さすらいの天才不良文学中年

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義理と人情とやせ我慢(禁酒・節酒)

「自由人」事始め(義理と人情とやせ我慢)

 「自由人」事始め(その6)をお贈りします。この原稿は、セキネットワークスの「情報の缶詰」2月号に掲載しています。


義理と人情とやせ我慢

 例年、1月中旬に定期健康診断を受けていたので、正月は元旦から2週間程度禁酒と決めていた。今年からは健康診断の受け方を替えるので、何も正月にしなくても良いのだが、自分のこころの中ではルールが出来上がっている。したがって、元旦からやせ我慢で禁酒してきた。

 もともと、酒なくて何の人生ぞである。大学に入って酒と煙草を覚え、会社に入ってからは、毎日晩酌を欠かしたことがない(写真はオールド復刻版)。


オールド復刻版


 風邪をひいて寝込んでいても、気付け薬として飲む。少々の病気なら医者がダメだといっても、「無粋な医者だ、酒は百薬の長」とうそぶいて飲んでいた。

 一番飲んでいたのは20代であろう。若いということは限界を知らないから怖い。悪友のアパートで朝まで飲み、一晩に二人で4升飲んだこともある。無論、翌日は生きた心地がしなかった(この暮れに久し振りに一升酒を飲んだが、それほど酷い二日酔いではなかった。まだまだ飲める年か?)。

 40代までは1日たりとも酒を切らすことはなかった。併し、その酒も年を取るにしたがって、自然と上品になってきた。50になってからは、上述のとおり、正月に禁酒することにした。変われば変わるものである。

 かの孔子様によると、「肉多しといえども食の気に勝たしめず。ただ酒は量なし、乱に及ばず(肉を食べるには限りがあるが、酒はいくらでも飲めるので乱れないようにせよ)」とのことだ(DRP第21号より)。孔子様でも飲みすぎるのだ。ましてやおいらのような凡夫だ、戒めなくてはならぬ。

 さて、現在の酒量は、毎日の晩酌として、缶ビールロング缶1本、赤ワイングラス1杯、芋焼酎お湯割り2杯程度というのが、定番である。自宅では決して日本酒は飲まない。買い置きをしていないからだ。嬉しいことがあると、高いワインにする♪ 併し、これが外で飲む場合は様子が違ってくる。結局、酒ともだちとの相性によるからだ。Dangerousな相手だと、底無しになる恐れがあるので、要注意である。

 また、酒と読書は、若いときからの友である。酒を飲んでも寝る前は必ず読書と決めている。この習慣は今も変わらず、例え酒の飲みすぎで前後不覚のときでも読書だけはかかさない。もっとも、翌日何を読んだか覚えていないことが多いが。

 禁酒すると良いことに、体の調子、特に胃腸の調子が良くなるということがある。やはり、日頃の飲みすぎがたたっているのだろう。目覚めが良い。具体的には胃がさわやかとなり、朝、胃薬がいらない。これは正直嬉しい。

 また、時間が増えるという良さもある。酒を飲まないから、読書はもとより自由な時間を無理して工面する必要がない。食事が終われば、そのまま思索も可能だ。1日が長くなる。

 なお、瑣末とは言い難い話しに、夜中トイレに立たなくてもよいというメリットがある。利尿剤でもあるビールを飲まないからだと思う。これもプラス面である。

 こうしてみると、良いことばかりに思えてくるが、当然マイナス面もある。まず、新年会に出席し難い。まあ、これは娑婆を離れたため、遅めの新年会に参加すれば良い。問題は、やせ我慢である。毎年のことではあるが、最初の1週間が辛いのだ。ほとんどアル中だと思う。

<初日> 気持ちの切替えが必須である。やせ我慢といっても遊び心が必要だ。洒落でお酒は気違い水だと思い込む。次に、食事から酒を飲みたくなるつまみ系を排除する。丼ものの様に単品ものにすると、その気になりやすい。初日ということで、粋な遊び人にでもなったつもりで、少しハイテンションになるよう努める。

<二日目> 結構平気である。まだ体にアルコールが残っているからだと思う。併し、夜寝る前に飲みたくなる。く、苦しい~(笑)

<三日目> ほとんど平気だが、コンビニの酒類陳列台、特にビール売り場の前はいけない。そばを通ると、思わずクラクラとする。対処療法として、がぶがぶ水を飲む。

<四日目> 苦しいときは、酒が毒と思うことと、洒落で禁酒しているはずとやせ我慢を押し通す。

<五日目> 酒が毒だと思えなくなりそうである。

<六日目> いよいよアルコールが切れてきたらしい。やせ我慢もこれまでか、猛烈に飲みたくなる。対処療法はやはり水のがぶ飲みと、楽しみは2週間後の旨い酒と自分に言い聞かせる。

<七日目> 伊達男を気取り、やせ我慢を通す。

<八日目> 振り切れる。相撲で言えば初日から全勝で勝ち越しとなった気分である。飲まないことが全く平気となる。人間の体は良く出来ている。

<九日目> 余裕。

<十日目> 惰性。ただし、フラッシュバックのように突然飲みたくなる衝動にかられることがある。禁煙したときのことを思い出す。本当に平気になるためには3ヶ月程度は必要かもしれない。フラッシュバックは脳の問題だから苦にしても仕方がないと、ここもやせ我慢で乗り切る。

<十一日目> 問題なし。体の調子は絶好調

<十二日目> 未練は残るが、このまま禁酒してもよいかと思い始める。

<十三日目> 酒がホントに毒だと思えるようになってきた。あぶないかも(笑)。

<最終日> いよいよ明日が解禁日なので、禁酒が途切れると思うと寂しい、いや、やせ我慢を止めるのがもったいないという気持ちになってきた。このアンビバレントな感じ、すなわち、飲もう、いや、ここまでやったのだからもう少し禁酒を続けようという気持ちのせめぎ合いとなった。まあ併し、継続を断ち切るときの気持ちは皆こんなものであろう。

 ジャジャ~ン♪ 本日目出度く、禁酒2週間を達成した。満願成就。よって、般若湯を解禁する。もちろん酒は薬と思う(笑)。く~、うめい。最初の5秒は何も言うことなし、喉越しの味は最高、しかも禁酒後の一杯は格別だ。その後、数秒してたった今飲んだビールが五臓六腑に染み渡る快感を味わう。やはり酒なくて何の人生ぞ、である。生きていて良かったとしみじみと思う。短期間ではあるが、禁酒の達成感は何事にも替え難い。これからも飲むときは飲む、たまには徹底して飲む。飲まないときはやせ我慢とする。酒との付き合いは、今後もこの路線で行く。





 2007年版プチ禁酒日記

 今年も、恒例の正月元旦からのプチ禁酒を始めた。例年、2週間程度酒を絶っており、昨年も15日間禁酒した顛末をブログに掲載した。


美酒


 何故元旦から実施するかというと、サラリーマン時代の忘年会は半端ではなかったからである。年末は、ほとんど毎日が酒浸りの状態で、正月ぐらいは酒を休みたいという嘘のようなホントの話しであった。

 しかし、昨年末の忘年会は都合よく五月雨式のスケジュールとなり、また上品な会合が多かったことから、肝臓への負担はほとんどかからなかった。それで、今年はどうしたものかと迷った。本音は酒など止めたくない。しかし、惰性というものは恐ろしい。無意識の内に今年の正月も酒を控えていたのである。

 さて、今、この原稿は禁酒7日目で書いているが、幸い、あまり飲みたいとは思わない。今回は何時でも飲める気持ちでスタートしたので、ほとんど苦にならなかった。わずかに3日目の夜、少し飲みたいと思ったが(アルコールが切れるのが丁度この頃だからだろうか)、それほど深刻なものではなかった。

 新年会はどうするんだという質問が来そうである。勿論、欠かさない。おいらの場合、毎年、15日以降に実施するのである。ところが、今年は例年より早く本日11日に新年会を入れてしまった。まあ今年は、10日間のプチ禁酒でも良いではないか。問題は、9日目であった。野暮用があったので、夕方一杯入るかも知れなかった。そうであれば、今年は8日間の禁酒に終わってしまっていた。しかし、まあ、それでも良いだろうという、元々そういうつもりの禁酒であった。

 ところで、問題はテレビのCMである。旨そうなビールのCMが毎日垂れ流されているのである。酒を飲んでいるときは気が付かなかったが、禁酒中はこのCMが堪(こた)える。飲みたくなるように創ってあるのだ、これが。

 案の定、7日目の夜、遂にビールを飲む夢を見てしまった。これが滅法旨いビールなのだ(勿論、夢の中の出来事だが)。しかし、不思議なことに飲んだ後、無性に後悔したのだ。
「あ~、もっと禁酒出来たのに~」

 これって、どういうことなのだろう。脳の中で「飲みたい」派閥と「飲むのを止めよう」派閥とが仁義なき戦いをしているのだろうか。こういう夢を見るようになれば、禁酒もホンモノであると思いたい(このくだりは8日目に書いている)。

 さて、9日目の誘惑も結局避けることが出来、遂に今年も10日間の禁酒を達成することが出来た。目出度し、目出度し。なお、さすがに10日目は誘惑に負けそうになった。アルコールが完全に抜けようとする兆しだろうか、体が飲みたいという感じになったが、幸い踏ん張ることが出来た(ここは昨夜書いている)。

 ところで、今回のプチ禁酒で気付いたこと。それは、この調子であれば1週間程度の禁酒なら無理なく出来そうだということである。酒を止めて分かることは、5日目頃から、胃の調子が急激に改善することである。

 酒と長く付き合いたいなら、今年の1年間は少し休肝日を設けてみようかと思う新年である。




只今、禁酒中(前編)

 今年も正月から酒を断っている。

 正確には、年末の29日(土)から酒を止めた。これは例年のおいらの慣わしである(フリーページ「自由人 事始『義理と人情とやせ我慢』」参照)。


酒


 それで、本日は禁酒九日目である。少々辛い。

 しかし、酒を止めると三つの大きな効用がある。それは、1日が長くなること、胃腸の調子が良くなること、それに今度飲む酒が旨くなることである。

 禁酒の秘訣は何か。それは「酒は毒である」と思うことである。念仏を唱えるのである。酒は毒と思えば、腹も立たない。

 それでは、禁酒中の九日間を実況中継する。


<初日 12月29日> 酒を止めてもほとんど苦にならない。何せ、昨日までほとんど毎日が忘年会であった。酒漬けである。胃がまいっているのである。初日、酒を抜いてもまだ酒が残っている。禁酒スタートは上手く始まった。

<二日目 12月30日> 酒を飲みたくなるとどうするか。良質のハーブ・ティを飲むのである。思えば、酒は水分の塊である。それを絶つのだから、水分の補給は当然である。必要に応じ、水をがぶ飲みする。つまみは、蜜柑である。まだ、禁断症状はない。

<三日目 大晦日> 驚きだが、まだ、体に酒が残っている。苦しくない。しかし、三日禁酒しても体に酒が残っているとは、どうしたことだ。

<四日目 2008年元旦> かなり胃の調子が良い。朝夕の胃薬(おいらの場合は太田胃酸)を飲まなくても気にならない。つまり、酒は毒だったのである。「酒は毒」、これを呪文のように繰り返す。酒を飲まなくとも、まだ平気である。

<五日目 1月2日> アルコールが残っているとは思えないが、酒を飲む気にはならない。禁酒はスピリチュアル(魂)の問題である。昔、禁煙したときもそうだった。禁煙は苦しかった。ただし、医学的には禁酒の方が禁煙より4倍難しいそうだが(筑波大学名誉教授、村上和雄「アルコール依存症の原因遺伝子」産経新聞07年9月25日)、おいらは逆だと思う。酒は止められても、煙草が止められない人は多い。やはり、個体差があるのだろう。

<六日目 1月3日> 昨日で五日間の禁酒を達成した。六日目に突入である。例年だと、そろそろアルコールが切れる時期である。しかし、強がりかもしれないが、まだ平気である。酒のない国があっても良いなぁと半ば本気で考える。いつ、禁断症状が現れるか。それもまた楽しみである。まだ余裕がある。

<七日目 1月4日> 昨日も述べたが、例年だとそろそろ禁断症状が現れるころである。だが、どうしたことか、今回は1週間目でもほとんど平気である。このまま禁断症状なしに平穏に過ごせるのだろうか。

<八日目 1月5日> 昨日で丸1週間の禁酒が経過した。しかし、ついに酒を飲む夢を見てしまった。いや、正確に云うと、酒を飲みたくてしょうがないという夢であった。とうとうアルコールが切れたのだ。ク、苦シ~。しかし、「酒は毒である。酒を飲んだときの高揚感は毒の仕業である。酒はアル中の素」とひたすら念仏を唱える。

<中日 1月6日> 中日(なかび)である。今回は17日間(2週間半)の目標であるから、本日で丁度折り返し点である。少々辛い。しかし、九連荘の禁酒中である。相撲でいえば、土付かずの九連勝である。我ながらよく続いている。念仏を唱える。「酒は毒、アル中の素」。

 さて、年末年始の長い九連休も本日で終わり、明日からはいよいよ会社に出陣である。酒の誘惑という難関が待ち構えている(「後半」は、来週15日に続く)。


昨日、禁酒達成

 今年も、年末の29日(土)から酒を断ち(1月6日「只今、禁酒中(中間報告)」参照)、昨日を持って今回の禁酒目標(17日間)を達成した。

 おいらにとっては少々長丁場の禁酒であったので、達成出来るかどうか危ぶんだが、何とか凌ぐことが出来た。


薔薇


 それでは、禁酒中の後半八日間を実況中継する。

<十日目 1月7日> 今年、初の出勤日である。酒の誘惑は大別して二つある。ストレスと仕事後の誘惑である。仕事上のストレスは「酒は毒である」という念仏で振り払うことは出来たとしても、上司や同僚の誘いは断りにくい。「今週はちょっと」と逃げれば良いのだが、角が立つ。「来週飲みましょう」と不義理をするのも大人気ない。しかし、今回だけは止むを得ない。

<十一日目 1月8日> 昨日で10日間の禁酒を達成。イエーイ。今回はスムースに禁酒が出来ている。体が慣れてきたのだろう。人間とは不思議な生き物である。

<十二日目 1月9日> 突然、酒が飲みたくなった。理由も何もない。酒を飲んだときの昂揚感が突如フラッシュバックしたのだ。これは苦しい。苦しくなってくると根源を探らなければ意味が分からなくなる。洒落でやっているのである。伊達でやっているのである。いや、意地でやっているのである。だから、飲むのを止める。そう考える。

<十三日目 1月10日> 禁酒してのデメリットにやっと気付いた。人生に味気がなくなることである。しかし、今は禁酒中である。そのようなことは考えない。

<十四日目 1月11日> 遂に二週間の禁酒を達成! パンパカパ~ン! ところで、本日は連休前につき、仕事が超多忙であった。朝から夜の8時過ぎまで根の詰めどおしであった。仕事が終わったときの開放感に勝るものはない。こういうときに飲む酒は格別である。しかし、そういうことも考えない。

<十五目 1月12日> やれやれ本日から気兼ねなく三連休である。ゆっくりと朝寝坊をする。雑念を振り払って、禁酒を続行する。コンビニの酒コーナーや酒屋の前に立ち寄らないようにする。

<十六日目 1月13日> 禁酒中にいけないのは、旨そうにビールを飲むテレビのシーンである。これはまいる。そういうときには、次のように考える。酒自体はそれほど旨くない。最初に飲んだときの記憶を手繰ればよい。ビールは苦いと思ったはずだ。日本酒は臭いし、口がベトベトした。ウイスキーのロックは辛くて飲めたものではなかった。生の焼酎は喉が焼けるし、強烈に臭かった。ワインもジュースと比べて味がよかったとは思えない。要は、皆アルコールなのである。脳にアルコールが作用するだけなのである。毒なのである。

<千秋楽 1月14日> いよいよ最終日。ついに17日間に及ぶ禁酒を完遂したのである。明日の酒が楽しみである。握手♪

 今回の教訓。

1.一週間禁酒すると、弾みがついて苦になり辛い。そのためには、上手く禁酒をスタートさせることが肝心である。

2.禁断症状は前触れなくやって来る。そのときは、意地で乗り切る。男でなくなると胎(はら)をくくる。これはもう理屈ではない。それを援護射撃するのは水とガムと蜜柑である。ガムは水に並んで、プラセボ(偽薬)に成りやすい。禁酒の友である。

3.苦しいときは、酒を止めた場合の三つの効用を思う。体調が良くなり、1日が長くなり、今度飲む酒が旨くなる。止めるしかない。

 総括をしよう。

 それは、酒がなくても過ごせることを発見したことである。

 しかし、忘れてならないことがある。二週間目に感じた「酒がなくなると、人生が味気なくなる」ことと、「仕事が終わったときの開放感に浸って飲む酒の旨さは格別」ということである。

 何事も極端は良くないようである。今年からは、飲んだり止めたりの適度の酒にすることを考えてみよう。




2009年禁酒日記(前編)

 今年も新年の1月中旬に健康診断を受けた。


皿 清18世紀後半


 その指標を改善するため、おいらは毎年正月に約2週間禁酒している。動機が不純なのである。

 しかし、このようなことがない限り、おいらが禁酒することはない。どういう動機にせよ、禁酒することが体に良いのなら、それで良いではないかと、今年もまた昨年12月30日(火)から2週間程度の断酒を始めた。

 禁酒当初、最も関心があったのは、何時、体からアルコールが抜けるかである。また、下戸の方は、酒飲みの意地汚さが分かるので、そう思いながら以下の禁酒日記(ライブで書いている)を読んでいただくと面白いと思う。


12月30日(火)禁酒初日

 昨夜、ロンドンから帰国した旧友と痛飲したので、本日の午前中まで酒が残っている。酒を飲まなくても、体は酒を飲んでいる状態だから、辛くはない。しかし、夕食で晩酌がないというのは、少し堪える。酒を思い出さなくても良いような食事にしたくなる。初日は太巻きにした。お茶と赤出汁で美味しくいただけた。食後は蜜柑である。おいらは蜜柑が好物なので、蜜柑をやたら食べることになる。

 さて、ナイトキャップがないので、夜更かしをすることになる。これが新鮮である。酒を飲まないと一日が長くなり、得をした気分になる。

12月31日(水)大晦日 禁酒二日目

 大晦日である。久し振りに午前9時過ぎ、ゆっくりと起床した。まだ、体にアルコールが残っている気分であり禁酒に苦労しない。胃の調子が改善している。おいらは酒飲みなので、某胃酸の厄介になっているのだが、胃薬を飲まなくても平気である。これが嬉しい。

 年越し蕎麦も酒抜きで味気がないが、年末恒例のことである。禁断症状はまだ出ない。禁酒のコツは、水をがぶ飲むすることである。一つ目の山場は禁酒三日目の明日であろう。それを凌ぐと、禁酒の楽しみが出てきて、次は1週間目かなぁ。

1月1日(木)元旦 禁酒三日目

 「門松や冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

 一休和尚の詠んだ句である。酒がなければ、めでたくもなし。三日目でアルコールが抜けるかと思ったが、まだ、残っている気分である。恐ろしいことに、年末はほとんど毎日宴席で痛飲していた。

 禁酒三日目であるが、まだ苦にならない。食事が味気なくなるのでどうするかと考えたが、入院したときを思い出す。酒がなくても平気であった。むしろ、純粋に食事の美味しさを味わえたような気がする。そう思えば気にならない。それに、酒を飲まなければ長生きが出来るそうだ(ホントかよ~)。

1月2日(金)禁酒四日目

 初詣で下界に出た。これはまずい。上野でアメ横を歩くとレストランでは旨そうなビールや酒が店頭に並んでいる。こりゃまずいょ。

「酒は百害あって一利なし」「酒は毒」と唱える。無事に乗り切る。

1月3日(土)禁酒五日目

 とうとう禁酒五日目に突入である。今日明日は外に出ないので、酒の誘惑はない。それにまだアルコールが完全に抜けたとは思わない。明日までは問題なく大丈夫だろう。しかも、体の調子がすこぶる良い。ナイトキャップがなくても直ぐに眠れる。一日を充実して過ごせば、一日が長くなるのだ。脳が適度に疲労しており、ぐっすりと眠れる(続く)。


2009年禁酒日記(中編)

1月4日(日)禁酒六日目


故宮名品


 アルコールは抜けたと思うのだが、全く禁断症状が出ない。酒を飲んでいないことを忘れる。ただし、夕食が味気ない。食事を楽しむという気にならない。こりゃ、人生の浪費である。ま、いずれ飲めるのだ。洒落で禁酒していると思うしかない。ところで、明日から仕事始めである。男は外に出れば、七人の敵あり。さて、どうなることやら。

1月5日(月)仕事始め 禁酒七日目

 問題の出社日である。実は、「夕方から神田明神に初詣に行こうぜ」という誘いが出勤早々あった。神田明神は会社の地元である。行けば飲み会になるのは必定である。おいらは所要があるということにして、何とかご赦免いただいた。

 やれやれ、禁酒一週間、本日でやっと達成である。アルコールは1週間で抜け切ったと思う。禁断症状なし。人間の慣れとは、大したものよと、思いつつも、やはり人生は酒である(ダメだ、こりゃ)。

1月6日(火)禁酒八日目

 完全にアルコールが抜けたという感じである。幸運なことに、おいらはアル中ではないようだ。しかし、夕食が味気ないのが情けない。考えてみれば、一日が終わって、さあ飲むぞという喉越しの一杯が堪らないのだ。そこから、好きな摘みを肴に飲むのである。その愉しみがないのだ。何だ、立派なアル中じゃないか。

1月7日(水)禁酒九日目

 もう酒の事など忘れた。レストランで酒を飲んでいる人を見ても、心が掻き毟られることはない。夢にも出てこない。

 特筆すべきは、夕食の後のデザートが旨いことである。甘いものが美味しいということを知る。驚きである。おいらが饅頭まで食べたいと思うのである。これは革命である。饅頭、怖い。

1月8日(木)禁酒十日目

 随分昔のことだが、ヘビースモーカーであったおいらが故あって煙草を止めた。20年以上も前のことである。そのとき、革命的なことが起こった。ラ-メンをすすっても、咳き込まないのだ。

 タバコは気管支に有害であり、誰もが気付かないうちに気管支炎になっている(なお、最近の研究によれば、煙草を1本吸うごとに人間は2時間寿命を縮めている)。だから、熱い湯気を吸い込むと煙草のみは皆咳き込む。おいらもそうだったのだが、禁煙した途端に咳き込むのが止んだ。

 さて、今回は禁酒である。酒は胃の粘膜と肝臓を傷める。肝臓は直ぐには治らないが、胃の粘膜の修復は早い。今回の禁酒では、二日目から胃薬が不要になった。胃の調子は良い(続く)。


2009年禁酒日記(後編)

1月9日(金)禁酒十一日目


薔薇


 帰宅途中に日刊ゲンダイを読んでいたら、「定年アル中、急増」という特集があった。「食事が済んでもまだ飲み続ける」、「飲まないと一日が終わった気がしない」「休日の昼間に飲みながら本を読んだりする」などは立派な「定年アル中」予備軍とある。ゲゲ! こりゃ、おいらではないか。

1月10日(土)禁酒十二日目

 食事をするのに酒がなくても全く苦にならないという心境になる。やはり、そうなるためには2週間程度はかかるのか。ま、考えてみれば、入社してからほぼ毎日晩酌をしていた訳だから、そんなに簡単に習慣など変わるものではないのだろう。

 そうは思いながらも、「では、入院したときは、どうなんだ」と自問する。環境が変われば問題はなかったということに気付く。何が云いたいかというと、普段、休肝日を設けるときの心構えである。環境が変わったと思えば、酒を一日や二日抜いても問題はないということを云いたいのだ(ホントかよぅ~)。

1月11日(日)禁酒十三日目

 明日が成人の日であるから、三連休である。その連休二日目。おいらは昨年後半から休日には某セミナーに参加しており、本日が今年最初のセミナーである。そのセミナーを受講した後の酒がまた旨いのだが、勿論お預けである。

1月12日(月)成人の日 禁酒十四日目

 不思議なことに、今年は酒を飲む夢を見ない。毎年、10日あたりを超えた頃から、酒を飲んでは「あ、禁酒中だった」という不思議な(そうでもないが)夢を見るのだが、その気配もない。

1月13日(火)禁酒十五日目

 酒を飲む人の気が知れない。酒のことなど忘れた。そういう達観した気分である。このまま一ヶ月程度なら禁酒を続けても良いと真面目に考える(ウソつけ~)。と、思いつつも、酒のない人生って味気ないだろうなぁと、無意識のうちに酒の解禁を考えている(何じゃ、そりゃ)。

1月14日(水)禁酒十六日目

 アッパレ、本懐達成である。いよいよ明日は検診。今夜は午後9時までに食事を終えて、早く就寝である。しかも、明日の夕方は、今年最初の新年会である。やれやれ、これでやっと2009年の新年禁酒16日間は閉幕である。

 一つ云えること。禁酒の良い点は胃の調子が良くなることである。今年は真面目に休肝日を考えてみるか。さて、ここまで読んでいただいた読者の皆様には、感謝申し上げます。お疲れ様でした(この項、終り)。




人生初の休肝日を設ける

 休肝日を設ける人の気など知れなかった。


花見で一杯


 入社以来、酒の洗礼を受け、おいらが酒を止めたのは入院していたときと新年恒例の断酒くらいのものである。「酒なくて何の人生ぞ」である。

 しかし、今年の正月の禁酒で、酒を止めると胃の調子が断然良くなると心底思った。

 一説によれば、酒を一晩止めると48時間アルコールを絶つことになるという。それはそうだ。前々日の夜から飲まないのだから、まる二日間酒を断っている勘定である。

 よし、今年は酒を飲み始めてから人生初の休肝日を設けることにしよう。思えば、おいらも後2年で還暦を迎えるのである。

 まずは、週一回、休肝日を設ける。それにチャレンジしてみよう。

 しかし、何かご褒美がないと中々出来るものではない。そうだ、一日が長くなることと、胃の調子をキープ出来ることと、48時間後の酒が旨いというご褒美にしよう。

 と、いうことで、第1回目は1月17日(土)を休肝日とした。二日前まで新年の断酒をしていたので、まずは無理なくスタートした。続く24日(土)も何とか乗り越えた。翌週は土曜日に来客があり、2月1日(日)とした。その翌週は再び土曜日とした。

 そうして、現在もほぼ週1回のペースで休肝日を設けている。翌日も休日である土曜日であれば、禁酒し易いのかも知れない。

 それにしても、この暴挙、何時まで続くんだろうねぇ~。


年間100日の禁酒(前編)

「1年間に100日禁酒すれば体に良いし、一生酒を飲み続けられる」と先輩のSA氏から聞いたことがある。


花見で一杯


 若いときにその話しを聞いて、おいらは正直そこまでやるかと思った。酒は飲みたいときに飲まなければ、美味くないではないか。

 逆においらの敬愛するSI氏などは、「生まれてこの方一日たりとも酒を休んだことがない」という。その話しを聞いたのは、氏が70歳を過ぎておられた頃である。

 だから、70歳まで毎日飲めるのであれば、止める必要はない。しかし、個人差があるだろうから、一生酒を飲み続けるためには肝臓を休ませてやるというのが生活の知恵でもある。

 そう思って、数年前から「年間100日禁酒」を実行しようと思っていたが、失敗以前の、やろうとも思わない段階であった。

 しかし、一生酒を飲みたいという思いに変わりはない。

 だから、今年に入ってから、一週間に二日、禁酒の日を設けてみようと考えていた。計算上は、年間52週×週2日=104日となる。

 一月は恒例の禁酒をしていたので、二月に入ってから、一週間に二日のペースで禁酒をスタートしたのだが、何だかんだで週二日禁酒するということは簡単ではない。

 週一日禁酒の週もあれば、仕事が重なって無理の週もある。

 それが、突然、禁酒のスイッチが入ったのである。

 きっかけは、このブログでも書いた「腸の内視鏡検査」を行ったときのことである。C先生の問診時に、おいらの健康診断結果表を持参していたのである。何故か友人のような気がするこの先生とはウマが合う。

 酒談議をしていると、先生がおいらの健康診断表を見ながら、

「毎日飲んでいると、アルコール依存症になってしまいますよ」

と悪気もなく、ご宣告されたのである。

「それに、折角週二日止めるのなら、続けて二日止めなさい」

と、止めを刺されたのである。

 このとき、突然、おいらの脳の中にあるスイッチが入ったのである。

「よし、俺も男だ。絶対に100日止めよう」(続く)


年間100日の禁酒(中編)

 もともと、酒を止めようと思えば、何時でも止めることは出来たのである。ただし、それには力がいった。


写楽


「晩酌を止める」と、力を入れなければならないのである。

「そんな堅苦しいことは云わずに飲みなさいょ」という悪魔のささやきに抗わなければならないのである。

 それが、先生のご宣託で「週二日、連続して止める」と思う様になったのである。

 ここのところの説明は難しい。脳のスイッチが入ったというのが正直なところである。「禁酒のスイッチ」とでも云おうか。

 ぱっと、週二日止めようと思ったのである。

 だから、それからは、力を入れなくても不思議と禁酒が出来る様になった。毎年恒例の年末年始の禁酒のように気合いを入れる必要は全くない。

 今日は晩酌をしない。そのスイッチを入れる。ただ、それだけである。

 一つだけ、付言すると、「酒がないと寝付きが悪い」ということのないようにしている。

 この種明かしは簡単で、程好い疲れが出たところで寝れば良いのである。

 程好い疲れは、昼間存分働けば、自ずとやって来る。また、後述するが、夕食後の時間が有効に使えるので、それもまた健康な疲れを招いてくれるのである。

 それに禁酒の効用もある(続く)。


年間100日の禁酒(後編)

 では、何故、禁酒すると良いのか。


ダバダ


 禁酒してみると、その良さが分かる。「騙されたと思ってしてみなさい」のレベルを超えている。

 禁酒は、してみるべきである。


1.翌朝の爽快さ

 翌朝の爽快さがまるで違う。若いころの忘れていた、爽快さを味わうことができる。一晩よりも二晩禁酒した後の翌々朝の爽快さはない。

 恐らく、普段、酒で胃腸を酷使しているのである。勿論、肝臓や膵臓もフル回転である。それらが皆、開店休業となるのである。体が休まると云う感覚が戻ってくる。

2.夜の時間が倍に

 夜の時間が倍になる。当たり前だが、酒を飲むと、素面(「しらふ」と読む)ではなくなる。素面でなければ出来ないことは多数ある。

 さすれば、夜でも昼間と同じ様に時間が使える。ひっきょう、疲れが出て、心地よく眠ることが出来る。

3.美味しいハーブティー

 酒を飲まない代わりに美味しいハーブティーが飲める。おいらはハーブティーが大好きなのである。酒代りのご褒美として、こういう良いこともある。


 ま、この三つかなぁ。

 酒を飲みたいというのは、「脳が飲んだときの状態を求めている」訳だが、それ以上にこういう良いこともあるのだ。

 確かに長年続けてきた晩酌を止めるのは寂しいかも知れない。しかし、それ以上に良いことが多くあると思えば良いのである。


 そこで、今年のこれまでの戦績である。

一月 17日達成(新年恒例の禁酒なので参考にはならない)

二月  2日達成(やる気なし)

三月  2日達成(忘れている)

四月  4日達成(やっと週1のペースに)

五月 11日達成(突然、スイッチが入った)

六月 15日達成(何と、二日に一日は飲んでいない)

七月 19日達成(とうとう自宅では晩酌を止めた)

 七月末まで合計70日の禁酒となり、年間100日の禁酒は直ぐにでも手の届きそうな勢いである。

 さて、この先どうなりますことやら(この項終り)。


休肝日その後

 先月の10日から12日にかけて、このブログで「年間100日の禁酒」を取り上げた。


じょっぱり


 今も「自宅では飲まない」という休肝日を続けており、8月末の段階で87日の禁酒を達成した。したがって、今月中に、年間100日の達成は確実となった。ご同慶の至りである。

 現在、5日に2~3日のペースで休肝しているので、このままのペースで行けば、年間150日達成も夢ではない。再び、ご同慶の至りである。


 さて、5月より開始した休肝日の設定は今月で4カ月目に入り、お酒を飲まなくても全く平気となったが、それでもやはり酒が恋しくなるときがある。

 それは、不思議なことだが、肉体的に疲れているときだ。無性に飲みたくなるのである。

 特に先週は所用が重なり、疲労が蓄積した。

 こういうときに辛いのは、寝るのに「力がいる」ということである。若い頃は疲れていても(疲れているから)そのまま泥のように眠れたが、年をとるに従って、眠るのにも力が必要になるようになった。

 そこで、酒の力を借りたいと思うことがあるのである。昔からナイトキャップ(寝酒)という言葉があるではないか、あれである。

 そういうときは、お酒を一杯だけいただいて、良い子をして休む。

 酒は、やはり百薬の長である。何のこっちゃ。




節酒その後

 このブログでたびたび書き込みをしているが、節酒を始めたのは今年の5月からである。


秋山巌


 したがって、約半年間、節酒を続けたことになる。通算すると、今年に入って約130回、酒を飲まなかった日を作った勘定になる。年間150日の休肝日も目前となった。

 もともと会社に入ってからは諸先輩に酒をきたえられ、酒を飲まない日は成人病検診の前日位しか記憶がなかった。少々の熱が出た場合でも、酒は百薬の長と欠かしたことはなかった。事実上のアル中である。

 それがこの劇的な変わり様である。

 では、昔と変わったことは何か。

 まず、自宅で飲まないことが定着した。晩酌を廃止したのである。畢竟、ダラダラと酒のつまみを採ることがなくなった。そのお陰であろうか、体が引き締まった。

 次に、前回も書いたが、一日が長くなる。夕食の後の時間が活用できるのである。読書は勿論のこと、小説の執筆時間としても申し分ない。

 また、急に現実的となるが、長湯になった。就寝前に少し温めの風呂にゆっくりと浸かるのである。極楽である。

 では、アル中もどきであったおいらがどうして節酒出来たのであろうか。

 深い理由がある訳ではない。

 おいらの大腸の主治医から、酒の飲み過ぎではないかと云われたのが発端ではあるが、それで止めるヤワなおいらではない。本当に、ちょっと止めてみようかと考えたのが引き金である。

 ところが、これがまったく苦にならなかった。毎年行っている正月の断酒では気合いと覚悟がいるのだが、そういう気持ちは微塵もなかった。不思議なことである。

 ただし、成功した陰に家族の協力があったことだけは伝えておこう。愚妻も晩酌をしていれば、不可能であったはずだ。幸い、家内は下戸である。晩酌をしなくても文句は云わない。加えて、節酒当初は、晩酌に向かない夕食を作ってくれたのだ。

 これは、定食風の食事、例えば焼肉定食や焼き魚定食のようにするのである。しかも、おいらの大好きな五目御飯にする。そうすると、ご飯とおかずが楽しみで、酒が不要となるのである。

 丼物もまた良い。おいらの近くに「スーパーOK」があり、その隣に三崎マグロを出す店がある。そこのマグロを使った鉄火丼などは美味この上ない。つまり、おいらの食いしん坊ぶりが発揮されれば、酒は不要なのである。

 ただし、断酒した訳ではない。現在でも宴席は1週間に2回程度のペースでお誘いがかかっている。

 節制している関係上、ついつい飲み過ぎてしまうのが問題ではあるが、ま、それ位はご容赦して貰おう。当分、この生活が続く。


 γ(ガンマ)―GTP考

 その後のおいらの休肝日である。


可憐な花


 γ(ガンマ)―GTP。

 酒飲みなら誰でも知っている。この数値が上がるとアルコールによる肝機能障害と診断されるのである。

 実はおいらは呑(のん)兵衛であるから、この数値が高かったのだ。

 標準値は50以下(70以下という説もある)である。だが、おいらは、ここ数年の定期健診で一昨年が150、昨年が200程度であった。

 毎日晩酌をしていたので、検査の直前に少々禁酒したとしても、数値が改善することはほとんどなかったのである。ひどいときなど、最大400を超えていたという記憶もある。確か、検査前日も酒を飲んでいたときだ。

 それが、今年の健診結果では、何と67まで下がっていたのである。

 これは、このブログでも述べているとおり、昨年の5月後半から休肝日を設けたお陰である。

 ここのところ、ずっと週4日酒を止めている。実行方法は簡単で、自宅では酒を飲まないことにしただけである。

 だから、γ(ガンマ)―GTPの数値が標準値近くまで下がったのだろう。

 酒飲みの考えることは単純である。これで、死ぬまで酒が飲める。嬉しくなっちゃうのである。

<教訓>どんなに呑兵衛でも、酒を控えるとγ(ガンマ)―GTPの数値は下がる。これは、おいらで実証済。


節酒その後

 節酒を初めて約1年半になる。


こまどり姉妹1


 現在は、平均すると週三日飲んで週四日肝臓を休めている勘定になる。年間200日の休肝日ペースである(昨年は5月から始めたので、年間160日の達成であった)。

 さて、節酒のコツを述べる。

 自宅では飲まないことにしたのだが、これだけではコツとは云えない。

「飲みたいときは飲む。無暗に禁酒しない」

 これに尽きる。

 ただし、これだと、今のように暑いときは、暑気払いとかなんとかの理屈を付けて毎日飲んでしまう可能性がある。

 そこで、コツを開陳すると、三日間連続して飲まないと不思議なもので、その翌日は「もういいや」と思うようになることである。

 これはおかしなもので、酒をのまないときは初日がちょっと辛い。翌日がもうちょっと辛い。しかし、三日目でほとんど平気である。

 だから、四日目以降は全く平気になるのだが、もっと云えば、五日以上連続して飲まなくなると、今度は逆に飲むのが怖くなるのである。

 これは、節酒の反動で、一旦飲み始めると今度は毎日飲むのではないかと思ってしまう恐怖なのだろう。実際、一旦飲んでしまうと、翌日もまた飲みたくなる始末だから厄介である。

 結局、酒は習慣性が強いということなのだろうか。これだけは未だによく分かりません。


迎え酒

 久し振りに二日酔いを経験した。


コーギー


 先週木曜日、気心の知れた連中と一杯やったからである。

 二日酔いの特効薬は、ない。

 昔は仕事場の引き出しに梅干しの瓶を入れており、温いお茶を飲みながら梅干しを齧った記憶があるが、実は、それも気休めである。

 薬局に行って、得体の知れない胃腸薬を飲んだことも数えきれないが、一過性である。

 結局、迎え酒に優るものはないのである。

 今回も翌日、迎え酒でやっと解放されたのであるが、この習慣、海外でもあるのだろうかとふと思った。

 斎藤秀三郎の「斎藤和英大辞典」(日英社、昭和3年。おいらは復刻版を入手している)で迎え酒を引くと、ちゃんと載っている。

 to take a hair of the dog that bit you(迎え酒を飲む)

 この表現は定番である。

 しかし、二日酔いになった場合、なぜ犬の毛をtake(haveでも可)しなければならないのだ。これが昔から不思議だったのだ。これについては、斎藤も言及していない。

 そこで、調べてみると、やはり海外の逸話(迷信)だということが分かった。

 あちらでは、狂犬にかまれた場合は、その犬の尻尾の毛を抜いて、傷口に当てると治るという迷信があるのだ。

 なるほどそれなら分かる。おいらは、外人に対しこの表現を使うたびに外人が大喜びする理由が良く分からなかったのだが、これで氷解した次第である。

 さて、斎藤和英は、迎え酒に次の表現も用意している。

 Like cures like.(二日酔いに迎え酒)

 この場合のLikeは似たものという意味である。似た者同士が慰める。つまり、酒が酒を癒すという英語である。

 英語にも上手い表現があるんだねぇ。納得。

 以上、二日酔いについてコネルのは終り。


 鞄(かばん)置き引き事件

 東横線に乗っていたときのことである。


プレイボーイ


 酔っ払っていると全くロクなことはない。

 その日も気の合う連中と一杯やったものだから、ついついメートルが上がってしまった。

 考えてみれば、自宅では原則として飲まない。だから、三日間断酒していた計算になる。飲むときは、反動で思い切って飲むのである。

 だからであろうか、ラストオーダーで日本酒の冷酒を一合追加したのがまずかった。

 これをほとんど一気飲みにしたのである。実際、この冷酒は旨かった。

 その後、場面は変わる。東急東横線の車内である。

 おいらは、目を覚ましていた。そろそろ下車する駅が近づいてきたからだ。

 おっと、ところが、手提げの鞄がないのだ。一瞬、鞄の中に携帯電話を入れていなかったかと思った。携帯がなくなると、少々やっかいである。鞄の中にパソコンを入れてはいたが、ほとんどバックアップを取っているので、直ぐには困らない。

 そう思いながらポケットをまさぐると、携帯が見付かった。

 良かった、しかし、これから少々面倒だ。下車して駅の改札で置き引きだと告げなければならない。

 いや、酔っぱらっているから、電車に乗ったときに鞄を持ちこんでいなかった可能性もある。どうだったのかと、考えなおしてみたが、やはり、足の下においたはずだと思い直す。

 しかし、足の間に挟んでおいた鞄を持ち去るとは良い度胸だ、と冷静になっている自分を発見した。

 おいらはいつも鞄を足下に置く主義である。今後は、抱えるしかないのかと、念のため、足下を覗いた。

 椅子の下の奥深い所においらの鞄が転げていた。東横線の電車は、JRと違い、座敷の下が奥まであるのだ。

 何だ、あるんじゃないか~。人騒がせな~。全く、酔っ払いは嫌いだよ。

 もちろん、何事もなかったような顔をして、おいらは下車した。誰にも悟られないようにして。

 やれやれ、酔っぱらいは、だから、困る。


 今年の禁酒日記

 2011年も正月から禁酒を始めた。


春の紅葉3


 この禁酒行事、今年でもう10年目くらいになる。

 理由は簡単で、毎年正月の中旬に定期健診を受けていたからである。せっかく受検するのであれば、綺麗な体で受検したいと思うではないか。

 そう、動機が不純なのである。

 しかし、何も正月にしなくても良いと思われるだろう。だが、元々は毎年秋ごろに健康診断をしていたのである。

 ところが、忙しいものだから、毎年少しずつ検査時期を年末にずらしているいうちにいつの間にか年を越していたのである。

 だから、1月の中旬に受検することになったのだが、これがツボにハマった。

 忘年会で疲れた肝臓は、正月にお酒を休むと喜ぶのだよねぇ。

 このため、正月に禁酒するというのが恒例になってしまったのである。それに、検査が終わった後に飲む酒の旨いこと。

 ま、一種のラマダンのようなものか。


 さて、今年も元旦から酒を断っている。

 そうは云っても、今年の受検日は18日(火)であるから、17日間の禁酒である。ただし、その間、仕事の関係上、避けられない酒宴が数日あるので、実質的には14~15日間の禁酒になるに過ぎない。

 実は、おいらの節酒も3年目に突入した。昨年は、年間で211日間の禁酒をした。約6割の日、酒を飲まなかった勘定になる。

 だから、例年苦しんだ正月の禁酒は、今年はほとんど苦にならない。

 われながら変われば変わるものじゃのぅ~。

 しかし、これも元はと云えば、好きな酒を一生飲み続けるための節酒である。

「酒なくて何の人生ぞ」の考えは、未だに健在である。諸兄よ、ご安心召されい。




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