出光姓、全国に150軒


私の最も得意とする分野が、日本全国の出光姓だ。
自分が一番知っていると自負している。何故なら、一番古い系図を持っているからだ。
赤間で23軒、冨士原で5軒、宇佐で1軒(明治5年の壬申戸籍当時。) それが、今では、
30×5=150軒くらいになっている筈。
例えば、我が出光蛭子屋は、5家になった。庄屋恵比須(隣家)は、多分7家くらいか? 酒屋蛭子は、赤間にはいないが6家くらいだ。御茶屋戎は、江戸末期に消滅。江戸期の4家が、今や、18家だ。

これは、他系統でも大体同じ事。今、赤間には、たったの9軒だが、いかによそに移ったかが分かる。そして、三郎丸、田久、徳重、陵厳寺などには、明治以降に移った。ほとんどが、冨士原出光だ。

とにかく、出光と名がつけば、90%、赤間の出である。
それから、我が家の墓だが、赤間上町の交叉点近く。法然寺境内だったが、いまは、おっぽりだされたような格好だ。いつ宗派変えをするのか、あぶなっかしい関係を象徴している。きづきましたか?

親父が、いつも、墓でなにやかやしてたから、私の中学時代、正直言って恥ずかしかった。法然寺(墓)裏と城中グラウンドは、排水ロ一つで繋がってましたからね。昔は、出光不動産の看板ではなく、先祖の業績の看板でしたよ、平成2年、息子がいじめられないようにと、外しました。私も親父同様の変人ですので、墓に看板(出光不動産)を、数年前に立てました。結局、私はかえるの子だったのです。
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夾竹桃は私が焼却処分。寺内の大きな木はお寺さんが処分。
おかげで春らしくなりました。

墓守の仕事は、周りの生垣の木々を毎年切る事、
墓の周辺の雑草の処理、お供え物の処理、
親父も大変だったろうな、
やっと親父の苦労が分かる年になりやした

戎屋本家、中家、下家の寄墓、記念碑など
そして鎌屋千衛門(鎌屋分家)の墓の管理
なんでこんなことせにゃならんのと、次の世代は言うでしょうね、

2003年08月12日

2)出光姓151軒をネット情報で確認!
掲示板情報で、中央信用組合の二丁田さん(広島県出身)が、一軒しかないはずというので、ネットで確認。9萬8千件の苗字が登録されているのに二丁田はありません。早速、メールで登録。http://www2s.biglobe.ne.jp/~suzakihp に、アクセスして下さい。重宝です。
出光姓は、このシリーズで150軒と推察しました。ネットでは151軒でした。正解というのでしょう。
我が家を5軒(添田、大阪、黒崎、行橋、赤間)としましたが、添田は名古屋に弟(52歳)がいるし、大阪は親子別の所帯、黒崎は和歌山に弟(48歳)がいる。そうすると、電話の数は8だ。こんな感じで151軒の実体は、120軒くらいにしぼむと思う。
11万から12万の苗字が日本にはあるはず。http://www2s.biglobe.ne.jp/~suzakihp
このHPは、重宝、鈴木HP(または、苗字HP)と、私が命名。
かなり、一軒だけの姓がある。びっくりするよ、きっと。

2003年09月06日 (2004年4月20日改訂)



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