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俳優の火野正平(本名・二瓶康一=にへい・こういち)さんが、14日に死去したことが分かった。75歳。東京都出身。葬儀は家族で行った。俳優として時代劇・映画で活躍したほか、歌手としても長く活動し、昨年は新曲をリリース。プライベートでは“元祖プレイボーイ”として数多くの浮名で70年代のワイドショーを騒がせ、「モテ男の代名詞」として知られた。(中略) 私生活では71年に結婚し2児の父となるが72年に離婚。結婚直後に新藤恵美との交際、さらに翌年には小鹿みきとの交際が報じられ、その後も仁支川峰子ら有名女優との浮名が浮上。70年代のワイドショーを賑わせ“最大11股”などと報じられたが、82年に事実婚を公表した。火野さんのモテぶりから、「火野さん=モテモテ男性の代名詞」となり、モテる男性有名人を「平成の火野正平」と称して報じるメディアが多数存在していた。【スポニチアネックスから引用】 火野正平さんがお亡くなりになったとのこと。出先でケータイのニュースを見てびっくりしました。 少し前までNHKBSで自転車に乗って全国を走り回っておられましたね。時々見ていたのですが、純粋にサイクリングを楽しんで、出会う人とのふれあいを大切にしているような感じでした。 火野正平さんは、ドラマなどで主役よりも脇役で輝くような感じだったように思います。「京都殺人案内」で藤田まことさんとの絡みがあったと思うのですが、自然な関西弁でのやりとりは見ていてほっとするものでした。 そんな脇役で輝く火野正平さん、若かりし頃は本文にもありましたようにプレイボーイとして名をはせた人。晩年はすっかり頭髪がなくなっていましたが、若かりし頃はフサフサ(といいながら晩年を知っているだけに怪しい感じがしましたけど)で、背は大きくない(168cmだったそうです。私とほとんど変わらん)し、決して二枚目というわけではなく(失礼!)、そこまで情勢と浮名を流すことができるんだろうって思っていました。そして、名前の挙がった女性からは多額の慰謝料を請求されることなかった。本当に不思議な方だと思いました。確かどこかで見たような気がするのですが、火野正平さんが狙う女性は有名女優ではなく、「三番手・四番手」だったかな。要するにトップクラスの女優さんは主演の人が行くだろうし、自分の立ち位置を考えれば・・・だったかな。そのような感じのことを書いてあったように記憶しています。そういったところと母性本能をくすぐるところがあったのかもしれませんね。 ドラマなどで飄々としてつかみどころがない役が多かったように思いますが、このような役柄を自然に演じられる味わいのある俳優がだんだんといなくなってきましたね・・・。 火野正平さん、お疲れさまでした・・・。
2024年11月20日
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俳優西田敏行さんが都内の自宅で亡くなったことが17日、分かった。76歳だった。 西田さんは1963年に地元・福島の中学を卒業後に上京し、70年に劇団青年座に入団。映画「釣りバカ日誌」シリーズなど数多くのドラマや舞台で幅広く活躍した。 ユニークなルックス、確かな演技力で親しまれ、ドラマ「池中玄太80キロ」や、同ドラマの主題歌「もしもピアノが弾けたなら」が大ヒットして、紅白歌合戦にも出場するなど、マルチに活動した。 大ファンだという関西ローカルのABCテレビ「探偵!ナイトスクープ」の2代目局長も務めた。 03年に急性心筋梗塞(こうそく)で入院したが、その後も俳優業、タレント活動に復帰。病気を機に、ヘビースモーカーから「禁煙」を宣言して、仕事を続けていた。 10月8日にも都内で行われた映画「劇場版ドクターX」の完成報告会見に出席しており、突然の別れとなった。【日刊スポーツから引用】 今日の昼休み、食事をしながらケータイのニュースを見てびっくりしたのがこのニュースです。 西田敏行さん、見るからに優しそうな表情で、役柄もそんな感じのものが多かったように思います。初期の特捜最前線では人情派刑事でしたし、西遊記でも猪八戒でイメージぴったりだったと思います。ただ、そんな役ばかりではなく、組織の黒幕とか悪役もこなすなど存在感のある役者さんでした。 私の娘がなぜか西田敏行さんがお気に入りで、最近妻の親戚のおじさんが亡くなり、今度は西田敏行さんがお亡くなりになったということでちょっと落ち込んでいます・・・。 西田敏行さん、お疲れさまでした・・・。
2024年10月17日
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声優の大山のぶ代(おおやま・のぶよ、本名・山下羨代=のぶよ)さんが9月29日、老衰のため亡くなったことが11日、分かった。90歳だった。 ドラえもんは3度も声優が交代している。1973年(昭48)に日本テレビ系で放送が始まった際は富田耕生氏がつとめ、男性の声だった。同年のうちに野沢雅子に交代し、放送は1年で終了した。その後、79年にテレビ朝日系で放送再開したタイミングで大山さんがドラえもん役に。05年までの長きに渡って担当(第1期)したが、大病を患ったのを機に降板を決意し、現在(第2期)の水田わさびに交代した際にはキャスト総入れ替えで若返りし、大きな話題を呼んだ。 現在、テレビ朝日系第1期「ドラえもん」で存命なのは、しずかちゃん役の野村道子(86)の1人となった。ジャイアン役のたてかべ和也さんは15年に80歳で死去。スネ夫役の肝付兼太さんは16年に80歳で亡くなった。野比のび太役の小原乃梨子さんは今年7月に88歳で亡くなったばかりだった。【日刊スポーツネット版から引用】 「ぼく、ドラえもんですぅ」 この言葉をみれば、私の世代くらいの人はあの独特の大山のぶ代さんの声で変換されるのでしょうね。ドラえもんの生みの親、藤子・F・不二雄先生がアニメ版になったドラえもんの声を聴いて「ドラえもんの声はこんな声だったんですね」とコメントしたとか。それくらい特徴のある、一度聴いたら忘れられないくらいのインパクトのある声でしたね。普段のトークは普通の声なんですけど、ドラえもんの時だけ違うんですね。ちなみに、私生活で旦那さんとけんかしているとき、興奮するとドラえもんの声で怒っていたとか(笑)。 それにしても、大山のぶ代さんにだけでなく今年に入ってから多くの声優さんがお亡くなりになっていますね。仕方ないことだけどなぁ・・・。 大山のぶ代さん、お疲れさまでした・・・。
2024年10月11日
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フリーアナウンサーなどのマネジメント会社「エス・オー・プロモーション」は8日、同社創業者で取締役会長の所属アナウンサー・押阪忍(おしざか・しのぶ)さんが6月29日に死去したと、公式サイトで発表した。享年89。(中略) 押阪さんは岡山県津山市出身。1958年に「日本教育テレビ」(現在のテレビ朝日)にアナウンサーとして入社。日本テレビ「東芝ファミリーホール特ダネ登場!?」の司会や、TBS「ベルトクイズQ&Q」の3代目司会者として活躍した。1971年に退社し「エス・オー・プロモーション」を立ち上げた。妻は同じくフリーアナウンサーでタレントの栗原アヤ子。【スポニチアネックスから引用】 子どものころに見ていた「ベルトクイズQ&Q」。子どものころからクイズ番組が好きだったので、楽しみに見ていたのを覚えています。その司会者として活躍していたのは、押阪忍さん。さわやかなその声は、とても印象に残っています。 また、「ベルトクイズQ&Q」以外には「ラーマ奥様インタビュー」ですよね。ラーマは今年の4月に設備老朽化のため販売終了になったそうですが、久しぶりにyoutubeでそのCMをみることができましたけど、懐かしかったなぁ~ 押阪忍さんのさわやかな声をお顔をみることができたのでね。 子どものころによく見ていた方が次々に亡くなっていくのは、寂しいことですね・・・。 押阪忍さん、お疲れさまでした・・・。
2024年07月08日
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上方落語家の桂ざこばさんが12日、12日、喘息のため亡くなった。76歳だった。同日、所属していた米朝事務所が報道各社に公表した。同社は「弊社所属 桂ざこば(本名・関口弘)が、喘息のため6月12日(水)午前3時14分、自宅にて息を引き取りました」と明らかにした。 昨年12月の坂田利夫さん、今年の5月のキダ・タローさん、今くるよさんに続く、関西芸能界「重鎮」「大御所」の訃報となった。 昨年5月には上岡龍太郎さん、8月には桑原和男さん、10月には財津一郎さん、今年3月には五代目林家小染さんが死去。お笑いやコメディーの分野だけではなく、昨年10月には谷村新司さん、もんたよしのりさんも亡くなるなど、関西の芸能文化を支えてきた面々が、相次いでこの世を去った。 Xでは「また関西の大御所が」「最近、関西の大御所が旅立ってて寂しいな」「坂田利夫→キダ・タロー→今くるよ→桂ざこばという関西大御所訃報リレーやめてくれ…」「また大御所が…しかもまだ80前じゃないか」など、悲鳴のような声が次々と寄せられている。【Oriconから引用】 本文にもありましたが、このところ関西における古くからのタレントさんがお亡くなりになっています。私が子どものころから普通にテレビで見ていた方ばかりだし、なんだか悲しくなりますね。そして、今度はざこばさんですよ・・・。 ざこばさんといえば、テレビのバラエティ番組で大阪弁で興奮しながらしゃべる、しかもその興奮が最高潮に達すると、顔を真っ赤にして怒るというのが定番でした。それは、ざこば襲名前の朝丸時代からそうでした。朝丸時代は本業の落語以上にバラエティー番組でよく見かけました。「ウィークエンダー」だったかな、なかなか面白かったのですが、あれって関西オンリーだったのかな? もし関西以外でも放送していたら、当時の朝丸さんの興奮がちに話す大阪弁、関西以外の方には理解できたのかな? そういえば、ざこばさんといえば、このCMも有名でしたね。 ざこばさんの訃報はSNSでも話題となり、特に「川藤出さんかい!」で有名になったビールのCMを思い出すファンが続々と追悼している。そんなざこばさんの代表作の一つが、90年代にお茶の間を賑わせたサントリーモルツのCM。居酒屋でビールを飲みながら、テレビの野球中継を見るざこばさんは「川藤出さんかい!」とテレビに向かって叫ぶ。このざこばさんの思いが届いたのか?「代打・川藤」が告げらるも、ざこばさんは「ホンマに出してどないすんねん」と本音を漏らしてビールをゴクリ。 この日のざこばさんの訃報で、このCMを思い出した人は多く「『川藤出さんかい!』と言っておきながら出てくると『ホンマに出してどないすんねん』とのたまう愛すべき阪神ファン」「個人的には『川藤ださんかーい!』のモルツのCM好きやった」「川藤出さんかい→ホンマに出してどないすんねんはよかったなあ」「ざこば師匠が出演したテレビCMというと、やはりこれが忘れられない」「私の中でざこば師匠といえば『川藤出さんかい』でお馴染みのこのCM」「あれは最高に笑った」など思い出とともに追悼する声が上がっていた。【デイリースポーツネット版から引用】 そうです、あのサントリーモルツの伝説的なCM、「川藤、出さんかい!」からの「ホンマに出してどないすんねん」というツッコミ。あれは最初見たときは大笑いしました。サントリーのCMは、缶コーヒーBOSSでもそうですが、たまにとんでもないものをぶっこんで来るのでおもしろいのですけど、これもその一つかと思います。youtubeにそのCMが紹介されていまして久しぶりにみましたけど、いやぁなかなか面白いです。関西の居酒屋、特に阪神戦が放送されているところでは見かける光景かと思います。 それにしても76歳だったんですね。日本人の寿命が延びてきているとはいえ、70歳後半にさしかかる年齢になるとさらに衰えてくるのかなってふと思いました。 ざこばさん、お疲れさまでした・・・。
2024年06月12日
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俳優中尾彬さんが心不全のため、亡くなったことが22日、分かった。81歳だった。 中尾さんは1942年8月11日、千葉県に生まれた。61年に武蔵野美術大油絵学科入学後、日活の第5期ニューフェイスに合格するも絵画を捨てきれず、翌年大学を中退してパリへ留学。帰国後、劇団「民芸」に入団し、翌年の映画「月曜日のユカ」でデビューした。 映画ではゴジラシリーズや北野武監督作品「アウトレイジ ビヨンド」(12年公開)、「龍三と七人の子分たち」(15年)にも出演。「龍三と――」では東京スポーツ映画大賞助演男優賞を受賞した。 テレビではNHK大河ドラマ「義経」「龍馬伝」、TBS系「下町ロケット」やテレビ朝日系「ドクターX~外科医・大門未知子~」など数々の話題作に出演した。 近年はバラエティー番組にも進出。ズバリと核心を突いた物言いがお茶の間に好評だった。 関係者によると、中尾さんは5月に入っても仕事をこなしていたという。 妻の池波志乃とは芸能界きっての〝おしどり夫婦〟で有名だった。中尾さんはネクタイが嫌いで、スカーフやマフラーをぐるぐるにして巻く「ねじねじ」スタイルはトレードマークだった。【東スポWEBから引用】 今日の昼食時にスマホでニュースを見たときに驚いたのがこのニュース。いろんなドラマなどで存在感のある悪役をこなしていた中尾彬さんがお亡くなりになったとのこと。若いときからその大きな体と特徴的な低い声、ギョロっとした大きな目が印象的で一目で「こいつ、絶対怪しい!」と思えるような存在でした。でも、後年になってバラエティーに出演すると、いいようにいじくられてトークも面白くてこんな人だったんだぁって思ったものです。確かダウンタウンの番組に出ていた時にも浜田さんに「あきら~っ!」って思いっきり突っ込まれていてもニヤニヤしてそれを楽しんでいるように思いました。そういえば、その番組で盟友の江守徹さんとの掛け合いは面白かったなぁ。江守徹さんもあまりそんなふうに見えなかったから。 それから、中尾彬といえばあの「ねじねじ」のネクタイ。他の人がやっても絶対似合わないと思うのですが、中尾彬さんだとなぜかしっくりとくるんですよね。体の一部みたいでした。 さて、中尾彬さんには前妻がおられたそうですけど、離婚後に現在の奥さんの池波志乃さんと一緒になっておしどり夫婦になっていましたね。池波志乃さんも時代劇などで悪役をこなしていたこともあって、夫婦共演の悪役を見たかったですけどね。 それにしても、きちんとした悪役のできる俳優さんが少なくなっているところに、また一人亡くなってしまったのは残念です。 中尾彬さん、お疲れさまでした・・・。
2024年05月22日
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「浪花のモーツァルト」として親しまれた作曲家でタレントの作曲家のキダ・タロー(本名・木田太良=きだ・たろう)さんが14日、死去した。93歳。兵庫県宝塚市出身。葬儀・告別式は近親者で行われた。所属事務所が公式サイトで発表した。 手掛けた曲では、番組テーマソングでは「プロポーズ大作戦」、「ラブアタック!」、CMでは「出前一丁」、「かに道楽」、「小山ゆうえんち」などがある。歌謡曲としては1964年「ふるさとのはなしをしよう」(北原謙二)が代表曲。「アホの坂田」のテーマも作曲した。作った曲数については、さまざまな説があるが「それは裏が取れる話ではなく、自分で言いたい放題」として自称5000曲としていた。「メロディ―だけならいくらでも作れる」とも語っていた。在阪のテレビ局では、テーマ曲に困った時の駆け込み寺存在だった。【スポニチアネックスから引用】 「浪速のモーツァルト」とよばれたキダ・タローさんがお亡くなりになったとのこと。関西以外の方はご存じでしょうかねぇ、関西の方にはとてもなじみ深い方ですけど。本文にもありましたが、CMソングや番組のテーマソングを数多く手がけて、聞いたことがあるCMソングは小林亜星さんかキダ・タローさんかのどちらか、なんて思えるくらいでした。 キダ・タローさんといえば、その特徴的な頭髪なのですが(関西の方はわかりますよね?)、今回驚いたのが「キダ・タロー」って本名だったんですね。表記は違いますが、本名だったとは今回改めて知りました。 それから、キダ・タローさんといえば「探偵!ナイトスクープ」の顧問として何度も出演されていましたね。さきほどyoutubeでやっと探すことができたのですが、1989年の放送で「南海岸和田駅(まだ地上駅時代)の信号機の音程が正しいのか」という視聴者からの依頼に対して、作曲家魂を揺さぶられたのか大真面目にそれにのぞもうとしました。ところが、その音程はだれが聞いても「音痴なとうりゃんせ」だったことからキダ・タローさんが「こんなもん、話になるかい!」と激怒していました。当時この番組を見て腹抱えて大笑いしたのを思い出しました。 数多くの曲を手掛けたキダ・タローさん、お疲れさまでした。
2024年05月16日
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俳優の大村崑が8日、都内で行われた映画『お終活 再春!人生ラプソディ』(5月31日公開)の特別イベント付試写会舞台あいさつに出席。スーツ姿の大村はマイクを持つと「92歳になりました。日本でたった1人の90代の喜劇役者です。元気ハツラツ、オロナミンC!」と、かつて自身が出演したCMフレーズをまじえ元気いっぱいにあいさつした。【ENCOUNTから引用】 かなり前にも大村崑さん(以下崑ちゃん)の話題を取り上げました。それから数年経って、ますます元気になっている崑ちゃん、92歳ですよ。ご本人も日本でたった一人の90代の喜劇役者」とコメントしてるように、ここまでお元気とはうらやましい。本文にあったイベントには他に橋爪功さんや長塚京三さんも一緒だったそうですが、写真を見る限りそのお二人よりもパワフルに感じました。 崑ちゃんは、ライザップなどで体を鍛えていると言われていましたよ。高齢者になってから始めても大丈夫なのかなって思ったのですが、やればやるほど力がつくところがハマっているのかもしれませんね。 他の記事では、スクワットを欠かさずやっているとか。やはり足腰がしっかりしていると衰えるのも抑えられるのかな・・・。 今月末公開の映画にもご出演されているようですが、久しぶりに赤い霊柩車シリーズの秋山さんをみたくなりました。 いつまでも「元気はつらつ!」でいてほしいですね。できれば、オロナミンCのCMに再びでてほしいな。大塚製薬さん、いかがですか?
2024年05月09日
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毎年春の恒例行事としている「劇場版名探偵コナン」の映画の鑑賞。今年も行ってきました。 今回もレイトショー、仕事が終わってから車で橿原市のイオンモール橿原(←いまだに以前の名前のアルルって言ってしまう私ですが)のTOHOシネマです。ここは椅子がゆったりしているのでお気に入りなんです。レイトショーということで満席ということではなかったのですが、それでもそこそこの観客数でした。今の時期はGWなので日中は多いでしょうね。 さて、今回の「劇場版名探偵コナン」は『100万ドルの五稜星』。函館が舞台となっていました。函館は私の息子が3月まで住んでいたところで、私も息子が住んでいるときに行っていますが、登場する風景が懐かしく感じました。また函館に行ってみたいなぁってね。 物語の内容は、ネタバレになるので載せませんが今回も楽しめました。(あらすじはHPなどで確認してください) ところで、今回の27作目でシリーズ累計観客動員数が1億人をこえたとのこと。大人でも十分楽しめるものだし、私は毎年楽しみにしています。子どもが小さいころは子ども会での映画鑑賞会があったのですが、他の行事は妻に行ってもらったとしても、このコナンの映画だけは私が率先して付き添っていました。それは他の近所のお父さんたちも同じでしたけど・・・。 話を戻して、来年も28作目が公開される予定とのこと。今から楽しみです! そういえば、先日出かけたセブンパーク松原にこのような広告がありました。
2024年05月02日
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俳優で声優としても活躍した寺田農さんが14日未明、肺がんのため亡くなった。81歳。所属事務所「CESエンタテインメント」が23日、公式サイトで公表した。 同社は「弊社所属 寺田農が2024年3月14日未明、肺がんのため81歳で永眠いたしました。最後まで仕事を続けながら、諦めることなく希望を持って、治療に励んでまいりましたが、桜の開花を待たずして帰らぬ人となりました」と報告。 「これまで応援して下さったファンの皆様、多くの作品でお世話になりました関係者の皆様の生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます」と伝えた。 1942年11月7日生まれ、東京都出身。文学座付属研究所に入団。68年に映画『肉弾』で主演を務め、「毎日映画コンクール」で主演男優賞を受賞。多彩なジャンルのドラマ・映画・舞台で存在感を発揮した。また、『天空の城ラピュタ』ムスカ大佐役をはじめ、声の仕事でも愛された。【オリコンニュースから引用】 ドラマでは渋い役で、善人役も悪人役もこなしていた寺田農さんがお亡くなりになったとのこと。組織の黒幕とか政治家、悪徳弁護士などがピタリとハマっていましたね。つい先日だったか、CSで西村京太郎サスペンスをみていたのですが、そこでも黒幕でした。そんな味のあるしっかりとした役者さんが今ではいなくなったなぁと思ってみていたのですけどね・・・。 本文にもありましたが、声の仕事でも活躍されていたとか。私は気がつかなかったなぁ・・・ ところで、「寺田農」と書いて「てらだみのり」って読むんですね。私は最初何と読むのかわからなかったです・・・。 寺田農さん、お疲れさまでした・・・。
2024年03月23日
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女優の吉高由里子(35)が主演を務めるNHK大河ドラマ「光る君へ」(日曜後8・00)は14日、第2話が放送され、主人公・まひろの本役・吉高と藤原道長の本役・柄本佑(37)が初登場した。話題のシーンを振り返る。(中略) 代筆するシーンなどでは、左利きの吉高が右手で筆を走らせて美しい毛筆を披露。SNS上では「私もあんな文字書いてみたい」「吉高由里子、左利きなのに役とは言え右で書字するんだな」「右手でお習字練習したんですね。すごい」「役者本人が実際に書いているところを写したいというこだわり」「左利きを右利きにしてる吉高のまひろ氏すげぇなあ」「左利きなのにここまで文字かけるのか」「字うめえ」など驚きと称賛のコメントが寄せられた。【スポニチアネックスから引用】 今年のNHK大河ドラマは。「光る君へ」という平安時代を舞台にしたものだそうですが、私はまだ見ていません・・・。でも、主演を務める吉高由里子さんのインタビューはNHKで紹介されていました。 その中で、本文にもありましたが毛筆で書く場面について、元々左利きなのに右手で筆を持って書くのが大変とのコメントをされていました。確かに、毛筆ってはね・とめ・はらいなどいろいろと大変なわけで、右利きの人が書いても大変なわけですけど、それを左利きの人が右手で筆を持って書くこと自体最難関だと思われるのです。それを違和感なく書くのはかなり練習しなければならないわけですが、すごいことですよね。 ところで、私の娘も左利き。箸もペンも左だし、ボールを投げるのも左、バットで打つのも左、絵筆も左なのですが、毛筆だけはなぜか「右」なのです。これは、習字の先生に、「太筆は右で持つもの」と教えられたのでそれを忠実に守って書いているうちに右で書けるようになったとのこと。ただ、細筆だけは左で書いているようです。ちなみに、小学生のころに今の時期なら書初めをしたものが教室の後ろに掲示されていましてそれを授業参観の際に見るのが楽しみだったのですが、私の娘が書いているものを見ると、まさか「左利きなのに右手で書いている」とは思えないくらいの出来栄えに驚いたことがありますよ。 話を戻して、左利きの人の能力ってすごいなぁって改めて思いました。
2024年01月16日
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「舟唄」「雨の慕情」などのヒット曲で知られ、艶っぽくハスキーな歌声で「演歌の女王」と呼ばれた歌手の八代亜紀(やしろ・あき)さんが昨年12月30日、急速進行性間質性肺炎のため死去した。73歳。熊本県八代市出身。葬儀は関係者で行った。後日、お別れの会を開く予定。 八代さんは昨年9月12日に年内活動休止を発表した際に「応援してくださっているファンの皆様、関係者の皆様、この度はご心配、ご迷惑をおかけして本当にごめんなさい。膠原病の治療に専念するため、2023年いっぱいはお仕事をお休みさせていただきます」と報告。「少しの間、大好きな歌と絵から離れなきゃいけないのは寂しいけれど、必ず元気になって戻ってきますので待っててね。また皆様とお会い出来る日を楽しみに頑張ります!」とつづっていた。 願いはかなわなかったが、歌を愛し、人を愛し、常に感謝の思いを大切にしていた八代さん。最後まで周りのスタッフ、そして病院の関係者すべての人に「ありがとう」を伝えていたという。【スポニチアネックスから引用】 演歌界の女王といっても過言ではない八代亜紀さんがお亡くなりになったとのこと。残業帰りの列車の中で見たスマホのニュースで知りましたが、驚きました。昨年9月に膠原病の治療のために活動休止されていたそうですけど、あまりにも急な話ですよね。 八代亜紀さんの曲といえばいろんな曲が思い出されますが、私は「舟唄」が好きですね。ハスキーボイスでしんみり聴かせてくれるところが好きでした。つい先ほどもyoutubeで「舟唄」を聴いていました・・・。 また、若かりし頃の八代亜紀さんといえば、元々九州は熊本の九州産業交通(九州産交)の観光バスのガイドさんを経て歌手になられたのですが、日本人離れした濃い顔立ちでそれをネタにする人もいましたけど、それがまた特徴的でインパクトがあったのと、スタイルがまたいいんですよね。それがゆえにトラック運転手から絶大な人気があったとか。そういえば、東映の映画「トラック野郎」にも姫トラッカーの紅弁天役で出演されていましたね。 それにしても、昭和がまた遠くなったような気がします。 八代亜紀さん、お疲れさまでした・・・。
2024年01月09日
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アニメ『名探偵コナン』の劇場版27弾『名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)』が、2024年4月12日に公開されることが決定した。本日29日発売の『週刊少年サンデー』(小学館)1号にて発表された。 公開されたティザービジュアルには「こういう謎解き(かけひき)は、得意だろ…?」というキャッチコピーとともに、北海道・函館の五稜郭を背景に怪盗キッドやコナンなどのキャラクターが描かれている。【Oricon Newsから引用】 今日、昼ご飯を食べながらケータイでネットニュースを見ていた時に飛び込んでいたのがこのニュースです。劇場版名探偵コナンは、毎回映画館へ行ってみているのですが、来春公開予定の第27作の舞台が北海道函館市とのこと。函館は私の息子が住んでいて今年も去年も行きましたし、なじみのある所だからなんだかうれしいです。 函館でも五稜郭が舞台になるようですけど、五稜郭以外のところも映画の中で出てくるでしょうね。予想してみると、函館山は鉄板でしょうね。あとは函館の朝市とか周辺もでてくるでしょう。それと湯の川温泉もそうかな。 あと主題歌をだれが対応するのか。久しぶりに倉木麻衣さんだったらいいなぁ。倉木麻衣さんといえば、テレビ版も劇場版も含めて数多く提供されていますからね。 それにしても、今年公開された第26作がとても内容が良かったので、最新作はどうなのか気になるところです。
2023年11月29日
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21日午後10時46分、Jアラートが発令され、NHKをはじめテレビ全局の画面が切り替わった。 北朝鮮がミサイルを発射したもようと。 対象地域は沖縄。「建物の中、又は地下に避難してください」と呼びかけている。【デイリースポーツネット版から引用】 この瞬間、私は風呂に入っていたので見ることができませんでした。すぐに切り替わって、それが全ての放送局が対応したようですね。私も風呂から出てきてテレビを見ると、どのチャンネルも黒いバックに白い文字で注意喚起の文章が並んでいました。NHKのEテレも例外ではありませんでした。 こういうのって、なんだかドキドキするからあまり心臓にはよくないです。東北の震災の時は、これに加えて何とも言えない注意喚起の音もあったじゃないですか、未だにあの音だけは苦手です。 ところで、「全ての放送局」と書きましたが、通常放送を継続していたところもありました。それは地元の奈良テレビとかKBS京都といったUHF局ですね、そういうところは対象外なのかな。だから、普通にゴルフ番組とか通販番組をやっていました(笑)。 そういえば何の漫画だったか、全世界で戦争が勃発して日本にも戦火がやってくる、なんていうニュースがどのチャンネルを回してもやっているのに、テレ東だけが通常通りゴルフ番組をやっていて、「さすがテレ東!」(←そんな有事の際でもブレないという意味)というオチになっていたのをみたことがありますが、そのテレビ東京(こちらではテレビ大阪)でもほかの放送局と同じように注意喚起の黒いバックで放送していました。 それにしても、あの国の金豚クソ野郎、全くもって何考えているのかわからん!
2023年11月21日
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フラワーアーティストの志穂美悦子さんがさんが10月29日、自身のインスタグラムを更新。鍛え上げられた肉体を披露した。 同日、68歳の誕生日を迎えた志穂美さんは、タンクトップ姿で二の腕の筋肉を見せた写真を投稿。「いろいろやりたいことがあるので、からだ作ってます。健康なからだにありがとう~」とつづり、「元気に誕生日迎えられたことに感謝 この一年はさらにアグレッシブに まだ見ぬ自分へ」と抱負を語った。 “バキバキ”の肉体に、ファンからは「からだづくりすごいです」と絶賛の声が上がったほか、「剛さんもビックリな上腕二頭筋」と、夫の長渕剛さんを思い起こした声もあった。【MANTANWEBから引用】 志穂美悦子さんといえば、私が子どものころはドラマや映画、特撮で大活躍されていて「アクションスター」でしたね。そのキレッキレのアクションは、吹き替えでなく本人が演じていたわけですからね。 当時の映像は、ありがたいことにyoutubeでもいくつか見ることができますが、この話題が出る数日前に偶然みたことがありまして、やはりかっこういいなぁって思いました。今の女優さんでこんなキレのあるアクションができる人はほとんどいないんじゃないですかねぇ。 もっとそんなアクションが見たかったのに、長渕剛さんと結婚されたのには当時びっくりしました。というのも、長渕剛は前妻(石野真子さん)に対するDVで離婚したことはワイドショーなどで連日報道されていたので、そんな人となぜ?って思ったものです。そして、案の定というのかな、DV癖が抜けなかったのか、志穂美悦子にも同じことをしたらしいのですが、見事に返り討ちに遭ってしまったそうで(笑)。まさか志穂美悦子さんがアクションスターだったことは知らないことはないと思うのですけど、DVする相手が悪すぎましたね。そんなこともあって、長渕剛さんは体を鍛え始めて、70歳近い年齢ながら引き締まった体をされているそうです。っていうか、そもそもDVは犯罪だからな! さて、アクションスターから今はフラワーアーティストをされているという志穂美悦子さん、今でもしっかりと体を鍛えているようで、68歳とは思えない見事な肉体美を披露されていました。相当鍛えていないとあんな肉体美にはならないように思うのですが、さすがですよね。今でも十分アクションができるんじゃないかと思えるくらいでした。
2023年10月31日
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声優の一城みゆ希さんが24日、多臓器不全のため死去した。享年76。所属事務所が同日、公式サイトで報告した。 一城さんはアニメ『名探偵コナン』ジョディ・スターリング、『はじめ人間ゴン』かあちゃん、『野ばらのジュリー』ジュリー・ブラウン、『ザ・シンプソンズ』マージ・シンプソン、映画『101匹わんちゃん』アニータ・ラドクリフなどを務めた。【オリコンニュースから引用】 このニュースをスマホで見たとき、一体どの声をあてている人かわかりませんでした。でも、「名探偵コナンのジョディさん」とわかって大変なことになったなぁって思いました。コナンフリークのわが娘もびっくりしていました。 名探偵コナンファンの方にはおなじみですよね、FBIの捜査官の一人で英語の先生として潜入しているというキャラクターでしたね。毎回の話にはでてきませんが、例えば今年のコナンの映画でも重要な役割ででていたので、この先だれがその代わりを務めるのか気になるところです。 それにしてもアニメの場合、「そのキャラクターとその声」は密接不可分のようになっていると個人的には思っていまして、いろんな事情で声優さんが変わってしまうと慣れるまで時間がかかることがあります。 例えば、サザエさんのカツオ君の声が高橋和枝さんから現在の富永みーなさんに代わった時は多少の違和感はありましたけどすぐになじみました。ところが、同じサザエさんの波平さんの声が永井一郎さんから現在の茶風林さんに代わった時はなかなかなじめませんでした。茶風林さんは名探偵コナンの目暮警部の声でもあるので、どうしても絵は波平さんなのに、声を聞くと目暮警部っていうことでね。 話を戻して、一城みゆ希さんがお亡くなりになってどなたがされるのか発表はありませんが、今までのイメージに近い方だったらいいなぁと思いました。 最後に一城みゆ希さん、お疲れさまでした。
2023年10月25日
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コメディアンで俳優の財津一郎さんが10月14日に慢性心不全で亡くなっていたことが「週刊女性PRIME」に報じられた。89歳だった。 財津さんは、1995年に脳内出血を発症。2010年に映画『ふたたびswing me again』で主演し、翌年にドラマ『3年B組金八先生ファイナル』(TBS系)に出演したのを最後に、実質的な芸能活動休止状態になっていた。 財津さんが療養生活に入ってからも、「ピアノ売って、ちょうだ~い!」のフレーズで有名なピアノの買い取り・販売を手がけるタケモトピアノ(大阪府堺市)のCMは放送され続けた。『週刊ポスト』が2019年に行ったインタビューの中で、財津さんは、「いま僕は仕事していないので、僕の最低限の生活を守ってくれているのは、あのCMなんです」や「いまはピアノのおかげで生き延びている」など、同社への深い感謝を明かしていた。 財津さんが出演するタケモトピアノのCMは、2000年に放送開始した。『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送テレビ)で、“赤ちゃんが泣きやむ不思議なCM”として取り上げられたことも話題になった。長年愛されてきただけに、CM変更は社内でも考えが割れたという。「実はこれまで何度か違うCMを放送したこともあるのですが、そのたびに視聴者の方から『CMを変えないでほしい』や『せっかく赤ちゃんが泣き止むCMなのに』といった声が多く寄せられ、もとに戻していました。だからこそCMを変えるべきか、社内でも意見が分かれ、私自身もギリギリまで反対し続けました。財津さんのおかげで、これだけ愛されるCMになり、本当にありがたかったです」 視聴者から愛あふれる“クレーム”を受け取るほど親しまれた、財津一郎さんのCM。ご冥福をお祈りします。【Newsポストセブンから引用】 財津一郎さんがお亡くなりになったとのこと。「てなもんや三度笠」の時代はさすがに知りませんが、ドラマなどで特徴的な声と風貌はよく知っていました。声がまたいいんですよね・・・。その声を生かしたタケモトピアノのCMは財津一郎さんでないといけないものでした。 タケモトピアノのCMは、関西ではおなじみでしたね。今年8月いっぱいでCMは流れていなかった、と言われていますが、そうだったかな? 意外とあたりまえすぎて印象に残っていないんだけどなぁ。 その特徴ある声は「赤ちゃんが大泣きしていても泣き止む」とのことでしたが、もっと早く知っていたら私の子どもたちのときに使えたのになぁ(笑)。でも、なぜ財津一郎さんの声で泣き止むんだろう?? そんななじみのあるCMだからタケモトピアノとしても、新しいCMに切り替えられなかったんでしょうね。「CMを変えるな」というクレームも珍しいね。 ところで、財津一郎さんは数年前に長年連れ添った奥様を亡くされていたとか。そういったところも原因なのかな・・・。 財津一郎さん、お疲れさまでした・・・。
2023年10月19日
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昨日10月14日は鉄道記念日でしたね? それを記念してなのかどうかわかりませんが、youtubeで「大いなる驀進」(1960年 東映)が特別配信されていました。この映画は、DVDなどを借りてみたことがなかったので、ちょうどいいタイミングで見ることができました。 ストーリーは、以下のとおりです。(youtubeから抜粋)東京~長崎間を驀進(ばくしん)する特急さくら号。この特急さくら号に乗車して物語を織りなす様々な人間像、それをまず御紹介する。専務車掌の松崎義人、列車給仕の矢島敏夫、食堂車のウェイトレス・松本芳子、そして彼らの同僚たち。さくら号に旅装を託す乗客たちは、九州遊説の某政党幹部とその秘書をはじめ、スリの名人・カメレオンの松、一見紳士風の殺し屋・時定と七郎、母親が危篤だという女中の山本年子、駆け落ちのアプレアベック、新婚旅行の若夫婦、財閥の炭坑主・吉田、プロ球団の選手など、まさに多種多様である。 キャストは、三國連太郎さんや佐久間良子さん、中村賀津夫さん、中原ひとみさんなど。そのほかにも八名信夫さんも名前を連ねていましたが、わからなかったなぁ・・・。 ストーリーは前出のとおりなのですが、ツッコミどころもいろいろありまして、例えば台風が接近しようとしていて暴風雨警報が出ているにもかかわらず列車の運行をしたり(当時はOKだったのか? 今奈良風速25m以上吹くことが予想される場合は運転見合わせになるが。)、土砂崩れの現場において列車乗務員総出でその除去に参上するなど当時でも考えられないと思われることがありました。また、けん引する機関車がその場面ごとに車番が変わっていたり(これはドラマなどではよくあることなのですが、それでもその当時の車両配置ではありえないものもあった)、その他細かいところも含めるといろいとあるのですが、私にとっては1960年当時に運転されていた車両を動画で見られたこと、その当時のブルートレインの車内の様子、駅の風景などを見ることができて物語以上にそういったところが楽しめました。特に、新婚旅行や代議士の見送りにおける社員や関係者総出の見送り風景なんて、今では見られない光景ですが、かつてはそのようなことが多かったと聞いたことがあったので、実際にはこんな感じに近かったのかなと思いました。 それにしても、この映画以外にも鉄道を舞台とする映画はいろいろとありますが、その時代の車両や社会情勢、風景が切り取られた記録映画としての側面もあるのかなと思いますので、とても貴重なものだと思いました。 ちなみに、10月31日までyoutubeで見ることができるとのことです。
2023年10月15日
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ジャニーズ事務所が2日、所属タレントの岡田准一さんの退所を発表したことを受け、大阪府枚方市にある遊園地「ひらかたパーク」のCMに岡田さんを起用している京阪ホールディングス(HD)の報道担当者は同日、「岡田さんとの関係を引き続き大切にしたい」と述べた。「今後については改めて結論を出す」としたが、契約継続に向けて前向きな姿勢を示した。【朝日新聞デジタルから引用】 「ひらぱー兄さん」として、ひらかたパークのキャラクターを務めている岡田准一さんがジャニーズ事務所を退所することを発表したとのこと。ご存じのようにジャニーズ事務所をめぐるごたごたはここではふれませんが、2013年から長らくキャラクターを務めている関係でどうなるのか心配しておりました。そのまま残っていたら、他の所属タレントのように契約を切られる可能性があったかもしれませんが、事務所をやめて独立すればひとまずは関係なくなる、ということになるのかなってね。 ひらぱー兄さんのCMやポスター、ホントおもしろいんです。「どうなる許諾?!」とかギリギリを攻めるものもあって楽しませてくれていますが、それを考えているのが京阪グループなのかどうかわかりませんけど、契約継続ということになりそうでホッとしました。 まさか今回の騒動を攻めたCMやポスターは作らないとは思いますが、また楽しいものを見せてくれると期待したいところです。
2023年10月02日
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NHK教育テレビ(現Eテレ)の教育番組「できるかな」の「ノッポさん」で知られた俳優で作家の高見のっぽ(たかみ・のっぽ、本名高見嘉明〈たかみ・よしあき〉)さんが、昨年9月10日、心不全のため死去した。88歳だった。葬儀は近親者で営んだ。高見さんは亡くなった事実を半年以上ふせるよう望んでいたといい、誕生日である今年5月10日に合わせ、所属事務所が公表した。 京都市生まれ。東京都立立川高校卒業後、役者生活などを経て、32歳の時、ノッポさん役に起用された。181センチの長身にチューリップハットがトレードマーク。「できるかな」の前身番組「なにしてあそぼう」も含めて23年間、一言もしゃべらずに身ぶり手ぶりを交えながら、楽しそうに工作する姿を披露。相棒の「ゴン太くん」とのコンビで、子どもから大人まで幅広く親しまれた。「できるかな」最終回では、初めて声を出し話題になった。【朝日新聞デジタルから引用】 「できるかな」はNHK教育テレビ(現・Eテレ)における人気番組の一つで、私も小さいころに見ていました。チューリップハットをかぶった長身のおじさんがにこにこしながら起用に工作をしていく、しかも一言もしゃべらずに顔の表情と体を使ってリアクションするだけでそれがとても面白かったのを覚えています。子どもって耳から入ってくる「しゃべりによる笑い」だけでなく、動きや表情だけでも十分笑えるものなんだなぁって今になって改めてそう思いました。のっぽさんはまさしくそんな人でしたね。のっぽさんって、181cmの長身だったこともあって動きも大きかったことも印象に残っているのかもしれません。あと、「できるかな」に欠かせないキャラクター、「ゴン太くん」との掛け合いもおもしろかったなぁ。 ちなみに、のっぽさんは1966年から1990年に降板されるまでの24年間の長きにわたり活躍されていたんですね。 それにしても、子どものころに見ていたなじみの方が亡くなるのはさみしいものです。 のっぽさん、お疲れさまでした・・・。
2023年05月10日
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毎年この時期に上映されている劇場版名探偵コナン。去年はタイミングが悪くて見に行くことはできなかったのですが、今年は前評判の高さもあって、また先日妻と娘が身に行っていたので、一日も早く見に行きたいということで、先日仕事終わりに見に行ってきました。 仕事終わりなのでこんな時間でした・・・。いわゆるレイトショーですね。でも、私はこの時間の方が好きです。意外と空いているし・・・。 さて、話の内容はネタバレになるので詳しくは書きませんが、今回はコナンのキャラクターの中ではクールでミステリアスで屈指の人気を誇る灰原哀が絡む内容になっていました。名探偵コナンのキャラクターの中では個人的に好きなキャラクターなんです。その声を当てている林原めぐみさんもそれに輪をかけてキャラを立たせているのもいいなぁってね。 ところで、こんな遅い時間なのでかなり空いているかと思いきや、満席ではないものの半分くらいは座席の埋まっていました。私は端の方の席だったのでその周辺は空きが多かったのですが、逆に前の方にだれもいないからゆったり見ることができました。また、今回見たのは橿原市のイオンモールに入っているTOHOシネマで、TOHOシネマは座席が大ぶりでゆったり座れるのでお気に入りだったりします。 娘の話では、「もう一回見に行ってもいいかな」って言っていましたけど、確かにもう一回見に行ってもいいなぁって思うような内容でした。
2023年04月22日
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落語家の笑福亭笑瓶(しょうふくてい・しょうへい、本名・渡士洋=とし・ひろし)さんが2月22日午前、急性大動脈解離のため死去した。66歳という早すぎる逝去に、列島は悲しみに包まれた。 黄色いメガネがトレードマークで、『魔法使いサリー』のよしこちゃんのモノマネや『噂の!東京マガジン』(BS-TBS)、風邪薬「コンタック」のCMなどで知られた笑瓶さん。笑福亭鶴瓶の弟子で、明石家さんまとも親しく、故・志村けんさん、ダウンタウン・浜田雅功らと数多く共演するなど“お笑い界の名バイプレイヤー”として、数々の笑いを届けた。【FLASHから引用】 先日の松本零士先生の訃報も突然でしたが、今日の昼休みにネットニュースを見たときにびっくりしたのが、このニュースでした。 笑瓶さんといえば、年下の芸人さんにいいように遊ばれているにもかかわらず、嫌な顔をせずにいつもニコニコしているのが印象的でした。特にダウンタウンの二人にはいいようにおちょくられていて、浜ちゃんには「だまれ! メガネッ!!」とか辛らつな言葉を浴びせられながらも苦笑いしながらやりすごすというような光景は何度も見たような・・・。 CMでも風邪薬の「コンタック」では「ミスターコンタック」の声を演じておられましたね。「笑瓶さんは浜田雅功さんと『HAMASHO』(日本テレビ系)で長らく共演し、『風俗刑事』や『コスプレゴルフ』などの企画も人気でした。 同番組のDVD発売に際しての、2014年のORICON NEWSの取材で、笑瓶さんは『当時は、浜ちゃんがダウンタウン以外のタレントとレギュラー組むのは、初だった。あのコンビ(ダウンタウン)が完成していたから、俺自身は不安あった』と、重圧があったことを語っています。 番組では、笑瓶さんが先輩なのに毎回、どつかれたりイジられたりしましたが『浜ちゃんなら受け入れてしまう、何かがあんねん』と笑顔。 その話に、浜田さんは『“HAMASHO”は兄やん(笑瓶さん)がおったから成立したのは間違いない。自由にさせてくれたのが、番組として成り立ったいちばんの理由』と感謝していました」【FLASHから引用】 深夜の番組で放送されていた「HAMASHO」で浜ちゃんと共演していたのが一番印象に残っています。本文にあったように「コスプレゴルフ」とか「風俗刑事」といった深夜番組ならではのコーナーがあったのですが、私は「HAMASHOクイズ」や「バカ観光 HAMASHOツアー」が好きでした。前者は笑瓶さんと浜ちゃんがクイズで対決するものでまぁまぁちゃんとしたクイズなのですが、答えられなかったりお手つきしたりすると、頭からローションや粉、泥などが上から降ってくるというもの。後者は笑瓶さんと浜ちゃんがゲストとともに車で移動するのだが、その目的地というのが赤の他人が乗っているタクシーの目的地というもの。赤の他人だからどこにいくのかわからないし、必ずしも観光地や繁華街とは限らない。しかも、その目的地で観光するという無茶苦茶なものでした。そんなばかばかしいものだったのですが、深夜にもかかわらず大笑いし、私の子どもたちはそれをビデオに撮ったものをみて大笑いしていました。 さて、今回笑瓶さんが亡くなったのは急性大動脈解離というものですが、なんでも「金属バットでフルスイングで殴られたような感じ」とのことが書いてありました。フルスイングで殴られたことはないのですが、とんでもなく痛いのは想像できます。でも、なぜそのようなことになるんでしょうね。高血圧とか喫煙、ストレスが原因とされ、突然死のリスクが高いと言われていますけど、防ぎようってあるのかな。なんだかちょっと怖いですね・・・。 それにしても、浜ちゃんに「メガネ兄やん」といいようにいじられる笑瓶さんが見たかったなあ・・・。 笑瓶さん、お疲れさまでした・・・
2023年02月22日
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「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」などの大ヒット作を生んだ漫画家の松本零士さんが13日に急性心不全のため亡くなったことが20日、分かった。85歳だった。葬儀は近親者のみで執り行った。 松本さんは1938年福岡県久留米市出身。6歳から絵を書き始め、手塚治虫氏の漫画と出会い、漫画家を志す。15歳で「漫画少年」に「蜜蜂の冒険」が受賞掲載され、これが商業誌デビューとなる。実質的なデビューは57年の「黒い花びら」。しばらくは少女漫画誌での執筆が続いた。 68年に青年漫画誌が誕生し、次第にそちらへの執筆が増え「宇宙戦艦ヤマト」「クイーンエメラルダス」「宇宙海賊キャプテンハーロック」「銀河鉄道999」など大ヒット作を次々と生み出した。【デイリースポーツネット版から引用】 今日の昼に見たネットニュースでこれを見たとき、驚きました。子どものころは本文にあった「宇宙戦艦ヤマト」「キャプテンハーロック」「銀河鉄道999」などはど真ん中の世代でしたからね・・・。松本零士先生の描く男性は男らしくて格好良くてね、憧れましたね。それから女性はその容姿はほぼ同じなのですが、それがまたいいんですよ。「999」のメーテルに憧れたっていう人も多いようです。 さて、本文にありましたが、少女漫画誌での執筆を最初にされていた、ということは知りませんでしたが、その描かれる女性は奥様の若いころをモデルにしたとか言われていますが、本当かどうかはわかりません。でも、それが本当なら奥様はとても魅力的な方なんですね。 それにしても、子どものころに夢中になった作品の作家の方が亡くなるのはつらいものですね・・・。でも、今ではネットで見ることができるのがありがたいです。久しぶりにみてみようかな・・・。 最後に松本零士先生、長い間お疲れ様でした・・・。
2023年02月20日
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「スラムダンク」(スラダン)といえば、バスケアニメの代表格だと個人的には思っていまして、バスケ部でなかった私がテレビアニメの方でハマったものです。テレビでリアルタイムで見ていなかった娘や息子はCSで放映していたものをDVDで取ったものを何度も見てハマり、原作本の方でもよく見ていました。 そんなスラダンは、テレビアニメの方はインターハイ予選へ出発するところで終わっていましたが、その続きは原作の方では描かれているものの、私は実はどうなるのか知らないのです。 さて、そんな人気絶頂のままテレビアニメの方は終了しているので、その続きの映像化されるという噂は語られるものの夢物語だと思っていましたが、今年ついに実現しました。12月3日から封切となり、多くのスラダンファンが楽しんでいるのではないかと思います。残念ながら声優はテレビアニメ版とは一新されてしまい、映像もかなりきれいになったとの事前情報は聞いていましたので、そのあたりがちょっと心配していました。 そして今日、大和郡山市のイオンモール大和郡山内にある「シネマサンシャイン」へ妻と娘とともに見に行ってきました。まだご覧になっていない方のためにストーリーは書きません(もうすでにどのような流れかはいろんなところで紹介されているかと思いますが・・・)。でも、私が懸念していた「声優さんの変更」は、ほとんど気になりませんでした。それと映像がきれいになっていたのも、あまり気になりませんでした。原作の画に近いのかもしれません。 さて、妻や娘の反応はというと、「原作と比べると触れていないところがあるのが惜しい」とのことでしたが、それでも楽しめたようです。娘に至っては、家に戻ると原作本を引っ張り出してきて再び見ていました(笑)。
2022年12月24日
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ザ・ドリフターズのメンバーでタレントの仲本工事(なかもと・こうじ、本名・興喜=こうき)さんが19日、急性硬膜下血腫で死去した。81歳だった。18日に横浜市内で交通事故に遭い、頭部に重傷を負って病院に運ばれていた。14日に群馬県高崎市の百貨店で始まった「志村けんの大爆笑展」を訪れ、ドリフメンバーの高木ブーさん(89)とともに、2020年に亡くなった志村けんさんの思い出話に花を咲かせたばかりだった。 東京出身。学習院大時代からライブ活動を続ける中で高木さんと知り合い、1960年代半ばにドリフに加入。69年に始まったTBS系「8時だョ!全員集合」では、コントで他のメンバーを引き立てる役回りのほか、自身も得意の体操を生かした「体操コーナー」などで人気を集めた。フジテレビ系「ドリフ大爆笑」では、「雷様」「ばか兄弟」などのコントでも活躍。俳優として、テレビ朝日系「遠山の金さん2」などにも出演した。【読売新聞オンラインから引用】 先日のニュースで交通事故に遭ったという仲本工事さんがお亡くなりになったとのこと。回復の兆しのようなニュースもあったように思うのですが、帰らぬ人になってしまいました・・・。どうやら、横断禁止のところを渡っていてはねられたとか・・・。何がそうさせたのかわかりませんが、渡ってはいけないところはわたってはダメですよね。そんな終わり方は悲しすぎます。 仲本工事さんといえば、ザ・ドリフターズの中ではちょっとキザで加藤茶さんや志村けんさんにはない味がありました。ドリフの中で高木ブーさんと並んで引き立て役というのかな、そういう役回りだったように思います。 でも、学生時代に体操選手として活躍した経験を生かして、全員集合の大層コーナーなどではバック転などを軽々ときめていましたね。それをみて体操が好きになった人もいるとか。その体操は大学でも続けていたらひょっとしたら1964年の東京五輪にも出られていたかもしれないけど、進学した大学には体操部はなかったそうで・・・。ただ、その進学した大学というのが学習院大学! 高校も都立青山高校だったということで、どんだけ秀才なんだよって思いました。 そんな秀才な仲本工事さんがバンド活動をして、最終的にはドリフにたどり着いているんですからね、すごい運命だと思います。その運命は、ザ・ビートルズの日本公演の前座としてボーカルを担当するって、それもすごいことだと思いました。 その後のドリフでの活躍はもうご存じのとおり。youtubeで先ほど見ましたが、今見ても面白いなぁって思いました。ドリフも加藤茶さんと高木ブーさんの二人になってしまったんですね・・・。 仲本工事さん、お疲れさまでした・・・。
2022年10月20日
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日本テレビ系「笑点」メンバーとしても知られる落語家三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく)さん(本名会泰通=あい・やすみち)が30日、肺がんのため亡くなった。72歳。【日刊スポーツネット版から引用】 「笑点」で名回答(迷回答も)で楽しませてくれていた円楽師匠がお亡くなりになったとのこと。私にとっては円楽襲名前の「楽太郎」の方が今でもしっくりくるんですけどね・・・。いつだったかテレビで見たときは、かなり痩せているなぁって思っていたのですが、がんだったんですね。 円楽師匠と言えば、2018年にお亡くなりになっている歌丸師匠との掛け合いが特に面白かったです。 円楽さんは「3人の親」への感謝を忘れなかった。1人は父親。2人目は落語家として育ててくれた5代目圓楽さん。3人目は18年7月に亡くなった桂歌丸さんだ。 歌丸さんは円楽さんを「楽さん」と呼び、常に見守ってきた。落語会での共演や、「笑点」での息の合った掛け合いは、信頼関係のたまものだった。 歌丸さんが亡くなった時のショックは大きく「思い出が多すぎて、心の中にしまい込みます。頼る人がいなくなりました」と話したほどだった。 肺がんの手術後、天を見上げて「ジジイ、まだ呼ぶんじゃねーぞ!」と、歌丸さんに呼び掛けおどけていた円楽さんだが、大好きな3人の親の元に旅立ってしまった。【日刊スポーツネット版から引用】 大先輩の歌丸師匠を「じじぃ」呼ばりし、「禿げネタ」「死亡ネタ」「骸骨ネタ」などいいようにいじりまくって、「山田く~ん、楽さんの全部持って行きなさい!」と言われて座布団をすべて没収というのがお決まりでした。でも、政治や世相を鋭く斬りこむ回答もあって、歌丸師匠も「うむ、全くその通りだ!」と唸るようなものもありました。 そんな歌丸師匠が亡くなった時に「最後に一言、言わせてください。じじい!早すぎるんだよー!」と絶叫したシーンは、さすがに見ていてこちらもつらかったです。 円楽師匠、お疲れさまでした・・・
2022年09月30日
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今日は、仕事が終わってから職場から徒歩圏内の大阪城ホールへ行きました。 今年3月だったか仕事で行ったのですが、今日は仕事ではありません。今日と明日の二日間、この大阪城ホールでは・・・ Perfumeの三姫のコンサートがあるんです。 「Perfume 9th Tour 2022 PLASMA]です。 これを見るために行ってきました。Perfumeのライブに行くのは、昨年12月の神戸以来。神戸の時はいろいろ制約がある中でのライブでしたが、今回はそれよりも少し規模を大きくしての開催でした。 これはホール内の短辺にあたるところから撮影したもの。アリーナにも椅子席が設置されています。 これは私が座った席の様子です。ホールの真ん中に舞台があって360度どの位置からでもPerfumeの三姫を見ることができるのです。ただ、そうはいってもメインとバックができるわけで、私の席は残念ながらバックの席でした・・・。それでも、ちゃんと曲の途中でちゃんとこっちも向いてくれるし、スクリーン越しにも見ることができるのでそれは問題なかったです。 なお、席は一番後ろの席でした。これは私が希望したわけではなく、自動的に割り振られていたようです。席は一番後ろでしたが、全然問題なかったですね。むしろ、舞台全体が俯瞰できるので中途半端な席よりはこっちの方が好きですね。 それから、今日来場していたファン層は幅広い年齢でした。若い人はもちろん、私のようなおじさんや私以上の年齢と思われる女性もおられたし、神戸の時もそうでしたが女性が多かったですね。実際、私の席の前と横は女性の二人組でした。Perfumeの幅広い人気がうかがえます。 さて、ライブの内容は当たり前ですけど書けません。でも、ライブはいいですね。三姫のトークはおもしろいし、曲に合わせて体を動かすことができるし、曲もライブで必ず盛り上がるでものをチョイスしてくれていたし、とても楽しめました。 それにしても、普段周りにはPerfumeファンがいないのですが、ライブの時にはこんなにたくさんいるんだよね、っていうくらい集まるので知り合いは皆無だけどなんだかうれしかったですね。
2022年09月06日
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「ルパン三世」の次元大介役などで知られる声優の小林清志(こばやし・きよし)さんが7月30日、肺炎のため死去した。89歳だった。今月8日、所属する俳協が公式サイトで発表した。俳協によると葬儀は故人の意向により、近親者のみで営まれた。【日刊スポーツネット版から引用】 ルパン三世の次元大介といえば、ルパンのよき相棒でしたが、その声を担当していたのが小林清志さんでしたね。その渋い声は次元大介の声以外でもナレーターで聴くことができました。昨年交代したそうですけど、85歳を超えても担当されていたんですね。晩年の声を聞くと、ちょっと苦しそうに感じていましたが・・・。 ルパン三世は長らくシリーズが続いていますが、個人的には78~79年頃の第二シリーズ当たりが好きでした。オープニング曲もかっこよかったし、ルパンは山田康夫さん、五ヱ門は井上真樹夫さんで、次元は小林さんと一番しっくり来ていました。いずれの方も故人になってしまいましたね・・・。 小林清志さん、お疲れさまでした・・・。
2022年08月08日
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昭和の昔から名作揃いの鉄道会社のキャンペーン・CMに、旅情を掻き立てられてきた方は多いのではないでしょうか。そこで欠かせないのは、旅立つ心を一気に盛り上げる名曲たちです。聴けば心を鉄道の旅に連れて行ってくれる名曲の数々について、1980~1990年代のエンタメ事情に詳しいライターの田中稲さんが綴ります。文中に散りばめられた楽曲にまつわるフレーズ、あなたはいくつ見つけられますか?【8760bypostsevenから引用】 「聴けば心を鉄道の旅に連れて行ってくれる名曲」・・・いろいろありそうですけど、私ならこの曲ということで以下の曲かな・・・。〔ホームタウン急行 サーカス〕 1979年発売の「アメリカン・フィーリング」のカップリング曲だったこの曲。石立鉄男さん主演のドラマ「鉄道公安官」のエンディングの曲(当初はオープニングにも使用)でした。鉄道を舞台にしたドラマだったので余計にそう思うのかもしれませんが、上記のテーマに合う曲として真っ先に思い出しました。〔AMBITIOUS JAPAN! 〕 個人的にはジャニタレは好きではないのですが、TOKIOは好きなんです。その中でもこの曲は好きですね。東海道新幹線の車内で聴くことができます。この曲を聴くと、東京へ行く・東京から帰るのを思い出しますね〔シンデレラエクスプレス 山下達郎〕 クリスマス時期にはド定番の曲、これも新幹線つながりで思い出しました。CMではシャープなデザインの100系と牧瀬里穂さんの飛び切りの笑顔、クリスマス時期限定ですがその時期に東京へ行く・東京から帰るときには聴いてみたい曲です。〔Serendipity 倉木麻衣〕 これも新幹線つながりなのですが、JR西日本の山陽新幹線全通40周年記念の曲なんです。このブログをご覧の方はご存じかと思いますが、私はPerfumeのファンですけど、倉木麻衣さんも好きなんです。この曲はyoutubeで聴くことができますが、なかなかいいですよ。〔津軽海峡冬景色 石川さゆり〕 ちょっと時代をさかのぼりますけど、これも印象に残っています。 『上野発の夜行列車・・・』から始まるこの曲、今ではそんな夜行列車はありませんけど、この曲がヒットした1977年当時、上野発の夜行列車で青森へ向かう列車といえば、東北本線回りの特急「はくつる」、常磐線周りの特急「ゆうづる」がありました。また、急行だったら東北本線回りの急行「八甲田」、東北本線・奥羽本線回りの急行「津軽」がありました。そのどれに乗って青森へたどり着いたんだろうか、なんて思ったものです。〔あずさ2号 狩人〕 これも同じような時代になりますが、これも名曲だと思っています。 実際の「あずさ2号」は、この曲が発売されてしばらく経ってから、ダイヤ改正で新宿発8時ちょうどではなくなり、上りの列車の新宿行きに変更されてしまったのですけどね・・・。 カラオケで歌う曲の一つだったりします(爆)。なかなか最近は行ってないけどね。〔いい日旅立ち 山口百恵〕 やはりこれが一番かと思います。 この曲は国鉄の「いい日旅立ち」のキャンペーンにあわせて1978年に発売されたものです。この曲は国鉄のCMにも使われて、これもyoutubeで見ることができました。サビの部分がとてもよくて、この曲を聴くとローカル列車に乗ってあてもなく遠くへ行きたいと思えるようなものでした。 鉄道に関する曲は別にして、個人的には日本のヒット曲の中でも最上位にいてほしい曲だと思っています。 こういう曲を一つのCDなどにまとめて売ってないかなぁ・・・。 それを聴きながらのんびりと移動したいなぁってね。最近のJRは減便したりして乗り継ぎが難しいかもしれないけど、そういう旅をしたいなぁって思いました。 みなさんはどんな曲をイメージされるでしょうか・・・。
2022年05月19日
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人気お笑いトリオ「ダチョウ俱楽部」のメンバーの上島竜兵(うえしま・りゅうへい)さん(61)が死去したことが11日分かった。警視庁中野署によると、現場の状況から自殺とみられる。 同署によると上島さんは同日未明、東京都中野区の自宅から救急搬送されたが、午前1時ごろに搬送先の病院で死亡が確認されたという。所属事務所によると、同日未明に自宅で家族が異常に気づいた。 上島さんは兵庫県出身。肥後克広さん、寺門ジモンさんと「ダチョウ俱楽部」を結成し、バラエティー番組を中心に活躍。「聞いてないよォ~」などのギャグでお茶の間を沸かせた。【産経新聞ネット版から引用】 今朝の出勤時にネットニュースを見てびっくりしたのがこれでした。 ダチョウ俱楽部の上島さんって、先輩芸能人だけでなく後輩芸能人にもいいようにいじられてその様子がとても面白かったのですが、内面はかなり繊細だったのでしょうか。 「自殺とみられる」とのことですけど、昨今はコロナの関係で今までだったら当たり前にできていたことができなくなったり、舞台で演じてもマスクで口元が覆われているからお客さんの反応がよくわからないとか、いろいろと思うことがあったのかもしれませんね・・・。 それにしても、志村けんさんが亡くなった時もそうでしたが、テレビで楽しませてくれた芸人さんが亡くなるのはかなりさみしいですね・・・。
2022年05月11日
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「この紋所が目に入らぬか!」の決め台詞でおなじみの時代劇といえば、TBS系のドラマ枠・ナショナル劇場(後のパナソニック ドラマシアター)でかつて放送されていた「水戸黄門」。越後のちりめん問屋を名乗る水戸光圀が、家臣の助さん・格さんたちと諸国を旅しながら、行く先々で悪人たちをこらしめ世直ししていく姿は、長年にわたってお茶の間で親しまれていましたよね。 そこでねとらぼ調査隊では2022年2月3日から2月9日まで「TBSナショナル劇場『水戸黄門』で、一番好きな水戸黄門役は?」というアンケートを実施しました。【根とラボから引用】 地上波で時代劇があまり放送されなくなって久しいのですが、私が子どものころは「水戸黄門」だけでなく、「遠山の金さん」「暴れん坊将軍」「大岡越前」「桃太郎侍」「必殺仕事人」など数々の時代劇がありましたね。今では、CSなどで昔の時代劇を見るしかないのですが、それはそれで面白かったりします。 さて、その時代劇の中で「水戸黄門」の水戸光圀役といえばだれが印象深いか、とのことですけど、これはもう第一位は「東野英治郎さん」、第二位は「西村晃さん」のワンツーしかないでしょう。 東野英治郎さんは、よく悪役が言っていた「田舎じじぃ!」がぴったりと当てはまるような風貌で、ただ悪役を懲らしめるときの表情はそれ以上の悪役風情でした。また、西村晃さんは東野英治郎さんと比べると少し表情が穏やかなのですが、どことなく怪しさも漂う感じがしました。 これは、お二人とも若かりし頃、映画などで悪役を演じていたことによるものかもしれないなぁってね。特に、西村晃さんは謎の東洋人といったなぜか日本人でない役を演じていることがあって、それが妙にさまになるくらいの怪しさだったんですよ。 CSでは昔の「水戸黄門」も放映されているようなので、また機会があったらみてみたいです。
2022年02月14日
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今日は、夕方に休みをもらって神戸三宮へ。12月7、9、10日に神戸国際会館こくさいホールで行われているPerfumeのコンサート、「Reframe Tour2021」に行ってきました。このようなコンサートに行くのは初めて、いつもならもっと大きなホールでするんでしょうけど、新型コロナウイルスの感染拡大がやや収まったとはいえ、新たな感染も見つかるなどしていることもあって、今回は完全着席性となっておりました。 ちなみに、私はこんな歳ですが、Perfumeファンなんですよ・・・。 今回のチケットはこのようにスマホからアクセスしてスマホに表示させるものとなっておりました。これならスマホの電源が落ちない限り、チケットを表示することができますね。昔のような紙のチケットではないし、これなら非接触だから今の時期にはいいのでしょうね。(写真のチケットは、あえて座席番号を消しています) また、座席はチケットをゲットした時点ではどこになっているのか全然わからず、これも当日表示されたQRコードをかざして入場してから表示されるものでした。 その表示されたところに行ってみると、こんな感じのところ。「ゴンドラ席」とでもいうようなちょっと特別な席みたいでした。 例えば一階席や二階席のように正面から見えるかもしれないけど距離は遠い。でもここなら正面からは見られないけど距離は近い。私にとっては、今回の席がよかったなぁって思いました。 さて、観戦は私一人で行きましたので連れはいません(苦笑)。でも、他の人の状況を見ていると、意外とひとりで来ている人も多く、私のようなおじさんファンの人もちらほらとおられました。また、Perfumeファンっていわゆるオタファンは少ないようで、意外と女性ファンが多いのが特徴のようです。 今回座った私の席の横は、姫路から来たという高校生の女性でした。なんでもお父さんもPerfumeのファンだとか・・・。でも、チケットは取れなかったので今日は外で待っているとのことでした。チケットを予約するタイミングが悪くて取れなかったとか・・・。私も仕事の関係で散々迷いながらギリギリチケットをゲットしましたからね。 開演までの間は、その女性とPerfumeの話をして待っていました。その女性も一人なので横にどんな人が来るのか不安だったそうですけど、私のようなおじさんはセーフだったようで(爆)。 1830に開演、前出のとおり声援を送ったり立って応援するなんていうことは一切できないという約束事がありましたので、座席に座ったままPerfumeのパフォーマンスをみていました。ネタバレになるので一切内容は書きませんが、いつものコンサートと比べて短い時間だったそうです。それでも、私にとっては十分楽しめました。最後にPerfumeの三人があいさつでお話ししてくれましたが、普段のコンサートと違って声援は出せないのは仕方ないとしても、手拍子がないから「ん?」ってなったとか。もちろん、最後の曲ではみんな手拍子しましたし、あいさつの時も拍手が鳴りやまないくらいでした。 さて、私にとって初めてのPerfumeのコンサート、これまでのコンサートはが行きたくてもチケットが取れなかったからいけなかっただけでなく、そんな歳になってPerfumeのコンサートって、と思われるのもなあっということで行くことができていませんでした。ただ、今回は普段のコンサートと比べると制約はかなりあるものの、その制約のあるコンサートならわたしのようなおじさんでも見られるかなっていうことで行ってみました。 行ってみてわかったのは、先にも書きましたが意外とおじさんがおられたし、一人で来ている人もいたし、オタはいないし、これなら十分楽しめるなぁって思いました。 まぁこのような制約の多いステージではなく、演者と一体になれるのがコンサートだと思うのですが、今の時点ではこの辺がギリギリなのかもしれませんね・・・。 いろいろ書きましたが、私は楽しめたのでよかったと思っていますよ。
2021年12月09日
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1966年(昭41)にTBS系で放送された、人気特撮ドラマ「ウルトラマン」のイデ隊員で知られる、俳優の二瓶正也(にへい・まさなり)さん(本名二瓶正典=にへい・まさのり)が21日午前0時に誤嚥(ごえん)性肺炎で亡くなっていたことが24日、分かった。80歳だった。関係者によると、既に家族葬を執り行ったという。 二瓶さんは、専大附属高から東宝芸能学校に進み、1960年(昭35)に第15期東宝ニューフェイスとして入社。61年の映画「暗黒街の弾痕」など、岡本喜八監督作品の常連となった。63年には、加山雄三主演の若大将シリーズの「ハワイの若大将」で、運動部のマネジャー江口役を演じた。また加山ら6人で62年に組んだグループサウンズのバンド「ザ・ランチャーズ」の第1期メンバーでもあった。 同年の「妖星ゴラス」で特撮映画に初出演し、66年にTBS系特撮ドラマ「ウルトラQ」に出演したのを足掛かりに、同年の「ウルトラマン」で、科学特捜隊の開発担当として、武器や装備を開発した発明マニアのイデ・ミツヒロ隊員役でレギュラー出演を果たした。 近年も、96年の映画「ウルトラマンゼアス」など、円谷プロダクション作品に出演し、イベントなどにも登壇していた。【日刊スポーツから引用】 初代のウルトラマンの科学特捜隊(科特隊)で、ひょうきんながらも兵器開発も手掛けるという役だったイデ隊員を演じていた二瓶正也さんがお亡くなりになったとのこと。初代ウルトラマンは、私は再放送で見ているのですけど、ウルトラマンが怪獣をやっつけるだけの話ではなく、時折考えさせられる話がありました。例えば、「ウルトラマンがいたら科特隊は不要なのでは」といったものは、後で気が付きましたけど「それは・・・う~ん・・・」というようなものでした。あと、ジャミラの回もそうだったかな。 そういえば、初代ウルトラマンはムラマツキャップを演じていた小林昭二さん(故人)が「ジャリ番といえどもしっかり演技をする」という方針の下で、今とは比べ物にならない特撮技術の中で作られたものなので、演者の人間臭さとか当時のせいいっぱいの特撮技術は今見てもよくできたものだと思っています。そんな中でのイデ隊員の明るいキャラクターは一服の清涼剤のようだし、共演していたアラシ隊員(毒蝮三太夫さん、当時は石井伊吉さん)との掛け合いも面白かったです。 晩年は、ビルのオーナーをされていたということで、テレビでお見掛けすることはほとんどなかったのですが、ウルトラマン当時のスマートな体形からかなり恰幅がよくなっていました。 最後に、二瓶正也さん、お疲れさまでした。
2021年08月24日
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上方落語界の重鎮で、ラジオの深夜放送やテレビのバラエティー番組などで全国区の人気を誇った笑福亭仁鶴さんが17日、骨髄異形成症候群のため、大阪府内の自宅で死去した。84歳。大阪市出身。「どんなんかな~」などのギャグも多く残し、全盛期には「視聴率を5%上げる男」と称された。吉本興業特別顧問で、「吉本中興の祖」と言われる。通夜・葬儀は近親者、関係者によって執り行われた。(中略) 60年代の落語ブームに乗って、月亭可朝や桂三枝(現・六代目桂文枝=77)とともに吉本の顔として花月劇場チェーンへの出演を重ねたほか、テレビ、ラジオ、映画と幅広く活躍。とりわけラジオ大阪「オーサカ・オールナイト 夜明けまでご一緒に!」や朝日放送ラジオ「ABCヤングリクエスト」内の「仁鶴・頭のマッサージ」などの深夜放送で若者層の絶大な支持を集めた。 その人気を全国区に押し上げたのは69年に始まった「ヤングおー!おー!」(毎日放送)だった。「視聴率を5%上げる男」と呼ばれたのはこの頃のことで、テレビ関係者は出演してもらうために奔走した。72年にはNHK「紅白歌合戦」に応援ゲストとして出演。72年からオンエアされた「ボンカレー」(大塚食品)のCMで「子連れ狼」の拝一刀に扮し、「3分間待つのだぞ」のフレーズも受けに受けた。【スポニチアネックスから引用】 関西にお住まいの方ならおなじみの方ですよね、落語からバラエティまでこなして、キャッチフレーズやギャクもおもしろかった笑福亭仁鶴さんがお亡くなりになったとのこと。ここ最近は、めっきりテレビなどでの出演が減っていて体調が悪いのかと気にしていたんですけどね・・・。 さて、仁鶴師匠は本文にもあったように、落語家でありながら落語だけにこだわることなく、テレビのバラエティやラジオでも大活躍、私も子どものころからそれをよく見ていました。ボンカレーのCMもよく覚えています。 でも、落語家ですからその落語の話も面白くて、テレビのバラエティーで出演されているときとはまた違った表情が見られたものです。 そういえば、私が子どものころに仁鶴師匠の表情がウルトラマンの怪獣、レッドキングに似ているって思っていました。四角い顔(真四角じゃないけど)とレッドキングの顔かたちがなぜか似ていると思っていたんですよね・・・。 私が子どものころに活躍していた方がだんだんなくなっていくのはさみしいものですね。私も先日54歳になったところで、私自身も年取ってきているんだもんなぁ、そりゃそうか。 最後に、仁鶴師匠お疲れさまでした。
2021年08月20日
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大村崑さんといえば、オロナミンCのホーロー看板で有名で、またその前だったらダイハツミゼットのCMでも有名、テレビ黎明期からのタレントですよね。このブログでも紹介したことがあるのですが、今回再び新聞に載っていましたので紹介します。今年90歳を迎える現役喜劇俳優の大村崑が10日、都内で行われた映画『ロボット修理人のAi(愛)』初日舞台あいさつに登壇。27年ぶりの映画出演となった本作を軽快なトークでしっかりPRした。(中略) 映画出演は実に27年ぶりとなる大村は「まだ生きております大村崑です。ワクチンの注射は2回ちゃんと打ってきました」と冗談を交え軽快にトーク。「新幹線乗ったのは1年ぶり。『東京』ってアナウンスが流れた時に涙が出ました」としみじみ語った。(中略) 「この映画を見てスカッとするでしょ? 元気ハツラツ、オロナミンCみたいになるでしょ?」と、かつて出演していたCMになぞらえて作品をアピール。「おかげさまで90歳になりました。現役です。喜劇人は300人くらいいましたが、ほとんどいなくなりました。残ってるのは伊東四朗と私だけです。どうぞみなさん喜劇役者を大事にしてやってください」と笑顔で呼び掛けた。【オリコンニュースから引用】 前回紹介したのが2015年、あれから6年が経過して大村崑さん、まだまだお元気しておられるとのこと。御年90歳になるそうで、今回は27年ぶりに映画にご出演だそうで。いつもなら「赤い霊柩車シリーズ」で秋山さん役でせわしく動き回っている役がはまり役なのですけどね。 それにしても今年90歳ということは、1931年(昭和6年)生まれということか。今回のように映画に出られたり、前出のようにドラマにも数多く出演されているのに、ご本人のコメントにもあったように俳優ではなく「喜劇人」と称しているんですね。これは本文にもあった伊東四朗さんが「元々はお笑いの人ですから」とコメントされているのに共通していますね。そんな伊東四朗さんも1934年(昭和9年)生まれ、私が子どものころから普通にテレビで活躍されていた人もそんな年齢になっていたんですね。私自身も来月は54歳になるんだもんな、時代って早く流れているんだって思いました。 話を戻して、いつまでもお元気で活躍してほしいですね。
2021年07月11日
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ザ・ドリフターズの高木ブー(88)が4日、都内でメンバーを描いた画集「高木ブー画集 ドリフターズとともに」(ワニ・プラス刊)の発売記念イベントを行い、サイン本お渡し会中に居眠りしてしまうハプニングが発生した。トークショーでは昨春に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった志村けんさんとの思い出話などに花を咲かせ、ミニライブも開催。ファンとの久しぶりの交流を楽しんだが、イベント終盤に体力の限界を迎え、レジェンドの愛らしい姿に会場は大笑いだった。 高木ブーの画集には、ドリフのメンバー6人だけが登場する。空想のコントなどがイラスト化されており「僕じゃなきゃ描けない絵だと思ってます。キャラクターの顔だもん」と、長い時間を共に過ごしてきたからこその味が魅力だ。題材のストックが多く残っているといい「続きを描いたらいいのかね?」と続編に触れると、会場は大拍手。客席にはリアル・ドリフ世代ではない20、30代のファンも多く「ドリフってものが残るようにと思ってます」と思いを明かした。【デイリースポーツから引用】 高木ブーさん、もう88歳だったんですね。私の子どものころはドリフのコントで育った世代ですけど、その中で高木ブーさんというとあまりコントに積極的に絡まないキャラだった(っていうか、周りのキャラがすごすぎ!)のですけど、やはりいないといけないキャラでしたよね。ドリフに入る前からいろんなバンドで活躍していたそうですけど、本来は東京ガスの内定が決まっていたのにそれを蹴ってまで音楽活動がしたかったとか・・・。ギターやウクレレはかなりの腕前というのは知っていましたが、本文にあったように絵心もあるようで。ニュースで紹介されていた作品の一部をみると、ドリフのメンバーの特徴をよくとらえたものになっていました。絵心があるって、うらやましいです。そう考えれば、高木ブーさんが長生きしているのも、いろんなことに興味を持っているから、それがいいんでしょうね。 ドリフのメンバーも高齢化して、なかなか番組で見ることはなくなってしまいましたが、いつまでも元気でいてほしいなぁって思いました。
2021年07月05日
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作曲家として都はるみ「北の宿から」や日立グループ「日立の樹」などの名曲を生み出し、俳優としてもTBS系ドラマ「寺内貫太郎一家」に主演するなどマルチに活躍した小林亜星(こばやし・あせい)さんが5月30日、心不全のため死去したことが14日、分かった。88歳だった。(中略) 61年にCMソングの処女作となるレナウンの「ワンサカ娘」が大ヒット。続けて同社の「イエイエ」も爆発的ヒットになり、CMソング作曲家の第一人者の地位を築く。その後もブリヂストン「どこまでも行こう」、トヨタ自動車「ちょっとうれしいカローラ」、ファミリーマート「あなたとコンビにファミリーマート」などを手掛けた。「ひみつのアッコちゃん」「魔法使いサリー」や「科学忍者隊ガッチャマン」「超電磁マシーン ボルテスV」「超電磁ロボ コン・バトラーV」などのアニメ主題歌の作品も数多い。 また76年の日本レコード大賞を受賞した「北の宿から」やフジテレビ系ドラマ「裸の大将放浪記」シリーズの主題歌として親しまれたダ・カーポの「野に咲く花のように」を作曲。フジテレビ系「ママとあそぼう!ピンポンパン」の「ピンポンパン体操」や西武の球団歌「地平を駆ける獅子を見た」も手掛けた。最盛期は1年に300曲を制作し、生涯で手掛けた作品は6000曲を超えた。 74年、役者デビュー作となった向田邦子さん脚本の「寺内貫太郎一家」ではいきなり主演を務めた。東京・谷中の石材店兼茶屋を営む寺内一家を舞台としたホームコメディー。久世光彦プロデューサーが「ドラマのアカがついていない方が、存在感が強烈に出る」と狙ったキャスティングが見事的中。小林さん演じる昭和の頑固オヤジがはまり役で、シリーズ化されるほど人気を集めた。【スポーツ報知から引用】 仕事の帰りにみたスマホでこのニュースを見てびっくりしました。小林亜星さんといえば、私にとっては上の本文にはなかったのですが、「クイズ ヒントでピント」で驚異的な正解率を誇る回答者のイメージですね。16分割のヒントが出る問題では、2つのヒントくらいで正解を答えることもあって、その博識におどろいたものです。 もちろん、本文にあった「寺内貫太郎一家」、当時のフィルムを見るとかなり強烈な個性で、「昭和の頑固おやじ」という感じが出ていてしっかりとした役作りをされていたんですね。 ただ、小林亜星さんは俳優ではなくて、れっきとした「作曲家」だったんですね。あまりそうは見えなかったので、私は作曲家と聞いても「ホント?」って思っていました。そんな時に都はるみさんが「北の宿から」で賞を取った時に、その曲の作曲は小林亜星さんだったとわかり、びっくりしたのを覚えています。 作曲家としての小林亜星さん、本文にもいくつか紹介されていますが、日刊スポーツに手掛けた曲の一部が紹介されていました。〔CM曲(カッコ内は企業名)〕 64年 ワンサカ娘'64★(レナウン)弘田三枝子 66年 どこまでも行こう★(ブリヂストン)山崎唯 67年 イエ・イエ★(レナウン)朱里エイコ 68年 人間みな兄弟★(サントリー)サイラス・モズレー 69年 ブルー・ダイヤ★(ライオン)シンガーズ・スリー 69年 モクセイの花(日本生命)デューク・エイセス 70年 積水ハウスの歌(積水ハウス)スリー・グレイセス 70年 酒は大関こころいき★(大関酒造)加藤登紀子 71年 チェルシーの唄(明治製菓)シモンズ 72年 紀文のはんぺん(紀文)シンガーズ・スリー 72年 ふりむかないで(ライオン)ハニー・ナイツ 73年 アクロン★(ライオン)深町純 73年 日立の樹(日立製作所)ヒデ夕木 78年 カメラのさくらや(さくらや)山川ユキ 80年 仲よしソフト(雪印)トランザム 82年 新三共胃腸薬(三共)ダーク・ダックス 82年 マックロード(松下電器)富田伊知郎 84年 パッ!とさいでりあ(新興産業)富田伊知郎 95年 ファミリーマート(ファミリーマート)ジャッキー高橋 01年 クラシアン(クラシアン)森末慎二 まず、CMではレナウンの「ワンサカ娘」「イエ・イエ」は、後年まで使われていたように記憶していますし、「ブルー・ダイヤ」「アクロン」もそうでしたよね。ファミマは「あなたとコンビニ」なのかな? ここにないCMで印象に残っているのは「夜が来る」ですね。サントリーウィスキーの「オールド」(通称・ダルマ)で今でもyoutubeで見ることができますが、しんみりとしたいいCMです。リ・ヴァン・クリーフさんを起用したCMのバックでも流れていて、このCMもよく覚えています。〔アニメソング(カッコ内は作品名)〕 63年 狼少年ケンのテーマ(狼少年ケン)ビクター少年合唱団 66年 魔法使いサリーのうた(魔法使いサリー)スリー・グレイセス 69年 ひみつのアッコちゃん(ひみつのアッコちゃん)岡田恭子 69年 すきすきソング(ひみつのアッコちゃん)水森亜土 72年 ガッチャマンの歌(科学忍者隊ガッチャマン)子門真人 72年 風よ光よ(快傑ライオン丸)秀夕木 73年 ドロロンえん魔くん(ドロロンえん魔くん)中山千夏 80年 ユカイツーカイ怪物くん(怪物くん)野沢雅子 84年 にんげんっていいな(まんが日本昔ばなし)中島義実 アニソンもたくさん手掛けられているのですが、この中ではダントツに「ガッチャマン」でしょう。子門真人さんの独特の歌声もさることながら、1972年当時にこんなかっこいい主題歌って、なかなかないんじゃないでしょうか。これも今でもyoutubeで見られますが、今見てもかっこいいと思います。〔歌謡曲・その他〕 71年 あわてんぼうのサンタクロース 岡崎ひろみ 71年 ピンポンパン体操 杉並児童合唱団 75年 北の宿から 都はるみ 79年 地平を駈ける獅子を見た 松崎しげる 83年 野に咲く花のように ダ・カーポ 「あわてんぼうのサンタクロース」もそうだったんですね。私の子どもたちが保育所当時、クリスマス前にはこの曲を歌っていたのを覚えています。また、「ピンポンパン体操」もそうだったのか、いやはやすごすぎますね。 ちなみに、小林亜星さんが手がけたCM曲などをCDに集めたら、何枚組くらいになるんでしょうね。 このほかにも企業の社歌をつくったりもしていたとか。日立製作所の「この樹 なんの樹」もその一つかもしれませんね。 ところで、小林亜星さんといえば、寺内貫太郎のスタイルを思い出してもそうですけど、かなり恰幅のいい体形でしたよね。太っている人は短命なんて言われるけど、そうとは言い切れないような気がします。 それにしても、誰しもが知っているCMや主題歌を広く手がける作曲家は、もう二度と現れないかもしれませんね・・・。 小林亜星さん、お疲れさまでした。
2021年06月14日
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今日は、仕事が終わってから久しぶりに映画を見てきました。毎年春の映画の楽しみといえば、「劇場版名探偵コナン」なのです。 今回は、まだ開業していませんが東京~名古屋間で工事が続けられているリニア新幹線とこれまた本当に開催できるかどうかわからない東京五輪を題材にした物語となっておりました。本来なら去年封切予定だったのですが、新型コロナウィルス感染拡大のために1年延期になってしまっておりました。だから、待ちに待った劇場版のコナンでした。 ネタばれになるから話の内容は書きませんけど、いつものごとく多少無理やり感はあるものの、楽しめました。今回は登場人物が多くて、あっという間の時間でした。 また、来年春も制作されるようでそれも今から楽しみです。 ところで、レイトショーのタイミングで見に行ったのですが、感染防止対策のため席は1つずつ間隔があけられていたし、今日は天気も悪かったこともあってか私を含めて11人だけでした・・・。
2021年06月04日
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東映アニメーションは1月7日、漫画「SLAM DUNK(スラムダンク)」のアニメーション映画化が決定したことを発表し、ティーザーサイトと作品公式Twitterを公開した。あわせて、著者の井上雄彦氏は自身のTwitterにメッセージを投稿した。 同作は、『週刊少年ジャンプ』(集英社)で1990年から96年まで連載された人気バスケ漫画。93年から96年にかけてテレビ朝日系列でアニメが放送され、作品の影響から青少年の間でバスケブームが巻き起こった。 『ジャンプ』での連載終了後も人気は根強く、2018年に集英社は全20巻の再編版を刊行。20年にはイラスト集『PLUS / SLAM DUNK ILLUSTRATIONS 2』を発売するなど、コンテンツの展開は続いている。 連載開始から30周年を迎え、当時のファンが中学生や高校生の子を持つ世代に差し掛かっている。東映アニメはアニメーション映画を公開することで、親子2世代を巻き込んだ再ヒットを狙う。【ITmediaから引用】「アンビリーバブルや~」(by彦一) スラムダンク(スラダン)をご覧になった方にとっては、このセリフが出たのではないでしょうか? バスケのアニメといえばこのスラダンが出てくるという人も多いと思われます。今でも人気なのは、登場人物のキャラがたっているのはもちろん、ストーリー性もいいのではないかと思っています。そして、よくありがちなチームが勝ち進んで最終的には優勝する、というのではなくて敗れ去るところも残念なんだけど、それが逆にリアリティがあっていいのかなってね。 私は野球はよく知っていますけど、バスケはあまりよくわかりません。それなのに、このスラダンが好きになったのは、私の子どもたちが小さいころにCSで放送していたのをそれこそDVDに録画して繰り返し見ているのを一緒になってみているうちに、前出に書いたようにそのストーリー性に面白さを感じた、ということなんですね。それを見てバスケのルールがわかるようになったかといわれると、未だにわかりません(苦笑)。ちなみに、私の下の息子はこれがきっかけになったのかどうか、バスケが好きになって、中学・高校とバスケ部で現在も大学でバスケ部に入っています。 さて、映画化されるということでネットのコメントを見ると、スラダン好きな方のうれしいというコメントが数多くありました。私もコナンの映画以外に楽しみな映画が見られるということで、封切を心待ちにしたいと思います。ただ、気になることが4つあります。 一つめは、「どの時点からの映画の内容になるのか」。スラダンファンの方ならアニメ版の続きとか全国大会から、っていうことになるんでしょうけど、新たなファンを確保するためにはちょっとさかのぼらないといけないのか・・・。 二つめは、「声優さんはオリジナルメンバーなのか」。アニメ版の終了から20年が経過していることから、そのあたりは気になるところです。 三つめは、「バスケのルールは20年前のままで行うのか」。前出のとおり私はバスケのルールに詳しいわけではないのですが、今のルールと若干異なっているところをどうするのでしょうね。 四つめは、「ここまで盛り上がったのに、作者の都合で延期になることはないのか」。こればかりは仕方ないことなんですけど、何とか先生には作成をお願いしたいところです。 とまぁ、バスケファンでもバスケに詳しいわけではない私ですけど、多くのスラダンファンとともに、首を長くして待ちしたいと思います。 それにしても、実写でなくてよかった!!
2021年01月08日
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コメディアンの小松政夫(本名・松崎雅臣)さんが7日午前6時45分、肝細胞がんのため東京・三鷹市の病院で死去した。78歳だった。葬儀は近親者で行われ、喪主は妻・松崎朋子さんが務めた。 福岡市出身で、「クレージーキャッツ」の植木等さんの運転手兼付き人となり、バラエティー番組「シャボン玉ホリデー」でデビュー。伊東四朗さんらと「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」に出演し、番組内で歌った「しらけ鳥音頭」「電線音頭」がヒット。「サヨナラ、サヨナラ」と話す映画評論家の淀川長治さんの物まね、「表彰状、あんたはエライ!」、「知らない!知らない!知らない!もー」「どうかひとつ」「なが~い目で見てください」などのギャグでも人気を集めた。俳優としては、映画「駅 STATION」、ドラマ「前略おふくろ様」などに出演した。【スポーツ報知ネット版から引用】 今年もあと20日ほどですが、今年も著名な方がお亡くなりになりましたけど、今日また私が子どものころにテレビで楽しませてもらった方が亡くなりました。 本文にありましたように、小松政夫さんがお亡くなりになったとのこと。小松政夫さんといえば、1977年頃だったと思うのですが「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」で伊東四朗さんとともに舞台狭しと動き回ったり、様々なギャグで笑わせてもらいました。特に、「電線音頭」はテレビではこたつの上なのですが、学校では机の上とか朝礼台とかでもやって、親や先生に怒られた人もおられるのではないでしょうか? 当時私は小学生だったからどまんなかの世代です(笑)。 その「電線音頭」では、伊東四朗さんはサーカスの団長のような井出立ちで「ベンジャミン伊東」を名乗り、小松政夫さんは軽妙なトークで盛り上げる、といったスタイルで、ゲストをこたつの上にあげて電線音頭を踊る、というものでした。ちょうど、youtubeにあげていただいている方がおられて、久しぶりに見てみましたけど懐かしかったし、あのばかばかしさがいいんですよね。 その当時はもちろん知らなかったのですが、元々は自動車のセールスマン(たしかトヨペットのディーラーだったと思うのですが、トップセールスマンだったとのこと)でかなりの稼ぎがあったにもかかわらず、芸能の世界の飛び込み、植木等さんの運転手兼付き人を務めていたんでしたよね。トップセールスマンだったということは、それだけ弁が立つしいろんな切り替えができるし、持って生まれた才能だと思うんですよね。芸能界ではその才能をいかんなく発揮された方だったと思います。 それにしても、子どもの時からよく見ていた方が亡くなるのはさみしいものですね・・・。 小松政夫さん、お疲れさまでした・・・。
2020年12月11日
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英BBC放送によると、人気映画「007」シリーズの初代ジェームズ・ボンド役で知られる英俳優ショーン・コネリーさんが滞在していた大西洋の島国バハマの自宅で死去した。90歳だった。家族が明かした。体調を崩しており、眠っている間に息を引き取った。死因は伝えていない。 1930年、英スコットランドのエディンバラに生まれ、シリーズ第1作「ドクター・ノオ」(62年)を皮切りに初代ボンド役を務めた。年齢を重ねていぶし銀の魅力を増し「アンタッチャブル」(87年)でアカデミー賞助演男優賞。「レッド・オクトーバーを追え!」(90年)など多数の作品に出演した。【共同通信ネット版から引用】 ショーン・コネリーさんがお亡くなりになったとのこと。ショーン・コネリーさんといえば、「007」のジェームス・ボンド役がはまり役とのことですが、実は私は「007」のシリーズは見たことがなくて・・・。だから、私にとっては本文にあった「アンタッチャブル」における老刑事役が印象に残っています。 「アンタッチャブル」は、古くから映画やドラマで取り上げられているのですが、私にとっては1987年公開、ブライアン・デ・パルマ監督の「アンタッチャブル」なんです。主演のケビン・コスナーさんが財務省主任捜査官のエリオット・ネス、それに協力する老警官役がショーン・コネリーさん、ギャングの親玉、アル・カポネ役がロバート・デ・ニーロさんでしたが、私は主演のエリオット・ネスよりも老警官ジム・マローンの方に思い入れがありました。というのも、ジム・マローンが『警官の仕事は手柄を立てる事ではなく、無事に家に帰る事だ』とエリオット・ネスに説くところが特に印象に残っていて、これって自分の仕事もそうだよなぁって思ったものです。 ショーン・コネリーさんは、「007」では二枚目の風貌だったのですが、年齢を重ねた「アンタッチャブル」では禿げ頭でしたね。禿げ頭というとマイナスイメージがあるのが一般的に思えるのですが、ショーン・コネリーさんなら逆にそれがとても格好よく見えました。 「アンタッチャブル」の話を書いていたら、久しぶりに「アンタッチャブル」を見たくなりました。そういえば、封切のあった1987年当時、同僚と見に行ったのを思い出しましたよ。やはり映画館で見たいなあ・・・。 ショーン・コネリーさん、安らかに・・・
2020年11月01日
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お笑いトリオ・レツゴー三匹のメンバーだったレツゴー正児さん(本名・直井正三)が9月29日午後5時48分、肺炎のため亡くなっていたことが2日、分かった。80歳だった。所属事務所が発表した。 正児さんは香川県琴平町出身。64年にレツゴー三匹を結成し、70年に「第1回NHK上方漫才コンテスト」で敢闘賞を受賞。71年に「上方漫才大賞」新人賞、73年に同大賞を受賞。79年には「上方お笑い大賞」金賞を受賞するなど、関西を代表するトリオ漫才師となった。 漫才冒頭で「じゅんでーす」「長作でーす」とやったあとに正児さんが「三波春夫でございます」とボケるパターンが定着。 14年5月にじゅんさんが、18年2月に長作さんが鬼籍に入り、正児さん一人となったが、仲間がいる天国へと旅立った。【デイリースポーツから引用】 私が子どもの時には、お笑いの番組には必ずといってみかけたレツゴー三匹。ちょっと小太りで晩年は薄くなった頭髪をネタにしていたじゅんさん、長身で髭面の長作さん、センターで背が低くて本文にあった「三波春夫でございます」のあとに両方からどつかれる正児さんのトリオでしたね。若手の芸人さんだったら、マイクの前に立つとまずは「今日は名前だけでも覚えて帰ってください」的に自分の名前を名乗るスタイルが定番ですが、レツゴー三匹は最後までそのスタイルを崩しませんでした。まぁ、つかみネタの「三波春夫でございます」があるからかもしれませんが、それでもずっと続けておられました。 レツゴー三匹の漫才は、じゅんさんのボケと正児さんのツッコミ、長作さんの何とも言えない間に味があったんですけどね・・・。子どものころからみていた芸人さんが亡くなるのはなかなかさみしいものです。 今頃、先に逝った二人と漫才して、両脇からツッコまれているかもしれませんね・・・。
2020年10月03日
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皆さんのご自宅では、衛星放送とかCSとかご覧になっていますか? 私のところでは衛星放送は装置がないために見ることができないのですが、CSについてはこの奈良に引っ越して間もなくスカパーと契約、2階のベランダにアンテナ上げてみています。ちょうと子供たちが大きくなる過程だったので、アニメや子供番組を中心に、私は昔の刑事ドラマとかドリフの番組とかを見ていましたし、野球も地上波の放送が少なくなるとCS頼りになるし、重宝していました。 ただ、スカパーの場合、見たい番組がチョイスできるのはいいんだけど、見たい番組は別のセットになっていたリ、単体だと高かったりとうまくいかないなあと数年前から考えていました。しかも、子供たちが大きくなってくると、アニメよりもスポーツ、特に冬場はバスケの試合が見たいということを言い出してきて、それは見られる番組で何とか見てもらっていたのですが、私にとってもカープの試合が常時見られたらって思うようになってきました。 そんなある日、いつも買い物に行くショッピングセンターに行ったときにパソコンのプロバイダ契約している近鉄ケーブルネットワークのサービスステーションへ行ってみると、ケーブルテレビの存在を思い出しました。私の住む王寺町はそのエリアに入っているし、値段的にも月額はスカパーより少し安い。そしてなにより、カープの試合も見られるということで妻と相談してみると、バスケの試合が見たい妻もOKとのことだったので契約することになり、先日工事も完了しました。 チャンネル数はスカパーの時よりも若干減ったものの、BSがみられるようになったし、地上波でもこれまで見られなかったところも見られるようになったし、とりあえずは満足です。 その代わりに20年にわたって利用してきたスカパーは、その日をもってチューナーを取り外して、カスタマーセンターへ解約の連絡をしました。そこの担当の方からは20年にわたって利用してきたことに対する感謝の言葉がありました。スカパーも悪くなかったんですけどね、もう少しセットの料金とか組み合わせにもう少し自由度があったらいいんだけど、って思いました。 子供たちは次に帰省してきたときはびっくりするだろうなぁ・・・。
2020年09月24日
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このところ、私が子どものころによく見ていた刑事ドラマなどで名バイプレイヤーだった方が亡くなっているのはさみしいものです。 先日は、伝説のバンド、ザ・タイガースに所属、その後俳優として「西遊記」で沙悟浄役がはまり役で、ほかにも時代劇や朝の情報番組でも活躍していた岸部シローさんがお亡くなりになりましたね。「西遊記」の沙悟浄役はその風貌から岸部シローさんしかいないと今でも思っています。関西弁をしゃべる沙悟浄ってイメージと違うかもしれませんが、岸部シローさん自身が京都出身だからなぁ(笑)。 そのほかのドラマなどでも、すっとぼけた役にいい味を出していました。 そして、今日知ったのですが、やはりドラマでなんと言えない役をこなしていた斎藤陽介さんもお亡くなりになったとのこと。怪しい役とか影のある役がはまり役だったように思います。 さらに、藤木孝さんもお亡くなりになったとのこと。藤木孝さんも坂上二郎さん主演の「夜明けの刑事」では刑事役をされていましたが、その爬虫類のような顔を生かした犯人役が印象に残っていて、知的な犯人役がはまり役だったと思います。 いつも思うことですけど、ドラマには主役に絡む「いい脇役」がいないと成り立たないわけで、主役が大したことがなくても脇役がしっかりしていたら何とか成り立つ、って思っています。でも、最近はそのいい脇役も少なくなってきているような気がして仕方がないんですよね。強烈なインパクトの脇役もいいんですけど、今回取り上げた方々は強烈なインパクトというよりも、「ここでいてくれたら安心する」という感じかなって思っています。 お三方、長らくお疲れさまでした・・・
2020年09月21日
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呼吸器疾患で療養中だった俳優の渡哲也さんが8月10日午後6時30分に肺炎のため死去した。78歳だった。所属事務所の石原プロモーションが14日、発表した。昭和の大スターがまた1人、息を引き取った。 1941年12月28日、島根県安来町(現・安来市)で生まれ、兵庫県淡路町で育った。高校卒業後に上京し、進学した青山学院大では空手道部に在籍した。 もともとは航空整備士を志望していたが、故・石原裕次郎さんに憧れ、一目会いたいと訪れた日活撮影所でスカウトされ、64年に日活入社。翌65年に映画「あばれ騎士道」で主演デビューを飾った。初対面の石原さんにあいさつをした時、握手とともに激励の言葉をもらったことに感動。後に自らも後輩たちに対して同じように振る舞うようになった。(中略) 悪化していた石原プロの経営を立て直すため、76年からはテレビドラマにも本格進出。同年開始の主演作「大都会」シリーズ、79年オンエアスタートの「西部警察」はサングラスの似合うダンディーな姿が国民的な人気を呼んだ。 87年に石原さんが52歳の若さで死去した後、後継の社長に就任。2011年に退任するまで、弟分の舘ひろしとともに若手の「石原軍団」育成。2015年6月、急性心筋梗塞で緊急入院。約1か月後に退院、リハビリを続け、11月には仕事復帰を果たした。【スポーツ報知ネット版から引用】 体調が悪いという話はネットニュースなどでも見たことがあるし、また石原プロの解散という話も最近聞きまして、渡哲也さんのことを気にしていたんですけど、お亡くなりになったんですね・・・。 私にとって渡哲也さんと言えば、そりゃもう「西部警察」の大門さん、団長なんです。レイバンのサングラスにレミントン、ベタかもしれないけどそれがとても格好良かったんですよ。毎回ドンパチの銃撃戦に、カーアクション、爆破炎上と目まぐるしいのですけど、スケールが大きくて毎回楽しみにしていました。その中で、画を引き締めていたのが渡哲也さんでした。 ちなみに、「西部警察」の前には、「大都会パート2」「大都会パート3」があって、それはリアルタイムではなくCSで見ましたけど、それももっと男臭かったかなってね。 ところで、時代がそうだったといえばそうかもしれませんけど、「西部警察」や「大都会」のスケールの大きさやアクションのすごさは、今のテレビでは絶対できないことですよね。今ではCG多様ですけど、当時なら爆破シーンは本当に爆破させるし、迫力は全然違います。また、主役に絡む脇役の人たちや犯人役の人たちも味のある人が多くてわくわく感があったものですけどね・・・。 話を戻して、CSでは「西部警察」を今でも放送しているし、「大都会」のシリーズは、DVDを持っているからゆっくりみてみようかな・・・。 最後に、渡哲也さん、お疲れさまでした・・・。
2020年08月14日
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ザ・ドリフターズのメンバー加藤茶(77)仲本工事(78)高木ブー(87)が30日、新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなった志村けんさんへの追悼コメントを所属事務所のホームページで発表した。 加藤は「ドリフの宝、日本の宝を奪ったコロナが憎いです。皆さんも身近に感じて、気を付けてくださるようお願い致します」。 仲本は「ドリフも順番に逝く歳になったとは思ったけど、一番若い志村が長さんの次になるとは、、、。非常に悔しいです」。 高木は「志村早すぎるよ、俺より先に逝くなんて。3年前に、久しぶりにドリフでコントやった時、『高木さんも80歳過ぎて、頑張ってるんだから、自分も頑張らなきゃなぁ』って言ってたよね。また一緒にコントやりたかったのに。心よりご冥福をお祈り申し上げます」とそれぞれコメントしている。 志村さんの死因は新型コロナウイルスによる肺炎。葬儀は親族のみで行う。今後親族と相談しながらお別れの会をとりおこなうか検討する。 志村さんは3月23日に新型コロナウイルス検査で陽性と判明、都内の病院に入院していた。【日刊スポーツから引用】 ついに新型コロナウィルスが日本のお笑い界のスターをも死に追いやることをしでかしました。ザ・ドリフターズの志村けんさんが新型コロナウィルスによる肺炎でお亡くなりになったとのこと。本文にあった加藤茶さんのコメント、「日本の宝を奪ったコロナが憎い」というのは、無念な気持ちを表していると思います。ネットのコメントにおいては過激な書き込み等もあるようですけど、シューキンペーとテドロスがきちんと対応し、アベシンゾーがもっと早めに入国禁止等の措置をしていたらここまでひどくならなかったんじゃないのかってね。 さて、志村けんさんといえばザ・ドリフターズの中では唯一の戦後生まれで、絶大なる人気を誇った当時のメンバーの一員になるわけですから、かなりのプレッシャーがあったかと思うのですが、「東村山音頭」がきっかけで新たな人気を得てドリフの人気者となって行ったんでしたよね。 全員集合やドリフ大爆笑では、その特異なキャラクターで大笑いさせてもらったし、バカ殿様での柄本明さんとの掛け合いは、怖い役者さんのイメージしかなかった柄本明さんをうまい具合にいじくりまわすし、高倉健さんの「鉄道員」ではキラリと光る脇役もすばらしかったですよね。 それにしても、ザ・ドリフターズのメンバーなかで一番若かった志村さんがこんなに早くお亡くなりになるとは思わなかったです。若い頃から酒やたばこをかなりの量を摂取していたのがいけなかったのかもしれないな・・・。特に、たばこはいけませんね・・・。私の亡き父も最後までたばこはやめられなかったからなぁ・・・。 最後に志村けんさん、おつかれさまでした・・・。
2020年03月30日
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「水戸黄門」などに出演した俳優の内田勝正さんが1月31日に死去した。享年75歳。内田さんが副理事長を務め、俳優の西田敏行(72)が理事長を務める協同組合・日本俳優連合が発表した。 発表によると、内田さんは10年前に胃がんを患い、小康状態の中で同連合の役職を務めるなど実演家の就業状態の改善に尽力。昨年に体調を崩し、入退院を繰り返していたが、今年1月31日に亡くなった。今月2日に家族葬が営まれた。 内田さんは青山学院大卒業後に劇団「四季」の研究所に入所。その後は劇団「浪曼劇場」を経て、名悪役としてTBS系時代劇「水戸黄門」「大岡越前」やNHK大河ドラマ「信長」などに出演した。【スポーツ報知から引用】 時代劇や刑事ドラマで「ザ・悪役」のポジションを確立されていた内田勝正さんがお亡くなりになったとのこと。内田勝正さんと名前を聞いてもピンとこないかもしれませんが、調べてもらえばわかります。必ず見たことがあると思います。本文にあった水戸黄門のような時代劇なら、悪代官の右腕とか組織の用心棒のような役割だったり、刑事ドラマなら、暴力団の幹部など絶対見たことがあると思います。 最近のドラマには、昔の悪役のような骨太の役者さんがいなくなりましたね。なんだかチンピラばかりのようで、存在感もないし重厚感もない。昔のドラマだったらマンネリかもしれないけど、この人が出てきたら「またこいつか!」っていいながらみていましたけど、そんな悪役の「定番中の定番」と言える俳優さんがいないんですよね。 もしかしたら、あの世では金子信雄さんとか阿藤海さん、田中浩さんなどといった悪役で名を馳せた方がたくさんおられて、そこに内田勝正さんも加わって良からぬ話をしているかもしれませんね。次は誰を呼ぶかとか・・・。いやいやまだまだかつての悪役の方はこちらで元気にやってますから、まだ呼ばないでよね。 最後に、内田勝正さん、お疲れ様でした。
2020年02月05日
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今日は、仕事が終わってから京セラドーム大阪に行きました。今の時期、野球はやっていないのになぜ?と思いますよね。 目的はこれです。 Perfumeのコンサートが明日からここで行われるのです。京セラドーム大阪をスタートに、全国のドームでコンサートを行う、ということなのですが、私はチケットを入手していないのでみいくことができません・・・。でも、せめてその雰囲気だけでも味わえたらということで行ってみました。 すると、このような案内がありましたので撮影してきました。 おじさんPerfumeファンが入り込めるかどうかわからないので入手しなかったというのもあるんですけどね・・・。見に行く方は楽しんできてくださいね。三姫を応援してきてください!
2020年01月31日
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映画「渡り鳥」シリーズ「拳銃無頼帖」シリーズなど、数々のシリーズもの映画で人気を博した俳優宍戸錠さんが東京都世田谷区の自宅で亡くなったことが21日、分かった。86歳だった。 大阪府出身。日活ニューフェースの1期生として映画デビューし、若手を多用した同社のアクション映画路線で、小林旭らとともに主力で活躍。主に悪役として欠かせない存在となり、「エースのジョー」と呼ばれて親しまれた。 ある時はライフルを構えた殺し屋役。またある時は無骨な用心棒。悪役として、主役を絶妙に引き立てる数々のハードボイルド作品に出演した宍戸さんが、逝(い)った。 日大芸術学部在学中の54年、日活の若手発掘プロジェクト「日活ニューフェイス」の1期生に合格し、俳優への道を歩み始めた。60年には「渡り鳥 いつまた帰る」「拳銃無頼帖 抜き射ちの竜」など、宍戸の代名詞ともなる人気シリーズをはじめ、年間12本の出演映画が公開された。看板スターだった石原裕次郎の骨折離脱により、61年の「ろくでなし稼業」では当初予定の脇役から主演に大抜てきされた。その実績が認められ、日活の主力スター路線「ダイヤモンドライン」に加入し、スターの仲間入りを果たした。西部劇好きで、ガンマンのスタイルを研究し、自らの殺し屋スタイルを確立した。 デビュー当初は二枚目路線だったが、「渡り鳥」シリーズでは主演の小林旭の敵役がはまり、徐々に悪役路線へ転向した。悪役にはこだわりがあった。顔をいかつく見せるため、両ほおに液状物質を注入した。「こぶ顔」は口ひげとともに宍戸さんの長年のトレードマークだったが、01年に摘出手術を受けて話題になった。【日刊スポーツネット版から引用】 宍戸錠さんがお亡くなりになったとのこと。宍戸錠さんといえば、私の世代だったらバラエティ番組に出演されているのをよく見かけましたけど、元々はれっきとした映画俳優で、本文にもあった映画では小林旭さんや赤木圭一郎さんの敵役として主役に絡む役回りが多かったように思います。 デビュー作となった「警察日記」では二枚目役だったそうですけど、それが逆に「特徴がない」と考えたのか、自ら顔にコブを作ってわざとに悪役顔に整形するという今では考えられないようなことをして、主役を食わんばかりの役作りをされていたんですね。 お亡くなりになったということで、youtubeで赤木圭一郎さんとの対決が有名だった「拳銃無頼帖 抜き射ちの竜」の出だしだけがアップされていたのをみたのですが、宍戸錠さんはキザでなんだか憎めない役だったと思います。全部もう一度見たいなぁって思いました。 役の上で拳銃の使い手という設定のためか、腰に下げた拳銃での早打ちというのをバラエティ番組で見た記憶があるのですが、役の上だけでなく結構さまになっていたし、その腕前もすばらしいものだったように覚えています。 それにしても、宍戸錠さんって大阪出身というのは聞いたことがあるのですが、錠って本名だったんですね。1934年生まれで錠、カタカナで書くと「ジョー」ですからね、当時としてはなかなかインパクトのある名前だったんじゃないかと思うし、映画全盛期には「エースのジョー」とよばれるくらいになったんだから、先を見越したような名前だったんですね。 先日は梅宮辰夫さんがなくなるし、だんたん昭和という時代が遠くなっていくんだなって改めて思いました。 宍戸錠さん、お疲れ様でした・・・。
2020年01月21日
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クリスマスの季節が訪れると流れてくる山下達郎の『クリスマス・イブ』。その曲にのせて昭和と平成の境目に放送されたJR東海のCM「クリスマス・エクスプレス」がいま、令和の時代になって再び注目を集めている。BSの「日本映画専門チャンネル」では、「クリスマス・エクスプレス」CM集と題して1988年放送の深津絵里が出演する『ホームタウン・エクスプレスX'mas編』、89年放送の牧瀬里穂が出演する『X'mas EXPRESS'89』を筆頭にシリーズ5作品を、今月21日およびクリスマス・イブとなる24日の23時30分から放送する。【現代ビジネスから引用】 今日はクリスマス・イブ。私が就職した1986年当時は国鉄とよばれていたのが、1987年に分割民営化されてJRとなりました。そのJR東海が送り出した「クリスマス・エキスプレス」のCMは、センスの良さが光るものとなりました。そして、それは今でも色褪せることなく、見ることができます。BSで放送されるようですけど、Youtubeでも見ることができます。 改めて見てみると、何作品かあるのですけど、私は本文にもあった1989年の牧瀬里穂さんのバージョンがお気に入りなんです。敢えて最後まで見せないというところがいいじゃないですか。それに牧瀬里穂さんが彼氏を見つけた時の何とも言えない嬉しい表情、こんなかわいい彼女が待っているなんていいなぁって思ったものです。 1989年当時といえば、まだ携帯電話が普及しておらず、ポケベルもまだ一般的ではなかったように覚えていますが、今だったら携帯電話で手軽に連絡を取り会えるところが、当時はそんなことはできないわけで、お互いがやきもきしながら待ち合わせ場所で待っていて、会えた時のうれしさは牧瀬里穂さんの弾けるような笑顔じゃないけど、みんなそうだったんじゃないかなってね。 連絡が手軽にできるようになったことで、いろんな面が楽になったけどその裏で失ったものというのもあるんじゃないかなってね。 今年のクリスマス・イブは、みんなどんな待ち合わせをしているのかな・・・。
2019年12月24日
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