ひめあんどぴー

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入院生活 ~手術まで~


不安がいっぱいの中で、とうとう入院の日が来た。
夫の父が朝駅まで車で送ってくれ、夫と母が付き添ってくれて、病院へ行った。
3歳の時に、交通事故で入院した時以来の病院生活だ。
担当の看護婦さんから説明を受け、6人部屋に入る。
産婦人科病棟なので、妊娠中毒症の人の人がいたり、外科病棟がいっぱいで間借りしている人もいるし、全く言葉の通じない外国の人など、いろいろな人がいた。
ただ私は、もう子どもが産めなくなるかもしてないとかなりナーバスになっていたので、これから赤ちゃんが生まれる幸せな人と同じ部屋にいる事が耐え切れず、看護婦さんに不満を訴えた。
すると気持ちを考慮してくれ、個室に変えて貰えたのでホッとした。
でも個室は8000円も差額ベット代を取られるらしい。
経済的な事も心配だが、とりあえず夫が気にしなくても良いといってくれたので、甘える事にした。
26日の手術まで、いろいろな検査が続くらしい。
7月23日
担当医から検査結果から見た病状予測、今後の治療方法、などの説明があった。
初めて先生の口から癌らしいという言葉が出た。
両方の卵巣と、子宮まで取る事になるらしい。
もう子どもの産めない体になるんですか?って質問したら、子どもより自分の命の方が大切でしょう、と言われ本当に死の恐怖を感じたような気がする。
手術の後は抗がん剤の投与と言うもっと辛い治療を受けるため、半年位の入院になるかもしれないと言うさらにショッキングな話まであった。
もう家には帰れないかもしれない・・・と入院するときにつけ始めた日記には書いてあった。
この時の私は自分の事で精一杯で、夫の事は全然考えてなかったと思う。
不安、恐怖、イライラ・・・すべてを夫にぶつけていた。
夫だって同じように不安だったと思うし、まだ新婚一年目だと言うのにこんな事になってしまって、自分の不幸を呪っていたかもしれない。
でもそんな様子は微塵も見せずに、私を励まし、仕事が終わると毎日1時間かけて病院まで来てくれた。
経済的な事も心配だったと思う。
俺は大丈夫と言う顔をしながらも、入院していた私よりも痩せてしまっていた。
7月25日
手術日前日 腹部と陰部の悌毛、浣腸 こんな時でもやはり恥ずかしい。



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