児のクラスにおける大きな行事はあとは卒園式までありませんけど、病気などをせずにがんばってほしいです。 ところで、今日の参観行事が終わってから下の子どもと仲よしのお友だちとずっと遊んでいました。そんなに元気なんだったら、最初からテンションあげてよね。
2006年02月18日
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昨日から本日にかけて、東京の本社から3名がやってきまして会議がありました。そして、昨日の夜は懇親会となりまして、私の好きなちゃんこ屋さんへ行きました。(そのちゃんこ屋の話しはまたの機会に書きます) そこであった「関西人にとっては普通の会話が、それ以外の方たちにはとても新鮮に感じる」ことがありました。 ちゃんこを食べながら、仕事の話しやその他の話しで盛り上がっていたときに、飲み物の追加を頼まれました。焼酎のお湯割(梅干入り)が飲みたいということだったのでそれを注文した時のことです。店員「焼酎は何か入れられますか?」私 「梅干がほしいって言ってるねんけど・・・。」店員「梅干は別料金になります」 この日は飲み放題プランだったので、焼酎に入れる梅干もついているものと思っていたら違ったんですね。私 「そんな寂しいこと言わんと、(無料で)つけとこうや!」店員「はい、わかりました。それじゃ、伝票につけときます」私 「おいおい、伝票につけてどないすんねんな。それじゃお金かかるやん。サービスでつけとこうって。」店員「・・・それじゃ、人数分だけということで。」私 「ありがとう!」 こういうやりとりをしていたら、東京からの3名は大ウケでした。「いやぁ、まさに『言葉のキャッチボール』だよね。東京じゃ絶対このようにはならないから。無理です、だめです、で終わっちゃうからね。会話が途切れちゃうもの。さすが関西はいいね」と感心されておられました。 他の地方ではあまりこんなこと、しないのかな? 東京は人が多すぎて余裕がないのかもしれませんね。 前にもこんなことがありましたよ。 東京に出張で行った時に、ビアホールに入りました。カウンターの席に座ってビールを注文すると、ビールが注がれる蛇口の調子が悪いのか、タンクにビールが少なかったのかわかりませんけど、ほとんど泡ばかりのビールがグラスに注がれてしまいました。それをみていた先輩職員が、「それ、どうするの?」って聞くと、すぐさま「捨てます」って答えるや否や捨てていました。もったいない! 同じことが大阪でもありました。そのときも「どうするの? 捨てるの?」って聞いたら、その店員さん、「はい、でも飲みます?」って言ってくれたんです。先輩職員は、「飲むでー、こいつが!」って私を指差しています。私は「おいおい、俺かよ」っていいながら飲み干しました。 こういうのって、狭い狭い日本の中なのに「文化の違い」っていうのがあるのかもしれませんね。そういうことを感じた昨日の懇親会でした。
2006年02月17日
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昨年の10月7日、草野球チームガゼルスの構成メンバーのS18さんとA2さんのチーム(便宜上Sチーム)と私の職場チーム(便宜上Kチーム)の大阪ドームでの試合について、SチームがDVDに編集していまして、先日いただきました。そして、やっとゆっくりとみることが出来ました。 試合の内容はお寒い内容で、10-3で負けました。でも、その中で学ばなければならないことがたくさんあるはずです。私の場合は、いきなり守備でエラーしたのが痛かったんですよね。出鼻でエラーしているようじゃいけません。あとはエラーせずに、ぼてぼてのゴロも出足よく前進してキャッチ、一塁への送球はひじが下がっているけど、アウトにしているからいいかな。(ひじがあんなにさがっているとは思わなかった。その前のゴロをさばいてホームへ送球してアウトにしたのもひじがさがっていた・・・。) ホント、プロ野球の試合を自宅のテレビで見ているようでかっこよかったですよ、みんな。これでもう少しいい試合だったらよかったんだけどね。 当日の参加者には回覧するので、きちんと反省してもらいます。 ここでどんな感じだったか、読み込んで紹介してもいいんだけど、あまりにもお寒いので勘弁してください。 もっと修行してきます・・・。
2006年02月16日
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今日、出張で兵庫県明石市内へ行きました。予定より早く終わったので、三宮駅前にある「三宮センタープラザ献血ルーム」へ49回目の献血へ行ってきました。 ずっとここ4回ほど大阪府内の献血ルームへ行っていましたが、去年の10月に京都駅前の献血ルームへ行って以来、久しぶりに大阪以外の献血ルームへ行ってみました。大阪以外の献血ルームの中ではこの三宮センタープラザの献血ルームがお気に入りなんです。 まず、待合室も広いし、雑誌も豊富においてあるし。(女性向けの雑誌も多い)それから、採血のベットのテレビも各ベットごとについていて、スピーカーはそのベットから聞こえてくるし。(新しい献血ルームはこのシステムのところが多いが、ここは以前からそうだった) 三宮という繁華街の中にある献血ルームなので大勢の方が献血に来ていましたが、それに十分対応できるだけのスタッフもおられますので、普通の待ち時間ですみました。 今回は血漿の献血でした。ずっと血小板だったのですけどね。どちらにしても、針が刺さるのはムッチャ痛いです・・・。血漿の方が血小板よりも時間はやや短いようですが、それでも約50分間針が刺さっていました。 さて、献血が終わっていただいたものがこの写真のハンカチです。キティちゃんのハンカチで、非売品だそうです。献血に協力した人だけがもらえるんですね。大阪府内の場合は焼き菓子やキャンディー、歯磨きセットの3点からのチョイスですが、兵庫県はこのハンカチなんでしょうか。 キティラーの方は既に持っておられるでしょうね。以前、大阪の献血センターへ行ったときには、同じデザインのシャーペンをもらいました。 さあ、次は50回目。3月1日以降に献血可能となりますので、どこでしようかな・・・。
2006年02月15日
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ひと~つ、副大臣でもないのに名刺に「副大臣」って書いている片山さつき。 「副大臣」? はぁ? まぁ、「副大臣と同じくらいの仕事をしている」ってことかもしれないし、「議会事務局員と誤解される」「政治主導をアピールしたい」(夕刊フジから引用)ていうこともあるのかもしれない。 でもなぁ、経産省には西野あきら氏、松あきら氏という副大臣がいるんだろ? その人たちには迷惑かけて悪いって思わないのか、このやろ~! ちょっとお笑いの魔邪風にやってみました。 名刺で遊んでいるなら別にかまわないけど、間違えて善意の第三者に配ってしまったらどうするの?(っていうか、名刺で遊ぶな!仕事しろ!!) それとも、副大臣の二人は「副大臣の仕事していない!」ということ? しかも、「麻生太郎外相や二階俊博経産相は了承している」(夕刊フジからの引用)っていうことでしょ。 同じ与党の議員で、しかも一年生議員がこんなくだらんことやっていて、しかも副大臣の二人に対して失礼だ!ってコメントするならわかるけど、「了承して」どうするねん、副大臣の二人に対しては失礼じゃないんか? まぁ、政務官と副大臣の業務の線引きがよくわからないけど、それぞれの役職を置いているということは、明確な線引きにしているんでしょ。線引きないなら、副大臣だけ残して政務官なんか廃止したらええねん。無駄なんだから。 ホンマにこのオバハンも、ネタにかかさない人やで。
2006年02月15日
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今日のバレンタインの状況についてです。 私は妻からと同じ部署の女性が全員の男性職員に配っている生チョコをいただきました。 妻からのは昼のお弁当袋の中に入っていました。こういうのってうれしいです。 一番びっくりしたのは、下の子どもが近所の同じ保育所に通う女の子にもらったことです。「○○くん すき R子」っていうメッセージ付きで。 おいおい、パパなんか女の子からもらったことないぞ、保育所や小・中・高校と。 でもすごいな、モテモテやんかーって思いました。 写真はそのもらったチョコレートです。そのR子ちゃんのお姉ちゃん(私の上の子どもと同級生)からのものも合わせてだそうで、ムッチャモテモテです。私が言うのもなんですが、すごいです! ちなみに、上の子どもは誰にも渡さなかったそうです。 じゃあ、パパにくれよ!
2006年02月14日
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今日はバレンタインデーでしたがどうでしたか? 思っている人へ渡せましたか? あるいは思っている人からもらえましたか? まぁ、日本だけが盛り上がっているようなバレンタインデーですけど、私なんか学校へ行っていたときは「この日が休みだったらいいのに!」って思うくらいもらえませんでした。もらえるとも思っていなかった、という方が正確かな。だから、この日の部活は「気合い入りまくり!」でした。 そんな学生時代から18歳で就職しても、基本的には状況は一向に変化しませんでした。ただ、一つだけ印象深い思い出があるんですよ。 前出の通り18歳で就職した私の一年目、1987年2月のことです。彼女のいない私にとって淡々と業務をこなしていました。そんなバレンタインデー前のある日、仕事帰りに買い物へ行くために地下鉄の駅で電車を待っていると、同じ職場の女性先輩職員(Sさん)をみかけました。同じ部の別のセクションに在籍していたSさんは、私にとって先輩職員でもあるし、特に意識したことはなかったのです。でもこんな私でも当時はナンパだったんですね、電車を待ちながらいろいろと話しをしている間に「お茶でもいきませんか?」って誘ったんです。(今では考えられませんけどね) 乗換駅に到着して喫茶店に入って、どんな話しをしたのか覚えていませんけど、なんやかやと話しをして別に次に会う約束をするわけでもなく、「それじゃ、お疲れさま」てな感じで別れました。もちろんお茶代は私が支払ってね。 その数日後に残業しているとき、Sさんが私のセクションへやってきて「この間はありがとう」って小さな紙袋を持ってきました。「あっ、はい。どうも・・・。」って普通にその袋を受け取りました。私は「そうか、この間喫茶店へ行ったときのお礼か、そんなに気を使わなくてもいいのになぁ」って思っていたところ、私の席の後方からつかつかつかっとやってくる人の気配を感じました。「なんで、おまえがもらえるねん! どういうことやねん!!」 やはり同じ部署の別のセクションの先輩職員(Oさん 通称悪友O君)が私のクビを締めながら叫んでいました。悪友O君はその後現在に至るまで、同じ遊び仲間の一人です。「おいおい、何すんねんなー ただ単にお茶おごっただけやんか」「オレなんか何度もおごってるっちゅうねん! さてはバレンタインデーをねらったな」 実ははじめてそのときに気がついたんです。確かバレンタインデーの前日だったんですね。その翌日は休みだったと思います。 悪友O君、「なんで、こんな一年目のヤツがもらえるねん・・・」ってぶつくさいいながら、帰っていきました。そうです、悪友O君はSさんのことが大好きでとってもがんばっていたんですね。その努力も実らず、しかも私のような一年目のヤツがたった一回お茶をおごっただけでチョコレートをもらえるなんて、彼にしてみたら「理不尽だ」っていうことなんでしょうね。 その後、私とSさんの間はどうなることもなく、悪友O君もアタックしてもだめだったようで、2,3年後にSさんは結婚退職してしまいました。その結婚式の二次会に悪友O君とともに参加しましたが、その時の悪友O君の一言が印象に残っています。「Sさんはあけやんみたいな感じの人がよかったんやろな。旦那さん、あけやんに似ているやん・・・」 う~ん、どうだったんだろうね、実際のところは。 ちなみに、悪友O君、Sさんの結婚退職直前のバレンタインデーに「最初で最後だけど・・・」って言われてプレゼントをもらったそうです。
2006年02月14日
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今日2月13日は母親の誕生日でした。そして昨日一日早かったのですが、誕生日プレゼントとして花束を贈りました。 ところで、私のような男にとってはなかなか「花屋さんに花を買いに行く」というのは、何度行っても慣れませんね。まず、「今の時期の花ってなんだろう?」っていうのがわからないでしょ。ある程度は知っておけば、「今ならこれは入れとかなあかんやろ」ってわかるんですけど全くわかりません。店員さんに聞けばいいんですけど、何かそれが恥ずかしいというかねぇ・・・。 だから、昨日も、 私 「花を贈りたいんですけど・・・」 店員「誕生日プレゼントですか、どなたに贈られますか?」 私 「母親なんですけどね・・・、予算はこれくらいで季節の花を入れてほしいんですけど(恥ずかしい)」 店員「今なら、○○○(花の名前、でもわからなかった)ですね。では、それを入れて見繕いましょう」というような感じで見繕ってもらいました。 それを持って帰るのも一苦労です。時々花を買うところでは花束の外側に店の包装紙をしてくれていたのですが、昨日のところはそれがなかったんです。おいおい、このままかよー(って言えば包装紙、巻いてくれたかな) その花屋さんってショッピングセンターの中にあるお店だったので、昨日は日曜日でしょ、大勢の知らない人の目にさらされながら車まで持って帰りました。ムッチャ恥ずかしかった!! 持って帰ってきて、下の子ども(昨日は下の子どもと実家へ行っていました)に「おばあちゃんに『お誕生日、おめでとう』って渡してきて」というと、うれしそうに、「おばあちゃん、おたんじょうびおめでとう」って渡しに行きました。 母親は孫から花束もらってムッチャ喜んでいました。女性って、何歳になっても花を贈られるとうれしいのかな・・・。 まぁ、ホントは食べるものでもよかったのかもしれませんが、妻から事前に相談したときにも「おかあさんなら、花の方が喜ばれるんじゃない?」っていうことだったので、そのようにしてみました。
2006年02月13日
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今日、実家のある堺へ行った時に、とある消防署の前で信号待ちしていました。その消防署は私が小学生の時に社会見学に行ったことのある「鳳消防署」でした。でも、消防署の名称がどうも違います。『西消防署』 えっ?西消防署? あれ、そんな名前だったっけ? そんなわけないよなー よく考えて見ると、堺市ってこの4月から政令指定市になのですがその関係で消防署の名称も変更になったのかもしれません。 ところで、堺市の新しい区として北区、西区、南区、東区、中区、堺区と合併した美原町だった美原区の7つの区ができます。ただ、この区の名称が決まる過程で、市民に対して区の名称を募集したんです。堺市には千里ニュータウンとともに大阪府が開発した泉北ニュータウンがありますので、市民からの要望も「泉北区」が一番多かったようです。しかも、泉北ニュータウンを管轄する警察署の名称は「泉北警察署」ですし。 しかし、ふたを開けてみると「南区」だって。そんなのだったら、いちいち募集しなくていいやん。しかも、「南区」を要望したのは「泉北区」よりも全然少ない結果だったように記憶しています。 堺の市議会議員が「我々の市には東西南北の名称があるのです」って、くだらん自慢するつもりだったのか(札幌市も東西南北の区があるけど)どうかは知りませんが、「いったいどっちむいて仕事しとんねん!」という、いつもの私の怒りになってしまいます。 まぁ、そんな怒りは横へ置いといて、消防署って行政機関の一つですがその名称って変わることがあるんだなーって思いました。
2006年02月12日
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ご自身が子どもの時に頭を洗っていたことを思い出してみてください。「シャンプーハット、使われていた方?」「顔にお湯がかからないようにひたすら上を向いていた方?」「シャンプーメガネ(←昔あったんですけど知らないかな?)、使われていた方?」「もういきなり頭からお湯をかぶっていた方?」 まぁ、様々かと思います。 私の場合は恥ずかしい話しながら、泳ぐのが苦手だったので泳げるようになった小学三年生くらいまでシャンプーハットやシャンプーメガネを使っていたんです。顔にお湯がかかるのが極端に嫌だったんです。泳げるようになったら、恐怖心もなくなって全然平気になったんですけどね。 さて、私の子どもたちの場合はどうか。上の子どもは保育所の年長さんまではひたすら上向いていましたね。顔にかかったら、「うわー、○△#$%&!」なんて言ってましたけど、こっちも慣れてくると全然かからないようにできるようになったんですけどね。上の子どもの場合は1歳児の時にスイミングスクールへ行っていたので恐怖心はないはず、と思ってある日、「ちょっとがんばってみよう。お姉ちゃんなんだし」と言って、いきなり頭からかぶせてみたところ、「こわかったけど、できたー」って喜んでくれました。 下の子どもの場合はどうか。やはり最初は上の子どもと同じパターンでした。でも、上の子どもが頭からかぶっているのをずっとみていたからか、「やってみる!」とやる気をだしたので、ザバッとかぶせてみました。最初のうちは「めめ、入った!○△#$%&!」って怒っていましたけど、慣れてきたら全然OKになりました。 今では二人とも、頭からお湯をかけても全然平気! 今度シャワーで「ジャー!!」ってかけてみて反応をみてみたいです。(いつもは洗面器です) ホント、私が今の子どもたちの年齢の時は、私の親はさぞ大変だっただろうなって思います。そう考えると子どもたち、よくがんばってます。
2006年02月11日
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『「技術的な違反」で停止されたことについて「議会では不満の声が多数上がっている」と指摘。「日本の政治家の発言には根拠がなく、全く受け入れられない」』(共同通信から引用)だって。 技術的な違反、というよりも「こんな肉は日本に送ったらあかんでー」という模範例のような肉を送っといて、よぉ言えるな! 自分のところの技術のなさ(っていうか、模範例のような肉を検品することもできないのは技術以前の問題だと思うが?)を棚に上げといて、『日本の政治家の発言には根拠がない』っておいおい、日本の政治家は金儲けのことしか頭にないバカばっかりで、しかも大多数の国民が検査体制を疑問視していた米国産牛肉の再輸入をブッシュへのお土産として決定するくらい国民のことを考えていないけれど、それもこれもアメリカの検査体制がきっちりしていることを大前提として再輸入を決定したんやで。 実際には、日本の政治屋も行政もしなければならない確認をしていなかったのは全くあかんけどな。 それでも、「(日本の政治屋や行政が心配しなくても)アメリカはきっちりとやっている」ということを証明するためにも、日本の要求するような牛肉をきちんと送っておれば、こんな問題にならなかったんとちゃう? そこが音を立てて崩れているっていうことがわからんのか、この人は。 この米国議会議員の批判に対して、私ならこういってやるかな。「日本では米国産牛肉に対する不満が以前にも増して多数あがっている。米国議会議員の発言は自国の検査体制の問題点を棚に上げて日本を批判するなど全くのお門違いで、全く受け入れられない」 ついでに、「文句あるんやったら、きちんと検査体制ができている証明をしてから、もの言わんかい!」かな・・・。 こういう人、組織に時々いますよね。自分のこともきちんとできないのに他人批判するヤツ。 まぁ、この議員のコメントの全容がわからないし、ひょっとしたら「検査体制のことは申し訳ない」って思っているかもしれないけど、『技術的な問題』とか『根拠がない』っていっているということは、やっぱりわかっていないのかも。
2006年02月10日
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「バイクの中のバイク」といっても過言でないくらいポピュラーなバイク、ホンダのスーパーカブ。これが1958年の生産開始以降、先日で累計で5000万台を突破したとニュースがありました。もちろん、これは世界初だとか・・・。ヤマハやスズキも同系のバイクを造っていますけど、商用バイクといえばスーパーカブです。 ところで、「カブ」の名前の語源は『英語の熊などの猛獣の子供を指す Cub に由来し、小排気量ながらパワフルなバイクをアピールした命名』(Wikipediaから引用)だそうです。 なんでもホンダの創業者本田総一郎さんが片手でも運転できるように(ホントはこんな運転よくないので、よい子はマネしないでね)という使い勝手のよさを追求したのがこの形だったとか。 エンジンの耐久性がよくて故障も少なく、配達とか営業では大活躍、燃費もとってもいいし。何でも燃費は1リットルでうまく走れば60~90kmも走られるそうです。すごすぎる! ちなみに、私は高校2年生の秋から冬にかけて陸上部を辞めて、近所の小さなスーパーでバイトしていました。ここでの配達用バイクはこのスーパーカブ。見た目はかなりボコボコでしたが、エンジンだけはムッチャ元気! 配達の帰り道なんか結講無茶して走っていました。バイト仲間はみんなそんな使い方をして倒したりしていたせいか、右側のミラーはありませんでした・・・。 当時、私は母親のミニバイクに乗っていましたが、どうしても自分のバイクが欲しくて物色したことがあります。狙いはこのスーパーカブ。車は商用車好きですから、バイクもそうなるのは自然の流れです。形はダサくても燃費がいいし、故障が少ない。しかも、パクられる心配は皆無ですし。(現実はスーパーカブは盗まれることもあるとか。盗んで海外へ売ってしまうらしい。でも、ヤマハやスズキの同系はだめらしい・・・) 今でもそうですが、スーパーカブって50ccの割に値段が高いんですよ。新車だったらだいたい16万円くらいしますし、中古でも高いんです。高校生がひょいっと買えるような価格じゃないし、かといってミニバイクはいりませんでした。結局は母親のミニバイクに乗っていましたけどね・・・。 今では、カスタム仕様とかストリート仕様なんていう、ちょっとおしゃれなスーパーカブが発売されており、相変わらず価格は高いのですが、やっとこのようなバイクにも光があたってきたかと思うとうれしいです。 だから欲しいなって思いますね、ちょうど今住んでいるところは坂道多いし、ピッタリなんですけどね・・・。 車もあるし、そうはいかないですね。
2006年02月09日
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先日、出勤前にセカンドカーのサンバークラシックの窓を拭いていたときのことです。運転席側のドアの所に見慣れないキズが・・・。 なんやろと思ってみてみると、「なんじゃあ、コラー どこのボケの車じゃあ、当てとるやないか!」 そうです、どこかの駐車場で横に置いていたであろう車のドアがあたって、ドアに「えくぼ」ができていました。それも「コツン」ってあたったんじゃなくて、「ゴッツン」ってあたったような・・・。普通、これだけあたったら気づくやろ、ボケが! どこで当てられたかも、いつ当てられたかもわからないので泣き寝入りですけど、ふざけんじゃねー! 私も過去に、借りていた駐車場で他の車のドアに私の車のドアをおもっきりぶつけてしまい、見事なキズを付けてしまったことがあったんです。知らんぷりしようと思えばできたんですけど、相手は同じ団地のご近所さん。しかもきれいに車を整備されている人だったのでそんなことはできず、ちゃんと謝りに行きました。もちろんこっちのお金で直しましたよ。けっこうな出費だったけどね。(隣の車はチェイサーだったからよかったけど、ベンツなんかだったら、どれだけいっただろう・・・) また、ガソリンスタンドでは逆に、初老のオッチャン運転のレジェンドに後からぶつけられたことがありました。そんなに思いっきりじゃなかったんですけど、ぶつかったことはすぐわかりました。私が不機嫌そうに車を降りて、チラッとその車の方をみるとそのオッチャン、速攻で車を降りて「ホンマ、ごめん。当ててしまって・・・申し訳ない!」って謝りに来たよ。そのレジェンド、バンパーに見事なキズが入っていたけど、私のデリカSWにはキズ一つなし。「オレはいいけど、オッチャンの車、けっこういってるでー」「ワシのはええねん、にいさんの車が何ともなかったら・・・。ホンマすんません!」 普通はこのようにしない? そのオッチャンも「しらんで。思い過ごしとちゃうん? 言いがかりつけるなや!」ってキレることもできたんですけどね。それは自分の気持ちが許さなかったんでしょうね。 いずれにしても、「バレへんかったらええわ」とか「今のうちに逃げてしまえ」とか考えている連中が多いのでしょうね。 私の場合、他の車との無用な争いをさけるためにも、特に子どもがするドアの開閉には気を遣っています。私の愛車、デリカSWにしてもサンバークラシックにしても、子どもは前の席には乗せないし、後のドアは外へ開くドアではなくスライドドアだからあたることはないんですけどね。 みなさんもどうぞ、ドアの開閉には気をつけてくださいね。
2006年02月08日
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今日2月7日は上の子どもの誕生日。今から8年前の今日は長野オリンピックの開会式の日でした。その日の夕方に産まれたのが上の子どもでした。この産まれる2日前に破水して入院していたんですが、98年2月7日の午前3時に病院から電話があり、「もうすぐ産まれます!」って呼び出されて睡眠時間わずか2時間で病院へと向かいました。 もうすぐ産まれるんや、と思っていたら、一向にそんな気配なし。結局、その日の夕方まで12時間待たされるはめになりました。その間に母親が実家からやってくることができたので、それはそれでよかったんですけどね。 産まれて女の子というのがわかったときは、ムッチャうれしかったです。だって、最初の子どもは絶対「女の子!」って決めていましたから。そのためにいろいろと調べたし。私以上に喜んだのは母親でした。母親は5人兄弟で女は1人だったし、自分の子どもは男2人。女の子がよっぽどうれしかったんでしょうね、退院してからも何回も甲子園の私の家まで来てくれました。ちょうど、私の父方の祖母が私が産まれたときに和歌山から大阪まで来てくれたのと同じなんです。母親にとっては初孫というのもありますね。(その祖母にとっては初孫だったんです) 1歳までに大きな病気として2回もかかり(一回目は尿路感染症、二回目は腸重積)、2回とも死にかけていました。幸い、異変に気づくのが早かったし、医師の手当ても早かったのでよかったんですけどね。(行ってた病院は上の子どもが産まれた病院で、小児医療では信頼が高いとのこと) それから、指吸いの癖が元ではないと思うのですが、「バネ指」といって左の親指がきっちりと伸びずに固着したような感じになっていました。これについては、手術しか元通りにならず2歳の時に手術しました。 このように大きな病気をしたり怪我(捻挫)したりしましたが、今日元気に8歳となりました。 今小学2年生、背も131cmとクラスでは大きい方で、体重も重いほうですけど、これからも元気で素直に育ってほしいと思っています。
2006年02月07日
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表題だけみれば、私がリストラされるような感じですが、私の話じゃありません。先日立ち寄った喫茶店での常連さんとそのお店の方の話しをきいて、「なんだかなー」(by阿藤海)と思ったことなんです。(常連さん)ここのランチを食べるのもあと少しなんやわー(お店の方)なんで、どうしたの?(常)3月いっぱいで辞めてくれやって。20年間勤めてきたのに、ご苦労様の一言も無しやで・・・。 その人の方をみてみると、「郵便局」のネームの入った服を着ていましたので、郵便局の委託職員の方でしょうか・・・。(店)それって、例の民営化の関係?(常)そうやろな。人数を減らそうとしたら、職員の人を辞めさせられへんやろ。だから、私みたいなのを切っていくわけやろな。ホンマにあと少し勤めることができたらなー(店)4月以降はどうなるの?(常)仕事探さないといけないけど、この年齢じゃどこがあるんかな。 そんな話しをきいていると、私の方まで暗~い気分になってきますけど私にどうすることもできないですが、何とかがんばってほしいなーって思いました。明日は我が身かもしれませんし。 郵便局って、例の選挙以降、コンビニへのゆうパックの参入でヤマト運輸ともめているくらいしか話題に出てこないし、コンビニへの進出でお上の威光をバックに業務拡大しているから組織としての結束も強いのかなって思っていたけど、実際にはリストラなど人減らしが始まっているんですね。 ところで、ここまでお読みになって「郵便局の職員なんて、今までいい目してきたじゃん」とか「小さな政府をつくるためには仕方ない」ということを思われている方もおられるかもしれませんが、それはあくまでそう思われている方が当事者でないだけで、『もし当事者だったら仕方ないで済ませられるの?』っていつも思うんですよね。 本当なら、こういうような人ができるだけ出ないようにする仕組みが必要で、そのために政治家がしっかりしなければならないはずなんです。しかし、ご存じのように我が国の政治家というとおおよそ政治家というのもおこがましいくらいの自分のことしか考えず、金儲けのことばかり考える「政治屋」ばかり。しかも、歌舞伎の世界と同じく世襲制で、あるいは政治になんか興味もなさそうな連中が人気投票のように当選している。そして、議員年金の話しを持ち出さなくてもご存じのように、既得権益に関しては是が非でも守ろうとしている連中にこのような人を何とかしようという気持ちなんか微塵も感じられないのです。 こんな連中に人の痛みなんてわかるはずがないし、大概は「法律がないんです」(by年末の番組でコメントしてた片山さつき。でも他のコメンテーターに突っ込まれていた)なんていうんだろうけど、 なかったらつくれや! そのための国会議員とちゃうんかい! 毎年何万人も自殺者が出るような社会をそのままにしているような社会をそのままにして、しかも「格差が出ることは悪いこととは思っていない」と国会でキレるようなのが総理をやっているし・・・。 確かに個々人はとっても立派なお考えの方もおられるかもしれませんが、いざ党として動こうとすると党執行部の党議拘束やそれに反すれば刺客を送られるなんてことにビビッてしまって、結局は自己保身になってしまう。 いったい、どっち向いて仕事しとんねん! こういう連中が公務員に対して、「仕事しろ!」なんて言えないよね。「自分たちもちゃんと仕事せぇーや!!」 なんでこの話題にこだわるのか、実は私の父親も同じような経験をしているからなんです。私の父親は約40年間建築の仕事をしていました。何度か会社を変わっていますが、77年頃から働いていた会社が94年頃に倒産してしまいました。その時父親は59歳。再就職なんてとても無理な年齢でした。 幸い私も弟も既に就職していましたが、退職金も出ず、仕事をする気力はあっても仕事がない状況を見ているんです。倒産したのは父親の会社の資金繰りや経営方針が誤っていたので、前出の郵便局の職員の方とは状況が違いますけど、「仕事がなくなる」ことには変わりないですからね。 父親はその後、別の会社へ再就職して66歳まで勤めましたが正社員ではありませんでしたので、雇用保険もなく立場的にはとても不安定でした。それでも「仕事があるから」とがんばっていましたけどね。 まぁ、今の政治屋には何も期待はしていないので、前出の職員の方にいい仕事が見つかることを祈るとともに、明日は我が身かと思いながら過ごすしかないのですね。 なんだか虚しいな・・・。 あまり面白くない話しをここまでご覧いただきまして、ありがとうございました。
2006年02月06日
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先日のブログでも書きましたが、新しいメガネがやってきました。メガネのつる(正式にはテンプルというそうです)が太めでしっかりした形で、レンズは横長の今流行りの形です。 今までメガネは7本使いましたが、初めてのプラスチックレンズです。つるが太くて若干重く感じるのですが、全体的にはやはり軽いですね。ただ、横長のレンズですから、レンズの端方向の視界が若干違和感を感じます。それも慣れみたいですけどね。視界が広くなった分よくみるのはうれしいです。 この新しいメガネでバッティングセンターにも行ってみました。実際にはこのメガネをかけて野球をすることはないのですけど、試してみるとよく見えるのでボールを引き付けることができるので、やはりよく見えているんでしょうね。 子どもたちには「えーっ!」って不評ですが(子どもが産まれてからメガネを変えていないから別人にみえるのか?)、妻には好評です。 明日は初めてこのメガネをかけて出勤となりますが、何人が気づくかな・・・。
2006年02月05日
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先日、奈良県内に出張へ行ってきました。奈良県と一口に言っても縦に長い県ですし、都会のように交通がとても便利とはいえないところもある。列車のあるところもあれば、バスでしかいけないところも、はたまたそれでさえもいけないところも多い。私の行く出張はいろんなところがありますが、今回はバスで行けるところだったのでまだいい方です。 今回乗車するバスは、近鉄大阪線大和高田駅前から国道24号線を経由する五条バスセンターゆきの70系統のバス。ちなみに列車で高田から五条へ行こうとすると、JRになるんですが本数が少ないのです。バスは時間帯にもよりますが30分に一本ある時間帯もあります。 さて、乗ったバスは写真の奈良交通のバスです。ニコチャンマークのラッピングがちょっとくどいですね。この手のラッピングバスが全国的にも多いようで、会社にとっては貴重な広告収入なんでしょうけど、個人的にはあまり好きじゃないですね。 ところで、ちょっとマニアックな見方をさせていただくと、このバスは奈良交通葛城営業所に所属している日野製のバス(P-HU236BA)で1988製造。写真でもお分かりいただけますが、バスの窓は大きな一枚ガラスが使用されています。窓は開閉不可能ですけど、観光バスのように見晴らしはいいですよ。 室内はこのようになっています。前出の窓の状況もお分かりいただけるかと思います。大きな窓ですよね、最近のバスは上の方にスライド窓がついていて下の方は固定窓のもの(逆T窓というそうですが)もありますけど、見た目はこっちの方がかっこいいですよね。 シートもよくある路線バスのように、背もたれのクッションが少ないのではなく、長い距離を乗っても疲れが少ないようなシートでした。 このバスに揺られて約40分乗車しました。高田から五条方面は御所市を過ぎてからは上り坂となっているので、バスもかなりふかしながら走っていました。気になるお客さんの数ですが、座席がいっぱいに埋まることはありませんでした。時間帯がお昼頃という時間帯を考えても少ないかな。ロングボディーのバスがかわいそうなくらいでした。 バスは「かもきみの湯」というバス停で降りました。この近くが今回の出張先だったんですが、かもきみの湯とは、私がよく行く大宇陀町のあきのの湯のような温泉施設です。この日は寒かったので仕事は適当に済ませて温泉でゆっくり、って行きたかったです。 こういうバスに揺られて行く出張っていうのもたまにはいいなーって思いました。
2006年02月04日
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今日は節分。私の家では毎年、大阪市住吉区にある「あびこ観音」へお参りに行っています。2月3日が土日なら家族で行くのですが、今日は平日なので私一人で行ってきました。 JR阪和線我孫子町駅。ここは私が4歳まで住んでいた家の最寄駅でしたので、母親に連れられて踏切のところで電車をよく見たものです。そんな風景も今年の4月からはJR阪和線の大阪市内高架工事完成により一変してしまいますが・・・。 普段は車や市バスも走る商店街の道路が節分の時には、道路に露店が出るなどとてもにぎやかなんです。今日は出張先での仕事が早く終わったので早めに行ったので少しすいていましたが、もう少し遅い時間だととても混んでいます。 露店を眺めながら歩いて行くと、4歳の頃に母親に連れられてよく買いものに行った市場が今ではマンションになっていたり、品のよさそうなおばあさんが一人で切り盛りされていた和菓子屋さんが廃業していたり、と時代の流れを感じながら人の流れに沿っていくと、目的地到着です。 「あびこ観音」、正確には観音宗総本山吾彦山大聖観音寺というそうで、創建は546年で日本最古の観世音菩薩の寺院とされる(Wikipediaから引用)とのことです。そして、毎年2月1日から7日まで行われるのが「節分厄除大法会」、私が毎年2月3日に行っているのがこれなんですよ。 上の写真では全体がわかりづらいのですが、本殿のところが少し狭くてお参りの人でごったがえしていますが、もう少し後の時間になるとここが身動き取れないくらいの状況になります。 このあびこ観音は厄除けの寺でも有名でして、厄除けの護摩木を奉納される方も多くおられます。護摩木を焚く火とほらがいの音色が独特の雰囲気を醸し出していました。 お参りの帰りには、厄除け饅頭を買って帰ります。これも、何店か出していて人気のある店もあるのですが、私はずっと同じ店で買っています。その店の厄除け饅頭を買って、その店のすぐ近くにあるお肉やさんでコロッケを買って帰るのが一連の流れとなっています。ちなみにそのお肉屋さん、私が住んでいたときにはすでに営業されていた(母親の話し)そうですから、40年近くこの我孫子町駅前で営業されているんですね。 家に帰ってきてから夕食をとりましたが、下の写真のとおり夕食は「関西の節分」の定番モノが並んでいました。 巻き寿司、いわしの丸焼き。コロッケは前出のお肉屋さんのコロッケですが、これはご愛嬌ということで。 この後は豆まき。下の子どもが保育所で作ってきた枡に豆を入れて「鬼はそと!」ってやっていました。妻がやはり下の子どもが作ってきた鬼のお面をかぶって・・・。私?私はそれをビデオで撮っていました。私の重要な役目はいつもこれですから・・・。 そして、お待ちかねの厄除け饅頭を食べました。このお店の厄除け饅頭は写真の茶色と酒蒸し饅頭のような白色があるんですけど、私の家では茶色の方が好きで白色は人気がないんです。私はどっちも好きなんですけど。 こうして、私の家の節分行事は終了しました・・・。 ところで、節分って「季節を分ける」という意味もあるそうです。そういえば、明日は立春。暦の上では明日からは「春」なんですよね。この間、正月だと思ったら、もう春かよってね。
2006年02月03日
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この写真をご覧ください。 私のデリカSWの前を走っていた車なんですけど、車名わかりますか? まぁ、表題に答えが書いてありますけどね・・・。 そうです、この車はトヨペットクラウン。今のクラウンの何代前になるんでしょうね。この型はRS41とよばれた1962年から製造されたもので、がっしりとした骨太な全体のスタイルに対して丸い小さなテールランプが特徴的です。写真は後姿だけなので全体はわかりませんけどね。 私はトヨタ車はあまり詳しくないので、この写真の型は何年型かはわかりませんが、1963年か64年あたりではないかと思っています。 ところで、この写真を写したのは私のデリカSWが新車で購入してしばらくたったときだったので、1996年のことです。だから、この時点でこのトヨペットクラウンは30年以上が経過していたんですね。それでも、とてもきれいに乗っておられました。塗色もあまりみかけないような色でしたし。 それから、この車の写真をみて「ウィンカーランプ、ないんとちゃう?」って思われた方、するどいです。この時代の車にはブレーキランプと兼用だったんですね。だから、右へ曲がるときは右側の赤いランプが文字通り「ウィンク」するように点滅するんですよ。 ちなみに、この車と同じ車に乗っていた人がいました。私が4歳まで住んでいたアパートの近くに同い年の女の子がいて、そこの家の車がこの車でした。その女の子のこと、ちょっと好きだったようです・・・ そんなこともあって、思わず手元にあった「写るんです」で写したのがこの写真です。しばらく後ろを追走していましたが、その先の交差点を右折して行きました・・・。
2006年02月02日
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連日、風邪ひきの話題ばかりですみません。かなりマシにはなっているんですけどね、昨日の注射と薬のおかげでね。 ところで、薬は錠剤のものや顆粒のもの、液体のものなどいろいろありますが、みなさんは「どのタイミングで水を飲まれます」でしょうか? すなわち、「薬を飲む前か後か」ということです。液体の薬なら先に「薬」でしょうし、錠剤ならどっちが先でもいいかな。 問題は顆粒です。先に「薬」を飲むと、「ゲホゴホゴホ・・・」ってなるでしょうし、先に水を飲むと顆粒を流し込むタイミングを間違えると、せっかく飲んだ顆粒とともに水まで吐き戻すといった、とんでもない状況になるおそれもあります。 私の場合は錠剤についてはその時の気分次第でどっちもありですけど、薬の表面が糖衣になっているもの以外は先に「水」かな。 顆粒のものは絶対に先に「水」です。顆粒を先に飲んだら、絶対にむせて「ゲホゴホゴホ・・・」ってなります。ヘタなんですねー。 それから、私の子どもたちがどうかというと、顆粒に関しては上の子どもは私と同じく先に「水」なんですが、下の子どもは逆に先に「薬」なんです。兄弟でも違うんですね。だから、薬を飲ませるときには、「あれっ? どっちだったっけ?」って迷います。 ちなみに、私が子どもの頃は、注射も苦手でしたが薬を飲むのも苦手で、顆粒の薬なんてオブラートがないとムリでした。錠剤なんかも餅に混ぜたりごはんに混ぜたりといろいろ工夫していました・・・。そう思えば、私の子どもたち、よくがんばってます。 風邪とか病気にならないのが一番ですね。
2006年02月01日
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