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先日の続きです。 8月23日は、再び西条から広島へ向かいました。それは娘からの買い物のリクエストがあったためです。そのために、広島駅から広電に乗車して移動開始。広電の広島駅の乗り場は8月3日からJR広島駅の中に移動しまして乗り換えがかなり便利になりましたが、それでも利用客が多すぎてなかなか大変でした。 まずは皆実町六丁目、それから本通。少し歩いて原爆ドーム前から広電で広電西広島(己斐)へ。さらに紙屋町に戻って、最後に広島駅に戻るというルートで移動しました。広電の路線図を見てもらえればわかるのですが、ちょうど広電を広島駅から右回りで移動しているような感じですね。 さて、何のリクエストがあったのか? 実は「カープのキャラクターの入った生地がほしい」とのことでした。よって、広島市内の主な生地屋さん巡りをするためにウロウロしていたのでした。ただ、どのお店に行ってもそんなものはない。その中で広電西広島(己斐)の近くにある小さな生地屋さんに行ったときに、「紙屋町か広島駅に大きな生地屋さんがあるからそこで聞いてみたら?」とのことだったので、まず紙屋町のお店に行ってみたものの無く、最後に広島駅近くにある「手芸マキ」へ。 お店の方に話を伺うとまさかの話が。「それは球団が許さないから生地は販売されていないよ」 要するに、球団公認ではないと販売できないのは生地に限らずなんでもそうなのですが、広島の場合はなかなか厳しいようで・・・。その点、阪神タイガースやソフトバンクホークスの場合はおおらかなんですね。 ところで、大阪市内には難波に大きな生地屋さんがあったのですが、数年前に廃業されてしまいましたが、今回の「手芸マキ」は私の妻が喜びそうないろんな生地がたくさんあるお店でした。 それにしても、最初にこのお店に来ていたらすぐに結論が出ていたんですね・・・。無駄な時間を費やしてしまいました。まぁ、久しぶりに広電に乗ってウロウロできたのは楽しかったかな。というのも、1988年に仕事以外で広島へやってきたことがありまして、その時は当時まだたくさん稼働していた古い路面電車に乗りたくて、二日連続でフリー切符を買って乗り倒したんですね。だから、今年8月3日以降広島駅からのルートが新線に変わったとしてもまだルートや主な乗換電停を覚えていたので、苦労することはありませんでした。電車内の混雑が苦労したかな・・・。 それから、ほかに娘に頼まれていたものを買うためにマツダスタジアムのカープショップへ。頼まれていたものはちゃんとありまして事なきを得ました。 そんなことをしていたので、昼食を食べる時間がありませんでした。ただ、マツダスタジアムのすぐ近くにはコストコ広島があって、ここでコストコではおなじみのホットドックで昼食としました。 あとは、広島駅構内でお土産を買って、あわただしく西条方面へ向かう列車で西条へと戻りました。西条からは一路奈良を目指しますが、せっかくなので尾道で夕日を見たいなぁと思って一般道で尾道へ行きましたが、途中で渋滞したのとこの日はあまりきれいな夕日ではなくて残念でした。 そんな寄り道をしていたので、自宅に着いたのは2030頃でした。出発から到着まで約900kmあまりを走りました。今回は割と近場、しかも勝手知ったるところだったし、久しぶりに出向当時の元同僚とも久しぶりに会うことができたし楽しめました。 今回の旅行でのいろんな発見などまだまだたくさんありますので、順次紹介して行きたいと思います。
2025年08月31日
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今日の昼ごはんは、生駒市の「パン工房西山荘」へ。 ここは先日、生駒市高山にある「高山製菓」へ買い物に行った際に、見つけたお店です。パンがなかなかおいしくて、今日再び訪問しました。 パン祭り状態ですね。どれもこれもおいしくて、妻も娘も大喜びでした。 カレーパンです。 ちょうどできたでで、かなり熱々でしたがおいしかったです。 ここは知らなかったのですが、季節ごとにいろんなパンがあるようなので、またリピートしてみたいと思います。
2025年08月30日
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先日の続きです。 8月22日の昼食に亀嵩で割子そばを食べてから、一路東広島市の西条へ移動。今回の宿泊場所は西条で、そこに車を置いて列車で広島まで移動します。広島市内のホテルがなかなか空きがなくて、それだったら列車での移動にはなるけど、何度か泊まったことがある西条の方がいいかなということ。 広島に到着、早い晩ご飯のために八丁堀へ移動して「へんくつや」でお好み焼きをいただきました。広島でこれを食べると「広島へ帰ってきた~」ってなりますねぇ。 そして、もう一つこの日のメインイベントの野球観戦へ。マツダスタジアムで行われる対中日ドラゴンズ戦へ。3年前の夏にもここでドラゴンズ戦を見ているのですが、あわやノーヒットノーランを食らいそうになるくらいのしょぼい試合。どうも私が観戦するドラゴンズ戦は分が悪いようで・・・。 この日の座席は内野指定席にしました。自由席でも良かったんだけど、どうせなら指定席にしてみようということで。バックネット後ろのなかなかの席でした。 ただ、指定席だから両横はぎっちりで余裕はありません・・・。この日は私の左側は男性5人組の若手、右側は後でわかったんだけど女性1人で観戦に来ていました。なぜ後でわかったか? その女性のさらに右側には旦那らしき人がいたんですけど、どうやら夫婦とかではなかったので・・・。その女性は二俣選手推しのようで二俣選手のレプリカユニフォームを着ていました。 さて、試合の方は2回裏に佐々木選手とこの日の先発の森投手のタイムリーで幸先良く2点を先制、5回裏にはモンテロ選手のタイムリーで1点追加して3-0となり、終盤を迎えました ジェット風船もたくさんあがりまして終盤。3点リードで大丈夫なのかと思っていたところですが、選手起用においては謎なことが多い新井監督、疲れが見えているのに森投手を続投させてしまったがために、リリーフ投入も遅れたのか7回表に島内投手がドラゴンズの細川選手に逆転ホームランを打たれるなどで4-3と逆転・・・。その裏に小園選手のタイムリーで同点に追いついて延長戦に。ところが、延長戦になって11回表に中崎投手が連続タイムリーを打たれて結局6-4で負けました・・・。審判の謎判定もあったし、延長になって西条まで帰る道中は辛かったです・・・。 でも、7回裏の「それゆけカープ」の合唱ができたし、よかったかなぁ。本当は、試合に勝って吉川晃司さんと奥田民生さんの「Ooochie Koochie」の「OK]を歌いたかったんだけど・・・。
2025年08月29日
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今日は金曜日、カレーの日ということで、例によって今日ではありませんが、先日食べたカレーです。 無印良品のカレーにとろけるチーズをかけてもらいました。カレーはなかなかスパイシーでしたので、チーズはいいアクセントでした。
2025年08月29日
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先日の続きです。 松江城へ行ってから広島の西条を目指しますが、その前に行ってみたいところが二か所。島根県の山中にあるのですが、今回はその一つを紹介します。 「砂の器」という松本清張原作の小説がありまして、映画にもなっています。その映画の舞台となったのが今回行った「亀嵩」。島根県仁多郡奥出雲町にあるJR木次線の駅です。 小さな駅ですが、ここには有名なお蕎麦屋さんが駅の中にあります。 ちょうどお昼時だったので少し待ちましたが、何とか入ることができました。座敷が2つ、テーブル席が5つだったかな、相席にはしないようなので私のような一人でもテーブル席に通されました。 ここの蕎麦は、出雲の蕎麦なので「割子蕎麦」。丸い入れ物が三段に積み重さなっていてその入れ物に蕎麦が入っていてつゆをかけて食べます。つゆは土瓶に入っています。ちなみに、私は三段ではなく五段にしてみました! 一段をアップにしてみました。素朴な味ですが、なかなかおいしかったです。 松江からだと高速を使わず、車で2時間足らずで到着でした。 ちなみに、駅の中にはこのようなオブジェもありましたし、1972年の映画の一部が駅の中のテレビで放映されていました。
2025年08月28日
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「父が亡くなってからなんとなく後を引き継いで続けていた夏のラジオ体操のハンコおじさん。地域内の子供が減って、とうとう今年は参加者が0になった。これで僕の役目もおしまい。楽になったけどなんか寂しい。」青森で小学校教諭を務める前多昌顕さん(@johnnymaeta)が、夏のラジオ体操についてXに投稿し、大きな反響が。前多さんとNPO法人全国ラジオ体操連盟に取材しました。前多さんによると、約40年前、ご自身が小学生の頃から、夏の朝といえばお父様が地域のラジオ体操でハンコを押す係をされていたそう。そのお父様が亡くなった後、前多さんがなんとなくその役目を引き継ぎ、自前のラジオを持参し、気づけば17年間「ハンコ押しのおじさん」をされていたとのことです。【まいどなニュースから引用】 ラジオ体操の思い出って、みなさんはなにがありますか? 夏休み定番のイベント、朝早くに起こされてなぜなんだかわからないけど体動かして、というような感じだったかと思います。これもちゃんと意味があって、夏休みだとどうしても学校に行っているときのような規則正しい生活が出来ないので、朝涼しい時間に集まって体動かして、朝ご飯食べて宿題して・・・ということをしていこうというものだったかと思います。でも、それだとだれてくるので、ラジオ体操の楽しみとして参加したら、カードにスタンプを押してもらってそれをためようと。それがたまれば豪華なものではないんだけど景品をあげようと。つまりは、「カードにスタンプが貯まる」ということと「それを元に景品がもらえる」という子ども心をくすぐるようなものだったかと思います。 そんなラジオ体操も少子化や本文の方のように「世話をしてくれる方も減少」してきたことにより、ラジオ体操を取りやめているところもあるようですね。本文の方の話では、17年間もその世話を続けていたということですし、その本文の後の方には景品は最近は自腹で購入していたとか。そこまでされていたんですね、すごいことです。 私の子どもたちが小さい頃には子ども会でもやっていましたね。最近はどうなのかな、去年はラジオ体操に向かいであろう子どもたちの姿を見たけど、朝6時半といえども暑いからねぇ。やっていないのかもしれないなぁ・・・。私も子どもの手を引いて参加していましたよ。そこへ行けば、近所の友だちと遊ぶ約束をしていたり、ラジオ体操の会場は公園だったことから、そのまま引き続き遊んだりしてね・・・。参加している大人はだいたいが私のように子どもの手を引いてやってきたお父さんが多かったかな。中には、お寺の住職も毎日やってきて体を動かしていました。そういえば、ラジオ体操といえば巡回で全国の会場を回っていたかと思いますが、私の子どもたちが小学生の頃にやってきましたよ。40年ぶりか何かでね。ちょっとうれしかったな~ 私が子どもの頃はというと、ラジオ体操は7月は夏休みが始まって一週間ほど、8月は二学期が始まる一週間前ほどの合計10日間だけだったかな。だから、夏休み期間毎日、なんていうことはありませんでした。 そんな懐かしく思えるラジオ体操は夏休みの定番だったと思うのですが、かつてのように朝早くから子どもたちや近所の人たちも集まって体操する、という光景も遠い時代の話になりつつあるのかもしれません。
2025年08月27日
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先日の続きです。8月22日は、一度行ったことがあるのですが、松江に来たからには松江城へ行ってみたいということで行ってみました。 松江城です。朝9時ごろにやってきたので、まだ観光客の姿は少なくてよかったです。 さて、松江城を後に駐車場へ戻るときに、松江城の近くに洋館があるのに気が付きました。 この建物、前回松江城へやってきたときには全然気が付かなかったなぁ・・・。 興雲閣という建物で、1903年に松江市が工芸品陳列所として開設、1907年に大正天皇の山陰道行啓の際に御旅館となり、迎賓館としての役割を果たしてきたようです。その後、1973年から松江市郷土館として使われてきたものの2011年に閉館。2013年から保存修理工事を行って現在に至るようです。 中へ入ると、歴史を感じる階段が目を引きます。 二階に上がると、大きなホールが広がっていました。 古い映画のワンシーンで、舞踏会が行われるとしたらこんな感じのところでしたよね? 大きなホールの一角には、このような別室もありまして・・・ 洋館のはずなのに、しっかりと畳が敷かれた和室の部屋もありました。カーテンがまたいい味を出していますね。 耐震のためか、鉄骨で建物の主なところが補強されていました。これも古い建物を守っていくためにはやむを得ないことですよね。 二階のベランダ部分にも出られるようになっていました。 入り口のドアにも装飾があって、とても贅沢なつくりに思えました。 個人的には、明治から大正にかけての洋館などの建物が好きなので、こういうところへ行くと時間がたつのを忘れてしまいます・・・。
2025年08月26日
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今日も休みをいただいておりました。 私の職場には盆休みというものはありませんので、交代で休みを取ります。夏季休暇と年次休暇を合わせて一週間取るように(土日含む)なんて言われていますが、今年は21ー25日までの5日間を取りました。まぁあと二日ほしかったのですが、明日以降は仕事の山。事前にパソコンで確認すると、うんざりするような状況・・・。見なきゃよかったよ。 さて、そんな休みをもらってものんびりすることはありません。今日は午前中に役所巡りです。まず、マイナンバーカードの更新。私は5年前に初めてつくりましたが、最初の更新はスマホやネットで簡単に期間延長できたんですね。そのための案内が来ていたようだし、妻からもそんな話があったのかもしれませんが、そんなの忘れていました。ということで役場に行くと、まず必要事項を記載して写真撮影となります。職員が撮影してくれるし、手持ちの写真があればそれでもいいのかも。ただ問題は、更新後のマイナンバーカードがやってくるのは一か月後とのこと。 別に時間がかかってもいいや、っていうことはないんです。実は私の職場、入館証と連動しているのでこれがないと入館できないのです。別のカードの申請をしなければいけないので、それはそれで手間なんですよね・・・。 私の職場のことはさておき、私のように更新漏れがないように気を付けてくださいね。なお、今のマイナンバーカードの写真を変えたい、っていう方は私のようにわざと更新漏れにするのがよさそうです(笑)。 続いての役所巡りは法務局へ。私の住む王寺町を所管している法務局は大和高田市にある葛城支局になります。今回手続きに行ったのは、金融機関から借りていた貸し付けが払い終わったので、登記簿上の抵当権を外すための手続きに行ったのでした。ようやく払い終わったっていうところですけど、いろいろ手を入れていかなければならないから、まだまだ安心できません。 普段なかなか行かない役所なので、なぜか緊張しますね。なぜなんだ・・・。っていうか、休みとっていたからいいものの、役所は平日にしかやっていないから何かと不便ですよね・・・。マイナンバーカードについては、時折土日でも対応してくれる日があるようですが、それ以外は無理だもんね・・・。まぁ、今に始まった話ではないけどさ。 そんなことで、私の夏休みは終了。明日からまた普通の生活が始まります。なんだかなぁ~
2025年08月25日
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一日目の8月21日は、王寺を朝6時過ぎに出発、一路鳥取を目指しました。ルートとしては、西名阪道~阪神高速~中国道~米子道で移動です。このルートは過去に逆方向ですが走ったことはあります。渋滞予想のルートを避けたので、ほとんど渋滞にはまることはなく、休憩をはさみながら10時過ぎに大山PAに到着。 大山PAの到着前に中国地方を代表する山の一つである大山をみることができました。 大山PAからはこんな感じにしか見えません・・・。残念。 ちなみに、大阪方面への高速バスも確かここで休憩を取っていたと思います。 ここを出発して、今回の旅行の目的の一つである献血に行きました。その話はまた後日に・・・。 献血が終わって昼食後、松江へ移動するのですが、まだ時間はあるということで皆生温泉へ行きました。皆生温泉は、皆生温泉旅館組合の公式サイトによると源泉数19か所、源泉温度は63~68度とやや高温の塩化物泉となっています。 日帰り温泉をされているところもあって、その中から「皆生ホテル」へ。 建物の向こうには海が見えて、開放感抜群でした。 この海を臨む展望風呂があって、ゆっくりと入ることができました。サウナもあったのですが、献血後ということもあってそれはやめておきました。 皆生温泉を後にして松江を目指しますが、直接行くのももったいないので、これも以前行ったことがあるのですが江島大橋へ。江島大橋といえば、この写真でゆうめいでしたよね。 通称ベタふみ坂です。走っている感じでは、確かに普通に急坂という感じなのですが、写真で見るととんでもない坂に見えます。これは、望遠レンズで撮れば迫力ある急坂になるそうですが、スマホのレンズではこれが限界かなぁ・・・。 江島大橋から中海の南側の道路を通って松江を目指します。 途中で中海沿いに車を置くところがあったので、そこに車をとめて撮影しました。中海がギリギリにあって風が心地よかったです。といっても、太陽の光はきつかったですが・・・。 松江には17時ごろに到着、ホテルにチェックインして18時に2015-17年に出向していた当時に一緒に仕事をしていたKさんと会って飲みに行きました。Kさんと会うのは9年ぶり、少し前に病気をされたり、出向当時も腰を痛めたりということだったのですが、今は回復されてお元気にされていました。 お店は「炉端かば」。以前は別の場所にあったのですが、こちらへ移転したようです。 海の幸と・・・ 山陰の練り物の一つである「赤天」です。赤天とは、練り物にピリ辛にしてパン粉をつけて揚げているもの。赤い色がついていることから「赤天」とよばれているそうです。これは、Kさんの出身の浜田市のソウルフードとのことです。 これらを肴にアルコールもよく進みました。Kさんはただ、アルコールは少し控えているとのことでした。お互いの近況や車の話、最近はまっているというキャンプの話などをしていました。また、Kさんは私の娘が就職で悩んでいた時期に当時の職場の広島で会っており、娘の近況も気にしてくれていました。 それにしても、楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、気が付けば3時間も経っていました。お忙しいのに遅い時間まで付き合っていただいたKさん、ありがとうございました。
2025年08月24日
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8月21日から今日まで、夏休みをいただいて山陰と山陽へ遊びに行きました。山陰では、9年前に出向していた当時の同僚と会って飲み会、それから献血に行きましたし、山陽はいつものごとくカープの試合を見に行きました。車での移動で過去に行ったことがあるルートなのですが、一部は初めましてのところもあって、運転技術の維持向上に役立ちました(笑)。 主な行程は、次の通りです。 8月21日 王寺~イオンモール日吉津~皆生温泉~松江(泊) 8月22日 松江~奥出雲~西条~広島~西条(泊) 8月23日 西条~広島~西条~尾道~王寺 また何日かにわけて紹介したいと思います。
2025年08月23日
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今日仕事から帰ってきたら、北九州市に住む下の息子から誕生日プレゼントが送られてきていました。 YEBISUですね~ ビールっ子なのでとてもうれしいです。 YEBISUは、少しお高めなので楽しみながらいただきたいと思います。 それにしても、息子といい娘といい、私の好きなビールを贈ってくれてありがたいです。 ありがとうね~
2025年08月20日
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県岐阜商は今年が創部100周年。夏は3年ぶり31回目の出場。春夏通算61回の甲子園出場を誇る伝統校だ。地元の岐阜県を中心に「県岐商」と呼ばれることが多く、Xでは「地元からすると県岐商(ケンギショー)。県岐阜商はめちゃくちゃ違和感ある笑」「“県岐商”表記がしっくりくる地元勢が多い一方、トレンド入りは“県岐阜商” 変換のしやすさゆえかと思ったけど高校野球公式がこちらなのね」「県岐阜商じゃなくて県岐商な あってるっちゃあってるけど、地元じゃ県岐商で通ってるんやぞ」「そういえば、岐阜や愛知では『県岐商』と呼んでいる思っていたけど、最近は『県岐阜商』が多いのかな。それとも地元読みが伝わっていないだけ?なお、岐阜の公立商業高校は岐阜市立もあって、こちらは『市岐商』と呼ぶ」などの投稿が相次いだ。【中日スポーツから引用】 現在、夏の高校野球が阪神甲子園球場で開催されており、今年の夏の甲子園も大詰めになってきましたね。公立高校で唯一準決勝に進んだのが、本文にあった県岐阜商。私自身公立高校出身だし、子供たちも同様で、野球はもちろんのことそのほかのスポーツでも公立高校を応援したくなります。 さて、高校に限らず小・中学校でもその呼び方ってその地域内で通じる呼び方があるかと思います。例えば、「東中学校」というのがあれば「とうちゅう」とか、「南小学校」なら「なんしょう」なんてね。本文にあった「県立岐阜商業」も新聞などの表記は「県立岐阜商」ですが、地元では「県岐商」(けんぎしょう)と呼ばれているそうですね。また、岐阜市内には岐阜市立の「市立岐阜商」もあってこちらは「市岐商」(しぎしょう」と呼ばれているとのこと。今年は特に快進撃が続いて全国の高校野球ファンに認知がさらに高まったので良いことだと思いますが、岐阜県民にとっては「県岐阜商」よりも「県岐商」の方が違和感ないだろうし、地元で通じる呼び名で呼ぶ方が私は好きかなぁ。 ちなみに、私の両親の出身地である和歌山でも県立和歌山商業は「県和商」(けんわしょう)と呼ばれていますし、今は市立和歌山高校はかつては市立和歌山商業だった頃は「市和商」(しわしょう)と呼ばれていました。 地元で呼ばれている呼び方がいちばんしっくりくる、って私は思っています。それにしても、私はこのようなどうでもいいような話題が好きなので、あえて取り上げました(笑)
2025年08月19日
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今年の1月に京都の向島近くへ出張した際には、京阪丹波橋駅から近鉄京都線に乗り換えをしました。その際に、京都市営地下鉄へ直通する車両がやってきました。 それがこの京都市営地下鉄10系です。この10系は1981年に登場、最初は4両編成だったものが増備されて、最終的には6両編成20本にまでになりました。近鉄京都線への直通運転もしていることから、国際会館~近鉄奈良の間の急行にも時折運用されていて、近鉄奈良駅で京都市営地下鉄の車輛が見られる光景もあります。 そんな10系で、この写真も何気なく撮った写真なのですが、新しい20系に置き換えられて数を減らしてきているとか・・・。そう考えると、いいタイミングで撮ったものです。 いつまで運用されるのかわかりませんが、貴重な写真になりました。もう少しいい構図で撮ればよかったのですが、何気なく撮ったものですから何も考えていませんでした(苦笑)。
2025年08月18日
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今日は私の58回目の誕生日。この日を何の問題なく迎えることができたのは、妻のおかげだと思っています。 今日は、昼ごはんに義弟がやっているお店で食事をしました。 最近、youtubeで人気が上がってきている「元」というお店です。 今日は休みなのですが、私の息子が久しぶりに帰ってきているということともあって昼ごはんを準備してくれました。私の誕生日の食事はそのついで、なんですけどね(苦笑)。 それでも、こんな感じでたくさんの料理を準備してくれて、おいしくいただきました。昼ごはん時だし、昼から車を運転する予定があったので、アルコールは無しでしたが楽しい時間を過ごせました。 娘から誕生日プレゼントをいただきました。わざわざお取り寄せをしてくれて・・・ キリンのクラシックラガーの詰め合わせです。ビールっ子で一番のお気に入りはこのクラシックラガーなので、とてもありがたかったです。 ところで、8月17日生まれのカープの選手を調べると、現在二軍調整中のプリンス・堂林選手と今年の新外国人選手のモンテロ選手が該当するとのことでした。
2025年08月17日
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久しぶりに「マルにコ」マークを見つけました。 「マルにコ」マークとは、大阪市営地下鉄のマークでしたが、大阪メトロになってからはそのマークを見かけることは難しくなりました。 これは、今里筋線の鴫野駅へと向かうJR学研都市線の鴫野駅で見つけました。今里筋線は大阪メトロの中でも一番後にできた路線なので意外とこのマークが残っているのかと思いきや、ここでこのマークを見つけたのはこの一つだけでした。 ほかの駅では、まだ残っているところもありますので、引き続き見つけたら紹介したいと思います。
2025年08月16日
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今日8月15日は、1945年の終戦から数えて80年となった日。私は1967年生まれなので戦争を知らない世代ですが、亡き父と母は戦前生まれなので戦争を知る世代です。しかし、二人とも和歌山の田舎に住んでいて、また母親に至っては山奥の村だったこともあり、空襲の被害に遭ったことはありません。そんなこともあってか、亡き父からも母親からも戦争中の話を聞くことはほとんどありませんでした。灯火管制のことくらいかな、しいていえば。おそらく、空襲に遭って大変な目にあったわけではないし、そんな人たちに比べると苦労していないから話したくないということだったのかもしれません。母親からは戦争のことよりも、1953年に和歌山や奈良などを襲った水害で家が流されたことは聞いたことがあり、そちらの方がインパクトが強いんでしょうね。 また、身内で戦争に行った、なんていう話も実は聞いたことがないんです。両親ともそんな話はしたくなかったのかもしれませんが・・・。そういえば、妻の親戚の遠縁の方のところの墓参りに行ったことがあるのですが、その墓のあった墓標にはあの悪名高いインパール作戦で戦死されたことが書かれていたのを見て驚いたのを思い出しました。言いたくないけど「真に恐れるべきは有能な敵よりも無能な味方」っていうのは、戦争だけでなく現代の組織でもあるんじゃないかなって思いますが、いかがでしょうか。 脱線ついでに思い出したこと、私が20年以上前に在籍していた部署で古い書類を整理しているとき、保存されていた書類の中に履歴書があったのですが、その履歴書には「南支出征」とか「歩兵〇〇連隊従軍」などといったことが書かれているものがあり、大変な時代を乗り越えてこられた方なんだなぁと思いました。 話を戻して、自分の親からは戦争中の話は聞くことはありませんでしたが、当時日本のために命を懸けた数多くの方がおられてその犠牲の上に今があると思えば、そういった方々に手を合わさなければならないなぁと思っています。
2025年08月15日
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世間はちょうど盆休みの期間。でも、私の職場には盆休みであっても仕事、交代で休みを取ることになっています。 さて、私の職場近くにある大阪城。この暑い時期であっても観光客が多いのですが、そのほとんどが外国人。特に、大阪城の内堀を船で遊覧するのがあるのですが、その船着き場の周りは大阪城の天守閣へと向かう極楽橋の近くとあって、気温の高い昼間であっても外国人が多くて本当に日本にいるんだろうかって思うくらいです。 ところで、そんな外国人はどのようにしてこの大阪城へやってくるのか。団体は観光バスでやってきているのでしょうけど、その観光バスについて気になることがあります。和泉ナンバーや大阪ナンバーにあっては、真っ白く塗装されて会社名が小さく書かれているものの、あまり聞いたことがない社名が多いのです。しかも、そのバス自体も少し古めのいすゞガーラとか日野セレガが多く、いずれもどこかの中古バスを色だけ塗り替えたものかと思います。真っ白いもの以外のものも同じような感じでしょうけど、真っ白い車体のものが怪しさを感じています。 それ以上に怪しいのが、同じような真っ白い車体で成田ナンバーや船橋ナンバーなど千葉県のナンバープレートを付けたバス。大阪なのになにゆえ千葉のナンバーなんだろうってね。これは思うに、海外からの観光客がまず国際便で成田空港に入って、バスで東京や横浜などを観光して徐々に東名・名神で関西方面へ移動、京都や大阪で観光して関空から出国するようなツアーになっているのではないかと。そのバスもそのまま千葉県へ戻るのではなく、その逆に関空から入国した観光客を観光しながら最終的には成田から出国するパターンになっているのではないかと思います。 そんなことがあるのかもしれませんが、私の職場近くのホテルの前でその観光客を降ろす光景を見かけまして前出の成田ナンバーの観光バスをよく見かけます。そのバスから降りてくる観光客はもちろん日本人ではありません。日本語ではない言語を大きな声で通行人の迷惑省みずっていうところ、迷惑この上ないですね。 そんな迷惑な外国人観光客に対しては、前にも触れましたが「観光税」をガッツリ徴収するようにすれば多少は減ると思うし、怪しい観光バスも見かけることは減ると思う。もっというと違法白タクも減ると思っているんですけどね。観光公害のために我々日本人が我慢する必要なんて1mmもありませんから。
2025年08月14日
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今日は、私の住む王寺町の盆踊りがありました。 かつて王寺町ではこの日に花火大会があったのですが、それに代わるものとして開催されているのがこの盆踊り、今回で11回目だそうです。ちなみに、王寺町は来年100周年を迎えます。 この日は、河内屋菊水丸さんもやってきていました。 模擬店も前出の案内のとおり数多く出店していました。また、お店ではありませんが、奈良県警西和警察署もパトカーの展示をされていまして、警察官ももちろん現場におられました。ここでトラブルがあっても、1分以内に現着できますね(笑)。
2025年08月13日
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北九州市に住む息子が夏休みを取って帰ってきました。そして今朝、母親が入所している施設へ顔を見せに行きました。母親にとっては今年の正月以来ということで、喜んでいました。先日来、施設の方ではコロナなど感染症が流行しつつあるということで長時間の面会はできないのですが、時間いっぱいまで話をしていました。母親は短時間でしたが、久しぶりに会うことができて名残惜しそうでした。 息子も今回戻ってきて真っ先に「おばあちゃんを見に行きたい」と言ってくれたので、ありがたかったです。母親も先日入院して少し元気がないかなって思っていたので、久しぶりに孫に会うことができて少しは元気になったかな・・・。
2025年08月12日
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第107回全国高校野球選手権(甲子園)で、部内での暴力事案があった広陵(広島)が10日、出場を辞退した。同校は7日1回戦で旭川志峯に3-1で勝利していた。14日2回戦で対戦予定だった津田学園(三重)は不戦勝となった。【日刊スポーツから引用】 今年の高校野球は好カードが多いといわれていて、高校野球ファンも期待していたと思うのです。そういった中で、本文にもあったように広島県代表の広陵高校については、大会前からいろいろ問題を抱えていたようです。というのも、野球部員間での暴力事件があって高野連にも報告があったとのこと。これまでにも、ほかの高校でも暴力行為や喫煙・飲酒などの問題行為で対外試合禁止や予選段階で出場辞退、なんていうことがあったと思います。ところが、広陵高校においては処分がほかの同様の事例と比べて甘かったのが今回の残念な結果につながっているのではないかと。本来なら予選段階で出場辞退していればよかったものの、なぜなんだろうってね。そこには、「勝って甲子園に出ればこっちのもの」って考える学校関係者の思惑があったんじゃないかと思えてしまうのですけどね・・・。 それにしても甲子園の本戦の一戦目に勝ち、二戦目にのぞもうかというこの時点で出場辞退って、一戦目に対戦した旭川志峯高校にしてみたら「いまさら?」って思うでしょうね。もっというと、広島県大会で対戦した高校すべてが同じ気持ちだと思います。そりゃそうですよね、広陵高校がもっと早い時点で辞退してくれていたら、展開は全然変わっていたでしょうからね。 ところで、広陵高校の選手はどんな気持ちで広島県の代表として出場して一戦目を戦ったんでしょうね。野球部内の問題ということなので、事実関係は絶対知っているはず。しかも、事件当事者がベンチ入りメンバーという情報もあるそうですからね。それが事実だとすれば、学校全体で問題隠ぺいしていたといわれても仕方ないかもしれませんね。でなければ、出場辞退ってもっと早い時点で行われていたはずですから。 話を戻して、甲子園の本戦に出て不祥事がばれて出場辞退になる、ってこれまでの高校野球史においても前例はないんじゃないですかねぇ。出場を決めてから不祥事が明るみになって、代表が差し変わったことは過去にありましたけどね・・・。なんだかすっきりしない結果ですね。
2025年08月10日
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実家のタンスの中を整理していた時に、引き出しの中に敷いていた古新聞がありました。それは今から60年近く前のものがあったりしまして、なかなか貴重なものだなぁといくつか写真を撮りました。その中で、今は統合されてなくなった銀行の広告もありました。 「第一勧業銀行」、この銀行名を聞いてあぁ懐かしいと思った方は、私と同世代かそれ以上の方でしょうね。2002年まで存在していた銀行で、2002年に富士銀行、日本興業銀行と一緒になって現在ではみずほ銀行となっています。「第一勧業銀行」という銀行名からもわかるように1971年に第一銀行と日本勧業銀行が合併したものです。第一勧業銀行といえば、長らく宝くじの取り扱いを行っていた銀行でしたが、バブル崩壊後の総会屋利益供与事件や大蔵省接待汚職事件など不祥事が起こり、金融不安ということを引き起こして最終的には他行と合併して消滅という憂き目にあってしまいました。 私が就職したのは1986年でしたが、その当時に銀行が合併・消滅するなんて思わなかったし、第一勧業銀行って割と堅いイメージがあったから前出のような事件は当時は驚いたものです。 この新聞は1973年のものでラ・テ欄の下の広告ということで割と目立つ位置に掲載されていたので、そこそこ広告料は高いでしょうね。銀行には関係ないことでしょうけど・・・。
2025年08月09日
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先日、山陽本線の竜野へ仕事で行った際に、姫路で乗り換えを行いましたが、その時に思いがけなく見かけた車両があります。 そうです、今では基調になった103系です。残念ながらオリジナルではなく、改造の形式である103系3500番台ですが贅沢は言えませんよね。播但線を今日も爆走しているわけですが、姫路駅7番乗り場に回送車としてやってきました。おそらく網干電車区へ戻っていくのかなって思いますが、思いがけなく7番乗り場で見かけるとはねぇ・・・。こういう写真もいずれは貴重者になるだろうということで、写真に収めました。
2025年08月08日
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ふらっと立ち寄った駅を紹介するこのシリーズ、第64回目は京阪京津線の大谷駅です。 「大谷」というと今やMLBの大谷翔平選手が真っ先に出てくると思いますが、「大谷」という駅はこの京津線以外にも和歌山県のJR和歌山線にもあったりします。 この大谷駅のある場所は、国道1号線の京都と大津の間、峠になっているあたりに位置しています。駅前にあった案内によると、かつては深い谷間にはさまれていた土地から「大谷」という地名になったとか・・・。 旧東海道と現在の国道1号線に挟まれたところに京津線が通っていて、駅もこんな感じで小さな無人駅となっています。 この大谷駅の特徴としては、駅が設置されている場所にあります。 この写真を見てもらえればわかるかと思いますが、ホームが急こう配の途中にあるということ。別にカメラをわざと名並みにしているわけではないのです。 浜大津方面をみているのですが、浜大津方面に上り勾配になっています。 もう少し京都方面に下がったところからみると、かなり上っていることがわかるかと思います。 京都の三条京阪から浜大津方面へ行く列車がやってきました。急こう配のところに停車して出発するのですから、なかなか大変でしょうね。 路線図です。この大谷駅が京都と大津の間にあって、峠にあたる位置にあることがわかります。 京津線は久しぶりに乗車しましたが、この大谷駅はあまり覚えていなかったなぁ。こんな特徴的な駅なのに・・・。いつだったか関西ローカルの番組で「急こう配の途中にある駅」ということで紹介されていたのは覚えているのですが、こんな感じの駅だったんですね。
2025年08月07日
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今日は滋賀県大津市へ出張でした。最寄り駅は京阪京津線の大谷駅で、この駅の近くにはコンビニもないようなところなのですが、おいしいうなぎ屋さんがあるとのことを大津在住の方お二人から情報提供がありました。そこまで言われたら是非食べてみたい。うなぎだからそこそこいい値するのはわかっているけど、そこまで行く機会というのはあまりないわけだから、よし行ってみようということにしました。 後日紹介しますが、京津線大谷駅を降りてこの坂道を登っていきます。これは旧の東海道にあたるそうです。 駅を出たところにあった看板。そうです、この「かねよ」に向かいました。 こんな感じのお店で、二階に上がっていきます。離れの座敷のお部屋もありました。 さて、うなぎ屋さんだからうな重にするかなって思ったのですが、前出の大津在住の方から教えてもらったのは、先の看板にもあった「きんし丼」。ということで、「きんし丼」にしました。 しばらく待ってでてきたのがこれです。 錦糸卵の存在感が大きすぎる! ごはんは大盛にしました。また、肝吸いもついています。 みればみるほど、存在感のある錦糸卵です。 うなぎの方も香ばしくて、ゆっくりと味わっていただきました。 ところで、このお店のある場所は大津から京都へ向かう旧東海道の道沿いにあるのですが、うなぎが採れそうな川はなく、どちらかというと峠道にあたります。そんなところでなぜうなぎなんだろう、って思ったのですが、理由はあるそうです。すなわち、大津方面から京都へ向かう際(その逆もですが)は上り坂になるので、それを超えるために体力をつけてもらおうということでうなぎ屋さんができたとか・・・。今回立ち寄ったこのお店以外にもお店はあって、昔はもっとたくさんあったのかもしれませんね。 話を戻して、お値段もいい値段でしたけど、久しぶりにかなり贅沢なお昼ご飯となりまして、今日も暑かったけどいい仕事をすることができたと思っています。
2025年08月06日
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セ・リーグが指名打者(DH)制を2027年から導入することが4日、決まった。この日のセ理事会で承認され、発表された。MLBのナ・リーグ、国際大会などでも採用され、高校野球も全国大会では来年3月の選抜大会からの採用が1日に決まっている。【スポニチアネックスから引用】 パ・リーグでは1975年に導入されたDH制。野球って、ピッチャー含めた9人で戦うもののはずなんですが、DHを使うことで10人で戦うことになり、うちピッチャーは打撃免除、DHは守るのを免除されることによりそれぞれピッチングに、打撃に専念できるからそれはそれでいい、というのがDH制を進めるうえでの考えなんでしょうね。 パ・リーグでDH制が導入された1975年前後は、阪急ブレーブスが強かったのですが、セ・リーグと比べるとどうしても人気面では劣ることから、「打つだけの選手(=DH)も加えて打撃の楽しい試合」という目的もあったんじゃないかと思います。打順の1番から9番まで打撃に長けた人が出てきて打ちまくれば盛り上がること間違いなし、っていうところでしょう。まぁ、そこまでしてもなかなかパ・リーグの人気は残念ながら盛り上がらず、今のようにパ・リーグの人気が盛り上がるのはもっと後でしたが・・・。 セ・リーグでDH制が導入される背景は、メジャーでも国際大会でも導入が進んでいるし、高校野球でも導入されることから、その流れに合わせていこうというもののようです。チーム編成としては、「守りは今一つだけど、打撃は実力十分」という選手にとっては活路を見いだせることになりそうですね。ただ、セ・リーグの投手って例えばカープの床田投手のように野手顔負けのバッティングをみせてくれる選手の場合は、何とももったいないんじゃないかってね。いや、逆にそういう選手を投げない日にDHで使ってもらえればいいのか、それもアリだなぁ・・・。 ところで、草野球に目を向けると、私の職場チームが毎年行っている大会においては、今から20年近く前からDH制を採用しています。加えて、ローカルルールとしてそのDHは投手に限定することなく、どのポジションの人でもOK、すなわち投手は普通に打ってもらってサードを守る人の代わりに打つだけの人をDHとして出場、こうすれば試合には10人が参加することができるということにしています。DHはいくらでも代打をつぎこむことができるし、守りが苦手だけど・・・という人を使うときにはうってつけといったところです。ちなみに、私は打撃がダメダメなのでもっぱら守るだけ。サードでもキャッチャーでも途中からはそんな役回りをしていました。ちなみに守るだけって、意外とつまらないものですよ。そりゃ打ちたいよ、下手だけど。でもね、参加者が多ければ多いほど、なるべく出場してもらいたい。そうなると、簡単に出場してもらうには「打席に立ってもらう=打ってもらう」ことになるので、必然的に「打たなくていい人」をつくらなければならない、その役目が長らく私が務めていました。その役目も私が年齢行ってしまって守ることもあまりなくなったので、今ではそんな役はほぼありませんが・・・。 話を戻して、セ・リーグのDH制は2027年から採用とのこと。どんな展開になるんでしょうね・・・。
2025年08月04日
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先週の金曜日に母親が退院した話は紹介しましたが、入院した翌日に娘と一緒に母親の様子を見に行ったときにびっくりしたことがありました。 その病院では、入院患者の部屋に行くにはナースステーションで所定の手続きが必要で、また部屋での面会時間も15分間と限られています。制約が多いのですが、入院患者を守るためなのでそれは仕方ない。ただ、その手続きをしているときに気になったのが、手続きに立ち会っている看護師の方が結構タメ口に近い対応だったこと・・・。たまに病院でそういう人もいるし、病院にやってくる患者やその家族の中には、口のきき方もしらないやつらがいるし、そんなのに対抗しようとすればそうなるか、と聞き流していたのですが、それでもなぁと思っていました。手続きのための用紙には娘が記入してくれたのですが、娘もその看護師の人にタメ口に近いことを話す・・・。なんでやねん? って思っていたら、その親しそうな感じから知り合いだなぁと思いました。後で聞くと実は高校の時の同級生だったとのこと。だから、タメ口は私ではなく娘に対してだったんですね。その看護師の人は高校卒業後に、看護学校へ行って看護師になったことはきいていたようですが、こんな偶然ってあるんですね。 考えてみれば、今回その病院に母親が入院しなければ会うことはなかっただろうし、入院していたとしても違う病棟なら会うことはないだろう。入院していた病棟だったとしてもその日のシフトに入っていなかったら、あるいはほかの患者の対応をしていたら・・・なんて考えると、すごい偶然が重なった結果なんだなぁって思いました。こんな偶然って1億分の1くらいの確率なんだろうか・・・? みなさんはそんなすごい偶然ってありますか? 私は自分でも信じられない偶然は覚えている限り2回ほどあります。一つは、今のデリカSWの前に乗っていたデリカSW(→残念ながら事故廃車)で和歌山へ行った時のこと。当時まだ付き合っていた妻と一緒にある駐車場に車を置いたときに、偶然目の前に停まっていた三菱ギャランに目が行きました。妻に「前に乗っていた車はこれと同じ車・・・」と話した時に、ナンバープレートとギャランの車名バッジをみて「あっ、これはオレが乗っていた車だ!」車名バッジのところには私が後付けで「DOHC 16VALVE」のバッジを追加していたのですが、それもそのまま残していました。また、車検が少し残っていたので名義変更して次の所有者が購入したんでしょうね。次の所有者を見たかったけど、それはしませんでした。 あともう一回は、このブログでも取り上げましたが、私が出向していた時に一緒に仕事をしていた当時北陸支社のNさんと偶然にも甲子園球場の敷地でお会いしたことでしょうね。これは、今回の偶然に匹敵するくらいの出来事で今でもよく覚えています。 それにしても、すごい偶然ってあるものなんですね、ホントびっくりです。
2025年08月03日
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先週の金曜日に入院した母親、入院後の経過が良好だったこともあって今日、退院することになり、昼から仕事を休ませてもらって立ち合いに行ってきました。ベットで横たわっている姿を見ると、かなり弱弱しくなったなぁと思いましたが、それでも何とか起きて車いすに乗ってくれました。入院中もわがままなことはなかったよう(本人談なので100%信じられませんが・・・)なので、とりあえずは安心しました。 入所している施設側の方にも来てもらって、車いすに乗せて運んでもらいました。こういうこともしてもらって、とてもありがたかったです。その後、施設の方へ行くと、早速仲良しのほかの入所者と話をしていましたので大丈夫かな。 とりあえずは安心しましたが、この先も急に連絡が入ることが増えていくんでしょうね。先週の金曜日なんて、出張はあったし、もどってきて残務整理してそれからこの対応でしたからね。結局24時間以上寝ないで対応していましたのでしんどかったですし・・・。
2025年08月01日
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今日は金曜日、カレーの日ということで、今日食べたカレーです。今日は在宅勤務からの入院している母親の退院手続きというあわただしい日で、病院から帰ってきてからも業務の残務整理を20時近くまでやっていました。 さて、今日食べたのは無印良品のカレーのうち、「ごろごろ野菜と豚ひき肉の大盛りカレー」でした。大きな具が載っていて食べ応え抜群でした。
2025年08月01日
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いつも「あけやんの徒然日記」をご覧いただきまして、まことにありがとうございます。 このブログもおかげさまで、今日8月1日に開設20年を迎えました。2005年8月1日に開設して以来、連日多くの方にご覧いただき、またコメントもいただき感謝しております。 このブログは、私の気の向くまま、思いのまま書き込んでいるもので、時には過激な、激辛な内容もありますが、総じて私の思うところを感じてもらえればということで続けているところであります。 この先も、かなりたわごとを書き込むかと思いますが、引き続きご覧いただければ幸いです。 これからもどうぞよろしくお願いします。
2025年08月01日
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