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なかなかね、、、プラスに考えなきゃと思っててもそうそう浮上できないときもありんす。 今はまだ、、、と考えないようにしてて現実逃避しててなるようにしかならんのだよ と思っちゃいても実際、それはホントなんだけどでもやっぱ結局、誰かが代わりにどうにかしてくれるわけじゃなくてどうにかなるさ!と強がっててもどうにもなんないじゃーーん なんて後回しにしてたツケに凹む今日。 はーーーあ頑張んなきゃ
2014.01.27
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車を一台手放した。だいたい、二台あったこと自体が贅沢だったんだけどでもなかなか、あったものを無くす ってのはできなくってなんとなーく、見ないふり?考えないふりしてたんだ。 だけど今は、運転する人が私だけなんだから二台なんて必要ないわけで でもこんなことがきっかけで手放すことになるなんて・・・とそんな想いが頭をよぎると複雑な気持ちも正直あってそうしたことをコアサが知ったらどう思うだろう、、、とか(悩んでた時は話がイマイチ通じなかったからね)それでもなんだかやっぱり思いきれなかった。 でもそんな私の気持ちを聞いてくれてもし自分だったらどうする?との私の問いに真剣に応えてくれた、コアサの弟弟子、Tちゃん。ありがとう 10年超えの、査定がつかないような車なのにどうにか廃車扱いではなく、少額でも現金化できるようにと尽力してくださった仕事仲間のKさん。ありがとう コアサが倒れてしみじみ人って独りじゃ生きていけないなぁーって感じます。私は、コアサの仕事のことはほぼノータッチだったから知らないことだらけだったけど私の知らないコアサの一面に驚いたり感謝したりしています。 きっと、この寂しさや複雑な気持ちは時が解決してくれる。それより、至らない私に力を貸してくださる方々への感謝の気持ちだけは忘れないようにしよう。
2014.01.25
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コアサが倒れて40日。長かったような・・・?・・・いや、「ような」じゃなくて長かった。 先々への不安や心配を封じ込めて病気のことも、先入観で不安になりたくなかったからパソコンにも極力触らずに、何も調べなかった。同じ病気でも、すべて「同じ」なんて無いと思ったしとにかく回復だけを信じて、思考停止しながら『今』できることだけ考えた。 意識はあっても絶対安静で動くことすらNGだったコアサはとにかく独りになるのをすごく不安がった。病室は、ナースステーションの真ん前で大声で呼べばすぐ看護師さんが駆けつけることのできる部屋だったけど看護師さんたちも忙しく、ずっとそばにはいられないし当たり前にコアサの思い通りにならないことも多くまだ意思の疎通がいまひとつだったのもあってコアサの苛立ちやガッカリ感は相当なものだった。だからコアサはとにかく私が来てくれることを望んだ。しかも私がいれば、危険防止のための身体拘束のあれこれが解いてもらえるからなおさらで私は、一日たりとも休まずに毎日病室に通うことを優先した。 行くとコアサはいつもものすごく喜んだ。意味不明な話にもつきあったし身体を拭いてあげたり爪を切ってあげたり身体中をマッサージしてあげたりそのほかにもいっぱい 新婚でもこんなことしないだろw って幸い、ヘルパーの勉強をしたのが役にたつことがすごく多くてこれも実父のおかげよね と必然だったことに驚きながら毎日休むことなく少なくても3時間は一緒にいるもんだからラブラブな夫婦とすっかり有名になるほどでww だけどほんとは内心複雑で今まで他人事だったこういう闘病ってほんとに壮絶なんだな・・・ と想いながら過ごしてたけどだけどそれは今思うと壮絶じゃなくてもしかしたら穏やかな時間だったような気もして・・・・・・ いや、やっぱり壮絶だったか ・・・うん。 でもこれも年明けの最後の手術までの辛抱よ、、、と自分を励まし、コアサを励まし、どうにか頑張った。 そして最後の手術を終えたあとの修羅場に凹み、もう立ち直れねぇーーー と思ったけどその翌日からコアサはあれよあれよと良くなっていった。 いまひとつ現実がわからなくて前日のことも覚えていられなかったのにそれがわかるようになっていくことに驚いて 喜んでもちろん現実がわかるようになるのは反面、辛いことでもあるんだけどでも仕方ない。受け入れるしかない。 そんな様子をずっと見守ってくださったドクターや看護師さんたちと穏やかになってゆくコアサの様子を笑い話にしながら車いすに移れるようになったと喜んだり食欲がないコアサにドクターが、ご飯をちゃんと食べるならご褒美のスイーツOKにしちゃうよw と院内の売店へ買い物に行かせてもらえるようになってそれがものすごく嬉しかったり ベッドの上だけだったリハビリも離れた場所に行くようになって大変なんだよー と嘆くコアサの様子がなんだか可笑しくて ずっと導尿だったコアサはおしっこをどうやってするかさえ身体が忘れてしまってなかなかその感覚が戻らずやっと外した管をまた入れるかもしれない、、、ととっても凹んだ様子でがっかりしてて私が ダメもとでもう一回、チャレンジしてみなよ!と渋るコアサをトイレに行かせたらどうせダメだろう とあきらめてため息ついたら出た!涙が出そうだったーーー^^ と看護師さんと三人で大喜びしたり そんなこんなな40日の入院生活も今日で一区切り。 と言っても退院じゃありません。転院です。今度はリハビリ専門の病院に入院します。 ほんのちょっとのことでも感動してほんのちょっとのことでも喜んで40日間のこととみんなへの感謝の気持ち、絶対忘れない。 これが終わりじゃなくまた新しいスタート。先は長いね。息切れしないようにしなきゃ。
2014.01.20
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振り返りになるんだけどコアサが倒れてから、もしや一番しんどかったかも?なあの日。 倒れたようだとわかった時よりもちろんその時やその後の緊急なあれこれも眠れないくらい食べられないくらいしんどかったけど やっぱ、本人の苦しみを目の当たりにしてもうやだーーー!と叫んで暴れるコアサを抑えても抑えてもどんなにゆっくり話して聞かせても収まらない、コアサの中で湧き上がる限界な感情がわかりすぎるほどわかるだけにコアサの前ではそれまで一度も流したことのない涙を堪えることができなくなった。 いかん、泣いちゃいかん と想いながらもどうしても流れてくる涙。ただでさえじっとしてるのが嫌いでなのに絶対安静で身動きひとつできなくてそれを騙し騙し、ごまかされて私はごまかすことしかできなくて励ますことしかできなくてやっとやっと 最後の手術だよ と言われて頑張ったのにすぐに家に帰れると勘違いしてそれが叶わないと分かった時コアサの中で張りつめてた感情がぶち切れた。 何よりも私のことを考えてくれるコアサが私を困らせていることもわからずにいる現状。いや、わかっていてもどうにもならない苛立ち。暴れるのも 叫ぶのもしょうがないとは思うけどこんなんで生きててコアサは本当にいいのだろうか と自分がしてることをコアサがわかったらそれはそれでコアサはきっと苦しむはず。生きるって何? 命って? とそんなことを考えて涙が止まらない。 そしてそんな私を見て急に正気になってごめん。どうして? と謝りながら言うコアサにあんまり可哀想で、、、ごめん と私も謝ることしかできなくてふたりで ごめん ごめん と言いあった あの日。
2014.01.07
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2014年明けましたw まぁ正月もなんも、あったもんじゃなかったけどね私の中では12月10日のあの時からただただ時間が過ぎてるだけなそんな感じで でもそんな感じでも 「大丈夫」と根拠もなんもないけど絶対!とか声を荒げたりするわけじゃなく ただ冷静にひたすら信じる日々 しんどそうなコアサをどうにか紛らわせてあげたくて自分が置かれてる状況を全くわからないコアサをどうにか安心させてあげたくて だけどそんな想いすら全く伝わってないことがわかると仕方ないと思いながらもやっぱり辛くて帰りの車の中では涙が止まらなくて バカだな、、、まともに相手したって仕方ないのに、、、と本当に辛いのは私なんかじゃないんだぞ!と大音量で好きなCDかけて大声で歌って それだけじゃなくマイナス思考オーラに飲み込まれそうになるとそこから抜け出すことだけに没頭して 辛いよ 不安だよ心配だよしんどいよだけど食べてるし寝れるしがははは あたしってすごいや ちっともやつれてませんそりゃあね逃げ出したいよ投げ出したいでもそれはぜったいしないだって本当に投げ出したいのは本当に逃げ出したいのは本当の本当に辛いのは私じゃないから でもコアサがいないところでは泣くよ愚痴るよ弱音吐くよだけど反面、それをしてしまうと自分が崩れそうになるのがわかる 歯止めが効かなくなりそうで怖いコアサが堪えてるのに私が崩れるわけにはいかないもん だから強がり それが今の私の鎧大丈夫なんとかなる念仏のように心の中で唱えるなんの根拠もないんだけど今できるのはそれだけ
2014.01.05
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