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「お風呂であわててはいけない」まさか自分がお風呂ですっころぶとは・・・団地一斉の大掃除であわてていたことはあわてていました。お風呂の残り湯を団地共有部分の掃除に使おうとしただけなのに。まさかまさか、思い切りすべるなんて・・前につんのめって手も出るひまがなく、前歯を湯船のへりにもろにぶつけてしまい、憐れ前歯は粉々に・・いや一部ですが。一秒、いや一瞬でいいから過去に遡れたら・・・どんなに悔やんでも仕方ありません。これはもっと大きなダメージを受ける前の、「気をつけろよ」という忠告なのだと思うことにしました。やってはいけない、その1は「電車に飛び乗らないこと」でした。東日本大震災の後、ガソリン不足で、車での通勤ができなかったため、電車に乗ったわけですが、その電車が計画停電のため、いつ来るかわからず、この電車を逃したら大変、といつもなら絶対間に合わない距離から走ってしまった・・・その時の心臓が壊れたかのようなグワシャというような音、が今も耳か心か、に残っています。あの時も、5分前、いや2分前でいいから過去に戻れたら・・とどんなに願ったことか。一生の不覚でした。心臓は今も時々バクバクするし、寝るときも苦しかったり。しかし、一病息災、体を大事にするように、との忠告と受け止め、その教えを大事に守って来たつもり、だったのに・・油断があったのですね。まだ若いつもり、だったのかな・・62歳の“若い”私がまさかお風呂で転ぶなんてありえない、という慢心がどこかにあったようです。今思えばお風呂で転ぶ十分な資格がありました。自分は絶対大丈夫、というわけのわからない自信は自覚していないだけで、まだまだ他にもありそうです。またまた自分に警告するためにこれを書いています。今度は忘れないようにしなくちゃ!
2014年12月07日
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菅原文太さんが亡くなってこの存在を知ることになったのですが、できたのがちょうど2年前の12月5日とか。政党の党ではないそうで。でも、政治に物申すこと、いや、政治に大いに関わることがその設立の大きな主眼であることには間違いないようで。 沖縄の県知事選での応援演説で、何よりも命を大事にすることが政治の仕事だ、と話され、その原点に立ち返ることがいつも必要なことなんだ、と励まされた思いがしました。今日、新聞の見出しに与党がひょっとしたら改選議席を上回る勢い?なんてのがあり・・・やっぱりダメか~と落ち込んでいたのですが。選挙で与党がたとえ大勝したとしても、落ち込まなくてもいい。いのちの大切さを訴えていくことはどんな社会になろうと、やっていかなくてはいけないことなのだという、強い決意のようなものが生まれたような気がしています。あくまで気がしたよう、なだけですが・・いのちの大切さそれは、どこの国の人であれ、肌の色が違っていようとも、地球に生まれた人である限り、誰もが同じ重さを持っているものだと考えます。そこに重さの違いが表れるのは市場至上主義のなせる技にすぎない、と。同じ地球に生まれた仲間という真実を見えなくしているものがもうけ至上主義の社会と思うのです。共に生きる道は遠くない、と思えます。だからどんな結果になろうと、失望はしないことにしました。もちろん、まだ選挙は始まったばかりなので、望みを捨ててはいけませんですが。もうすぐ、「いのちの党」発足丸2年!ですね。
2014年12月04日
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うかつな話、交番から電話が来るまで、自分がケータイを落とした事に気がつきませんでした。その間、1時間くらいでしょうか?本来ならとっくに気がついて青くなるところを、すっ飛ばすことができ、ありがたいことでした。有難いと言えば、拾ってくださった方ですが、かなり遠いところを交番まで運んでいただいた上に、お礼はいいから、と立ち去られた、男性の方だったとか。良い方に拾っていただいて、本当に有難いことでした!何とかお礼の気持を伝える方法はないものか?と思いましたが、その感謝の気持を忘れないでいることが大事なことではないか?と思うことにしました。感謝の気持ちをいだく、ということ自体に幸せを感じる、といううれしい時間を(ケータイと一緒に)頂いた、と感じられたので・・忘れないでいる、というのはでも、なかなか難しいことで・・とりあえず、自分が他の人にお返しする、ということを常に心がける、というのはなんだかできそう・・かな?今日は他にも“失敗”があって。畑に、掘ったばかりのさつまいも(頂き物、スコップで傷がついてしまった)を置き忘れて来たこと。これは他の方に連絡してことなきを得たのですが。その畑の帰りに自転車の運転中にポケットからケータイを落としたもののようで・・老人力のつきまくり!でした。そして明るく老人力などと言うことができる幸せも感じ、赤瀬川さんにも感謝です。(ご冥福をお祈りします)いやしかし、ケータイは落としてはいけませんですね、ハイ。
2014年10月29日
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という言葉を何十年ぶりかであった友にいただいたのは3月いや、4月。人と人とのつながりを紡いで?いくのにどういったキャッチフレーズがしっくりくるかな~?なんてずうずうしく聞いてみたのです。ところが、せっかく考えてくださったのに、それも何ヶ月も前に!全然生かせていない・・ということで、ここに書いてせめて、いつも思い出すようにできればなどと♪都合のいいことを考えつきました。8月は毎年、なにかしら書かずにはいられないと思うことがあったのですが、今年はどうも・・・8月も今日で終わり、という日になってなんだか急に何でもいいから今年の8月を思い出すキーワードを書き留めておかなくちゃ、と思い立った次第です。ほとんど病気♪
2014年08月31日
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今日、なんと77777という数字にお目にかかり、つい書き込んでいます。拙い日記なのに、見てくださる方が少しでもおられる、ということは本当に有り難い♪憲法違反の閣議決定など無効だとつぶやくのみ、しか今のところ出来ないでいますが・・同じ埼玉県の越谷市では、有志の主婦の方々が、駅前で(集団的自衛権の行使を現憲法のもとでも可能とした)安倍内閣の閣議決定に反対するゼッケンやポスターなどを持って無言で道行く方々に訴えておられるとか。見習いたいものですが、なかなか・・・
2014年07月04日
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白菜の菜の花は他のなばなに比べて甘くておいしいのだとか。今日、農道を隔てた畑の(持ち主の)方に初めてあい、そう教えられました。白菜が巻かなかったら、それを目当てに、花が咲かないうちに蕾のところをちょんと切って、食べるべし。ちょっと油断するとすぐ咲いてしまうので、そこを逃してはだめなのだそうです。今年は失敗したので、来年こそ花になる前に甘い白菜のなばなを食したいと思いました。ってその前に白菜、ちゃんと巻くように育てろよ、という話ですが・・・畑の仕事?のいいところは、いろんな人との出会いがあること。通りがかりのおじいちゃん?(失礼)などもこんにちは、暑いね、と。そして、スギナの根っこと格闘していれば、お宅はどんな具合?うちはこんなだけど、といった話にもなり、土とお友達やってると、知らない人ともお友達になれそうな、そんな気がしてきています。そうなんです。またぞろやってきた、スギナとの闘い。これで新しい年の、畑とのつきあいが始まったという・・・今日も一日、スギナ抜きで大半が終わり。でも、一応、鷹の爪とピーナツの種も蒔くことができました。いずれもひとさまの種で・・・♪なすとピーマンとトマトの苗は2日ほど前にやはりひとさまの真似をして買って植え、今日はまた別の方が支柱を貸してくださり、立て方も教えていただいて、なんとか様になっております。。?というわけで、ひとさまに寄りかかりっ放しの畑作業でありました。今に始まったことでなく、いや、これからも♪しかし、いずれはこうしたことが、他人様の役に立つこともあるだろう、と急がず、ゆっくりと構えています。政治が変な方向へ進もうとしているけど、世の人を信じて、悪いことにはならないだろう、と楽観的に考えています。
2014年05月04日
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しばらく畑に行けない日々が続き、2週間以上過ぎて畑に行ったところ。遠くに菜の花がきれいに咲いているな~と思いつつ近づいてみれば、なんと、巻きが悪くて採りはぐれていた白菜が!枝を伸ばして、黄色い、まさに菜の花としか言いようのない咲き方で花を咲かせているではありませんか。そうか、そういうことだったんだ~と、「何十年生きてきたんだ?」と自分があまりに物を知らないことに何度も気づかされます。ついこの間、長野の友達と何十年ぶりかで会った際も、なのはなって野沢菜のことだよ!つい最近まで自分も知らなかったけど、と。言われていたのでした。その時、白菜もそんな花を咲かせるってことを知っていたらいや、他にもあるよって言えたのに・・・小松菜も綺麗に咲いていましたし、もちろん、あぶらなだよ、といただいた種から生えた葉野菜からも。小松菜と白菜の茎の上の方、花のあまり咲いていないまだつぼみの部分を採ってきておひたしにしたところ、味の違いはほとんどわかりませんでした。ちなみに少し混じっていた、咲いてしまった花は苦かった・・小松菜も白菜も、少し前までは全然違う作物として、味もまるで違っていたのに、時が経つとこうも変わるのかと、本当に不思議です。植物はえらい!となぜだか頭が下がります。無条件で生命力を感じさせてくれます。感動の畑仕事ができることを感謝しつつ。。誰もが身近にそういう体験ができるようになっているといいな~と今日も思います。近くに欲しいですね~♪
2014年04月06日
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ネットの紹介でベビーシッターに預けた男児が死亡した件で今日の朝日新聞に野田聖子自民党総務会長が昨日都内の講演で述べた言葉が載っていました。「私もネットで探した」とはその記事の題です。(今すぐ、とか、夜間でもとか、病児でもとか)必要な預かりのシステムが整っていれば、誰もネットで探す必要はなく、そういう経験のない人が母親を責めるのはやめて欲しいといった内容で、そうした環境を整えることの必要性を訴えるものだったのだと思います。昨日の朝日新聞の投書にも「ファミサポに助けられて」と題して一人の主婦の方がご自分の経験から「ファミサポの拡充と利用を提案したい」と述べておられます。我が意を得たりの思いがしました。今ファミサポの一当事者として携わっていられるのも、こういうシステムを立ち上げて実行してくれている行政の下請け?的組織のおかげであり、そこには国から補助があるようですが、その補助が、決定的に足りない!ということは言えると思います。というのは、私の地域のファミサポでは、病児はもちろんのこと、お泊まり保育もお受けできないことになっています。この事故?事件?があったと知ったとき、ファミサポはなんでお泊まり保育が出来ないんだろう?と残念に思ったのでした。(僭越にもまず最初は、“私が預かりたかった”と・・)専門の看護師や保育士等々必要になる、ということだったら、どうしてもその人件費なり、場所代なりが嵩んでしまうそこまでの補助は税金で賄うわけにいかない、ということなのでしょう、か? ―子育ては一から十まで 個人的な話―という前提はもうかなり崩れてしまっていると思うのに、まだまだ、仕事をしているなら子は産むなとか子どもを生んだら仕事をするなとか変な話がまかり通るような社会でもあります。(みんながみんなそうしたら社会はどうなる?)一体子ども達を健全に育てる責任が社会にはないのでしょうか?子どもが社会の一員である以上、社会がその支えにならなくてどうするのでしょう。昨日の投書の締めくくりは「子育ては社会で支えなければいけない時代に来ている。国は安心して託児が頼めるファミサポを拡充し、子育て世代が利用出来るようにすべきだと思う」となっています。←大いに賛成!!ファミサポという形でなくても、いつでも、どんな状態でも必要なとき安心して預けられるそういう環境を整える事が社会の責務だと思います。田村厚労相が他人事のように現状がどうなっているか調べたい・・かなんか言ってましたが。言ってる場合じゃなく、国がちゃんと責務を果たさないからでしょ!自分の仕事じゃん!とつっこみたくなりました。
2014年03月23日
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さる方に教えられて、『里山資本主義』著者の藻谷浩介さんの講演を聴き、読んでみようと思い、今途中まで読んでいる所です。例によってなかなか読み進めないでいますが、(本を読むスピードの遅いことには自信が)あるところまでは私の考えとかなり近い感じがしました。つまりお金のいる資本主義の傍らにお金の媒介しない里山資本主義を構築しよう、(いや、再構築、と本にありましたが)というお話の部分は大賛成なのであります。将来的にはお金のまったくいらない社会を目指したいのですが、(それは助け合いや支え合いで成り立つ社会なのですが)その前にはいろいろな段階が必要になるような気がして、その内の一つの候補として有力なのではないか?と。。必要な物をすべてお金を出して買うつまり生産物がすべて商品化されるということをある段階から人類が全員、突然、やめる、ということはあまり考えられないので、少しずつ商品化されるものを減らしていく、という選択肢もあるのではないか?とノー天気に考えてしまいます。藻谷さんは安心・安全の社会のためにマネー資本主義のサブシステムとして里山資本主義を“何%”でもいいから構築しておくというのがいい、と仰っておられるようですが、そんな奥ゆかしいことを言わないで、どんどん浸食していったらいいのです!!里山資本主義の精神が生かされた、お金のほとんどいらない!ような地域や社会で50%を超えるほどの人々が暮らしている・・そして浸食は進み・・そんなことを想像すると楽しかったりします!
2014年03月04日
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昨日、一昨日と(先週は田舎で)たっぷり雪かきをしました。団地では、とりあえず人が歩ける位、と軽く考え、細~くかき始めてはみたものの、量がはんぱではない!挫折しそうになりました。やってる内にお隣の方や違う棟の方も参加してくださり、後にはひけなくなり・・・それでも道が1本空いて、人が通れるようになったので、それでやめようと思ったのです。そしたら、同じ道を道路いっぱいの広さで!一人の若者が黙々と!!!がんばっているではありませんか!この道、全部やるおつもりですか?と聞きますといや~やれるところまでとにこにこしています。私たちは疲れ切っていたので、今日はここまでだけどえらいね~と感心していましたら普通の乗用車のためでなく、救急車が通れないと困るからと仰るのでまたまた感動してしまいました。え~そうなんだ、ますますえらいねぇ気がつかなかった!そこで余力があったら又来るねと言ってひとまず帰りました。ひと休みしてまたしばらく一緒に汗を流し、用事があったのでまたお先に切り上げ、彼はといえば、暗くなってもまだやっていました。次の日。やはり彼一人で頑張っているので、仕方なく?はせ参じました。会社でも雪かきをするとのことでしたが、こちらの方が身が入ります、と彼は言います。やらされているのではなく、自分が好きでやっていることなので、と。ますます、感心してしまいました。こんな若者が息子だったらなんちゃって♪私もひょっとしたら雪かき、嫌いじゃないなと思ってしまいました。これも一人じゃないから、なのでして。誰か一緒にやってくれる人がいてこそ、の話なのですね。共同、協同、協働一人でやってもいいけど、二人以上で、一緒にやるともっと楽しいということはありますよね。一人ではいやだけど、二人以上なら楽しいということも。車道いっぱいの雪をどけるのは一人では絶対やる気の起こらないことでしたが、誰かが先にやっててくれたのでそれに加わることができ、そのおかげで、車が一台通れるように道が空いてむちゃくちゃ気持ち良く、達成感がありました。名も知らぬ若者よ、ありがとう!一番先に名乗り出る勇気を持たねば、と思うのですが・・・・どうも2番手が似合うようで。。
2014年02月17日
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母の1周忌で兄弟姉妹が集まりいろんな話に花が咲きました。靖国参拝問題も・・「日本は戦争でよその国へ攻めて行って隣近所に悪いことをしたのだから、中国や韓国とけんかばかりしてないで仲良くすりゃあいいんじゃない?なんでああやって怒らせるようなことばかりするんだら?」「慰霊のためなら他に千鳥ヶ淵があるしなあ」「靖国は慰霊の為の神社じゃないよ、英霊の顕彰のための神社だよ。小林よしのりも言ってるけど。英霊って奉って若者を煽って戦争をしやすくしたんじゃん」「そういえば、日本で言う英霊って逆の側から言えばつまり、加害者だってことじゃん。被害者の方は怒ったって当然だなあ」「問題はそれよりも、外国から言われたから、はいそうですかって引き下がるのかい?っていう安倍のような人達が喜びそうな言い方だよ。私は外国からの圧力には屈しません、って堂々とお参りに行けば何かすごく立派なことをしているように見えるじゃん?それで小泉なんて首相になる前は行きもしなかったのに、首相になった途端、毎年これ見よがしに参拝して、私はかっこいいだろ?圧力を跳ね返したぞ、っていい気になっている」「だってあの人達は遺族から参拝に行ってくれと言われて票が欲しいからいくんじゃ。行かんと票を入れてくれんむんで」「普通の人が行ったっていいけど、首相や国会議員が行けば、若者の皆さん、こういうところがあるから安心してお国のために死んでくださいっていう意味になるんだよ。中曽根が正直にそう言ってたじゃん」「戦前だって戦争のための道具だったんだもんなあ。今だって何も変わりゃあせんら」「慰霊なんて大嘘ついてなあ」「え、そうなの?戦争のための道具なの?そんなこと知らんよお。そうならそういう風に教えてくれなきゃあ」「知っとったら誰もそんなとこお参りなんかしないよ。知らないからみんな応援してるんじゃないの?国民の8割か9割の人はそう思っていないと思うよ」「マスコミもそんなことあんまり言わんしなあ」「そんなとこ、潰しゃあいいじゃん。戦争の為の道具が一つでも減れば・・戦争絶対反対だもん!」「戦争になっちゃあかなわんなあ。若い人は特に大変だ。俺らなんかより」「だから、思うに外国が言うから反対、外国と仲良くしなくちゃいけないから反対って言っても、右翼なんか喜ばせるだけだと思うなあ。日本国民が自分たちのためにこれからの若い人達のために反対って言わないと」「戦争ってことになるとすぐ利用されるようなそんな神社はいらんわ。だけど変な秘密法みたいなものもできたし、物が言えなくなるとおっかないなあ」「すぐそうなるかもしれんなあ。だけど何が起こっても戦争だけは反対せにゃなあ」「なんとかが牢に満つるとも、っていうし・・」というような、そんなお話でした。きょうだいとそんな話ができるのって幸せだなって思いました。同じような思いでいることもわかって。戦争絶対反対!って今なら言えるけど、言えなくなるような世の中にいつなってもおかしくない、というおそれが杞憂だとは思えないでいます。そうなっても言えるでしょうか?戦時中のドラマなんか見てると、大勢に逆らうことの難しさをまだまだわかっていないなあ、と実感します。牢に満たなくても、たとえ一人でも!反対する覚悟、本当にできているのかな?
2014年02月11日
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市役所に行ったら献血やってて前回から半年たっているのでちょうどいいかな、と。そしたら比重が10そこそこしかなく、ショック!自覚症状はなく、自信満々でしたから信じられない思い・・こんなにショックを受けるとは、というところも驚きです・・・傲慢だったかな・・しかし、いただいた「献血にご協力いただけなかった方へ」を読んでみて!胸に手を当ててみると、そういえば、自転車で出かけるとき動機がしたり、空腹でお風呂に入った後、少しくらっとすることがあったかな?でも、動機は例の震災のあとの後遺症のような、心臓のパクパク?で心配ない、空腹のくらっと感は誰にもあることだろう、位に思っていたのでした。まさか貧血ぎみなのだとは思いもよらず。畑に自転車で往復するようになってから身体が丈夫になったとばかり思っていたところを脳天をガツンとやられたような感じです。でも、栄養が偏っているところを直せばいい、くらいのご指摘でそうか、野菜ばかりに気がいっていたな~とそこも少し思い至ったのでありました。もう少しバランス良く、栄養を摂るよう、心がけなくては、です。日頃の生活態度が問われますね。それにしても、献血できることはすばらしいことなのだ、と改めてわかったことは良かったと思います。御身大切にと自分にも言い聞かせ、そして、他人様にも!
2013年12月27日
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若者よ赤紙来たらよろしくね靖国参拝してきたからね靖国参拝は過去の問題ではなく未来の問題だし、絶対に戦争を起こさないという決意の表れでなく戦争になってもかまわない、という決意?の表れであり、周辺諸国への影響の問題でなく日本国民自身の問題だというのがより本質に近いと思います。あくまで公の立場での参拝についてですが。
2013年12月26日
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言いたいことは、国を愛しても「片思い」にしかならない、ってこと。国が国民を愛するくらいなら、戦争なんか絶対起こらない。だってそれは国民を殺すことだから。戦争を回避する手段を最後の最後まで戦争が回避できるまで貫き通すこと人にはその知恵が授かっているのだから。国家という枠に囚われない知恵人と人とが国や肌の色や宗教や言葉の違い、その他もろもろをものともせず!本当のつながりを、支え合い助け合うつながりを、作り出す知恵力で対抗しようなんていつまでたっても堂々巡りにしかならないこと、真の平和への道にはならないことを人はそろそろ学ばなくてはいけない頃。国家という枠にとらわれていては真の知恵は浮かんでこない愛国心が第一だとそれさえ教えていれば人権なんて二の次だとたとえ戦争になっても勝ちさえすれば平和に暮らせる?そのために大勢の人々を死に至らしめても?人権なんてくそくらえ?そうした考えはもう何十年も前に間違いだと証明されているのではないでしょうか。今日で丸9年になり、明日から10年目に突入!ということでしつこく、言いたいことをば♪♪
2013年12月19日
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先週、発疹があり、それ以前から何日か痛みが出ていたこともあったのですぐ皮膚科に行ったところ、帯状疱疹だろうと診断されました。だろう、というどこか曖昧さ?を感じる診断も、ムリはありません。発疹自体たいしたことはなく、痛みもさほどなく、帯状というにも、少し?マークがつくくらいにて。それで、まだまだ症状がひどくなる可能性があり、ひどくなったらすぐ来るように、このままだったら来週でいいよ、ということになりました。(痛み止めとビタミン剤と塗り薬処方)感じていた痛みは3カ所。我が家は部屋の真ん中に洗濯物がたいがいいつも干されていて、(そこを縫って歩くとどうしても)その洗濯物の先端に頭が触れるとひりひり、というか、ちくちく、という痛みが耳の上辺りの頭皮に走り、それが一つ。その側の耳の奥に時折ちくちくとした痛み。喉の痛み。それも同じ右側の方。その3点がほとんど同時という位に痛み出し、病院に行くべきか行かざるべきか、行くとしたら何科に行けばいいのか?しばらく悶々としていたら発疹が出て、あ、皮膚科に行けばいいんだ、と安心したような次第で。。。それにしても出た発疹も耳の少し上の辺り、と口と顎の間の2カ所で、離れているし、どちらもたいしたことないし、ネットで調べたことと症状がだいぶ違っていました。喉とか耳の奥とか痛くなることもあるのですか?と聞いたら、そういうこともありなのだそうで、何となく納得はしましたが・・先生に外出は控えるように、と言われた時はハイと言いつつ、内心では「太極拳くらいは大丈夫だろう」なんて不遜にも考えていたのです。ところが、何ともないと思っていた割には、いざ外へ出ようとなったとき、どうしてもその気力がわいてきません。泣く泣く太極拳は諦め、結局一週間はどこへ出かける気もおこらずに過ぎました。一週間たち、今日、晴れて外出の許可がおりまして!こんなに軽く済むなんて、違う病気じゃなかったのですか、みたいな失礼なことを先生に聞いてしまったのですが、「いや、間違いない」とのことでした。高い薬を使わずに済んで良かった、とも。看護師さんに言われました。若い方ならかる~く済む人もいるけど、「あなたは珍しい」のですと。喜んでいいのか、な。畑のことが気になっていたので、やっと行けるようになった、ということはうれしいのですが、先週「出かける気にならなかったこと」が今考えてみると、自分でも不思議に思えてきます。行く気になれば行けたんじゃないか?・・さては休みたかったのかな~・・いや、本当に休みたかったんだよね!働いていなくても、休みたいときってあるんですね・・・厚かましい私の場合、だけかもですが。皆様もどうぞ御身大切に!
2013年12月16日
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秘密を守らない人には秘密は話してもらえないそう、さいたま市で行われた公聴会で、与党側の推薦人が言いました。自衛隊関係の人のようですが。衆議院で行われた強行採決を「するため」、の公聴会では与党の推薦人まで慎重な意見を述べたので、こういう人選になったのか?と勘ぐりました。それはさておき秘密が必要なのは、私たちのような市井の人間同士の間ではなく、利害関係のある国と国との間(それは資本家同士の間と言い換えられます)。人の上に国家を置きたい方々は、どこまでも自分だけは国に対して忠実でいたいのか?それとも、人々を国に跪かせたいのか?両方かもしれませんが、ご自分が尽くしたいならいくらでも尽くしてもかまいませんが、人様に強要するのはやめにしてほしい。秘密なんて、人間同士の本当の繋がりには邪魔になるだけです。子ども達に、疑心暗鬼の社会を受け継がせるわけにはいきません。人間同士の繋がりを妨げる国からのいかなる圧力にも断固、抵抗したいと思います。
2013年12月04日
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沖縄選出の自民党国会議員が全員、普天間基地の県内移設=辺野古の海埋め立て賛成に転じたという事に関して彼らは皆自民党本部の、幹事長をはじめとする怖い方々に脅されて、そっち(公約違反=自らの県民との約束を反故にする)を選んだということが言われています。もともと中央と反対の公約を掲げていたことがおかしいと言えばその通りなのですが。。。これでは沖縄自民党は「おおうそつき」のそしりを免れません。どうやって繕おうとしても、たとえ、沖縄の自民党を支持する方達が許したとしても、それでうそがうそでなくなるわけではない。しかも、脅されてうそをつかざるを得ないという立場に、公の人間が追い込まれてしまう、ということがこうもあからさまに、子どもにもわかるような方法で起こっていて、その同じ口で子ども達に「道徳を身につけるように」と仰る。そんな大人たちを一体どうやって信用しろというのでしょう。本当のことばかり言っていたら政治はできない、とでも?そして同じ方々が天下の秘密は守らにゃならぬ、と言っているのはウソばかり(庶民に知られては困ること)だからだろう、と思ってしまいます。国民の安全を守るため、とお題目のように言っていますがアメリカと仲良くしていれば(いや、アメリカにくっついていれば)国民は安全というわけではありません。これにはウソとドーカツがつきもので。国家同士の結びつき(これはもろ資本家同士の利害関係)より人間同士の結びつきの方がより大切なことだと叫びたい思いです。
2013年12月01日
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時の政権にとって一番怖いものは何か?それは外国の軍隊ではないし、外国の民衆でもない。自国の民衆(の反乱?)なのではないでしょうか?どこの国も同じこと。だから、秘密は自国の民に知られては困ること。権力を持っているものにとってその権力の基盤が脅かされるおそれのある「民衆が立ち上がる」ような事態は決して招いてはならない。それには、真実にフタをするのが一番。どこの国も同じです。だから権力を持たないものは世界中で仲良く手をつながなければ・・・そこには「秘密」なんて一切いらないよね!
2013年11月23日
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畑仲間の一人が言います。公民館の仕事をしていて、そこは二人で交替なので、二人とも都合のつかないことがあって、困っている、と。その仕事ができるのは二人だけ、二人とも外せない用があり、他の人に頼むわけにはいかないし・・どうしたものか?これに類することは山ほどありそうです。もっと交替出来る人を確保しておけばよさそうなものですが、人を増やせば人件費が増えるとか、少ない労働を分け合ったりすればそれだけ取り分が減ってしまうとか、働く人には、いや、雇う側の人にも窮屈にできています。一日でも、一時間でも、隙間を埋める予備の人員確保、ということができにくい、のですね。これを、誰でも交替要員になれるような、いつでも予備の人が準備されているような柔軟な働き方ってできないのかな、と思うのです。社会全体で取り組めば、不可能な事じゃないという気がします。埼玉県の秩父市には「お助け隊」というのがあるそうですが、「すきまうめ隊」なんてできれば、すぐ登録して研修でも何でもするのに・・・とは言っても、資格とか技術とか、力も何もないので、できることは限られますね。でも、「社会にはいろんな能力が眠っている」これを生かさねばもったいない、と思います。自分のことはさておいて♪
2013年11月07日
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朝、『週刊ニュース深読み』夜、『熟年サバイバル術』どちらも途中からちょこちょこと見ただけなので、その感想。景気回復で給料はあがるのか?という設問があったらしくアナウンサーの小野文恵さんが、「若者を企業が育てることが必要」的な発言をしたら、「そんなのは今の時代、妄想だ」というメールが。そのメールにえっと思いました。今はどういう時代だというのでしょう?社員は儲けに貢献するだけの道具にすぎない、覚えなければ取り替えればいい、そのためには取り替えが簡単にできるのでなくてはならない・・・そういう時代だと?・・・げんに、限定正社員なんて持ち出してきて、社員を全体として解雇しやすくしようという目論見も安倍政権によって進められているようです。こんな意見の持ち主がいて、企業側に喜ばれるような施策がすいすいと推し進められていくのでしょうか?働きにくい世の中にどんどんなっていく・・夜の部では、希望が少し持てました。熟年の労働力と若年の労働力がパイを奪い合うような形でいがみ合うのでなく、補い合う方向で、それこそ、1時間とか2時間とかの細切れの働き方を一般化して分かち合うのもありではないか?というような意見には共感できました。そもそも、労働時間が長すぎる。給料が同じで労働時間を短くなどという意見は大賛成ですね。企業は事実上の賃上げになるようなことは絶対いやでしょうけど。でも、政治は企業のために一生懸命ですが、(税金だけでなく労働条件の切り下げにも一生懸命)本来は、企業のために社会があるわけではない。。企業の儲けを第一に考える社会を、働く人が働きやすい社会に変えていくこと、これがなくては、大事なことは変わらない、という気がしています。
2013年11月02日
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というか、正確には間引きという名前ですが・・・ほうれん草の10cmくらいになったものがひしめき合っていたので♪本当の紛うかたなきはじめての間引き、という事で言えば、人参(の葉っぱ)。これを茹でておひたしみたいにすると、芹のようなお味で。芹が大好きな私としては、意外な発見でした。まだ小さい葉っぱがたくさんあって(というより、何故か?未だに大きくなれないだけのことなのですが)、芹のお味がまだまだ楽しめそうです・・・さて、この初収穫?のほうれん草のお味がまた、えもいわれぬ!お味なんですね。感激ものでした。あの小さな粒がこんなに大きくなって・・白菜や大根なんて、もっと小さい種なんですよね。あんなに小さな種が、どうしてこんなに大きく育つのかと(収穫はまだまだ先ですが)、自然の力の偉大さに、ただ心打たれております。人の力なんて、ホントちっぽけなものに思えて来て・・でも、ちっぽけなのは私の力なのであって、人の力が全体としてちっぽけというわけではないのですが。少し、自然に対して謙虚な気持ちが芽生えて来たような気がしています。自然に対して働きかける、そして自然の心?に沿うような形で!人に有用なものを引き出させていただく、という意味で、「労働する」という言葉を使うなら、やはり私は労働して生きていきたい、と今日も考えているのでした。
2013年10月31日
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畑にいると、ときどき、我を忘れている時があります。多分、今までの人生で、夢中になって何かをやったことが少なかったのでしょう。同じ借り仲間?の一人は これやってると「癒されるんだよね~」とうっとりと仰います。忙しい合間を縫っての畑作業はストレス解消なのだそうです。私はそこまでは行きませんが、無心に草をむしっているときなど、「自然と対話」をしているなと感じるようになりました。実は自然の方では、何をするんだ、大事な草を抜いて、と怒っているかも知れませんが・・・そう考えてみるのも楽しかったり。そうしていつの間にか考えているのは母の事だったりします。母もこうして、自然と対話していたのかな?などと。畑作業を楽しく感じるのは人間が自然に持っている力なのか?それとも母の遺伝なのか?などと考えてみるのも、面白かったり。誰しも野良作業をしたいわけではないと思うので、自然に備わった力、とは言えないだろうけど、でも、実際やってみたら楽しかった、という人はひょっとしたら多いかもしれない、ような気もします。(今回初めて鍬を握るなんて方も、楽しそうに畝を作っています。私の3倍くらいのスピードでしかも、めちゃくちゃりっぱな畝を作るので、何十年も?鍬になれていた私としては大ショック。男性だから力はあるし、一般的に道具の扱いは器用な方が多いとは言えるかも。と自ら慰めつつ。)昔は多くは、自然に働きかけて、自然の恵みをいただくのが労働だったと思うのですが、今でも、その労働がなくては人類はやっていけない、ことは確かです。ということは、それが楽しいものだ、という遺伝子はやはり多かれ少なかれ、人という動物にすりこまれているに違いない、とこじつけて、人は自然と対話しつつ生活した方が幸せなのではないかしら?などと、考えています。農作業(他に林業や水産業)だけでなく、科学技術の開発も自然との対話だし、空や海や風や雲との対話もそうだと言われればそうなのですが、それはそれで別個に発展していただいて結構なので、一次産業の方も希望者は誰しも参加できるようだといいな、と。
2013年10月27日
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私の住んでいる市では、市の施設を案内してくれる催しがあり、給食センターや、クリーンセンター、浄水場などを見学できます。随分前に見学した際、クリーンセンターで堆肥をいただいて帰ったことを今回、畑に精を出すにあたり、思い出しました。隣の市では、堆肥の作り方を教えてくれる講習会が年に何回かあり、そのためのキット?を200円とか300円とかの値段で参加者に売ってくれるのだとか。私のところにはなさそうなので、それに参加したいと思ったら、季節的に今はやっていないのですと。つまり、温度が低いと発酵しにくいため、夏場だけの開催だと言われました。そうした堆肥で育った野菜は病気や害虫に強く、消毒しなくても丈夫に育つと聞いたのですが、一年目ではそれは期待すべくもなく・・・何度か消毒されてしまいました・・・こうなったら来年からでも自分で作った堆肥で、などと意気込んでみたものの、手っ取り早く手に入る物はそうそうなさそうです。仕方がないので、穴をほって、落ち葉を集め、あとは生ゴミやら米ぬかを調達して・・等々、考えあぐんでいます。ネットで調べる手もありますし。財政的に考えても、「生ゴミが減って堆肥という資源」になれば♪焼却費が減り、有用物が出来、それが販売できれば支出はへり、収入は増えるということにならないのかしら?そんなに上手く行くならとっくにやってる?のかもしれません。循環型社会をうたうなら、多少経費がかかってもやってみる価値はありますよね。そのうち、市に聞いてみようと思います。
2013年10月21日
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電気自転車を買っていただいたので♪これからは、晴れて!一人で畑に行くことができることになりました。今日は早速勇んで出かけたはいいのですが、坂道を上るのが楽ということを除けば、目的地までにかかる時間はさほど変わりません。(いや、この坂道が実はあまりの楽さ加減に感激しています。)やはり、人様に頼っていたのでは、一人前にはほど遠いというものですね。それでもまだほど遠いって?・・・確かに。そこで、何と一人でスギナと格闘することに。一人では何ほどのこともできないのですが、1時間半ほど、無心になれました。意外と楽しい・・・それにしても、スギナの生命力は驚嘆に値します。少し前に根っこを掘ったはずのところに、もう次の芽が。畑中に根っこが縦横無尽に走っているかんじです。とってもとっても、掘っても掘っても・・あまり深く掘り下げられないので、ムリもないことですが。その生命力、少し分けてもらいたい。調べたら地上に出ている部分を干してお茶にするといいようですが、今度やってみようかな。しつこいようですが。自分一人で行かれる、となると、やはりいっちょまえ、に近づいたという錯覚が起きるわけでして、今はそれでも何か、やったぞ、という達成感を味わうことができ、とりあえず、満足♪しています。ひとのふんどしで相撲を取るという言葉がありますが、大勢の人のふんどしをお借りしている上で、とりあえず一つ、ふんどしをお返しできた、ようなことでしょうか?スギナに負けないように・・・がんばらなくちゃ♪
2013年10月11日
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とは、畑づくりの先輩のお言葉です。まだお百姓さんにはほど遠いながら、基礎の基礎から教えていただかないと、右も左もわかりません。NHKの『やさいの時間』など見ても、ほんとのところ、何がどういいのか、さっぱり。先日白菜の種を植えたところが、隣の畑のと比べると、まるで大きさが違います。聞いてみたら、播いた日はたった3日しか違わない・・何でこんなに育ち具合が違うのでしょうか?と聞いてみても、その方はまるでわからない、と。肥料もそんなにやってないよ、と仰います。少し考えてみたのですが、私たちが(複数でお借りしているので)よかれと思って、馬糞の発酵したものを(下さるところがあり)撒いたのがよくなかったのかな?と思えてきました。まだ発酵途中のものを使うと逆に作物に悪い影響を与えてしまうということがあるとか。たぶん、できたてのものだったような・・それと、お隣の畑では、昨年はそこにネギを作っておられたということで、ネギは土壌改良の有り難い性質を持っているので、それが良い結果をもたらしているのかも・・とはお隣の方のお言葉です。土作りと一言で言っても、いろんな難しい問題があり、一年生の私にはわからないことばかり。一年生だから失敗は許されるよね、と皆で笑って話していますが。毎日行けないので、ちゃんと面倒見られるわけがない、というものです。やるならもう少しきちんと向き合わなくては、と思っていたら、何と!つれあいが!電動の自転車買ってもいいよ♪ですと。現金収入ないのに、今はまだ出て行くばかりなのに、そして、来年から消費税あがる!というのに。節約、節約!です。でも、土と戯れていると、「ホントのひととき」「ホントの人生」という昔の言葉が思い出されてきます。現金収入なくても「生きて」、「働いている」、という実感が持てます。
2013年10月07日
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畑を貸してくださる方があり、少しばかり、農作業のまねごとを始めました。といっても、今のところ草の根っこ掘りが主な仕事ですが・・あ、種まきもやっとこの頃少しずつ、始めています。大根、白菜・・そして、驚いたのは、草取りばかりだった頃でさえ、土に触れる喜びがこんなだったか?ということ。農家の生まれで、土に触れることは当たり前で、それに飢えていたのかしら?しかし、生まれは農家でも、畑の作業は実はほとんどしてきていません。お手伝いは田んぼか養蚕かのどちらかが多く、野菜作りのお手伝いはあまり記憶がありません。それこそ、草むしりくらいでした。そして、その草むしりが一番?きらい・・・だったような。ところが、草の根っことの格闘が今回、楽しくてしょうがありません。それは土に触れる喜びが、なのかひょっとしたら、何人かの人と一緒に、というところが ミソかな・・いくら草むしりやりたくても、一人では絶対にいや、なのです。そこが甘えと叱られるかもしれませんが、私としてはそうだというしかありません。一人で黙々とやっていらっしゃる方は本当に尊敬してしまいます。何人かと一緒というのは、少し遠くて、車で連れて行っていただかなくては行けない所なので一人ということはないのでして♪・・そして何より驚いたのは、やっている最中ではなく、終わって家に帰った時の充実感?開放感、うきうき感がはんぱない!ことでした。この幸せをみんなに分けてあげたい!とずうずうしく、思ってしまうほど。。その手の幸せ感を味わうのは何年ぶりのことでしょう?労働をして、社会とつながっていたい、それは生活の基礎だ、と思っていても、なかなか働く場を見つけ出せないでいるのですが、今のところ、この小さな幸せが、その分補ってくれているのかな、と感じています。まだまだ全然、不十分ですが・・・
2013年09月28日
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全国で最低だったから、という理由でそのテストで下の方の順番を賜った学校の校長名を公表する!とか。静岡県知事が騒いでいます。正気か? と思いました。そんな(くだらない)問題で知事と教育委員会がもめている、との報道があり、貴重な時間を費やして、←大の大人が寄り合って双方言いたいことを言って折り合いがつかず、平行線で話し合いは終わりました、とのことですが。―その話し合いの一部を報道で見ましたが、知事はまるで「だだっこ」でしたね。「公表します!」の一点張り。学力テストの結果が最優先?「校長名と学校名は違う」とか、訳分かりません。素人考えでは、同じ事です。―「学力テスト様」が水戸黄門の印籠のように、教育界に君臨して、知事も校長も―ひいては子ども達も―その前にひれ伏している、←ひれ伏すようにさせられている?感じがしてなりません。学テのことでこれだけ大騒ぎするのでは、それさえ良ければいいのか?と肝心の子ども達の人格形成に、とっても良くない教育をして見せてくれています。たった一度の学テの結果で何がわかるというのでしょう。やれば絶対最下位の県は作られてしまうのだから、その県では点数を上げるために、そのためだけに!他を犠牲にしてでも!点取り競争に邁進することになりはしませんか?いや、最下位のみでなく、ひょっとしたら全ての県、かもしれません。知事はそんなことを奨励して、何か子ども達にすばらしい未来を約束してくれるとでも?それが将来の子ども達の幸福にどんな役割を果たしてくれるのか?少なくとも、点を取る技量は教わっても、本当に大事なことは、教わり損ねるのでは?他に、人として、学ぶべきことがいっぱいあるというのに。人生はすばらしいというそのことを知るのに、点取り競争は必要ない、あったとしても、順番は後の方でいい、そんな気がします。この知事のように大騒ぎする人がいるから、だから学テなんかやらない方がいいんだって!と言いたくもなりますよね。
2013年09月17日
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今日のNHKの「どうする消費増税」―パイが先か分配が先か?―「企業にまず、儲けてもらい、その後、賃金が上がるという順番はあるが、その逆はない」、と甘利大臣。デフレ脱却は何がいいか?それは「物価が上がるが、それを超えて賃金が上がる」とのお言葉もありましたが、その保証はどこにもない、ですよね。日本を元気にするためには、まず企業に元気になってもらう、(次にそれが家計に波及する)のが政府の仕事。つまり、まず、企業を儲けさせるよう国が取りはからい、そこから従業員の給料をあげてもらうしかない、「企業に労働者の賃金をあげてくれ」とそこまで言った政権は今の安倍政権をおいてない、そうで。企業に自信がないから、ボーナスを上げるに留まっていて、基本給を上げるまでに至っていないが、その企業に自信をつけてもらうことが大事。なんですと。国の仕事は企業を儲けさせること、と正直に仰っておられてびっくり。これこそが資本主義そのもの。お国にそういう政策をとってもらわないことには、国際競争力も持てない、情けないことです。消費税を上げることと、5兆円の財政出動は関係ないとか言ってるけど、要は庶民から搾り取って、大企業に回す、と同じことでは? もちろん、政府は否定してますが。消費増税が遅れると、財政規律が崩れる、それは国債の暴落を伴うことになり、長期金利が上がってローンを抱えている家計は大ピンチになる、との意見もありました。だからどうして消費税にその責任を持たせるのか?ということです。他の税の増税で借金減らす方策が全然ない、と言いたいようですが、それは資本主義を前提としているから。企業の儲けを第一に考えないといけない社会だから。としか言いようがありません。もう企業がまず儲けて、パイを大きくしてから庶民に回ってくるのを気長に待つ、なんて言ってる場合じゃない、その間に借金はどんどん増えて、生活苦に陥る家庭もどんどん増えて、非正規雇用で結婚も出来ず、出産もできない、少子化が進み、税収は増えず・・・そんな社会がすぐそこまでやって来そうです。視聴者のメールの中で、「働ける高齢者はどんどん働いて、支える側に回ってよ」というのがあり、私も是非そうしたいと思っているのですが、毎週日曜日の求人広告にはなかなか、ぴったり合った仕事は見つかりません。身体が丈夫じゃないというのがあり、たまにいいなと思うのがあっても60歳までです、と断られたりしています。社会保障費がやり玉に挙がっていますが、誰しも社会におんぶされたいと思っているわけではない、支えたくても、その場がなかなか少ないということもあるように思います。働いている方が、人間、元気でいられる、ということがあるようですが、それも、ムリをしないで働ける範囲で、のことに限られると思われます。ムリをして病気になっては、それこそ医療費がかかります。イギリスの話も出ていましたが、税率20%でも、生鮮食料品が非課税であり、医療費がかからないのであれば、国民が納得できるのもわかります。負担能力に応じた負担ならば、痛みを分かち合うというのも頷けますが、全然能力に応じていないから納得できないのです。消費税上げるなら、負担できるような政策、たとえば、生活必需品は非課税、教育費、医療費はただ←これははずせません。強制的に希望者は全員正社員にするとか、労働時間を4~5時間にするとか、誰もが普通に働いて、普通に生活できるようにする、そうした働き安い政策でもとるというなら、まだしも、です。
2013年09月15日
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「子どもは社会で育てよう」という言葉も空しく同じ県内で起きた痛ましい事故。母親に置き去りにされ、熱中症でなくなった1歳児の女の子は、その母親に抱っこされている写真が新聞に載っていて、とても可愛らしく、カメラの方を見ていました。愛されていないようでは全然ない。半年も前から日常的に置き去りにしてきた、と報じられていますが、最初はその母親も身を切られるような思いだったと思います。何度も繰り返す内に、その気持ちにも“慣れて”しまう・・置き去りにして、その間にアルバイトを2つも掛け持ちしていた、というのですから、その気持ちを考えると憐れでなりません。こうなることは予想されていただろう、と母親を責めることはあってしかるべき、とは思いますが、それでは済まない問題がどうしても気になります。こうした事態を起こさないために、社会は!何をしていたのか?できることはなかったのか?通報があったり、児童相談所の方が面会したり、ということはあっても、この子どもを助けることはできなかったという事実。そして、もしかして自分がその隣に住んでいたとしてもきっと事態を好転させ得たと言い切ることはできません。そこにもどかしさというか、閉塞感というか、閉ざされたものを感じていかんともしがたいのです。育児は母親だけにまかせない、←もっと開かれたものに!という社会の断固たる姿勢が目に見える形で現れるようでないと、似たような事例はあとを絶たないのでは?と思うのですが。「他人の家のことに口を出すな」という壁は、こと育児に関しては「例外にならないかな~」というか、社会にもっといろんな開かれた窓口が出来てもいいんじゃないの?と切に願います。個人的に解決できる問題とは思えません。(隣に住んでいても、たぶん個人では何も出来ないので・・・ごくわずかのこと以外)
2013年09月13日
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と、朝日新聞に向かってぶつぶつ文句を言ってしまいました。昨日の編集委員のコラムに「増税先送り論」・・・子どもたちに何と言う?と題して、消費税の増税を予定通り来年4月に実施するかどうか、安倍政権が迷っているならとんでもない、つけを子どもたちに回すのは許されないとあったので。何度も言いますが、それで子どもたちにつけを回さないことになる、と本気で考えているのでしょうか?消費税は誰が払うのか?その子どもたち、ではないの?おおいにつけを回しているではありませんか!?現在の財政危機をもたらしたのは、こどもたちではないし、普通に働く庶民でもない。国債をじゃんじゃん発行して企業に尽くしてきたのは歴代の自民党政権や連立政権。そうした方々の政治がもたらしたのが今の赤字の山なのでは?そうした方々にこそ、責任をとっていただきたいものです。所得税や法人税の累進強化や、不労所得である株売却益や相続税の強化等々こそが消費税の増税の前に必要なことではないでしょうか?そんなことをしたら儲かっている会社や個人は外国へ逃げていってしまう、という話になるのでしょうけど、それがこわくて庶民に対する大増税しかできないなんて、全くひとを馬鹿にした話です。資本主義を前提にしたら、庶民は浮かばれない、と考える所以のものです。その記事の中で、小泉進次郎氏が中学生に授業をする機会があり、「自分の手の爪か足の爪か、どちらかはがさなくてはならないとして、自分で選べるなら、どっちにするか?(村上春樹氏の例えを引いたとのこと)」と聞き、「その苦渋の選択をしてもらえるように説得するのが政治」と訴え、中学生は好意的に受け止めていたともあり・・・これにも違和感が。。(小泉ジュニアの応援団か?)なんで、生きている人の生爪をはがさなくてはならないのか?必要以上に爪を伸ばしている人からいくらでも!ぱちんぱちんと切ってもらえば済む話では?必要以上の富は邪魔でしかない、のでは?その富の源泉が、自ら生み出したわけでなく、パソコンで右から左に移しているだけで「生み出されているように見える」だけの他人の生み出したもの、ではないでしょうか。実際に人の役に立つ有用な物を作り出している、わけでない人たちが膨大な富を手にする、こういうことが普通に起こっていても、社会は少しも良い方へ向くことはない、と感じます。
2013年09月09日
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ニフティの週プレニュース 9月2日にTPP参加に反対という孫崎氏の言葉が載っていました。「このままでは貧困格差が広がり、年収1億円と100万円という形に二極化していく、お金や組織から離れることで新しい道が開けてくるのだとも思いますが・・」とか・・孫崎氏の言葉かどうかわかりませんが、記事では「田舎に移住したり、自給自足を始めた若者の間では物々交換、労働交換、地域通貨などを活用して“お金のいらない国"に幸せを求める気づきもある、TPPによる二極化は経済発展を選ぶのか、ブータンのように国民総幸福量を選ぶのかその分岐点に来ている」とまとめられていました。二極化がもたらされるのはTPPによるとばかりは言えないかもですが、確かに経済的な格差は今の政治の下では!拡大することはあれ、縮小することは見込めない感じがします。物々交換、労働交換、地域通貨などなどの発展?によってその先に、お金のいらない社会!展望できるでしょうか?
2013年09月03日
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土曜日のテレビ東京、NHkで同期のアナウンサーだったという池上彰氏と宮本隆治氏の司会による歌番組がありました。「懐かしの名曲でつづる昭和の大ニュース」「反戦」と「学生運動」と「歌」のところで、民衆は戦争は嫌いなんだな~としみじみ感じ、いつの間にか涙が・・ことに『フランシーヌの場合』なんて・・・戦争は仕方なくなんかない、止めなくてはいけないものだ、と改めて思いました。民草が争うことを是とする場それが靖国“敵"も民草民草同士、連帯することが反戦になると思います!・・
2013年08月26日
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『生きづらい世を生きる』と題して『逝きし世の面影』という本の著者 渡辺京二さんへのインタビュー記事。「資本主義の進化が共同社会を壊したまだ成長が必要か」という副題で「たとえば、江戸時代の長屋ではお隣さんに子供を預けて出かけることが出来たが、今ではお金を出して、ベビーシッターをやとわなくてはならない、など、共同社会では無償で支え合ってきたものを、資本主義社会は商品化してしまう」「生産能力を我々は十分に持っているのではないか?これ以上の成長が必要なのか?」という中身はかなり共感できる部分が多いのですが、(ほとんど端折ってます)一つ、最後の国家に関する人の関わりについて、「仮住まいをしている大家さんには義理をたてなくては」という言葉だけは賛成しかねるところです。国家に対する、無条件?の信頼感がそこにあるのかもしれませんが、国家ほど、無条件に信じてはいけないものはない、といっても良いくらいだと思います。お国は間違うことがある、眼を光らせていなくては、たとえ間違いだと思っても、お国の言うことに逆らえなくなる、と思っていた方がいい、と。国家はあくまで、人のためにあってこその国家。国家のために人が何かをしなくてはいけない、のは、その成員のためになること、のみであり、他国との戦争に駆り出すなんてことはあってはならないと考えます。ムロン、そこまでのことは仰ってはいませんが、義理の中身が気になった次第です。
2013年08月23日
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読み間違いではないか?と何度も読み返してしまいました。本日の内容は、まさに国家の借金の残高について・・マスコミに期待する方がおかしい、と言われればそうなのですが。『消費税を上げても、赤字を減らす第一歩にすぎない』?『社会保障費など歳出の絞り込みは待ったなし』?増税の・・『先延ばしは、なしに願いたい』?『日本人は・・気がつけば国全体でキリギリス化していた』?『歴代政権の責任は大きいがツケを子や孫に回したくはない』という正しいことを言いながら、ツケを子や孫に回さないやり方が消費税の増税をちゃんとやることであり、社会保障費を減らすことであり、・・と言っている。それは庶民が歴代の政権のやってきたことのツケを払わされることだ、ということに気がつかないの?国全体がキリギリス化とは、借金の責任は働かない国民全体のせいだと?とらさんではないが、労働者諸君、と呼びかけたくなります。勤労者の皆さん、自らの労働そのものだけでなく、税負担の面でも、可能な限り、いや、それ以上の負担を強いられ、社会を支えてきた皆さん、その皆さんが、借金の責任を何で背負わされなくてはいけないのでしょうか?借金の責任が国民全体にあるかの言い方、政権の御用新聞かと思いました。
2013年08月20日
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6月の話なのに、今頃ですが。それなのに、あまり大騒ぎされてないような気が・・・もう消費税上げることが決めてあるから、お偉方は安心しているのでしょうか?でも、そう上手く行く保証はないように思われます。富裕層に減税して、庶民に大増税という取りやすいところから取るという政策がず~っと続いている感じがするのですが・・税収はちっとも増えていませんよね・・私事ですが。年金生活で、身体も丈夫じゃない、と来ているので、新たな収入は見込めず、やはり、野菜作りでもお手伝いして現金の出費をいくらかでも抑えていく方法を考慮中です~と気軽に考えていたら、なんと、畑を貸していただけるようです!と言っても、ベランダで野菜を枯らしてばかりの情けなさ。。少し真面目に野菜作りを学ばなくてはいけません。出費を減らして消費税の負担を少なくしよう、なんて、少し前なら非国民??と言われていたかな?だけど、負担能力に応じて税金も負担するようになっているなら、そんなこと考えませんです。私の目論見こそ、そんなに上手くは行かない、とは解っているのですが。ちょっと言ってみたかったりします♪
2013年08月18日
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その国“だけの"正義と言った方がいいかなを主張してもあきまへんで~どこの国にも、そうしたものがあり、ある国だけが絶対的に正しくて、他の国が絶対的に間違っているなんてことはないので・・・もっと言えば、国単位で物を考えると、間違った方向へ進む可能性も大いにあるかと・・戦争は国と国との関係とはいえ、実際に相まみえるのは人と人。若者と若者。相手にも愛する家族があり、故郷があり、同じ人間同士。絶対に!好きで殺したいわけじゃない・・・世界を国と国との関係でなく、人と人との関係で築き直すことができたら・・・涙もろくなって、最近は眼が痛いことばかり。。悲惨な戦争にまつわるテレビを見ては泣き、新聞の記事を読んでは泣き、歌を聞いては泣き・・・我が国の繁栄は世界が平和でなければ成りたたない(と、式辞などでは国の繁栄と世界平和は必ずと言っていいほど、並べて述べられます)。と解っているなら、世界に通用する正しさ、正義を主張しなければ。靖国参拝がそういうものであるなら、反対する人たちの理解を得るために、最大限の努力を惜しまず、説得し、参拝すればいいのです。そういうものでないから説得もできないし、参拝もできない、のでしょう。頃合いを見計らって参拝はするかもですが、説得することはまず不可能でしょう。靖国参拝は、世界に通用する正しさ、ではないから。(国内のみでも!ですが)戦争を否定するものではないから・・・若者に対して、戦場に征くのを拒めなくするような場所だから・・世界平和への願いに逆行するものだから・・
2013年08月16日
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本日、朝日新聞夕刊の一面トップがこれ(4~6月期)。増税目安ほぼ満たすがサブ。1次速報だし、まだ決定というわけではないですが、消費税増税にはずみのつく数字ということのようです。これには、同じ紙面で株で儲けた人が高級品を買って消費を引っぱっている、円安のおかげで輸出が好調、という背景があり、庶民の消費が伸びたわけではない、という指摘もありますが。企業に大盤振る舞いをしておきながら、消費税という庶民にずっしり重くのしかかる税金を上げるというなら、徹底的に物は買わない、という不買運動で対抗しようではないの、と息巻いてみたくなります。弱い立場の者同士、融通できるものは融通しあって、買わずに済むものを増やしていく、というのはどうでしょう?遊休地を耕して野菜を作る、というようなこと、力を出せる者が力を出し、土地や機械を提供出来る者はそれを提供する。或いはちょっとした助け合い、ということが大規模に広範囲に行われるようになれば、お金を介在させなくてすむことが増え、従って消費税を払う必要もない、と考えて、気分を良くするようにしています。税金の使われようが、庶民から収奪して大企業に移るようにできているなら、庶民はそれに何とか対抗しなくては、と思うのです。。。
2013年08月12日
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古き良き伝統はいずこ靖国は当然のごと死者を差別すそんなところへ、胸を張って国会議員が・・・恥ずかしくない?(当然・・と直しました♪)
2013年08月07日
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人はどんなときに感動するのかな、とふと。“命の輝き"に出会ったとき、それを見たとき、触れたとき、感じたとき、なのでは?人であれ、動物であれ、植物であれ、その命の誕生、花開くとき、音が奏でられる時・・・今日の広島の式典。子供達の「平和への誓い」の中で平和、それは一人一人が輝くこと、そしてそれは作り出すもの。というのを聞いて、こんなことを感じました。そして、人が一番見たくないもの、それは同じ人間が悲惨な眼に遭って苦しむ状況なのでは?とやはり今日、戦争をどう伝えるか考える番組(NHK朝イチ)を見て思いました。その戦争の話の中で、(どちらが悪いの?と子供に聞かれて)怪獣相手に戦う戦隊物のドラマに出てくる主人公も、ひょっとしたら、この怪獣にも家族がいるのでは?なんて思ったり、という発言があり、印象的でした。
2013年08月06日
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誇らしげに!靖国参拝する人は戦争だめと絶対言わない
2013年08月05日
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麻生氏のナチス見習え発言、本人によって取り消されましたが、では、あの時、会場でその発言を聞いて笑っていた方々はどうなのでしょうか?昨夜、その映像が流されていた報道ステーションを見ていて、とても不快だったのは、その発言を聞いてただただ笑っていた方々です。誰もその発言を不快に感じなかったのかしら?それどころか、喜んでいたとしか思えないのです。これは私の受け取り方ですが。聴衆の方々は、正しく、彼の発言を受け取り、日本でも「気がつかないうちに憲法が変わっていた」という事態になるのを望んでいるように見受けられました。わざわざナチスを持ち出したのは、その時の聴衆が!これを聞けば喜ぶであろう、と彼が考えて“奇をてらった"もののようにすら思えます。国家基本問題研究所というところ、人の痛みがわからない人たちの集まりでしょうか。
2013年08月02日
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私より9歳も若い、友人が逝き今日、お通夜の席に参列して驚いたのはお坊さんもいない、よってお経もない、線香もない参列者はお花を手向けるだけだったこと。宗教色のないのは初めてだったので、びっくりして、また感動。。喪主はまだ30歳にも満たない彼女の長女。だいぶ前に離婚されていて、今は娘さん二人だけが残され。10年ぶりくらいに会った二人はびっくりするくらいしっかりしていて。。彼女もそんな成長した二人を見ることができ、安心して旅立てだのかも。と思おう。今回そんな通夜の形、あってもいいんだって、若い、二人に教えていただいた気がしました。私が知らなかっただけなのでしょうが、またまた、私の時は、もしやるなら無宗教で、と今からお願いしておこう、と思いました。心温まる、静かな、良いお通夜でした。若い人の死はつらいですが・・・
2013年07月20日
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という言葉をどこかで見かけましたが、与党への投票こそ、その名にふさわしい、ような・・・もちろん、棄権はいけません!!若い人は特に、政治に期待が持てないという理由で棄権するのはもったいないです。政治を若い世代に振り向かせるチャンス!では・・
2013年07月19日
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いつもコメントを下さるTomさんが、前回のコメントで資本主義でなければ社会主義か共産主義か、と仰るのですが、いや、他のどの方も、大抵の方がそう言われるのですが。そこで、一つ今日は質問してみたいのです。資本主義を否定して、その上に成り立つ理想の社会のはずの社会主義、共産主義はもう過去のもので、歴史的に失敗している。ソ連や中国や北朝鮮が良い例(失敗の)で、あんな恐ろしい社会はごめんだ、ということなのでしょう。(か)ところが、そう仰る方の大部分が、歴史的に本当の意味で社会主義や共産主義の社会が実現したことはない、と片方で仰います。言いたいことは、そういう社会は実現するはずはないし、そういう社会を目指そうという勢力はろくな事をしない、できない、口先だけだ、100歩譲って、良き意図があるかもしれないが、実現度は限りなくゼロに近い。つまるところ、ソ連や中国のような不自由な社会に行き着くのが関の山だ、ということではないかしら。しかし、資本主義でない社会といえば、それ以外ないのでしょうか?ここが一番聞きたいところです。問題は、今の社会を根本から変えたいと思っているか?ちょっと修正したいだけか?資本主義をそのままにしていて別の社会を目指さなくて良いのか?ということではないか?と思うのは、結局、どんな勢力が国会で多数を占めても、経済が資本主義的である限り、←資本主義を前提にする限り企業の利益優先の政治しか得られない、と断ぜざるを得ないからなのです。資本主義のもとでは、個々の企業から利益優先の目標をはぎ取ることは不可能です。できることは昔聞いた言葉ですが良くて「大企業からぼろ儲けのぼろをとるだけ」今はそれすらできなくなっていて、ぼろ儲けの上にぼろ儲けをさせているような状況ではないでしょうか?それでいて企業がつぶれたら雇用も得られないぞ、と脅し、外国へ逃げてしまうぞと脅し。労働者はどんなに賃金が削られても、労働時間が長くなっても、低賃金過ぎて、労働条件が悪すぎて結婚できなくても、代わりはいくらでもいるぞ、と言われ・・・法律さえますます企業よりになり、権利は剥奪され・・・資本主義そのものを問題にすべき時だと思うのは、そういった政治しか、持てなくなっていることに危機感を感じていることもあります。今から資本主義以外の社会を模索した方がいいのでは、と思う次第です。共生主義と名付けたいかも。ブログ仲間(私が勝手に思っているのですが)のマー坊さんのところにヒントがあるような気もしますが・・・
2013年07月14日
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維新という言葉は好きじゃないけど明治維新は肯定的に考えています。坂本龍馬が好きなもので・・時代を前に進めるのか、それとも旧体制にしがみつくのか?その岐路に立っている、としたら、来るべき新しい時代のために何ができるか考えるか?それとも旧態依然として、倒れかけた徳川家をなんとしても守ろうとするのか?倒れかけているのはひょっとしたら資本主義体制そのものなのではないかしら?もう、国家をあげててこ入れしなくちゃにっちもさっちも!いかなくなっているのでは?そんな倒れかけた資本主義なんか、いつまでも後生大事に抱えていなくてもいいのではないかしら?なんちゃって。。経世済民、ということが可能な社会というのを、本気になって考えてみれば、もう、次の時代のことを考える時期に来ている、と思ったりするわけです。取り戻すとしたら、本来の人間社会のあるべき姿。日常が助け合いばかりの社会・・・坂本龍馬が今生きていたら、次の時代を考えていたに違いない、と夢想しています。
2013年07月08日
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ファミリーサポートセンターというのがあるのを知ったのはつい最近のことです。世の中の事情に疎くて、名前だけはもう少し以前から知っていたのですが、自分には何の関係もないものだ、と勝手に思いこんでいました。それが、あ、私がやってもいいんだ、やればできるんだ、と今頃!気がつきこのほど、講習を受けてきました。実際にお子さんを預かることがこれからあるかどうか、わかりませんが、こういう、サポートしたいよ、と考えている人が近くにいるんだ、と、子育て中の近所の方に知っていていただくだけでも、力になれそうな気がしています。ところが、近所にいるよ、と知らせる手だてというのは、実はお話が来てみないことにはわからないわけなのですね。団地に住んでいても、あまりお子さんの声を聞くことがなく、どこにどんなお困りの方がいらっしゃるか、まるでわからない。それもそのはず?団地の中にある育成会も、もう風前の灯火、と言うくらい、お子さんの人数は減っています。いや、実は人数が多いか少ないかにかかわらず、地域のコミュニティが機能していない中では、2~3軒お隣ではもうどんな方がお住まいかわからない、といった状況なのでした。ファミサポに関わっていれば少しはお役に立てるかな?と考えてみたのですが、依頼が来ない限り、あまり今までと変わりなさそうで、ちょっとがっかり?いや、してる場合じゃないです。コミュニティの復活!をどうしたら進めていけるか?考えて行きたいですね。昔は地域社会が子育てしていたのですから。(ファミサポの受け売り♪)
2013年07月03日
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自治会の役員をしていると、市の研修旅行への参加とかがあったりします。ある地方の都市のホテルで行ったものに参加してみて驚いたのは、仲居さんも、コンパニオン(そうした方たちも市の税金からか?と考えてしまいますが)さんもかなりの割合で、外国人の方が多かったこと。そこで、同行した方が仰います。「日本人の若者は、そして彼らを指導すべき立場にある年代の方達も、双方に根気も気力もない」だから日本の若者が失業する→外国人の働き手が増える。昔は会社の方でも新入社員を育てるという余裕があったが、今は社員の努力が到達目標に届かないと切り捨てる傾向にある、のだそうな。ここまで頑張ったんだから、もう少し先まで、もう一踏ん張りやってみようそういった懐の深さ?余裕?が企業のほうから消えて、若者の方はあまりに要求度が高いと感じて簡単にあきらめてしまったり・・ということは大いにありそうです。そこで私もつい、言っていました。「若者は一人残らずみんな正社員にして→雇用を確保して、そこで粘り強く鍛えればいいと思う(その上でがんばる気のない人には別の道を選んでもらう)。そうでなければ安定した生活が望めないし、そうなると結婚もできないし・・」グローバル化が進んでいるのだから、国際的な競争に勝つためには労働力の買いたたきは仕方がない、という意見がありますが、よその国の労賃が安いから安売りの競争をさせられているだけの話であって、逆にすべての国で賃上げ競争をこそ、やっていかなくては!働く人はいくらでも賃金を切り下げられて、やがて生きてゆけなくなると思います。人間らしく豊かに生きることが難しくなる・・・そんなような話の途中で別の話題になってしまいました。外国人の仲居さんが多いからといって、実態は別かもしれませんが。。
2013年06月24日
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と、夢の中で、外国人の著名な学者?が講演しているのを聞いて払っている方はそれでいいけど、受け取っている方は?何の権利があって地球の取り分を自分のものにしているのだろう?と考えてしまいました。ムロン夢の中で。地球に生まれてきたものは、誰でも!人であれ、動物であれ、植物であれ、いっとき、地球の一部分を地球からお借りしているに過ぎないのでは?オギャーと生まれた瞬間は皆平等と言う言葉があるけど。所有権というのは、人に所有という概念が生まれてからは絶対のもになったかもしれないけど、そんなに古いものでもないような。。人類は長い間、そんなこととは無関係に生きてこられたのでは。これから先の世界にだって、そんなせせこましい考えがなくなれば、所有と言うことからみんなが自由に!生きられるようになる可能性はあるかも。。資本主義のままでも、人が所有していいのは住むところだけ、とか、になったり(はしない、よね。)したら、世界が変わってくるような気が。。資本主義=市場至上主義をどうやったら克服できるのか?夢の中でも考えたけど、難しい。。
2013年05月24日
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昔 昭和30年代、『ありがたや節』という歌がありました。 軍のあるとこ 必要なもの 軍がなければいらないよ 国がなければ 軍隊いらず 軍がなければ平和ダヨ 有り難や有り難や ありがたやありがたや 武器のない世は どうして作る 差別貧困 ない世界 他人を搾って儲けたい人 いなくなるよな 世界だよ ありがたや~ 地球に住む人 友達同士 国の境は いらないよ 国の対立 誰が必要? 働く者には いらないよ ありがたや~ 育休3年 ないよりいいが もっといいのが時短ダヨ 皆で支える 子育て・介護 教育・就労も 支え合う ありがたや~あまり有り難くないものをありがたい、と歌うはずが・・・やっぱり作詞はむいてないような・・・もっと勉強しなくては!!!
2013年05月17日
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人の道道徳というのは人の道子供が生まれて喜ぶはどこの国でも同じ事その子の健やかな成長を親なら誰でも願うものりっぱに成人した途端お国のために死ねよとは二流政治の言う言葉どこの国でも同じ事知らぬ同士の若者が殺し殺され合うなどとあってはならぬ人の道国と国との対立を煽れば誰が喜ぶか軍需産業 大繁盛?靖国神社も?大繁盛国と国との対立を生み出すものは何なのか他国の民も労働者自国の民も労働者同じ働く仲間だね戦う相手じゃ絶対ない人のしあわせ奪うのは他国の働く人じゃないもうけの体制 なくそうよ競争は競技だけでいいお国の為は誰の為?人の為ではなさそうよだまされないで 若者よ歌をつくりませんか?下手なうたしかできないので・・・
2013年05月10日
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