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3月20日に開業する「阪神なんば線」の九条駅(大阪市西区)で、昭和42年に設置されながら放置されてきた"開かずの出入り口"が開業を機に42年ぶりに日の目をみる。接続する大阪市営地下鉄中央線の九条駅では、阪神側につながる改札口が44年ぶりに復活。2つの"長き眠り"は、紆余(うよ)曲折を経た新線事業の歴史を物語る。 「入社当時、担当部署は本社のすみにひっそりとあるだけで、この事業はもうないと思っていた」。45年入社の阪神電気鉄道の坂井信也社長は、なんば線事業をそう振り返った。 新入社員が社長となるまで以上の時を経て、42年目にデビューするのは、阪神なんば線・九条駅の東出入り口。NTT西日本所有のビル1階にある。 昭和42年、阪神電気鉄道が単独事業として西九条-九条間の延伸事業に着手した際、地下駅の九条駅のほぼ真上で、建設中だった同ビルに出入り口の場所を確保。階段と壁面などを整備したという。 だが、新線事業は着工約1カ月後、地元住民の反対などで中断。その後もオイルショックによる経済情勢悪化などでストップしたままとなった。 なんば線事業が再び動きだしたのは平成元年。国の運輸政策審議会答申で「整備が適当な路線」とされ、13年には国が事業費を盛り込んで工事再開が具体化された。大阪府や大阪市、阪神などが設立した第3セクター・西大阪高速鉄道を整備主体として、15年に西九条-近鉄難波(3月20日以降=大阪難波)間の整備として工事が再開。総事業費は約1071億円で、開業後は尼崎-大阪難波間がなんば線となる。 この結果、九条駅では出入り口2カ所が新設されることになり、東側の出入り口に42年間放置されてきた階段などを活用することが決定。すでにタイルのはり替えなど"化粧直し"をすませ、デビューを待つばかりとなっている。 一方、接続する地下鉄中央線九条駅には昭和39年10月の開業時、2カ所の改札口があった。だが、半年後の40年3月に阪神側にあたる西側の改札口が閉鎖。市交通局は「閉鎖の理由は記録に残っていない」と説明する。 その改札口もなんば線開業に合わせ、実に44年ぶりに復活。現在、再デビューに向けた改修工事が進んでいる。 眠りから目覚める2つの設備について、阪神関係者は「なんば線の歴史の長さを再認識することができる象徴。ようやく開業にこぎつけたと実感する」と話している。【産経新聞 ネット版から引用】 関西では昨年京阪電鉄の中ノ島線が開業しましたが、今年も阪神電鉄のなんば線が開業します。阪神なんば線とは、阪神西大阪線の西九条駅から近鉄難波駅までの3.8kmがつながって、阪神と近鉄の相互乗り入れがはじまります。路線のほとんどが地下路線なんですが、阪神電鉄として悲願の路線が完成するということで、その入れ込みは同社のHPからも伝わってくるようです。 本文にもありましたが、元々は40年以上前に計画されたこの路線だったのですが、住民の反対によって西九条止まりとなっていました。それ以外にも大阪市による「大阪市内中心部の交通は市営交通で」という方針も影響があったのかもしれません。 開業を見越して40年前にいろいろ準備していた構造物もやっと日の目を見ることができるようになったわけですね。 そんな40年もの構想がやっと華開く日が近づいてきました。私にとっても96年から99年まで阪神沿線の甲子園で暮らしたことがありますので、この開業はちょっとうれしいものです。この開業によって、三ノ宮の串カツ屋さんから帰る時にも西大阪線(3月20日以降はなんば線と名称変更)で近鉄難波(同じく3月20日以降は大阪難波)まで一本で帰ることが出来るし、そこからJRに乗り換えれば座って帰ることもできますメリットは大きいです。ちょっと料金はお高めだけど・・・。 さて、そんな開業間近の阪神なんば線ですが、建設工事の初期の頃の様子をケータイの写真で残していました。 これは2007年11月に撮影したもので、西九条駅の様子です。現在の阪神西大阪線は西九条駅が終点だったので車止めが見えます。この車止めの向こう側がJR大阪環状線の西九条駅になりまして、新しい路線はそのJR西九条駅をオーバークロスします。そして途中からは地下路線になって、京セラドーム大阪の近くを通って近鉄難波駅まで延びて行きます。 現在の阪神西大阪線は4両編成で運転されていますが、3月20日以降は近鉄への乗り入れがはじまりますので最大10両編成の車両も走るとか。 この路線開業にあわせて阪神電鉄では既存車両のリニューアルや新型車両の導入を進めていますが、その影で長年走り続けてきた古い車両は引退してしまいます。下の写真の7801型は阪神の古きよき時代の面影を残したような車両(っていっても、阪神の場合よく似た車両が多いけど)だったのですが、もうすでに引退しています。 開業によってどのような進展を見せるのかわかりませんが、個人的には神戸へ行く機会が多いのでおそらく利用することは多いのではないかと思います。
2009年02月28日
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楽天・野村監督が26日、試合前の"あいさつ禁止令"を出した。気になったのは試合前に相手ベンチに出向いて頭を下げる若手の姿。「試合前にペコペコ、ペコペコ。あいさつにいっとるのはうちの選手ばかりや。オレのところにはだれも来ないな」とボヤキがもれた。社会人としての礼儀であることは理解しているが「遠慮が出るんじゃないの。内角を攻められるのか?」と勝負師ならではの考えを披露していた。(サンケイスポーツ ネット版から引用) 連日の野球ネタ、恐縮です。 さて、”目立ちたがり屋でおしゃべりな月見草”こと楽天・野村監督、この人が口を開けばボヤキのオンパレードで、マスコミも面白がってとりあげますが、私は単なる『文句たれ』だと思っています。文句たれ、とは関西弁で言うところの「文句ばかり言う人」っていう意味です。 今回の内容と言うのが、試合前に相手チームの関係者に挨拶なんかするなということ。しかもその心と言うのが、「挨拶なんかしたら内角を攻められない(厳しいコースに投げ込めないので、打たれやすくなる)」ということのようです。 えっ? 楽天の選手ってプロじゃないの? プロなら試合前の挨拶は挨拶、試合になれば生活がかかっているんだから真剣って、切り替えができないくらいなの? そんな箸の上げ下げまで文句いうことないじゃない。そのくらいの切り替えはプロなんだからできるはずでしょ。 それにこの人、人にぼやいているけど、自分のヨメハンの行いにはぼやかないんだよね。脱税があったし、経歴詐称疑惑もあったよね。そんな身内に甘いヤツが何を眠たいことゆっとんねんって思いますよ。 この人はWBCの監督になれなかったことでもグチグチと未練たらしくコメントしているし、とにかく自分が中心で回らないと気がすまないみたいですね。月見草が聞いてあきれますよ・・・。 せっかく現役時代やヤクルト監督時代の輝かしい成績が、阪神の監督以降特に最近は色あせているようで残念です。
2009年02月27日
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社会人野球を統括する日本野球連盟は25日の評議員会で、捕手が捕球後にミットを動かしてストライクに見せる行為を、社会人野球では厳禁するとの方針を示した。選手のマナー向上が目的で、規則・審判委員会の麻生紘二常任理事は「国際大会では審判への侮辱行為に当たる」と指摘した。 麻生常任理事は、昨年の北京五輪でプロ選抜チームの日本代表のマナーが不評だったとし、判定への影響を示唆。「なかなか投球しない投手を含め、バッテリーと球審が闘っているようだった。まずアマから改善に取り組もう」と呼び掛けた。【時事通信 ネット版から引用】 私も草野球ではキャッチャーをしたことがありまして、今年ももしかしたら何度かキャッチャーを守ることがあるかもしれません。キャッチャーは地味でしんどいポジションですが、なかなかおもしろいポジションです。私ももう少し若くて肩が強ければもっとおもしろいと思うんですけどね・・・。 さて、そんなキャッチャーの守備に関してちょっとした問題が浮上しているようです。要するに、キャッチャーがボールを取った後にキャッチャーミットを動かすことはマナー違反であるとして社会人野球では禁止する方針であるとのこと。野球をやっている方ならわかるかもしれませんが、やっていない方なら何のことかわかりませんよね。普通ならボールを取るときにはグラブやミットは動かさないものなんです。それをテクニックの一つとしてキャッチャーではミットを微妙に動かして審判の目を欺くというかごまかすというか、こういうことを使うことがあるんです。どういう時に使うかというと、インコースのストライクゾーンにやや外れた投球がやってきた時に、ボールを受けた瞬間にさもストライクゾーンを通りましたよってキャッチングするんです。そして審判の目を惑わしたり、「ボール」って審判に判定されたときに「えっ? このあたりを通ってませんでした?(実際は通っていないんだけど)」ってアピールするわけです。こういった一連の行為が審判への侮辱にあたるっていうことなんでしょうね。現役プロ野球選手なんかでも、この手を使っている人がいますけどね。 私はどうしているかというと、しっかりとボールを受けることを目的として手首を内側にひねるようにしています。この方法もホントはよくないのかもしれないけど、微妙なコース(ストライクゾーンギリギリの球)をボールって言われるのを防ぎたいこともあって手首をひねっています。あからさま動かすことはやっていないですね、そんなことをしても、審判はピッチャーの投げた球のコースをみているんですからね。 それにしてもこのようなマナーの話がでてくるというのは、審判の技術が低下していてきちんとしたジャッジができていないために、キャッチャーからアピールされるとそれを突き返せないということもあるのかもしれません。本来は審判というのは絶大的な権限があるはずなので、そんなアピールに対しては最悪の場合は退場を命じてもいいくらいなんですから。 キャッチャーのマナー向上もいいのですが、その前に審判の技術向上を望みたいです。特に、国際大会なんかであれば余計そうです。前回のWBCのへっぽこ審判のようなヤツでも審判は審判なんですけど、未熟な技術の審判での試合なんて試合のどっちのチームにも不幸ですからね。
2009年02月26日
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先日、私の子どもたちの学校では授業参観がありました。この学校、1~2ヶ月に1回くらいのペースで授業参観を行っていまして、生徒は緊張感を持って授業に臨んでいると思いますが、見に行く方としてはなかなか調整が大変です。 さて、その授業参観のうちで、下の子どもの授業参観の内容は季節外れですが「凧を作る」というもの。凧をつくるといっても、竹ひごを組んで・・・というのではなく、既に凧になっているものに絵を描いていくというものです。 実はその凧の絵を何にするかということで下絵の宿題が三学期に入って早々にでていまして、下の子どもから「凧の絵ってどんなの?」というのでネットで凧の絵を探してみました。私が思う凧の絵と言われたら、だるまとか龍とかそんなものだったので、ちょうど江戸凧を紹介しているページにおあつらえ向きにだるまの絵があったのでそれを印刷して渡しました。それを見ながら描いていたようですが、小学一年生にだるまの絵は難しいだろうなって思っていました。実際、妻も手伝っていたようでしたので。 そして授業参観当日、描いた下絵を元に凧に絵を描いていく作業をしました。その際に下絵を見たのですが、「ホントに自分一人で描いたか?」というくらいの出来映えでした。本当に江戸凧に描かれていただるまの絵をきちんと描いてありまして、「ホントはママに手伝ってもらったやろ?」って聞くと「ううん、自分で描いた」って言っておりました。その下絵を見た他のお母さん方、「え~、ちょっとうまい絵やね。」「渋い絵やね」ってびっくりされておられました。私が一番びっくりしているんだから・・・。 ちなみに、他の子どもたちはキャラクターとか動物などを描いている子どもが多かったですね。(中でも「凧=蛸」の絵を描いている子どもには笑ってしまいました) その絵を実際に凧にクレパスで描いていくのですが、これまた難しいようで苦労していました。やはり失敗したらどうしよう、っていうことなんでしょうね。思わず私がクレパスを取って「こうやって輪郭を描いてみたら?」とやってみたくらいです・・・。こんな内容の授業参観だったら、私ではなく妻の方が格段にうまいのでよかったんですけどね・・・。 その授業参観では完成をみることはできませんので、どのような感じになったのか気になっていたところ、ようやく持って帰ってきてくれました。それが下の写真です。 どうです、なんだかすごい絵でしょ? とても子どもが描くような絵ではないですよね。 前回ここで紹介した絵もそうなんですけど、下の子どもの絵に対する能力はどうなっているんだろうって思ってしまいます。ホント、自分の子どもでありながら不思議な魅力です。
2009年02月25日
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舛添要一厚生労働相は24日午前の記者会見で、公的年金の給付水準(所得代替率)が将来的に現役世代の50・1%を維持できるとの厚労省試算について「50を切るかどうかということよりも、今後はもっと大きな議論が必要だ」と述べ、少子化対策や経済活性化などを幅広く検討していく重要性を強調した。 舛添氏は、専門家などから「試算の経済前提が甘すぎる」と試算を疑問視する声が上がっていることに対し「前提は専門家が設定したものだが、このような『甘い』と批判される試算でも厳しい数字が出ていることを深刻に受け止める」と説明。超党派議連などから改革試案が出ていることには「いろんな案が出てくるのは好ましいこと。こうした議論もやりながら、政府としては平成16年の年金改革の実を上げたい」と語った。 一方、民主党の長妻昭政調会長代理は同日午前の民主党厚労・総務部門会議で、「現在60%ちょっとの国民年金保険料納付率を80%で計算するなど、所得代替率50%ありきの試算だ。『100年安心プラン』という現行制度の信頼性は失われている」と批判した。【産経新聞ネット版から引用】 『100年安心年金プラン』だったですよね、公明党の誰だったか忘れたけどえらそうにぶち上げて、その舌の根も乾かないうちに出生率の前提が崩れるような発表があったのは。はっきりいってあのプランはギャグかよ、って突っ込んだのを覚えています。 そして今回、年金財政の検証を行なったわけですが、「資産の経済前提が甘い」との専門家等からの指摘を受けているようです。これは同じ産経新聞の別のネット版にも『昨年10~12月の実質経済成長率が2けたのマイナスとなり、デフレが再燃する現在の厳しい経済情勢や人口減少による低成長時代はまったく考慮されておらず、"絵に描いたもち"』と書かれていることから、すでに破綻している100年安心年金プランについて厚生労働省と政治屋が如何に国民の目を誤魔化すかということで発表したものなんでしょうね。 それにしても、官僚は自分たちの都合のいいことしかやらないのはすでにご存知の通りですが、それにつられている政治屋は何とも情けないというか、同罪なんじゃないですか。マスゾエにとっては過去からの厚生労働大臣がいい加減だったのでとばっちりを受けているのは気の毒としても、もっと厚労官僚にビシバシものをいって行かないと、結局は過去の厚生労働大臣と同じことになってしまいますからね。 こんなろくでもない制度にしてしまったヤツラ全てに責任を負わすくらいのことをやらないと、会社だったら背任行為じゃないかって思ってしまいます。 この先100年安心年金プランの見直しを行なうのであれば、思い切って議員年金全て取り崩し! くらいしないとインパクトがないでしょうね。ついでにプランのネーミングも「10年先でも不安な年金プラン」くらいにしておいたらどうです?
2009年02月24日
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23日午前6時半ごろ、東京都板橋区中台の路上に駐輪してあった自転車のかごの中に、生後間もない女の赤ちゃんがいるのを近くに住む男性(55)が見つけ、110番通報した。東京消防庁によると、女児は病院に運ばれたが、心肺停止状態という。警視庁志村署は保護責任者遺棄容疑で捜査している。 同署によると、女児はタオルにくるまれた状態で自転車の後部座席のかごに入れられていた。へその緒はついていなかったという。発見時は雨が降っていたという。【産経新聞ネット版から引用】 時々このような記事が載っていることがあって、いろんな事情があるのかもしれないけど「育てられないなら、最初から避妊しろ!」って言いたくなります。例えば関西の朝の人気番組「おはよう朝日です」の一つのコーナーで、視聴者が自分の記念日について語るものがあるんですけど、そこではたいがい「16歳で長女が産まれて、離婚して・・・」なんていう話を聞くと、若気の至りでいろいろあるのかもしれないけど、とりあえずは産まれた子どもを見殺しにすることなく育てている(状況はわからないけど)ことには、とりあえずホッとさせられます。 まぁ、これだって、本当に自分の人生設計を考えた上でのことではないだろうから、結果的には「自分の快楽のみを求めて、後は野となれ山となれ」的に思えてしまうんですよね・・・。 ただ、本文にあったろくでもないヤツに比べれば数段マシです。本文にあったヤツは自分の快楽しか考えていないんじゃないか。もし、本当に子どもが出来てしまったことを後悔しているなら、放置するんじゃなくて他の方法を考えろと。確か熊本だったかに、通称「赤ちゃんポスト」ってありましたよね? これについては反対意見があるようですけど、一つの命をどう考えるかとすれば本当は良くないことかもしれないけど、寒空の下で放置されるよりはマシじゃないかと思ってしまいます。 繰り返しになりますが、赤ちゃんポストを推奨しているわけではないのです。自分の快楽のみを求めて後は野となれ山となれでは困る、避妊しなかったらどうなるのかもっと真剣に考えろ! っていうことなんです。今の若い人はあまりそんなこと考えないのかな・・・。
2009年02月23日
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先日の東京出張の際に、有楽町献血ルームで献血してきました。東京都内の他の献血ルームにも行ってみたいのですが、時間的にはここが一番近いのです。 さて、今回も成分献血で少し待ち時間がありましたが、それでもほどなく順番となりました。いつもどおり左手に針を刺してスタートしたのですが、どうも調子がおかしい。1回目の「返し」の際にピリピリと痺れるような痛みが走ったために献血中止となりました。 私の場合、献血の針を刺す位置が肘の外側の血管に刺すためになかなかうまく入らないことがあるようで、担当者泣かせの血管のようです。(それでも大阪の献血ルームの方は外れることは少ないんですけど・・・) 献血中止となりましたが、採取した血液をどうにかして戻す作業は必要とのことで、右手の血管を見てもらいましたが、左以上に困難を極めるような血管だそうで結果的には採取した血液を戻さないこととなりました。左手だけでなく、右手もろくでもない血管です・・・。 ところで、次回の献血時期はいつになるかということなのですが、成分献血の場合、一旦血液を採取して必要な成分を採ってから再び体内に戻すという作業を繰り返すわけですが、今回の場合血液を採取したところで止まってしまったので、全血と同じ扱いになるそうです。このため、次回は4月に入ってからということになってしまいました。まぁ仕方ないけどね・・・。 そして、結果が送られてきました。コレステ君は高止まり傾向が少しだけ改善されたようで175になっていました。ただ、血圧が私にしては高いようで122と85でした。最近このくらいの数値が続いています。高血圧の薬を飲んで血圧を下げている方にとってはうらやましい数値かもしれませんが、私にとっては少し高いのかなって思ってしまいます。 前出のとおり次回は4月に入ってからなので、それまでは体調を整えてがんばっていきたいと思います。
2009年02月22日
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先日車で走っていたら、面白いバス停を見つけました。何度かその道は走っているのですが、やっと写真に収めることができました。 イモ山 奈良交通のバス停で、奈良県生駒市の国道163号線にあります。 周辺は新興住宅が建ちつつあるところでして、その昔はひょっとしたらイモ畑が多かったのかもしれませんけど、バス停の周りには特にイモ畑はありませんでした。 このような変わったバス停の名前をまた探して紹介したいと思います。
2009年02月21日
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今週は火曜日から今日まで連続して日帰りの出張が続きました。いやぁ、疲れましたよ、ホントに・・・。 そんな状況の下、軽く一杯ということで今回一緒にパートナーを組んだMさんからお誘いがあり、神戸・三ノ宮の串カツ屋さんの「まこと」へ行きました。この「まこと」は私にとっても一押しの串カツ屋さんで、今の部署にやってきてからも今回の出張チームのメンバーと何度か行っているのですが、中でもMさんはとてもお気に入りとなったようで、しかも今回の出張場所がJR沿線であったことも幸いして行くことにしました。 なお、今回の出張のチームのメンバーは4人だったのですが、他の方は外せない用事があったり体調がよくなかったりして、参加することはできませんでした・・・。 さて、Mさんと二人で串カツを食べながら今回の出張の話しやMさんの趣味のボウリングの話しで盛り上がっていました。立ち飲みなので1時間程度でしたがおいしく串カツをいただきました。 Mさん曰く、「ここのお店のソースの味が絶妙だし、何本食べても胃もたれしないのがいい」とのことで大変満足しておられました。 しんどい出張だったので、ラストにこうやって息抜きをするというのはいいですね。来週も大変ですが、またこうして串カツが食べに来られるようがんばって行きたいです。
2009年02月20日
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ろれつの回らない記者会見での映像が全世界に配信され、一躍時の人となった中川元財務大臣。その言い訳が何とも面白くて、突っ込みどころ満載でしたね。 「ワインは飲んだけど、ごっくんはしていない」→ワインのテイスティングならまだしも、そんなことをするヤツがいるかよ・・・。 後々で明らかになった情報によると、自分で注文したそうじゃん、このワインも。飲む気満々じゃん・・・。 「風邪薬を飲みすぎて・・・」→風邪薬ってたくさん飲んだからといって、即効性なんてあるわけないじゃん・・・。 っていうか、風邪薬を飲みすぎたら、とっても危ないってわからないかな・・・? この他にもあったかもしれないけど、この二つのフレーズは特に印象に残りました。 それにしても、こんなヤツが日本の代表としてローマで行なわれていた先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)に出席していたという恥ずかしいわけですが、世界的な不況をどう打開して行くかを話し合うという緊張感もなにもないんですね、こいつには。ローマへ観光に行くって思っていたんでしょうね。だから飲酒することにも何の抵抗も感じなかったんでしょう。 私も含めたサラリーマンなら、大事な会議に行くのにアルコール引っ掛けては行かないでしょう。景気付けに飲んで行くかって冗談で思っても、そんなことはしない。当たり前ですよね、「仕事に行く」んだから。 でも、政治屋は本業(金儲け)の片手間に仕事しているって思っているんでしょう。こいつだけでなく、日本の政治屋みんなそうなんじゃないの? 仮に今回、本当に体調が最悪だったとして、風邪薬は飲んでいたとしてもアルコールはとらないでしょう。風邪薬には睡眠作用があるそうですし、アルコールとあわせて摂取することは酩酊してしまうおそれがあるから危険です。意外とそのようなことをしている人がいるそうですけど、やめておいた方がいいですよ。 さて、こんな楽しい話題を提供してくれたので、本人の辞職は当然としても当分はこのネタで遊べそうですね。 二日酔いで職場に出てきても、「いやぁ、ちょっと風邪薬のみすぎてね・・・」 飲酒検問で引っかかっても、「アルコールは飲みましたよ、でもごっくんはしていない・・・」なんてね。 まぁ、社会一般的には通用するとは思えないので、よい子はマネしないでね。こんなバカな言い訳が通用するのは永田町だけだそうですから。
2009年02月19日
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先日のこのブログにも書きましたが、意識不明の父親に代わって私が確定申告の手続きをすることになりまして、母親から医療費に関わる領収書をもらってきて準備していました。そして、事前に手書き様式でやってみると、何となく分かってきました。そんなに難しくはないんですね、手間はかかるけど。なにより、医療費関係は薬代とか交通費にかかる領収書が多くて計算するのが面倒くさい。よって、excelに領収書の明細を入れておいて計算してみました。入力の手間はかかるけど、計算は間違いないからね。 そうしていたときに、「パソコンで申告書を作成してそのまま送信することができるe-Tax」という言葉に引かれて、便利そうだったのでそれを利用しようとしましたが、これもなんとも面倒くさい。というのも、事前に「電子証明書の発行」をしておかなければならず、しかも『住民票のある市区町村の窓口で、住民基本台帳カード(ICカード)を入手し、電子証明書発行申請書等を提出して電子証明書の発行を受けてください(手数料が掛かります。)。』(確定申告書作成コーナーから引用)だって。 それ以外にも、ICカードリーダーが必要等々手間かかりすぎ。まぁ、思いっきり個人情報のものなので、セキュリティのことなどを考えたら仕方ないのかもしれないけど、パソコンを持っているからといって気軽にできるものではなさそうですね。 それはさておき、e-Taxを活用することができないことが分かったので、確定申告書作成コーナーの内容に沿って入力して、最後はペーパーに印刷して提出することになりました。事前の手書き様式での計算結果と同じ結果にちょっとホッとしながら、あとは細かい内容(還付金をどこに入金してもらうのかなど)について、母親に確認して早々に提出しようと思います。 なお、確定申告書作成コーナーの内容に沿って入力して行けば、自動計算してもらえるのでとてもありがたいなぁと思いました。 来年以降もこうやって私が申告の代行をすることになりそうです。
2009年02月18日
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今年のプロ野球から導入される「15秒ルール」。時間短縮のため、ということですが、現場では混乱があるようですね。NPB(日本プロ野球組織)は15秒ルールが「無走者の時に運用するもの」と通達しているようですが、どこまで適用されるのでしょうね。 このルールを少し解説すると、 1.キャッチャーがピッチャーからの投球を受け取る。 2.そのボールをピッチャーに投げ返す。 3.ピッチャーはキャッチャーの出すサインを確認する。 4.キャッチャーに対して投球する。これらの一連の流れのうち、3.でキャッチャーからボールをもらったら15秒以内で投球動作を行なわないとボールカウントが与えられる、すなわち「投げてもいないのに、ワンボール」ということになってしまうというルールです。 まぁ、確かにランナーもいないのに必要以上にピッチャーがボールを持ちすぎるというのもどうかと思うので、それだけみればいいことだと思います。ただ、当該打者が強打者で、ましてや前の打席で打たれたりしていたら慎重に攻めないといけないので、サインの交換に時間がかかることが予想されるから適用されるのは厳しいのではないかなって思います。 話しはそれますが、野球が現在のように時間がかかるようになったのは割りと最近の話しのようですね。昭和30年代のプロ野球は「投高打低」で変な駆け引きもなかったと聞いたことがあります。かつて東映フライヤーズのエースでヤクルトスワローズや日本ハムファイターズの監督も務めたことのある土橋正幸さんの場合、いかにも気が短そうな江戸っ子という雰囲気(実際に江戸っ子なんですが)と相まって、その投球間隔は非常に速くて「ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」と言われていました。土橋さんのインタビューでも「サインの交換なんかで時間がかかったりしたら、お客さんから『待たせるな!』ってやじられたものだ」って話していましたし、この当時は土橋さんが特別な存在ではなく、他のチームの投手もテンポよく投げていたそうです。 それがだんだん時代を経て試合時間が長くなって来たのは野球の性質が変化して来た、つまりサインが複雑になったり攻め方もより複雑になったりして、単純に「力対力」という単純なものではなくなってきてのでしょうね。 話しをもどして、15秒ルールによって多少なりとも試合のテンポがよくなればいいのですけど、野球って意外と「間を大事にするスポーツ」なので適用はなかなか難しいのではないか、って思います。
2009年02月16日
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昨日はバレンタインデーでしたね。みなさんの成果はいかがでしたか? 本命の人からもらえました? あるいは渡せましたか? 私は誰からももらえていませんが、子どもたちはもらって大喜びでした。上の子どもは友チョコをもらっていました。友チョコって、なんだかほほえましくていいですね。上の子どもは特に友チョコの準備をしていなかったようなので、来月の14日にはそのお返しをすることにしています。 さて、下の子どもはどうだったかというと、近所の女の子からもらってちょっとうれしそうでした。でも、一番喜んだのは保育所当時からずっと一緒で今の小学校でも同じクラスの幼なじみの女の子からもらったプレゼントでした。ちょうど私と上の子どもが買い物に出かけていたときに、わざわざ届けてくれたそうです。(その女の子の家は私の家から離れたところに住んでいる) 届けてくれた時は「あっ、ありがとう」って普通だったのですが、その女の子が帰ってからは「やったー!」って大喜びだったそうです。下の子ども、実はその女の子のことが好きだそうで、その女の子も下の子どものことが好きなようです。下の子どももその女の子もクラスの中で背が高い(下の子どもにあっては横にも大きい)ことから親近感がわくんでしょうね。 その女の子からもらったプレゼントの写真がこれです。 手作りクッキーですね、一生懸命つくってくれたんでしょうね。 これからも仲良くしていってほしいなぁと思いました。
2009年02月15日
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先日7日は私の上の子どもの誕生日でしたが、昨日13日は私の母親の誕生日でした。そこで、私のお気に入りのお菓子の一つである北海道帯広市の「クランベリーのスイートポテト」を取り寄せして、実家で一緒に食べる事としました。 このスイートポテトは以前にこのブログでも紹介していまして、本来なら北海道へ行って食べたいところなのですが、行くだけで数万円かかってしまいます。クール宅急便代なら数千円ですから、お取り寄せすることにした次第です。 今回は妻は下の子どものインフルエンザが伝染ったのかどうかわかりませんが、体調が悪かったために私が子どもたちをつれて実家へ行っておやつの時間に食べました。冷やしていたのでしっとりと甘すぎないおいしさが口の中に広がって、おいしかったです。上の子どもはこのスイートポテトが大好物で、まだ自宅用に残していますので、「明日の朝、1本(1本と言っても上のブログで紹介した写真を見てもらえればわかるのですが、結構大きいのです)食べていいよね。お誕生日だったんだから」という始末。もちろん、そんなことは認められないわけですが、それくらい気に入っているのです。 母親も喜んでくれて、父親の一件以来少し元気がないので、甘い物でちょっとは気持ちが回復してくれたらと思いました。 ところで、心配なのは私の妻です。お腹に風邪の菌が入ってしまったみたいだし、インフルエンザは直接は関係ないみたいですけど、ちょっと続いているのでね。私も気を付けないといけないなぁ。
2009年02月14日
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昨日と今日、東京へ出張していました。もっとも仕事は昨日のみで、今日は年度末に差し掛かる時期なのですが、無理を言って休みをもらってどうしても行きたかったところに行ってきました。その辺は後日・・・。 さて、今回の出張では幼なじみでこのブログにもコメントをくれたことのあるナカシン君と久しぶりに会う約束をしていたのですが、彼の方の仕事関係で急遽会えなくなってしまいました。電話では話しましたが、その内容はここでは書けませんけど会ってくわしい話しを聞きたかったなぁという内容でした。 ホテルは京浜東北線の大井町駅前のアワーズイン阪急に泊まりました。ここは各部屋にはユニットバスはないものの、大浴場が別にあるというちょっと変わったつくりになっていまして何度か泊まった事はあるのですが、最近はパック旅行でないと経費としておりませんので、久しぶりの宿泊となりました。なお、この宿泊はもちろん「自腹」です、当然ですけど。 大井町周辺はあまり知りませんので、どこへ行って夕食にするか迷ったのですが、「東小路」という昭和30年代にタイプスリップしたような狭い路地でみつけた「中華そば」の文字に引かれて一軒の中華料理屋さんに入りました。ホント、昭和30年代の映画に出てくるような路地だったので、気分は映画俳優みたいな感じで歩いていて見つけたお店なのですが、決してきれいなお店ではなかったのですが、お客さんの数が多くて流行ってそうだったので入ってみました。 店の雰囲気もどこかの映画のセットのような感じで、「もやしそば」の文字に引かれてそれを注文するとでてきたのはこれでした。 あんのかかったもやしなどの野菜が載っていて、黒い物体は他の方の情報によると焦がしネギだそうです。麺は平たい細麺で、あんが重いので麺がうまく吸えないんです・・・。それでも、あんのおかげでなかなか冷めにくかったです。 それにしても、私以外の方もこのもやしそばを注文される方が多かったので、人気メニューなんでしょうか。お店の名前は「永楽」という名前でした。大井町にはこうしたお店が多いのでしょうか、かなり以前に泊まった時は今回行ったところまでは足を延ばしていなかったのでよくわかりません。 でも、なかなか面白そうなところを見つけましたよ。
2009年02月13日
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各地でインフルエンザが流行っているみたいですね。私の子どもたちの学校でもインフルエンザにかかって学級閉鎖になっているというところもあるみたいです。 さて、私の下の子どものクラスでもインフルエンザにかかっている子どもがいるみたいでして、それが伝染ったのか今週の月曜日の未明に急に高い熱が出ました。過去に高い熱がでて熱痙攣を起こした下の子どもですので、翌朝仕事を休んで病院へつれて行きました。熱は38.5℃だったのですが、本人は至って元気。インフルエンザの検査でも問題なしで、普通の風邪だと思っていました・・・。 ところが、その日の夕方になって病院から電話がかかってきて、「インフルエンザA型の反応がでています」とのことでした・・・。せっかく高いカネだして予防接種受けたのに、なんだよ~ おかげで月曜日丸々一日と火曜日の午後、今日も昼過ぎまで下の子どもを看病していました。看病といっても、薬のおかげでそんなに高熱にもならず、そんなに大変ではありませんでした。本人の機嫌もよかったし。下の子どもは2年前にもインフルエンザにかかっていて、その2年前にもかかっているみたいですが、いずれも高熱をだしていないのは幸いです。前出のとおり熱痙攣の恐怖がありますからね・・・。 下の子どもは明日、病院へ行ってすっかり治っていることが確認されれば学校へ行くことができるんですけどね。多分大丈夫だと思うんだけどね・・・。
2009年02月11日
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麻生太郎内閣がついに「退陣水域」に突入した。報道各社が10日公表した世論調査で、内閣支持率が14%~19.7%となったのだ。首相が先週末の国会審議で、郵政民営化に「反対だった」とした"自爆答弁"が大きく影響したとみられる。2009年度予算が成立した後、与党内から「麻生降ろし」が吹き荒れる可能性が高まってきた。 「真摯に受け止める」 首相は9日夜、支持率下落について、こう語った。消費税増税やキャリア官僚の「渡り」問題を乗り切った直後だけに、今回の「郵政発言」は致命的といえる。 5日の衆院予算委、首相は「私は(郵政)民営化に賛成じゃなかった。解散の詔書にサインしないといって騒ぎになり、最終的に賛成した。私は担当大臣じゃなかった。ぬれぎぬをかぶせられると、俺もはなはだ面白くない」と言い切った。 世論調査はこの直後に行われた。自民党が圧勝した郵政総選挙や内閣の存立基盤を否定するような発言が、国民の反発を受けたとみられる。 首相は9日の同委で「(総務相に)指名されたときは反対だった。しかし、2年間勉強して最終的に変わった」と修正したが、後の祭り。 野党だけでなく、自民党内からも「自ら反転攻勢の芽を摘んだ」(中堅)、「信念、政治哲学のない人を首相にしてはいけなかった」(国対幹部)との麻生離れが加速した。求心力回復は絶望的になってきた。【ZAKZAK から引用】 自分では「(発言は)ぶれてない」ってコメントしているみたいだけど、ぶれているようにしか聞こえないのは私だけ? もうはっきりいって、郵政民営化の話しでアソウのコメントがぶれようがどうでもいいんだけど、ここまで問題になるのはそもそも「郵政民営化っていったいなんだったのか?」ということに尽きると思います。別に私たちの生活の中で不便なことはなかった郵政事業をなぜ改革しなければならなかったのか、未だにそれがわかりません。 確か「郵政ファミリー」だったか、不透明な話しがいろいろでてきたように記憶していますが、こんなのはあってはならない話しだけど、どんな組織でもある話し。海外では国が郵便事業を直轄事業としてしているところが少ないから、というのもあてになりませんし、もし本当の意味での民営化をするのであれば、もっと民間が参入できなければならないのに、「ポストを全国津々浦々まで設けないと参入できない」だったかな、そんな理不尽な理由で参入が事実上できない仕組みになっていたようにも記憶しています。 ということは、郵政民営化がなぜ必要だったんでしょうね。「官から民へ」「民間でできることは民間で」というなら、例えば郵便事業もそのように出来たはずなんです。それが族議員の抵抗もあり、またコイズミ自身もその辺は別にどうでもよかったんでしょう。郵政民営化の本当の目的は郵便事業じゃなかったんでしょうから。 結局のところ、コイズミが「郵政民営化に賛成か反対か」という1点だけで衆議院を解散し、そこまで執念を燃やして大騒ぎしたわりには、「いったい郵政民営化って何だったんだろう」って感じです。何の目的があったのか、今となってはコイズミにしても郵政民営化なんてどうでもいい話しなんでしょうけど。 でも、一番けしからんのは、郵政選挙当時に勝ち馬へ乗りたい連中は「本当は(郵政民営化に)反対したいけど、楽な議員生活を終わらせたくないから」ということなのか、自らの考えを曲げてまであるいは応援してくれる有権者の意向を無視してまで郵政民営化に賛成し、今になって「いやぁ、ホントは反対だったんだよね」だって。こいつら政治屋のいうことなんてトイレットペーパーよりも薄いんだけど、ここまでペラペラかよって思いますよ。 コイズミが残した問題はいろんなところに遺産のようにあるわけですが、何だか中途半端なものばかりのような感じですね。
2009年02月10日
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2月1日から昨日まで行なわれていた上記コンテストの結果です。 このコンテストは奈良県内の全ての市、全ての郡にあるアマチュア無線局と交信するのが最終目的でした。奈良県はご存知のようにそんなに大きな県ではありませんから意外とできそうな気がしましたが、これがなかなか難しい。奈良県には市は奈良市、生駒市、大和郡山市、天理市、香芝市、大和高田市、橿原市、桜井市、宇陀市、葛城市、御所市、五条市の12市、郡は北葛城郡、生駒郡、山辺郡、磯城郡、高市郡、宇陀郡、吉野郡の7郡がありまして、このうちの葛城市のアマチュア無線局と交信することができませんでした。まぁ、仕方ないですけどね。 なお、このコンテストには私の職場の同僚でこのブログにもコメントを入れてくれているyoshi君も参加していまして、彼は全市全郡と交信することができたそうです。 県内の全ての市及び郡と交信することはできませんでしたが、それでも74局(重複したアマチュア無線局を除く)と交信することができました。これとて数的にも大したことはありませんが、14年ぶりに交信することができた方とか私の自宅から徒歩圏内にお住まいの方とも交信することができてうれしかったです。 このようなコンテストは多くの方と交信できるのでおもしろいのですが、短時間しか交信できないのが難点です。コンテストも終わったので、ゆっくりと交信する機会を持っていければと思います。
2009年02月09日
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今日は風は少し冷たかったけどいい天気だった奈良地方です。 昨日11歳の誕生日をむかえた上の子ども、今日は保育所当時からの仲のよい女の子4人組でチョコレートをつくるということで、昼からお友だちの家へ行きました。バレンタインに近いから、その前に自分たちで作ってみようということなのかどうかわかりませんけどね・・・。それでも、久しぶりに仲良し4人組が集まるということで、上の子どもは昨日からワクワクしていました。 そして、夕方持って帰って来たのが下の写真のチョコレートです。 左側が生チョコタイプ、右側が粒キャンディーを入れ込んだホワイトチョコです。 なかなか上手に出来ていて、おいしかったですよ。上の子どもはあまりお手伝いしていなかったみたいですけど・・・。それでも、仲のよいお友だちが集まってつくるというのが楽しいんでしょうね。 最近はみんな習い事とかで一緒に遊ぶ機会が少ないみたいなので、楽しい時間をすごすことができたのではないでしょうか。 また今度はBBQなどで集まれたらいいなぁと思いました。
2009年02月08日
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今日は上の子どもの誕生日でした。1998年2月7日に産まれた上の子ども、11歳になりました。身長は152cmと大柄の女の子になり、今日も夕方には剣道の稽古にいってました。剣道の方はよくがんばっているみたいです。 それに先立って、今日の昼食は桜井市にある「ベーカリーレストラン茶々」に行ってランチを食べました。ここは小さなパンがたくさんあって、しかも食べ放題ということ。ランチも5種類あってなかなかおいしかったですし、パンも小さいためにたくさん食べられるのでお腹いっぱいになりました。 小さなバスケットだったので何度もお代わりに行きました。 ベーカリーレストランで食べ放題というのは、子どもたちだけでなく妻も好きなのでよく行くんですよ。 上の子どもは剣道はよくがんばっていますが、そのがんばりを他の事にも活かしてくれれば、と思います。 先日の授業参観でも積極的に手を挙げて発言するわけではなく、ちょっと積極性がないかな。もっとこういうところを少しでも出してくれたらいいんだけどね。 明日は一日遅れのお誕生日会なのか、保育所当時からのお友だちの家で仲良しメンバーが集まるそうです。上の子どもは今からワクワクしていまして、なんだかほほえましくてこっちもうれしくなります。
2009年02月07日
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プロ野球の毎日、大毎(現ロッテ)阪神などで強打者として活躍し、ロッテと中日で監督を務めた山内一弘(やまうち・かずひろ)氏が2日午後7時26分、肝不全のため、都内の病院で死去していたことが5日、分かった。76歳だった。近親者で密葬を済ませた。シュート打ちの名人で2度の本塁打王、4度の打点王、1度の首位打者に輝いた。現役通算2271安打、396本塁打、1286打点で昭和生まれで初めて2000安打を放った。指導にも熱心で「(やめられない、とまらない)かっぱえびせん」との異名をとった。 強打で鳴らした山内氏が静かに逝った。肝不全だった。楽しみにしていたオフのロッテOB会も昨年、一昨年は欠席。07年3月24日のロッテ開幕戦(千葉マリン・日本ハム戦)の始球式を務めたが、スタジアム内の移動は車いすだった。だがそこは野球人。始球式ではベンチから歩いてマウンドに上がり、大役を果たすと歩いて戻った。うまく投げられなかったが「私の専門は打つ方だから、球が重く感じたよ」と笑わせた。 その後は、公の場に姿を見せることもなくなり、今年の球春到来を告げるキャンプインの翌2日に息を引き取った。大毎時代の監督だった西本幸雄氏は「調子が悪いとは聞いていたが、今年も年賀状がきたので元気だと思っていた」と残念がった。 社会人を経て、52年に毎日に入団。60年には本塁打王、打点王の2冠に輝き、大毎の優勝に貢献、最優秀選手(MVP)にも選ばれた。64年に、通算320勝を挙げた小山正明投手との"世紀のトレード"で阪神に移籍し、70年限りで引退した。内角球を巧みにさばくバットコントロールから「シュート打ちの名人」「打撃の職人」との異名をとり、MVPを3度受賞したことから「オールスター男」と言われた。 引退後は巨人、阪神などで打撃コーチを歴任。ロッテ、中日で指揮を執った。中日落合監督にもルーキー時代、ロッテ監督として打撃理論を伝授した。オリックス時代はイチローを指導した。気がつけば、他球団の選手にまで打撃理論を教えてしまうほど熱心な指導者だった。 フランス代表監督だった吉田義男氏は、94年の約6カ月間、臨時打撃コーチとして現地に招いた当時を思い出して言った。「遠征先のイタリアから帰る汽車の中で、フランス語を話せない山さんが、ずっと身ぶり手ぶりでフランス人にバッティング技術を教え続けるじゃないですか。パリに到着するまでですよ。その熱心さに、フランス人選手もいつの間にか耳を傾けていたのは驚きでした」。「かっぱえびせん」山内氏には国境など関係なかった。 【日刊スポーツ ネット版から引用】 インコースの難しいシュートをいとも簡単に打つ事から「シュート打ちの名人」、あるいはスポンサーの賞品がかかったオールスターゲームでは無類の勝負強さを発揮することから「オールスター男」、自チームの選手はもとより相手チームの選手が打撃について聞かれれば、とことん教えることから「教え魔」などいろんな異名のついていた元毎日・大毎~阪神~広島で主軸として活躍、ロッテや中日で監督も務めた山内一弘さんが亡くなったとのこと。さすがに私は現役の頃は知りませんが、コーチとして監督としていい味の雰囲気を持っていたひとだなぁと思っていました。 さて、昨日のスポーツニュースで山内さんの現役時代の打撃フォームが紹介されていましたが、インコースの球(特にシュートボール)を体のひねりを最大限活かし、理想の軸回転でいわゆる「バットが体に巻きつく」ような打撃フォームでした。 シュートボールというのは右投手が右打者を抑えるために非常に有効な球で、現在中日監督の落合監督が現役時代に、横浜の盛田投手を大の苦手にしていたのは盛田投手の決め球のシュートを打ちあぐねていたからでした。シュートを武器にする投手にしてみれば、「インコースの厳しいところにシュートを投げ込んでおけば、打ってもボテボテのゴロか力のないフライで打ち取れる。もしくは悪くてもファール。仮に見逃されてもその次に外角に逃げる球を投げれば引っ掛けてくれる」って多少は計算できるかもしれません。でも、山内さんのような打撃フォームの持ち主なら、組み立てが難しいですね。 ところで、今日の新聞やスポーツ誌では山内さんの死を悼む記事を読むことができましたが、この日刊スポーツの記事の最後の方にある『「遠征先のイタリアから帰る汽車の中で、フランス語を話せない山さんが、ずっと身ぶり手ぶりでフランス人にバッティング技術を教え続けるじゃないですか。パリに到着するまでですよ。その熱心さに、フランス人選手もいつの間にか耳を傾けていたのは驚きでした」。「かっぱえびせん」山内氏には国境など関係なかった。』というムッシュこと、吉田義男さんのコメントが面白かったのでここでも取り上げさせていただきました。野球が好きな人には例え言葉が通じなくても教えるという、まさに「教え魔」の真髄を見た様な気がします。 そんな教え魔の山内さんに指導されて格段によくなったという選手も数多くいるなかで、山内式打撃理論の規格外の選手もいたそうですが、「プロとは技術を盗むもの」という厳しい世界の中で、教えられればとことんまで指導してくれる人もありがたいのかもしれません。それだけ野球が好きなんですね。 山内一弘さんのご冥福をお祈りします。
2009年02月06日
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自民党は4日、党本部で選挙対策委員会を開き、来夏の参院選に向け比例代表の公認候補者選定基準を一部緩和することを決めた。来年7月25日の任期満了日現在、70歳未満を候補者とする「70歳定年制」について、選対委などの権限で例外を設ける。07年参院選で岡山選挙区で落選した片山虎之助元総務相(73)らの立候補を念頭に柔軟に対応することにした。 自民党は国政選挙で比例代表の定年など公認候補の選定基準を決めている。88年に導入した参院比例の定年は70歳。当時の平均寿命が76歳程度で6年間の任期などを考慮した。一方、解散がある衆院は平均的任期が3年程度のため、定年を76歳から三つ引いた73歳に設定。95年からの移行期間を経て、03年から正式導入している。 ただ、選定基準には「総裁が国家的有為な人材と認めた者、または支持団体が余人をもって替え難い候補者と決定し総裁が認めた者は(略)特別例外的に扱える」との一項がある。古賀誠選対委員長は4日、記者団に「少し緩やかにしたい」と述べ、例外適用の判断を総裁から選対委に落とす意向を示した。 選定基準の緩和により、参院自民党は片山氏のほか、前回東京選挙区で落選し、今春70歳になる保坂三蔵氏(69)らの擁立を検討。片山氏は3日、都内の会合で「良識の府が政局の府になっているが、本来の参院の役割に変えるべきだ。自分にはもう少し賞味期限が残っている」と述べ、次期参院選への出馬を宣言した。 自民党への逆風が強まる中、執行部は「選定基準を厳格に適用して、組織力のある候補を選べないのはマイナス」(幹部)と判断、勝利を優先する現実対応に踏み切った。しかし、山本一太参院議員がブログで「『色褪(あ)せた知名度』より、『未知数の可能性』を優先すべきだ」と指摘するなど、中堅・若手からは異論も出ている。【毎日新聞ネット版 から引用】 『総裁が国家的有為な人材と認めた者、または支持団体が余人をもって替え難い候補者と決定し総裁が認めた者は(略)特別例外的に扱える』だって、笑いと言うより呆れますね。 「国家的有為な人材」なんて、現在の政治屋にいるんですか? 国の限られた予算を我田引水のごとく引っ張ったり無用な公共事業をする「有害」な人ならたくさんいるでしょうけど。 また「支持団体が余人を持って替え難い候補者」っていうのもいますか? 当該団体の言うことを何でもかなえてくれるドラえもんみたいな人を指しているの? 「経験がものを言う」なんていう人もいますが、その経験だってせいぜい省庁に圧力かけて法案をねじ曲げたり、予算をぶんどったりして支持者や支持団体にえらそうに振る舞うだけでしょ。せっかく「候補者の70歳定年制」なんていう本当に自分たちの都合のいいことしか考えていないはずの自民党がここまでがんばって考えたのに、何を考えているねんって感じです。やはり、自分たちの都合のいいことしか考えていないんですね。「候補者の70歳定年制」だって、こうなることを見越して選挙対策としてぶち上げただけだったのかも。 いつもはピントの外れたコメントしかしない山本一太議員の「『色褪(あ)せた知名度』より、『未知数の可能性』を優先すべきだ」というコメントがごくごく普通に聞こえるんですけどね。本当にこの国をどうしていきたいのかを真剣に考えて行動してくれる人に国政を託したいのに、世襲制の問題と含めて政治がこんな体たらくならいつまでたってもこの国は変わりませんね。
2009年02月05日
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大阪府の橋下徹知事(39)は3日、府立高校の校長を対象にした毎日新聞のアンケートで、進学指導に特色を置いた学校を設置するとの府教育委員会の方針に7割近くが反対する結果が出たことに「僕はできないが、どうやって(校長の)首を飛ばすか」と不満をあらわにした。発言は府教委に批判的な校長への脅しとも取れ、波紋を呼びそうだ。一方、同日出演したテレビ番組内では「(過激発言しないと)組織は動かない」と釈明し、理解を求めた。 (中略) 世論調査で89・5%の高支持率を得たことから「やっぱり(府民の支持する)僕の価値観に合わしてもらわないと」と強引に締めくくった。 一方、同日夕の同局の報道番組「VOICE」(関西ローカル)で、知事の「言葉遣い」を問題視する府民の声を伝えられると「ハハハハッ。そういう風に言わないと組織が動かないこともご理解いただきたい」と、相次ぐ過激発言も計算の内だとして笑い飛ばしていた。【スポーツ報知 ネット版から引用】 人気弁護士としてTVで歯に衣着せぬ言論が持ち味の橋下氏。その小気味よさはいいと思いますし、世論調査でもかなり高い評価を得ていますが、私はどうしてもこの人が好きになれません。知事選に出馬前に「20000%出ない」と大見得切っていたのに出馬したことは割り引いても、知事として公人になっているにもかかわらず、相変わらず人気弁護士としてTVに出ていた時のままで知事をやっている感じ。 だから、先頃も「クソ教育委員会」と記者会見の中で暴言を吐いたり、今回も「どうやってクビをとばすか」なんて発言したり。『そういう風に言わないと組織が動かないこともご理解いただきたい』と全く問題視していないみたいだけど、教育を重視するこの人がこんな言葉遣いで問題ないのかよく考えないといけないんじゃないの、って思うんだけどね。 話は横道にそれますが、先日の私の上の子どもの授業参観で先生にため口聞いている生徒がいまして、先生は特に注意していませんでした。さすがに保護者(その子どもの保護者はいなかったそうですが)の面前で鉄拳制裁はできませんからね。でも、上の子どもに聞くと、翌日は鉄拳制裁を受けたそうです。でも、その子どもに「(過激発言している)橋下知事はええの?」って聞かれたら、何て答えるの? 教育に熱心な橋下知事がもっとその辺をよく考えてコメントしないとTVの影響って大きいのにわからんかな、この人には。 なんだかこの人のやっていることって、コイズミのパフォーマンスをそのままなぞっているような気がするんですよ。自分の意見を批判するものは全て抵抗勢力、それと戦うのが自分であって『(府民の支持する)僕の価値観に合わしてもらわないと』っていうコメントがそれを物語っています。 でも、あえて自分の意見に対して批判的な意見にも耳を傾けていかないと、こんな感じの人は自分の周りをイエスマンでそろえるでしょうから、勢いのあるときはいいけど足下をすくわれる可能性も大きいのではないでしょうか。そのような状況は企業の不祥事でもみかけるでしょ。 私自身は大阪府民ではないので好き勝手いいますけど、公人なら公人らしくもっと謙虚に対応していかないとあかんのとちゃいますかねぇ。
2009年02月04日
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私の父親が意識不明で入院するようになって半年を越えましたが、いつも父親がやっていた作業をしなければならなくなりました。 それは「確定申告」。父親は年金生活を送っていたわけで、毎年医療費の領収書やその他の計算書をまとめて、計算しながら申告書に書きこんでいたようです。元々建築士でしたから、役所に提出する書類の書き方などはある程度慣れていたと思いますが、私のように会社勤めにはあまりなじみがありません。ましてや、私の母親なんて、国税と都道府県・市町村税の違いも今一わかっていませんから、この確定申告の手続きをどうするねん、っていうことになりました。 そこで、私が昨年父親が提出しているものを参考にしながら、平成20年中に支払った医療費等の領収書や計算書を預かって作成することにしました。 やってみると、記載方法を丁寧につくってくれていることからそんなに難しくはありません。所得っていっても、年金だけですから、昨年に提出している内容とそんなに大きく変わるわけではありませんでした。インターネットでも提出できるそうですから、それで提出してみようかと思います。 でも、その前に税務署で予めチェックってしてもらえないのかな・・・? 確定申告を提出しなければならないみなさんは、もう準備完了でしょうか? 早めに提出して漏れのないようにしたいですね。税金はどんな敵よりも手ごわいですから・・・。
2009年02月03日
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日本ハムは1日、一軍キャンプ地の沖縄・名護市営球場で、故大社義規前オーナーゆかりの「背番号100」を永久欠番とするセレモニーを実施した。球界発展への貢献で1月に野球殿堂入りした故人の功績を記念するもので、永久欠番は球団初。この日公開した100番のユニホームはキャンプ期間中、同球場内に展示する。 100番は日本ハムが1981年にパ・リーグを制した後、前オーナーが「次はこれを着て胴上げしてもらいたい」と願い作成したユニホームの番号。前オーナーの誕生日でもある2月1日に行われたセレモニー後、大社啓二現オーナーは「別次元のもの、というくらいファイターズを愛しておられた」と述懐した。【時事通信ネット版 から引用】 ファイターズのオーナーだった大社義規前オーナーが大の野球好きという話は有名で、球団買収後なかなか強くならなかったファイアターズを心から愛して球場にも自ら足を運び、選手に気軽に声をかけていたとのこと。 そしてついに1981年にパ・リーグ優勝をとげ、日本シリーズでは読売に敗れてしまいますが、その25年後の2006年についに日本シリーズを制覇するまでになりました。残念ながら大社前オーナーはその前年に亡くなっておられたので、1981年のパ・リーグ制覇の以来の「このユニフォーム(背番号100)を着て胴上げを」という願いは叶えることは出来ませんでした。 そして大社前オーナーの野球殿堂入りを記念して、この背番号100をファイターズの永久欠番とすることが決定したとのこと。プロ野球では基本的に、3桁の背番号は育成選手以外つけられないはずなので100を永久欠番にしても影響はないのですが、『ファイターズを心から愛したオーナーもファイターズの選手の一員』ということなんでしょうね。 本業の方では最後の方でゴタゴタガありましたけど、オーナーとしてというだけでなく本当に野球が好きだったんでしょうね。まぁ、どっかの球団のオーナーはこんなことにもならないでしょうけどね・・・。 ちなみに背番号100といえば、ファイターズの前身東映フライヤーズが優勝した1962年に当時のオーナーだった大川博氏も背番号100のユニフォームを着てパレードに参加したとか。フライヤーズにしてもファイターズにしても、「背番号100はオーナーの背番号」なんですね。
2009年02月02日
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今日から8日までの予定で、奈良県の2mSSB愛好会主催のマラソンコンテストが行なわれています。アマチュア無線の世界では、このような「コンテスト」というものが数多く開催されていて、交信した局数を競ったり、当該県内の全ての市及び郡から1局ずつ交信できるかどうかなど、なかなか面白い催しであります。 私はこの手のコンテストは、今までほとんど参加していなかったのですが、去年から同じ職場の同僚の誘いもあって少しずつ参加しております。そして、今回も参加することにしましたが、私の場合は局数を稼ぐのは他にもっとすごい人がゴロゴロいますから、どちらかというと奈良県内の全ての市及び郡と交信したいという人に交信のサービスをすることとしました。 そのサービスをするし又は郡をどこにするか職場の同僚と相談したところ、大和高田市が苦労することが多いとのことでしたので、そちらへ車で移動しました。無線は標高のあるところや町中ではなく少し見通しのいいところがベターのですが、大和高田市は基本的にはフラットなところであり、古い町なので住宅が密集していますので適当な場所がありません。そこで、ショッピングセンターの屋上駐車場の一角で行う事としました。 結果的には大和高田市から交信したのがよかったようで、職場の同僚は別のところに移動していたのですが、大和高田市移動の局(すなわち、私)と交信を希望する人が多かったそうです。ただ、残念ながら私は本日は午前中のみの運用だったので、その願いは叶えることはできませんでした・・・。 マラソンコンテストということで平日も交信可能なのですが、私は自宅で無線のアンテナはあげていませんし、さすがに仕事もありますから平日は無理なので、来週日曜日にまた大和高田市へ行ってみようと思っています。
2009年02月01日
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