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倒 産からの人生というお話をします。少し古い話ですが、登別温泉に1200人収容という世界最大の観光温泉旅館・第一滝本館というのがあります。昭和2年 に、南 外吉という人が買い取ったものです。南 外吉は、空知川のたもとで船運、水運会社を経営していました。東京方面からの物資を運んできた大きな船が 河口を上がれないので、小船に物資を乗せ替えて札幌近辺まで積んできて、下りも農作物を運び、その両方の船賃を得ていたので巨万の富を築いていました。
そ れがある日台風で洪水にあって倉庫も船も流されて無一文になってしまうです。それで、お金に困った外吉は、札幌で風呂屋の三助さんをすることになったので す。公衆浴場のお客さんの背中を流しながら釜炊きをやるんです。(私の話にはよく釜が出てきます)そのうち、札幌の家々が個人で風呂を持つようになって、 銭湯がたちいかなくなったんです。「閉鎖するから、あんたも辞めてくれ」と言われ辞めさせられたのです。
今度は、北見の方に300坪の土 地を借りて、大豆の作付をするんですが、それが大豊作だったため、翌年には全財産をはたいて3000坪の土地を借りて同じように作付けをしたら、今度は大 雨で全然収穫が出来なくて、また無一文になり、それどころか借金を抱えてしまったのです。その後は、息子を旅館の養子にやっていたので、息子にやっかいに なるかたちで、その宿の下男という仕事で、上司が息子という状況で勤めることになりました。
苫小牧の駅で、旅館の案内をするために吹雪の 中ずーっと立って客を待っていたそうです。列車の着く時に、南 外吉の姿が無かった事はなかったそうです。明治の初期に、登別の温泉に2件の旅館があっ て、滝本さんという老夫婦が二人で五室ほどの旅館を経営していたんですが、まったく継続者がなくて「誰か買ってくれる人はいないか」と言っている時に、た またま登別森林軌道の社長がいて「あんた、滝本館を買わないか」と外吉にもちかけたんです。
一方は小さな旅館の釜炊き男、一方は森林軌道 の社長、どこかに接点はあったのかというと、この社長は、毎日毎日吹雪の中でも必ず駅で立ちつくして客を待って呼んでいる外吉の姿をずーっと見ていたんで す。外吉が「私は釜炊き男をしていて蓄えなどないし、そういうお金はないから」とその申し出を断ったら、
その社長は「そんなのわかっている。私が全部貸してあげるから、お金が出来たら返してくれ」と言ったそうです。外吉は、滝本館を買いとって、その結果なんと五室の滝本館を三十年間に四百室の世界最大の温泉旅館にした。