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JR大阪環状線の弁天町駅に隣接している「交通科学博物館」。1962年に大阪環状線の開通記念事業の一環として設置されて以来52年間、私のような鉄道ファンの聖地として存在していました。1962年というと、まだ東海道新幹線が開業していないわけですから、その歴史の長さを感じます。 屋外に展示されている車両の一部には、このようなヘッドマークが掲げられていました。 まだ1ヶ月あまりありますが、おそらくたくさんの方が来られるんでしょうね。 閉館を前に、建設当時の写真も展示されていました。この写真は、施設の入口付近です。 このような建設当時の写真を見るのが好きな私、ワクワクしながら見ていました。 これは、開業後に制作されたと思われる施設のパンフレットのようです。「日本国有鉄道 関西支社」と書かれていますから、国鉄が社内用やメーカーへの配布用に作ったのではないでしょうか。 あとでも出てきますが、ここに展示されている車両は、本物と同じように作られたレプリカなのです。写真の新幹線は、実際の車両と同じように造られていることを表すものとなっております。 そのようにして造られた車両のうち、国鉄を代表する名機EF58形電気機関車のレプリカがあったのは、私は知りませんでした。 知らなかったといえば、東京~大阪間をわずか14分で結ぶ夢のような鉄道の計画もあったそうで、真空になったチューブ状の中を列車を走らせるものだったようです。ただ、理論上可能でも、人間が乗るにはどうだったんでしょうね・・・。でも、そういったことを大真面目に考えて、少しでも速い列車をつくろうという意気込みは今も昔も変わらないと思います。 それから、現在京都の梅小路蒸気機関車館で保存されているC53形蒸気機関車も、かつてはここに展示されていて、しかも開設当初から展示されていたとか。 さて、私が初めて交通科学博物館(昔は交通科学館という名称でした)に連れてきてもらったのは、確か小学5年生の1978年頃だったと思います。それ以前から親に頼んでいたのですが、なかなか連れて行ってもらえず、ようやく連れて行ってもらえることになったときには、大喜びで前の晩は眠れなかったような・・・。 そして、屋内に入ってまず目に付いたのが、これでした。 蒸気機関車のプレートの数々です。機関車本体はすでに解体されてないのですが、かつて存在した証を表しているようです。 それから、やはり新幹線ですよね。これも写真や子ども用のおもちゃでしかみたことがなかった新幹線、乗ったことも見たこともなかったあこがれの車両でした。実際に新幹線に乗ることができたのは、1986年に就職して東京へ行ったときですからね・・・。 ちなみに、ここに展示されている0系は、1964年開業当初から運行されていた「21-1」など最初期の車両です。 これはレプリカなのですが、新幹線開業前に東京~大阪間を6時間30分で結んでいた151系特急電車のレプリカです。ホント、ここまできちんと造り込んでいるのは、立派だと思います。 それから、鉄道模型を使ったジオラマも楽しみの一つでした。ちょうど行った時には、この日の運転は終了していたのですが、本物そっくりの模型が行き交う様子を飽きることなく見ていたのを思い出します。 再び外に出てみると日本の鉄道の黎明期に活躍した7100形蒸気機関車の「義経号」が展示されていたり(ガラスケースの中に収められたようになっています)、その向こうには入ったことはないのですがホールがあります。このホールのある建物も、開設当初から存在しています。 ところで、私の子どもたちは残念ながら鉄道好きにはなりませんでしたが、それでもここには何度か連れてきたことがあります。その際に、この食堂車(ナシ20 24)で休憩したのですが、この日は営業していませんでした。土日と春・夏休みにのみ営業しているとか。屋外に展示されている車両は、塗色がきれいになっていたのに、このナシ20だけ褪せたままになっているのが残念でした。 この交通科学博物館は、古き良き時代の博物館を色濃く残していて、展示品も基本的には昔からそんなに変わっていないのではないかと思えるようなものが多くて、逆にそれが新鮮に感じることがありました。ただ、時代の移り変わりの中で、鉄道技術も大きく進化し、最新のものを展示しようとするとこの弁天町駅周辺となれば、場所の問題があって広げることができなかったんでしょうね。 今度、京都の梅小路蒸気機関車館に隣接して2年後に新しい交通科学博物館ができるとのこと、おそらく鉄道をはじめとする最新の技術が紹介されるのだと思いますが、どうか現在の交通科学博物館に展示されている古き良き時代の展示品も、何らかの形で展示してあげて欲しいと思います。こういう古い歴史を経て現在の技術に活かされているわけですからね。
2014年02月28日
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今日の昼は、妻と職場近くのカレーショップ「ヤドカリー」へ。ここのカレーはかなり辛い、とのことだったので、辛いもの好きな妻の希望でここになりました。 こんな感じのカレーです。見た目は辛くはみえないのですが、食べてみるとかなり辛いです・・・。妻は、これにさらに辛いものを足していました・・・。ノーマルでもかなり辛く感じた私には、考えられません・・・。 カレーを食べる時に水を飲まない私、福神漬けやその他の漬物でごまかしながら食べていましたよ。 これで800円、もう少しご飯の量が多かったらいいのですけどね。女性客が多かったので、女性にはちょうどいい感じの量なのかもしれませんね。
2014年02月27日
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国鉄の分割民営化前には、多くのローカル線が廃止されていますが、兵庫県にあった国鉄高砂線もその一つです。高砂線は、加古川駅から国鉄の工場のあった高砂までを結んでいた路線で、元々は播州鉄道(→播但鉄道)という私鉄だったものが、戦時中に国有化されたものだそうです。しかし、1984年に廃止されてしまい、路線跡がわずか残っているにすぎません。先日、その様子を見てきましたので、レポートします。(当日は雨模様でした・・・。) スタートは、山陽電鉄尾上の松駅です。山陽電鉄は自動改札はあるのですが、駅員のいない駅があります。 かつてこの駅の近くに、国鉄尾上駅があったそうです。 駅から東方向に歩いていくと、山陽電鉄(山電)がオーバークロスするところをみつけました。この道路がかつての高砂線の線路跡のようです。 その途中には、このような記念碑がありました。 この裏に歴史が書かれていました。ポケットパークのような場所になっておりました。 そして、車輪がモニュメントのように置かれていました。 先程のオーバークロスの場所から、このようにカーブして高砂方向に向かっています。車輪のモニュメントは、道路の右側にありました。ここから、一旦山電尾上の松駅を通り越して、高砂方面へ歩いていきますが、線路跡は道路になっているので、線路があったことを示すものは皆無でした・・・。 しかし、しばらく歩いていくと、小さな川を渡る橋を見つけました。線路は撤去されて、歩きやすいように鉄板が貼られていますが、ここにはかつては線路がありました。その向こうに獣道が続いていますが、ここを線路が通って列車が走っていたんですね。右側の線路は、山電です。 さらに歩いていくと、同じような橋があって・・・、 このように横から見ると、きれいにレンガを積んでいる様子がわかります。横から見ていると、今にも列車が通り過ぎるんじゃないかって思ってしまいます。 ちょうど、山電の直通特急が通過していきましたが、かつては山電と国鉄高砂線のディーゼルカーが並んで走る、なんていう光景も見られたんでしょうね。 線路跡は、閉鎖されておらず、このように歩くことができます。近所の方も散歩されたりしているんでしょうね。 鉄道がなくなって30年が経ちますが、このような鉄橋は撤去されずに残っています。撤去するのもお金がかかりますからね。でも、維持するのもお金がかかるわけで、どのように維持されているんでしょうね・・・。 ここで線路跡は途切れています。山電は鉄橋でこの川(加古川)を渡っていますが、国鉄高砂線も同じように鉄橋で川を渡っていました。鉄道廃止後は、この加古川にかかる鉄橋は撤去されてしまったようで、橋脚も確認できませんでした。ベテランの鉄道ファンが撮影された写真には、ここにあった鉄橋を渡るディーゼルカーの写真がありました。 ところで、山電の列車内からもこの遺構はみることができるのですが、こうして間近でみるのは初めてでした。ちなみに、高砂駅から向こう、かつて国鉄高砂工場のあった場所は、三菱重工業の高砂製作所(高製)が拡張しているとか・・・。
2014年02月26日
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今月の初め、1ヶ月ぶりの献血に行ってきました。場所は、天王寺駅前にある大阪府内で一番新しい献血ルーム、「あべの献血ルーム KIZOONA」です。この日は、結構混雑していてかなり待ちました・・・。 それだけ献血に関心を持って、多くの人が来てくれていると思えば、うれしいものです。この日も成分献血でした。 結果の方は、コレステ君は前回と同じく200超えという有様でした・・・。その他の数値は落ち着いているのに、コレステ君だけですね、心配なのは。 ところで、この献血ルームでは、例えばジュースの紙コップとかお菓子の包み紙とかを細かく分別回収されていました。それもかなり細かくて、一瞬迷いながら捨てていました。行政からの指導だそうで、既にこのような細かい分別回収になれている方には当たり前かもしれませんが、なれない者にとってはなかなか馴染めません・・・。 話をもどして、次回の献血は年間数量の関係で3月末頃になります。いつも思うことですが、この年間数量ってなんとかもう少し緩和してくれないかなってね。献血したくてもできないんだから・・・。
2014年02月25日
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このところ、寒い日が続いていた奈良地方です。今日も霜が降りて寒かったのですが、このところ畑へ行けなかったので先日行ってみました。 通称1号畝の玉ねぎの様子です。寒くてもそれに負けずに、葉っぱの部分はしっかりとしてきました。 通称2号畝の玉ねぎです。こちらも大きくなっていました。寒い冬のあいだに、しっかりと養分を蓄えているんでしょうね。 通称3号畝のブロッコリーです。こちらは、虫食いのなかった健全の株です。 少し前まで寒さのせいか大きくならず心配しましたが、やっと大きくなってきました。芽もたくさんでてきましたし。 通称3号畝のもう一つのブロッコリー、こちらは一時期虫に食われてえらい目にあった株です。 その後もなかなかうまく大きくならなかったり、ブロッコリーから花が咲いてしまったりして、半分諦めかけていました。でも、放置していたのがよかったのか、花が咲いてしまった部分とは別のところから茎が大きくなって芽が付くようになってきました。もう少し大きくなるまでは時間がかかりそうですが、ブロッコリーって強いんですね。 さて、近々通称4号畝でじゃがいもを植えます。2年目のじゃがいも、先日種イモを買いまして、現在植えるべく準備をしています。今年は1列の畝しか植えられませんが、たくさんできればいいなぁと思います。
2014年02月24日
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今日は大阪城野球場で練習試合がありました。ここは、職場から一番近いグラウンドなのです。ただ、ファールグラウンドがやたら広くて、砂地のグラウンドで守りにくいので、個人的にはあまり好きではなりません。 試合相手は、ジョーカーさん。平均年齢23歳という若いチームでした。 今日は10人の参加で、私はキャッチャーで出場、H12さんとバッテリーを組みました。 試合は、立ち上がりに、H12さんが相手打線につかまり、初回と2回に失点して7-0。ストライクゾーンがやたら狭くて、カウントを悪くしたところを痛打されていました。それでも、それ以降の回は落ち着いて変化球のキレもよくて無失点に抑えました。 その後をT16さんがリリーフしましたが、四球から崩れてしまい3失点。それでも、H12さん同様にそれ以外の回は変化球が切れて相手打線を翻弄しました。 10-0と大きくリードされてしまいましたが、最終回にN11さんとT16さんのタイムリーで2点を返したものの、10-2で負けました。 私は、ヒットが出ずでした・・・。 【今日の成績】 1打席目 二飛 2打席目 投ゴロ 3打席目 遊飛 11打数2安打1打点1三振1四死球 打率.182
2014年02月23日
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私の家のセカンドカー、サンバークラシックが車検となりました。94年式なので、今年で20年目を迎えますが、まだまだ元気に走っています。最近、オイル漏れに悩まされておりまして、この辺は富士重工の車共通のことだそうで・・・。ダダ漏れじゃないから、そのまま放置していますが。 さて、その車検の代車で借りてきたのはこれです。 スズキのパレットという車です。 スズキには、ワゴンRという代表車種があるのですが、ワゴンRよりもさらに室内を高くしたのがこの車です。ワゴンRも結構ゆったりしていたのですが、このパレットはそれよりもさらに高くて、サンバークラシックも箱バンのハイルーフだから、同じような感じがしました。 室内は、ATだしカーナビがついていたりという、今の車の標準の仕様ですが、それ以上にびっくりしたのが、エンジンをかけるのが「プッシュボタン」ということ。ブレーキを踏みながらボタンを押すとエンジンがかかり、エンジンを止めるときは再びボタンを押せば止まるというもの。このパレットはハイブリッド車でも電気自動車でもありませんが、まるで家電のようですね・・・。こんな車がこの先増えてくるんですかねぇ。 それでも、私の家族の反応は悪くありませんでした。この車は車検をお願いしたモータースさんの車でしたが、禁煙車だったのでタバコの臭いがしなかったのもよかったんでしょうね。 そして今日、サンバーがもどってきました。乗った時に感じたこと、「あぁ、やっぱりクラッチ踏んで、ギアチェンジしないとあかんなぁ」ということ。パワステ・パワーウィンドー、カーナビなど快適装備なんて全くありませんが、そんなのなくても充分なんですよね、私にとっては。 ただ、費用が98000円もかかってしまいました。ファンベルトなどガタがきていたし、足回りの錆止め(シャシーブラック)もしてもらったから。あと、タイヤもかなりヤバイ状態・・・。安定して乗るためには、かなりお金がかかりますわ~
2014年02月22日
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フィギュアスケート女子の浅田真央(中京大)は2大会連続のメダルには届かなかった。だが、20日のフリーで、自己ベストを更新する会心の演技を見せた。冒頭に成功させた代名詞のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)は4年間の取り組みの結晶だった。(中略) 浅田が技の出来栄え(GOE)でプラス評価を受けた3回転半を跳ぶのは1年ぶりで、この4シーズンでも4度目と数えるほどしかない。それだけ女子には難しい大技だが、追求を重ねてきた努力が報われた。【時事通信ネット版から引用】 リアルタイムで見られなかった私ですが、ニュースで見ると、ホント完璧な演技だった浅田選手。点灯したのが嘘のような流れるような演技は、リアルタイムで見たかったって思いました。 前日に転倒したので吹っ切れたのかどうかわかりませんが、これまで努力してきたことが最高の舞台で、一番最高の演技ができたこと、「挫折と栄光」というのかな、すごいものを見せてもらったように思います。 メダルには届かなかったけど、これだけの演技を見ることができたので、そんなことはもういいですよね。 さて、そんな感動的な演技に対して、日本のみならず尖閣の問題で敵対している中国のツイッターでも大きく取り上げられて、感動のコメントが寄せられているとか。 スポーツ人気の高い中国ではソチ五輪のフィギュアスケートに注目している人が多く、浅田ファンやフィギュアファンのみならず、浅田の演技に対するコメントが殺到。中国版ツイッターと呼ばれる簡易投稿サイトでは「浅田真央」が検索ランキング1位となり、ハッシュタグ「♯浅田真央」に17万件近いコメントがつくなど、盛り上がりを見せている。【レコートチャイナから引用】 反日国家なのですが、スポーツを見る目は確かなのですね。コメントの中では、 「真のスポーツ精神とは金メダルをいくつ獲得したかではなく、自分を乗り越えて、自分に勝てたかどうか。浅田真央の完璧な幕引きは金メダルよりも確かなものだ」というものなど、中国の人たちもその演技に感動したのだと思います。 ところで、金銀銅の各選手の点数、異様に高いあるいは疑義がある、ということでネット上で話題になっています。まぁ、演技に点数をつけるというのは、定量的に付けられないところもあろうかと思うし、かなり採点する人の裁量によるのではないか、って思うのです。 それを言いだしたら、そもそもの点数のつけ方を変えないとどうしようもないわけなんですけど・・・。 それも含めてオリンピックかなって思うんですが、どっかの国は性懲りもなくやらかしていますね・・。もうどこの国とか言わなくてもわかるだろうけど・・・。あの国、国際大会なんかに出てくるんじゃねーよ。勝ったら勝ったで胸糞悪いし、負けたら負けたで難癖つけるしさ。 話を戻して、先の中国のツイッターにあったコメントの中で、私がいいなぁと思ったのが、表題に掲げたもの、「王者が優勝するとは限らない」を取り上げさせてもらいました。メダルには届かなくても、その感動的な演技は点数ではつけられないものなんだと思います。
2014年02月21日
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東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長を務める森喜朗元首相は20日、福岡市内で講演し、ソチ冬季五輪のフィギュアスケート女子の浅田真央選手がショートプログラムで16位と出遅れたことについて「見事にひっくり返ってしまった。あの子、大事なときは必ず転ぶ」と述べた。配慮を欠く発言として批判も出そうだ。【時事通信ネット版から引用】 「体は大きいけど、頭の中は・・・」と言われるこのオッサン、元総理とはいえ、その総理になった経緯もかなり怪しいなんて言われていたのを覚えています。そして、このオッサンと言えばお家芸とも言える「失言癖」。わざとやってんじゃないかと思うくらいで、思いついたまましゃべってんじゃないか、あるいは考えるメモリーが1バイトくらいしかないんじゃないか、ってね。 昨日の浅田選手のまさかの転倒は、本人も重圧があったんだろうけど、それに輪をかけるようなこんな発言するなんて・・・。こんなオッサンが「東京五輪・パラリンピック組織委員会長」なんだってね。なんでこんなヤツを選んだんだ? 選んだヤツら、こんなことが予想できなかったんか? たしか、サッカー日本代表だった中田英寿選手に失礼なことを言って、ツーショットの写真に収まることを拒否されたんだよね、そりゃこんなな~んにも考えていないヤツとは、写真も撮られたくはないわな。 今からでも遅くないから、さらなる失言で選手の気持ちを逆撫でしたり、他の国の選手に対して変なことを口走る前に辞めさせないと、後で大変なことになると思いますよ。 石原信雄元官房副長官は20日の衆院予算委員会で、1993年に河野洋平官房長官談話をまとめた際、作成の基となった元慰安婦の証言の裏付け調査は行っていなかったことを明らかにした。また、談話作成に当たり韓国政府と調整したかどうかについて「作成過程で意見のすり合わせは推定されるが、私は承知していない」と述べた。【時事通信ネット版から引用】 元従軍慰安婦問題への旧日本軍の関与を認めて謝罪したいわゆる「河野談話」。これを根拠に韓国がいろいろ難癖つけていているわけですが、その談話作成の基となった元従軍慰安婦(と言われる)の証言についての裏がとれていなかったとのこと。 それにしても、こんな大事な話の「裏が取れていない」なんていうことがあるんですかねぇ。裏が取れていないのに、なんで「河野談話」につながったんでしょうね。どっかで事実が捻じ曲げられた=捏造された、ということなのか。 捏造された、というのはよく聞きますが、確固たる証拠を突きつけて、河野談話を破棄するくらいにしてほしいですね。
2014年02月20日
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JR西日本では、大阪環状線を新たな重点線区と位置づけ、安全性のさらなる向上はもとより、総合的なブラッシュアップに取り組む「大阪環状線改造プロジェクト」をスタートさせました。その重点施策のひとつとして、平成29年度までに、新型車両を投入することを目指し計画を進めております。 大阪環状線では現在、1両あたり片側3枚ドアの車両と4枚ドアの車両が混在して走行しておりますが、新型車両投入に際してはドア枚数についても検討項目のひとつであるため、以下の期間、大阪環状線の朝通勤時間帯に3枚ドアの車両を集中運用いたします。【JR西日本 HPから引用】 今週の朝ラッシュ時において、大阪環状線で使用されている4扉の車両(103系、201系)に代えて、3扉の車両(221系、223系、225系)を使用して混雑度合いを測るようです。3年後に新しい車両を導入することを目指しているようですけど、今度導入される車両は3扉の車両になるのかもしれませんね。 といいますのも、現在の大阪環状線では、阪和線やJR大和路線から直通する快速(関空/紀州路快速、大和路快速、直通快速)は前出のように3扉、大阪環状線の主力の103系、201系は4扉ですから、乗車位置が異なるので統一しようということと、それに合わせてホームドアを設置しようという目論見があるのではないかと思います。ただ、乗降性だけをみると、3扉よりも4扉の方が大きいのは当然なんですけどね・・・。 それから、シートの向きは、現在使用されている103系、201系と同じロングシートになるでしょうけど、「3扉+ロングシート」というのは、私鉄では例えば阪急、阪神、京阪にはありますが、JRではありません。このあたりは、JR京都・神戸線の新快速に使用されている最新鋭の225系をベースにして、シートの向きを変更すれば対応できるだろうということだと思います。 ところで、国鉄当時には「3扉+ロングシート」の車両はありました。40系や60系とよばれていた車両で、私の実家のある阪和線でも活躍していました。これらは戦前の車両だったのですが、約80年の時を経て「3扉+ロングシート」の車両がJRで復活するかもしれませんね。 話を戻して、新しい車両が入るのはいいのですが、未だに古い車両が走る阪和線や大和路線には、そういった恩恵がないと思われるので、状態の良い大阪環状線の車両がやってくるのかもしれませんね・・・。 ちなみに、今回の試みに合わせて、網干電車区から221系4両編成×2本(クモハ221-66の編成とクモハ221-40の編成)が運行されているのを確認しています。
2014年02月19日
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「警察24時」などで、泥酔者が暴れて警察のご厄介になるのをみると、「酔っ払いってかなわんな、そこまで飲まなくていいのに・・・」って思っていたのですが、昨日、私もやらかしてしまいました。暴れてはいないので、念のため・・・。 昨日は、同僚のS君と出張に行った帰りに、京都駅で飲んでいました。S君は同期入社で、私以上に酒好きなのです。ゆっくりと飲むつもりだったのですが、なぜか昨日はハイペース。酒の肴の量が少なくて、ほぼ飲んでばかりでした・・・。 そんな状況だったら、酔っ払わない方がおかしいというもの。案の定、途中からの記憶が全くなく、気がついたらJR奈良駅でした・・・。京都からJR奈良線で奈良を経由して王寺へと帰ろうとしたようですが、飲んでいた店から奈良駅までの記憶が全くないのです。 駅員さんに起こされたものの、全く動けず、王寺方面へ行くホームへ連れて行かれて、列車に乗せられたようですが、このあたりも断片的な記憶しかありません。車椅子に乗せられて移動したんでしょうね・・・。 王寺ではなんとか下車できたものの、駅のホームで倒れていたところを駅員さんに発見され、泥酔状態で全く動けるような状況ではなかったようです・・・。その後、駅前の交番から警察官がやってきて、いろいろと質問されたようですが、これも断片的にしか覚えていません・・・。最終的に財布に入っていた運転免許証とケータイから私の家の住所と電話番号がわかったので、妻に連絡をとってくれました。 ただ、私が泥酔状態でとてもタクシーに乗れるような状況ではなかったので、パトカーに乗せられて帰宅しました・・・。ホント、情けない! ちなみに、パトカーに乗るのは41年ぶりです。当時、友だちと自転車で遠くまで遊びに行って帰れなくなってしまい、友だちと泣いていたところを警察官に発見されました。私がたまたま家の住所と電話番号を覚えていたので、パトカーに乗せられて帰ってきたんですけど、それ以来のことです・・・。 ところで、昨日の出来事がほとんどない私、その飲み屋から同じ部署の東京から来たKさんに何度も電話していたそうです。う~ん、電話した記憶がないんだけど、ケータイの履歴を見たらそうなっているんだよなぁ・・・。 ちなみに、Kさんは残業中だったそうで・・・。ホント、ごめん・・・。 話を戻して、JR奈良駅とJR王寺駅の駅員さん、駅前交番の警察官の方々、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。この場をお借りしてお詫びいたします。
2014年02月18日
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今日は住之江公園球技広場で今期2試合目の練習試合がありました。先週とその前も雨や雪で1月16日以来の試合となりました。相手は「関西リトルバスターズ」さん。若手主体のチームでした。 ガゼルスは、9人ギリギリ。私は、今日もキャッチャーで出場、T16さんとバッテリーを組みました。 試合は、立ち上がりに先頭打者にヒットと盗塁でいきなりピンチ、しかも簡単にタイムリーを打たれるなど苦しい展開になると思いましたが、中盤以降相手チームの2番手以降の投手を攻めてE17君の2打席連続のタイムリーなどで10-1で勝ちました。 T16さんは、ピンチもありましたが初回以降は立ち直って、要所では三振をとるなど安定していました。バックも堅い守りで盛り立てていました。 私の成績は、2打席目にライト前ヒットを打ったり、三塁に盗塁したランナーを刺したりしましたが、その他はランナーを刺せずでした・・・。 また、試合が終わってから、I26さんとバッセンへ行って今日の試合の反省を踏まえて少し打ち込んでいました。 【今日の成績】 1試合目 1打席目 投飛 2打席目 右安 3打席目 遊失 8打数2安打1打点1三振1四死球 打率.250
2014年02月16日
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ソチオリンピックで、羽生選手が日本人初の金メダルをとりましたね。もしかしたら、誰も金メダルをとれないんじゃないかって思ったのですが、すばらしいことです。 すばらしいことといえば、こんなことがありました。オリンピックには、時折勝負とは別に感動的な光景を見ることができます。 開催中のソチ冬季五輪で「真の五輪精神」を示したとして、クロスカントリースキーのカナダ人コーチが称賛を受けている。11日に行われた男子スプリントフリーで、競技中にスキーが破損したロシア人選手を助けたためだ。 準決勝に出場したロシアのアントン・ガファロフ(Anton Gafarov)選手は、高速でヘアピンカーブに差し掛かったとろで転倒。それでもゴールに向け、起き上がって足を引きずりながら前に進もうとしたが、左足に履いていたスキー板は完全に壊れていた。 すると、その様子を見ていたカナダチームのコーチ、ジャスティン・ワズワース(Justin Wadsworth)氏が駆け寄り、持っていたスキー板と破損した板を取り替えた。 ソチ五輪の広報担当、アレクサンドラ・コステリナ氏(Alexandra Kosterina)はこの行動について、「これこそが五輪の本質であり、その精神、その中核をなすもの。素晴らしい行動だ」と褒めたたえている。 一方、カナダ紙トロント・スター(Toronto Star)によると、ワズワース氏は「わなにかかった動物を見ているようだった。何もせず、じっとしていることなどできなかった」と語ったという。【AEP時事から引用】 私はニュースで見ましたが、完全に壊れたスキー板で滑ろうとしていたのを、見かねた別チームのコーチがスキー板を取り替えたというものでした。同じチームの関係者は何をしていたんだ、って思いますが、そこには勝負は別にしてオリンピックという大舞台に出場しているんだから、なんとかゴールして欲しいという思いがあったんでしょうね。 心配なのは、ルール的にはどうなのっていうところですが、大丈夫だそうですね。道具の貸し借りなんて、あまりないようにおもいますけど、これは大丈夫なんですね。野球だったら、バットが折れたからといって相手チームの選手に借りたりしないし、貸したりしないのですけどね・・・。 冬季オリンピックでは、過去にも類似のようなことがあったとか・・・。今回の心温まる出来事も、もっと大きく伝えて欲しいんですけどね・・・。 それにしても、スポーツって、ホントにいいですね。
2014年02月15日
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今朝、起きてみると見事に銀世界。といっても、うっすらと積もっているくらいの状況で、大雪注意報はでていましたけど、いつもの如くそんなに積もらないだろうと思っていました。 家の近くを流れる葛下川の遊歩道もこんな状況。遠くの方は雪でみえません・・・。 水分が多い雪だったし、そのうちあがるかなって思っていました。 JR大和路線の列車は、やはり遅れ気味ながらも運行されていました。 でも、信号の確認(おそらく赤信号のまま切り替わらないとかのトラブルか)とのことで、動き出してからもノロノロ運転でしたが・・・。 こんな雪程度で、スムーズに運行できないなんて雪国の方が見られたら滑稽だと思いますが、これが実情なんですよね。 さて、大雪注意報が発令されていた奈良地方、9時半頃にまさかの「大雪警報」に。奈良県に大雪警報がでるのは極めて珍しく、おかげで上の子どもの高校は3時間目以降は臨時休校となりました。また、下の子どもの小学校は、そのまま授業継続となったのですが、降り積もった雪で大いに遊んだとか・・・。 私は出張で姫路方面へ行っていたのですが、そこでは雪はすっかり溶けていたし、道中も雪はほとんどありませんでした。しかし、残業後に最寄りの王寺駅に帰ってくると様子は一変、大雪警報が出ていただけのことはあって、車が通る道路はベチャベチャでしたが、歩道にはどっさりと雪が積もっていました。 また、私の家の方は、道路も含めてガッツリと雪がありまして、すべらないように気をつけながら歩いて帰りました。幸い、安全靴だったので転ぶことはありませんでした。 明日の朝もまだ残っているでしょうし、来週は再び雪の予報がでているみたいです・・・。
2014年02月14日
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2月14日はバレンタインデー。最近は、女の子は男の子にあげるよりも、お友だちの女の子に「友チョコ」として上げる方が多いとか。私の上の子どももご多分に漏れず、そのパターンで、友チョコではなく「友スイートポテト?」を作っていました、まぁ、本人だけではつくることはできないので、妻が指導していましたが・・・。 こんなスイートポテトを作っていました。実は、そんなに難しくはないのですが、やはり手間取っていました(笑)。普段、あまり料理していないからね・・・。でも、40個も作るために、悪戦苦闘していました。なんとか0時頃に完成していましたわ・・・。このあとは、ラッピングしていましたよ。 さて、奈良地方は14日に雪の予想、そんなこともあって一日早く作成したのですが、お友達には喜んでもらったようです。ただ、それ以外のお友達からも友チョコをもらったそうで、急遽追加で友チョコを作ることになって、今度は違うパターンのものを作っていました。 市販のミニドーナツにホワイトチョコをかけてチョコチップなどをトッピングしたものですが、爪楊枝がいやはや何とも・・・たこ焼きみたいやな(byプロ野球解説者の福本豊さんの迷言)。 それでも、お友達が喜んでもらえればありがたいですけどね・・・。
2014年02月13日
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先日発売の「ビックコミックオリジナル」で1973年から続いていた水島新司さんの「あぶさん」の連載が終了したとのこと。野球漫画は私も好きなのですが、なぜか「あぶさん」だけはちゃんと読んだことがなく、断片的に読んでいましたのであまり詳しくはありません。ただ、40年の長い間、こうして連載が続くというのはすごいことですよね。 「あぶさん」のコンセプトについて聞いた話では、当時南海ホークスの野村監督が『酒飲みでどうしようもないけど、集中したときにとんでもない活躍をするという選手がいたらおもしろい』だったかな、そのような選手をコンセプトにして創り上げた、と聞いたことがあります。(すみません、何かの番組で水島新司さんがコメントしていたんですけど・・・)なお、実在の選手としてのモデルは、近鉄バファローズに在籍していた永渕洋三さんだそうですが・・・。 そんなこともあって、あぶさんは南海ホークスの一選手として描かれていくことなります。連想当時のプロ野球は、読売を中心とした「人気のセ・リーグ」に対して「実力のパ・リーグ」と言われながら地味だったパ・リーグの南海ホークスを舞台とした野球漫画でしたから、購読者にとってはどんなイメージが持たれていたのか分かりませんが、漫画に登場する人物も実際のプロ野球選手と同じ名前ですから多少の誇張はあったとしても、おもしろいものだったかもしれません。 そういえば、後述する南海ホークスが移転する際の水島新司さんのインタビューの中で、同氏が手がけていた野球漫画の一つ「ドカベン」の主人公の山田太郎をプロ入りさせる際には、南海ホークスを考えていたとのこと。しかし、そのドカベンのプロ野球編の制作の前に、高校野球を涌かせた「ドカベン」こと香川伸行さんが先に南海に入ってしまったことからか、その後「ドカベン」のプロ野球編が作られたときには、山田太郎は西武ライオンズに入団となっていましたが・・・。 さて、連載が長く続けば、実際のプロ野球と比べてやや無理矢理感というか、矛盾することもあるもの。主人公の年齢は最たるものですが、それ以外にも漫画上でのシーズンの流れと実際のペナントレースとの矛盾など、まぁ漫画だからそんなこと言い出したらキリがないんだけど、そういうことがあったとしても、こうして長く連載が続いたのは楽しみにしている購読者がたくさんおられたということなんですね。 それにしても、連載当初にまさか、南海がダイエーに身売りされて大阪から九州へ移転するとは夢にも思わなかっただろうけどね・・・。この身売りについてはリアルタイムで見ていましたが、亡き父のような古くからの南海ファンは落胆したものですけどね・・・。でも、「あぶさん」ではそれを契機に連載を終わるのではなく、リアルに九州へ移転、活躍していたんですよね。 私の若い頃は、仕事帰りに喫茶店へ立ち寄って、コーヒー飲みながら店にある漫画を読んで同僚と長時間しゃべることが多かったですね。その頃は、いろんな漫画雑誌を見ていた(それでも気に入っているものだけを見ていた)わけですが、最近はそんなことはないですね。最近の若い子はどうなのかな、あまりそんなこと、しないのかな。 私も漫画雑誌を見るのは、献血に行ったときの待ち時間くらいかな。それも「こち亀」くらいなのですが・・・(笑)。 ところで、今はなき大阪球場のレフトスタンドには、水島新司さんが自費で掲出したという「あぶさん」の看板がありました。亡き父に連れて行ってもらうと決まって内野席の上の方だったので、その看板がよく見えました。いつ行っても「あぶさん」がグラウンドを見下ろしている、そんな光景を覚えているファンは少なくなってしまったかなぁ・・・。 それはさておき、久しぶりに昔の「あぶさん」、読んでみたくなりました。
2014年02月12日
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米ニューヨーク州議会のスタビスキー上院議員(民主)とブラウンスタイン下院議員(同)は10日、同州の公立学校で使用する新たな教科書で、日本海の表記に韓国名の「東海」併記を義務付ける法案を上下両院に提出したと発表した。韓国系団体が強く働き掛けていたもので、同様の法案は6日、バージニア州議会で可決されている。 スタビスキー議員は声明で「歴史はしばしば勝者によって書かれるが、現在広く使われている名称(日本海)は世界中の韓国人に抑圧と占領と暴力の(日本植民地)時代を常に思い出させる」と指摘。ニューヨークの学生がこの表記争いの歴史的、政治的意味合いを理解することは、地球市民となる上で重要だと、併記の意義を強調した。 ブラウンスタイン議員も「この海域は歴史的に東海とも日本海とも呼ばれてきた。日本海とだけ呼ぶのは不公平だ」として韓国の主張に同調した。両議員とも韓国系住民が多い地区を選挙区としている。【時事通信ネット版から引用】 ホントにもう、韓国のおかしな連中だけかと思ったら、今度はアメリカか? 連邦政府としては、「これまでも日本海と呼ぶ」って言ってなかったっけ? 「この海域は歴史的に東海とも日本海とも呼ばれてきた。日本海とだけ呼ぶのは不公平だ」って、コメントしているブラウンスタインとかいうおっさん、そこまで言い切るなら確たる証拠はあるんだろうな、韓国の主張に乗っかっているだけ、なんて馬鹿なことは言わないよな。一応、議員らしいから、そのコメントに責任持てんだろうな? まぁ、どうせ何か握らされとるんだろうけど。韓国系団体が強く働きかけている、っていうんだからさ。 それにしても、日本政府もガツンとかまさないと、この他の州でも可決されようとしているわけなんだから、好き勝手にさせてはダメだろう。なんだかアメリカ全州で東海なんて併記されたら、最終的には「日本っていう国名そのものが気に入らん」とか言ってくるかもしれないので、早いうちにこんな根も葉もないことを摘んでおかないといけないんじゃないかってね。
2014年02月11日
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JR東日本管内ではとっくに姿を消した国鉄の名車?の一つである103系。JR西日本管内では、数は減らしたもののまだまだ元気に活躍しています。私の実家のあるJR阪和線では、今日も活躍しています。快速運用は新しい223・225系が増えているようですが、普通列車ではバリバリの主力となっています。 去年の12月、杉本町駅から乗車する際に、少し写真を撮っていました。 水色の塗色がすっかりみすぼらしい姿になってしまっている103系、いい加減きれいに塗り直してくれたらいいんですけどね。 ちなみに、この車両は、クハ103-116なのですが、1968年に阪和線に投入されて以来、一度も他線区に移動したことがない阪和線はえぬきの車両の一つです。阪和線を走る103系も、他線区の新し目の103系がやってきて車齢の高い103系を置き換えていますが、まだまだ車齢の高い車両もいます。 この写真の向こうのホームにも103系の編成がみえます。こんな光景は、私が子どもの頃は当たり前のように、また就職してからも普段の光景でした。それが今になっても見ることができるのは、ファン的にはいいものですけどね・・・。 これは、杉本町駅を通過する特急「くろしお」です。先頭車両は、パノラマカーとなっています。このような形状の車両は、JR西日本でも少なくなりました。 ところで、杉本町駅は通過列車の待避ができる駅になっていますが、通過ホームにあたるところには、柵が取り付けられています。以前は、柵がなくてそこにも停車するパターンがあったんですけどね・・・。 ちなみに、これらの写真は、全てガラケーのカメラで撮っているのですが、停車している車両ならまだしも、通過する車両を撮影するのは難しいです。 話を戻して、近い将来大阪環状線に新しい通勤用の車両が投入されるとのこと。阪和線も同時に、って思いたいところですが、大阪環状線からの転属車がやってきたりするのではないでしょうかねぇ・・・。 こ
2014年02月10日
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冬においしい食べ物っていろいろありますが、焼きおももその一つかと思います。スピーカーから流れる「い~しや~きいも~」という何ともいえない間延びした売り子の声と、「ピィーーーーーー」という音はおなじみかと思います。 さて、私のお気に入りの焼きいものお店は、京都にあります。阪急河原町駅の北方、蛸薬師通りにある「丸寿」というお店なんですが、とても小さなお店だし、営業しているよりも閉まっていることの方が多いかもしれないという何とも不思議なお店なのです。それでも、このお店の焼き芋は絶品で、ファンの方も多いのです。 このお店との出会いは、今から20年くらい前に在籍していた部署で、当時の上司と一緒に京都へ仕事に行った際に教えてもらいました。残念ながら閉まっていたのですが、私の頭の中にインプットされていました。 その後、京都へ行く用事ができた際に忘れずに行ってみると、多少は並びましたが立派な焼き芋が買えました。食べてみるととても甘くて、家のストーブで焼くようなものとは全く違うし、駅前とか売りに来るものとも全然違うようなものでした。 妻とつきあっているときもそうでしたし、結婚してからも冬になるとここの焼き芋が食べたくなって、よく買いに行きました。 ここのいもは、店先に置かれている段ボールから徳島県里庄町の「里むすめ」という銘柄のようです。かなり大ぶりないもで食べ応え十分です。そういえば、いつだったか業者の方がいもの納品にやってきたのですが、ここの主人、その業者を待たせたままそのいもを一つ一つ検品をやっていました。その主人の規格に合わないものは持って帰らせているようでしたよ・・・。 ところで、この主人、あまり余計なことをしゃべらないというか、ちょっと変わっています(笑)。ご本人も以前「この店はちょっと変わったお店です」って言ってたくらいですから。だから、店先には、「撮影禁止」「この付近で食べ歩かれる方には売りません」などという掲示物があったり、「この店はよく休みます」という掲示とともに店を開けている日を表すカレンダーが貼ってあったり・・・。 極めつけは、「いも」と書かれた掲示物。この主人曰く、「『何を作っているんですか』と聞いてくる客が多い。においでわからなくても、『いも』って書いてあったら、焼き芋やってわかるやろ」ということだそうで・・・。 それから、以前は焼きいもができあがる5分くらい前に、この主人がこの焼きいもに対する注意事項を言っていました。内容的には、前出のこの店はよく休むとか食べ歩き厳禁などの他に、この芋の取扱いについてでした。要するに、 「温かいのもおいしいけど、今の時期なら十分1週間は持つので、じっくり時間をかけて食べてほしい」 「日にちが経てば芋ようかんのようになる」 「電子レンジに入れての温めはNG。冷蔵庫に入れるのも同様」などとありがたい注意事項の伝達があるんですよ。 もう一つ変わっているのは、この店は11月から翌年の3月くらいまでしか焼きいもの販売は行っていないし、基本的には土日の営業、しかも営業時間は11時くらいから14時くらいまでくらいということ。それに加えて、いもが焼き上がるのは1時間ごとですから、タイミング良く買いに行くには「最低1時間は待つこと」を覚悟に行かなければなりません。何とも難易度の高いお店でしょ、でもそれだけのことをしても食べたくなるのです。 さて、前置きがかなり長くなりましたが、先日買いに行くことができました。実は8年ぶりくらいでの訪問となりました。これまで気になりつつも、なかなか買いに行くことができませんでした。 ちょうど到着した時には、すでに7,8人近く並んでいたので、これまでの経験から買えるだろうと思っていました。以前並んでいるときに、1回の焼き釜でどのくらいの芋ができるかを数えたことがあって、だいたい40個/回だったので焼き釜が更新されたり焼き方が変わっていなければ大丈夫かと・・・。 でも、そんな考えは甘かったです・・・。一人で大量に購入された方がおられたようで、私の数人前でなくなってしまいました。ということは、その次の回になるということ。その時点で諦めて帰る人もいましたが、奈良から買いに来ていて並ぶこと覚悟で来ている私には、そんなことは織り込み済み。いつだったか、雪の降る日に買いに来たときには、2時間並んだこともあるくらいですから。 この日は、たまたま気温が高くて待っていてもそんなに寒くはなかったです。ちなみに、ここの主人は待ってくれる客のために、使い捨てカイロを用意してくれていたりします。変わっている主人ですけど、そういうところは優しいんですね。 並んだかいがあって、1時間後には待望の焼きいもが買えました。100g100円の計算で3.3kgでしたから3300円でした。本数は8本、結構重いんですよ・・・。焼きたてを食べたいところですが、我慢して阪急電車で帰りました。帰る道中はいもが重いのと、焼きたてはかなり熱いのでなかなか大変でした。 これが持って帰ってきた焼きいもです。お焦げになっている部分があるのですが、この部分が香ばしくておいしいんです。 日にちをおくと、こうなります。しっとり感がうかがえるかと思います。見た目は芋ようかんですね。食べると香ばしさとしっとり感、芋の甘さが加わって絶品です。 ここの焼き芋を食べるためには、奈良から少し遠いのと並ばなければならない苦労、それに主人が急に休むこともあるリスクがあるので、タイミングが難しいのです。でも、その苦労やリスクがあっても無性に食べたくなる、そんな焼き芋であります。 ちなみに、一週間おくとこんな感じになります。見た目は芋ようかんのようです。しっとりと熟成されたようでおいしいですよ。
2014年02月09日
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昨日の夜から降り続いた雪は、朝の早いうちにあがった奈良地方です。関東の方は大雪になったようですが、奈良地方はそこまでの大雪にならずにすみました。それでも、久しぶりの雪景色となりました。 さて、昨日16歳の誕生日を迎えた上の子どもの話を紹介しましたが、昨日は妻と下の子どもがジュニアバンドの練習などで一緒に食事をとることができませんでした。今日は、下の子どものジュニアバンドの練習は早めに終わったこともあって、今日の夕食は4人で久しぶりに食べることができました。 手巻き寿司を中心に、フルーツポンチなど。昨日私が買ったバームクーヘンもいただきました。 バームクーヘンは、なかなか美味しかったですよ。 上の子どもも大喜びでした。
2014年02月08日
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今日は上の子どもの誕生日。今日から冬季オリンピックのソチオリンピックが始まりますが、上の子どもは1998年に開催された長野オリンピックの開会式の日に生まれました。16年経って同じ日に開会式があるって不思議ですよね。 さて、上の子どもは今日、学校でクラスのみんながサプライズのプレゼントをしてくれたとか。すなわち、昼のお弁当の時に仲の良いお友だちと買い物に行って教室に戻ると、クラス全員でHappy Birthdayの歌を歌ってくれて「おめでとう!」と言ってくれたそうです。なんだか学園ドラマの一場面のようですよね。これまでのクラスメイトの誕生日の時には、こんなことはやらなかったそうで、上の子どもの時だけやってくれたとのこと。 上の子どもは、まさかクラスの男子までそんなことをやってくれるとは思わなかったし、クラス全員でやってくれたことに感動したそうです。ホント、ありがたいですよね。 さて、クラスのお友だちなどから誕生日プレゼントとして、お菓子をもらったそうです。しかも、お菓子のパッケージにはコメントも添えられていて微笑ましいし、クラスのみんなから愛されていることがうかがえて、私もうれしくなりました。 部活の先輩からもプレゼントはあったし、違うクラスのお友だちからもおめでとうと声をかけてもらえたりして、とてもうれしかったそうです。 私と妻からも、お菓子をプレゼントしました。私はバームクーヘンを、妻はシフォンケーキと、うまい具合に重ならないようになりました。 それにしても、クラスのお友だちとも仲良くやっているようだし、このままの調子でやっていってほしいし、他のお友だちの誕生日の時にも盛大にお祝いしてあげて欲しいと思いました。
2014年02月07日
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今日は仕事が終わってから、いつもこのブログにコメントくださる「ぐうたらたぬき」さんと愛ボールしました。ちょうどぐうたらたぬきさんが、私の職場のすぐ近くまで来られていたので、タイミングよくアイボールとなりました。 場所は、私の職場からほど近いお好み焼きの「伍栄門」。ここならお好み焼きややきそばなど美味しくいただけるので、ハズレなしかということで行きました。 鉄板焼きや定番のお好み焼き、やきそばを食べながら仕事の話や昨今の政治の話などで盛り上がりました。以前ガゼルスの試合場所に来ていただいたことはあるのですが、こうしてアルコールチャージしながらのアイボールは初めて。いつもこのブログを通じてコメントしていただいている方とこうしてアイボールできるのはうれしいものですね。 あっという間にお開きの時間となりましたが、楽しい時間を過ごすことができました。また機会があればアイボールできればと思います。
2014年02月06日
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今日も二本立てです。 最近、怒りの内容が多くてですみません。 ホント、なんていうのか、突っ込まざるを得ないようなことばかりで・・・。 それはさておき、今日は日中、積もりはしませんでしたが、私の職場のある大阪市内では雪が降りました。季節風も吹いて寒かったわけですが、この寒い時期だからこそきれいなのが夜景ですよね。空気中の塵などを飛ばしてくれるし、空気がひんやりとしているのでとてもきれいにみえます。 これはある日の天満橋から中之島方面を撮影したものです。 ガラケーのカメラでもそこそこきれいに写ります。 まだまだ寒い日が続きますし、風邪やインフルエンザも流行っているとのこと。 気をつけていきたいですね。
2014年02月05日
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尖閣諸島(沖縄県石垣市)への領海侵犯を繰り返し、東シナ海上空に防空識別圏を一方的に設定するなど、中国が膨張主義的な政策を取り続けている。その国に対し、日本が政府開発援助(ODA)をいまだに続けている。その額は実に、1年で300億円。日本固有の領土である尖閣諸島を虎視眈々と狙い、歴史問題を振りかざして国際社会における日本の名誉を徹底的におとしめようとしている中国に資金提供とは...。にわかには信じられないが、動かぬ事実でもある。(中略) そもそも中国側には日本によるODA供与は、中国に対する戦争賠償の代替の意味合いを持っているとの認識がある。昭和47年9月に出された日中共同声明の第5項では、中国は日本に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言しており、中国が戦争賠償の代替という認識を持っているとすれば完全な誤りだ。しかし、平成12年5月に来日した中国の唐家●(=王へんに旋)外相(当時)は「中国に対するODAは、戦後賠償に代わる行為である」との認識を示した。つまり、「日本がわれわれ中国に対して資金を提供するのは当然であり、むしろ義務といえる」という意識が彼らの根底にあるといっていい。 中国は22年に国内総生産(GDP)で初めて日本を追い抜き、25年のGDPは名目で日本の約2倍となる。中国は経済力をバックに軍事拡張を続け、その海軍艦船は東シナ海や南シナ海をわが物顔で遊弋(ゆうよく)し、西太平洋でも頻繁に軍事演習を展開している。しかも公然と日本の固有の領土である尖閣諸島を奪い取ろうとしているのだ。その国に対して資金援助をする必要はどこにあるのだろうか。 安倍晋三政権がどのような対中ODA政策を打ち出してくるのか今のところ見えてきていない。だが、その答えはもうとっくに出ているはずだ。こんな対中ODA政策を放置していけば、後世の物笑いの種になるのは間違いない。【産経新聞ネット版から引用】 日本の財政悪化を改善するためには、こういうところも見直さないといけないのではないでしょうか。 未だに中国なんかにODAを続けていたんですね。中国って世界有数の経済大国なんでしょ? 中国もそんな立派になったんだったら、援助はいらないって言えばいいのにさ。 えっ? もらえるものはなんでももらっとくって? そうか、だから難癖つけて尖閣も取ろうとしているわけか。それは話が違うな、尖閣は紛れもなく日本の領土だから。 それに、本文にもあったけど、ODAを戦争賠償の代わりと思っているようだけど、日中共同声明の中に戦争賠償は放棄するとなっているとのことなので、その辺はきちんと「勘違いするな、ボケッ!」とかましておく必要があるでしょう。 300億円ものカネを反日国家にくれてやるくらい財政に余裕はないでしょ。バッサリ切り捨てて、少しでも財政健全化を目指して欲しいですよ。 っていうか、昨今の反日国家中国の動きを見ていたら、とてもODAなんかする必要はないと思いますけどね。 アベも対話だ何だって言っているけど、もっと毅然とした態度を見せて、もういい加減見切りつけてもいいと思いますよ。いつまでもお人好しでなめられっぱなしでたまるかよ。
2014年02月05日
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今日は二本立てです。 昨日は節分でした。節分の食べ物の話は昨日紹介しました。もう一つアップするのを忘れていたので、一日遅れですがご容赦ください。 節分といえば、いわしを食べることが多いのですが、魚を焼くとグリルの掃除が大変ということで、今回はいわしはありませんでした。その代わりにこんなものが。 いわしのせんべいです。 いわしの風味もあって、まずますでした。 でも、やはりいわし食べたかったなぁ。昨日あびこに行った際に、いわしを焼くいいにおいがしていたのでね・・・。
2014年02月04日
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日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は4日、辞職届の提出日を調整中とした上で、出直し選の時期について「新しい市長が年度内に(来年度)予算を成立できるように、3月中に選挙をしたい」と述べた。一方、自民党大阪府連などが候補者擁立を見送る方針を示していることについては「政治家として卑怯(ひきょう)。大阪都構想を認めたことになる」と厳しく批判した。 維新幹事長の松井一郎大阪府知事も同日、「(都構想が)本気で必要ないというなら、体を張って(候補を)出せばいい」と述べた。松井氏は橋下氏を日本維新傘下の地域政党である大阪維新の会の公認候補とする考えを示し、市内千カ所を目標に対話集会を開くことを明らかにした。 一方、公明党大阪市議団は同日午前、対応を検討し「大義なき選挙だ」として候補者擁立を見送る方針を決めた。8日に国会議員、府議と協議し、府本部としての決定を行う。市議団は自民、民主両党の府連も候補擁立を見送る方針を決めていることも考慮した。【産経新聞ネット版から引用】 大阪都構想を認めたことになるとか言ってるけど、この口の減らんヤツ、何が卑怯やねん! 自分の思い通りにならないからって、かってに駄々こねているお前さんはどうなんだい? 議会でのいろんな意見をきちんとまとめてこそ、政治家なんだけどな! あっそうか、政治家のような立派なもんじゃないわな、政治屋だわな。 それにしても、こいつの狙いって何でしょうね。なぜこんなに急ぐのか。 議会側は、大阪都構想そのものには反対はしていないんでしょ。ただ、もう少ししっかりと議論しましょうっていうことだと思うんだけど、何を焦っているんだろうかねぇ~ 議会構成は変わらないわけだし、何がしたいのかわからない。結局のところ、金の無駄使いで終わるんではないかな。 でも、私が思うに、こんなことを狙っているのではないかと。すなわち、 「橋下が市長を辞任」 ↓ 「市長選挙で再任される」 ↓ 「信任されたから大阪都構想を強く推し進める」 ↓ 「議会が強く反発し、市長不信任を提出。可決される。」 ↓ 「橋下、議会を解散。市議会選挙を行う」 ↓ 「議会のパワーバランスが変化」 ↓ 「橋下の思惑通り、大阪都構想実現」こんなところかな。なんとなく、こんなことを望んでいるのではないかと。 ついでに、首尾よく大阪都(←このネーミング、なんとかならんか!)ができれば、橋下はそれを置き土産にして、次期衆議院選挙に出馬して、国政に打って出るのではないかな。「大阪都を実現しました」(ドヤッ!)ってなもんでさ。 まぁ、有権者そっちのけで、自分の思いだけで政治をやっているこんなヤツの好き勝手にさせてはいけませんわな。 2月7日に正式に辞任、3月中に選挙となるそうですが、投票場所にしようする小中学校は、卒業式のシーズンでしょ。ホント、そういうことを考えても、誰のために選挙なんかするねん、ホントこいつはしょうもないことしかせぇへんな!!
2014年02月04日
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今日は節分、私は例によって住吉区にあるあびこ観音へ行ってきました。正月の初詣とともに、ここへ参るのが毎年の定番となっております。去年は、節分が日曜日だったので母親を連れていったのですが、今年は平日ということと、母親が年末にこけて肋骨にヒビをいれてしまったので、私だけがいきました。 天気がもう一つすっきりしなかったのですが、ちゃんとお参りすることができました。また、定番の厄除けまんじゅうと、私があびこに住んでいた時によく買ってもらったコロッケを買って帰りました。 それから、その厄除けまんじゅうは、堺の実家へ届けました。母親の具合はまずまずで、厄除けまんじゅうは喜んでもらえました。 家に戻ってから、これまた定番の恵方巻きを食べました。それに加えて、今年はこんなものも見つけました。 ロールケーキですね、まぁこれも巻き寿司のような形ですからね。 っていうことは、「恵方ちくわ」とかでも、できるかも。
2014年02月03日
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大阪府と大阪市を統合再編する「大阪都構想」を巡る大阪維新の会と自民、公明など各党の対立は、橋下徹大阪市長(維新代表)の出直し選表明へと発展した。 ただ、議会との対立を選挙で打開しようとする橋下氏の手法に対しては、他党だけでなく維新内部からも異論が出ている。 「都構想が進まないからといって選挙をしても、市民は付いてこない。今やったら自爆だ」「他党が候補を立てず、黙殺される可能性が高い。本当に信を問う選挙になるのか」 1日に開かれた大阪維新の全体会議で、議員からは出直し選を疑問視する意見が相次いだ。しかし、橋下氏は譲らず、再選後も府市両議会で都構想への賛成議決が得られない場合を想定して「今年、2回市長選をさせてもらいたい」と語ると、どよめきが起きた。 橋下氏が今回の出直し市長選を決断したのは、前日の1月31日、市を特別区に分ける「区割り」の絞り込みを巡る他会派との協議が決裂した直後だった。 この日夜、日本維新の会党大会のために上京した橋下氏と松井一郎大阪府知事は、六本木のイタリア料理店で向かい合った。知事・市長のダブル選にこだわる松井氏に対し、橋下氏は諭すように言ったという。 「これは、大阪市を分割する話です。知事が出馬する必要はない」 全体会議で橋下氏は「市長選1本で行きます」と宣言した。松井氏は驚いた様子で手を挙げ、「それはおかしい。俺も行きたい」と遮ったが、橋下氏は「松井知事には僕の参謀になってもらう」と押し切った。【読売新聞ネット版から引用】 ますますわけわからん方向に進んでいるなぁ。大阪都抗争(構想)?そんなもん、誰も望んでないやろ? 丁寧に議会や協議会に説明して進めていくべきものだと思うのに、自分の思い通りならなかったら、駄々こねて「言うこと、きいてくれないんだったらいいもんね、わ~ん!!」っていうことか? ホント、お子ちゃまかよ・・・。 どうやら、市長を辞めて大阪都構想の是否一本で市長選をするようで、コイズミが郵政選挙でやったのと同じようなことをするつもりみたいだけど、あんなことやっていいことあったっけ? まぁ、騙される有権者がいるかもしれないけど、大多数の有権者には通用しないと思うけど。何度も騙されるくらい有権者もアホちゃうで。 それから、「民意を問う」ってよく言うけど、府議会・市議会の議員だって、府民・市民に公正な選挙(組織票とかはちょっと横に置いといて)によって選ばれているはずなんだけど。その人の後ろには府民・市民がいて、その人たちの民意を汲んでいるって思わないのかな。 まぁ、そんなこともどうせわかっていないだろうから、市長選やりたかったらやったらいいんじゃないの? もし、やったとしても状況は変わらないだろうし、仮に再任されたとしても協議会の状況は何ら変わらないだろうから、時間と費用の無駄になるだけ。 それを「民意によって選ばれた」と勘違いして強引に進めれば、えらいことになるだろうね。 それにしても、年齢的には松井>橋下のはずなのに、『「松井知事には僕の参謀になってもらう」と押し切った』って、橋下って何様やねん?
2014年02月02日
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今日から2月、といっても、とてもいい天気だったので、朝から上の子どもを連れて神戸へ買い物へ行きました。上の子どもも今日は部活動が休みになったということと、妻から神戸のお菓子を買ってきて欲しいという目的があって行きました。 神戸・元町の南京町の中華街は、中国の旧正月の春節祭でした。とても賑やかなのですが、私も上の子どもも人ごみはしんどかったので、こうして外から見ただけでした。 買い物が終わって、西元町まで移動し、元町商店街にある「老祥記」で豚まんを食べました。上の子どももここの豚まんが大好き、先日神戸へ遊びに来たときは、この老祥記にほど近い「元町ケーキ」でケーキを食べたので、ここには行けなかったとのこと。熱々の豚まんが食べられて満足していました。 その後も買い物をして、神戸を出発。奈良へ戻る前に以前住んでいた西宮市甲子園へ。ここにもお気に入りの店がありまして、甲子園球場にほど近い中華料理の「百楽」へ。このお店は、元々甲子園球場から甲子園筋を南の方へ行った甲子園九番町というバス停の近くにありました。ちなみに、私が当時住んでいた団地もその近くにありました。 ここへ移転してきたのはいつくらいだったか忘れましたが、私が99年に引っ越すときはまだ甲子園九番町にありました。当時は小さなお店だったのですが、今はやや大きなお店になっています。 このお店でのお気に入りは、麻婆丼と皿うどん。皿うどんは、上の子どもがお気に入りで、今回もこれが食べたいということで、神戸へ行ったにもかかわらず西宮へ立ち寄っての昼食となりました。 麻婆丼は、前にもこのブログで紹介したと思いますが、なかなかスパイシーで美味しいのです。上の子どもが生まれる前後に、よく通って食べましたよ。 さて、一旦奈良へ戻って、私はアマチュア無線の移動運用で奈良県南部の吉野郡大淀町へ。今日から7日までアマチュア無線の「奈良県2mSSB愛好会マラソンコンテスト」というのがあって、行ってきました。 移動運用場所は、吉野郡大淀町の国道169号線沿いにある道の駅。ここは、以前もきたことがありまして、場所が広いので重宝しています。ここで1時間ほどですが、10局ほど交信できました。 ところで、撤収しようとしたら、ここの警備員さんが近寄ってきました。大きなアンテナをあげているわけではないのに何かなと思ったら、「いやぁ、懐かしいな。ワシも昔、やってたんだわ~」って話しかけてきました。話によると、アンカバーではなく、ちゃんとコールサインもお持ちのようでしたが、長いこと運用はされていないようでした。 大淀町からの帰りには、家の近くのスーパー銭湯でサウナに入って帰りましたが、一日で200km以上のドライブでした。
2014年02月01日
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