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さすらいの天才不良文学中年
川奈ホテル わさび丼 伊豆
バック・パックの愉しみ、さすらいくん
関ネットワークス「情報の缶詰」4月号に掲載した、自由人事始に渡って転載します。
バック・パックの愉しみ、さすらいくん
時間が出来たらバック・パッカーになる(バック=背中、パック=荷物、リュック一つ持って旅行すること)、最高の贅沢である。
(特別付録)この四コマ漫画は、おいらの描いた四コマ漫画です。本邦初公開♪
数多くの海外出張を経験し、先進諸国への訪問は制覇したが、出張のときは自由時間が取れない。当然のことながらバック・パッカーにはなれない。併し、休暇を取ってのバック・パックは別である。思う存分、心の洗濯が出来る。ちょっとだけ躁状態になれるというのも良い。
アジア探訪では、バック・パッカーの本領を発揮した。香港、台湾、上海、蘇州、クアラルンプール、シンガポール、バンコック、アユタヤなどをバック・パッカーとして訪れた。
一番の思い出は、タイ、マレーシア、シンガポールの3カ国を一度にバック・パックしたときだ。このときはマレーシアの首都クアラルンプールからシンガポールまで移動するとき、飛行機ではなくわざわざアジア・オリエント急行(現在、バンコックからシンガポールまで営業中。なお、太平洋戦争時に旧日本軍がタイからビルマまで造った鉄道は撤去された)で移動した。
無論こういう芸当は旅行業者おしきせのパック旅行では出来ない。基本的にはフライトと宿だけを決めておき、後は現地に着いて風の吹くまま、気の向くままである。まずは、その町の循環バスに乗り大まかな土地勘を掴み、その後おもむろに路上観察に入るというテクを駆使する。
バック・パックしたくないと思った唯一の例外は、シンガポールのラッフルズ・ホテルに投宿したときだ。かのサマセット・モームが常宿していた部屋の傍で、同じレイアウトのスイート・ルームに泊まることが出来たからである。普通、海外でのバック・パックでは一日中歩き倒すのだが、このときばかりは終日部屋に居ても良いと思ったものである。
バック・パックの愉しみの一つに現地での食事がある。特に、現地の人と同じものを食べる喜びはまた格別だ。
おいらが果物の王様と呼ばれるドリアン(DURIAN)を初めて食べたのは、クアラルンプールの道端であった。
現地の人と同じように目の前で実を割いてもらい、手をスプーン代わりに夜店の端で立食いした。割いて直ぐ食べるので独特の匂いはなく、酸味の効いたとろけるクリーム・チーズのようである。もう一度食べてみたいと思う、筆舌に尽くし難い美味であった。尤も翌日のゲップには閉口したが。
シンガポールで現地の人に薦められたのは、ラクサ(LAKSA)である。スパイスの効いたつゆの中にうどん風の麺が入っている。つゆにはココナッツミルクも混ぜてある不思議な味だ。元々はマレーシアの家庭で、普通のお嬢さんが自家製の味として創ったものが発祥らしい。病み付きになる美味しさであるが、何故か日本で味わうことは出来ない。
食事と言えば、お酒も外せない。料理に限らず地元のビールが好きだ。アジア系のビールは皆それぞれ特徴があって愉しめる。中国ではチンタオ(青島)ビール、シンガポールではタイガー・ビール、タイでは有名なシンハ・ビール、ベトナムでは少し苦味のあるバーバーバー・ビールだ。特にチンタオ・ビールのカラメルのような香りは慣れると中毒になりそうである。
ところで、国内のバックパックもまた棄てたものではない。
忘れられないのは山形県のひなびた温泉を訪れたときだ。このときは宿も決めないで、小野小町が投宿したという小野川温泉に着いてから宿を探した。
翌日は、帰路を兼ねて東洋一の麿崖佛を探訪した。福島県相馬市の「百尺聖観世音尊像(個人が私財を投じ、しかも三代かけて今なお作成途上の仏像)」である(写真)。こういう希所もまだ日本には残っている。
さて、昨年バック・パックが自由になった身で最初のさすらいは六日町であった。酒田城の石仏(観音様)に対面し、感激のバック・パックとなったが、会社を辞めて自由気儘を満喫出来たのは束の間であった。
その後間もなく母が脳梗塞で倒れ、看病のため定期的に広島に帰省しなければならなくなったからだ。ために、憧れのポルトガル行きも現在封印しているが、広島帰省ばかりではサマにならない。いずれ母の退院が近づけば、身近なところから再びバック・パックを始めたいと思っているが、さてどうなることやら。
イギリスは紅茶の国ではなかった
仏文学者鹿島茂氏の説を再び取り上げる。
それは、イギリスはもともとは紅茶の国ではなかったということである。何のことかと云うと、イギリスはかつてコーヒー王国だったと云うのである。
現在のヨーロッパでは、「紅茶の国イギリス、コーヒー(カフェオレ)の国フランス」と云うイメージが定着しているが、1700年前後のロンドンではコーヒーハウスの数がおよそ3千を超えていたというのである。
当時のロンドンの人口が60万だとすると、200人に1軒の割合でコーヒーハウスがあった勘定である。
これは半端ではない。実際、ロンドン名物のパブでさえ、千しかなかったのだから、この数は異常である。
実は、この時代のコーヒーハウスは、ただコーヒーを飲むだけの場所ではなかったのである。
政治、経済、芸術を語る場であり、何よりも情報の交換の場であった。何種類もの新聞がおかれ、時代の先端を行く場所であったのである。
余談ながら、あの有名なロイズ(海上保険の元祖)も1688年にロンドンのコーヒーハウスで生まれている。
ところが、1750年になると英国ではこのコーヒーに代わって紅茶が王座を占めることになるのである。じぇ、じぇ~。
有力な説は、こうである。
コーヒーはイスラム圏からの輸入であり、銀貨の流出を防ぐためにコーヒーのプランテーションを植民地に造ろうとしたのだが(オランダやフランスは成功)、イギリスは上手く行かなかったため、インドの紅茶にシフトしたというものである。
ところが、史実を調べてみるとイギリスがインドを手に入れたのは1763年であり、この説は成り立たない。
そこで、この原因が何かについて鹿島氏は深い分析を行なっておられるのであるが、その決定打はどうもないようである。
曰く、コーヒーは外飲み、紅茶は内飲み。
曰く、コーヒーは男性、紅茶は女性。
曰く、紅茶に高い関税をかけたので、禁制品に対するあこがれのようなものが芽生えた。
曰く、ブルジョワの勃興が原因である(ブルジョワになった雰囲気を味わうことができ、アフタヌーン・ティーの風習が生まれた)等々である。
しかし、どれもイマイチなのである。う~む、こりゃ、不思議じゃのぅ。
定説がないのである。皆さんも一度考えられたら如何であろうか。なお、おいらは「コーヒーが好きか、紅茶が好きか」と問われれば、紅茶派である。関係ないか。
伊豆への小旅行から帰浜お知らせ
土曜日、東伊豆への一泊の小旅行とし、昨夜、横浜に無事戻ってまいりました。
写真上は、今回宿泊した「川奈ホテル」(5階展望台)から眺めた太平洋岸です(ゴルフコースが眺望でき、手前はホテルのプール)。
雨男のおいらにとって珍しく天候に恵まれ、絶景となりました。
さて、今回の小旅行は大磯でコンサートを愉しんだ後、川奈へ宿泊し、河津で「わさび丼」を食するなど濃密な二日間となったのでありまする。
この顛末は来週以降にお知らせしたいと思いますので、皆さま、それではよろしゅうに。
伊豆への小旅行、川奈ホテルに泊まる(その1)
宿に泊まるということは、どういうことか。
若いころは、機能的なホテルであれば、ただそれだけでよいという思いが強かったように思う(写真上は、川奈ホテル内部)。
外で飲んでホテルに帰れば、後は寝るだけということが多かったので、ホテルに必要な機能はぐっする眠ることができることである。だから、ビジネスホテルで充分である。
つまり、若いときの価値基準とはそういうものである。いわば文化など不要で、文明が全てである。
恥ずかしい話しだが、若いときに箱根の「富士屋ホテル」に泊まったことがある。今では過去の遺物となった社員旅行の宿泊場所であったが、今から思うと結構、良い場所に泊まっていた。
富士屋ホテルは趣があってなかなか良いホテルであった。同宿した親友のK君が薀蓄を述べてくれた。しかし、当時のおいらは豚児である。しかも、社員旅行の宴会というのはデリカシーを棄てなければ付き合ってはいられない。
畢竟、そのホテルで宿泊する良さなど味わうことなく、どんちゃん騒ぎだけして帰路についたのである。アホの極みであった。
ところが、文明など何ぼのもんじゃい、文化に優るものはなかろうという人生の本質に目覚めてから、ラッフルズ・ホテル(シンガポール)に宿泊したときのことである。
別荘型(リゾート)クラシック・ホテルのすばらしさにメロメロになったのである。
おいらは仕事柄、出張が多く、それまで、国内外のホテルには多数宿泊していたのである。
ニューヨークに住んでいたころは、居住していたアパート自体が都会型のホテルみたいなものであった。また、全米で開催される国際会議などに出席するときのホテルはほとんどが別荘型のホテルであったのである。
だから、都会型、別荘型を問わず、ホテルのことは知り尽くしていると思っていたのだが、ラッフルズのようなホテルは初めてだったのである。
サマセット・モームが長期滞在した理由が一泊しただけで分かった。おいらは、モームが宿泊していた部屋のすぐ傍の部屋(モームの部屋と同じ造りの部屋)に泊まったのだが、時間がたゆたうのである。
部屋は1階で、窓から見える景色はホテルの広い中庭である。居間は広く、天井には大きな扇風機がゆっくりと回転している。スイートで紅茶を飲みながら、中庭を眺める。至福のときである。このホテルから外に出たくないと思ったほどである。
そういうのを贅沢なホテルと呼ぶのである。
川奈ホテルはそういうクラシック・ホテルだと聞いていたので、おいらは大磯から車で伊東の川奈をめざした(この項続く)。
伊豆への小旅行、川奈ホテルに泊まる(その2)
大磯から川奈ホテルへ行くには、西湘バイパスを経由して国道135号線を南下する。
真鶴ブルーラインを通過し、熱海ビーチラインを通り、網代(あじろ)を経由して伊東に到着する。
そこからさらに川奈を目指すのである。
大磯を出発したのが午後4時50分ころであった。ピーティさんの演奏会が終わったのが、4時半である。この演奏会、いつもは4時過ぎには終わるのだが、今回の演奏は盛りだくさんでしかもアンコール演奏まであったのでスタートが遅くなったのである。
伊東に到着するまでは陽が落ちていなくて、進行方向の左側にはえんえんと太平洋が続いているのが見える。
おいらは何度見てもこの景色が好きだ。しかも、この景色を観ると、母と一緒にこの道を通ったときのことを思い出すのである。
母は生前、元気なときは毎年上京してきた。一年に一度、五月晴れの時期にやって来た。末弟も都内に住んでいるので、二人の息子に会いに来ることが生き甲斐でもあった。
母が上京すると、三人で旅行するのが愉しみとなった。母は富士山が好きだったので、富士山が見えるところに泊まった。おいらが車を出して母子3人が気兼ねない旅に出かけるのである。
行先は富士山が見える場所が良いということで、富士五湖周辺や熱海、箱根、伊豆などとなった。
おいらが運転するのである。だから、国道135号線を通ると母と伊豆半島を旅行したときのことが思い出されるのである。
おいらは母が好きな歌謡曲のカセットテープを用意し、道中、母が退屈しないように車中で聴いてもらうのである。下田に行ったときも太平洋を左に観ながら、春日八郎を聴いた。母は春日八郎の歌に合わせて別れの一本杉を口ずさんでいた。
さて、伊東を過ぎたあたりで陽が落ちた。伊東から川奈までは眼と鼻の距離である。
だが、とっぷりと暮れた伊豆半島は一寸先が闇である。おいらはナビを頼りに運転しているのだが、本当のことを云うとナビをあまり信頼していない。
周りには何もなく、しかも、狭い道でおいらの車の他には一台もいない。
当日は中秋の名月、スーパームーンである。助手席の愚妻がそのスーパームーンを見つけ、教えてくれる。
だがおいらは本当にこの先に川奈ホテルがあるのかと思いながら運転している。
突如、川奈ホテルの標識が見えた。少しして、ホテルが浮かび上がった。午後6時20分である。
おいらは車寄せに車を入れた。
ホテルの正面玄関を観ると車のドアを開けてホテルの従業員が声をかけた。愚妻とともに一礼をすると、車を預かっても良いし、おいらがそのまま駐車場に入れても良いとのことである。駐車場は目の前にあるので、おいらはそのまま車を駐車することにした。
ホテルの第一印象はすこぶる良い(この項続く)。
伊豆への小旅行、川奈ホテルに泊まる(その3)
チェックインの対応も良く、女性従業員がおいらたちの荷物を持って3階の部屋まで案内してくれる(写真は2階吹き抜けから見下ろす1階ロビー)。
中秋の名月だが、どうやら今日はあいにくの曇り空で(先ほど見えたスーパームーンは一瞬だったようだ)太平洋を望む眺望の部屋からはその月が見えない。
さて、このホテルは日本では数少ない歴史ある洋風クラシック・ホテルの一つである。
今月のトップでもお知らせしているとおり、大倉喜八郎の息子である喜七郎が昭和11年に大倉財閥の別荘として創ったのが始まりである。
平成10年の橋本龍太郎とエリツィン大統領との首脳会談(いわゆる川奈会談)を行った場所としても有名だし(写真下)、昭和29年のモンローの新婚旅行の宿泊先でもある(今月のトップ。再掲)。
ウイキペディアによれば、東急の五島慶太からこのホテルの前に伊豆急行線の駅を作る提案を受けたときの逸話が有名のようだ。
このホテルは、リゾートホテルの趣旨を理解されたそれなりのステータスのお客様が対象である。それらの方々は自家用車で来られるわけであって、電車で来場する一般客を対象としているわけではない。そのために騒がしくなることはこのホテルの趣旨に反するとして断ったというのである。エライ。
そうか、だからこのホテルは隔絶されているのだ。いやわざと、ホテルの前に駅などの野暮なものがないのだとおいらは納得する。
おいらは6時半から夕食を予約しているので、1階のメインダイニングルームに行く。
このメインダイニングルームのクラシックな雰囲気はサイコーである。このフロアの入り口の上にはオーケストラボックスがあって、往年は楽団による生演奏が楽しめたと云う。
そこで愚妻と味わったフレンチ料理がまた格別。おいらはゆったりとした気分でワインを堪能したのである。
部屋に戻り、このホテルの名物の大浴場ブリサマリナに行く。川奈ゴルフコースで一汗かいた後に入る浴場でもある。
ここは露天もあり、贅沢な造りの風呂場である。
露天風呂から天を仰げば、おお、スーパームーンが顔を出しているではないか。雲が晴れたのである(この項続く)。
伊豆への小旅行、川奈ホテルに泊まる(その4)
パソコンを持ち込んでいるので、ネットを接続しようと思ったら、部屋にその設備がない(写真は5階展望台から望むプール)。
おいらはワイマックスを使っているので、それによって接続しようとしたら圏外という表示が出てきた。そういえば、ここは電波が通じにくい場所だと家内から聞いていたことを思い出す。
そこで、フロントに確認したらここはクラシック・ホテルなので各部屋には接続しておらず、2階のライブラリーに行けば接続可能だと教えてもらった。早速ライブラリーに行くとネットが繋がった。
考えてみれば、リゾートに来ているのである。何もネットに接続する必要はない。それがおいらの結論であった。
翌日の朝食は、地下1階のグリルに行った。おいらは和食をチョイスし、ここでの食事も大満足。食べ過ぎになるほどであった。
どうして日頃は朝食に重きを置かないのに、ホテルに行くと腹いっぱい食べてしまうのだろうか。オ前ノ食イ意地ガハッテイルカラダ。ハイ、失礼シマシタ。
チェックアウトは11時なのでぎりぎりまで部屋にいたいのだが、館内の散策もしておきたい。
部屋に館内の案内図(フリー)があったので、それにしたがってホテルの内部を探検する。クラシック・ホテルの中は歴史の宝庫である。宿泊者でなければ観ることができない施設などがわんさかとある。
地下1階のグリルバーにオイスターバー。地下でありながら、ラウンジからは太平洋が望むことができる。また、過去のホテルのあゆみを展示したパネルコーナーも興味深い。モンローの写真はここに展示されていた。
1階のサンパーラー、メインロビー、ビリヤードルーム(ビリヤードルームは特別に見せていただいた。写真下)、2階の映写施設ルーム(外観のみ)も趣深い。
そして、5階の展望台に昇る。ここから眺めた太平洋岸は素晴らしいの一語。ゴルフコースが眺望でき、手前はホテルのプール。
以上、川奈ホテルを堪能したのである。以下、アンケートに書いた内容。
「愚妻の誕生日祝いに宿泊しました。
予想以上に満足した旅行となりました。大変有難うございました。
1.部屋のエアコンだけは、もっとフレキシブルに使えるとよいと思いました(おいらの注・クラシック・ホテルなので、全館同一のエアコンとなっており、個別に温度を調節するにはフロントに連絡が必要であった)。
2.ネット接続はライブラリーがありましたので、それで充分です。
最後に、家内は大変満足していました。お礼申し上げます。ラッフルズ・ホテルに宿泊したときと同じほど、いやそれ以上の感激でした。
貴リゾートホテルのますますのご発展をお祈り申し上げます」
最後に。愚妻は売店で販売されている自家製フルーツケーキをお土産に購入した。なに、おいらと二人で食べるためのものであるが、他所では入手できない、川奈ならではの土産品として有名なものである。これも美味じゃったのぅ。
いやぁ、川奈ホテルはサイコー。総評。今なお、当時の趣がそのまま多く残っており、別荘気分で過ごすことのできる安らぎの宿であった(この項終り)。
本日と明日はお休み
本日と明日は休日につき、お休みです。
写真上は、川奈ホテルのクラブハウス内に展示されていた川奈ホテル全景。手前の海側がゴルフコースになっています。太平洋側(相模湾)の色が濃いブルー。
写真下は5階展望台から観たホテルの東側部分。乾いたレンガ色の屋根に白い壁。スペイン風の外観に仕上がった建物だと分かります。
それでは、皆様よろしゅうに。
平成27年10月17日(土)
謎の不良翁 柚木惇 記す
これが噂の河津の「わさび丼」(前篇)
川奈ホテルを出発したのは、午前11時半。
チェックアウトの11時ぎりぎりにホテルを出て、荷物をホテルに預け、ホテルの周辺を散策したので少し遅いスタートとなった(写真上は、海側から観たホテル本館)。
ナビで河津「かどや」の電話番号をインプットすると約1時間で到着とある。
「かどや」は知る人ぞ知る「わさび丼」の専門店である。少し前だが、テレ東「孤独のグルメ」の松重豊が訪問した店である。
しかし、そもそも「わさび丼」なるものの正体が不明である。わさびの丼だよ、ご飯の上にわさびのかたまりが乗っているのだよ。辛いに決まっているではないか。でもね、それが旨いというのだから世の中は分からない。
ま、怖いもの見たさである。食い意地のはったおいらがこの店を逃す訳にはいかない。伊豆はわさびの名所で有名である。そこのわさび丼だ。愉しみ、タノシミ。
車は川奈から東伊豆の国道135号線を南下する。赤沢温泉、北川温泉、熱川温泉、稲取温泉をやり過ごし、河津に到着する。
今度は、その河津で右折して国道414号線を中伊豆に入る。天城峠の方向に車は走ると有名な河津桜の並木道を超える。車はひたすら河津七滝ループ橋の傍にある「かどや」を目指すのである。
景色を観ながらゆっくりと走ったので、1時間15分程度で河津七滝ループ橋が目の前に見えた。
もうそろそろ近くに「かどや」があるはずだ。そう思っていたら、ナビは河津七滝ループ橋を通らないで右折しろという。ハイ、ソウデスカ。
おお、そうすると、ちょっとした町並みが眼前に現れ、「かどや」の看板が見えてきた。到着したのである。
ときに午後12時50分(この項続く)。
これが噂の河津の「わさび丼」(中篇)
「かどや」はそれらしい雰囲気を出している。
建物はL字型をしており、右側がわさび園(わさび販売所)、左側が食堂になっている。
まずは車の駐車である。駐車場は広いので、ゆったりと車を留めることができた。
左側の食堂の中に入るとさすがに食事時だけあり、満席。
お客さんが並んでいるので、受付で名前と人数を記入する。10分ほど待っただろうか、おばさんが席に案内してくれる。席は座敷とテーブルの2種類があり、おいらと愚妻は座敷席につく。
メニューはお店の壁に掲示されている短冊から選ぶ。
最初に「生わさび付きわさび丼」が目についた。次に「ざる蕎麦付セット」というのが目に入った。わさび丼とざる蕎麦がセットになっているのだ。それがお薦めと聞いていたので、迷わずセットを注文する。定価が1,100円だったような記憶がする。
注文取りもそのおばさんが行った。同時に、おばさんが本わさびとサメ皮のわさびおろしをテーブルの上に置いていく。
「最初にわさびの茎の部分を手で折ってください。次に、わさびおろしに円を描くようにわさび本体をすりおろしてください。」
そうなのだ、「英国一家、日本を食べる」でも本わさびの特集をやっていたが、わさびおろしはサメ皮に限るのだ。そして、注文した品が手元に来るまでにわさびをすりおろすのである。
わさびは円を描くようにしてゆっくりとすりおろす。間違ってもカンナのように前後にすりおろしてはならない。これが意外に手間取るのである。おいらは愚妻と二人で仲よく円を描きながらすりおろす。
わさびをするのにもこうして作法と根気がいるのである。
さて、待つこと約10分。すりおろしたころにセットがやって来た。
わさび丼とざる蕎麦のセットである。
わさび丼はあったかいご飯の上にかつお節が乗っている。旨そうである。
おばさんが云う。
「わさびを中心に盛ってください。醤油はその周囲のかつお節だけにかけて下さい。蕎麦もわさびを付け汁に入れずに、蕎麦に乗せて食べて下さい」
なるほど、そうか。これほどシンプルな食べ方はない。
おいらはわさびをわさび丼の中央にど~んとてんこ盛りにする。そして、その周囲に醤油をかけてわさび丼が出来上がり。
醤油をわさびにかけてしまうと、わさびのつ~んとした香りが飛んでしまい、わさびが台無しになるのだ。わさびは、このつ~んとした香りが命である。
さあ、わさび丼だ。おいらはわさび丼を恐る恐る食べる。最初はあったかいごはんとおかかを口に含み、続いておろしたてのわさびを口に入れる。おや、不思議と辛くない。そして、わさびの香りが鼻を抜ける。
旨い!!!
思わず旨いと唸ってしまった。これほど単純で旨い食べ物があるだろうか。あったかいごはんとおかかとおろしたてのわさび。
これ食べちゃうとチューブ入りのわさびなんてもう絶対に食べれないよ(この項続く)。
これが噂の河津の「わさび丼」(後篇)
ではなぜ、これほどわさび丼が旨いのか。
それは、伊豆の生わさびが本物だからである(写真上は「かどや」の店頭で販売されている本わさび)。
わさびを造るには、きれいな水と一年中を通じて9度から16度の水温が保たれることが必要である。その条件に伊豆が最適なのである。
おいらは思い出すのである。その昔、課内旅行で伊豆に旅行したことがある。車2台に分乗して新宿から伊豆を目指したのである。
そのときになぜか、わさび畑を散策したのである。当時、課の構成メンバーは課長、副長2名、主任2名、事務職員2名の7名であった。
おいらは末席の主任で当時、本社に転勤して間がなかったので、この旅行の企画にはタッチしていない。だから、アイデアはK主任(おいらの親友でもあり、当時からの40年近い付き合いである)が出して、女性職員二人がわさび畑ツアーを考えたのだろう。
大の大人7人が何の因果かわさび畑を皆で歩いたのである。しかし、本物のわさびを間近に観たシーンが今でも鮮明に記憶に残っている。当時は何も思わなかったが、その後、伊豆に来るたびにそのときのことを思い出すのである。
閑話休題。わさび丼にもどる。
実は、わさびは科学的には成分が甘い。しかも、わさびは茎に近いほど甘いのである。
鼻に抜けるつ~んとした辛みはわさびの細胞が壊れるときにでるのである。この辛みの成分は時間が経過するごとに増えるのですりおろしが旨いのである。
さて、わさび丼を食した後は、デザートである。これがわさびアイス。
これも美味。癖になる旨さである。この後、道の駅でわさびソフトクリームも食べたのだが(食イ意地ハリスギ)、これも絶品。
おいらと嫁は生わさびが好きになってしもうたのである。「かどや」で本わさびをお土産に買ったのは云うまでもない。
なお、最後に、わさびはその昔、薬草であった。効能は、抗菌、抗カビは云うに及ばず、抗がん作用、血栓予防、消化促進などという。わさび、あっぱれ、云うことなしである(この項終り)。
本日と明日はお休み
本日と明日は休日につき、お休みです。
写真上は、中伊豆にある「大室山(標高580メートル。国指定の天然記念物)」。
大室山は、写真のようにプリン型の火山です。日本神話によれば、「大室山は姉で、富士山は妹」という由緒正しい山です。
今週始め、愚妻と一緒にリフトに乗り、大室山の山頂まで昇りました。
この山頂を周回するのを「お鉢巡り」(約1キロで20分程度の散策)と呼ぶそうです。
あいにくの霧で南アルプスや伊豆諸島を眺望することはできませんでしたが、火口だけはしっかりと観ることができました。
日本にもまだ、こういう素晴らしい景観があるんだなぁ~。心が癒されましたよ。
それでは、皆様よろしゅうに。
平成27年11月28日(土)
謎の不良翁 柚木惇 記す
中伊豆探訪(前篇その1)
10月、川奈ホテルに泊まったとき、伊豆に目覚めた。
母が元気だったころ、母は毎年5月に上京し、杉並にいる弟と3人で母が大好きだった富士山を観るために熱海や箱根、富士五湖などを周遊していた。
しかし、このいわば家族的大行事は毎年続けたので、ついには行くところがなくなり、当然伊豆にも行くことになる。無論伊豆最南端の下田にも行ったが、やはり、晩年は富士山周辺が多くなった。
そういうこともあって、今更伊豆でもないだろうと思っていたのだが、さすがに伊豆は観光地である。河津でわさび丼を食して、まだ、行きたいところが数多あることに気付いた。
ネットで宿泊先をサーフィンしていたら、民宿で鯵丼を食べさせる処を見つけた。獲りたての鯵をタタキにした漁師飯である。
寿司屋に行くとおいらがたのむ光もの3点セットは、コハダとアジとサバである。特に市場から直行の鯵の刺身は絶品である。
その鯵丼は網代温泉(正確には熱海との境界近くの南熱海)に所在していた。そこで一泊し、翌日を中伊豆探訪にあてたいと、いや、正直なところ、鯵丼が喰いたくて伊豆に出向くことにした。先月のことである。
昼前に横浜を出て、東名に入り、定番の海老名サービスエリアで昼食をとる。
おいらは高速道路に入ったら必ずサービスエリアを利用するのである。高い高速道路料金がどういう風に使われているのかを見るためでもあるが、最近のサービスエリアは一大テーマパークになっているからである。行かない手はない。単純に愉しめるのがよい。
海老名サービスエリアには、イタリア、ラ・モリサーナ社謹製スパゲッティを使用している本格派パスタ専門店「パレットパスタ」が入っている。
当然、客が注文してからパスタをゆでてくれる。アルデンテで食べさせてくれるのがまたよい。
麺類の食感にこだわるのは日本人だけではない。スパゲティの本場、イタリアでは麺のゆで方はアルデンテにするのが通である。
「アルデンテ」、そう、歯ごたえがあり、シコシコした麺のコシの強さのことだ。
ゆで過ぎやそもそも麺にコシのない蕎麦やうどんはおいらは嫌いである。それと同じでパスタもアルデンテに限る。
いやあ、サービスエリアの中にあるパスタ屋にしては上出来。美味しゅうございました(写真上は「ボンゴレ」、下は「海老とアスパラのトマトクリーム」。愚妻と二人で取り分けました)。
さあ、これから、網代温泉で鯵丼である。何のこっちゃ、グルメ旅かいな(この項続く)。
中伊豆探訪(前篇その2)
東名から厚木小田原道路を経て地べたに入り、道は一本道である。
真鶴ブルーライン、熱海ビーチラインを経由して国道135号線を南下するのだが、これが2車線なので、早い話しが混む。渋滞するのである。
しかし、おいらが網代温泉に向かったのは日曜日。つまり、おいらの反対方向は首都圏に帰る車で数珠つなぎ。うんともすんとも云わないくらいの大渋滞となっている。
それに対し、おいらの車はスイスイと網代温泉に向かう。これは車乗りの性(さが)で、優越感に浸ってしまうのだよねぇ。しかし、そうは云ってもあの渋滞は気の毒だなぁ。熱海の問題は交通の問題でもある。
さて、無事、民宿に到着したおいらは浴衣に着替え、ゆるりと温泉につかる。
ざぶんと湯船に入る。お湯を湯水のように使う。当たり前だが、これがたまらん。何もしないでただ湯船から外の景色を観る。こういうのを贅沢と云うのである。
さあ、お待ちかねの鯵丼。
皿の上の鯵のタタキ(写真右上)をドンブリの上に載せる。
こうして鯵をよく混ぜて食べる。まいう~。地元の人は、こういう捕りたての魚を毎日食べているんだろうなぁ、やっぱ、隠居したら田舎に住むのが一番なのかなぁ、そういう他愛もないことを考えながら美味に酔いしれる。
なお、この民宿自家製の「烏賊の沖漬け」が特筆。
烏賊の塩辛と違い、烏賊そのものの味を生かした漬物になっており、旨味、ほどよい辛さ、食感が絶品である。お土産に瓶詰を購入して自宅に持ち帰ったほどであった。まったく食いしん坊なんだから。
伊豆は前回泊まった川奈ホテルのようなクラシックホテルもあれば今回のように気安く泊まれる民宿もあり、気軽にふらっと立ち寄ることができるのがよい(この項続く)。
中伊豆探訪(中篇その1)
翌朝は定番の朝食3点セット(焼き魚、卵、海苔)で腹ごしらえをする。
しかし、普段はあまりこういう和食3点セットを食べないのに(おいらの場合、朝食はパンが多い。余談だが、朝はパン、昼は麺類、夕食でやっと米飯となるのが日本のお父さんのパターンではないだろうか)、旅行に行くと朝ご飯をお代わりまでして食べるのはなぜだろう。
川奈ホテルでも朝食(写真上)は、「和洋どちらになされますか」と聞かれ、おいらは即座に和食と云ってしまった。しかも、あまりの美味しさに腹いっぱいご飯を食べてしまった。
こういうことはおいらだけかと思っていたが、おいらの敬愛するM先輩(全オム連会長)のご夫婦もそうらしく、朝ご飯を美味しくいっぱい食べるお蔭で昼食は軽くならざるを得ないようだ。
閑話休題。
今回の目玉である城ケ崎に向かった。
伊東八景の一つである城ケ崎海岸には、断崖絶壁のスリルを味わうことができる吊り橋がある。吊り橋マニアが一押しの城ヶ崎名所であり、海からの高さ23m、長さ48mの吊橋である。
高所恐怖症の人にはたまらんだろうなぁ。
さて、そもそも城ヶ崎海岸とは、大室山が約4千年前に噴火したときに溶岩が海に流れ出し、海の侵食作用で削られてできた海岸である。
この海岸線が絶壁の連続で、景観が素晴らしい。ここに行かない手はないのであり、まず、おいらは富戸港に向かった。
富戸港から発着する遊覧船に乗って、海から城ヶ崎海岸の絶景を愉しむためである。
幾重にもふところ深く入り組んだ岩礁、岬から岬へと続く眺めはまさに壮観である(約30分の乗船。料金1,500円)。
海が見える観光コースの場合、おいらは必ず遊覧船に乗るのである。その昔、物流は皆、船であった。船に乗って初めて分かる地形もある。
なお、船が少々小さいので船酔いする恐れあり。おいらは珍しく軽い船酔いとなった。ご注意あれ。
さて、下船した後は城ケ崎の吊り橋を目指す。灯台(高さ約25m)と展望台もある。
この灯台を中心に全長9kmのハイキングコースがあり、この中にお目当ての吊り橋がある。
だが、今は工事中でこの吊り橋を渡ることができなかったのである。残念!!
悔しいので写真を撮りまくる。
城ケ崎海岸は、なかなかのものである。
なお、おいらは「雨はふるふる 城ヶ島の磯に / 利休鼠の 雨がふる」という「城ヶ島の雨(北原白秋作詞)」が城ケ崎の景色を唄っていると混同していたのだが、調べてみると、城ヶ島は神奈川県三浦半島の南端にある島であり、城ケ崎とは関係ないことが分かった。
思い込みというのはやはりあるものじゃのぅ(この項続く)。
中伊豆探訪(中篇その2)
続いて、大室山に昇る。
昨日述べた城ケ崎海岸は、この大室山が噴火したときの溶岩でできたものである。
それにこの大室山は神話によれば、世界遺産である富士山を妹とする姉の山である。しかも、形状がプリンときているのだから、ここに行かない手はない。
車は大室山に向かう。
おっ、その途中に「怪しい少年少女博物館」があるではないか。だが、この話しは明日に。
さて、大室山はなぜこのようなプリン状に仕上がったのか。それは、大室山がマグマの噴き上がりによって出来た火砕丘だからである。
つまり、多孔質の岩石が累積することによってできた「おでき」(これを「スコリア丘」と呼ぶらしい)のようなものである。日本の代表的スコリア丘だと紹介されることが多い。
この山は高さ580mであり、昔はどこからでも山頂に登ることができたようだが、山腹が荒れるため現在では登山が禁止されている。このため、山頂に行くには北麓の有料リフト(500円)を使用するしかない。おいらはミーハーなので、喜んでリフトに乗る。
山頂に登ると、周囲が約1キロのスリバチ状の火口が見える。しかし、当日はあいにくの天気で全く火口が見えない。
火口の周りには遊歩道が整備されているので、周遊(これを「お鉢周り」と呼ぶ)ができる。一周は徒歩約20分と聞き、愚妻とともに歩く。すると、ガスが晴れて火口が見えた。ブラボー!!
火口の底には観光アーチェリー場があり、火口北側の中腹には浅間神社が置かれている。
国の天然記念物に指定されているが、2010年と最近のことだ。これほどの火山であるのにもかかわらず、対応が遅いのぅ。
とにもかくにもこの大室山のプリン形状には、ほれぼれする。皆の衆、一度は行くべし、大室山(この項続く)。
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