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1987年4月1日に発足したJR。それまでずっと日本国有鉄道(国鉄)だったのが、北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州と貨物のぞれぞれの会社に分割民営化されてしまったわけですが、そもそもそのようなことになったのは、国鉄の甘い体制にも問題があったのだろうけど、最大の原因は政治屋でしょうね。自分の選挙区に鉄道を敷くという「我田引鉄」が在来線のみならず、新幹線においても行われてきたわけでしょ。そりゃ「国鉄」だもん、国(=政治屋)の意向には逆らえないわな。それがどうなったかは、今更説明する必要はないわけですが・・・。
しかし、東日本、東海にあっては首都圏のような人口密集地があったり、新幹線のようなドル箱路線による収益が見込まれるところはいいものの、北海道や四国は単独で事業を行うのは厳しいのではないかと個人的にも思っていました。だって、北海道の場合はかつてのような産炭地は閉山して貨物輸送は見込めないし、固定的に鉄道を利用してくれる人よりも、札幌など都市圏を除けば車利用の方が多かったりするわけです。四国にあっては、国鉄時代から如何に鉄道の利用を促進するかといった話があったように聞いています。まぁ、四国の場合はまだ規模が小さいながらも瀬戸大橋のおかげでなんとか持ちこたえているかと思いますが、北海道の場合は現行路線のかなりの部分を維持するのが厳しくなっているという話は最近もあったかと思います。
そうなってくると、単純に地域ごとに分割したのがよかったのか、というところに行き着いてしまうわけですがどうなんでしょうね。九州においては苦戦するかなって思ったのですが、かなりユニークな取り組みをして頑張っていますから、アイディア次第で乗り越えることもできるということなのでしょうかねぇ。
あと、国鉄分割民営化前には、新会社(=JR)にその時点で全ての国鉄職員を採用するわけには行かない、すなわち余剰人員が多すぎるということで新規採用が行われませんでした。その結果、職員の年齢構成のバランスがおかしくなって、ベテランと若手の差が大きくなってしまったのもよくないことだと思っています。ちょうど私が就職しようとしていた時期が正しくその時で、国鉄に勤めたかった私にとってはどうしようもない状況でしたけど、その当時は「絶対あとでなんらかの問題がでてくるだろう」って思っていました。年齢構成って結構大事だとその当時から思っていたのですけど、その何年かあとに福知山線の脱線事故などがありましたから、余剰人員の問題とあわせてもっと考えないといけなかったんじゃないかって思っています。
さて、そんなJR発足30年を今日迎えたわけですが、1987年の3月31日から4月1日にかけて私は何をしていたか。就職して2年目を迎えようとしていた3月31日の夜に天王寺駅2番のりばにおりました。23:00発の快速新宮行に乗るためです。要するに、3月31日は国鉄、日付が変わって0時になってJRになる瞬間を列車の中で迎えたい、ということでした。こんなことを考えつくのは私ぐらいだろうと思っていたら、同じ考えのヤツらがたくさんいました・・・(爆)。
この時の快速新宮行は、国鉄の急行型車両の名車165系の6両編成で、満員のお客さんを乗せて出発、和歌山を過ぎたあたりで車掌さんから「国鉄からJR西日本に生まれ変わります」といった内容のアナウンスがあって、歴史的な瞬間に立ち会えたって感動したものです。今だったら、その瞬間に大騒ぎするバカタレもいるのでしょうけど、その時は車掌さんのそのような挨拶を静かに聞いていたように覚えています。
さて、その後はどうしたか。天王寺方面へ折り返す列車なんてありませんから、そのまま新宮まで乗車して、早朝5:07に新宮到着。折り返して朝一番の特急「くろしお」で天王寺に戻り、そのまま仕事に行きました。くしくも、子どもの頃に憧れていた381系「くろしお」にJR化後初めて乗ったのでした。
ちょっとそんなことを思い出しましたが、私は就職した1986年は国鉄だったんですね。今日から32年目の仕事になるんですね、あと何年勤められるかわかりませんが・・・。
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