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■最近、山登りが趣味のようになってきた。山登りといっても本格的なものではなくて、ふらっといって、5~6時間山ですごして、温泉でもはいってくるという、お気楽な山の散策だ。高尾山、筑波山、袋田の滝散策などいろいろ気軽にいけるスポットが多い。すばらしいのが、だいたいどの山にもケーブルカーなどがあってかなりショートカットできること。これがなかったら、相当に時間と装備がかかる。まあ、そこが醍醐味なのかもしれませんが、お気楽山登りなんで。体力がそれほどなくてもいいし、つかれたらそれこそケーブルカーで降りていけばいい。その選択肢があるだけで、初心者にも相当安心してオススメできる。体力差がある男女でもあまり関係なくなる。いろんな癒し系のものは多くありますが、自然には到底及ばないな~というのが感想。一日山で過ごすして、木にでもさわっているほうがよっぽどリフレッシュして元気になる。しかもよく歩くので健全だ。というわけで、最近御岳山にいってきた。とっても由緒正しい霊山らしく、起源前から祭られていたらしい。ここも、他にもれず、神社に滝に、温泉に満喫できる。境内でのんびりしているとふと目に留まるポスターがあった。『原点回帰』と描かれたそのポスターは、滝打ちをやっているものだった。いやーやっちゃおうかな~と、滝打ち。こういう夏のすごし方もいいかな~と。男性はふんどし、鉢巻で打たれるらしい。なんか本格的。すっきり楽しんできます。
2006年08月25日
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■今日は本をよんでてよかった言葉です。勇気とは、恐怖に対する抵抗であり、恐怖の克服であって、決して恐怖がないわけではない。マーク・トウェインコミュニケーションの失敗によってできた隙間は、害になるものや愚痴や偽りであっという間にうまってしまう。C・ノースコート・パーキンソン
2006年08月17日
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■会社を辞めていろいろ考えたんですが、実家に帰ってそこでいろいろ進めていこうと決意しました。ある人に言われていたんですが、『会社にいながら、なにか次のことを考えても、 鳥かごの中にいるようなものだから、 次の鳥かごに移るか、その鳥かごに戻るかばかり考えてしまって、 なかなか、本質のやりたいことが見えてきにくいよ。 一度完全に鳥かごから出てから考えてみるといい。』なんていわれていたんですが、まさにそのとおりでしたね。会社を辞めたことのある人ならわかると思いますが、すごい開放感があります。同時にそれはどうなるかわからないという恐怖も伴うんですが、とにかく開放感があります。そうすると、今まで考えなかったことや、視点が出てきます。そのなかで、本物はなにかを自分の中に自問していくと、とっても純粋な部分が出てきます。エゴや、恐怖からでなく、純粋な意識というかなんというか。その状態で、考えると何か人生に一筋の線があるように思いました。『その線をたどってきていて、今にいる』と。そして、自然にその線の次を見るとやりたいことがフワッとでてきます。とても面白い体験でした。そしてこれには絶対感があります。自分がそう思っているということに関して、間違いないという感覚があるんです。そうなると、やれる、やれない?とかの損得勘定でない、純粋にやりたいか、やりたくないか?で判断できます。そこには、他の一切の価値判断が存在しないため、絶対感があります。どうなろうとも、やりたいもんはやりたいという。今はやりたいことに向けて自分を整理しています。
2006年08月13日
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■いきる。今日、喫茶店でなにかのポスターにかいてました。『I KILL』とかいて『生きる』たしかにそう読めます。別にそこには詳しい説明はなかったんですが、おもしろいな~と。生きるとは『I KILL』だと、、つまり、自分を殺すことだと(ちょっと無理やり訳)自分を殺して、己を生きる。自分を安全に身をおこうとすると自然と、守りにはいって人生を生きるということから離れていってしまう。うまいこといってるな~と。人生を生きるというのは、ある種、瞬間にかけていくことであって、それは自分がかわいいだとか、いとおしいとは違って、自分という存在との戦いになる。でもそれはとっても生きるというこのように感じる。生命が爆発してくる。無条件に、そして無目的に爆発してくる。『I KILL』とかいて『生きる』いいですね~。
2006年08月11日
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■しばらく実家に帰ってました。いいですね~田舎は。いろいろわかりました。土はいいですね。都会にもどってくると、なんていうか気(みたいなもの)がほとんどないのがわかりました。土をアスファルトで覆っているのが多分もんだいです。植物というか土の問題かなと。燃料(エネルギー?)をつなぐラインがたたれているようなもんですね。勝手な感覚ですがいろいろ感じました。
2006年08月05日
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■送別会ラッシュです。こういったものはありがたいですね。お花や、色紙への書き込みなどをみていると、いろいろなことに浸ります。やれるだけやってみるですね。
2006年07月28日
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■茨城に2日ほどいってきました。筑波山がメインだったんですが、袋田の滝や、偕楽園などをまわってきました。最近、山歩き、トレッキングが趣味のようになってきています。ふらっと山にいって、2~3時間ふらふらと歩いて帰る。思ったより良いです。山は人を元気にするのかなと実感します。いい場所、そうでもない場所などいろいろありますが、元気になるのは間違いないです。今回の茨城散策は特に袋田の滝がよかったです。梅雨の雨で増水した滝は、爆音を立てて豪快に滝つぼに飲まれていきます。その水しぶきが見ているほうまで上がってきるんですが、それだけで、滝に打たれているかのようです。そばを散策でき、滝を上から展望できたりしてとても充実しています。茨城にいかれることがあれば是非お立ち寄りになることをオススメするスポットです。
2006年07月24日
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■岡本太郎明日の神話が話題だ。日テレにあるというので見にいった。運悪く雨が降っていて、雨天の場合はカバーがかかっていて見えなかった。まあそういうこともあるだろうと、表参道の岡本太郎館に行ってきた。おもしろかった。本当に絵が、不敵に、なんじゅこりゃ、迫ってきて、挑戦してくる。芸術作品は本物をみるとちがうな~といつも思う。印刷するとなんであんなにパワーがなくなるのか良くわからないが、とにかく実物は圧倒的だ。太郎氏が住んでいた家がそのまま博物館になっているようで、アトリエなどいまだに息遣いがあるかのようだった。苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しんで、それで爆発するそうだ。でも、最近似たようなことを体験してとってもこの気持ちがわかった。苦しみ続けるとなぜかどこかで、突然裏返るようなことが起こる。不思議だが起こる。これはなぜか苦しみぬかないと起こらないという不思議なものでもある。きっとそんな感じなんだろうな~と感じた。本がたくさん売られていたので買って帰った。なんだか本でも挑戦してきているかのようだ。とるかとられるかのやり取りをしているかのように読みふけった。とってもよかった。岡本太郎にはなれないが、私自身にはなれると思った。
2006年07月20日
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■ソースというワークショップに参加してきました。ツイてるファシリテーターさんのところでやっているワークショップに参加してきました。ソースとは、人生のいろいろな分野においてワクワクを実行していくと人生が充実するというような考え方です。プラス面に焦点をあてるワークなのでとっても楽しいです。いろいろと自分が楽しいと思うことをいろんな角度から見ていって、それをまとめ、ちょっと変わった手法で確信にせまります。重要な考え方が、have・do・beのように、もつ、所有する・する、おこなうそして、その本質である、be(ある)その本質に気づく(ワクワクの源泉)に触れるように生きればいいよというような感じです。(かなりはしょっているのであしからず)やってみるといろいろ気づきますね~。案外プラスの面に関する感性が鈍いことがわかりました。会社人生が長いこともあるのか、欠点というか、改善点を探すような思考回路を鍛え上げられています。ようは、悪いところをみつけて直すということなので、あんまりワクワクしたり楽しい気分にはなりません。これが進むと、自分がなにがすきなのかとかがよくわからなくなってしまいます。これから、じっくり自分の源泉をみながら行動していこうかと思った今日この頃です。
2006年07月17日
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■ハワイはオワフ島にいってきました。去年はハワイ島で、今年はオワフ島。いろいろ行ってるな~と。オワフはワイキキビーチのある、ハワイ屈指の観光スポットです。真珠湾や日立のCMのあの木なんの木もある、いろいろと日本人に馴染み深い島です。そこで1週間ほど楽しんできました。しかし、最近は石油チャージなるものがあって、航空チケットに石油割高分のチャージがかかるようになってます。往復で1.6万ほどとられてしまうのでなんともかんとも。さて、今回の観光はいろいろやってみようとおもいまして、ハワイのローカルバスをつかって島内を移動してみました。電車のないハワイではバスが主な交通機関です。バスはとっても安く、2ドルで島の反対まで連れて行ってくれます。さらに2時間以内の乗り継ぎならただになるという太っ腹。ハワイのほぼどのポイントまでも2ドルで移動できます。1時間ほどバスを乗り継いで島の反対にある、全米1位というビーチまで行ってきました。まあ、しかし効率的というかなんというか、どこで降りたらいいとか、掲示板とかの説明は基本的にないです。いったいどこで降りたらいいのか思案していると、隣にのっていたオジサンが見かねたのか、次で降りて道案内まで教えてくれました。親切な人もいるもんだな~。全米1位というビーチはラニカイというのですが、確かに綺麗でした。本当に綺麗なエメラルドグリーンの海、真珠のような真っ白な砂浜、余計なものが一切ない景色。さながら無人島にきているかのような景色です。交通の便がわるいので、人もまばらなのでゆったりできるビーチです。■また、今回もイルカと泳いできました。ツアーのオプションで頼んだのであまり期待していなかったのですが、予想以上によかったです。あんまりよかったので、2日連続で同じツアーに参加しました(^^野生のイルカと一緒に泳ぐのはなんとも格別な体験ですね。今回も20分くらい手が届くかというような距離でいっしょに泳ぎました。また、海がめもたくさんいまして、なかには人をみてもあまり逃げないやつもいるようで普通に触れたりします。また、たまたま満月だったのでとっても綺麗な満月とビーチを堪能したハワイ旅行でした。ちなみにハワイで一番気をつけないといけないのは、エアコンです。店内やバス内などわけわからないくらい、ガンガンにエアコンが効いています(^^。ハワイへのお出かけの際はエアコン寒さ対策をお忘れなく。
2006年07月12日
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ちょっと、一週間ほど日記が更新できなくなりますが、また来週末くらいから更新しま~す。ではでは~。
2006年07月05日
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■ついに会社を辞めました。といってもまだ有給消化してるとこですが。これからがワクワクしてきますね~。
2006年07月04日
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■繊細で細かい感じ。最近、そんなものを感じる。繊細で細かい。そんな表現がぴったり。敏感だけど、強いかんじ。敏感すぎて弱い感じがすることが普通だが、なぜか強い。神聖さというものに似ているのかもしれない。でも、繊細で細かいというほうがぴったりくる。自然に一生懸命になるのに必要な要素なきがした。
2006年06月29日
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■最近、整体やマッサージにいってみている。なかなか良いもんですね。背中が温かくなると、なんだかそうとうラクです。背中って大切なんですね~。こっているかどうかってあんまり自分ではわからなかったりします。だけれども、マッサージとかでもんでもらうと、どこがどのくらい固いか良くわかりますね。これは個人的な感覚なんですが、整体は骨は直してくれますが、こまかい筋肉のコリは難しいみたいです。マッサージは筋肉のコリや、柔らかくはなりますが、それを保つのが難しいみたいです。骨と、筋肉を正常にすると効果が倍増する気がします。得意不得意の分野をミックスさせるといいな~とおもいました。最近はクーポンランドなどの割引チケットを使うと半額なんてのも珍しくないので、いい世の中になったな~と。
2006年06月28日
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■知ると安心する。知るとなぜか安心する。だから、一部分だけでも特徴をとらえて判断したい。知っているものに分類できるとなぜか安心する。よくわからない生き物もひれがあるから魚だとわかると、安心する。人をみて、こういう分類の人だとわかると安心する。■面白いは少し変なところがおかしい。少しへんだからおかしい、まったくふつうだったらおもったらなにも面白くない。それは、いろんな価値観があってそこからちょっとはずれたりするのでへんでおかしい。でも価値観はみんなちがう。だから、みんなが共通で面白いとおもうことはけっこうレア。でも、なんかメディアの影響なのかどうかはわからないけど、面白いということも一つの価値観で、こうすれば笑う、こうすれば悲しくなるみたいなものを感じる。10人いたら、1人、プッて笑うのがとっても面白いのかもしれない。10人いたら、1人、ホロって泣くのがとっても悲しいのかもしれない。それぞれの人生の体験があって、それぞれ違うことをおもって生きている。少しずつ変わっていて、少しずつへんな人たちでこの世はできている。だから、おもしろいのかもしれない。
2006年06月27日
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■人のせいにしない。人のせいにすると起こる一番よくないことは、ぐだぐだ理由を考えてしまうこと。自分を正当化するために、あんなこと、こんなことを考える。さらに正当化する自分が矛盾無く正しくあるために、いろいろ行動にまで現れてしまう。人のせいにしない一番の方法は、受け入れること。でも、普通に受け入れるとはちょっとちがう。たとえば、なにか受け入れがたいことがおこって、でも受け入れないといけないな~となんとなく気づいているとき。ここで、受け入れるべきところは起こった現象をうけいれるんでなくて、受け入れがたいな~とおもっている自分を受け入れればいいんですね。起こったことを無理やり受け入れようとすることで、ストレスがたまったり、ぎゃくに楽観的になりすぎてあんまり感じないようになってしまうのが問題。受け入れられないもんは、それはそれでしょうがない。でも、それを受け入れがたいんだな~とおもっている自分は受け入れないといけない。でもそれを受け入れられないと、言い訳や、自己の正当化、人のせいに走るか自虐的になる。たとえばなぜ、それを受け入れないといけないと考えているのか?とかのほうが重要。ようは、なにかパターン化している思考に気づくことのほうが大切なんだけど、それを観るほうがめんどくさい上に大変なんで、だいたい、言い訳=正当化するか、麻痺=考えないようになってしまう。自分の状態に気づき、さらにそれを受け入れること。そんなことしてたら、あんまり人を責めたり、言い訳したりしないですみます。
2006年06月23日
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■最近あまり筆がすすまない。日記を更新しているのはどうしてだろうか?とも考えてみた。基本は言いたいことをいうため。最近、言いたいことが言えるようになってきているのかな?文章にする必要性をあまり感じなくなってきている。人生の変化としては大きな時期にあるので、日常的な変化ははなはな激しいけれども、なんていうか、こだわりがなくなってきている。いいのか、悪いのかはわからないけど、そんなことを感じる。少し思考からはなれているのかもしれない。最近、過去のことがすごい昔に感じる。もはや遠い思い出というか、違う人が体験したかのような感じもある。人生の転機ってのは、自分の人生に対して無理にでも観るようになる。このままでいいのか?他の選択はないのか?よりいい方法はなんなのか?なんにせよイメージというか想像で考えることが多い。すると、可能性なので悪いことも良いことも考え付く。考えるのに疲れると、なにもしないのが一番いいんじゃないかとおもったりすることもある。でも、過去した自分の決定や、決断が現在にきいてくるので、物質的な流れはうまれている。廻りも変化していく、自分も変化していく。どうしたって未来はわからない。(量子論的にもそうなる)だったら、やりたいことやるしかないんだな~ともおもう。何をやる、という具体的なものより、どういう方向に行きたいくらいなら決められる。その方向のなかで見えてくるものを捕らえるのがいいのかな~ともおもう。なんにせよこだわりがなくなってきてるな~と感じる今日この頃。でもシンプルだな~。
2006年06月21日
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■静かなる意識。自立した精神には、静かさがやどる。独立していて他からの影響力がすくないからなのか?否。自分を否定できる強さをもっているからだ。自分を否定するのは怖い。自信というものを揺るがされるし、気分も悪くなる。そうだと信じたことを曲げるのは大変だ、だからといってなにも主義主張をもたないと、自分がわからなくなってくる。主義主張というか言いたいことというくらいの感じかな。言いたいことが無さ過ぎると、自分を否定する要素はなくなる代わりに他人の意見に左右されすぎる傾向がうまれる。これの最大の欠点は他人の責任にしがちになること。今の自分の状況を他人のせいだとしてしまえば楽だわな。自己の主張に気づきながら、過去行った主張にもとらわれない勇気。都合がいいだけのような感じもするけど、過去の自分も認める度量の広さが必要。だれの味方でもなく、自分の味方で在り続ける。廻りとの軋轢という恐怖が今度はやってくる。その影響かにありながら、静かであること。頼るものを必要としない強さ。だからこそ静けさがある。そして、今という瞬間に最大の力を出せるということでもある。その人には困るということがあまりない。大変だな~とおもう程度だ。静けさを手に入れた代償といってもいいかもしれない。つねに自分に敏感であるために、自分を偽ったり割り切ったりすることが難しくなる。仕事は割り切ればうまくいくことが多い。自分はもう売り上げとかどうでもよくなっているのに、立場上それを言い続けることは本人に非常にストレスをあたえることになる。素直になればいいのかもしれない。素直なのは自分の状態と他人の意見にも素直になるということ。そうなれば、自然と動きがでてきる。不自然な力が働かないので、流れているような感じにも思えるかもしれない。たくましくあることが自然なのかもしれない。おそらくそういう本人は別にたくましいともおもってないだろうけど。
2006年06月13日
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■量子論パソコンとか、テレビ、携帯電話とかの実用化ができたのはこの量子論のおかげ。量子論以前の科学と、その後の科学が分けられるほどすごいもの。(相対性理論もふくめ、量子論以前の科学は古典科学と呼ばれている)どういったものかというと、未来はさっぱりわかりませんということ(^^たとえば、サイコロの出る目を予測するとして、サイコロを投げた瞬間の状態を正確に把握することができれば、その後の運動(動き)を予測することができるので、投げた瞬間に、結果が決まると。そんな感じで、世の中のすべての物理現象と法則を詳細に把握できる存在がいるとすれば、未来は決まっていると考えることができる。ってことで考えていたのが古典科学。そんなの無理ですって証明したのが量子論。■量子論で特に重要なのが、原子の構造。原子の構造ってのは、中学くらいの理科でならう。原子核(陽子と中性子)と電子で出来ている。私たちがならった、原子のモデルは太陽と惑星のように、原子核の周囲を回転するように回る電子。って感じだとおもう。正確にはちょっと変わっていて、原子核の周りを電子の雲が取り巻いているイメージの方が正確だってのが量子論的。電子の動きは、円ではなく、紐をつなげたような形。ここでまた重要なところが、運動方向を特定しようとすると位置がわからなくなり、位置を特定しようとすると運動の方向がわからなくなる。という特性をミクロの世界では持ち合わせている。これは、光は波であり、粒でもあるってこととも似ている。電子や原子、分子も波と粒の両方の性質をもっていることがわかっている。■これでは良くわからない?でも、わかっていることは、世の中を構成するもののほとんどは波と粒の両方の性質を併せ持つというもの。これは、そのものの本質ではなく、そのものの1側面をみているということ。ドラマをみて、俳優の性格が役の性格と判断するようなもの、1側面だけではよくわからん。つまり、原子や光の全体像を想像することはできても、その本質を理解することが難しいということ。だってイメージできないでしょ、波と粒の性質をもって観測するまでは特定されることのない、つまり同時にたくさんの可能性を含めた存在って言われても。(言葉そのものを信じるとしても、その存在を正確にイメージするのは難しい)■どうして未来はわからないのか?それは、観測者の意図によって、物質があったりなかったりするから、、。正確には、可能性しかわからないということ。可能性なんだから、どんなことにもなりうる可能性がある。あとはその可能性が高いか低いかの違い。世の中そんないい加減なものと証明したのが量子論。でもどうして観察者の意図によって変化するのかはさっぱりわかっていない。これは意識したものの情報がたくさん入ってくるとかとは違う。まあ、そんな感じで量子論が存在して、それと相対性理論の二つを掛け合わせたような統合理論ってやつを世界中の人が探している。そんなものが見つかるといいな~とおもった今日この頃。
2006年06月09日
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■意味物の意味とは、その物を通した行為によって現れることである。たとえば、ただの棒切れも、杖にもなれば、ものを引き寄せるものに使えたり、闘いや、家を建てるときに使えたりと、その木自体には意味はなくとも、使用しかたによって様々な意味が生まれる。人というものを物と考えた場合、その意味や価値は存在しない。しかし、その人が仕事をしたり、誰かのためになっていたりすると、そこに他人が意味を作り出します。その他人の作り出した、その人の意味を私たちは探しているのかもしれない。自分自身で自分の意味を見出すなら、何をやってもいいという点である。他人が何を言おうと、何をされようと、自分でつけた自分の意味を貫く自由がある。他人のつけた意味は、その人の価値が他人にとってどれほど利用できるか?というものになる。自分の意味探しをしても無駄である。そのままで、意味をなす(私たちが意味という概念で捕らえているもの)ことはありえない。何かの行為を通してしか、意味は立ち現れない。だから、てっとり速いのは意味を求めなければいい。意味なんて探しても、かりそめの意味しか見出せないのだから。誰かのやくに立っている自分に意味がある。誰かを助けている自分がいとおしい。それもいい。でも、行き着く先は分離しかない。役にたつなといっているのではなく、意味などないということ。たとえば、誰かを助けているとおもっているのは自分の一方的な勘違いかもしれないし、単に価値観を押し付けているだけの可能性もある。他人に要素を求めれば求めるほど、その価値は希薄にそして脆弱になっていく。気に入られるためになんでもするか、それとも価値観を無理に押し付けるか。それもいい。だが、ほかの方法もある。これは個人の自由だが、そっちのほうがいいのかなとおもった。
2006年06月08日
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■相対性理論なんだか、博物館でうっていた本を買ってきてしっかり理解しようとしてみました。相対性理論は難しいというよりも、想像しにくい、というものなんですね。あまりにとっぴで、実生活とかけ離れているので想像しにくいのです。たとえば、私たちは地球に落ち続けているといわれてもよくわかりません。しかも、もし落ち続ければ地球の違う場所にいても地球の中心でぶつかります。つまり、空間がゆがんでいるのですっていわれてもね。ここの問題点は、決して3次元にいる私たちに正確に空間のゆがみを想像することは不可能な点にあります。空間がゆがむとして、それがどんなことを意味していて、本当はどんなことなのか?映画やアニメで視覚的にそれをあらわしたりしているものはありますが、本当はどうなのかはだれにもわかりません。そういった意味で、死後の世界に似ているのかもしれませんね。生きている間には、決してそれを完全に理解することは不可能です。想像したり、予想することはできても、決して本当かどうかを確かめることができないもの。そんな感じです。でも、それに挑んで、しかもみんなが納得いくように説明して、さらに原子力なんかにも応用したんだから、アインシュタインはすごい!!■相対性でもっとも重要なのが光の存在。光は物質界での最高速度、秒速約30万Km。これは普遍で、決してかわることのないもの。ゆえに空間や時間が固定したものでなく、やわらかい変化するものと考えられる。でも、その当事者にとっては時間や空間に変化はなく、違う相手から観察すると変化しているように見えるっていうのが相対性。また、エネルギーと質量は同じものと考えた。これが、もっとも有名な式E=mc^2となる。どういうことかというとキャッチボールなんかで、速い球をとると手がいたい。でも、スピードの遅い重い球をキャッチしても同じくらい手がいたい。みたいな感じで、速度が増すと同じものでも破壊力が増す、みたいなもの。もっというと、何も無い空間でもエネルギーがあれば、実体化(質量)するということ。重さ(m)がジュール(E)(1Kgのものを1m動かすエネルギー)と比例関係にあるってのが味噌。これはいろんなものに応用されていて、もっとも有名なのが核分裂、核融合。原子力発電や、核爆弾はこの理論からできている。重さのある物質が、どれだけ加速しても光の速度には達しないのも面白いところ。速さが増せば増すほど、質量も増していってしまい、最終的には質量が無限大になってしまうので、光の速度に達することができないってことになる。光は秒速約30万Kmだから、もし質量をもっていたらすさまじい破壊力になる。でも、私たちは普通に光を浴びている。ということは光には質量が無いことになる。ってなかんじで、光を完全に理解することは私たちにはできないってことでもある。(その特性の一部を理解することはできるが、本質的にどんなものなのかはわからない)縦、横、奥行き以外にの違う尺度がなければ決して理解できないものが多いんだな~と感じた。それは、時間でも空間でもない、なんかよくわからないけど4次元とよばれるもの。同様の理由で宇宙を完全に理解することもできない。3次元にいる私たちは、2次元も、1次元も理解できるが、どうしたって4次元は理解できない。想像したり、予想はできるが理解はできない。そして、それを完全に確かめることもできない。なんかいきついちゃったんだなーとおもいます。これ以上は、完全に進化しないとわからない。進化という言葉がいいかどうかともかく、4次元を経験しないとわからい。ってのが相対性理論から感じた結果。また、量子論を含めて考察してみよう。
2006年06月07日
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■ナスカ展上野の国立博物館でやってるのにいってきました。ナスカいえば地上絵、、という感じですが他にもいろいろあります。非常に保存状態のいいミイラ。脳外科手術をしたあとのある頭蓋骨。いろとりどりの土器。■特に土器が特徴的ですね。なんか愛嬌があるんです。シュールなんですが、愛嬌のある絵が面白いです。なんだか、NHKの教育番組か、宮崎アニメを思い出すような感じです。DNA鑑定をすると、ナスカの人たちと日本人は似ているそうです。どうも祖先を同じにする種族のようです。太平洋に沈んだとされるムーとかの末裔だったりするのかもしれませんね(^^地上絵はなぜ描かれたのか?こういった古代のロマンはいろいろ仮説があっておもしろいですね。どれもが正解である可能性があり、どれもが間違っている可能性もある。どの説にも、それなりの説得力があり、それなりの矛盾点を抱えています。実際にそれを確実に確かめる方法はなくて、なにを信じるかは自由です。ゆえにロマンなんですかね。■博物館のなかはさながら夏休みのように少年少女たちが走り回ってました。ほとんど遊び場ですね。
2006年06月06日
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■脳科学未来科学館でやってた脳の展示会にいってきました。目玉の展示は、様々な生き物の実際の脳が展示されていることです。昆虫や虫のようなものから、魚、爬虫類、鳥などさまざまなです。意外なことがちらほら。霊長類=サルの脳が展示しているんですが、小さくて、つるつるです(^^脳の大きさとしわ=頭のよさなら、おもった以上に頭が悪そうにみえます(^^チンパンジーやオラウータンをみても、ちいさいな~という印象です。対しておどろくのが、イルカや鯨の脳のしわの多さです。鯨は単純にでかいですが、イルカの脳のしわしわさはすごいです。海の哺乳類おそるべし。チンパンジーよりも知能が発達しているのかもしれませんね。■また、総じて草食動物の脳は小さく。肉食でも平原に住んでいる動物(ライオン)と、森に住んでいる動物(トラ)では、森に住んでいる(トラ)のほうが複雑な脳をしています。平原の狩りの方が単純なんでしょうか?■チンパンジーと人のDNAの違いは、長さが1%、空白部分が68000箇所、塩基の置き換えが1.44%、塩基配列は3330万くらいですから、人とチンパンジーとの違いは3%ないくらいの違いなんですね~。(実験方法や個体差があるんで確定ではないですが)■ほかにもいろいろと面白いものがありました。実際に見るといろいろわかることがありますね~。ただ、一番驚いたのが、ニンテンドーDSの脳トレがたくさんおいてあったことです。展示会の一部がゲームコーナーになってました(^^
2006年06月02日
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■真理とはなにか?真理とは、決してかわることのないもの。この世のなかで決して変わることのないものって存在するでしょうか?決っしてかわることの無いものが真理です。一つではないかもしれませんが、おそらく唯一無二の真理は『変わらないものはない』というものです。どれだけ疑っても、疑っても決っして変わらないもの。すなわち真理です。■最近よく聞く言葉に、ステップアップだとか、成長だとかあるとおもいます。個人的にはあまりすきな言葉ではありません。どうしてか?ステップアップや成長というと、同じ分野で出来ることが増えるとか、より複雑なことができるようになるとか、とにかく延長上に存在する言葉です。でも、実際は変化しています。その人が今までのその人でないくらいに変わってしまうことがあります。成長を放棄することで変化することもあります。良くなっている変化という意味で『進化』という言葉があります。これは成長した結果ではなく、変化した結果です。成長というと、成長しなければいけないという感覚もあります。つねにある部分でよくなり続ける、、というのも大変ですね。変わってもいいんだよ、というくらいのアバウトなほうがしょうにあいます(^^言葉のニュアンスですが、こっちの言葉のほうが好きです。良くなる変化=進化
2006年06月01日
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■ゆれる何か。体のなかで、心のなかでなにかがゆれている。それは、何かを選ぶとかのゆれではなく。ただ、ゆれている。どうしてゆれるんだろうか?揺さぶられるという強いときもあれば、さざなみのような心地いい時もある。ゆれているとき、なにかにとどまることはない。なにかに強くこだわることや、強い恐怖なんかがなくなる。ゆれているからなのか。多少、風邪が吹いていたほうが心地いい。ゆれもおなじだろうか?優柔不断や、いいかげんさではないのか。観ている、何かを見ている。何かから見られている。自分は知っている。自分もしらない。真実と虚像。幻想と妄想。現実と虚無。いろいろゆれているのかもしれない。磁石のプラスとマイナスみたいに、なにかが発生するときに必ず反対の何かが発生するかのようにゆれる。Aだけでは存在せず、Bだけでは生きられない。あっちのこっちの中間にあるものなのか。ゆれる、ゆれる、ゆれる。
2006年05月30日
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■感じつくす。よく言われることだし、そうしてきたとおもってました。本当に、感じつくす、浸るっておもっていたのと違いました。これをするためには、少しそういったことがわかる人が必要かもしれません。■困るとおもっていることや、苦しいと感じるものの大半はイメージで苦しんでいます。そのものが持つイメージ、自分で意味つけしたイメージ、それらのイメージがその感情を大きくふくらまし、また、別の見えない恐怖のようなものとして感じさせます。でも、その実体は感情なので感じつくせば流れていきます。あとに残るのは静けさです。■これはおもったより難しいものです。恐怖と対峙するのは勝つも負けるもありません。ただ、受け入れるとも違います。そこに思考はなく、意味付けや価値観はありません。ただ、感じつくすことです。
2006年05月29日
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■開放というもの。開放は自由を意味する。本当の自由とは己の価値観からの解放。価値観に左右されない、自由な発想や行動。それは物質的な制限にも左右されない。己の価値観からの開放、それは可能性が花開く瞬間。そこには可能性しかない。すべての可能性が存在する。そこにはもはや物質的な制限は意味をなさない。この開放はなにか、具体的な制限からの開放ではない。ある他人からの抑圧やコントロールからの解放でもない。ただ、己の価値観からの解放。できないことはなくなる。そのには真の意味の責任が存在し、可能性の選択がある。己の価値観からの解放は自由を意味する。どんな、言葉も、解釈も意味をなさない。ただ、心の声が存在するだけ。そこには時間も経験も関係ない、本当の自由が存在する。自由とは他からの開放ではない。自由とは己の概念=価値観からの解放である。
2006年05月25日
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■自然と秩序自然はそれだけで秩序をもっている。どんな変化にも対応していき、循環、正常化、適正化のシステムをもっている。人も同じで、自然な状態になっていけば必然秩序が生まれてくる。この秩序には無理が無く、また、恣意的なものも存在しない。ただ、バランスの取れている状態。その人が自然に行うこと、自然に起こる欲求、自然な状態。たぶんこれを突き詰めていくと、自然な秩序ができあがる。秩序は決まりも持たず、コントロールもせず、ただ、変化に対して適正化していく。このバランスはすべての上でバランスが取れている。その人の中でも完結し、地域でも完結し、国でも完結し、そして地球全体においてすら完結するシステム。しかも、どんな変化にも対応する。自然の秩序ってのはすごいですね~。少しの無駄のない仕組み、完璧です。人がこれほど環境を壊しても、まだ維持してますから相当すごい仕組みです。でも、それを人が壊し続けている。なぜだろうか?自然とともに生きる、みたいな説教くさいことはどうでもいいとして、なぜ、完璧な仕組みを壊そうとするんだろうか?すでに完璧なのに、、。そういった意味で、今の科学、経済の延長には地球的な共生はない。なぜなら、すでに完璧な仕組みがあるのにそれを変化させ壊しているからだ。完璧なものを変えて、不完全に変えているんだから、今の延長に完璧な共生なんてありえない。なんででしょうね。だからって、いきなり文明の恩恵から離れるってのもナンセンス。だれかに文句いいながら、これがいい!なんて物を売っているのもなんかずれてる。でもわかっているのは、今の延長には絶対に答えはない。すでに完璧なシステムがあるのに、それをいじって壊している時点で、完全にバランスのとれるポイントはありえない。微妙にバランスを崩したバランスならできても、長くは続かない。なんだろう末法思想とか、否定的な感じになってしまうな~。でも、昔の人たちもこのまま行くとただ破壊しかないことがわかっていたのか、、。まあ、生きている間にはないだろうからいいか、くらいの勢いか。う~ん、いいたいことがうまく文章にならないなー。虫や動物は基本的に自分のことしか考えていない。でも、自然といっしょ、その循環システムに乗っかってる。人は、自分のこと以外にも、他人や地域、地球環境についても考えているのに自然といっしょにはいられない。なぜ?本当の意味で無駄が多すぎるのかも。大量につくり、大量に消費して、限りなく求める。だからか?だからって、便利さから離れていきるのもとっても難しい。今、考えられるとするとギリギリの循環システムまで落とせばいいのか?自己循環のシステムが相互にかみ合えばすべてのバランスが取れる。その一番最初に完結、循環しないといけないのが、自分自身って感じか。そうしないと限りなく求め、すべてを破壊していく。それは自己をも破壊することなのかもな~。これらのことで他に気づく必要のあるものはありますか?ここにいるとき、何が不自然か気づきます。いまのあなたにとってなにが不自然なのかに気づきます。それは、匂いなのか、見た目なのか、感覚なのか様々だとおもいます。ですが、あなたは違和感を覚えるのです。それがチャンスです。あなたが、その不自然さを認められれば自然に秩序をとりもどす力が働きます。その力は強力でそしてやさしくあなたを変化させていきます。どうですか?なにか不安がありますか?どんなことに不安や不満がありますか?なぜ、それを不安や不満とおもうのですか?あとは、変えたいとおもうだけです。それだけで、すべてが自然の秩序の元、適正化されていきます。どんなことも、です。途中にしていることはありませんか?途中で止めてしまっているものです。あなたの内面に途中にしてしまっているものを探しましょう。そして、流しきるのです。あなたが変化するタイミングにきているのです。
2006年05月24日
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■答えとリアル他人から教えられることと、自分から割り出した答えには大きな違いがある。それはリアリティ。自分から割り出した答えには答え以上の価値がある。そこには、そのことをより多角的に、本質的に理解したというリアルがある。教わること自体にわるいことは無い。ただ、リアルではない。なぜ、1足す1は2なのか?分数の割り算とはなんなのか?なぜ、そんなものが必要なのか?そんなことが実際にあるのか?教わっただけでは、その答えにリアリティはない。暗記しているだけでは、そこにリアリティはない。では、リアルはなぜいいのか?それは、その瞬間にあり、価値観や先入観に左右されないその瞬間の自己が存在するから。
2006年05月23日
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■量をこなすとは良をこなす。ただ、いっぱいやればいいってもんでもない。できるだけ良をたくさんこなす必要がある。良いをたくさんこなすことで、良いがパターンが生まれる。良いパターンが、さらに良いパターンを有む。これがついてるってことの原理かもな~。良っていってもラクってわけではない。これは、なにが良になるかで大きくかわってくる。なにかの競技で試合に勝つことが良なら、困難やピンチがあっても乗り越えられる忍耐や精神力をつけることも良になる。これはいっけん辛いことだから、逃げ出したくなる。スポーツなどの基礎の反復練習とかがそれかな。良い型を徹底的に叩き込む。すると無意識に良い形が出てくるので、そのひとのレベルがあがる。でも、良はその人によって違ったり、立場が代わると逆転してしまうかもしれない。良ってのは意図ともにているのかも。何を意図するかとは、なにを良しとするのかということなのかな~。
2006年05月22日
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■お金の流れお金には流れがある。どんな流かというと、使う人のところに集まってくる流れ、稼ぐ人のところに集まってくる流れ、欲望という流れ、どうすれば、お金の流れに身を浸すことができるか。それは、ある意味ケチではいけない。お金持ちの大半はケチだが、お金の流れるところにはケチではない。では、お金の流れるところってなんだろう。それは、ほかのお金持ちたちが関心を寄せるところだ。お金は、人類に格差を生みだし、今も続いている。ということは、もともとすごいお金持ちとそうでない人が存在する。お金持ちは投資額も大きいので、この投資的なものに非常に多くのお金をつかう。それが、その人たちをより安定してお金持ちにするからにほかならない。では、お金持ちの心理、またはお金を使う人の心理が理解できれば、効率よくケチになれる。ここには、裏側がでないような人徳も必要だ。この世は結果社会。勝ったものが正義になる。つまり、おもっても行動しなければやる気がないのと同様。たとえ結果がでていなくとも、実際の行動によって大きく評価が分かれる。つまり人徳もその人の考えややる気ではなく、行動で立証される。人徳があるという行動をおこせていて、その行動が恒久的で、言動とも矛盾がなければ、かなりの人格者、道徳人としてあつかわれることになる。その人が頭の中で他のことを考えていても関係ない。行動、しいては結果がすべてだからだ。思考がすべてという考え方がある。思考が行動に及ぼす影響力が非常に大きいからだ。長い眼でみれば、行動よりも思考的なものが実現されるからだ。お金については、運の要素が大きい。お金持ちになれるかどうかは、ほとんど運にかかってくる。その運というのも行動によって引き寄せ、その人の人格によって磨かれる。運というのは、全人類平等なんだろうか?運のいいひと、運の悪い人はいる。一時的にみれば、塞翁が馬なんだろうけど、実際は、運のいいひとはどんどん運がついていくように思える。どんな人が運が良いのだろうか?前向きな人、諦めない人、などなど。本当に人がいい人ってのは大体、社会から喰いものにされている。成功者の人徳ってのはきっと、あなたま中で考えていることと実際の行動や言動を違える人かもしれない。ほとんどの人には、自己の矛盾に苦しみはじめてやめる。でも、それを諦めずにやり切れる人が、成功的人格者なのかも。ある種、バランスのいい人なのかもしれない。本音と建前があろうとも、外側に一切本音を出さなければ結局、本音と建前がないのと同じになる。でも、違和感はあるだろうけど。まあ、非常にストイックな感じです。こう感じたり考えるのは間違いで、こう決めたからこうするんだ!みたいなもんだからな~。あ~ゆえに意図が大切なんだな~。お金儲けのことばかり考えている連中より、仕事が大好きでしょうがない人間の方が成功するのだ。(ユダヤ人大富豪の教えより)ってな考えもある。ここで難しいのが、仕事=お金をもうけることという図式は確実なので、仕事が好きでしょうがない人は、結局、お金儲けが好きで仕方ないということと、あまりかわらないかもしれない。逆に、好きなことを仕事にしていて、それがお金になるということもある。でも好きとは感情なので、うつろい、流れ行く。苦しみや、悲しみも同様で咲いては枯れていく花のようだ。同じ感情をずっと感じていることはありえない。どんなに快適でも、それが日常になったら慣れて普通になってしまうからだ。つまり好きなことを仕事するということは、同じことを続けることではない。自分の興味の方向に気づいてそれに対して方向修正する勇気が必要になってくる。だいたい、こういうときはうまくいっていることを手放すときだから大変。うまくいくってことは継続的にお金が入ってくるシステムってことが多い。そりゃー手放しずらい。会社勤めってのはまさにここにはまってる感じ。まあ、仕事に関して好きっていってもなにかの職業や職種というよりたんに方向性のようなものかな~。
2006年05月19日
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■日記を開設して、もうすぐ1000日になる。といってもあと50日くらいありますが。最近は、毎日更新できているわけではないですが、よく続いたな~としみじみ。続けていること自体に意味はないですが、これも一つの結果なのかな~とおもいました。■続けてみて。文章を書くということを多く体験することになるので、言葉での表現力があがる。(プロはすごいな~と感じます。余計なものもたくさん見えてきますが)振り返ってみてみると、いろいろおもしろい。日常的になにかについて考える時間が作られる。いろいろな視点でもって、物事をとられてみる。文章や考えのオリジナル性について考えてみる。まあまあそんな感じで、たいしたものはないですが、きっとやり始めたころに比べればいろいろ変わっているんだろうな~とおもいます。同時期に日記を始めた仲間で、ほぼというか完璧に毎日更新している猛者がいます(^^ツイてるファシリテーターさん100%の更新率と1000日の期間には脱帽です。内容もわかりやすく、いろいろな発見があるとおもいます。オススメです(^^
2006年05月18日
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■静かな時間静かな時間を最近とるようにしています。そうしているとおもうことですが、とにかく雑念というか、考え事がなかなか終わらないことですね。ついいろいろ連想して、話が脱線していってしまいます。それはそれでいいのかもしれませんが、雑音がおおくて、大切な音を聞けない感じです。大体60分くらいは雑念の波にさらわれます(^^そこで最近やっているのが、90分間静かにしておくことさすがに60分間くらいひたすら考え事をしていたらなくなってきます。いろいろ考える気力も落ちてきます。そのときがチャンスです。純粋になにかについて、ゆったり考えるにはこのチャンスを活かすといいです。おもったことを紙に殴り書きしていきます。もちろん最初の60分のときでもいいのですが、とくに最後30分くらいがいいものが出てきます。人の集中力からして90分くらいが限度でこれ以上やっても疲労するだけだとおもいます。でも60分ではちょうど乗ってきたくらいのときに終わってしまうのでもったいないです。雑念!?が多い人にはオススメです。
2006年05月16日
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■分離のない世界。分離感がこの世の諸悪の根源になっているという。本当にそうなのか?分離感がなくなることはあるのか?分離感はいったいどこからきて、僕をどうするんだ?それは防げるものなのか、それともどうしようもないのか?分離感とはあなた自体をあなたでなくすもの。あなたでないものになるときあなたは、分離を感じます。あなたとはなんですか?それはすべてです。あなたはすべてです。あなたはすべてなのに、あなたはすべてでないと感じるとき。それが分離です。では、全体性をとりもどせばいいのですか?どうすればいいんですか?それは、あなたの分離している様をみていくしかありません。あなたの分離している様をつぶさに観察することで、あなたはその分離を超えていけます。その分離を超えていくことで、あなたは平安と静けさを手に入れていきます。どうなっても大丈夫とおもう気持ちかもしれません。あなたという肉体よりも大切なものかもしれません。分離がおこったとき、あなたは狼狽し、疲労し、困惑します。そんなはずはないと考えているからです。自分は完璧で、完全であると考えているのに、そうでないことが起こるからです。これを葛藤と呼んでいます。あなたは、その葛藤を超えることで、自分というものを再認識することになります。葛藤を超えるためには、知性以外のちからも必要です。考えているだけでは、理論だけでは葛藤は越えられません。葛藤を超えるための一番の方法は、ながれに身をまかせ、ながれを捕らえ、ながれに生きることです。そこには流れてきた過去も、これから流れていく場所も存在しません。ただ、今があるので葛藤を越えられるのです。葛藤は今を生きるための要素です。でも今をいきるために葛藤が必要なわけではありません。あなたがそれを忘れたとき、また、そうしたいと願っているとき、葛藤を通して、そうできていないものを観ることがでいるのです。たくましいですね。大変なことをやっていることを自覚してください。そしてそれは大変、貴重なことなのです。感じ、考え、行動し、乗り越えていく。乗り越えていくことで、もうその現象は起こらなくなります。あなたの人生で繰り返されていることはありませんか?どんなことですか?それを超えていくことが出来ないと考えていませんか?それはあなたしだいです。あなたがすべてです。
2006年05月12日
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■幽体離脱?なんだろう、そんなことを経験した。初めてだったな~。はっきりしているわけでも、証拠があるわけでもないので、きわめて個人的な感想になるんですが。■夜、寝ているときにふと気がつくと、どんどん自分の体が浮いていくことに気づいた。そりゃーもう、すごい感じです(^^特に動くことはできないんですが、グンッ って感じで浮いていきます。1mくらい浮いたところで、90度回転して立つようになったら、今度はすごいスピードで窓の方に突っ込んでいきます。ぶつかる!っとおもったらスッと壁をすり抜けて次の壁に向かっていって、次の壁をすり抜けたところで終わり。それを何度か、体験しました。■体験してみて一番感じるのが、、恐怖です。怖いんです。驚きですね。眠ろうとすると、また変な感じに意識がなろうするんですが、断固として拒絶してしまいます。単純に怖いからです。なんだか、持っていかれる気がすんです。抜けてしまうと、かえってこれないような。それこそ死神にいざなわれているような感じが一番近いです。もう少し、冷静に興味をもってその体験を楽しめたらよかったんですが、無理でした。■寝ぼけていたからなのか、本当に幽体離脱したのかはさだかではありませんが、興味深い体験でした。
2006年05月10日
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■約束生まれてくる前に約束しているものがあると言う。なんだろうそれは、本当にあるんだろうか?そもそもその約束にそくした生き方をしないといけないのか?そう生きるとなにがどうなるのか?常に満たされない気持ちを持っている。どうして、みたされないんだろうか?みたされることはあるんだろうか?満たされることは何を意味するんだろうか?あなたがそう考えるのはもっともです。あなたは一部分になっているので、そう感じるのです。もともと全体だったことを覚えているので、それを思い出すのです。どうして、そうしたいのですか?もともとあなたは全体で、完全です。そのことは紛れも無い事実です。でも、感じるんですね、これが望んだことじゃないと、、。本当にそうですか?それを望んでないというのは本当ですか?そうしたいと願ったことはないですか?プログラムはもっともあなたが効率よく成長できるように組まれています。あなたは生きている間中、成長することを約束してきています。だから、それが起こるのです。その約束を覚えていませんか?なにか、自分を越えて生きたい、どんどんよくなっていきたい感覚を覚えていませんか?まるで、それは赤ん坊のようです。すべてを吸収して、すべてを手放していきます。のこるのはつながりです。人のつながり、ものとのつながり、自然とのつながり。すべてをつなげては、それ以外のものを手放していきます。あなたが行いたいことはなんですか?本当にそうおもいますか?それが約束です。
2006年05月09日
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■GWもおわりましたね。みなさんいかがお過ごしだったでしょうか?仕事がいっそうだるく感じるときですが、どうでしょうか?■流れ。流れに乗ることって大切です。でもそれってなんのこと?流れに乗らずに自分を確保しようとするととっても大変。でも、それが必要なときもあったりする。流れに乗らずに自分を確保しようとするっていうのは、無理して休もうとしていたり、考え事なんかを先送りしている様。とにかく早く寝るとか、睡眠時間を多く確保してみたり、自分ひとりでいようとしたりすること。こうなると、自分だけの時間がとられ始めるかわりに、まわりの時間の流れとかみ合わなくなってくる。あとでゆっくりかんがえようなんて時はほとんどそれ。(あとでちゃんと考えるなら話は別ですが、、)まわりからの刺激を出来るだけとりたいと願っているので、まわりからの刺激=流れを拒絶している。自分の反応をできるだけ抑えたいときなので、何か起こるのを極端に嫌ってしまう。でも、まわりは流れているから、その流に逆らってとどまっているようなもんだから、基本的に苦しくなってくる。また、チャンスなんかの流も拒絶してしまうので人生が膠着してしまう。あまりにも流されている人は、多少とまったほうがいいんだろうけど。■ぎゃくもある。流に乗るのでなく、ざるのようにすべてを流しきっている様。一緒に流れているんじゃなくて、ただただ流している。なにかいざこざがあっても、あとになるとハッピーみたいにすこしネジがゆるんでる感じ。なにかつらいことや、大変なことがおこっても、自分の内側の変化を見ないですむので、比較的らくなようにみえるけど、なんにもなってないのが欠点。流に逆らっても大変だし、流しすぎると自分の変化が無くなってしまうし、なんだか、流れってのもバランスしかないんだな~とおもった今日この頃。
2006年05月08日
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■GWGWですね~。みなさんどうおすごしでしょうか?なんだか地震の多いGWですね~。よくゆれてます。行楽地へお出かけのみなさんは気をつけてください。今日という日はかくもながく、かくも短い。たまによしとするべきものは、あたわずその力を得ず。たまに量としても違えるものは、形あるものとなる。感情と知識の間にあるものはその知恵を身につける。ともにあらんことを知るものは、ともに感じることをあたわず。経力と万時なるものとの境はその中にいるというものではなく。ただ、未知なるものへの逃避ならざるもの。形と知識と学びのまんなかに信頼と価値を置く。ともすればいたずらになり行く、この時間と、小路を。真ん中にあろうとすべき万遍無い。知るともすれば息ともなく。たまにあるいはともにあるべし。さあ、なんでしょう、まっいっか。みなさんよい休日を~。
2006年05月02日
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■あんたがここいいるこに意味はありません。それはどんな意味もないということです。間違いとか、正しいとか、価値があるとかではなく。ただ、今ここにいます。間違いだとあなたはおもいたいのですね。どうして、間違いなのですか?だれもあなたを大切にあつかってくれないから?ともに歩み、気持ちを打ち明ける人がいないから?あなたはどこにいこうが、間違いをおそれています。それゆえに、ただしいとおもうことも防いでるのです。正しいとおもうことで見えるものがあります。あなたの真意です。今のあなたは間違いではありません。極端にどんなことをしようとも、それは一概にいいとはいえません。どんな感情も、あなたの中では無意味です。確かさをあなたは感情から得ようとしていますが、難しいです。それよりも、とめどなく身だしなみを整え、身の回りを整理し、どんなことにも暖かく取り組みましょう。そらは青く、雲は高い。心臓の音が聞こえ、弾む気持ちを感じます。そのことがあなたの中から出てくるとき、どんなことをも乗り越える勇気が起きます。あなたが行うことのすべては今この瞬間のために存在しました。さあ、広げても大丈夫ですよ。全開してみなさい。
2006年04月27日
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■気持ちの問題。人生は気分で決まる。気分がいいと人生は楽しいし、気分が悪いと人生は苦しい。では、気分をよくし続けられるか?ということになってくる。人間らしい人生という観点からは、たぶん無理。そりゃー、気分がいいときもあるし、悪いときもあらーな。無理して良くするのに終始してたら、いつの間にか人生が終わってるかもな~。じゃあ、楽しい人生ってのを諦めないといけないのかというとそうでもない。ようは、両方を楽しめればいい。気分がいいも悪いも、楽しいも苦しいも両方を楽しめれば怖いものはない。そんなことは可能なのか?よく聞く言葉だが、実際に出来ている人を見たことはあるのか?単に、逃げ口実にしていないか?どうでもいいだけではないか?落ち着いた気分というのは何があっても大丈夫という気持ち。かりそめの落ち着きもあるだろうけど、いつでも落ち着いていられるのは、静けさと平安がある。なぜ、人は平安をもとめるんだろうか?大丈夫と思えないので、大丈夫と思う根拠をほしがるのか。願いが叶ったとか、お金をたくさんもっているとか、友達がたくさんいるとか。基本的に、なにかにたよっている時点で大丈夫ではないのかな?なにもなくとも大丈夫というのがこれの至上点となるか。なにもなくてもいいんだから、なにがあっても大丈夫だわな。とはいえ、そう思えば思うほど今度は変化の恐れがやってくる。静かであるために、環境の静けさが必要だったり、他人との格別があらわれてきたりする。ある条件では大丈夫みたいな感じになる。落ち着いているときは大丈夫とおもえても、気が立っていたり、忙しいとなかなか難しくなる。それゆえに、自らを静かな状態に追いやって、その状態を保とうとするとなると結果的に変化の恐怖がやってくる。自分の思いをわかってもらえないとか、受け入れてもらえないとすぐに座礁してしまう。諦めるか、いこじになるか、離れる。そりゃー、環境が静かなら、静かな気分にはなれる。でも、それじゃあ大丈夫ってわけでもない。恐れって常にある。でも、それに気づいて一緒に持っていける人。それを勇気と呼んでいるのか。そこにはたくさんの覚悟が必要だ。ようは何に対する覚悟かってことかな。いや、覚悟という言葉に逃げているだけか。まあ、気分はよくも悪くもなる。でもそれが人生ですかね。
2006年04月26日
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■プラス思考プラス思考は誰にとってプラスかで変わって来る。自分にとって?みんなにとって?会社にとって?プラス思考ってのはある意味、主体者の都合のいい言葉となるので主体者が変われば、思考もかわる。会社にとってのプラス思考ってのは、常に仕事に対して前向きで、自ら責任とアイデアをもって突き進んでいく、、みたいな感じでしょうか。いわゆるモチベーションが高い状態。今、会社の中で社員のモチベーションをどうやって高めたらいいのか?という問題が大きくのしかかってきている。これは大きな会社ほど、この病にかかっているように思える。人よりもシステムの方が優先されて、業務の効率をあげるためのシステムが逆に人を圧迫していき、そして、システム自体が複雑に絡み合いすぎていて、システムを改変すると、他のシステムに影響がありすぎてしまってなんともしがたくなっている。こうなってくると、人は機械のように扱われるので楽しさよりもモドカしさが多くなる。それでも、それを乗り越えて改善していくモチベーションを求められているけど、実際は、システムに阻まれて自分のことで手一杯になってしまう。そのシステムに挑むということは、会社の全仕組みにアクセスすることになるから大変。ゆえに、手持ちのものだけでなんとかやりくりしていこうとすると、こんどは同じことの繰り返しか、業務の押し付け合いに終始してしまい、そこの軋轢によって疲弊していってしまう。ようは、会社全体のことより、個人的なものを優先するようになる、というかせざる終えなくなる。当然、そうなるとモチベーションが下がるのだけれども、そこの病をなんとかしようってのが現状。しかし、プラス思考は会社と個人の間に隔たりがあって、同じになるということは必然的にまれになる。いまのモチベーションを高める方法はここの、個と会社の方向性を同じにしようとするのだけれども、上記のように人がかわっても、システムを変えないと元の木阿弥。しかも、そのシステムは長年にわたって構築され、しかも売り上げを上げるのには適している。売り上げを手放してまでシステム改善はなかなか出来ない。そこまでのものは基本的にトップダウンか個が大きく変わらないとできない。現状はトップダウンの方法以外にはないけど、売り上げを上げているシステムを壊すなんてとうてい経営者にはできないので、結果的にモチベーションを上げられない。そこに座礁しているのが現状。そこをプラス思考で乗り切ろうとしているんだから、大変なのはわかる。会社のプラス思考は、永続的に売り上げを伸ばし続けるシステムを作り、更新していくためにあり、個人のプラス思考は、人生をよりよく生きるためにあるわけだから、問題の入り方を間違えると個人の人生を破壊する。どうなんでしょうか?しがらみにがんじがらめになってしまっているんでしょうか。そもそもプラス思考が必要なのか。モチベーション高く生きる必要があるのか。かりに必要なら、どうすればこの軋轢を超えていけるのか。ただ、仕事、労働を長時間続けることが人生になってしまうのか。ほかに方法はないのか。同じ働くなら、自己の責務をもってイキイキとできないのか。まあ、いろいろあるんだろうけど決定打にかけるな~。
2006年04月25日
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■なぜ、今を生きる必要があるんですか?なぜ今を生きたいのですか?どうして今でないといけないのですか?それは楽しめないからです。生を楽しむためにもっとも必要な要素は、今この瞬間を楽しむことです。それは、過去の栄光や、思い出に浸りためでも、未来のためにおおくの時間をついやし、今をがまんすることでもありません。今、この瞬間に生を謳歌することが大切です。なぜ、生を謳歌しなければならないんでしょうか?あなたがそれをしたいからです。そのために生まれてきたともいいます。あなたが、ホール(全体)であることはとても満足できるでしょう。あなたは、充実し、満足することを望みます。それは、欲望をかなえることでは決して不可能な領域です。一時の満足は、永続する虚脱感を生み出します。完全に満足しているとはホールです。全体性をあなたが獲得していくなかで感じることでしょう。そもそもあなたは完全なのですが、よく忘れるようですね。今を感じれないときは、かならずどこかに欠落がありあなたのホールを失わせます。知っていますか?この瞬間に起こっていることを。感じていますか?理解を超えるものを。あなたがすべて理解できるのですか?この海を、空を、宇宙を、星々を。それらを完全に理解することはできますか?組成を、誕生を、歩みを、動向を。たとえ出来たとしても、それがなんなんでしょうか?あなたがそこからうける何かの感じはどうでしょうか。どうして、完全に理解しないと信じられないのですか?海も、空も理解しなくても、つねにそこにあってあなたはそれらに大いに影響されます。理解が必要なんですか?理由が必要なんですか?あなたが、それを楽しむのにそれは必要ですか?あなたは何のために生きているのですか?
2006年04月24日
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■どんなことであれ、楽しみは必要だ。あなたが、どんなところになにをしてようと楽しむことができる。なにを不安がっているんですか?どうして楽しめないんですか?まわりの人たちから気味悪がられたり、傷つけられるかもしれないからですか?道を示すのは自由な心です。今、そこに生きて、感じている自由な心です。その心をあなたは持っていますか?曇らせたり、にじませたり、たたいたり、ひっかいたりしてませんか。特別なことをしようとする必要はありません。あなたはそれだけでもすでに特別だからです。富を得たいのですか?道を進みたいのですか?すべてに慈しみをもっていたいのですか?どれも自由です。恐れをもっていきましょう。それをなくすことはできません。それがなくなってから動こうとしていませんか?どんなことであれ、それは存在するのです。あなたがの考える完全は存在しません。すでに完全で完璧だからです。あなたの完全性に気づいてください。今のあなたでないものが、なにか存在するのではありません。ただ、今のあなたなのです。それで完全です。ただ、あなたがたの多くが想像する完全という概念ではないだけです。
2006年04月21日
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■仕事をするのに必要なのがモチベーションモチベーションは、楽しい、楽しみ、その気ってのが大切。要は自分の行動に、どんな意図をこめているかということになる。自分の仕事に対して、どんな意図をこめているのか?みなさん、どうしていますか?意図は実現されないかもしれないし、裏切られるかもしれません。でもあなたのあり方がなんらそれらに影響されることはありません。ただ、もう一度聞かれるだけです。『それでもやりたいですか?』そこで問われるのは意図です。どういう意図をそれに込めるか?ここに人としての責任が発生します。あなたはどんな責任を負っていますか?
2006年04月20日
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■Gap人が苦しむもののなかにGap(分離感)がある。Gapとはなにかというと、頭の中で考えていることと、現実が違うということ。どっちがただしいか?それはもちろん現実が正しい。現実のほうが、考えより間違っていることなんてただの一つもない。でも現実を認められないと現実逃避や過度の自己肯定に走る。(終局的に宗教はこれにおちいってしまうかも、、)思考は現実化するという考え方がある。これはこれで正しい。問題はどの思考が現実化するかということになる。思考は顕在意識と潜在意識があり、またその他のものも現実化に寄与する。ようは、その人の思ったとおりになってはいるのだけれど、どれが現実化するのか気づくのがとっても大変なだけ。思考を操ることばかりやってもたいして意味はない。すべての思考に気づく努力のほうが大切だ、と思う。現実は結局望むとおりになっているんだから。そこから選択していったほうがラクで楽しい。と話がそれたけど、Gap。人は分離に苦しむ。特に理想主義者や完ぺき主義者はこれでくるしむ。世の中いい加減にできてるから、完全にやりきらないといけないようなことは何一つない。なのに、矛盾をゆるせないから完璧にやろうとする。すると、Gapがよけい激しくなるか、展開を諦めて部分だけのコントロールに入る。基本はGapは単に気づかせているだけ。現実と思考の違いを人に気づかせているにすぎない。でもそのGapに苦しんでしまうのが人。その分離(Gap)を観たくないので、いろいろやってしまう。そこに気づけばそれだけなのに。まあそんな感じかな~。
2006年04月19日
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■ハートの声を聞く。最近よく聞く言葉です。ちょっとこれを勘違いしてました。肉体の声を聞く。感情の声を聞く。知性の声を聞く。ハートの声を聞く。どれも大切なことと思います。ただ、結構やってしまいがちなことは、言葉でなく、答えを聞こうとする、ことです。■学校教育の影響かもしれませんが、とにかく答えを知りたがる傾向があります。いわゆる正解ってやつです。ただ一つの答えであり、間違いない指針。そんなものがあればラクに生きられるだろうな~という心理が働きます。当然、世の中にはそんなものはなくてあるときは良い選択も、あるときは悪かったりします。そこにはただ、選択するということしかなくて究極的な善悪、正誤はありません。あるとき間違った選択も、なにかに気づき、結果的にその間違い自体が必要だったことになる、、なんてこともあります。トータルで観ると間違いも正解もないことになります。でも答えを知りたがります。■ハートの声を聞く。(内側の声を聞くとかいろいろ言い方はあるとは思いますが)これは単にハートの欲求を聞いているだけかもしれません。でも答えを知りたがります。行動の指針、間違いないうまくいく方法。これだと感じるもの。占いやお告げのような感じのもの、、。なんにせよ、意見を聞いているのでなく、答えをきこうとしているんです。思ったりよりはまりやすい部分なんだな~と思いました。
2006年04月18日
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■お金の問題。生きるためにはお金が必要。逆に言えば、お金さえあれば生きるにはこまらない。(その他の問題はあるだろうけども)資本主義とともにに生きる限り、これは間違いない。長年かけて人類がつくりあげたお金の仕組み。仕事をしている人をみていてどうしても感じるのが、『生きるため=お金のため』に働いている、という事実。もう、ほぼこれだけのために働いている。そりゃーよく観たら他に理由はあるだろうけど、大多数の理由、トップはこれに尽きる。お金があればあれでいろいろあるんだえろうけど、世の中の大半をしめているのは、この理由。解決策はあるのか?その一つはお金の価値がなくなってしまうこと。■お金以外のものの価値があがる状態。つまり、インフレ。これが究極に進めば、お金に価値がなくなるので、相対的にお金のために働くことはなくなる。(金利をあげようにも借金のため上げられない今の日本で近年中におこる可能性大の現象(スーパーインフレ)これが本当に近年中にさらに世界でもおこるすると、、、。お金で労働者をやとっている会社、特に大企業がのきなみつぶれる。お金に価値がなくなれば、お金のために働きはしないからね~。現行のお金は数字という情報だけのやりとりで、たぶん巷には実質てきなお金の数十倍の『数字』がうごいている(ライブドア?)。銀行の預金をみんながおろそうとすると、銀行がつぶれてしまう理由はこれ。ゆえに、一度ほころびはじめると収集がつかないのが現状。まあ、どっかで破綻しますわな。価値がお金になくなると一番やっかいなのが、恐怖による奪い合いが開始されること。台風のカトリーナであったような、一時的にお金に価値がなくなると、結局、暴力による奪い合いが始まるのは必至。やだねー、まったく。いまのままこういった状態になれば間違いなく起こる現象だな~、う~ん。まあ、これは社会的に全体からの場合だわな。ほかに方法は?変化が個から起こった場合は?■多くの人がお金のために働くということを拒絶する。別にお金はあってもいいし、儲けたっていい。でも、お金のためという理由では働かない。こうすると上と同じ理由で、大企業は労働力がなくなってつぶれる。また、ものの作りすぎからも開放される。お金のために働かないことが常識となれば、くだらない争いごとはかなり現象する。物があれば、豊かになると信じていた時代が完全に終わりをつげることになる。豊かさの定義は、物から別のものに移り、豊かさ自体の概念はなくならない。で結局、お金のために働かないことがこれの必須条件となる。お金のために働かないっって、ニートだな~。すごいな~、がんばれニート。個から社会を変えるにはこれが一番か。■しっかし、ほとんど他人事のような感じになってしまってるな~いまいちリアルさにかける感じがある。ゆえにだれかがやってくれるんじゃないのか、なんとかしてくれるんじゃないのかのような感覚がともなう。これが世の中に蔓延しているものなんだろうな~。だれもこれについて騒がないので対岸の火事となってしまっている。その感覚が自分にもあるな~。これは、本当にそうかもしれないけど、そうでないかもしれないからかな。結局、恐怖と分離感からの開放に主眼を置くしかないのかな~。とするとどうしても今をみることは必須になるし、個別性がはなはだしいので、ノウハウ自体は個別指導的なものが必要か。パターン一緒くたのいまのものでは対応しきれないのが現実かな~。
2006年04月17日
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■幸せの定義幸せというのは、未来を目的とする手段。今を考えなくてもよくなる状況。どんなことであれ、今からの逃避の理由がほしい。今の自分を認めるのは大変。その瞬間はうけいれられても、いろいろあるなかでそれでも自分を受け入れるのはとっても大変。ゆえにそこから逃避する正当な理由をほしがる。その一つが幸せ。幸せを求めると最大の欠点は、今を見なくてもよくなること。自分にとって都合のわるい、気分を害することをみなくてもよくなる。別に幸せが悪いわけじゃない。その美しい理由をつかって、今を見なくてもよくすることが問題。気づく力は間違いなく低くなる。幸せなんてなって当たり前、そう感じて当然。それを求めることは決してだめなことでも、悪いことでもない。でもその美しい理由は、今に焦点をあてることをうまく回避する。また、幸せになってない原因をもとめる。あれがない、これがない、ない、ない、ない。あれがあれば、それがあれば、あれば、あれば、あれば。どうなるんだそれは?根本的に同じパターンを繰り返しているだけか。たとえそれを手に入れても、次の欲求に結びつくだけで、結局ほしい平安や静けさはやってこない。でも、それは選択。そうしてもいいし、しなくてもいい。でもせめて気づいていればいいのかな。幸せってなあに?求めてもいいけど、それを理由に逃げちゃだめ。他になにか気づく必要はありますか?心地よいものをみなもとめます。どんなときでもです。それ自体は、ごく当たり前で、自然なことです。学びと捕らることで、学ばなくなることもあれば、知ることで、納得してしまうこともあるでしょう。ある疑問がやってきても、あなた自身がそれに納得する、または忘れればそれはそれで終了します。どうして、そんな疑問や欲求がやってくるんでしょうか?あなたはなんであれ、それを求め、そして活用していきます。生きるためのエネルギー?そんなものがないと生きられないのはなぜですか?この世がそれほどまでに生きにくいのですか?とりとめはないかもしれません。意味はないかもしれません。今夜そちらに行きましょう。そして話をしてみましょう。きっと、すばらしい時間がとれると思います。
2006年04月16日
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■最近、会社の仕組みをつぶさにみる機会が多くあります。あるプロジェクトをやっているんですが、そのプロジェクトは社をあげて行っているうえに、納期もタイトで初めてづくしのことで多くの混乱がしょうじます。ようは、横のつながりを強く持たないと成立しないことが多いのですが、ゆえに、縦割りの会社組織がつぶさにみられることになります。■会社ってのは横割か、縦割りでできているんだなーと感じます。部署ごとにまとまっている縦割り、仕事の順序別でまとまっている横割、どっちも自分の仕事をすることに手一杯といった感じ。縦割りに、横割のプロジェクトが入ってくると、軋轢がしょうじます。大きな会社であれば、ほとんどはシステムになっているので部署間を越えるはじめてのことなどは大きな混乱を生じます。ゆえになれているいつもの業務に落とし込もうとして、縦割りの特徴自分の仕事明確化の要求、責任の所在の確認、通常業務への圧迫など一言で言うと非協力的という図式ができます。いやはや参りました。ほんとに縦割りだなーと感じます。全体の利益よりも、個人的なしがらみを優先するという現象をつぶさにみています。大きな会社というのは、この部分に悩んでるんだろうなーと感じます。システムが人よりも優先的に機能しているので、人のためのシステムというよりシステムのための人、そして労働という図式になってます。あるときは有効なパターンも、どこかのタイミングから不具合と軋轢を生みはじめる。そのシステムが根深いと変えることすらできなくなっていく。もし完璧なシステムというのがあるとすれば、常にシステムを変えることができるシステムなんだろうな~と思った。なんかISOを思い出した。定期的にみなおし、常に変化するシステムを採用はしている。でも実質は実務とかけはなれたシステム作りになっていて、資料作成などの業務が実務を圧迫している。いいともあるけど、わるいとこも結構目立つ仕組みだな~。自己成長システムみたいなもんでいつかは完璧に近くなるかもしれないけど、結局軋轢を生むことの方が多いな~。理論的ではなく、本当に実務レベルで変化に対応するシステムがあるといいんだろうな~と思った。とはいえ人の意識の問題だしね~。
2006年04月14日
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■久々に更新しました。最近、会社が忙しくてちょっとこちらに手をかけられなかったんですが、久々の更新です。最近の感じは、『リアリティー』です。非常にリアルな感じがします。今に視点を持ってくると、一番感じるところだと思います。意識でも、未来の展望でもなく、ただただ今、、リアルです。今のあなたをもっても端的にあらわしているのは『今』だからです。場所がかわれば、何かを手に入れれば、環境が変われば、本来の自分になれる、、どれも『今』ではありません。リアルですね~。これを受け入れるのに思ったより葛藤がありな~と。そこにい続けるだけではどうかとおもうけれども、なにはともあれ、今を容認できない=現状を把握できないと話にならない。意識、行動、結果、そして思いや結果への反応。このあたりをつぶさにみせられてるな~と。こういうのを実感というのかもしれませんが、リアルです。
2006年04月13日
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