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休職まであと1日になった。なんか少し安心している。短いだろうけど私なりに大切に過ごそうと思っている。
2005年02月27日
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今日は管理職の移動が発表されました。今まで信頼していた婦長さんが移動。その代わりに来るのは最悪と評判の男の婦長。私やっていけません。( ̄^ ̄)夕方、部長に直談判する予定ですが、私の移動が無理なら辞める覚悟です。私の病気を理解してくれている人がいない職場なんて耐えられません。今は不安で夜勤のための仮眠もできないくらいです。どうなるんだろう。結果はまた明日お知らせします。気が重い(;-_-+今日の夜勤は大嫌いな主任とだし。
2005年02月25日
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それでも、その4日がきつかったりする。1日は休みですが、後の3日は全部夜勤。。。頭おかしくなるよ。つうか、なってる。。。(><)休職の期間を決める時に、婦長さんは明日からでもいいと言ったんです。でも、私は、あの時はなんとかやれそうな気がして、「今月の勤務表はできているし、夜勤動かすのは大変なんで、今月は働きます。」と言ってしまいました。いまさら後悔です。婦長さんはその言葉にとても感謝してくれましたが、私、今限界なんですけど・・・。かなり鬱に入ってきて。今日は夜勤明けでずっと寝てました。買い物に行く元気もなく、チキンシチューを作る約束を彼としたのに、冷凍庫にあったシーフードミックスをぶち込み、シーフードシチューになりました。ま、全く間違ってはいないでしょ。しかも、この鬱真っ盛りな私が料理しただけいいでしょ。明日も夜勤。つうか、今日は欠員が出たその人の分の夜勤なんですよ。こんな体で他人の夜勤までやってあげてる場合じゃないって。まじで。。。そのおかげで、夜勤続きになっちゃったんだから。。。休職前にとんだ災難にあった感じです。明日は大嫌いな主任との夜勤。一晩で私は死にそうなくらいストレスがかかるんです。先日、主任に一応、休職のことを話しておきました。正式には明日、全スタッフには発表するんですが、その前に話を通しておかないと、私の命縮まるので、言いました。もちろん本当の病名は伏せて。「来月半月、ストレス性潰瘍で休職することになりました。」そういったら、主任が原因の1つになっているなんて、全く気づかず、「お大事にね。そんなにストレスためないでね。」ですと。おまえがストレスそのものなんだよ!!!とは思っててももちろん言いませんでしたが。今日は夜勤中、朝、1回しっかり起きたのに、自分の朝ごはん食べて、患者さんの朝の薬を配るくらいに、すごく眠くなったんです。だめだめ。ここは絶対に間違ってはいけないところ。と気をはり、なんとか頑張りましたが、なんでか考えましたが、やっと分かりました。自分の朝の薬が効いてくる時間なんですよ。最近の夜勤は朝がきついと思っていたら、こいつのせいでした。でも、全く飲まないとこわいし。。。ということで、明日は夜勤の帰り際に朝の薬を飲むことにしました。ま、あと4日。仕事としてはあと3日。頑張らなくちゃ。たぶん、休職に入って3日は冬眠すると思います。
2005年02月24日
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今日は夜勤明けで、爆睡してしまいました。6時間くらいしっかり寝てしまい、お目目パッチリ。これで、夜寝えるか不安です。明日から2連休。明日は何も予定を入れていません。そんな休日もなくちゃね。今まで、ゆっくりする時間がなかったから。家事は彼がほとんどやってくれたから、明日は安心して休むことができます。今まで、休みでも、家事が残っていると、休み返上でやることになり、休みじゃないんです。久々の何もない休みで、今からルンルンです。
2005年02月20日
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うつ病だからといって、特別扱いをしてくれる職場は今まで、いっぱいあった。でも、その特別扱いは一種の差別でもあった。病気だから、という理由で責任のある仕事、大変な仕事はやらせない。病気だからという言葉は、いたわりでもあり、差別でもあった。今日、たまたま昼の残り番で婦長さんと2人になった。「あやや、来年は教育委員どうだ?看護研究も来年発表することだし。」そう言われて、戸惑いがあった。防災委員と同じくらい大変だとはうわさで聞いていたので、それは負担にならないかとかいろいろ考えた。でも、婦長さんはこうも言った。「私はね、特別扱いはしたくないのよ。つらい時はそれなりのサポートはするから、みんなと同じように、責任のある仕事をさせたいし・・・。」その配慮は今までの病院とは明らかに違った。うれしかった。特別扱いか放置(特別扱いはないけど、サポートもない)。そんな病院が多かった。精神科ということで、私の病気を理解しやすい職場なのかもしれないけれど、その配慮はうれしかった。休職期間中に来年度の委員会のメンバーを決めなければいけないみたいで、休職に入る前に私に了解をとっておきたかったとのことだった。私は、その配慮があるならという条件で、来年、教育委員を受けることにした。つうか、今年、見ていると行きたい研修はみんな教育委員が先に申し込んでしまって、他のスタッフには回ってこない。教育委員は大変ではあるけど、優先的に研修に行けるというメリットはある。婦長はそれをうまく利用して看護研究をやって欲しいとのことだった。行きたい研修、研究に必要な研修は教育委員であれば優先的に行けるので、どんどん行ってきなと。しかも、教育委員だと出張扱いで、研修費は病院側が負担してくれる。今まで、自分の休みをさいて、自分のお金で研修に行っていたので、それは助かるかもしれない。でも、今までの病院だったら、そんな役割を私にはやらせてくれないかもしれないと思った。それだけ信頼され、サポートされていることに本当に感謝でいっぱいになった。特別扱いがどんなに不快で、寂しいものかさんざん味わってきただけに今回のその言葉はうれしかった。しんどくなったらサポートは必ずするという言葉は私に勇気をくれた。教育委員はただで優先的に研修を受けられる代わりに、院内の研修を運営していかなければいけない大変な委員会。でも、婦長さんのサポートがあれば私はやっていけるような気がする。休職前に聞いておいて、心の準備期間をもらい、その配慮もうれしかった。で、休職は今月の25日に私の口から、「最近胃の調子が悪くて病院に言ったらストレス性胃潰瘍ですと言われたので、来月、半月休ませてもらいます。」ということに決まった。シナリオも今日決まり、安心しました。人生、捨てたもんじゃないな、と思った1日でした。
2005年02月18日
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昨日、久々にODをしたせいで、せっかくの休みは終わりました。午前中はとにかくふらふら。でも、さすがハルシオン。午後には回復しました。午後から出かけて、何日か遅れのバレンタインのプレゼントを買いました。これからチョコは作ります。明日は日勤なので、早めに作らないと。あーーー時間がない。
2005年02月17日
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ハルシオンを少し多めに飲んでしまった( ̄□ ̄;)つうかいわゆるOD馬鹿だ~彼も私のODを止めるために飲んでしまっましたせれで眠いと言いながら出勤していきました申し訳なくて私はかなり眠いので再び寝ます出勤していった彼には申し訳なくてごめんよ~また仮眠してから動きます今日休みでよかった
2005年02月16日
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先週から、旦那はずっと頭痛を我慢していたらしい。私がちょうど調子が悪く、私も彼を受け入れる余裕はなかったと思う。でも、それを気にしてずっと我慢していたなんて、なんだか心が痛んだ。家族なんだから何でも言って。そう言ったのはどっちだっけ?でも、その配慮も少しうれしかった。彼(つうか旦那)は今日、休みを取って病院に行った。私も最悪の時の覚悟はしていた。メールが待ち遠しくて、何度も見てしまった。が、、、結果は”偏頭痛”いろいろ検査はしてもらったらしいが、なんだかふぬけだった。安心したけど、気が抜けた。でも、こんなにも心配して、こんなにもいたわりの気持ちが出たのは初めてだった。自分がいつも介護されるほうだし。実家では何も感じないように生きてきたし。心配することができた。私、感じることができたんだ。なんて、自己満足していた。でも、これを期に、互いに我慢はしないようにと誓った。家族って、正解も、見本もないけど、自分たちが安心できる形を作ることで、それでいいんじゃないかと思った。互いに機能不全家庭に育った私たち夫婦は戸惑いがいっぱいです。でも、それを1つ1つ解決することで形ができてくることを祈ります。今日は看護部に正式に休職の診断書を出してきました。ひとまず安心です。あと半月。1人欠員が出たため、自主的に減らしていた夜勤が強制的に増えました。「つぶれないでね。」その彼のやる気ない言葉がすこしうれしくて。頑張れそうな気になりました。
2005年02月15日
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昨日、休職の許可が出たが、そのいきさつを今日は書きたい。自分では、うつが再発した時点で、原因はなんとなく分かっていた。仕事のストレスと夜勤のやりすぎ。そのほかにもいろいろあるが、仕事が大きく関係していることは分かっていた。再発を言い渡されて、まず彼にメールを打った。彼は最近の私の仕事ぶりを知っていたので、すぐに「仕事、辞めてもいいよ。」そう言ってくれた。でも、私には仕事を辞める勇気はなかった。苦しくても、社会にいたかった。仕事がなくなったら、社会から阻害される気がして怖かった。でも、再発当時は辞めなければうつは治らないと確信していた。そのくらい、仕事が重荷になっていた。月の半分は夜勤。人が足りないのは分かるけど、普通に考えてもありえない量。しかも、看護研究の主の研究者に抜擢された。うれしい反面、その責任は重かった。夜勤の量にしろ、看護研究にしろ、逃げるには仕事を辞めなければ。それしか考えられなかった。そのくらい私は病んでいた。一種の燃え尽きみたいに。でも、幸い薬が効いて、仕事が楽になった。夜勤も婦長さんにお願いしたらあっさりと減らしてくれた。しかも、私だけでなく、いろんなスタッフが夜勤の多さで、体調を崩したのを気に、人員を1人、増やしてくれた。これで、仕事を辞める理由が1つ減った。でも、看護研究。これだけからは逃げられない。でも、投げ出してやめるよりはと思い、共同研究者に正直に話した。「私1人でやっているような気がする。もっと協力して欲しい。正直しんどい。」でも、意外な返事が返ってきた。「手伝いたい気持ちは前からあるんだけど、何をやっていいか、分からなくて、全部あやのさんがやってくれるので、私たちにはやらせてくれないのかと思っていた。」互いに誤解が生じていたことに気がついた。それからは、互いに相談し、係り分担がうまく出来た。私って、結局は苦しいことを言わずに抱え、なんでもこなしていかなければいけないと、自分で決め付けていただけなんだと気がついた。周りは私のSOSを本当は待っていたのかもしれない。そうも思った。これで、仕事を辞める理由はなくなった。でも、休職はしたかった。仕事的にはやりやすくなったし、ずいぶん楽になった。でも、自分の気持ちの整理をしたかった。ちょうど薬の調整期間中で、薬を変えたりすると慣れるまできつい。そんな中での仕事はやはりきつい。婦長に昨日、休職を言い出すときも、「何で?仕事できてるじゃない。」なんて言われたけど、それは無理しているだけ。家に帰ると本当にしんどい。主任との関わりが今の自分にはきついことも正直に話した。そしたら、意外な返事で、「私もあやや(病棟でのあだ名)見ててそれは感じてたの。あの人(主任)のこと苦手な人多いから。あややの感覚は間違ってないと思うよ。」「でも、何で半月も休職が必要なの?」と聞かれ、解雇覚悟で私は言った。「これから先も看護の世界でやっていくのに、気持ちの整理がしたいんです。薬物調整もしたいし、気持ちの余裕を持つための、リセットの時間を下さい。」と。普通の職場ならそんなこと言ったら、辞めてからやれ!って、普通に言われそうだが、婦長は心の広い人だった。「いいわよ。じゃあ、リセットしてきなさい。」失礼だが、婦長さん、あなた馬鹿?ってくらい即答だった。心が広いんだか、ただの馬鹿なのか。でも、理解はしてもらったみたいだったので安心した。次の関門は部長。緊張して、落ち着いて夜勤ができないくらいだった。朝、婦長がニコニコして私に、「部長出勤したよ。話通しといたよ。」と。さすが!と思って、部長室に行って、「うちの婦長から話が通っていると思いますが。」と話を切り出した。しかし部長は、「え?今日は何の話をしにきたの?」「話?もしかして、この汚いメモかしら?」と、あきらかにうちの婦長の字のメモがそこにあった。確かに、婦長、字は汚いんですよ。「あ、そういうことね。」とやっと理解してくれた部長はなぜか私のカウンセリングを始めた。『最近、調子はどう?』「それが、うつ病が再発して。」『でも、表情はいいけどね。何が今はつらいの?』「仕事のストレスと、不眠とか、薬の副作用とか。」などなど。完全にカウンセリング状態。部長といっても、列記とした精神科の看護婦ですからね。そんなこんな、30分くらい、部長のカウンセリングを受け、休職を決めました。気持ちの整理の時間は必要でしょう。と部長も賛成してくれました。そして、部長が私に休職の許可をくれた1番の決め手は私の感覚でした。長年、精神科看護をやってきて、良くなっていく人ほど、セルフコントロールができていると。自分でこれ以上はできない、という感覚が合ってくると。私の回復を認め、その感覚を信頼しての許可だった。「その感覚、大切にして。そして、今度は看護の中で、患者さんたちに教えてあげて。私たちにはない感覚だから。」私はそういった意味でこの病院に必要な存在だと言われ、自分に自信が持てました。もともと、自分の仕事に自信がなくて、精神科やっている意味が分からなくなって、それで燃え尽きたみたいな、うつ病の再発だったので、部長のその言葉は私に回復の希望をくれた。本当に理解ある職場でよかったと思った。安心して半月、休職ができる。で、周りのスタッフになんと言って休職するかが悩んだ。私がうつ病だとすべてのスタッフが知っているわけでもないし、うつ病は治って、仕事していると思っているスタッフもいるし、これを期にすべてがばれるのは嫌だし。そんな話をしていたら、さすが部長。「ストレス性胃潰瘍にしよう。急に休まなきゃいけない病気じゃないし、(私の休職は来月なので)あの主任きついから、ストレスが起こったのよって、みんなわかるでしょ。誰でもなる病気だし、一過性だしね。」なんていって、病名も無事決まりました。「今から胃の調子が悪そうにしてなさい。」そういわれて、すごく和みました。だてに精神科看護うん十年やってないね。婦長と部長に感謝です。この休み方なら、復帰もしやすいでしょう。本当に今の職場には感謝、感激、雨、涙って感じです。実際に休職が決まり、安心して家で泣きました。私は今回のことで、あと3年はこの病院にいようと思いました。
2005年02月13日
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今日は夜勤明けです。でも、この夜勤で私の人生大きく変わったので、なんだかいい夜勤でした。というのは、休職について、ついに決意はしたものの、肝心の職場に言い出せずにいたんです。先日は実家に行き、再発したこと、休職したいこと、すべて話し、了解を得てきました。彼にも、カウンセラーにも後押しされ。さて職場。なかなか言い出せなくて。みんないる所じゃ言いにくいし。と考えていたら、今日の夜勤は管理当直がうちの婦長じゃないかい。しかも、病棟に残業があるらしく、いすわっているじゃないか。こんなチャンスはない。夜勤の相方も私には理解ある人。勇気を出して、話しました。「え、休職するほど調子わるいの?」婦長の第一声はそんな感じでした。それもそのはず、薬飲んだら仕事は普通に出来るんですから。でも、その後がきついんです。帰ってから、仕事で張り詰めていたものが切れて、がくんと何もできなくなる。そんなこんな理由を話しました。詳しいことは明日書く予定です。婦長はあっさり許してくれました。解雇を覚悟して休職を切り出しただけに、なんだかふぬけでした。部長もちょうど出勤日で話すチャンスがありました。部長もあっさりOK。休職させてくれなきゃ辞めてやる!くらいの決意だったために、2人のあっさりとした対応にはふぬけな感じもありましたが、すごくありがたい感じでもありました。しかも、部長さんは「あなたは貴重な人材なの。精神科で同じ病気の気持ちがわかる看護婦って少ないでしょ?自分が体験したことを生かして欲しいし、これからの看護に還元して欲しいの。そんなことのできる看護婦はうちの病院であなたぐらいよ。サポートはいくらでもするから、期待してるよ。しっかり休んで、また一緒に働きましょ。」そんな暖かい言葉に、私は涙が出そうでした。うつ病を抱えながら、働くには、理解ある職場じゃなきゃきついよね。今の職場には本当に感謝です。今日はうれしい1日でした。また詳しくは明日書きます。
2005年02月12日
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今日は朝からすごいうつになった。でも、頑張って仕事に行った。そういう日に限って、へんな患者が入院してくる。関わってるとうつに更に入る気がして、悪いけど、その患者との関わりは、他のスタッフにまかせた。自己防衛が働いた時点でこの業界、仕事にはならない。自分の病気を治さないと、患者にもいい影響はないとは分かっている。だからこそ、本気で休職を考えている。でも、やり残しの仕事はいっぱいある。でも、限界なのかな。今週のカウンセリングと診察で休職の時期を決めようと思う。私の予定としては、来月。今月はシフトがきまっているし、仕事の引継ぎもあるし。とにかく、本気で休職を考えなければな、と実感した。
2005年02月07日
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最近、調子は高いが、不眠は治らず、疲れています。昨日はクリーニング屋のカードがないことでイライラして彼に当たってしまいました。明日からパラオに潜りに行きます。仕事も忘れ、非現実社会に浸ってきます。あー、今日は早く寝よう。
2005年02月01日
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